新人職員

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12月2日の臥竜塾は、先日より塾長の「助手、三代目」となった西村君から、12月28、29日に行われた「関東GT」の報告がありました。

その際に、なんと塾長の講演の一コマを使い西村君から「新人から見たせいがのチームワーク」という発表をしてきたそうです。

その内容は、他の新人にそれぞれが思うせいがのチームワークを見て思ったことをインタビューした内容だったそうです。

・G先生→以前の職場では、分からないことを先輩に聞けず失敗したら怒られていた。その為、「次は頑張ろう」という気持ちにはなれなかった。しかしせいがでは、先輩に聞きやすい環境が整っている。失敗しても「次は頑張ろう」と思える。

・Y先生→以前の職場では入社すると新人研修を行ってから実務に入るが、せいがではやりながら覚える。先輩を見て、マネをしながら覚えていく。分からなくても聞けばすぐに教えてくれる。やりたいと思ったことをすぐにやらせてくれる。

・K先生→子どもの腕が抜けてしまった時に、前の職場では怒られていたと思うが、せいがでは周りにいた先輩たちに「私たちも気を付けなきゃ」と言われたことで、逆に自分がもっと気を付けようと思えた。

夕涼み会の前々日の忙しい時に、やりたいことを提案したら、先輩が「やってみよう」と言ってくれて、何とか間に合った。

子どもが嘔吐してしまった時に、遠くにいても後輩が汚れ物をやらないといけないと思い、走ってやろうとしたが、「そうじゃない」と言われた。「先輩後輩関係なく、近くにいる先生がやるべきで、遠くにいる先生はそこでやるべきことがある」と教わった。

職員の誕生日をみんな覚えていて、お祝いをしてくれる。

・E先生→1人で抱え込むことはなく、相談していろんな意見が聞け、それを相談しやすい環境。

子どもが選べるように色んなタイプの先生がいる。優しいタイプや厳しいタイプの先生など色々いる中で、年長のクラス担任が「今年の3,4,5歳の職員を見て、みんな優しいタイプの先生だから、私が厳しいタイプでいこうと思った」と言っていたことに、ベテランの役割や、柔軟性を感じた。

・西村君→自分がたまにクラスのヘルプに入り保育をしていると、どうしても自分が「かわいいな」と思ってしまう子ばかりに手をかけてしまい「ひいき保育」になってしまう。それをベテランの先輩保育士に相談したところ「1年目はそれでいい。その子以外の子たちを自分たちが見ればいいから」と言ってくれた。普通なら、「もっと色んな子と関わって」と言われそうなところだが、先輩のフォロー力を感じた。

自分の趣味が「コケいじり」なのだが、それを保育園の環境作りの一つとして、コケの展示棚を用意してもらった。趣味を活かしてくれる。

新人さんが共通して言っていたことは「先輩のフォロー力のすごさを感じた」ということでした。

という発表を行ってきたそうです。

自分の1年目を考えるとそんな発表ができるほどの技量や、新人さんたちのような感性を持っていなかったなと感じつつ、西村君をはじめ今年の新人さんと楽しく保育ができることにわくわくします!

 

そして今回のメニューは、西村君の実家から頂いた「鯛茶漬け」「うちわエビの刺身」と「厚揚げの煮物」「大根サラダ」「豆腐のふわふわ焼き」「アオサの味噌汁」でした。

デザートは小松崎tが持ってきてくれた地元のイチゴでした。(報告者 柿崎)

本日の豪華な食事

本日の豪華な食事

茨城県鉾田市のいちご

茨城県鉾田市のいちご

新人職員」への2件のフィードバック

  1. 今日の藤森先生のブログとリンクしますが、まさにチャレンジしたくなるような環境が職員さんたちの雰囲気で作られているのがせいがの素晴らしい所の一つでもあるように思います。「以前の職場でも失敗したら怒られていた」とありました。失敗したくて失敗している訳ではないことがほとんどではないでしょうか。そんな時に傷口をさらにえぐられてしまうような関わり方は本当に辛いですよね。インタビューの内容のようなことを言われたり、してもらったりしたら、自分もその気持ちを誰かに返そうと思うだろうなと私は読んでいて感じました。このみなさんで作り出している雰囲気は本当に素晴らしいです。

  2.  失敗を責めることで何か発展するものがあるのでしょうか。僕は最近常々このことを考えるようになりました。今まで発展してきたからこの嫌な文化が残っているわけで、例えば叱咤激励、相手の反骨精神に訴えてやる気を出させてきたのかもしれません。でもそれは深い愛情のような、相手に育ってほしいという気持ちが前提にあったものだったはずです。今改めて思うのは、深い愛情が前提にあるとするならより優しい言葉をかけるべきだと思います。愛情も何もないなら人の気持ちを不愉快にさせる言葉をわざわざ言うべきではないと思います。相手は一人の立派な人間であり、それを自分がどうこうできる程偉くもなんともないということを、僕は自覚して生きていきたいと思います。

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