8月11日(火)に行われた臥竜塾の報告をさせていただきます。
まずは恒例の夕ご飯の紹介から。この日は、先週が藤森先生と西村先生が出張だったため、一週あけての臥竜塾でした。
なので、ちょっと豪華なイメージでハンバーグにしました。
にんにくとベーコンの入ったポテトサラダと富山名物(?塾頭にいわく「富山で食べてる人見たことない(笑)」とのことでした)きゅうりのお味噌汁です。
デザートには、外部塾生である渡邉寛臣氏から新婚旅行のお土産のチョコと、平田竜一氏から、熊本県阿蘇にある和菓子・洋菓子のスイーツメーカー「菓舗あそりんどう」より、チーズ菓子〝一五九二(ヒゴクニ)〟。そして、我らが塾頭から軽井沢のお土産をいただきました。とても美味しかったです!
計18個のハンバーグに火が通るまでに時間がかかり、さらにソースもつくらなければとのことで勝手に焦っていた今回のメニュー発案者の僕でしたが、
「大丈夫。とりあえず即席でソースはつくっちゃうから。」
「大丈夫。とりあえず焼けた分から食べ始めちゃおう。」
と優しく励ましてくれたのは調理柿崎先生です。
危なく惚れるところでした。
そんな柿崎先生がおばあちゃんのいる青森県に弟さんと旅行されたお話からスタートしました。
ちょうど青森名物〝ねぶた祭り〟が開催されていたようで、〝立ちねぶた〟となると全長20mもある迫力のねぶたを鑑賞してきたとの報告がありました。
そんな流れで、来週の臥竜塾の夕ご飯のメニューは青森名物〝せんべい汁〟と〝津軽漬け〟になるとのことです。今からとても楽しみです。
話は変わります。
NHKのEテレで先日放送されていた、『スーパープレゼンテーション』で、『哲学する赤ちゃん』の著書であるアリソン・ゴプニック氏が、〝赤ちゃんは何を考えているの?〟というタイトルでスピーチをされていました。
その映像を皆で見ました。
ネットから、この日のスピーチが見られますのでご参照下さい。
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150715.html
子どもが大好きなクラッカーと苦手なブロッコリーを使った実験や、動物の脳を比較しての考察、大人と子どもの脳の働きの違いなどを映像や写真が独特なスピード感ある語り口で、展開されていきます。
番組終了後、なんとなしに塾頭が言った「流石ですね」の一言が僕はとても印象的でした。様々な場所で演説に触れ、また自身も豊富な経験をもつゆえに、演説の見え方というものが違うのだろうということを感じさせる言葉でした。
他にも、
「子どもは関心をもたないことが苦手」
「子どもの脳は、あれもこれも面白くて選ぶことができない状態。大人で言えば、新しい状況に身を置いた時のような感じ」
「Neoteny→子どもの心をもったまま大人になるということ」(タイトルの答えです!)
「子どもの要素をもったまま大人になろう」
など、印象的な言葉がいくつもあり、とても勉強になりました。
感想を言い合っていく中で、「関心をもたないことが苦手」という言葉に本多先生がスポットを当てました。
すると塾長藤森先生から「〝子どもが落ち着くから〟という理由で、子どもに対して担当の先生を決めて保育をするという、担当制への違和感をやはり感じる。子どもは色々なことに関心をもちたがる脳の働きがある。また、トイレに向かおうとする子を抱きかかえたり、危ないからと色んなものを排除したりしようとする保育者がいるが、トイレへ行く〝途中〟こそ、保育なのではないか。」
とあり、一同とても納得をもって聞きました。
また、話の流れから、〝片付け〟についても藤森先生から言葉をいただきました。
「片付けはしつけではない。腰に手を当てて「片付けなさい」と言ったりするのは、それは日本独特のもの。あそびに満足すれば、子どもは片付ける。子どもと共にあそびを楽しむことを忘れてはいないか。」
「冒険心や好奇心を削いでまで、片付けるのは違う。保育者は、ある程度の散らかりを覚悟する必要がある。」
との内容で、これにもとても納得してしまいます。
ただ、〝しまう〟ということが本能的にあるのではないか、ということです。藤森先生のお孫さんがお家にあそびに来る時の話で、帰るときまっていつも先生のバッグの隙間に冷蔵庫の磁石が入っているのだそうです(笑)
これは〝しまう〟という一つのあそびであり、またある意味では一つの片付けの形でもあるのでは、というようにも感じられました。
塾頭からは、〝Neoteny〟について感想がありました。
それについても塾長藤森先生から非常に面白い考察をいただいたので、紹介させていただきます。
「ネアンデルタール人の方が今のヒトより脳が大きかった。もしかしたら、その場所に適応する力が現代人の何倍もすごかったかもしれない。その場所で個人が確実に適応できる、ということは、一人で生きることが可能であった、ということ。つまり、協力する必要がない為に滅んでしまったのではないか。ヒトに助けてもらう必要がなくなると滅びてしまうのではないか。
