2020年9月18日『繋げて考える』の中でこう書かれています。
遊びたい気持ち、面倒臭い気持ち、いろいろな葛藤があるだろうことを思っていると、活動の終わり際、一人の子から、
「ずっとお手伝い保育だったらいいのに。」
何よりも楽しさでこの活動は行われていたのだと、子どもたちの気概に触れ、子ども観を見直させられたような気持ちになりました。
(報告 加藤)
2020年9月18日『繋げて考える』の中でこう書かれています。
遊びたい気持ち、面倒臭い気持ち、いろいろな葛藤があるだろうことを思っていると、活動の終わり際、一人の子から、
「ずっとお手伝い保育だったらいいのに。」
何よりも楽しさでこの活動は行われていたのだと、子どもたちの気概に触れ、子ども観を見直させられたような気持ちになりました。
(報告 加藤)
ぐんぐん組(1歳児クラス)の午睡前、寝る前の絵本の読み聞かせを嬉しそうに見ていた子を、嬉しそうに覗き込む新入園の子です。
2020年8月19日『話すのを待つ』の中でこう書かれています。
表情を見て、相手の感情を読み取ったり、理解したり。生の関わりの中でしか育まれないものが園にはあるようです。
(報告 加藤)
眠りから目を覚ましたちっち組(0歳児クラス)の子たちの方から楽しそうな声が聞こえてきます。
2020年8月6日『場の設定』の中でこう書かれています。
関わり合う生き物である僕ら人間はこのような機会、場を得てこそその力を存分に発揮できるのだと改めて思います。
(報告 加藤)
すいすい組(5歳児クラス)から数人、各クラスに配置されます。初回は1時間から1時間半くらい、短い時間ですが、子どもたちは楽しみにしていたようです。
ちっち組(0歳児クラス)にきょうだいのいるすいすい組の子、関わり方が上手で、ぐんぐん組(1歳児クラス)の新入園児がすぐに懐いていました。
写真は目の辺りを指さしたり、目尻を両手で下げたり、お姉さんの顔で遊んでいる様子なのですが、文句も言わずに付き合ってあげていて、偉いと思いました。
2020年7月18日『必要なスキル』の中でこう書かれています。
学校の授業では教わらないかもわからない学びを、今まさに積み重ねている子どもたちです。
(報告 加藤)
「これ○○くんのエプロン」なのでしょうか「やってあげて」なのでしょうか、こちらにエプロンを差し出す男の子に、
それじゃ、と、
2020年6月21日『成功と幸せ』の中でこう書かれています。
では、どうしたら良いのかということで、そのカギとなる能力として、六つのCの力=6Csを提唱しています。それは、
Collaboration:それぞれの強みを活かし弱みを補い合う
Communication:対話によって互いが満足するストーリーを作る
Critical Thinking:根拠に基づき熟慮して上手に疑う
Creative Innovation:変革について大きなビジョンを持つ
Confidence:熟慮した上で失敗にひるまず挑戦し続ける
この六つの力を見ると、その中の1,2は、他人との関係が示されています。私たち科学と言うと、実験室に一人閉じこもって、試験管を振ると言うイメージがあります。しかし、ここには、1ではお互いに「補い合う」という人類の進化における特性である、協力する、助け合う、ということが求められています。また、2では、対話を大切にしています。もちろんこの対話は、言葉によるものだけではないかもしれません。そこには、共感など、心の問題もあるかもしれません。ということから、私は、これからの時代における本当の新しい生活様式、教育の目指す方向を考える上でのヒントがあるのではないかと思っているのです。
生活の中で育まれていけるよう、このような姿が生まれるよう、保育は考えられていかなくてはならないことを改めて思います。
(報告 加藤)
ぐんぐん組(1歳児クラス)の子たちの遊びを生み出す力に驚かされています。
2019年7月25日『未完の大人?』の中でこう書かれています。
誰かから教えられてできるものでないだろう遊びを見て、子どもは白紙でないことを改めて感じてしまいます。
(報告 加藤)
塗ることの諦められた塗り絵、少し使っただけで捨てられていた紙、それらを使って何か作れないか、と子どもたちに提案してみると、
話し合いながら、一つの完成形へと向かっていく姿を見せてくれました。
2020年1月13日『支配的指導』の中でこう書かれています。
子どもたちだけで作り上げる作品に、いつも不思議な魅力を感じてしまいます。
(報告 加藤)
少しの混沌を見守っていると、
2009年7月11日『少年自治』の中でこう書かれています。
ある日、子どもたちはこんなことを言い出しました。「先生、どれを○にするかはもう自分たちだけで決めるから先生はいなくていいよ。」ということで、今は、子どもたちだけでどのゾーンを開設するかを話し合って決めています。ある朝、その横を通ったときにこんなやり取りが見られました。3歳児の子が「ねえ、ここを○にしてよ」「だめ、みんなここはきちんと片づけないから」と5歳児の子ども。「ちゃんと、片付けるよ」「じゃあ、もし片付けられなかったら、明日は×にするよ」
こんなやり取りは、異年齢集団だから行われるのかもしれません。もし、同年齢児集団で同じようなことが起きるとしたら、力関係で命令してしまうことになってしまうでしょう。異年齢集団では、年長児が指示をしてもそこには思いやりが感じられます。
そういう毎日を子どもたちが自然と積み重ねられていることを思い、改めてこの保育の凄みを感じます。
(報告 加藤)
わいわい組(3歳児クラス)に入園した新入園児が保護者と離れ、泣いていると、すいすい組(5歳児クラス)子が駆け寄ってきてくれました。
とても感動的だったのは、自然と寄り添ってくれたすいすい組の子たち二人は、同じようにわいわい組の時に自園に入園し、そして今泣いているその子と同じように、保護者との別れに泣き、そしてその頃のすいすい組の子たちにその涙を拭いてもらっていた子たちだったからでした。
2019年1月5日『文化的行動の伝承』の中でこう書かれています。
これは、最初に私の見解を述べたものと同じ結論です。私はかねがね文化は子ども集団の中で伝えられていくものが大きいと考えているのです。これはハリスが提案する集団社会化説の中心的な考え方の一つでもあります。
こうしてまたこの子も、涙を拭う側へと成長していくのでしょう。
(報告 加藤)
スイッチ、だそうです。
思い返すと、空き箱やこういったものを使ってものを作ることが好きな子たちでした。
2019年7月22日『世界の仕組みを知る』の中でこう書かれています。
子どもたちが自発的に、“ものすごく熱中して”遊んでいるときは、因果関係を調べたり、実験を行ったりしていると考えられると言うのです。実験は世界の仕組みを知るための最良の方法だとゴプニックは言います。
彼らが日々学んでいた程に自身は自発的に学んでいただろうか、写真たちに問われているような気持ちになります。
(報告 加藤)