遊びと学び

2019/6/26 「何これ面白い」

ピーステーブルの方から聞こえてくる声を辿っていくと、こんな遊びをしていました。

「さっきはこれピッタリだったんだよ」

2012年7月18日『遊びと学び』の中でこう書かれています。

幼児教育の祖ともいえるドイツのフレーベルは、遊ぶということで直観的に幼児教育を行うという考えをもっていました。それは、遊びの中に学びがあり、幼児にとって、それは脳への刺激をもたらすものと考えていたからです。そもそも幼児教育にとって学ぶということと遊ぶということははっきりと分けられるものではなく、複合的に行われるものです。それは、幼児にとって楽しいことが遊びであっても、自発的に遊んでいるものであれば、そこには学習効果が多く含まれているのです。たとえば、折り紙を折ることで、直観的に図形認識をしていく脳の経路を作っていることが行われているのです。このように、幼児期の遊びとは、ほとんど学びと同義ではないかと思っています。

学ぶことを苦に感じているとすれば、それは遊びが足りないということなのかもわかりません。

(報告 加藤)

教育の意味

2019/6/17 「何だか凄くないですか?」

チームの先生が見せてくれました。

なるほど

しかもこれを書いているのはらんらん組(4歳児クラス)の子

夢中になって書いている様子はまさにゾーンに入っているようでした。

2017年5月13日『教育の意味』の中でこう書かれています。

「教育があるからこそ、私たちは過去という名の巨人の肩にのれるのだ。知識、特に科学的な知識は過去からの積み上げにほかならないとダンバーは言うのです。このような見解に対して、私たちはよく誤解をすることがあります。知の世界を掘り下げ、探求するための知識と技能を仕込むことが重要ですが、それをより効果的なものにするために、また、その機能をより発揮することができるようになるために、段階が必要になります。突然、何かを教えるとか、覚えさせるとか、できるようにさせるということではなく、まず、知の世界を掘り下げ、探求しようとする態度を養わなければなりません。そのためには、知の世界の不思議さ、楽しさ、それを探求しようとする好奇心などが必要になってくるのです。その部分を受け持つのが幼児教育であると思います。

年齢的な刷り込みから評価をしてしまっていることを反省しつつ、彼の好奇心を育てたものについて、とても興味が湧きます。

(報告 加藤)

少年自治

2019/6/17 クライミングゾーンを開けます

少しの混沌を見守っていると、

すいすい組(5歳児クラス)の子が自然に

順番に遊ぶ段取りをつけてくれます

2009年7月11日『少年自治』の中でこう書かれています。

ある日、子どもたちはこんなことを言い出しました。「先生、どれを○にするかはもう自分たちだけで決めるから先生はいなくていいよ。」ということで、今は、子どもたちだけでどのゾーンを開設するかを話し合って決めています。ある朝、その横を通ったときにこんなやり取りが見られました。3歳児の子が「ねえ、ここを○にしてよ」「だめ、みんなここはきちんと片づけないから」と5歳児の子ども。「ちゃんと、片付けるよ」「じゃあ、もし片付けられなかったら、明日は×にするよ」
 こんなやり取りは、異年齢集団だから行われるのかもしれません。もし、同年齢児集団で同じようなことが起きるとしたら、力関係で命令してしまうことになってしまうでしょう。異年齢集団では、年長児が指示をしてもそこには思いやりが感じられます。

すると、すいすい組の子がいなくなっても順番で遊べるのですね

そういう毎日を子どもたちが自然と積み重ねられていることを思い、改めてこの保育の凄みを感じます。

(報告 加藤)

 

自分たちにできること・・・

新型コロナの影響で各園、対応に追われている日々かと思います。

新宿せいが子ども園も原則休園という通達が来ており、各家庭に家庭保育をお願いして、

ほとんどの保護者の方が登園を自粛していただいている状況です。

 

在宅で仕事をしながら子ども達を見るのは本当に大変なことかと思います。

私も妻と交代しながら職場に行っていますが、やはり大変です・・・。

先日一日中、雨で外にも出れず・・・次男は長男との喧嘩で何回も泣かされていました。

 

新宿せいがとしても、保護者の皆さまに登園自粛をお願いするならば、

こちら側も家庭で保育ができるように何か手助けはできないか・・・

と園長先生が提案されたのを現場の先生たちが、こんな物を用意しました。

折り紙の折り方の説明書、塗り絵、人気のレシピを封筒に入れて各家庭に送らせていただきました!

 

私の息子たちもそうですが、どうしても家の中だと、すぐにテレビやyoutubeを見てしまいます。

全くダメとは言えませんが、やはりずっと見るというのは変ですし、

藤森先生が言われるように、使い方の問題だと思いますが、なかなか上手くいかないのが現状です・・・。

「ずっと見るのはダメ」と言う前に「これで遊んでみない?」「一緒にやってみない??」

と代わりの物を提案してあげることが大切です。

 

まだまだ今の状況がしばらく続き、家庭保育も続きますので、

先生たちは次の一手を考えていました。

「一週間遊べるものは何かな・・・」「〇〇ならいいんじゃない?そしたら園に来ても繋がって遊べるし!」

など悩みながら、楽しそうに考えていました!!

