「ガッシャーン‼」
ある日、ひときわ大きな音がたちました。その音の先を眺めてみると、1歳児が棚から玩具箱を取り出してひっくり返しており、その際に出た音でした。子どもたちは、箱の中の全ての玩具を床一面に散らばせます。そして、これでもかといったように、ブルドーザーのごとく足を引きずりながら、玩具を部屋の隅々まで持っていきます。その時、一瞬「あぁ〜…」と哀愁漂う思いが頭を巡るのですが、すぐに「子どもは無駄な事はしないのだ」と自分に言い聞かせました。すると、それをすることが“楽しい”と感じたり、大胆なことをしたがる時期なのかな、この経験から玩具の音や性質、そして形状を理解するきっかけとなっていくのかな、目当ての玩具を一番速く効率的に探して手に入れるためにはこの方法がいいと考えたのかな…などと様々な思いが浮かんできました。
1歳児には「片付け」よりも、好奇心とか探究心、目の前の興味関心に熱中することが大切であると思っています。そのため、一応「そろそろお片付けしましょう〜」などとは言いますが、片付けは保育者が行おうと思っています。なかには、そんな保育者の姿を見て手伝ってくれる子どももいますが、ただ単に「作業」としての行為にはもったいないと思いますし、多少の億劫さも否めません。そこで、その一連の流れを「遊び」として子どもに提供できたらなぁと思いました。
先日、報告させて頂いた「いい玩具っていうのは…」の中に、0・1歳児が穴の中に玩具を落とし入れている姿がありました。その遊びには、好奇心とか探究心、そして熱中という、すべてがあったと思います。つまり、それを参考にして、その遊びと「片付け」を融合させ、遊んでいる先に、自然と「片付け」が存在しているといった感じにできればと思いました。
「ガッシャーン‼」とひっくり返した箱には、購入した際にフタがついていました。そのフタは、これまで使用していませんでしたが、それを利用して、中の玩具の形状をくり抜き、その形の場所に落し入れるという遊びを作ってみたのです。
これで、例え、箱をひっくり返したとしても、型落としという遊びによって元通りになりますし、子どもの欲求も満たせてあげられます。もちろん、すべての玩具箱の物を作るわけではないので、“保育者の姿を見て手伝ってくれる子ども”の保障もできます。1歳児クラスの発達を保障する上で、子どもにとっても大人にとっても、楽しさや面白さを感じられる一つの環境として機能してほしいと願います。
(報告者 小松崎高司)
「あぁ〜」と思ってしまう場面は保育中にいくつかあるのですが、そんな時に小松崎さんのようにすぐに切り替えて、このきっかけを何かに活かせないか、その行為にはどんな意味があったのだろうかと発想を転換させることで「あぁ〜」で片付けてしまわないようにしていけるといいなと思いました。今、私は3、4、5歳児クラスにいるのですが、片付けに関しては主に大人がやることにしましょう。ということを年度のはじめに同じクラスの先生方と話し合いました。子どもにとっての片付けとはなんなのだろうかということを考えるきっかけにもなっています。というより最近は片付けの時間になると、「よし片付けよう!」と大人の方が自然とスイッチが入っているような感じです笑
片付けた後にその後を確認するとなんとも気持ちいいですね。それが片付けの楽しさなのかもしれませんが、それは強制されてしまってはなかなか感じにくい部分でもあるのかもしれません。そんな時に自然な行為が、片付け後の「きれい」につながる体験をした子どもたちにはどんな思いがうまれるのですかね。そんな子どもたちの体験が生まれる箱ですね。
素晴らしいアイディアだと思います。〝片付け〟というテーマになんとも肯定的に向き合い、大人も子どもも気楽にことを進ませる提案をするあたり、流石小松崎先生ですね。子ども達は〝遊び道具が増えた〟というくらいの思いで、その新しい玩具に夢中になったことでしょう。
怒られて人は変わるのかと言うとやはりそうではなく、むしろ頑なに心を閉ざしてしまうことの方が往々にしてあるように思います。いくら尊敬をしている人でも、その一度の感情的な行動でその尊敬を失ってしまうこともあるように、子ども達にはやはりどれだけ楽しい気持ちの中で、大人の意図を含んだ行動へと導くかが保育の仕事の一つと改めて思います。