正しい○○

先日、年長の男の子が私の所に来て言いました。

「先生、こんなの書いてみたんだぁ」

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と言いながら紙を一枚見せてくれました。そこには…

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みぎてわうえ ひだりてわした ただしいほうき

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おさきにどうぞ まえおちゃんとみる たちどまんない しずかにする

と表と裏に書いてありました。

「こういうの、いいね!でも、なんで書いたの??」

「本を見たけど、ほうきの正しい使い方が書いてなかったから自分で書いてみた!」

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と本を私に見せてくれました。

「じゃあ!せっかく書いてくれたらから、みんなが見れる場所に貼っておこうか!ちょっとコピーしてくるから、待ってて~」

と私は職員室に表と裏を一枚ずつコピーしてきました。

「どこに張ったらいいかな?」

「ここがいいかな??」

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と食事スペースの柱に貼りました。

もしかしたら何気ない保育者と子どもとの関わりかもしれません。ただ、現場を持たない私にとっては、とても嬉しい出来事です。 普段、掃除の時に私がほうきの使い方などを何となく言っている事を、ちゃんと理解し、それを自分だけで解決するのでなく、回りに広げてくれた行動に、その年長の男の子に心から感謝しました。

私にとって食事後の掃除は毎年変わらない仕事ですが、年長さんにとっては念願の憧れの仕事なんでしょうね。(報告者 山下祐)

 

広い心と深い愛で全部受け止めてね これからもどうぞよろしくです♪EPISODE FINAL!

桃ちゃん(桃色の服を着た3歳児クラス新入園児の女の子)は紺ちゃん(紺色の服を着た5歳児クラス女の子)の気を引きたい気持ちからか、はたまた単純に紺ちゃんの使っていた玩具(リモーザ)を使いたい気持ちからか、入れ物を持ってその場所から離れていきました。

 

その場所へ紺ちゃんとこのやりとりに興味をもったジープくん(車の柄の服を着た5歳児クラス男の子)が近付いていきます。

その場所へ紺ちゃんとこのやりとりに興味をもったジープくん(車の柄の服を着た5歳児クラス男の子)が近付いていきます。

 

笑いながら「来ないでー。」と桃ちゃん。表情も声も嬉しそうです。

笑いながら「来ないでー。」と桃ちゃん。表情も声も嬉しそうです。

 

「来ないでだって。」「どうする?」と作戦会議(?笑)が始まりました。

「来ないでだって。」「どうする?」と作戦会議(?笑)が始まりました。

 

取られた玩具のことについて怒ったり、きつく言いに行ったり、ということではないのですね。桃ちゃんとの関わりが楽しくて、また、嬉しくて仕方ないといった様子です。

「貸してって言ってみればいいんじゃん?」「そしたら貸してくれるんじゃん?」

との方向で話がまとまり、早速。

「貸ーしーて。」「はい。」

「貸ーしーて。」「はい。」

「言ったら貸してくれるよ!」「大丈夫だよ!」(笑)

皆改めて集まってきました。「貸ーしーて。」「はい。」

脇で見ていた皆も「貸ーしーて。」「はい。」

 

「も一個貸ーしーて。」「はい。」

「もう1個貸ーしーて。」「はい。」

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年1月7日『教える、教わる』の中でこう書かれています。

〝エリクソンは、「子どもの所属している社会や文化圏で、社会的に期待される活動を、自発性を持って、習慣的にどれくらい営めるか」ということを学ぶことが必要だと言っています。そのために「そういうことが十分身につくためには、仲間と道具や知識や体験の世界を共有し合わなければならない。」といいます。また、彼は、仲間と道具や知識や体験の社会を共有し合うということは、「友達から何かを学ぶこと、友達に何かを教えること」だと言うのです。こういう経験をどれぐらい豊かにするかどうかということが、子どもの勤勉さを育む上で重要な要件であるとエリクソンは言っているのです。

 ここでは、最近の子ども環境の問題点が見えてきます。それは、少子化、地域社会での連帯の欠如などの環境から、子どもどうしの世界が失われ始めています。学校においても、授業形態は、多くの時間、教師という大人からの伝達が多くなっています。今日、様々な子どもたちは、大人からしか物を学んでいないところが顕著だと言われています。エリクソンは大人から物を学ぶことに価値がないとは一切言っていません。それは勿論価値のあることですし、大切なことです。しかし、乳幼児から児童期の発達課題を十分に消化していくために不可欠の要件というのは、「友達から物を学ぶことであり、友達に自分の物を分かち与える」ことなのです。こういう経験を十分しなければならなくて、内容よりも量が大切だということも言っています。どれくらい多くのことを友達から学んだか、どれくらい多くのことを友達に与えられたかということが大切であるとエリクソンは言っているのです。〟

