私は塾長と一緒に全国を回り始めてから、
南は沖縄、北は北海道と本当にたくさんの保育園さんに伺うことができました。
出張で多いのが園内研修や各地方の見守る保育の勉強会でしょうか。
ここ数年は県の保育士会の講演会が多くなってきたと思います。塾長にとっては、とてもハードスケジュールになってしまいますが、
南は沖縄、北は北海道と本当にたくさんの保育園さんに伺うことができました。
出張で多いのが園内研修や各地方の見守る保育の勉強会でしょうか。
ここ数年は県の保育士会の講演会が多くなってきたと思います。塾長にとっては、とてもハードスケジュールになってしまいますが、
それだけ時代が塾長を必要としているという事を感じます。
そんな「出張先でよくある光景が、講演を終了した塾長が控え室に戻り、休憩していると、
研修会の責任者の方や会長さんなど、偉い方が来られて挨拶に来ます。
そして講演内容の感想や質問などを塾長に話しをしていますが、私がよく聞く感想で
「自分と全く同じ考えです」
「探し求めていた保育が見つかりました」
「思い描いていた保育を藤森先生が言葉にしてくれました」
です。
こういう感想を聞くと、全国でも保育に悩んでいる園長先生方が多くいると感じます。
私個人の勝手な憶測なので、絶対ではありませんが、
そう感じる方の多くは、畑違いから保育の世界に飛び込んできた方が多いように感じます。
もちろん、そうでない先生もいます・・・。
従来の保育に違和感を感じたり、子どもの姿が時代によって変わってきたり、
そんな光景に何か納得がいかない自分がいて、心の中でモヤモヤとしている時に、
塾長の話を聞き、一点の光が差し込んだような気持ちになるのでしょうね。
さてさて、もしドラでは主人公がマーケティングの次に取り組んだのは、
マネジメントの組織化です。一人でマネジメントに取り組んでいた仕事を、チームで行おうとしたのです。
特に監督の存在です。監督は野球の知識に関しては並外れたものを持っているのです。
しかし監督の問題は「コミュニケーション」にあったのです。
どうも知識が豊富なあまりに専門的な言葉を使いすぎて、普通の人では理解ができず、
それは選手にも同じでした。ここでドラッガーの言葉が登場します。
「専門家にはマネージャーが必要である。自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。(中略)
専門家のアウトプットとは知識であり情報である。専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らの言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。」
少し難しいですね・・・。
ここでいう専門家というのは、おそらくその道のプロということでしょうか。
「もしドラ」で言うと野球の並外れた知識を持っている監督ですね。
その分野に関しては普通の人よりも知識も経験も豊富なので、
企業では、その能力を成果に結びつけることが、重要であり、専門家の役割です。
そして、専門家の言っている事を周りは理解し、実践することが更に重要になってきます。
しかし、ここで問題が起きます。それをドラッガーは
「専門家は専門用語を使いがちである。」
どうしても専門家と言うのは専門用語を使いがちです。
自分は理解している言葉でも、それは専門用語であり、周りは全く理解することができないのです。
これは保育の現場でもあると思います。
私も常々、心がけていることですが、子どもに対して何か話したり、説明をするときに、
つい難しい言葉を使ってしまうことです。自分は分かっていても、子どもにとっては難しい言葉が多いということです。
ここでマネージャーの出番です。
「組織の目標を専門家の用語に翻訳し、逆に専門家のアウトプットを顧客の言葉に翻訳してやることもマネージャーの仕事である。」
とドラッガーが言っています。
つまりパイプ役が必要ということです。
専門家の難しい内容の言葉も、普通の人でも分かりやすいように翻訳し、
逆に専門用語を使って、専門家に周りの意見や感想などの情報を伝えることです。
「もしドラ」では主人公がそのパイプ役、専門家の通訳になろうとするのです。
そして、とうとう大会が始まろうとしているのです・・・。
さて「もしドラ」では主人公が通訳になろうとしていますが、
この状況を保育園に置き換えると、なかなか難しいですね。
ただ考えながら、ふと思い出したのが、見学者の感想で
「やっと自分の保育園の園長先生の言っていることが分かりました」という感想です。
おそらく、見学者の中には園長から「見守る保育」の話しを聞いたけども、なかなか理解できず、
それを新宿せいが保育園に来て、塾長の話や、実際の保育を見て、やっと自園の園長の言っていることが理解できたのかもしれません。
もしかしたら新宿せいが保育園の役割こそ「通訳」ではないかと思ったのです。
しかしそれは、新宿せいが保育園に限らず、全国で実践している保育園、みなさんが「通訳」ということです。
今、全国各地で「見守る保育」の勉強会が盛んになってきましたが、
新しく実践する保育園が増えた時に、なかなか東京には行けない・・・ってなった時には、
近くで実践している保育園を見ることで「通訳」になると思います。
つまり、私たち、全員がマネージャーになる必要があるということですね。
ちなみに塾長は専門家とマネージャーの両方の役割をこなしているように感じます。
だからこそ両方の気持ちを理解でき、人の心に響く話をされるのだと思います。(投稿者 山下祐)
誰かに何かを伝えること、自分の考えていることを伝えることは難しいですね。ついつい丁寧に説明することを省いてしまい、分かりにくい説明になってしまいます。
「通訳」とありました。通訳にとって大切なことはなんなのだろうかと勝手に想像しました。それは相手の思っていること、考えていることを読み取るということなのかもしれません。それが読み取れた時に、違う相手に対して、その相手に伝わりやすいような言葉にしていくことが大切なのかもしれません。お互いに、分かりやすく説明すること、相手の話の意味を理解しようとすることという思いが少しでも芽生えるといいのかもしれませんね。また、両方の立場のことも理解している人がいると心強いでしょうね。そんな存在に自分もなりたいものです。
ロバート•キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』の中に、「人にものを説明する時には猿でもわかるように話せ」という言葉があります。藤森先生の言葉を選ぶ力というのは、わからない人を理解させる以上の、時として感動を呼ぶ程の力があると感じています。
私たちの仕事の一つを通訳と塾頭が解釈されたことに、とても強い共感を覚えます。体現者である私たちが、見守る保育を織り成す言葉の通訳となり、接点となり、これからも保育や教育を仕事とする人達に多くことを伝えていきたいと思いました。