Red floor philosophy episode 9『乳児と乳児の共通基盤とは?』より

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12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私がよく講演で話しをすることに、『赤ちゃんは能動的である』ということがあります。赤ちゃんは自分で何もできないために、受動的であると思われていました。他人にやってもらうために、赤ちゃん自身は受け身であると思われていました。しかし、最近の研究では、自分でできないために、他人にやってもらうために、そこにさまざまな手段で働きかけているということが判ってきました。」

ちっち組(0歳児クラス)の職員間でそんな話題を共有した日の夕方、なるほどこういうことを指すのだろうかという出来事がありました。

写真左手、男の子が右手の男の子の服の袖を掴んでいます。

写真左手の男の子が写真右手の男の子の服の袖を掴んでいます。

この写真を撮る前から積極的に写真右手の男の子に関わろうとする姿を見せてくれていた写真左手の男の子です。

何度か袖を引っ張った手が離れて腕にパタッとその手が落ちました。

何度か袖を引っ張った手が離れて腕にパタッとその手が落ちました。

その様子をじーっと見ていた写真右手の子が次の瞬間、

こっちを見て、

こっちを見て、

 

自分の服を引っ張ってアピールするのです。

自分の服を引っ張ってアピールするのです。

 

それを何度か繰り返していました。

その動作を何度か繰り返していました。

面白いですね。服を引っ張られたことをこちらに伝えたいという意図を、その行為の中に感じることができます。

更に、『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』にはこうも書かれています。

「それは、状況を知らせるだけでなく、要求を表わします。おなかがすいているので乳が欲しい、気持ち悪いので、おむつを替えて欲しいなどの意味が込められています。ですから、伝える相手は、母親でなくても、その要求をかなえてくれる人に対して行なわれます。」

この際の要求というのは何だったのでしょうか。服を掴まれて嬉しかったのか嫌だったのか。友だちが関わってきてくれたことを強調したかったのか、助長して欲しかったのか。それを隣で見ていたクラスの先生が、

「それ(赤ちゃんの行った行為)をどう見るか、見方によって全然(解釈が)違ってくるよね。」

と話してくれたことも印象的でした。赤ちゃんの行動におけるその現象の捉え方を藤森先生は説いているのだということを改めて思いました。

そんな視点で見ているからでしょうか、その数十分後にまた別の出来事がありました。

(報告者 加藤恭平)

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