取られた玩具について自分のものだというような主張よりもむしろ譲ってあげて、〝この玩具は桃ちゃんの玩具〟という見えないルールを敷いてあげることで、桃ちゃんも安心して関われることができたのでしょう。玩具という道具を媒体にして、〝貸し借り〟という遊びを思いつき、その遊びの中で子ども達は時間を、その世界を共有しているように思えました。

そして何より、このやりとりの最初から最後まで、大人が一切入っていないということに、改めて驚きと感動を覚えます。子ども達は子ども達の純粋な〝どんな子なんだろう?知りたいな〟というような関わってみたい欲求、友達に自分の玩具を譲ってあげ、分かち与えることで何か得られるものがあるのではないかという好奇心、そのような感覚からこのやりとりを生み出しているのでしょう。

左下ご覧ください。このやりとりが始まる前にはこれだけだったプレートが、

左下ご覧ください。このやりとりが始まる前にはこれだけだったプレートが、

 

「オレンジも貸して。」「緑も貸して。」「あ、青も貸して。」

「オレンジも貸して。」「緑も貸して。」「あ、青も貸して。」

借りに借りて(笑)

完成しました。

完成しました。

紺ちゃんもジープくんも大満足の様子です。

ここでこのやりとりは一旦終了。さて、桃ちゃんの様子を見に行くと、

こぼしてしまったのですね。

こぼしてしまったのですね。

いつもはこういうものをめったに拾いに来ない女の子(3歳児クラス)が来てくれていました。

「はい、どーぞ。」

「はい、どーぞ。」

 

「拾ってあげるからね。」

「拾ってあげるからね。」

桃ちゃんも一緒に拾い始めます。

二人だけで全部片付けて、

二人だけで全部片付けて、

 

おままごとのような、お料理をつくるような遊びに発展させていました。

おままごとのような、お料理をつくるような遊びに発展させていました。

 一つの玩具、遊びを通して関わり合い、たくさんのドラマが生まれています。今日もまたそんなドラマを探しながら、保育を楽しみたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

広い心と深い愛で全部受け止めてね これからもどうぞよろしくです♪EPISODE 1

新年度が始まり1ヶ月が経ちましたね。GWはいかがお過ごしだったでしょうか。

新入園児の子達も少しずつ新しい環境に慣れ、また、そうかと思えばまだ不慣れなところも多分にあり、という、とても日進月歩な一日を過ごしていることと思います。

そんな新入園児(3歳児クラスへの新入園児の女の子がこの度の報告のヒロインです)の姿と、それに関わろうとする異年齢児クラス(3・4・5歳児クラス)の子ども達の姿に感動したことがありましたので、報告します。

 

写真は新入園児の桃ちゃん(桃色の服を着ているから桃ちゃん)です。

写真は新入園児の桃ちゃん(桃色の服を着ているから桃ちゃん)です。

 

パズルをしていますね。このパズル、にこにこ組(2歳児クラス)のパズルです。

中々遊びに入っていくことができず、何か楽しめることはないかと持ってきたところ、少しばかり楽しむことができました。

 

続いて持ってきたのはこのパズル。

続いて持ってきたのはこのパズル。

 

左側桃ちゃんが遊んでいるのは、カラフルな色の型はめ。右側男の子が遊んでいるのは、〝リモーザ〟と呼ばれるものです。カラフルなボタン状のパーツを、柔らかいプラスチックのプレートの上に、押さえるようにはめて模様を作るモザイク遊びのできる玩具です。はめ込む時のプチプチとはまっていく感じがとても心地良いようで、男の子はすいすい組(5歳児クラス)ですが、改めて楽しさに気付いてしまった様子。

真ん中にいる女の子(すいすい組(5歳児クラス)の子です。紺の服を着ているので〝紺ちゃん〟)に見守られながら、集中して楽しむ二人です。

真ん中にいる紺ちゃん(すいすい組5歳児クラスの女の子です。紺の服を着ているので〝紺ちゃん〟)に見守られながら、集中して楽しんでいます。

 

その間にも何度かテーブルの下にパーツが落ちてしまうのですが、それを紺ちゃんが拾ってあげたりと、遊びをサポートしてあげていました。

別のパズルに興味が湧いて、開けようとする時もこぼれないように、また、開けやすいようにすっと手を差し伸べてくれます。

別のパズルに興味が湧いて、開けようとする時もこぼれないように、また、開けやすいようにすっと手を差し伸べてくれます。

 

優しいですね。そして、

何度目だったでしょうか。紺ちゃんの拾ってあげるという優しい行為に反応して、桃ちゃんも。

何度目だったでしょうか。紺ちゃんの拾ってあげるという優しい行為に反応して、桃ちゃんも。

 

一緒になって拾います。

一緒になって拾っていました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月5日『感情の伝染』の中でこう書かれています。

