支配的指導

2019/7/19

塗ることの諦められた塗り絵、少し使っただけで捨てられていた紙、それらを使って何か作れないか、と子どもたちに提案してみると、

「目はそっちにしよう」「それはこっちの色の方がよくない?」

話し合いながら、一つの完成形へと向かっていく姿を見せてくれました。

2020年1月13日『支配的指導』の中でこう書かれています。

人間関係の中で学び、協力し、助け合うことが日本人の特性であるとも言われています。欧米では、教師からの指導が中心になっているのです。この事実を私は知った時に、今までの保育カリキュラムは、欧米で考えられたものが中心で、特にアメリカでのカリキュラムは、保育者が子どもにどのようにアプローチするかということが中心課題になっていることが頷けました。しかし、この研究が小学校以降を対象にしていますが、実は、保育においても子どもたちの発達は、大人から教わるのではなく、人間関係から、子ども同士のかかわりから学ぶべきであろう私は考えています。しかも、それは、その方が効果的であるのは、もともと人類は人間関係の中で、協力し、助け合い、教え合うことで進化を遂げてきたからです。

『恐竜』

子どもたちだけで作り上げる作品に、いつも不思議な魅力を感じてしまいます。

(報告 加藤)

共食と乳幼児期の発達

2019/6/26 共食Day

塾長がテーブルへ来て下さったこの日。

席を子どもたちが自由に決め、「いただきます。」

すると、ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が食べすすみません。

見かねたすいすい組(5歳児クラス)の子が身を乗り出して

すると食べます。

ぐるっと回って隣で

「もう隣に座ってあげたら?」との友だちのアドバイスを受け、

椅子も移動

最後まで食べさせてあげていました。

2010年11月23日『共食と乳幼児期の発達』の中でこう書かれています。

人の食事は、人の発達にずいぶんと影響を与えます。他者に食べさせるという人間の特徴である行為から、役割交代をし始め、次第に自己を知り、他者を知るようになると、次第に自己主張をするようになります。食について、北海道大の川田准教授が示した事例は、誰でも思い当たるでしょう。
「1歳を過ぎたころの子どもにスパゲッティと野菜を食べさせようと、「これは?」とトマトを差し出すと、子どもは顔をしかめてのけぞります。そこで、今度は、「じゃ、これは?」と青菜を差し出してみますが、より一層顔をしかめてみせ、不快そうに手を振って「あ゙?」と非難の声を上げてソッポを向いてしまいます。そこで、「どうしたのー?」とやや非難気味で、再度「赤いのは?」とトマトを差し出しますが、またもや顔をしかめ手で顔を隠してしまいます。そこで「じゃ、自分で食べる?」とプレートを差し出すと、子どもの表情が一変し、トマトに手を出し始めました。今度は、スパゲッティを食べる段になり、同じように子どもが自分でプパゲッティを食べようとしますが、うまくすくえないのを見かねて、箸でつまんで子どもの口元にもっていくと、子どもは拒否をします。その後、大人の差し出しを受け容れたかに見えた時でも、これ見よがしに吐き出し、自分で食べようとします。「なんでー、おんなじのよ?」といっても、更に、子どもは差し出しを拒否した後、今度は自分の方から大人に差し出して、役割逆転が起ってしまう」という事例です。
ここで、大人は「おんなじのよ?」と思っていますが、子どもにとっては同じではないのです。どこが違うかというと、おそらく、大人の意図、あるいは大人の意図の下で進められるという“手続き”に対する拒否感情が生じているのではないだろうかと分析しています。社会心理学には、心理的リアクタンスという概念だそうで、「態度や行動の自由が脅かされた時に喚起される、自由の回復をめざす動機づけ状態」(「心理学辞典」有斐閣)というそうです。このリアクタンスは、もともと説得理論のひとつとして、セールスなどでの押しつけがましい説得が逆効果をもたらすことの根拠とされてきたのですが、リアクタンスが生じるためには、自分自身の行動や態度の自由を認知している必要があり、自由を認知しているにもかかわらず強制されると禁止された行動が遂行されるのです。

年上の子に年下の子のお世話をさせようと意図的に席を設定すると、意外とこちらの思惑通りにいかないこともあったりして、なるほど“手続き”に対する拒否感情が生まれてしまっていたのかも、と考えさせられました。

