Blue floor philosophy episode 32『日本の花』より

 

クラスの先生が散歩先で集めたものを子どもたちと飾っていました

クラスの先生が散歩先で集めたものを子どもたちと飾っていました

秋ですね

秋ですね

ブログ『臥竜塾』2015年11月3日『日本の花』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「花を愛する心は日本人の国民性である。世界中で、日本におけるほど花を愛する心が一般化している国はないというほうが適切かもしれない。また、絵を描こうとする場合にもっとも一般的な画題の一つは花ということになる。そして、装飾芸術としては、その自然のままの、あるいは伝統的な形態からして、つねに、主要な動機付けとして選ばれる。」私たちは、欧米の人たちのほうが花好きだと思っています。プレゼントして花束を贈り、家の中には花が飾られています。花に囲まれて生活していると思っています。しかし、それはもしかしたら上流家庭の話で、すべての層の人たちの間でも、明治当初の日本では花に囲まれて生活しているように思えたのでしょう。それは、モースによると、日本人が手になる簡易な手作り品である、刺繍、陶器、漆器、壁紙、扇、またその金属ないし青銅製品においても花が描かれ、また造形の対象となっているというのです。

 「社会生活においても、これらの花をあしらった物品が絶えず顔を出す。誕生から死ぬまで、花は、なんらかのかたちで日本人の日常生活に関わりを持っている。日本人は、死ぬと、そののち何年ものあいだ、墓前に新鮮な花を供えてもらえる。」このように日本人は、花に囲まれて生活をしているというのです。それは、当然室内装飾にも現れているのです。

花や木の実など、季節のものを通して季節を感じる心もまた日本人にとって大切なものだと感じます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 31『成功の見通し』より

土曜日の夕方、園庭に出てみると、

大きな水溜り

大きな水溜り

遊んでいる内、らんらん組(4歳児クラス)の子が、

「下まで流れてる」

「下まで流れてる」

正面玄関へと続く道に流れる水が面白かったようです。

その面白さを周囲にいる友だちに伝えます。

その面白さを周囲にいる友だちに伝えます

もっとやろう、ということになり、

道具を使って水をすくって

道具を使って水をすくって

「どう?流れてる?」「流れてる流れてる!」

「どう?流れてる?」「流れてる流れてる!」

とても楽しんでいました。

ブログ『臥竜塾』2016年4月28日『成功の見通し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「成功に対してより大きな期待を抱く子どもは、新しい課題を与えられても、すでにそれで成功したことがあるかのように、自信を持って取り組んだのです。彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒したのです。彼らの見通しは、ただの夢想以上のものだったのです。過去に積み重ねた成功体験に基づいているからです。それまでの成功が、彼らのポジティブな期待を膨らませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励したのです。それがすべて合わさって、楽観主義者をなおいっそうほほえませる結果を生むというのです。

この結果からは、成功の見通しを物事全般で持ちづらい子どもたちは、課題にすでに失敗したかのように取り組み始めることもわかったそうです。しかし、そういう子どもも、現に首尾よく課題を成し遂げたときには、ポジティブな反応を見せ、この新たな成功体験のおかげで、将来の成功への期待がおおいに高まったそうです。成功するだろう、あるいは、失敗するだろうという一般的な見通しは、私たちが新しい課題にどう取り組むかに、重大な影響を与えることがわかりました。」

子どもたちの姿を見て、なるほど失敗は失敗と思うから失敗なのであって、それを失敗と思い込むようになってしまったのは、それを失敗と思い込ませた何かが、もしくは誰かの存在が在ったのではないか、と思いました。子どもが自発的に、自主的にやってみようと思いついたこと、その中で生まれるささやかな目標へ向けて何度もやってみようとすること、そこで達成される日常の中の素朴な成功体験が積み重ねられることで、成功の見通しというものは静かに確立されていくのではないかと思いました。

「(月曜日は祝日)火曜日になったら皆きっと驚くんじゃない!?」

「(月曜日は祝日)火曜日になったら皆きっと驚くんじゃない!?」

そんな先のことまで見通して遊んでいるものなのですね、驚いてしまいます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 30『集中力』『一休さん』より

