正義の見方

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7月15日の生臥竜塾

 

今回の塾は、塾長が1週間ほど各地へ出張に出かけていたということもあり、その場所で起きた出来事や印象に残った話などをしてくれました。各地に行き、様々な人との話の中で、多くの見方を知ることができたと。

その中でも、人によって「正義」という見方も違うのではという話がありました。

 

【正義】

1、人の道にかなっていて正しいこと。

2、正しい意義。また、正しい解釈。

3、人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範。

 

自分の視点で物事を見ると、当然自分が「正義」であるかのように映りますが、相手にとっては、こちら(自分)が「悪」や「敵」に映っている場合もあります。では、正義とは何なのか。自分以外はすべて悪なのか。“アンパンマン”でおなじみのやなせたかし氏は「正義ものでヒーローが悪者をやっつけるという話が多いが、相手側からすれば、相手の正義がある。それが嫌なので、誰にとってもの敵は、“飢え”であろういうことで、その飢えを救うヒーローとしてアンパンマンを登場させた」と語っていたそうです。

 

あくまでも“悪者を作らない”ことが重要であり、それを自然に子どもたちの中でやっているのが『ピーステーブル』であるということ。子どもたちは、自分たちなりの価値観や意見を伝えあい、子ども特有な「曖昧さ」によって見事問題を解決させているのに対し、そこに大人が介入することで「正義」と「悪」を決めたがってしまう。もちろん、相手に手を出すことはいけないが、手を出した方にも「正義」はあるかもしれない。

 

考え方は、ついつい一方的になってしまいがちであるということ。自分にとっての敵を排除するのではなく、多様性から得られる数多くの「正義」に触れ、そこから自分の「正義」を確立していき、その中での共通する正義に重点を置く必要性を感じました。

まさに、「正義の味方」は「正義の見方」を提唱しています。

 

今回の食事メニューは、塾長が名古屋で買ってきてくれた「みそだれ」を使用した『みそカツ』と、なすと玉ねぎのみそ汁です。思っていたよりもさらっとしたソースで、カツによく染みて非常に美味しかったです。ごちそうさまでした!

(報告者 小松崎高司)

味噌カツ・なすと玉ねぎのみそ汁

味噌カツ・なすと玉ねぎのみそ汁

矢場とん「みそだれ」

矢場とん「みそだれ」

「ひつまぶし柿の種」 「手羽先プリッツ」

「ひつまぶし柿の種」
「手羽先プリッツ」

正義の見方」への2件のフィードバック

  1. 最近は、社会的に悪者だと認定された人を容赦なしに叩くという雰囲気を感じます。それぞれの人が社会と繋がるツールを持ったことで自分の意見を表明する場も増えました。そのような場で、誰かを批判することも増えたように思います。もちろん、その人の持っている正義感のようなものがそうさせるのかもしれませんが、果たしてそれも正義なのだろうかと疑ってしまいます。それぞれの考え方があるということを忘れて、自分の価値観だけで判断するということは避けたいなと思います。「正義の見方」、なかなか乙ですね。

  2. 大変勉強になります。人の感じる正しさを定義づけると『私はそう思う。ゆえに正しい』であることを聞いたことがあります。自分の正義と思われるものも、やはり自分の価値観を反映しているものであることを改めて感じます。相手の言い分や、相手を理解して初めて、お互いにとって意味のある解決があるとするならば、やはり、相手の話を聞くことから全ては始まりますね。
    映画『踊る大捜査線』で主人公の青島が正義を語る犯人に、つぶやくシーンがあります。「自分の正義は胸の内にしまっておくくらいがちょうどいいんだ」。正義は時として衝突を生む格好の材料になりがちですが、例え大きな理不尽や不条理な出来ごとに出会ったとしても、その怒りは静かな炎として、胸の中にしまっておきたいものですね。

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