川田さんは、こうまとめています。「現代の日本社会では、共食の中で子どもが自然に食行動や食文化、対人関係や自他理解を発達させる環境に乏しいといえる。共感的な反応、役割の交替、自由の認識と自己主張性という、乳児期の発達における重要なアスペクトが、食事場面には凝縮されています。そして、いずれも生後9 ヶ月から12 ヶ月頃に質的な転換があるかもしれないと思われ、その転換は、“やりとり困難期”とも言われるように、子どもの行動が複雑になって、意図が分からないと養育者を困惑させるものでもあるだろう。今後、食事場面をより充実させることができれば、乳児の社会的発達を保障する土台を作ることができるのだとも言える。食と社会的発達の関連を探る研究が期待されていると言えよう。」

互いに育み合えるこういった行事が大切であることを改めて感じます。

(報告 加藤)

遊びと学び

2019/6/26 「何これ面白い」

ピーステーブルの方から聞こえてくる声を辿っていくと、こんな遊びをしていました。

「さっきはこれピッタリだったんだよ」

2012年7月18日『遊びと学び』の中でこう書かれています。

幼児教育の祖ともいえるドイツのフレーベルは、遊ぶということで直観的に幼児教育を行うという考えをもっていました。それは、遊びの中に学びがあり、幼児にとって、それは脳への刺激をもたらすものと考えていたからです。そもそも幼児教育にとって学ぶということと遊ぶということははっきりと分けられるものではなく、複合的に行われるものです。それは、幼児にとって楽しいことが遊びであっても、自発的に遊んでいるものであれば、そこには学習効果が多く含まれているのです。たとえば、折り紙を折ることで、直観的に図形認識をしていく脳の経路を作っていることが行われているのです。このように、幼児期の遊びとは、ほとんど学びと同義ではないかと思っています。

学ぶことを苦に感じているとすれば、それは遊びが足りないということなのかもわかりません。

(報告 加藤)

教育の意味

2019/6/17 「何だか凄くないですか?」

チームの先生が見せてくれました。

なるほど

しかもこれを書いているのはらんらん組(4歳児クラス)の子

夢中になって書いている様子はまさにゾーンに入っているようでした。

2017年5月13日『教育の意味』の中でこう書かれています。

「教育があるからこそ、私たちは過去という名の巨人の肩にのれるのだ。知識、特に科学的な知識は過去からの積み上げにほかならないとダンバーは言うのです。このような見解に対して、私たちはよく誤解をすることがあります。知の世界を掘り下げ、探求するための知識と技能を仕込むことが重要ですが、それをより効果的なものにするために、また、その機能をより発揮することができるようになるために、段階が必要になります。突然、何かを教えるとか、覚えさせるとか、できるようにさせるということではなく、まず、知の世界を掘り下げ、探求しようとする態度を養わなければなりません。そのためには、知の世界の不思議さ、楽しさ、それを探求しようとする好奇心などが必要になってくるのです。その部分を受け持つのが幼児教育であると思います。

年齢的な刷り込みから評価をしてしまっていることを反省しつつ、彼の好奇心を育てたものについて、とても興味が湧きます。

(報告 加藤)

少年自治

2019/6/17 クライミングゾーンを開けます

少しの混沌を見守っていると、

すいすい組(5歳児クラス)の子が自然に

順番に遊ぶ段取りをつけてくれます

2009年7月11日『少年自治』の中でこう書かれています。

ある日、子どもたちはこんなことを言い出しました。「先生、どれを○にするかはもう自分たちだけで決めるから先生はいなくていいよ。」ということで、今は、子どもたちだけでどのゾーンを開設するかを話し合って決めています。ある朝、その横を通ったときにこんなやり取りが見られました。3歳児の子が「ねえ、ここを○にしてよ」「だめ、みんなここはきちんと片づけないから」と5歳児の子ども。「ちゃんと、片付けるよ」「じゃあ、もし片付けられなかったら、明日は×にするよ」
 こんなやり取りは、異年齢集団だから行われるのかもしれません。もし、同年齢児集団で同じようなことが起きるとしたら、力関係で命令してしまうことになってしまうでしょう。異年齢集団では、年長児が指示をしてもそこには思いやりが感じられます。