夕方、クラスの先生から「座禅を組んでいる子がいる」との情報が入りました

3階ホールの一角

3階ホールの一角

見られていることに気付き、少し照れるような恥ずかしい気持ちとが入り、輪が乱れると、まるでそれを邪念とするかのように、

「集中チーム!集中して!」

「集中チーム!集中して!」

中心人物と思われる子から叱咤が入ります。

笑ったり、笑わせ合ったりしながら30分程の間、この遊びを楽しんでいました。

ブログ『臥竜塾』2009年6月24日『集中力』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「子どもは大人と違って、いろいろなことに興味関心があり、好奇心旺盛です。また、集中できる時間も、大人と違ってもともと長くはありません。数年前から、人間らしいものを考えるときに働く前頭葉が注目を浴びていますが、その前頭前野の活発な活動のリミットは、人がどのくらい集中できるかということで計ることができます。すると、集中力は大人のレベルでも40?50分くらいで切れてしまうそうです。ですから、まあ、1時間が限度です。また、教育の現場で言われる集中力は、小学生では学年×10分が最高であると言われています。ということは、1年生では、10分です。ですから、幼児ではすぐに周直が切れてしまうのは当たり前ですね。簡単に集中力がないと言わずに、子どもたちが何に取り組んでいるのか、何をしたがっているかを見る必要があるような気がします。」

誰が何の目的で始めたのかわかりませんが、電気の付いていない薄暗い場所を利用して子どもたちは集中力を高め合っているようでした。在る環境から遊びを発展させ、いよいよ神の領域に踏み込まんとする子どもたち、思い掛けない光景に、集まった先生方全員がシャッターを切っていました。

それにしても、見ようによっては何とも奇妙な光景のようにも思われるところですが、座禅、塾長の教員時代にはもっと身近なものだったのですね。

2006年2月27日『一休さん』の中にはこう書かれています。

「私が教員だった頃に、子どもを集中させるある方法を用いていました。その頃、テレビで「一休さん」のアニメが、人気がありました。その中で、毎回さまざまな困難にあったときに一休さんは、とんちを働かせて乗り切ります。その時に、その「ひらめき」をもたらすときのスタイルがあります。禅を組み、目をつぶります。そして、両の手の人差し指をぺロリとやって、頭の両脇をさすります。そして、マジナイをした後、木魚のポンポンたたく音がしばらくした後、チーン鳴って、ひらめくのです。このスタイルは、子どもたちには人気がありました。」

今度皆で観てみても面白いかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 29『見守る保育10ヶ条』より

 

久しぶりにお客さんとして招かれました。

久しぶりにお客さんとして招かれました。

所々に工夫を感じます。

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「カードも使えますよ」

「カードも使えますよ」

見守る保育10ヶ条の第1条にこう書かれています。

『『子どもが自発的、意欲的に関われるような環境の構成と、そこにおける子どもの主体的な活動を大切にすること。(生活と遊び・ゾーン)』~子どもが自らやろうとするのを見守る~』

日々自然といる環境がどれだけ子どもたちに影響を与えているか、子どもたちの見せる姿から感じることができるように思えてきます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 28『積み木と社会性』より

「なんで取るんだよー!」

怒っている声がしたので行ってみると、わいわい組(3歳児クラス)の子がらんらん組(4歳児クラス)の子の玩具を取って行ってしまうところでした。

ところがその場所から離れないわいわい組(3歳児クラス)の子。すると、側に落ちていた木のブロックをおもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子に渡しました。

「ありがとう。」

思いがけない一言に、嬉しそうなわいわい組(3歳児クラス)の子。そうか、一緒に遊びたかったのですね。

そうして二人のブロックの時間が始まりました

そうして二人のブロックの時間が始まりました

二人で作った作品「富士サファリパーク」

二人で作った作品「富士サファリパーク」

完成を二人で手を叩いて喜んでいました。

ブログ『臥竜塾』2014年1月13日『積み木と社会性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ブロックを子どもに用意した時に、乳児はその形、素材を確かめるかのように「見つめ」「触り」「舐める」ことをします。そして、積み始めます。その後の行為は、保育園でなければなかなか見ることができないことをし始めます。それは、赤ちゃんは「積み木を見つめる」ということを、自分の目の前の積み木だけでなく、他の子が触れている積み木を見つめるのです。そして、それを触ろうとします。

