遠藤利彦氏の「アタッチメント」講演からみる大人のあり方

このエントリーをはてなブックマークに追加

11月22日(火)の生臥竜塾

今回の塾は、東京大学院教授の遠藤利彦氏の講演をみんなで観賞しました。

内容は主に「アタッチメント」「情緒的利用可能性」で、新宿せいが子ども園の今年のテーマである「集団的敏感性」にもつながるということで、遠藤氏の講演から学びを深めるための回となりました。

IMG_6809

アタッチメントとは?

「何らかの危機に接した時あるいは危機が予想された時に生じる恐れや不安などのネガティブな感情を、特定の他者に対するくっつきを通して調整しようとする欲求及び行動の傾向」

遠藤氏はこうも言います。

「アタッチメント、くっつくという言葉から、時々それがべったりくっつくこと、お母さんや保育士さんにた依存している状態を思わせるかもしれません。でも、アタッチメントは、この依存性とは全く逆の意味です。アタッチメント、心理的に繋がっているからこそ、独り立ちができるようになる。それはとどういうことかというと、結局、危なくなったら、 あそこに戻ればいい、危なくなったら助けてもらえるから大丈夫、だったら、あちこち出かけて行ってもっと遊ぼう、もっといろいろなことをしてみよう。 心理的なつながりができているからこそ、我々は自律的に独り立ちをしてきちんと一人で行動できるようになった。アタッチメントは依存性とは間逆の、むしろ自律性という、これを促すものと認識されています」

「アタッチメントとは逆説的で、不安の時にちゃんとくっつくことができていた子ほど、ちゃんと一人でできるようになる」と。

塾長も常々、「子どもが負の状態になった時にいつでも駆け込める存在が重要である」と主張しています。また、その存在は決して一人ではない「複数の特定な存在」であると遠藤氏も主張します。

遠藤氏は、就学前教育いつから行えばよいかと疑問を抱きます。ある研究では、貧民街の子どもたちに「ヘッドスタート」という試みを行ない、幼児教育を受けた子と受けなかった子とを比べると、受けた子の方が勉強ができたとのこと。しかし、そのヘッドスタートは失敗します。10年たったら差はなくなってしまったからです。

また、ヘッグマンの幼児教育を受けることによって高校・大学の成績が良かったという研究から「好奇心・集中力」等の勉強以外の力が左右しているのではないかという、「非認知能力」の重要性から、これらの研究は貧しい地域で行われ、子どもの気持ちにちゃんと反応してくれた大人がいたかいないかの差ではないのか、愛着が将来に関連するのではないかという仮説を立てます。

そこから、「アタッチメント(愛着)」の研究を始めたそうです。

これに、「愛着存在がいないと非認知能力はつかない」と塾長は加えます。

そして、遠藤氏は冒頭のようなアタッチメントの考えに行き着きます。

子どもが不安や恐怖を感じていなければ、必要以上に手を出してはならない。

大人はいつも子どもの後ろを心配してついて回るのではなく、どっしりと構え、子どもが求めてきたときに「情緒的に利用可能」な存在でなくてはならない。

これが「情緒的利用可能性」です。

「子どもからの求めに応える、もし弱って帰ってきたら情緒的にエネルギーを補給してあげる、そして、子どもが一人で取り組んでいることに関しては大人がづけづけと入り込んではいかないこと。これは、子どもに無頓着でいるということではなく、心理的にはいつも子どもに寄り添いつつ、離れたところから見守り、ときには、声をかけ、子どもの自律的な活動を支えていくということ。こうしたかかわり方は、子どもが成長すればするほど重要なことになる」

「怖い時に保護をするのがアタッチメント。でも、実は保護するからこそ探索活動ができる。探索というのは、言い換えると遊びであり学び。保育と幼児教育を別々に考えがちだが、実は遊びにとって一番重要なことは、遊びの中でどれだけ自発的に学んでいけるか。それを豊かに保障できるかということが、きちんと保育の中で考えられなければいけないこと」

つまり、遠藤氏が一番言いたかったことは……

「子どもが必要な時にちゃんと情緒的に利用できる大人であろうよ」

ということなのかなと思いました。また、何かをしないということで大切なものを守れることもあるということも感じました。

ここで、アタッチメント関係を築けない母子の例を挙げていました。将来、子どもが「偽りの自己」を構築し、大人の「これいいよ」を言われるがままにするようになってしまう傾向です。問題形式ですので、考えてみてください。

保護者が子どもをお迎えに来た場面です。

1、「わーお母さんきたー!」と子どもが喜び、微笑みながら両者駆け寄って一緒に仲良く帰る

2、母がお迎えに来たが、子どもが嫌悪感。「何かあったのね…」一時的なものかな。仕方ないね。一緒に帰ろう。

3、母がお迎えに来たが、子どもが嫌悪感。「お母さん嫌!」と子どもが言うことに対して親が怒ってひっぱたく。引っ張って帰る。

4、母がお迎えに来たが、子どもが嫌悪感。「お母さん嫌!」と子どもが言う前に「嫌いなはずないわよね」と母。

この中で、将来危険性のパターンとは?