すると、すいすい組の子がいなくなっても順番で遊べるのですね

そういう毎日を子どもたちが自然と積み重ねられていることを思い、改めてこの保育の凄みを感じます。

(報告 加藤)

 

自分たちにできること・・・

新型コロナの影響で各園、対応に追われている日々かと思います。

新宿せいが子ども園も原則休園という通達が来ており、各家庭に家庭保育をお願いして、

ほとんどの保護者の方が登園を自粛していただいている状況です。

 

在宅で仕事をしながら子ども達を見るのは本当に大変なことかと思います。

私も妻と交代しながら職場に行っていますが、やはり大変です・・・。

先日一日中、雨で外にも出れず・・・次男は長男との喧嘩で何回も泣かされていました。

 

新宿せいがとしても、保護者の皆さまに登園自粛をお願いするならば、

こちら側も家庭で保育ができるように何か手助けはできないか・・・

と園長先生が提案されたのを現場の先生たちが、こんな物を用意しました。

折り紙の折り方の説明書、塗り絵、人気のレシピを封筒に入れて各家庭に送らせていただきました!

 

私の息子たちもそうですが、どうしても家の中だと、すぐにテレビやyoutubeを見てしまいます。

全くダメとは言えませんが、やはりずっと見るというのは変ですし、

藤森先生が言われるように、使い方の問題だと思いますが、なかなか上手くいかないのが現状です・・・。

「ずっと見るのはダメ」と言う前に「これで遊んでみない?」「一緒にやってみない??」

と代わりの物を提案してあげることが大切です。

 

まだまだ今の状況がしばらく続き、家庭保育も続きますので、

先生たちは次の一手を考えていました。

「一週間遊べるものは何かな・・・」「〇〇ならいいんじゃない?そしたら園に来ても繋がって遊べるし!」

など悩みながら、楽しそうに考えていました!!

藤森先生が

「こういう時だからこそ、自分たちでできることを考えて、どんどんやっていこう!」

と職員のみんなに話してくれましたが、本当にそうですね!

ネガティブになっても仕方ないので、できる範囲で楽しんでいければと思います!(報告者 山下祐)

貴重な体験

随分、遅れた報告になってしました・・・。

2019年8月末に私たち塾生にとって、とても貴重な体験をさせていただきました。

その体験というのは、「出張塾セミナー」です。

 

臥竜塾セミナーはご存知の方も多いかと思いますが、その塾セミナーの依頼が舞い込んできたのです。

 

鹿児島のGT園の園長先生から

「毎日、藤森先生から直に学ばれている塾生の方から話しを聞きたいのですが・・・」

という連絡がありました。

具体的にいうと、藤森先生の保育理論を実際の現場ではどのように実践しているのか?

というのを塾生から聞いてみたいということです。

ですので、去年の塾セミナーで「10の姿」を塾生が発表したので、

それを鹿児島でも行い、そして最後は質疑応答・・・という研修内容になりました。

日頃、新宿せいがで実践していることもそうですが、

何よりも現場の先生方を同じ目線で一緒に研修を行えたことが何よりも財産でした!

改めて鹿児島の先生方にお世話になり、ありがとうございました!

我々、塾生も本当に学びの多い出張塾セミナーになりました。

鹿児島と東京と離れていますが、目指す保育は一緒です!

今後もよろしくお願いします! (報告者 山下祐)

キャラクター・スキル、シンガポール報告10

2016年7月12日『キャラクター・スキル』の中でこう書かれています。

私の園では、年長児となると、さまざまな活動においての自己評価を多く取り入れています。子どもの活動を他者からの評価ではなく、自分自ら振り返る力を付けています。たとえば、お手伝い保育のあとの評価項目の中には、単に小さい子の着脱の手伝いができたとか、食事の介助ができたというだけでなく、「小さい子の気持ちに気づけたか?」というような、対人知性を育てるような項目があります。同じように、ぞうきんがけでは、「隣の部屋で寝ている二歳児に対して配慮できたか?」というような項目があります。それらは、行為そのものの評価ではなく、自分の心の中を見つめる評価ですので、自己評価にしているのです。同じようなものに、本を読んだあとの自己評価もあります。本を読み終わったら、その本の題名と同時に、その本が面白かったのか、普通だったか、つまらなかったという評価をします。これも、「対人知性」育むものですが、同時に自分の心を見つめる力、「心内知性」を育もうという試みです。