とすれば、生き残った我々の祖先は、一人では生きることができずに協力して生きようとしたヒト。協力とは足りないことを補うということ。この〝足りなさ加減〟が生き残る為に重要なのではないか。」
「見守る保育の特徴の一つとして、〝赤ちゃんから協力し合う〟という環境があることが挙げられる。(先程の担当制への違和感につながりますね) 完璧よりも足りなさの方が人類が生きられる。それを小さな頃から学ぶ必要がある。」
とても、説得力に満ちた内容です。
子ども同士のことにしてもそうですが、確かに例えば園の装飾にと買い物一つにしても、「これは一歳児クラスにいいかも!」と、他のクラスの先生が買ったり、思いついたりすることは当たり前のことのようにしょっちゅうあります。
また、3.4.5歳児クラスの装飾を、1歳児クラスの先生がつくったり。こんなことが自然と行われていることも、改めて、協力するという人類生存のとても重要な要素が、心地よい風として園の中を流れている、ということを感じるのでした。
最後に、先日行われたお泊まり会の写真をみんなで見ました。
そこで、5歳児クラス担任である本多先生が、賞状をもらったという話がありました。
『よくお泊まりができました』という、毎年お泊まり保育に参加した子どもたちに配るものでそれを保護者の前で本多先生に藤森先生から渡したとのことでした(笑)
「びっくりしました。『賞状をあげたい人がもう一人います』と藤森先生が言うので、誰かなぁ、地域の人かなぁと思っていたら、僕なんですもん(笑)」と本多先生。
聞くと、賞状を準備している段階で西村先生が準備したもので(笑)それを当日、渡す何分か前に「用意してあります。」と一言だけ言って藤森先生の手元に。何もしらなかった藤森先生は、その場のアドリブで(笑)渡してくださったとのことです。
まさにNeoteny。Neotenyのあまりに高いお二人の成される業、仕事ぶりを感じて、この日の塾はオシマイニーなったのでした。
(報告者 加藤恭平)
片付けに関する内容を読んでいて、あるアイディアが思い付きました。玩具が入っている箱に、片付けの5分前からあるフタをかぶせます。そのフタには、その箱に入っている玩具が丁度通るくらいの形がくり抜かれていて、子どもや職員は型落としのように箱の中に楽しそうに入れていきます。そして、その遊びが終わる頃には、丁度次の活動の時間になっているというわけです。それは、「しまう」という「遊び」が保障される環境になるのではと感じました。また、「Neoteny」という、現代社会にこそ必要な資質の重要性を感じることも出来ました。「子どもの心をもったまま大人になるということ」を上手にしてきた人が、社会で活躍している方々なのだなとも思いました。
「子どもの脳は、あれもこれも面白くて選ぶことができない状態」とあり、自分のことを想像してしまいました。それがいいのか悪いのか分かりませんが、私も頭の中にあれやこれやがあって、あることをやっている最中に、他のことを思いついてそっちにいってみたり、また戻ってきたと思ったら、次は違うことを思いついてそっちをやってみようかなと思ったりすることがあり、もうとっちらかったような状況になる時があります笑
やらないといけないことはちゃんとしないといけない!ので、もう少しそんな部分も成長させていかないといけないなと日々思っているのですが、なんだか今日は「どうしたおれの頭!」とあれやこれやになっている自分のことを「まあいいじゃない」と言ってもらったようで、ホッとした気分になりました。ありがとうございます(あまり自分のことを肯定ばかりしてもいけませんね笑)!
協力したから人は生き残ってきたということはもっと社会全体で共有できるといいのかもしれませんね。一人できちんと何でもこなすことが当たり前、それが一人前の大人と言われたりしますが、それができない人もいます。それができない私を肯定するのではありませんが、優れた能力の突出した人を作るのではなく、みんなで楽しく助け合いながらやっていこうという雰囲気を多くの集団がどんどん共有していくような社会になっていくといいですね。そのためにはまず自分からそういう姿勢でいたいと思います!
k.takaさんへ
コメントありがとうございます!思いつかれたそのアイディアが早速クラスの玩具入れの片付けのアイディアとして具体的に再現されていますね。その行動力や発想力こそk.takaさんの〝Neoteny〟であると思います。どんどん新しいものを生み出していきたいですね!
もりぐちさんへ
コメントありがとうございます!僕はもりぐちさんの自分を肯定できるところ、素晴らしいと思います。人間ってしっかりした生き物ではなくて、うっかりした生き物だと思っています。藤森先生も言われますが、「片付けが気になるのは年をとった証拠。気になる人がやればいい」ということで、とっちらかった状況が気になる人にやってもらいましょう(笑)そして、やってもらっている人たちに感謝をして、皆で一つの目標に向かって進んで行く、そんな毎日を過ごしていきましょう!