『よく、園で「子ども主体」ということは言われますが、では、「保育者は客体」なのかというとそれは違います。人と人との関係では、どちらかが主体でどちらかが客体であってはいけないのです。ですから、逆に「赤ちゃんは何も自分ではできない」からと言って、客体であってもいけないのです。』と、子どもも大人も、どちらも「主体」でなくてはならないと、塾長は説きます。
見守る保育10か条の中には、『保育者は、子どもに奉仕したり、面倒をみたりする人ではなく、一人の人格を持った人として子どもと共に生活すること。(保育者の人権)』があります。保育者も一人の人であり、人として守られなくてはならない存在であると、塾長は説きます。
保育士の仕事内容として、腰をかがめる機会が多いからであると思うのですが、「腰痛」には気をつけなくてはいけません。ドイツでは、オムツ交換台に階段が付いており、子どもが自ら登って保育者の腰への負担を軽減するような対策を取っていたりしました。また、ハイテーブルに座った乳児の間に、保育者はキャスターの付いた椅子に座って、気になることがあるとシャーっと椅子ごと滑らせて子どものそばまでいき、また颯爽とシャーっと戻っていく園もあったという話を聞きました。
そこで、こんな物を購入してみました。
これは本来、農作業やガーデニングの際に使用する椅子です。腰への負担を軽減する目的として作られたと思いますが、これを保育園でも活用できるような気がしました。
1歳児クラスの食事終わりに、食べこぼしや食器を職員が片付けます。その際、必然的に腰をかがめたり、片膝を付きながら残飯を片付けるという状況ができます。そういった時、これを活用して、椅子に座りながら作業し、そして横へシャーっと移動する。腰への負担も減り、効率もあがるのではないでしょうか。そして何よりも、効果的であったことがあります。
それは、乗っていて「楽しい」、掃除が「楽しくなる」ということです。初めてクラスに持っていき、他の職員に試してもらうと「うわぁ〜!」「これ楽しいぃ〜!」とアトラクション気分です。それに乗って移動している時には、爽やかな風が顔を包み、自然と笑みがこぼれてきます。まさに、爽やかに取り除くという『爽除』であります。掃除を楽しみながらしている保育園、というのも面白いですね。
話は少々ずれますが、掃除からも保育ができるという話を聞いたことがあります。今の時期、それを顕著に感じることができると思います。それは、食べこぼしの量です。4月当初と比べると、格段に少なくなりました。また、食べこぼしの量を見て、その子どもの姿勢や食べ方(フォークとスプーンの使い方)、または食への興味なども把握できると思いますし、そこからスプーンやフォークを遊びに取り入れたり等の「保育」が生まれます。たかが掃除であっても、楽しみながらそういった保育ができればいいですね。
(報告者 小松崎高司)
ストレスを発散する方法として最も効果があるのは、「心身ともに疲れを癒すこと」だそうです。それは大人だけに限らず、子どもも同じであると思います。塾長ブログ「臥竜塾」の『癒し空間(ドイツ事後報告)』には、こう書かれていました。
『子どもたちも園の中で、大きな集団、大きな部屋で、いつも大人に見られ、管理され、言われたとおりに動かされ、かなりストレスを感じているでしょう。ですから、癒される時間、空間、物を用意してあげる必要があります。ひとつの方法として、日常の環境を変えることがあります。小さな集団、狭い部屋、大人に見られない、自分から行動できる時間の設定です。そのために「ロフト」が有効であるということを昨日のブログで書きました。そのほかに、ドイツでは様々な工夫がありました。小さな集団で、過ごせるような空間を部屋の隅に作るのです。いわば「癒しのコーナー」というようなものがどの園でも、どの部屋にも作られていました。部屋が広いということもあるのですが、逆に広いからこそこのような空間が必要なのでしょう。』
外部からの刺激を受けて、生体に起こる反応を「ストレス」というとのことで、そのストレスには必要なストレスとそうでないストレスがあるように感じます。社会性を育む上での必要なストレス以外のストレスは、出来る限り避けなくてはならず、環境を通して子ども自らでストレスを溜めない方法を身につけさせることも大切です。
また、それは「メリハリ」ということでもあります。気持ちを発散する空間と内部に収める空間、明るい空間と薄暗い空間、刺激ある音や言葉が多い空間と静かな空間、陰と陽、ケとハレ、など、様々なメリハリをつけることによって暮らしを豊かにさせる効果があるようです。
そこで、1歳児の部屋にも、そのようなメリハリの空間をということで、押し入れ部分を改装し、そのような空間を作りました。