〝マイクを使って話をしようとするときに、マイクやスピーカーの音が“ワ〜ン”と耳障りな音が響くことがあります。それは「共鳴」という現象が起きているためです。(中略)学校では、振動数の等しい二つの音叉の一方を鳴らせば、他方も激しく鳴りはじめるということを実験しました。このことから、他人の考えや行動などに心から同感することを「共鳴」ということがあります。

辞書には、「共鳴」の同義語として「共感」ということが書かれてあります。しかし、私は少し違う気がします。共感とは、他者の感情を共有することで、いわゆるミラーニューロンの働きである、相手が痛みを感じる時に自分も痛く感じるとか、相手が苦しがっているのを見ると、自分まで苦しくなるなど、相手の感情も自らに鏡のように写し取って、同じように感じてしまうことを言います。

一方、「共鳴」とは、他人の思想、信条に触れることで、自分の心が揺れ動くことをいうような気がします。「共感」が「共に感じる」という心の中だけの動きに対して、「共鳴」は、「共に鳴る」というように、響きあうというように行動が伴います。〟

紺ちゃんの優しさ、親切心に〝共鳴〟し始めた桃ちゃんです。

紺ちゃんの遊び、遊び方に興味津々の様子。

紺ちゃんの遊び、遊び方に興味津々の様子。

 

ですが、桃ちゃんはこの後、この紺ちゃんの遊びを真似するのではなく、別の展開へと導いていきます。

続編にて報告します。

(報告者 加藤恭平)

物語を理解する

先日の報告で「入園、進級を祝う会」の事について書きました。

あの行事のあとに少し嬉しかったことがあったので報告させてもらいます。

「ぞうくんのあめふりさんぽ」という本を塾長が読み聞かせをし、その横で塾生が役になりきって演じました。

 

その日の午後にお部屋にいくと女の子が木のベンチに座って本を読んでいました。

何を読んでいるのかな?と見てみると、

午前中に行った「ぞうくんのあめふりさんぽ」でした。

dokusyo

どういう経緯かどうか分かりませんが、おそらく午前中に見て、実際に自分で読んでみたくなったのでしょうね・・・なんだか嬉しくなって報告させてもらいました。

ただ塾長は発表会で子ども達の劇をさせる場合は、十分に物語を子ども達が理解していないと台詞も動きも覚えにくいから、題材にする絵本を自然と読み聞かせを多くするなどをしたほうがいいです。と言われます。

あと、去年の3、4、5歳の担任の先生はクラスごとに発表する絵本を子ども達が自然と読みやすいように置いたり、ペープサートなんかも用意して、子ども達が自分たちで自由に演じれるような環境を用意していました。

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それでも、なかなか物語を理解しにくいようでしたら、思い切って先生が演じるのもありかもしれませんね(笑)(報告者 山下祐)

2016年度塾セミナースタート! その2

 

その1では、ワークショップ形式で行う理由を書いてきました。その2では、4月のテーマ『お茶と落雁』についての実際のワークショップについて報告させていただきます。前回報告した内容のスライドに引き続き、お茶について、話をさせていただきました。

まずは、お茶の歴史から(笑)お茶は平安時代に遣唐使によってもたらされました。当時、伝来した中国茶は、今の烏龍茶に似ていたことから、このお茶の色が現代人の言う茶色になりました。しかし、当時はこのお茶文化がなかなか定着しませんでした。それが、鎌倉時代に入り、栄西が中国から持ち帰ったお茶を長崎県の平戸に植えます。そこから、お茶を飲む習慣が普及していったと言われています。ちなみに長崎県平戸市は私の故郷です。(笑)

ただ、お茶をやってますと言うと、先生の趣味でやっているように思われてしまうかもしれません。それを、指針に当てはめていくことで、保育と言えます。お茶を通して経験してほしいことは、めりはりやおもてなしの心などです。では、具体的に指針に当てはめていきましょう。

まず、指針の第3章「保育の内容」を読むと、1に保育のねらい及び内容が書かれています。ここには、「養護」と「教育」に関わるねらいと内容が記されています。この「養護」から見ていきます。「養護」は、「生命の保持」と「情緒の安定」の2つの柱から成り立っており、情緒の安定の中に、お茶が当てはまるものがありました。情緒の安定のねらいの中に、

「一人一人の子どもの心身の疲れが癒されるようにする。」

という項目があります。これは、近年注目されている「ティーセラピー」にも関わっているなと感じました。ティーセラピーでは、お茶とセラピーが融合したもので、お点前の稽古から、お茶を通して心を落ち着かせるということに目的が変わってきています。心身の疲れが癒されるようにする手段の1つとして、お茶が有効的だと言えると思います。

