運動会が近付いてきました。
開会を告げる「はじめのことば」は、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが言います。
可愛いですね。
ブログ『臥竜塾』2012年10月14日『運動会の考察1』の中でこう書かれています。
日々の何気ないこのような体験の中でも運動会というものを感じ、味わっていくのでしょう。改めて保育は環境を通して行われるということを感じました。
(報告 加藤)
運動会が近付いてきました。
開会を告げる「はじめのことば」は、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが言います。
可愛いですね。
ブログ『臥竜塾』2012年10月14日『運動会の考察1』の中でこう書かれています。
日々の何気ないこのような体験の中でも運動会というものを感じ、味わっていくのでしょう。改めて保育は環境を通して行われるということを感じました。
(報告 加藤)
こういったものをいつでも見られる環境にしておくことの大切さを改めてベテランの先生から教わりました。
そして、ドイツ研修を経たクラスの先生がすぐに導入した動物のフィギュアを使って出来た、
ブロックゾーンが再加熱しています。
中で入り組んでいるだろう構造を考え合いながら、よく組み上げたと感心してしまいました。4歳児クラスの子たちが熱中して出来上がった作品です。
ブログ『臥竜塾』2019年7月22日『世界の仕組みを知る』の中でこう書かれています。
子どもたちが自発的に、“ものすごく熱中して”遊んでいるときは、因果関係を調べたり、実験を行ったりしていると考えられると言うのです。実験は世界の仕組みを知るための最良の方法だとゴプニックは言います。
見守る保育 Fujimori Methodは放任だ、自由保育だ、と言われることがあるそうです。子ども集団や、子ども同士の関わりを見守る距離感がそう見えさせることもあるのかもわかりませんが、こと物的環境においてはどうでしょうか。「指針にもある通り、環境を通して行うことが保育だからね」とは塾長の言葉で、こういった子どもたちの作品が出来上がるまでの過程に、その子自身の資質だけでない、子ども集団による影響、そして、外的環境からの影響というものが少なからず影響しているように思えてきます。そこに対するアプローチ。放任とは異なるものであることを改めて感じる思いです。
(報告 加藤)
夏野菜たちもいよいよ実りの終盤を迎えようとしているのでしょうか、
「持って帰りたい」とのことで、お迎えの際に一房ずつ配ることにしました。
ブログ『臥竜塾』2011年4月23日『おもてなし』の中でこう書かれています。
「おもてなし」という言葉が気になりました。もともとは、「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉で、やはり、「モノを持って成し遂げる」という意味ともいわれています。「お持て成し」を英語にすると「Hospitality」だそうで、それはラテン語のhospesという単語で、「旅人・客・旅行者をもてなす主人」という意味が語源です。また、「表裏なし」ということで、表裏のない気持ちでお客様を迎える事だとも言われるように、別にお客様に応対する扱い、待遇とも言われています。
この「おもてなし」には目に見える「もの」と、目に見えない「こと」があります。お茶の世界でいうと、お客様をおもてなしする際に、季節感のある生花、お迎えするお客様に合わせた掛け軸、絵、茶器、匂い(御香)など具体的に身体に感じ、目に見える「もの」と、おもてなしをする人の瞬時に消えてしまう言葉、表情、仕草など、目に見えない心を「こと」があるのです。また、ずいぶんと前になりますが、服部さんが、小学生に給食にお年寄りを招く時の心得として「おもてなしの心」を話していました。その時のポイントとして、「相手への気配り(食器の置き方)」「雰囲気作り(装飾の工夫)」「におい、音、色に工夫をする(秘密のデザート)」「会話(相手の話をよく聞く)」を挙げていました。
すいすい組(5歳児クラス)の子たちが案内役となり、殆どを配り切ることができました。「昔ながらの梅干しの味がしてとても美味しかった」と試食も喜んでいただけたようです。
このような機会を通して、人に喜ばれることの嬉しさを子どもたちと味わっていきたいと思います。
(報告 加藤)
整理をしていたら出てきた風車を、
嬉しかったのはその後で、
ブログ『臥竜塾』2017年1月4日『道徳のかけがえのない部分』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
赤ちゃんの頃から育まれてきた思いやりや優しさをこうして表現してくれる子どもたち。この仕事だからこそ得られる喜びがあることを改めて感じます。
(報告 加藤)
迎えた「おもてなし」当日。
バッジチームが作ったバッジを胸につけていきます。それを横目に、それぞれの時間を過ごそうとする他の子たちにも聞いてみることに。
「やっぱりやってみたい」
数人の子が名乗り出ます。それを快く受け入れて、余分に作ったバッジをつけてあげるから子どもたちって本当に素敵だと思います。
すいすい組(5歳児クラス)だけ早めにおやつを済ませて、
わいわい組(3歳児クラス)・らんらん組(4歳児クラス)の子どもたちが起きてきました。
「美味しい」
嬉しい言葉に、小さな歓声があがりました。