床には柔らかいウレタン素材のマットを敷き詰め、クッションや寝そべることができるマット、薄い布で天井を覆い、やわらかい電飾をつけました。他の職員は、クッションを購入してきてくれたり、家で使わなくなった光の玩具も持ってきてくれました。その日は、土曜日であったので作業をしている様子を見ていた3・4・5歳児の子どもたちが、動のスペースで走り回っていました。完成したので「入って良いよ」と伝えると、その中では座り込んで声は小さくなり、自然と“お家ごっこ”が始まっていました。
1歳児でも、自分で気持ちのコントロールが難しくなってしまった子どもを誘って一緒に入ったり、メリハリをつけたい時に開放して試している段階です。1歳児は、薄暗い空間に入ると逆にテンションがあがってしまうという子どももいて、癒しの音楽を流したり、明るさを調節したりと工夫しています。今後も、子どもたちにあったメリハリ空間の一つとして活用できればと考えています。
(報告者 小松崎高司)
ここ2・3ヶ月くらい、1歳児の中でおんぶ紐ブームが到来しています。おんぶ紐と人形(赤ちゃん人形や動物のぬいぐるみ)を手に持って、職員のもとに近寄ってきては「やって(この紐で人形を背負わせて)!」と言ってきます。職員の一人が、家にあるぬいぐるみを大量に持ってきてくれたことも影響しているのかもしれません。また、クラスの中に、下の子が生まれた家庭が増え、母親が弟や妹を抱っこやおんぶしている姿を目にする機会が増えたことも影響しているのかもしれません。意外にも、女児だけではなく、男児も人形をおんぶしている姿も目にします。そんなところからも、父親の育児参加の様子がうかがえたりもするのでしょうか。(笑)そして、単純に、他児の遊びを真似している子どももいると思います。
塾長は、そのような他者を「模倣」することについてこう書かれています。
『なぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。』
この言葉から、まず“他者に対する興味関心度が急上昇している時期”ということが感じられました。また、「協力」や「助け合い」を自ら求め、他者と同じ体験をする事を喜びと感じていることが伝わってきます。つまり、そのような体験が促される環境や言葉がけが必要となるということだと思います。
そして、塾長は続けてこう言います。
『その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。』
子どもたちは「模倣」することによって、他者を理解しようとしていたのですね。
そのような子どもたちを見ていて、そのような遊びが発展するような環境があればなと思い、考えてみたのがこの写真です。
これまでは、おんぶ紐や手提げ袋など、ままごとゾーンの棚の中にありました。その棚は、基本的には職員が開閉を行い、子どもたちの姿に応じて玩具の量や質を調整しています。その棚の両側に、子どもたちがいつでも自らで取り出せるように環境を設定してみました。例え、ままごとゾーンが開いていなくても、赤ちゃんをおんぶし、手提げ袋にレゴブロックを詰めたりして、今楽しいと感じることを十分に行えるようにと考えました。
そして、年末にサンタクロースからもらった「あづま袋」も出して、その中に何かを詰めて袋を持つ人の模倣を通して他児との関わりが増えることを願いました。
このように、子どもたちの現在の姿を捉えて何かの環境を考えるというのは、うまくいくこともあれば、当然はずれることもあります。しかし、このような環境設定の過程は非常に楽しく、子どもたちがどんな姿を見せてくれるのか、その子どもたちに対して他の職員はどのような関わりをするのか、そのような一部始終を、遠くの方から見てないような態度でチラ見するのが、僕の楽しみでもあります。
(報告者 小松崎高司)
以前、遊びにも片付けにも使用できる「手作り型落とし」について報告させて頂きましたが、今回は、その環境を用意してからの子どもたちの姿について報告したいと思います。子どもたちはというと、こんな感じで大盛況でした。
落とし入れるのに順番待ちができたり、入れ終わった玩具を箱から取り出して、再び入れ直すという姿も見られます。しかし、以前「いい玩具っていうのは…」という題で報告した、家具のフックを付ける用の小さな穴部分から、玩具を入れて遊ぶ姿はなくなりませんでした。その遊びを無くすために「手作り型落とし」を作ったわけではないので別にいいのですが、大人にとって同じように見える遊びでも、子どもにとっては別な遊び、唯一無二なものであるということが理解できました。