次は、「養護」と「教育」の「教育」を見ていきます。「教育」は、健康・人間関係・環境・言葉・表現の5つの領域から成り立っています。「環境」領域の内容の中に、

「①安心できる人的及び物的環境の下で、聞く、見る、触れる、嗅ぐ、味わうなどの感覚の働きを豊かにする。」

と書かれています。茶室という安心できる空間で、畳に触れ合ったり、お茶を味わったりと感覚の働きを豊かにすると考えられます。また、

「⑤季節により自然や人間の生活に変化のあることに気付く。」

「⑧身近な物を大切にする。」

というのは、茶道具を通して、経験することができます。主に、茶碗や棗(抹茶の入った容器)は、その季節の柄の入った物を使用します。また、お菓子もその季節の旬のものを食べますし、茶室の中には、旬のお花を生けます。このようなところで、季節の変化に気付くことができますし、その茶道具はもちろん大切にしないといけませんね。

5領域の中の「言葉」領域のねらいには、

「①自分の気持ちを言葉で表現する楽しさを味わう」

と書かれています。そして、内容の中には

「③保育士等や友達の言葉や話に興味や関心を持ち、親しみを持って聞いたり、話したりする。」

「④したこと、見たこと、聞いたこと、味わったこと、感じたこと、考えたことを自分なりに言葉で表現する。」

「⑤したいこと、してほしいことを言葉で表現したり、分からないことを尋ねたりする。」

と書かれています。これらは、お茶をやると子ども達は自然と自分の言葉で表現しますし、分からないことは尋ねたりするので、これらの経験はしていると思います。

最後に「表現」領域のねらいには、

「①いろいろな物の美しさなどに対する豊かな感性を持つ。」

「②感じたことや考えたことを自分なりに表現して楽しむ。」

とあります。茶道具の美しさもそうですが、新宿せいが保育園の茶室からは日本庭園が見ることができます。その中には、日本の美を感じることができますね。

また、内容の中には

「①水、砂、土、紙、粘土、などの様々な素材に触れて楽しむ。」

「③生活の中で様々な音、色、形、手触り、動き、味、香りなどに気づいたり、感じたりして楽しむ」

「⑤様々な出来事の中で、感動したことを伝え合う楽しさを味わう。」

とあります。まさに、落雁の食感や味を楽しむ場ですし、茶室の静かさを感じたりと、五感で感じるような体験ができる場だと思います。

このように、保育指針にお茶を当てはめてみると、いろんなところに当てはまるものがありました。そして、このお茶をセミナー参加者の皆さんに実際に体験してもらいました。詳しいお点前のことはあまり言わず、飲み方だけ少し写真を使って説明をし、2グループに分かれてお互いにお茶を点て合い、作った落雁を食べて、お茶を飲みました。茶室の狭い空間にたくさんの大人が座っているので、会話が弾むのか、参加者の会話が去年のセミナーより多い気がしました。また、落雁作りでも、作りながら会話が生まれるので、距離が縮まるのも早いようです。次回のセミナーの際にも、報告がしやすい雰囲気ではないかなと思っています。参加者からの報告があれば、また私から報告していこうと考えています。

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西村 宗玲

大人と子どもの「間隔」

みなさんは保育園で机と椅子を並べる時に何に注意しますか?

色々、考え方はあると思いますが、私は一人一人が狭くないように配慮して並べます。

 

給食のあとに子ども達と掃除をして机と椅子を並べるときに

「椅子と椅子の間が狭いと座りにくくなるから、気をつけてね」

と何度か言っています。

子ども達はもちろん注意をして並べます。

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写真は明らかに狭いですね。

皆さんだったらどうしますか??

もちろん間隔を広げますよね??

じゃあ、どれだけ広げればいいですか??

私はしばらく見ていると二人の男の子が来て、一人の男の子が片方の座りました。

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そしてやはり狭かったので一度立ち上がり、間隔を広げて・・・

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今度は二人で座りました。

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今度は大丈夫!無事に座る事ができましたね。

一件落着!!

これには驚きました。今まで約10年間見てきて、初めての光景です。

実際に座って、狭くないかを自分たちで確かめる・・・。

今まで私は大人の感覚で勝手に決めていましたが、よく考えたら子ども達が使う椅子ですね。

大人には狭くても、子どもにしてみたら、ちょうどいい間隔というのがあるのです。

まだまだ子ども達から学ぶことは多くあります。(報告者 山下祐)

フワフワ浮いてる あの雲に乗れるくらい 頭やわらかくなります♪ EPISODE FINAL!

「さぁ、ここからちょっとペースを上げようか。」

藤森先生が仰いました。山下先生家のご子息がベビーカーの上で寝てしまうだろうことを予想して、少しゆっくり目に歩いていたとのことでした。

そういう藤森先生の優しさにとても感動します。

隅田川の脇を歩いて行きます。

隅田川の脇を歩いて行きます。

 

 屋形船です。

屋形船です。

以前、ブラヘイジで屋形船に乗ったこともあるんですよ♪

そして到着!

