塗ることの諦められた塗り絵、少し使っただけで捨てられていた紙、それらを使って何か作れないか、と子どもたちに提案してみると、
話し合いながら、一つの完成形へと向かっていく姿を見せてくれました。
2020年1月13日『支配的指導』の中でこう書かれています。
子どもたちだけで作り上げる作品に、いつも不思議な魅力を感じてしまいます。
(報告 加藤)
塗ることの諦められた塗り絵、少し使っただけで捨てられていた紙、それらを使って何か作れないか、と子どもたちに提案してみると、
話し合いながら、一つの完成形へと向かっていく姿を見せてくれました。
2020年1月13日『支配的指導』の中でこう書かれています。
子どもたちだけで作り上げる作品に、いつも不思議な魅力を感じてしまいます。
(報告 加藤)
塾長がテーブルへ来て下さったこの日。
席を子どもたちが自由に決め、「いただきます。」
すると、ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が食べすすみません。
すると食べます。
「もう隣に座ってあげたら?」との友だちのアドバイスを受け、
最後まで食べさせてあげていました。
2010年11月23日『共食と乳幼児期の発達』の中でこう書かれています。
人の食事は、人の発達にずいぶんと影響を与えます。他者に食べさせるという人間の特徴である行為から、役割交代をし始め、次第に自己を知り、他者を知るようになると、次第に自己主張をするようになります。食について、北海道大の川田准教授が示した事例は、誰でも思い当たるでしょう。
「1歳を過ぎたころの子どもにスパゲッティと野菜を食べさせようと、「これは?」とトマトを差し出すと、子どもは顔をしかめてのけぞります。そこで、今度は、「じゃ、これは?」と青菜を差し出してみますが、より一層顔をしかめてみせ、不快そうに手を振って「あ゙?」と非難の声を上げてソッポを向いてしまいます。そこで、「どうしたのー?」とやや非難気味で、再度「赤いのは?」とトマトを差し出しますが、またもや顔をしかめ手で顔を隠してしまいます。そこで「じゃ、自分で食べる?」とプレートを差し出すと、子どもの表情が一変し、トマトに手を出し始めました。今度は、スパゲッティを食べる段になり、同じように子どもが自分でプパゲッティを食べようとしますが、うまくすくえないのを見かねて、箸でつまんで子どもの口元にもっていくと、子どもは拒否をします。その後、大人の差し出しを受け容れたかに見えた時でも、これ見よがしに吐き出し、自分で食べようとします。「なんでー、おんなじのよ?」といっても、更に、子どもは差し出しを拒否した後、今度は自分の方から大人に差し出して、役割逆転が起ってしまう」という事例です。
ここで、大人は「おんなじのよ?」と思っていますが、子どもにとっては同じではないのです。どこが違うかというと、おそらく、大人の意図、あるいは大人の意図の下で進められるという“手続き”に対する拒否感情が生じているのではないだろうかと分析しています。社会心理学には、心理的リアクタンスという概念だそうで、「態度や行動の自由が脅かされた時に喚起される、自由の回復をめざす動機づけ状態」(「心理学辞典」有斐閣)というそうです。このリアクタンスは、もともと説得理論のひとつとして、セールスなどでの押しつけがましい説得が逆効果をもたらすことの根拠とされてきたのですが、リアクタンスが生じるためには、自分自身の行動や態度の自由を認知している必要があり、自由を認知しているにもかかわらず強制されると禁止された行動が遂行されるのです。
年上の子に年下の子のお世話をさせようと意図的に席を設定すると、意外とこちらの思惑通りにいかないこともあったりして、なるほど“手続き”に対する拒否感情が生まれてしまっていたのかも、と考えさせられました。
互いに育み合えるこういった行事が大切であることを改めて感じます。
(報告 加藤)
ピーステーブルの方から聞こえてくる声を辿っていくと、こんな遊びをしていました。
2012年7月18日『遊びと学び』の中でこう書かれています。
学ぶことを苦に感じているとすれば、それは遊びが足りないということなのかもわかりません。
(報告 加藤)
チームの先生が見せてくれました。
夢中になって書いている様子はまさにゾーンに入っているようでした。
2017年5月13日『教育の意味』の中でこう書かれています。
年齢的な刷り込みから評価をしてしまっていることを反省しつつ、彼の好奇心を育てたものについて、とても興味が湧きます。
(報告 加藤)
少しの混沌を見守っていると、
2009年7月11日『少年自治』の中でこう書かれています。
ある日、子どもたちはこんなことを言い出しました。「先生、どれを○にするかはもう自分たちだけで決めるから先生はいなくていいよ。」ということで、今は、子どもたちだけでどのゾーンを開設するかを話し合って決めています。ある朝、その横を通ったときにこんなやり取りが見られました。3歳児の子が「ねえ、ここを○にしてよ」「だめ、みんなここはきちんと片づけないから」と5歳児の子ども。「ちゃんと、片付けるよ」「じゃあ、もし片付けられなかったら、明日は×にするよ」
こんなやり取りは、異年齢集団だから行われるのかもしれません。もし、同年齢児集団で同じようなことが起きるとしたら、力関係で命令してしまうことになってしまうでしょう。異年齢集団では、年長児が指示をしてもそこには思いやりが感じられます。
そういう毎日を子どもたちが自然と積み重ねられていることを思い、改めてこの保育の凄みを感じます。
(報告 加藤)
新型コロナの影響で各園、対応に追われている日々かと思います。
新宿せいが子ども園も原則休園という通達が来ており、各家庭に家庭保育をお願いして、
ほとんどの保護者の方が登園を自粛していただいている状況です。
在宅で仕事をしながら子ども達を見るのは本当に大変なことかと思います。
私も妻と交代しながら職場に行っていますが、やはり大変です・・・。
先日一日中、雨で外にも出れず・・・次男は長男との喧嘩で何回も泣かされていました。
新宿せいがとしても、保護者の皆さまに登園自粛をお願いするならば、
こちら側も家庭で保育ができるように何か手助けはできないか・・・
と園長先生が提案されたのを現場の先生たちが、こんな物を用意しました。
折り紙の折り方の説明書、塗り絵、人気のレシピを封筒に入れて各家庭に送らせていただきました!