また、「手作り型落とし」によって子どもが意欲的に遊べる物が増えただけでなく、職員に余裕ができた印象があります。散らばった玩具を拾い集める作業が減り、子どもと少ない玩具で一緒に片付けをすることが出来ています。子どもたちも、すぐに片付けを終えて食事や昼寝スペースへ移動したりとスムーズです。
次に、その片付けをどう発展させるべきかという疑問が浮かびました。子どもがしている遊びを観察し、その遊びを片付けに応用し、次にやることは…と考えた時、やはり原点に戻りました。原点とは「子ども同士」です。子ども同士で片付け遊びが出来る方法はないものでしょうか。例えば、手で持てるサイズで1人に1つの型はめボックスを数個用意し、その担当になった子どもが他児の場所に行ってその形(種類)の玩具のみをもらって(集めて)くるのです。きっと、そこでは自然に「(この箱に)いーれーて」「はーい」とか、「まだやるの(遊びたい)!」とか「お片づけだよ」などといったやり取りが生まれるかもしれません。1歳児では難しいかも…と思うことでも、子どもはこちら側の想像をはるかに越えてくることがあるので、そのような、遊びを発展させる物を今後も考え形にしていきたいと思っています。
(報告者 小松崎高司)
「ガッシャーン‼」
ある日、ひときわ大きな音がたちました。その音の先を眺めてみると、1歳児が棚から玩具箱を取り出してひっくり返しており、その際に出た音でした。子どもたちは、箱の中の全ての玩具を床一面に散らばせます。そして、これでもかといったように、ブルドーザーのごとく足を引きずりながら、玩具を部屋の隅々まで持っていきます。その時、一瞬「あぁ〜…」と哀愁漂う思いが頭を巡るのですが、すぐに「子どもは無駄な事はしないのだ」と自分に言い聞かせました。すると、それをすることが“楽しい”と感じたり、大胆なことをしたがる時期なのかな、この経験から玩具の音や性質、そして形状を理解するきっかけとなっていくのかな、目当ての玩具を一番速く効率的に探して手に入れるためにはこの方法がいいと考えたのかな…などと様々な思いが浮かんできました。
1歳児には「片付け」よりも、好奇心とか探究心、目の前の興味関心に熱中することが大切であると思っています。そのため、一応「そろそろお片付けしましょう〜」などとは言いますが、片付けは保育者が行おうと思っています。なかには、そんな保育者の姿を見て手伝ってくれる子どももいますが、ただ単に「作業」としての行為にはもったいないと思いますし、多少の億劫さも否めません。そこで、その一連の流れを「遊び」として子どもに提供できたらなぁと思いました。
先日、報告させて頂いた「いい玩具っていうのは…」の中に、0・1歳児が穴の中に玩具を落とし入れている姿がありました。その遊びには、好奇心とか探究心、そして熱中という、すべてがあったと思います。つまり、それを参考にして、その遊びと「片付け」を融合させ、遊んでいる先に、自然と「片付け」が存在しているといった感じにできればと思いました。
「ガッシャーン‼」とひっくり返した箱には、購入した際にフタがついていました。そのフタは、これまで使用していませんでしたが、それを利用して、中の玩具の形状をくり抜き、その形の場所に落し入れるという遊びを作ってみたのです。
型落とし
これで、例え、箱をひっくり返したとしても、型落としという遊びによって元通りになりますし、子どもの欲求も満たせてあげられます。もちろん、すべての玩具箱の物を作るわけではないので、“保育者の姿を見て手伝ってくれる子ども”の保障もできます。1歳児クラスの発達を保障する上で、子どもにとっても大人にとっても、楽しさや面白さを感じられる一つの環境として機能してほしいと願います。
(報告者 小松崎高司)
1歳児クラスの遊びの空間から、排泄場所までは少々距離があります。その距離の意味は、1歳児の発達として「歩くこと」があるからです。その発達を保障し、その発達した能力を定着させるための環境であるというわけです。また、空間を区切っているパーテーションから自ら抜け出して、様々な探索活動ができることを保障する環境も大切です。それは、「探索」というその時期特有の発達があるからです。これらのような、この時期の子どもの発達を踏まえ、環境を構成した意図や、0・1歳児クラスの発達に柔軟に対応する重要性などを、先日、塾長から0・1歳児クラスの職員に話してもらう機会がありました。
