久しぶりの報告となります。
無事に塾長の手術が終わり、西田氏のお子さんも無事に生まれてきてくれました!!
なによりという安堵感の中で塾は行われました。
塾長は手術後、休むことなく様々な場所へ西村氏と出張に行っています。これはもう頭が上がりますね。
そして本日のメニューは、臥竜塾にちなんで日本酒の「臥龍梅」(塾長の龍のグラスとのコラボレーションは素敵です)、デパートで購入したお刺身、焼き鳥、ほうれん草の胡麻和え、塾長が出張先でのお土産である、さつまあげ、馬肉の塩焼き、青さのみそ汁、かつおのたたきとなっています。
本日のメニュー
日本酒 臥龍梅
さらにデザートは山下氏行きつけのケーキ屋さんで塾長の大好きな「サバラン」というケーキを買いました。洋酒がかかっているのですが、更にお好みで調節しながらかけられるという驚きのケーキでした!!
サバラン
塾生もおまけに
なぜこんなにも豪勢なのかと言いますと…
塾長の誕生日を臥竜塾ではまだしていないということで塾生たちで考え、奮発したメニューとなっています!さらに塾長の出張先でのお土産も加わり、とても豪勢でした!
おめでとうございます!
臥龍梅とい日本酒に合う物は…ということでこういったメニューとなっています。
さて今回の臥竜塾は「絆」というのがテーマだったように思います。
これは完全に個人的な意見ではありますが…
まず、塾長から…
「みんな、里見八犬伝って知ってる?」から始まります。
その後、知ってる人、知らない人といましたがその物語を説明してくださいました。
ちなみに私は知りませんでした…
知らない方は是非、調べてみてください。
ちなみに、ドラゴンボールはここからきているということも聞くことができ驚いています。
現在、塾生は7名いて、今までは7名ということで七福神と銘打ってそれぞれの名前を決めていました。しかし、5月から一人塾生が増え、8名になります。
そこで里見八犬伝から名前を拝借し、それぞれ塾生に合った八剱士の名前を塾長につけてもらいました。
それぞれを紹介したいと思います。
『仁』 → 西田氏 ~愛と思いやりこそ、すべての基本である~
・愛。人を思いやる心。慈しみ。最高の徳。思いやり、慈しみの心、人を思いやること。「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。
『義』 → 山下氏 ~大義名分を持たない者はほろびる~
・正義を貫く心。善悪、正邪、真偽。人道に従うこと、道理にかなうこと。義は道理、道徳にかなうこと利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
『礼』 → 西村氏 ~人としてふみおこなうべき道を守る~
・敬意を表す心。社会秩序を保つための生活規範、儀式、礼儀、作法、礼節。礼は守るべき作法、敬うこと。「仁」を具体的な行動として、表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間社会の上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。
『智』 → 加藤氏 ~善悪の区別と自己を知る~
・正しい判断を下せる能力。正しく豊富な知識と経験、洞察力が加わったものが智慧。智は物事を正しく判断する力。道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。
『忠』 → 柿崎氏 ~あらゆる人に真心で接し、誠を尽くす~
・真心、君主に仕える道
『信』 → 本多 ~信がなければ人は動かない~
・あざむかないこと、誠実。友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。信頼する心。言葉で嘘を言わないこと、相手の言葉をまことと受けて疑わないこと。
『孝』 → 小松崎氏 ~生命体の連続性を説く壮大なる観念~
・孝とは父母を敬愛し子としての道を尽すこと。ただし、父母に順じることや父母を喜ばすことだけでは孝にはならない。孝であるにはまず、敬することが必要となる。孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を表す文字である。
『悌』 → 若林氏 ~年少者の想いと年長者の信頼~
・年長者に柔順に仕えること。また、兄弟や長幼の間の情が厚いこと。兄弟の仲がいいこと。悌は、優者に対する敬心である。自分より優れた者を認め、敬う心である。尊敬心である。優れた者に恭順たれと言う事である。素直に認めることである。悌の基本は、実力である。悌の本質は、相手の実力を認め、自分より優れたところが在れば、素直にその指導に従う事である。優れたところが在れば、それが、年下でも、後輩でも、部下でも、子供であったとしても素直に従うそれが悌である。
といった感じです。
ですので…
どうも信です。
そして、塾長が千葉の館山(南総里見八犬伝の舞台となった場所)に行った際に、絆の貝を塾生に拾ってきてくださいました!!
さらにそこに、それぞれの名前が刻まれているではありませんか…!!
塾生一同、「おー!!」と驚きました。
それがこちらです。
その貝を塾生一同で磨きました。
磨く?と思われた方がいると思いますが、塾長のブログにもありますが貝にも奥深さがあるようです。そちらは後日をお楽しみに…
塾長のブログ『絆を確かめる』に「「人の喜びや幸せは、個人の中にあるのではなく、むしろ他者との関係性の中にあるのではないか」ということにつながりますし、私たち先祖が、生存戦略として他者との関係性を構築することを獲得してきたことを表していることになるような気がします。」とあります。
この他者との関係を構築することを獲得することの表現の一つとして貝があり、その貝が塾生全員が持つことでより、絆が深まり、互いを助け合い、いつでも助けるよという姿勢になれるのではないかと思えます。その姿勢は外部塾生にも言えることでそれぞれが困ったときは力を貸し合い、乗り越えて行きたいと思うことができました。
そして、八剱士の名前に恥じることのないよう、それぞれが自らを省み、自分磨きをしていく必要があるように感じる時間となりました。
(報告者 本多悠里)
塾頭にこの度の塾の報告を「楽しみにしてな」と言われ、はやる気持ちを抑えられずに、帰りの電車で開いて読んでしまいました。最近は本当にダメです。すぐに目頭が熱くなってしまいます。車窓から見える夕焼けがいつにも増して美しく見えます。
素晴らしい名前を頂戴しました。本当に最高の気持ちです。智慧の為の智慧を求めるでなく、知行合一を自分の志として、日々を積み重ねていきたいと思います。
これからの時代、正しいことをいかに楽しく伝えていくかが求められていくと思います。藤森先生の元で楽しく学ぶこの日々を、僕らの下の世代に伝える立場、言い換えれば指導者となって多くの人達を導いていく時が必ずくると思います。現にそれはもう様々な形を成して始まっています。道に迷う度、藤森先生のブログを読み返しながら、本を読みながら、心が楽しくワクワクする道をみんなで歩んでいきたいと思っています。
そして、改めまして、誕生日おめでとうございます!来年は僕もその場所にいれることを、本当に嬉しく思います。夢はあってもなくてもいいものだと思っているのですが、もし夢がある人がいたなら、夢は必ず叶うものだということを改めて伝えたいと思います。
絆の貝に、みなさんにあった名前、かっこいいですね!人は一人では生きていけませんね。そんなことは、当たり前のことかもしれませんが、人はどこかでそのことを忘れてしまい、傲慢になってしまうこともあるのかもしれません。困っている時は互いに助け合うこと、そんな頭では当たり前と思っていることを当たり前にできる、自分でありたいなと思いました。また、それぞれに合った名前を藤森先生につけてもらうというのもいいですね。これを読みながら、自分はどれだろう?と思ってみたのですが、やはり自分のことは自分ではよく分かりませんし、なんだかひいきめに自分を見てしまいそうなので、自分ではない人に自分を教えてもらうというのはいいですね。余談ですが、貝に刻まれた「孝」の文字が、孝とつく名前に友人の字に似ていて、懐かしく感じました。