藤森先生が

「こういう時だからこそ、自分たちでできることを考えて、どんどんやっていこう!」

と職員のみんなに話してくれましたが、本当にそうですね!

ネガティブになっても仕方ないので、できる範囲で楽しんでいければと思います!(報告者 山下祐)

貴重な体験

随分、遅れた報告になってしました・・・。

2019年8月末に私たち塾生にとって、とても貴重な体験をさせていただきました。

その体験というのは、「出張塾セミナー」です。

 

臥竜塾セミナーはご存知の方も多いかと思いますが、その塾セミナーの依頼が舞い込んできたのです。

 

鹿児島のGT園の園長先生から

「毎日、藤森先生から直に学ばれている塾生の方から話しを聞きたいのですが・・・」

という連絡がありました。

具体的にいうと、藤森先生の保育理論を実際の現場ではどのように実践しているのか?

というのを塾生から聞いてみたいということです。

ですので、去年の塾セミナーで「10の姿」を塾生が発表したので、

それを鹿児島でも行い、そして最後は質疑応答・・・という研修内容になりました。

日頃、新宿せいがで実践していることもそうですが、

何よりも現場の先生方を同じ目線で一緒に研修を行えたことが何よりも財産でした!

改めて鹿児島の先生方にお世話になり、ありがとうございました!

我々、塾生も本当に学びの多い出張塾セミナーになりました。

鹿児島と東京と離れていますが、目指す保育は一緒です!

今後もよろしくお願いします! (報告者 山下祐)

キャラクター・スキル、シンガポール報告10

2016年7月12日『キャラクター・スキル』の中でこう書かれています。

私の園では、年長児となると、さまざまな活動においての自己評価を多く取り入れています。子どもの活動を他者からの評価ではなく、自分自ら振り返る力を付けています。たとえば、お手伝い保育のあとの評価項目の中には、単に小さい子の着脱の手伝いができたとか、食事の介助ができたというだけでなく、「小さい子の気持ちに気づけたか?」というような、対人知性を育てるような項目があります。同じように、ぞうきんがけでは、「隣の部屋で寝ている二歳児に対して配慮できたか?」というような項目があります。それらは、行為そのものの評価ではなく、自分の心の中を見つめる評価ですので、自己評価にしているのです。同じようなものに、本を読んだあとの自己評価もあります。本を読み終わったら、その本の題名と同時に、その本が面白かったのか、普通だったか、つまらなかったという評価をします。これも、「対人知性」育むものですが、同時に自分の心を見つめる力、「心内知性」を育もうという試みです。

2019/5/28 お手伝い保育が始まりました

ちっち組(0歳児クラス)ぐんぐん組(1歳児クラス)の部屋

にこにこ組(2歳児クラス)

朝の会に参加させていただき、自己紹介をさせてもらっています。

用務を担当

多岐に渡る用務の活動をお手伝いします。

ちっち組(0歳児クラス)の様子

遠巻きから撮っているので、何ともなぁといった写真になってしまいます。

そこで先生方に撮影をお願いすると、

「一生懸命やっていましたよ」

「やっぱり思わず口が開いてしまうのですね」

2018年3月8日『シンガポール報告10』の中でこう書かれています。

子どもの様子は、世界共通であることを実感しました。何よりも説得力は、現場での子どもの姿なのです。しかし、私は、このような動画を見てもらう意図がもう一つあります。それは、そこに映っている子どもの姿ではなく、それを撮影している保育者の姿です。最近の動画は、以前のように思いビデオを回して撮る必要はありません。各々が持っているスマートフォンできれいに撮れます。では、どんな場面を、いつ、撮るのでしょう。それは、映っている子どもの姿、行動、それらを予測してスマホを子どもに向けるのです。どの動画も、撮り始めた子どもは日常のさもない姿です。見ていると、そのうちに子どものさまざまな姿が映っていくのです。それは、子どものことをよく理解し、子どもの行動を予測しないと撮ることができないのです。もしかしたら、それが「見守る保育」の基本かもしれません。

どちらの写真にも撮られた先生の意図、そのスキルの高さ、現場力のようなものを改めて感じる思いがします。

(報告 加藤)

維持する

2019/4/29

伊勢へ家族旅行へ

すると、西村先生も伊勢に来ているというのです。

あまりの偶然に驚きましたが、時間を合わせて会うことができました。

2013年4月25日『維持する』の中でこう書かれています。

共鳴は、仕事や仲間に対する信頼を基礎にして、目には見えなくとも、絆は強力なものになっていくのです。これを実現するためには、職場でリアルタイムの人間関係を育てる必要があります。このリアルタイムの人間関係は、仕事中だけでなく、オフタイムの時にも共に語り合い、笑い、話を共有し、夢を育てていくことが大切であるとゴールマンは言います。