この機会は、今年度の定員増という変化を通し、なかなか先の見通しがつかない中、「見守る保育」は実践できているのかという『進化をするための原点回帰』であると思っています。正直な話、この機会を設けるというのは非常に勇気がいることであると思います。塾長、藤森平司氏のもとで働いているということは、「見守る保育」を理解して柔軟に実践できているのが“当たり前”でなくてはいけないからです。しかし、“当たり前”の奥には人知れずの努力と苦労があり、それを乗り越える必要があることを先生方は理解しています。ただ、それらを「楽しみ」へと変換できるのが新宿せいが保育園の特徴だと思うのですが、我々は、自信を持って「見守る保育が出来ています!」と発信ために、『見守る保育を目指している』保育園のひとつであるということを感じました。この機会を設けようと提案した職員、それを勇気を持って受け入れた職員、「再確認できて良かったね」と言った職員、「この機会を設けてくれてありがとうございました」と言った新人職員など、すべての人が「良い保育」を行おう・目指そうとした姿であったと思いました。
このようなことを踏まえ、私自身も、環境については理解していたつもりでしたが、日々の保育を行っていくうちに、少しずつ発達についての意識が薄れ、柔軟性に欠けていた自分に気がつく事が出来たと同時に、発達を促すための環境構成についての考えが高まってきた印象があります。その環境のひとつを紹介したいと思います。
探索と蟻
これは、遊びの空間から排泄場所までの道のりの一部を撮りました。ご覧の通り、蟻が歩いています。最近、1歳児の子どもたちは「蟻」に夢中です。壁や床を歩いている蟻を見つけると、指さしをして足踏みをしたりして喜びをあらわにしています。その蟻を随所に這わせ、探索活動をしているうちに歩いて自然に排泄場所に来てしまうという意図を持った環境構成です。始めの頃は、本当の蟻が歩いていると思った職員がよく驚いていましたが、そのような姿を見るのも楽しいですね(笑)。遊び心と発達を促す環境とのコラボレーションといった感じでしょうか。とどまる事に対して不安を感じる中に身を置く私たちは、遊び心というスパイスを投じながら、一つの目標に向かって多くの仲間と走り続けている途中でもあります。
蟻の目的はチョコレートでした。
(報告者 小松崎高司)
担当している1歳児クラスの中で、子どもの発達を促す物を作る上で、どうしても「玩具」という物に思考が向いてしまいます。確かに、子どもが物に自ら関わることで発達が促されていく部分は大きいと思います。積み上げたり、通したり、崩したりするなどの繰り返しを楽しむ過程から、様々な発達が促されていきます。そのため、今の子どもたちにとって、どんな玩具がいいのかなぁと考えていると、大切なのは玩具だけではないことを感じさせてくれた出来事がありました。
この時期、優先される発達というのは何なのかということを考えた時に、ある先輩保育士との会話の中でそれは見つかりました。ずばり、「子ども同士を結び付ける環境」です。つまり、「対人関係」における発達が、最重要項目であると理解した時、玩具(物的)にしても、保育士(人的)にしても、子ども同士を結び付ける環境でなくてはならないということだと感じます。そう考えた時、家具の配置や雰囲気などの「空間的環境」からも、子ども同士を結び付けられる環境が望ましいということになるのだと思いました。
これらことを考えて保育室を見ていると、家具と家具との間にできた「隙間」に目が止まりました。その隙間は、意図的に作られたものなのか、偶然できたものなのかは分かりませんが、そこではこのような子ども同士の関わりが見ることが出来ました。それは、まさに奇跡的な瞬間であったとも感じています。
隙間
1人の子どもが、この隙間から別の空間を覗いていると、もう1人の方の子どもがそれに気づき、別の空間から顔を近づかせ、お互いを見合っていたのです。その時間はおよそ1分間くらいでしたが、1人が微笑むともう1人も微笑み、足踏みや手も動かしながらコミュニケーションを図っていました。もちろん、相手にとっては顔や胸しか見えませんが、体の揺れとか顔の表情から、相手の気持ちを感じ取っていたのだと思います。
家具と家具の「隙間」が、このような子どもの姿を促してくれました。ドイツの環境にあった石畳の“微妙な段差”のように、子どもがつまずくであろう環境をあえて用意するといった、ある意味小さな環境構成が、大きな発達を生むという考えもあります。この「隙間」も、小さな環境ではありますが、子どもの発達にとって非常に重要な体験となっているということもあるかもしれません。
このような思いや考えもあって、今回は「活動報告」の項目ではなく、「研究発表」という空間的環境における“製作物”や“製品”のような位置づけで投稿させていただきました。保育士という仕事は、このような一瞬の連続を、積み上げていく・作り上げていく作業に喜びを見出すこともできるのだと思いました。
(報告者 小松崎高司)