Red floor philosophy episode 23『経験の大切さ』より

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見守る先には、

見守る先には、

 

もう一人、5歳児クラスの男の子が。

もう一人、5歳児クラスの男の子が。

千鳥足で運ぶ様子を見守ってくれていました。

手に持っていた玩具をその箱へ、

手に持っていた玩具をその箱へ、

 入れた後、「ここだよ。」と言わんばかりに、

片付け場所へ促します。

片付け場所へ促します。

 クールなアプローチですね。

 おもむろに振り返ります。

おもむろに振り返ります。

 そして、まるで示し合わせたかのように、

入れ替わる二人。

入れ替わる二人。

 

先ほどの女の子の再登場です。

先ほどの女の子の再登場です。

一瞬箱に手を貸すような素振りを見せますが、

その手は女の子の頭を撫でます。

その手は女の子の頭を撫でます。

女の子がなるほど葛藤をしていたことがわかるのは、この次の瞬間で、

目線は「お集まり」の方へ。

目線は「お集まり」の方へ。

「お集まりの輪の中へ連れて行きたい」でも「片付けたい気持ちも優先させてあげたい」そのような葛藤の中にいたことが伺えます。その気持ち、現場にいる保育者誰もが経験したことのあるものではないでしょうか。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月13日『経験の大切さ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「様々な経験が、幼い子どもたちの他者に対する利他性をかたちづくるのも確かであると主張し、その初期の段階でさえも、学習の履歴を持たず入力の影響を受けないようなシステムではないことを指摘しています。乳児が利他性を備えて生まれてくるとしても、利他性が花開くかどうかは経験次第であるという見解を主張しているのです。」

この見解は乳児についてのものですが、「利他性が花開く」その経験が必要なのは幼児にあっても当然のことでしょう。このような環境下で過ごす時間を経ることで、きっとこの1歳児クラスの男の子にも女の子にも、その気持ちや姿勢は伝承されていくことでしょうね。

そんな女の子の気持ちを知ってか知らずか、

1歳児クラスの女の子は一度離れます。

1歳児クラスの女の子は一度離れます。

 すると、

その重みに耐えられず箱は地に。

その重みに耐えられず箱は地に。

 

その弾みで落ちた玩具を拾いに戻る1歳児クラスの女の子。

その弾みで落ちた玩具を拾いに戻る1歳児クラスの女の子。

5歳児クラス女の子としてはもどかしいでしょうね。

そして男の子は体勢を変え、

そして男の子は体勢を変え、

 

再挑戦。

再挑戦。

ドラマは続きます。

(報告者 加藤恭平)

 

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