2019/5/28 お手伝い保育が始まりました

ちっち組(0歳児クラス)ぐんぐん組(1歳児クラス)の部屋

にこにこ組(2歳児クラス)

朝の会に参加させていただき、自己紹介をさせてもらっています。

用務を担当

多岐に渡る用務の活動をお手伝いします。

ちっち組(0歳児クラス)の様子

遠巻きから撮っているので、何ともなぁといった写真になってしまいます。

そこで先生方に撮影をお願いすると、

「一生懸命やっていましたよ」

「やっぱり思わず口が開いてしまうのですね」

2018年3月8日『シンガポール報告10』の中でこう書かれています。

子どもの様子は、世界共通であることを実感しました。何よりも説得力は、現場での子どもの姿なのです。しかし、私は、このような動画を見てもらう意図がもう一つあります。それは、そこに映っている子どもの姿ではなく、それを撮影している保育者の姿です。最近の動画は、以前のように思いビデオを回して撮る必要はありません。各々が持っているスマートフォンできれいに撮れます。では、どんな場面を、いつ、撮るのでしょう。それは、映っている子どもの姿、行動、それらを予測してスマホを子どもに向けるのです。どの動画も、撮り始めた子どもは日常のさもない姿です。見ていると、そのうちに子どものさまざまな姿が映っていくのです。それは、子どものことをよく理解し、子どもの行動を予測しないと撮ることができないのです。もしかしたら、それが「見守る保育」の基本かもしれません。

どちらの写真にも撮られた先生の意図、そのスキルの高さ、現場力のようなものを改めて感じる思いがします。

(報告 加藤)

維持する

2019/4/29

伊勢へ家族旅行へ

すると、西村先生も伊勢に来ているというのです。

あまりの偶然に驚きましたが、時間を合わせて会うことができました。

2013年4月25日『維持する』の中でこう書かれています。

共鳴は、仕事や仲間に対する信頼を基礎にして、目には見えなくとも、絆は強力なものになっていくのです。これを実現するためには、職場でリアルタイムの人間関係を育てる必要があります。このリアルタイムの人間関係は、仕事中だけでなく、オフタイムの時にも共に語り合い、笑い、話を共有し、夢を育てていくことが大切であるとゴールマンは言います。

語り合った友は、今の世をどう思うのでしょう

また会える日まで、与えられた役割を果たしていきたいと思います。

(報告 加藤)

文化的行動の伝承

2019/4/17

わいわい組(3歳児クラス)に入園した新入園児が保護者と離れ、泣いていると、すいすい組(5歳児クラス)子が駆け寄ってきてくれました。

とても感動的だったのは、自然と寄り添ってくれたすいすい組の子たち二人は、同じようにわいわい組の時に自園に入園し、そして今泣いているその子と同じように、保護者との別れに泣き、そしてその頃のすいすい組の子たちにその涙を拭いてもらっていた子たちだったからでした。

2019年1月5日『文化的行動の伝承』の中でこう書かれています。

以前、ハリスは遺伝以外に文化的行動が古い世代から新しい世代へと受け継がれる方法が四つあると述べていました。そのうち三つはすでに却下されています。文化は親から子へと伝えられるものるではなく、移民を親にもつ子どもたちは仲間たちの文化を受け入れます。このことから、親の育児態度と子どもが親を模倣するというはじめの選択肢二つは排除されました。三つ目の選択肢は子どもたちが同一社会に属する大人全員を模倣するというものでしたが、これだと子どもの文化が親の文化と異なる場合には成り立ちません。そこで、ハリスは、「文化は子どもたちの仲間集団を通じて伝えられる」という結論に達しています。

これは、最初に私の見解を述べたものと同じ結論です。私はかねがね文化は子ども集団の中で伝えられていくものが大きいと考えているのです。これはハリスが提案する集団社会化説の中心的な考え方の一つでもあります。

こうしてまたこの子も、涙を拭う側へと成長していくのでしょう。

(報告 加藤)