そして到着!

江東区芭蕉記念館に着きました。

館内は撮影禁止な為、HPをご覧ください。(太文字の江東区芭蕉記念館をクリックしてみて下さいね。)

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月9日『芭蕉に学ぶ』の中でこう書かれています。

〝松尾芭蕉の人生に「禅」と「荘子」が大きく影響しますが、この二つから彼はどのようなことを学んだのでしょうか。その両方とも非常に難しく、研究者でさえ、それを読み解くことは容易ではなかったはずです。それを芭蕉は、読み解くだけでなく、自分の排風に取り入れているのです。ここに、私は研究者と現場の人との違いを感じます。

 芭蕉は、禅の典籍に通暁し、中国古典に造詣が深かったかというとそうではなかったようです。田中氏(白百合女子大名誉教授である田中善信氏)によると、貧しい家庭に育ち、十分な教育を受けなかった芭蕉には「碧巌録」や「無門関」などの禅の教本を読み解くほどの力はなかったと言います。中国思想書についても「荘子」以外の引用はまず見当たらないそうです。にもかかわらず芭蕉は『俳聖』と称されるほどになります。それを田中氏は、芭蕉は天地自然の変化や何気ない人々の会話から宇宙の真理を読み取る、常人を遥かに超えたきわめて鋭い感性の持ち主だったと考えています。と同時にすべてを捨てきって俳諧一筋に人生をかける姿勢がそのまま禅の実践だったからだと考えています。

 私も、保育は、俳句と同様に人に対する深い造詣と、人生に対する真摯な探究、そして広い視野が必要だと思っています。それは、単に書物からだけ学ぶことではなく、身の回りすべてから学ぶ感性と、好奇心と興味から学習するものだと思っています。それは、それまでの芭蕉のように野心があり、才気におぼれていては、決して不易は見つからないのです。自己を深め、自らの変革を遂げるEQ力がなければならないのです。〟

館内には旅の際に着ていた服などが展示されていましたが、今の時代では考えられないような、簡素で、質素なものです。その姿で旅を続け、一つの道を極めていった人間であることを知ると、とても圧倒されるような思いになります。

大変勉強になりました。

大変勉強になりました。

 さて、目指すは次なる目的地、富岡八幡宮へ。

横断歩道があるとついやりたくなってしまいます。

(笑)

(笑)

 

西村先生ありがとう!

西村先生ありがとう!

 

富岡八幡宮に到着です。

富岡八幡宮に到着です。

 

記念に一枚!

記念に一枚!

富岡八幡宮のHPに、〝翁(伊能忠敬)は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。〟とあり、納得。勉強になります。

歴代の相撲取りの手形の像もありました。

歴代のお相撲さんの手形の像もありました。

 

この手は…

この手は…

 

そう藤森先生です。

そう藤森先生です。

 お相撲さんの手と藤森先生の手の大きさ、あんまり変わりませんね(笑)

お参りをして、おみくじを引いて帰りました。

お参りをして、おみくじを引いて帰りました。

そして、しばし休憩ということで駅近くのカフェへ。偶然見つけたにも関わらず、席は貸切状態で、しかもとてもおしゃれで綺麗なカフェでした。藤森先生と歩くとこういう奇跡がしょっちゅう起きます。

加藤はここで失礼させていただきました。

この後は月島でもんじゃを食べられたそうです♪

この後は月島でもんじゃを食べられたそうです♪

 

あれ?柿崎先生!(笑)

あれ?柿崎先生!(笑)

ここからの参加の柿崎先生。好物の酎ハイを片手に最高の笑顔ですね。

こんな感じでこの日のブラヘイジはお開きとなったのでした。

楽しさの中に学びがあります。

そして、ただ歩く中にも得る様々なインスピレーションとの出会い。

そして、何より運動になるんです。

身も心も喜ぶブラヘイジ。

多くの方々と一緒に行ける日を楽しみにしています。

(報告者 加藤恭平)

「雑」四

非常に迫力のある展示がありました。

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これは、江戸〜明治時代にかけて盛んになった、ホウキやカゴ等の生活必需品として雑貨を売り歩く「松野屋行商」を、現代の日用品で再現した作品です。

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現代では、あまり「行商」という言葉に馴染みがありません。私が知っている行商を思い浮かべると、「竿竹」や「焼き芋」くらいでしょうか。昔には、このような雑貨も行商していたのですね。生産者が自ら営業をかけるスタイルから、消費者自身が買いに行くというスタイルへ変貌を遂げたことから、モノへの関心・見方といった歴史の異なりも感じることができます。