一見、3のように思います。叩くことは良いこととは言えませんが、この場合は、子も親も両者の意見を対等にぶつけています。問題は4であると遠藤氏は言います。子どもの言っていることを真剣に聞いてない。「先回り干渉」になってしまうことが、危険であるというのですね。

また、塾長は「昔は親信仰が強すぎた。今は、親以外の人との関わりも重要」と加えます。

家庭以上に円滑な人間関係の重要性、保育者とのアタッチメント関係が危険性を和らげる役目も担っているとこ。

そして、なるほどなぁと思ったのが、アタッチメントと健康についての内容でした。

乳幼児期での良いアタッチメント関係が築ければ、健康状態も将来長続きする傾向があるとのことでした。

どういうことかというと、恐怖や不安を必要以上に感じていると、それから逃げるための緊急反応として心臓がフル稼働して瞬時に血管に負荷がかかり、アタッチメントが安定している人と比べると将来4倍もの身体症状を訴えているという研究結果もあるとのことでした。

遠藤氏は、こんなことも言っていました。

「発達心理学の領域では、かつては、子どもの発達に大人のどのような特徴が重要かといった時に、敏感であること、敏感性がとても重要だといわれていました。敏感性とは何かというと、子どものその気持ちを的確に読み取って、迅速に応答してあげること。これが敏感性です。実はこの敏感性というものと、子どもの望ましい発達との間には、かなり強い関連性があることが、明らかになっています。しかし、子育てや保育の実践の文脈、例えば、お母さんを目の前にして、あるいは、保育士さんを目の前にして、 とにかく子どもにとって、大人の敏感性がとにかく大切ですなどとはあまり言わなくなってきています。 なぜかというと、敏感性というのを強調すると、子どもが痛い思いをしないように、辛い思いをしなくて もいいようにと先回りして、子どもにそれこそネガティブな感情を経験させないようにする。それが大切だと勘違いされることが多い。そういう中で、この敏感性という言葉ではなくて、最近、情緒的利用可能性という言葉が使われるようになってきた」

敏感性という、子どものその気持ちを的確に読み取って、迅速に応答してあげることを「集団」に置き換えると、大人は黒子として支え、目配りし、全体の雰囲気が楽しいと思えるような環境を作って、子ども同士が「気持ちを的確に読み取って、迅速に応答」し合う関係性を構築できるような環境にしてあげることのようです。

「子ども一人一人というよりは、集団がうまく楽しくまとまるよう気を配り、全体の活動を構造化し、子どものちょっとした過ちや粗相などには子どもがあまり萎縮しないで済むよう、できる限り許容的に振る舞うといった意味での敏感性」であり、何よりも、子ども同士でいることが「楽しい」と感じられる環境を作ることが「集団的敏感性」には重要であると、塾長は言います。

報告者 小松崎高司

 

本日のメニュー 親子丼・ワンタンスープ

本日のメニュー
親子丼・ワンタンスープ

本多氏からのお土産 島らっきょう

本多氏からのお土産
島らっきょう

本多氏からのお土産 黒糖チョコレート

本多氏からのお土産
黒糖チョコレート

田崎氏の22歳の誕生日会! おめでとう!!

田崎氏の22歳の誕生日会!
おめでとう!!

遠藤利彦氏の「アタッチメント」講演からみる大人のあり方」への1件のフィードバック

  1. 愛着(アタッチメント)という言葉を先日、意外な人から聞かれました。それは入園前見学に来られた方です。見学の時に私は「当園は『見守る保育』を実践しています。大人対子どもの関係でなく、子ども同士の関係を大切にし、その姿を大人は見守る存在です」と伝えていますが、その言葉に反応したのでしょうか「赤ちゃんの時は大人との愛着が大切だと思いますが、どうなんですか??」と質問を受けました。まさか保育者でない方に聞かれたので戸惑いました。今思えば、報告に書いてあるような事を答えれば良かったですし、そもそも塾長が常々言われている事です。小松崎先生の報告はとても分かりやすいですね。ぜひ今後の入園前見学の時に引用させていただきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です