ブログ『臥竜塾』2011年4月23日『おもてなし』の中でこう書かれています。
沢山の人に梅ジュースを飲んでもらい、満足そうな子どもたち。次の日からももちろん当番活動は行われましたが、すいすい組の子たちから、独占しようとするような、威張るような言葉は聞かれなかったということです。
(報告 加藤)
1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されてから数日後。
「この仕事はすいすい組(5歳児クラス)だけの仕事なんだ」
「これはすいすいだけしか飲めないんだ」
当番活動中に、わいわい組(3歳児クラス)とらんらん組(4歳児クラス)の子に向かってそういう風に言う子がいたという話をフリーの先生から聞きました。
「威張るのはよくない」
「梅ジュースをわい・らんさんにも飲んでもらおう」
という結論になり、おもてなしをしよう、ということになりました。
ここで、皆に、おもてなしに参加したいか、参加したくないか、の意志を聞くと、参加したくない、という子もいるから面白いですね。自分の意見を言える雰囲気があるということでしょうか。
では、おもてなしをしたい子だけで集まり、さて何をしようか、ということで話し合っていくと、
「梅ジュースを入れる紙コップに絵を描く」
「おもてなしをする子皆のバッジ作る」
という意見が出ました。
分かれて設計図を描きます。
このすいすい番の時間を2日使って、いよいよ当日を迎えました。
(報告 加藤)
すいすい番の時間、テーブルが汚れてきたね、ということで
終わると綺麗になったテーブルを前に、皆程良い達成感を味わった様子でした。
こういう時に、皆で乾杯をしたりできるものがないかと思っていたところ、
その間、1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されました。
見に行ったその日に、皆で初めての遠出をしたことを祝おうということになり、その日を楽しみに待ちました。
そして何も割らずにそのまま、という三択の中から選びます。
皆に渡りました。
甘い、酸っぱい、美味しい、美味しくない、様々な感想があったようですが、皆とても嬉しそうでした。
ブログ『臥竜塾』2014年1月23日『「ハレの体験」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
梅シロップを飲むことは子どもたちにとってハレのことなのだろうと、嬉しそうな姿を見ていて思います。
そんな子どもたちでしたが、梅シロップを巡って、また違った展開を見せてくれました。
(報告 加藤)
夕方、
「お城」をイメージして作ったとのことで、二つの作品が二人の手によって作られました。それぞれ独立しているのですが、「隣で作っているのを見て僕も閃いたんだ」と一人の子が教えてくれました。
大作の予感です。片付けて周囲を綺麗した時の、いわゆる「映え方」が楽しみですね。
片付けの時の最近のすいすい組の一部の子たちの小さな流行で、「変なロボット作り」というものをこの日もやっていて、
そろそろ落ち着いてきた様子で、カメラを向けようとすると、
片付け方、写真の撮られ方にも、協力と工夫を見せてくれた二人に感動してしまいました。
ブログ『臥竜塾』2019年6月29日『友だちの世界』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
保育者はもちろん親ではありませんが、親の言葉さえ子ども集団の前では殆ど意味を成さないのであれば、ああしなさい、こうしなさいという保育者の言葉はどれ程の意味を持っているのでしょうか。子どもが子どもたち同士の関係性の中で、片付ける、工夫する、
などのことが遂げられているようなこの状況が自然と生まれることについて、考えさせられます。
(報告 加藤)
秘密基地作り、余りにも大きな基地になってしまい、置き場所がなくなってしまったために解体しました。
見ると、自然と女の子だけで集まっています。
進め方にも違いがあり、
男の子チーム→やりながら考える
女の子チーム→書いた設計図を持ち寄って、どれを作るかを決めてから始めようとする
とても興味深く思いました。
ブログ『臥竜塾』2019年2月1日『男集団と女集団』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
学齢期における男集団と女集団の違いについてハリスは何度も取り上げられてきました。エレノア・マコビーはそれを次のように簡潔にまとめています。
子どもたちの見せる自然な姿から学ぶことの多さを改めて感じます。
(報告 加藤)
初日で完成には至りませんでしたが、次回どんなものを皆で作りたいかを、
それを、
子どもたちは質問をすることも、されることも好きですね。提案した内容も深まるようで、盛り上がっていました。
完成までどういう流れでいけばいいものかと、また、何をもって完成とするものかと思っていたところ、塾頭山下先生の言葉ではっとなりました。
「完成しなくてもいいじゃない。」
「別に失敗でもいいじゃない。そこから学べばいいのだから。」
ブログ『臥竜塾』2008年8月19日『失敗と成功』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
本当の意味で、成功者になりたいですね。
このような活動を通して、子どもたちと一緒に学んでいきたいと思います。
(報告 加藤)