これは余談ですが、私も「松野屋」でモノを購入していたことを思い出しました。それは、谷中を歩いている時、ふと目に入った店頭の雰囲気に誘われたのがきっかけでした。雑貨の雑然として、且つ不規則な規則性のもと佇んでいる姿が、森や川などに感じる自然な情景と重なった、そんな雰囲気に手招きされました。

そこでは、ショルダーバックを購入したのですが、タグには、ブランドロゴとともに「Made in Japan」の文字がありました。その文字には、日本が大切にしてきたモノや考えの集合体、そして、使う相手の身になった“おもてなし”の要素も含まれているようにさえ感じます。

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暮らしの道具「松野屋」のホームページには、『大量生産品ではなく、美術工芸品でもない、素朴な日用品・荒物雑貨を扱う松野屋。自ら産地へと足を運び、職人と交わり見つけてきた道具たちは、自然の素材を使った使い勝手のよいものばかりです。さらに、「便利」というだけではなく、使うほどに手になじみ、時の流れとともに色を変え、美しく変化していく、長く使うことのできるものばかりを集めています。』

ただ、日本で作られているということだけでなく、日本人の「歴史」や「生き方」が、「Made in Japan」の中にはあるのだなと感じました。

『僕らにとって雑貨とは、わさわさとモノが並んでいる姿を見つけた時の高揚感、その視覚的リズム感やボリューム感です。そして、その中から何かひとつを手にとると、それは具体的な目的を持ったデザイン、道具に変わるのです。』このように書かれてあったのは、CINQ,SAML.WALTZ/店主の保里正人・享子氏の作品『雑貨感』です。この「雑貨感」という要素に誘われて、入店をしていたのですね。

そして、日常というものを考えさせられる展示がありました。それは、青田真也氏の『「  」』という作品です。

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説明書きにはこう書かれていました。

『身近な既製品や大量製品の表面や角をヤスリで削り落とし、見慣れた表層を奪いさることで、「モノ」の本質や価値を問い直す作品。例えば、私たちが日常の中であるモノを「プラスティックボトルである」と認識する、その情報の源とはいったい何なのか。シンプルな作業を積み重ねることで、「モノ」としての愛らしさとともに、モノへの新たな価値や可能性を見出します。』

日常のモノに一手間(シンプルな作業)を加えることで、そのモノの価値が変わってくるということを伝えているように感じます。そんなことを感じていると、保育の日常において、その行程に似たものが行われていたのを思い出しました。それは、製作ゾーンで子どもたちが描いた何気ない絵を、同じクラスのベテラン保育士が、額のように背面に画用紙を貼ってその絵の価値や可能性を最大限に高めるという行程をとっていたのです。さっそく私も真似をしてみました。すると、絵というものは描いておしまいといった印象がありましたが、その自分で描いた作品で15分くらい手に持って空中を飛ばしながら自分の世界に入り込み、遊んでいました。

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また、別の子どもは、その一手間を加えた作品を壁に飾ることで、母親がお迎えに来た際に「ねえねえ、見て!」と促し、「上手だね〜。こんな絵かけるんだね。」などと親子の会話を非常に楽しんでいました。

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子どもが描いた絵を「その子の絵である」と認識するか、それとも、見慣れた表層を奪い去さり、モノの本質や価値を問い直すことで、「その子の発達過程を示す作品である」という見方が生まれました。

そして、雑貨と雑貨を組み合わせて別の雑貨を作り出すこともしていたのだといった作品もありました。これは、引き継がれてきた知恵とかモノを最大限に活用する術であるように思いましたし、「もったいない」の象徴でもあるように感じます。

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雑貨は手だけでなく、心にも馴染んでいくものといった印象を抱きました。それは、愛着にも似た安心感でもあるのかなとも感じます。

(報告者 小松崎高司)

フワフワ浮いてる あの雲に乗れるくらい 頭やわらかくなります♪ EPISODE 2

深川江戸資料館に到着しました。

〝江戸時代へタイムスリップ〟

〝江戸時代へタイムスリップ〟

 

期待が高まりますね。

 

この方も、

この方も、

 

この方も、

この方も、

 

ここ深川市に縁のある方ということで、とても感心してしまいました。

この方々も、あさりを食べたのでしょうか。何だか感慨深い気持ちになります。

さて中へ。

当時の八百屋さんが再現されていました。

当時の八百屋さんが再現されていました。

すごいクオリティです。

店先に座る塾頭(この表情、笑)

店先に座る塾頭(この表情、笑)

 

隣のお米屋さんでは、こんな体験コーナーも。

隣のお米屋さんでは、こんな体験コーナーも。

励まされていますね(笑)

そのお店の名前や、例えば誰のお家なのかといったことがわかるように、このように障子に直接書くのですね。

そのお店の名前や、例えば誰のお家なのかといったことがわかるように、このように障子に直接書くのですね。

 

中に設置されてあるものも、本物そのもののようです。興味津々ですね。

中に設置されてあるものも、本物そのもののようです。興味津々ですね。

 

 よ!大将(?笑)!