同じものが自分の目の前にあろうが、他人のものに触ろうとします。これは、大人になると、「隣の芝生は青い」と言われるようなことに近いように思いますが、どうも、社会を構成して生きていく私たちの遺伝子で、関わろうとする芽生えのような気がします。

また、その行動は、時として、あたかも人が遊んでいる積み木を奪うかのように見えます。しかし、奪うという意識はなく、まだ、自分のものと他人のものという区別がないだけで、それ以上にそのものへの好奇心がそのようにさせるのです。しかし、奪われた方は、せっかく自分が遊んでいるものを取られてしまうわけですから、きょとんとするか、泣いてしまいます。そんな時に大人は喧嘩しているとか、意地悪しているとか思ってしまうことがありますが、ただそのものに興味を持つだけです。しかしこのやり取りは、将来に役に立つ、非常に需要なことなのです。」

それは幼児においてもそうなのだと思いました。

物の取り合いだと、喧嘩の仲裁をという姿勢で声をかけてしまうことがとてももったいないことであると改めて感じた出来事でした。

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 27『2017年ドイツ報告11』『ドイツ報告16』より

2017年7月7日『2017年ドイツ報告11』

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2016年8月11日『ドイツ報告16』

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ブロックゾーンに絨毯、マットが敷かれていることが主流のようです。

園にも届きました

園にも届きました

少し厚みがあり、防音効果も期待できます。

今まで通りブロックが積み上がるか、少し心配していたのですが、

十分のようです

十分のようです

自然と靴を脱ぐ子もいて、可愛いですね。

これからまたどんな作品とドラマが生まれていくのか、楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 26『ドイツ報告12』より

帰りの会をやろうとすると、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが「みんなの前でしたいことがある」というので、任せてみました。

あやとりを始めました

あやとりが始まりました

最近できるようになったことを皆に見てもらいたかったようです。すると、

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

隣に座っていたすいすい組(5歳児クラス)の子が嬉しそうに言います。

前には出ないけど、僕もその一員なんだという、その子の意識を感じるようでした。

ブログ『臥竜塾』2018年6月27日『ドイツ報告12』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「7時30分から、登園が始まりますが、登園したら、決められた受付の場所で登園を記録します。そして、上着を脱いだりしたくしたら、全員がホールに集まります。そして、参画ということで、当番が司会進行をします。

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まず、円に表された絵の針を、今日は、何月何日何曜日と動かしていきます。この司会進行は、3歳児でも可能だそうです。もちろん、朝のお集りの司会進行だけでなく、他にも、たとえば遠足や様々な催しを決めるときに代表が選ばれるときにも、3歳でも可能だそうです。また、それらに対する希望や要望、または苦情でも、代表者だけでなく、だれでも、いつでも受け付けるそうです。」

参画、ということを、体現する子どもたちの姿と照らし合わせながら、少しずつ理解していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 25『行動』より

 

製作中

製作中

きれいに細かく切ります

きれいに細かく切ります

メニュー

メニュー

楽しんでいますね

楽しんでいますね

その隣で、

わいわい組(3歳児クラス)の子が一生懸命に取り組んでいました。

わいわい組(3歳児クラス)の子が一生懸命に取り組んでいました。

塾長著『見守る保育』の中の評価スケール

塾長著『見守る保育』の中の評価スケール

重要項目ですね、筆圧が強くなる気持ちがわかります

筆圧が強くなる気持ち、わかります

大事なところは赤丸で囲んでいます

大事なところは赤丸で囲んでいます

写真を撮っていると、「お勉強してます!」と一言いただきました。

ブログ『臥竜塾』2018年7月11日『行動』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「実際に保育している保育者は、目の前にいる子どもにどうすればいいのかが課題になるのです。「子どもには非認知能力が大切である」ということはよくわかるのですが、どんなものを、どのように付けたらよいかはわかりにくいです。もっと基本的なことで言えば、「幼児教育の基本は、環境を通して行うもの」であることも平成元年に幼稚園教育要領で示されたのですが、なかなか現代にそれが実現されていないのは、具体的な方法がわからないことが多いからでしょう。それは、過去から常に課題だったのでしょう。」

