話題は運動会について。
「清々しい秋空のもとで、というのは殆ど幻想で、実際に晴れの中でやれる確率はとても低い」
近くの中学校の体育館をお借りして、天候に左右されることなく運動会が行われる利点について塾長は話されていました。また、校庭を借りている場合は、悪天候の為でも順延をすることができずに多くの場合中止になってしまうとのことで、改めて予定日に決行できることの有難さを感じてしまいます。
また、運動会、と言えばパラバルーンや鼓笛隊、組体操など、お遊戯と呼ばれるような取り組みをする園も多く、子どもを主体として考えた時にその取り組みを見直したいと願う現場と、その取り組みを望む保護者との間で摩擦が起こる場合があるということです。
塾長もせいがの森保育園開園当時、保護者からの様々な声があったことを回想して下さいました。一斉保育や保育者主導の教育形態が当たり前と思われていた時代だったからこそ、その反響はとても大きなものがあったのでしょう。
「悪気でやってるわけではないから、そうするとポツンポツン、苦情を言ってきた人の声が少しずつ変わってきて、褒めてくれた人の声が大きくなってくる」
「苦情じゃ死にっこないし、そんなことで命を縮めたらもったいない」
塾長が園長になられてから今日に至るまで数々の試練や苦労があられたこと、それを乗り越えられてきた膨大な積み重ねの上に今日の塾長があることを改めて思います。また、当時園に対して様々な意見をもっていた保護者がある時、外で園のことを絶賛していた、ということを他の保護者から聞いたことがあり、
「苦情なんて当てにならない、とその時は思った」
「直すところ、改善するところはすぐ改善してクヨクヨしない」
そう考えるようになられたそうです。
「そんなに園のことを考えてくれてるなら有難い、一日中園のことを考えてくれてるなんて」
「苦情は親にとってのサンドバッグの時もある」
そんなユニークな言葉を交えながら、話をしていただきました。
邨橋先生もまた、「ベテランの先生方の有難さ」「近くにポジティブな人がいることの大切さ」について話されていました。現状を把握し、この状況があったからこそ見えたこと、この状況を肯定的に捉えられるような前向きな姿勢へと転じていく中で、ポジティブな人の存在や現場の第一線で園を守ってくれている先生方の存在の大きさは計り知れない、ということを話して下さいました。邨橋先生は、実際にその環境、状況に身を置いて初めてわかることの多さを実感していると言い、「耳で学ぶこと」との学びの質が異なる、と話して下さいました。
その立場、境遇へ、開拓者のように進まれている邨橋先生の言葉。とても心に残りました。
ボルダリングを初めた邨橋先生。数年前とは別人のような身体を手に入れました。強靭な肉体を更なる高みへと目指す塾頭と筋肉談義です。保育のことだけでないこういった時間もまたこの仕事のパフォーマンスを上げていくとても大切な要素ですね。
すると、部屋が暗くなり、
先日また一つ歳を重ねさせていただきました。
仲間と過ごす掛け替えのない時間は塾長からいただくプレゼントですね。感謝の気持ちでいっぱいになります。
そんな仲間の一人が先日から塾長の助手として出張に同行しています。先日の富山出張報告を田崎先生からしていただきました。
(報告者 加藤恭平)