6月9日(水)の塾報告です。
今日は塾長の藤森先生が保育雑誌で原稿を執筆されるそうで、その打ち合わせがオンラインであるため、前半は塾生だけで様々な議論を行いましたが、中でも白熱した議論が「チーム保育」です。
見学者から質問の中で
「チーム内で、職員間でやり方が違う場合、どちらに合わせればいいですか?」という質問があります。
おそらく、多くの園でありそうな悩みではないでしょうか?
もちろん見守る保育という理念は共通ですが、その上での方法なので、どちらも間違いではないと思うので、難しい悩みですね。
例えばチーム保育を実践している園は分かると思いますが、
リーダー、サブリーダー、アシスタント・・・とそれぞれ役割があります。
そこで面白いのが、人によって違うという事です。
特にリーダーはその先生のカラーによって全く違うように、
他のポジションもある程度の動き方のベースは決まっていたとしても、
その先生の性格によって動き方が違うと思います。
さらに先生同士の組み合わせ(順番)によっては、チームのレパートリーはさらに増えますね。
だから、ここで重要になってくるのが、よく塾長が言われる「阿吽」でしょう。
ただ阿吽の呼吸に辿り着くには、私は簡単なことではないと思います。
それこそ「チーム内でやり方が違う」場合、いきなり阿吽は無理ですね。
おそらく日々、保育を進めていく中で、それぞれの動きを知り、
若干のズレを修正したり、それを話し合ったり・・・そうしたコミュニケーションが
「阿吽の呼吸」を生み出すのだと思います。
しかし新人にいきなりコミュニケーションをしなさいと言うのは酷ですね。
そんな話を塾生としていたと、打ち合わせを終えた塾長に報告すると
「互いに『言い合える文化』を作る必要があるよね」と言われました。
新宿せいが子ども園が開園した当初はベテラン同士がよく議論していたと言われました。
保育の中のぶつかりは決して悪いことではないということです。
ただ、ここで重要になってくるのが、議論に慣れているのか?と言うことです。
相手に自分の意見を否定された時に、自分の存在まで否定されたと思われないようにすることです。
確かに自分の意見と真反対のことを言われると、瞬間は「え?」と思ってしまうでしょうし、
感情的になってしまう時もあると思います。だからこそ、相手の意見を冷静になって聞くことが大事ですね。
とくに「見守る保育」という理念の上での議論なので、むしろ大切なことだと思います。
そうした議論を側から見ている新人も、
「先輩同士が、議論してるなー、どっちか決めてほしいなー」
と思うのではなく、二人の意見をしっかり聞くことが大切だと、私は思います。
どちらも間違った意見を言っているわけではないので、2つの意見を聞いて、
自分の保育の糧にすることが、必要ではないでしょうか??
確かにドンドン決めてもらった方が、先に進めるし、楽かもしれません。
ただ私は先に進むことと同じくらい、立ち止まることも重要のような気がします。
一度、楽を知ってしまい、それに慣れてしまうと、今度はそこから抜け出すことが難しくなる気がするのです。
このコロナ禍で、様々なことが効率を優先されてきたかもしれません。
それによって良い方向に進んだこともあると思います。
しかし、それによって失ってしまったものをある気がします。
コロナが落ち着き、人の移動も制限が無くなった時に、社会はどうなるのでしょうか?
今のうちに、コロナ禍によって変えてきたものを、
立ち止まって、見直しても良い時期に差し掛かってきているように思います。
(報告者 山下祐)