余った印刷物の裏面を子どもたちに自由に、と思って提供されたものと思うのですが、思いがけない場面を生むのですね。楽しそうに「勉強」をする姿に考えさせられるものがありました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 24『遊び心』より

 

ラッキーパズル

ラッキーパズル

青いパズルが中に入っていて、型にはめるなどして楽しみます

青いパズルが中に入っていて、型にはめるなどして楽しみます

面白い工夫をすいすい組(5歳児クラス)の二人が見せてくれました

面白い工夫をすいすい組(5歳児クラス)の二人が見せてくれました

『まち』『むすメ』

『まち』『むすメ』

色々な形を考えて楽しんでいました。

ブログ『臥竜塾』2010年4月1日『遊び心』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「日本の文化は、古いものだけでなく、新しいものも世界に発信していっています。この新しいもののキーワードが、「遊び心」と言うのが面白いですね。日本人と言うと、「遊び」が苦手で、「勤勉」と言うイメージなのですが、「遊び心」には、もっと違った意味があるのではないかと思います。それは、心の余裕かもしれません。」

こういった発想が生まれる環境について考えるときに、心の余裕というものを大切にしていきたいと改めて思いました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 23『活動的』より

 

「お・た・ん・じ・よ・う・び・お・あ・で…」

「お・た・ん・じ・よ・う・び・お・あ・で…」

「『あ』じゃなくて『め』、だよ」

「あ、そっか」

誕生日カードに書かれたメッセージを読む子どもたちです。子どもたちが自分で読めるようにと漢字を用いずに書くのですが、それを読んでいる場面に初めて出会い、とても感動しました。字が読めたり書けたりするようになることで、日常の楽しさや嬉しさというのはとても幅をもつものなのですね。

「それ書くの日課になってきたね」

「それ書くの日課になってきたね」

側で見守る先生が嬉しそうに言います。朝の自由あそびの時間、自分から先生に声をかけ、その子のこの時間が始まります。

「今日はペンの色全部使ってみたんだ」

「今日はペンの色全部使ってみたんだ」

次の日のおやつ

次の日のおやつ

書き始めた当初

1ヶ月程前

楽しい積み重ねが生む成果を目の当たりにするようです。

ブログ『臥竜塾』2017年9月5日『活動的』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「私は以前(2015年8月19日)のブログで、アメリカと日本の研究の違いを書いたことがあります。この夏休みに、小学一年生の多くは家に朝顔を持って帰って、その成長を記録したことでしょう。日本では、日々の観察を積み上げて、ある法則を見つけ出していくやり方を取ります。それは、「帰納法」と言います。帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。それに対して、以前アメリカの理科の教科書を見たときに、そこでは、「演繹法」と言う研究の仕方を教えていました。これは、一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法のことです。ピアジェが採った方法はこの思考方法でしょう。

水切りの例の場合、決して子どもは試行錯誤を繰り返しているわけではありません。乳幼児期に系列だった変数の操作、ここでは石の重さだけ変化せせるとか、投げ方だけを変化させるというような操作ができるわけはないからです。しかし、手当たり次第に試しているのではなく、何らかの仮説を立て、その仮説に基づいた行動をしているのです。また、重要なのは、子どもも、科学者と同じように、決して受け身の存在ではなく、積極的に世界について働きかけて、そのあり方を知ろうとする活動的な存在であるということなのです。」

2015年8月19日『研究方法』

とても主体的で、能動的な活動が日常の細やかな部分においても展開されていることを改めて知りました。

(報告者 加藤恭平)