目的

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6月10日(火)の生臥竜塾

2年前、以前の職場の研修旅行で熊本を訪れた時、あちらの保育園の先生方と「子どもの遊びと生活の違い」について話したことがありました。当時の私は、「生活を笑顔で楽しくやっていたら、それが遊びになるのでは」と発言した記憶があります。生活=無意識で淡々とというイメージ、遊び=笑顔で楽しそうにというイメージがあったのか、遊びには、目的はないものだと思っていました。

しかし、今回の生臥竜塾で「子どもの遊びには目的がある」と、塾長は説きます。仰向きでの寝転がっている赤ちゃんが、手足をばたつかせているのは、将来歩くための準備であり、これから生きていく上で必要になる活動(生活)でもあります。そこに、太鼓を見つけ、他人がたたく姿を見て、自分も真似をしてみようと、そのばたつきを太鼓に向けたとき、それが「遊び」になります。つまり、太鼓に対して「たたく」や「音を出す」という目的を持ったとき、それが遊びへと変わるのです。生活という“生きる活動”が目的を持った時に遊びになることを知って、遊びの必要性・重要性を再認識しました。遊びというのは、生活を分かりやすく意味付けしてくれる存在でもあり、生きる活動が根本にあるのだなと感じたからです。塾長が普段から「子どもがしていることすべてに意味がある」と言っていることとつながったように思いました。

また、それに関連して、「道具」についても話がありました。道具は、あくまで目的を達成させるための物であり、道具を使うこと自体を目的にするべきではないと。例えば、細長い紙をハサミで一回切りし、「紙をハサミで切る」という目的を位置づけるのではなく、一回切りして切った紙で「アジサイを作る」等という目的を設定することで、ハサミを訓練ではなく、遊びのための道具として捉えていけるということです。

このような、遊びと生活と道具の位置づけを踏まえながら、各ゾーンに置く手作り玩具を製作していく必要があることを学びました。ただ、“楽しそうな物を提供する”では、乳幼児教育の重要性は伝わりにくいという現状があるようです。そこには、しっかりとした見通しや意図性、目的といったつながりがなくてはなりません。

 

そして、今回の生臥竜塾には『聴講生』が一人来ました。現在、研修に来ている「いるま保育園」の職員さんです。その方に新宿せいが保育園の印象をうかがったところ、「クラス間に、壁がない」「クラス以外の先生の出入りが多い」等と言っていました。確かに、担任以外の先生が、その空間に入ることへの抵抗はないと思います。子どもの様子次第では、他クラスにお願いして見てもらうこともあります。本日も散歩先の公園で、ある2歳児がなかなか帰りたがらなかったので、2歳児担任がその公園で遊んでいた3・4・5歳児の担任へ「まだ帰らないって言ってるから(3・4・5歳児と)一緒に遊ばせといてもいい?(一緒につれて帰ってきてほしい)」と言っていました。そんなやり取りで溢れています。その背景には、「多様性」が重要だと理解していること、そして私たちは「世界中にいる子どもの担任です」という意識があるからかもしれません。そう思っていたら、職員の誰がその子を見ても同じ愛情で接することができますね。

また、塾長は「ベテランが園の雰囲気を作る」とも言っていました。その2歳児担任は、ベテラン保育士です。そんな先生が、見本を見せてくれることで、他の職員もそんな対応ができ、その結果「クラス間の壁」をなくしているのでしょうね。

塾生からは、「他クラスからマイナス面ばかりを指摘されてしまうと、自分のクラスだけで囲ってしまいがちになる」という意見も出ました。これは、気をつけなくてはいけませんね。反対に「他クラスの良い面」をどんどん伝えていくことも必要だよねという話にもなりました。

 

最後に、恒例となりましたご飯のメニューをお伝えします。今回は、トンテキ・白菜と塩昆布のサラダ・トマトと卵のスープです。サラダはシーザードレッシングで味付けしました。塩昆布とシーザードレッシング。これが、合わなそうで合うんです。一度、ご賞味あれ!

(報告者 小松崎高司)

トンテキ・白菜と塩昆布のサラダ・トマトと卵のスープ

トンテキ・白菜と塩昆布のサラダ・トマトと卵のスープ

目的」への3件のフィードバック

  1. 「道具は、あくまで目的を達成させるための物であり、道具を使うこと自体を目的にするべきではない」この言葉はしっかり覚えておきたいことです。大人が子どもに何かをさせることで満足してしまうことがないように気をつけなければいけないなと思いました。他のクラスのいい面を伝えていくことも大切にしたいことです。いろいろな意見が言える雰囲気だからこそ、いい面を伝えるということは意識しないとなかなかできないことなのかもしれません。

  2. 「子どもの遊びには目的がある」「道具は、あくまで目的を達成させるための物であり、道具を使うこと自体を目的にするべきではない」それでいて、ただ楽しそうな物を提供することではないこと。日々のあそびを設定し、提供していく中で、そこに終わってしまったことがあります。子ども達はそういったものには最初興味を示すのですが、結局はつまらなくなってしまいます。まるで発達がそのようなものを必要としていないかのようです。子ども達の発達を理解し、日々の姿から子ども達への理解を深めていくことがどれだけ大切かということがわかります。
    新宿せいが保育園に流れるベテランの先生方のつくる雰囲気、多様性を重要とする空気感はクラス間の壁だけでなく、このブログを見る人や、保育に携わる自分の身近な人にまで、きっと伝わっています。保育園によくありがちなコミュニケーションの壁を取り払うものであると感じています。
    本当に気持ちのいい風が新宿せいが保育園には流れていますね。
    それにしてもトンテキ。本当に美味しそうですね。最後の写真を見ると、どの時間でもいつもお腹が空いてきます。

  3. 生きるための活動が生活。日々、保育をしていますが、子どものしていることには全て意味があるという言葉は、とても重要であると感じました。少し危ないなぁと思う子どもの姿にも意味があり、だめでしょと頭ごなしに怒ってしまうのは違いますね。なぜそのような行動をするのか、やってしまった行為にでなく、その子がしようと思っていた目的であったり、過程を見ることで、違った視点で見えるものであると思います。それは、環境を用意する保育士にも言えることで、ただ見ていただけでは、学びもありませんね。見て、守ったり、子どものサインを見逃さないその必要があるのであると思います。
    クラス間に壁がない。実際に新宿せいが保育園さんに研修にいかせていただき、感じたことです。理想としたい、チームの関係です。では、自分の園でよい雰囲気を作っていくためには、と思ったときに、3年目であることを思いだし、自分もベテランなんだと思いました。よい雰囲気を作るのはベテランなので、自分もその影響力をもった人的環境である意識を高め、園での雰囲気作りをしていこうと思います。

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