よ!大将(?笑)!

 

と思ったらお客さん!

と思ったらお客さん!

どっちも似合いますね(笑)

とてもリアルなサンプルです。

とてもリアルなサンプルです。

 

夕涼み会などで使えそうな雰囲気です。

夕涼み会などで参考にできそうな雰囲気です。

 

このように売られていたのですね。

このように売られていたのですね。

 

こちらはお蕎麦屋さんです。

こちらはお蕎麦屋さんです。

 

中はこんな風になっています。

中はこんな風になっています。

 

 あ(笑)

あ(笑)

なのでさっきの写真は、よく見ると肩が触れていません(笑)

時折、館内全体が暗くなり、雨の音がしたり、雷が鳴ったりと、雰囲気がガラリと変わる工夫がなされています。

また、資料展示室や、映像による解説のブースもあり、十分に来た人を満足させる工夫が施されていました。

春の江戸はこのような雰囲気だったのでしょうね。

春の江戸はこのような雰囲気だったのでしょうね。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年11月9日『屋台』の中でこう書かれています。

〝現在も外食をすることが多いですが、江戸時代の屋台での食事は、一種の外食でした。しかし、私の子どもの頃の屋台といえば、銭湯の出入り口のわきで商売をしていたおでんの屋台でした。銭湯帰りに鍋を持っていっておでんを買って、家で食べました。おでんは、今ではコンビニで売っていますが、当時は、なぜか屋台でしか売っていませんでした。同じように、江戸時代は、てんぷらは屋台でしか売っていませんでした。それは、幕府は、てんぷらを家で揚げることを固く禁じていたからです。それは、江戸の町はたびたび大火に見舞われたため、火災の発生を恐れたからです。ですから、自宅でてんぷらの商いをする場合でも、てんぷらを揚げるのは屋外でなければならなかったのです。

屋台でしか売っていないてんぷらは、庶民のものでした。町民や丁稚などが食べていたようで、武士が食べる時には、手ぬぐいなどで顔を隠して食べる姿が描かれています。屋台での食事は、日本料理の一端を担っていたことは確かです。しかし、当時の屋台といっても、商品を並べる台の上に簡単な屋根を付けたもので、現在のように車は付いていたわけではなく、移動はしませんでした。移動するときは、たたんだのです。どうも、お祭りの時に並ぶ夜店のような雰囲気でしょうか。それか、博多の中州ラーメン屋台のような感じかもしれません。

以前にも紹介した「守貞漫稿」にはこう書かれてあります。「屋台は据えたままで不要のときには他へ移動する。鮓とてんぷらを売る屋台が多い。その他の屋台もあるが、みな食べ物の屋台だけである。酒肴を売る屋台、菓子や餡餅を売る屋台などもあるが、鮓とてんぷらを売る屋台は夜間人の往来の多いところでは、1町に3~4か所ある。」

ここに書かれてあるように、屋台で売られていたのは、すしと天ぷらが中心でしたが、他には、煮しめ、ウナギのかば焼き、麦飯、おでん、餡かけ、焼き団子、焼き芋、ぼた餅、はじけ豆、ゆで卵、大福、水菓子、麦湯、そば、するめなどがあったようです。この中に、ずいぶんと今でも屋台で売られているものがありますね。また、地域おこしの中に屋台村というのがありますが、屋台というと、庶民のたまり場というイメージが今でもあるのでしょぅ。〟

このようなブログを読んで自然、予習をさせていただいているからでしょうか、何となくスッと頭の中に入ってくるような、初めましてではなく、「なるほどなぁ」と頷きながら見て歩けるのは、やはり藤森先生のお陰です。

深川江戸博物館。大変見応えがありました。

さぁ次の目的地へ。すると、山下先生ご夫妻のご子息がベビーカーの上でスヤスヤと眠ってしまいました。なんとも可愛いですね。ここで先生方は家路へ。

最後に、江戸区芭蕉記念館を訪れました。次回の報告で最後になりそうです。

(報告者 加藤恭平)

 

2016年度塾セミナースタート! その1

4月12日は、去年から始まった臥竜塾年間講座の1回目の講座が行われました。いろんなところで書かれていますが、今年はワークショップ形式で講座を行います。4月は、私と山下先生で、お茶と落雁作りの講座となりました。

まず、初回ということもあり、なぜワークショップ形式で行うのかということを、私が話をさせてもらいました。

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それには、最初に幼児教育のカリキュラムを知っておく必要があります。幼児教育のカリキュラムは、主に保育所保育指針・幼稚園教育要領ですね。また、小学校以降のカリキュラムと比較をすると分かりやすいので、小学校学習指導要領も例に出し、比較することにしました。