私の息子たちもそうですが、どうしても家の中だと、すぐにテレビやyoutubeを見てしまいます。
全くダメとは言えませんが、やはりずっと見るというのは変ですし、
藤森先生が言われるように、使い方の問題だと思いますが、なかなか上手くいかないのが現状です・・・。
「ずっと見るのはダメ」と言う前に「これで遊んでみない?」「一緒にやってみない??」
と代わりの物を提案してあげることが大切です。
まだまだ今の状況がしばらく続き、家庭保育も続きますので、
先生たちは次の一手を考えていました。
「一週間遊べるものは何かな・・・」「〇〇ならいいんじゃない?そしたら園に来ても繋がって遊べるし!」
など悩みながら、楽しそうに考えていました!!
藤森先生が
「こういう時だからこそ、自分たちでできることを考えて、どんどんやっていこう!」
と職員のみんなに話してくれましたが、本当にそうですね!
ネガティブになっても仕方ないので、できる範囲で楽しんでいければと思います!(報告者 山下祐)
随分、遅れた報告になってしました・・・。
2019年8月末に私たち塾生にとって、とても貴重な体験をさせていただきました。
その体験というのは、「出張塾セミナー」です。
臥竜塾セミナーはご存知の方も多いかと思いますが、その塾セミナーの依頼が舞い込んできたのです。
鹿児島のGT園の園長先生から
「毎日、藤森先生から直に学ばれている塾生の方から話しを聞きたいのですが・・・」
という連絡がありました。
具体的にいうと、藤森先生の保育理論を実際の現場ではどのように実践しているのか?
というのを塾生から聞いてみたいということです。
ですので、去年の塾セミナーで「10の姿」を塾生が発表したので、
それを鹿児島でも行い、そして最後は質疑応答・・・という研修内容になりました。
日頃、新宿せいがで実践していることもそうですが、
何よりも現場の先生方を同じ目線で一緒に研修を行えたことが何よりも財産でした!
改めて鹿児島の先生方にお世話になり、ありがとうございました!
我々、塾生も本当に学びの多い出張塾セミナーになりました。
鹿児島と東京と離れていますが、目指す保育は一緒です!
今後もよろしくお願いします! (報告者 山下祐)
2016年7月12日『キャラクター・スキル』の中でこう書かれています。
朝の会に参加させていただき、自己紹介をさせてもらっています。
多岐に渡る用務の活動をお手伝いします。
遠巻きから撮っているので、何ともなぁといった写真になってしまいます。
そこで先生方に撮影をお願いすると、
2018年3月8日『シンガポール報告10』の中でこう書かれています。
どちらの写真にも撮られた先生の意図、そのスキルの高さ、現場力のようなものを改めて感じる思いがします。
(報告 加藤)
すると、西村先生も伊勢に来ているというのです。
あまりの偶然に驚きましたが、時間を合わせて会うことができました。
2013年4月25日『維持する』の中でこう書かれています。
また会える日まで、与えられた役割を果たしていきたいと思います。
(報告 加藤)
わいわい組(3歳児クラス)に入園した新入園児が保護者と離れ、泣いていると、すいすい組(5歳児クラス)子が駆け寄ってきてくれました。
とても感動的だったのは、自然と寄り添ってくれたすいすい組の子たち二人は、同じようにわいわい組の時に自園に入園し、そして今泣いているその子と同じように、保護者との別れに泣き、そしてその頃のすいすい組の子たちにその涙を拭いてもらっていた子たちだったからでした。
2019年1月5日『文化的行動の伝承』の中でこう書かれています。
これは、最初に私の見解を述べたものと同じ結論です。私はかねがね文化は子ども集団の中で伝えられていくものが大きいと考えているのです。これはハリスが提案する集団社会化説の中心的な考え方の一つでもあります。
こうしてまたこの子も、涙を拭う側へと成長していくのでしょう。
(報告 加藤)