話は進み、恒例の西村氏による出張報告です。
今回の出張先は塾頭の地元である富山県でした。
富山では塾長の講演、富山にある各GT園さんの園紹介、新宿せいが保育園の園紹介、そしてディスカッションという内容です。
今回も非常にためになる出張であり、5Mの3Mくらいお話をされたと西村氏は言っていました。5Mのお話は1Mにつき1時間かかるというお話ですのでとても貴重な時間だったことと思います。
その富山で事件が起きたそうです(汗)
かの有名な立山連峰見たさに起きた西村氏にふりかかった事件…。
気になる方は本人、西村氏からお聞きください(笑)
さらに塾長が、
「研修旅行の予約をしてきたから」
と一言。そうなんです今年の研修旅行は富山に行かせてもらい学びを深めることとなりました。一通りの流れを説明してもらい、今回の研修旅行も学びがあり、尚かつ楽しい研修であることは間違いないものとなりました。
そして…先週の臥竜塾に引き続き
「縄文奇跡の大集」という番組をみんなで見ました。
簡単にまとめると…
縄文時代から建てられていた3階建ての建物が三内丸山遺跡で発掘され、その建物はピラミッドを作るよりも難しいとされていたようです。
直径2メートルにも及ぶ木が6本建てられ、作られた建物をどう運び、どう組み立てたのか…
まだ謎は多くあるようですが縄文時代を少しずつひも解いていく番組です。
【落狩猟採集民が定住できた驚くべき秘密】
クリが主な食べ物であることから縄文人は計画的に森づくりをし、森を作る事で定住できたと考えられる。
【1万年続いた社会、維持した秘密とは】
農耕民族にはあえてならず、その頃に四季が生まれたことから様々な食材が手に入るようになり、自然環境を利用することで維持出来た考えられている。
【縄文土器に隠された謎】
パプアニューギニアで同じような土器を使っている民族からの研究で土器の紋様に関して調理するだけなのになぜ紋様が必要なのか。
それには自然の精霊を感じるという意味で水や太陽、食べ物などがかたどれていたようです。ありのままの自然を受け入れ魂を土器に込めたと考えられる。縄文人もそういった考えであったのかもしれない。
【人々を魅了する土偶に秘められた役割】
縄文時代には圧倒的に支配する人がいなかった代わりに土器が作られ、そこに人が引きつけられ、大きな集落となり安定させてくれたと考えられている。
【縄文から現代へ私たちが受け継ぐもの】
自然を持続的に活用し、自然と共存しながら社会、集落を作ってきた縄文時代。
自分が生きていない時代の事もまでも考えて生きていたことから、自然との共生で維持する社会を生み未来へと続く未来を照らしていくことが現代には必要だと考える。
ワクワクしながら見る事が出来、未来をどう生きていくかを考えさせられる番組でありました。
最後には塾長が面白い記事がるあるということで、
孫社長のインタビューを読んでくれました。
私にはまとめられない内容ですが孫社長の考えとして印象に残る考えが、
「頭の良い人や商売の才覚を持った人はいっぱいいる。でも成功した人に共通するのは高い志を持っていることだ。それはどの時代も同じ。志がないと命懸けで一緒に旗を掲げようという同志は集まらない」
そこから、我々がすることは保育方法を広げるだけではなく志を高く持つことが大切になってくる。
志があることで同志が集まる。
「まさにGT富山のようだね」
という言葉で今回の臥竜塾はお開きとなりました。
長い文章になりましたが、お付き合いありがとうございました。
(本多悠里)
西村さんに、いったい何が!?笑
5Mの話もとても気になります。ぜひ、全てのMの話を聞いてみたいです。縄文人の話もおもしろいですね。ピラミッドよりも難しい建物を建てていたというのは驚きました。それはきっと一人ではなく、多くの人々の協力なしでは作れないものだったのかなと思うと、人々が協力している姿があったのですね。自然との共生も考えさせられました。「自然の精霊を感じる」とありましたが、私たち現代人もこの目には見えないものを感じること、大切にするという感覚は今の時代だからこそ必要な感覚なのではないかと思いました。そして、志の話もしびれました。高い志を持たなければいけませんね!
縄文時代というと、狩猟というイメージが強く、弥生時代に入ってから稲作など穀物を育てたと思っていたのですが、計画的に栗をとって定住していたのですね。学生時代に勉強した時には、狩猟と稲作とうまく時代を分けて覚えていたのですが、今後の学生はより難しくなりますね(笑)ただ人類としては、正しい歴史を知ることはとても大切ですね。今回、分かったことで、また新しい発見が見つかり、それで新たな志を持つ人も数多くいるでしょうね。私も志をしっかり持ち、そんな仲間を増やしていきたいと思います。
「なぜ紋様が必要なのか。」「ありのままの自然を受け入れ魂を土器に込めたと考えられる。」本当ですね。その紋様にただ凄いという印象のみをもっていましたが、疑問に思うことはありませんでした。なるほど、自然との共生がそこに描かれていたのですね。そこに人間が存在していた証を見るような思いがします。
現代のような豊かさとは違い、自然というものととても距離の近い中での豊かさというものが縄文時代にあったのではと想像します。心の豊かさとしてはどのようなものだったのでしょうか。紋様の中に、その時間を超えた時間を感じるようで、改めてそういった博物館で実物を見てみたいという気持ちが湧いてきました。