語り合った友は、今の世をどう思うのでしょう

また会える日まで、与えられた役割を果たしていきたいと思います。

(報告 加藤)

文化的行動の伝承

2019/4/17

わいわい組(3歳児クラス)に入園した新入園児が保護者と離れ、泣いていると、すいすい組(5歳児クラス)子が駆け寄ってきてくれました。

とても感動的だったのは、自然と寄り添ってくれたすいすい組の子たち二人は、同じようにわいわい組の時に自園に入園し、そして今泣いているその子と同じように、保護者との別れに泣き、そしてその頃のすいすい組の子たちにその涙を拭いてもらっていた子たちだったからでした。

2019年1月5日『文化的行動の伝承』の中でこう書かれています。

以前、ハリスは遺伝以外に文化的行動が古い世代から新しい世代へと受け継がれる方法が四つあると述べていました。そのうち三つはすでに却下されています。文化は親から子へと伝えられるものるではなく、移民を親にもつ子どもたちは仲間たちの文化を受け入れます。このことから、親の育児態度と子どもが親を模倣するというはじめの選択肢二つは排除されました。三つ目の選択肢は子どもたちが同一社会に属する大人全員を模倣するというものでしたが、これだと子どもの文化が親の文化と異なる場合には成り立ちません。そこで、ハリスは、「文化は子どもたちの仲間集団を通じて伝えられる」という結論に達しています。

これは、最初に私の見解を述べたものと同じ結論です。私はかねがね文化は子ども集団の中で伝えられていくものが大きいと考えているのです。これはハリスが提案する集団社会化説の中心的な考え方の一つでもあります。

こうしてまたこの子も、涙を拭う側へと成長していくのでしょう。

(報告 加藤)

世界の仕組みを知る

2019/4/10

スイッチ、だそうです。

これは2日かけて製作

ロボット、とのこと

思い返すと、空き箱やこういったものを使ってものを作ることが好きな子たちでした。

男女問わずよく遊んでいたものです

2020/2/7 数人で一緒に作っていた船

2019年7月22日『世界の仕組みを知る』の中でこう書かれています。

子どもたちが自発的に、“ものすごく熱中して”遊んでいるときは、因果関係を調べたり、実験を行ったりしていると考えられると言うのです。実験は世界の仕組みを知るための最良の方法だとゴプニックは言います。

子どもたちのこうした特性を知って、科学ゾーンに取り組むべきでしょう。単に、早期教育だとか、また、何かを教えるような科学では意味のないことを知ります。ただ、子どもたちのこうした試行錯誤は、一人で黙々と集中して取り組むときと、皆でわいわいと言いながら取り組むときとでは、身につくものが少し違う気が私はしています。それは、個人差があるのでどちらがいいかということは言えませんが、今までの研究や、取り組みに、子ども同士が知恵を出し合うことの意味が少ないようです。しかし、“助っ人理論”ではありませんが、社会に出てそれは大切なことだと思うのです。特に、私たちの先祖であるホモ・サピエンスは集団の中で、知恵を出し合って道具を進化させていったのです。

友達の真似をして作った、と見せてくれました

紙とテープを組み合わせて、立たせています

彼らが日々学んでいた程に自身は自発的に学んでいただろうか、写真たちに問われているような気持ちになります。

(報告 加藤)

散歩の前から

ちっち組(0歳児クラス)での散歩の前のできことです。

この時期、散歩の前には上着を着て、靴下をはくという準備があります。

自分では上着を着れなかったり、靴下をはけなかったりするので、大人がやることがほとんどなのですが、

ふと見るとある子が、必死に自分で靴下をはこうとしている姿がありました。

まだまだうまくはくことはできないのですが、教えられている訳でもないのに自らやろうとする姿がそこにはありました。

いろいろな理由はあるのかもしれませんが、きっと同じ環境で過ごしているぐんぐん組(1歳児クラス)の年上の子どもたちを見ていたから

なのかもしれません。そして、さらにいいなと思うのは、その後ろにいる子が靴下をはこうとしている子の様子をじっと見ています。

この子もきっと、頑張って靴下をはこうとしているこの姿を見て、刺激を受けているのではないでしょうか。

 

見守る保育の三省の一つに

「子どもに真心をもって接しただろうか〜子どもと接するときは、保育者の人格が子どもたちに伝わっていきます。
偽りのない心で、子どもを主体として接することが見守るということです〜」

とあります。

子どもには保育者の人格が伝わっていきます。

先ほどの、写真の子どもたちのように、

私たち保育者の姿も子どもたちはよく見ています。だからこそ気をつけなけばいけないこともたくさんあります。

保育の技術だけではく、人として思いやりを持っているか、相手の気持ちを考えることができているか。

そんなことを大切にして子どもと、大人と関わっていかなければいけないなと改めて思いました。

 

 

報告者 森口達也