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小学校以降は、「教科カリキュラム」と言われ、教科ごとにカリキュラムが設定されています。また、幼児教育は「経験カリキュラム」と言われ、経験を通したカリキュラムで、保育園・幼稚園では、様々な経験のできる環境を用意する必要があります。このカリキュラムの違いは、それぞれの原理原則を見れば、一目瞭然です。まず、小学校の原理原則である学習指導要領では、文末が「〜ができるようにする」となっています。今回は、小学1〜4学年の算数を見ていきました。3、4学年の目標を見ると、すべての文末が「〜できるようにする」となっているのが分かります。その学年でこれらのことができるようにしなければならないのですね。

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それに比べて、幼児教育の原理原則である、保育所保育指針を見ていきましょう。指針の第3章保育の内容の中にある5領域を見ると、「健康」領域のねらいには、「明るく伸び伸びと行動し、充実感を味わう。」とか、「環境」領域のねらいには、「〜興味関心を持つ」や「〜感覚を豊かにする」という文末になっています。また、「言葉」領域や「表現」領域には、「〜楽しさを味わう。」など「〜喜びを味わう」「〜楽しむ」という文末が多いですね。つまり、小学校のようにその学年で、できるようになってる必要はなくて、幼児教育では味わったり、関心を持ったり、楽しむことができる環境を用意する必要があるということですね。

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しかし、ここで注目しておきたいことがもう1つあります。それは、小学校学習指導要領の第1学年と第2学年の内容です。早速見ていきましょう。

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1学年も2学年もさっきと同じように文末は、「〜できるようにする」が多いです。しかし、すべての項目の最初に「具体物を用いた活動などを通して」という文言があります。これは、2学年まで、つまり8歳までは、教科カリキュラムだけではなく、経験カリキュラムも含まれているのです。また、別の文末も見ると分かりやすいのですが、「感覚を豊かにする」という文末があります。まさに、経験カリキュラムと文末が一緒ですね。なぜ、8歳(第2学年)までは、経験カリキュラムも含まれているのか。藤森先生がよく講演でおっしゃるのは、脳の臨界期が8歳くらいまでだからだそうです。だから、ドイツでは、ステイと言って、小学校に入学するのを1、2年遅らすのでしょうね。正直、脳の臨界期についてまだちゃんと理解できていないので、ここでは詳しく書けません。(笑)

では、幼児教育のカリキュラムが分かったところで、保育園ではどんなことをやっていくべきなのか考えていかなければなりません。保育園でやることは、子どもたちが様々な経験ができるように、環境を用意していくことですね。ここでいう環境は、モノだけではなく、ヒトのことも言います。ヒトの環境というのは、モデルとなることだと思います。道具だけあっても、それを上手に使えるヒトが必要な時もあります。逆に、子どもが不思議がっているときに、知っていても一緒に不思議がることも必要なときがあるかもしれません。ヒトという環境から、子どもたちは様々な経験ができます。

そして、その経験が、小学校以降の学びの基礎となっていくのです。保育園で、小学校のような教育を行うと、小学校以降に授業で習っても、「これ知ってる」「あーあれね。」というように、学びがそこで終わることがあります。しかし、保育園で様々な経験をして、どうなっているのか不思議がったり、発見を楽しむ子は、小学校以降に授業を受けて、不思議がったり、関心を持つことで、次の学ぶ意欲が生まれます。これが学びの基礎となっているのです。

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長くなりましたが、これから今年のセミナーがワークショップ形式となった理由の本題に入っていきます。経験が大事だと言いましたが、まずは保育者である私たちが様々な経験をしている必要もあると思います。セミナーでは新宿せいが保育園で実践しているものを紹介する予定です。また、この実践が指針のこの部分に当てはまるというのも含めて紹介するつもりです。様々な経験ができるように環境を用意することが大事と言っても、指針に当てはまらなければ、趣味で終わってしまいます。しかし、逆に言えば、趣味でも指針に当てはまれば保育と言えるのです。

この実践を必ずしも保育の正解ではありません。新宿せいが保育園で実践しているというだけですので、保育の方法の1つとして捉えていただきたいと思っています。しかし、そうは言っても材料などを持ち帰っていただくので、1度は実践していただいて、次回のセミナーの際に実践したときの子どもの様子などを報告していただけたらとも思っています。

また、新宿せいが保育園では、保育のヒントを探す方法として、ブラヘイジというものがあります。藤森先生と東京の下町をぶらりとしながら、保育のヒントを探すものです。これを6月のセミナーで行い、ヒントの探し方も体験していただく予定です。

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続く

西村 宗玲