やっぱりSTEMは大切!

塾の報告が前後してしまい、読んでくださっている方には、

本当に申し訳ないと感じています・・・。

7月22日の報告です・・・。

今回の塾は新宿せいが子ども園の4階で行いました。

なぜかと言うと7月22日には塾セミナーがあり、終了時間が20時だったので、

そのまま4階で・・・という流れです。

せっかくなので塾セミナーの話題に少し触れたいと思います。

今月は「チーム保育」のディスカッションがメインの会でした。

4、5、6月と塾生が「21世紀型保育のススメ④」を読み解いて、

レクチャーをさせていただきました。

その内容を踏まえた上でのディスカッションというわけですが・・・。

おそらく参加されている園の皆さんはすでに実践されていると思うので、

ディスカッションの中身は「人間関係」がメインになるのではないかなー

と思っていましたが、案の定そうでした。

今回は15名ほどの新宿せいがに来ていただき、2グループに分かれてのディスカッションを行いました。

2グループとも個人の悩みであったり、園としての課題、

実践していることについての皆さんの意見だったりと、充実した時間を各々過ごしたと思います。

これまでの塾セミナーはzoomを使ってのオンラインでの研修でしたが、

ディスカッションに関しては、やはり人と顔を合わせて話し合うということは

とても大切な行為だと感じた時間でした・・・。

さて塾セミナーも無事に終えて、そのまま塾に突入です。

食事も終えて、塾長からSTEMに関して改めて話しの途中で

塾長はあるテレビ番組を録画したのを私たちに見せてくれました。

それは親子で科学実験をしている映像です。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「すくすく子育て」という番組が

科学あそびに特化した10分ほどの映像です。

3つほど実験映像を見ましたが、どれも簡単で、誰でも簡単に出来そうな動画でした。

静電気を発生させて、水道から出る水を曲げる実験!
結構曲がってますねーww

どうしても科学実験と聞くと難しく捉えてしまい、そうした活動を控えてしまうと思います。

少し前子どもの理数科離れと言われていました。

それは最初の入り口があまりにも高度なことと、認知的なものを教え込ませていることにより、

不思議だな!?どうして!?知りたい!学びたい!という意欲が育たなかったのではないでしょうか??

前々回の横田先生の報告で森口先生が実践したペットボトルの実験なんて、簡単にできますが、それでも子ども達は不思議そうに見て、楽しんでいる様子がうかがえると思います。

そうしたたくさんの経験を子ども達ができるように、色々と挑戦していきたいです。

(山下 祐)

学びの探究者

梅雨もコロナもなかなか終わりの見えないこの頃ですね。7月29日の塾報告です。

本日の塾はズームでの開催です。

9時から開始するのですが、時間前に集まった先生方で時間がくるまでまで雑談に花が咲きます。

話題は岩手県で新型コロナウイルスの感染者が二人同時に出たことでした。
あれだけ東京都で感染者が増えても感染者を一人も出さなかった県ですから、県内でも一人目の緊張感は並々ならぬものだったでしょう。ただ二人同時に出た、ということでなんだか感染者の方も救われたのではないかと思いました。ただ、無症状での感染者も多いですし、検査数も多くはありませんから果たして本当に今回の患者がはじめてか、と聞かれれば誰にもわからないことではあります。

全員が揃ったところで、今日は近況報告です。

各々様々な報告をしてくださったのですが、なかでも、過去せいが園で働きメソッドを自園に持ち帰り今最前線で活躍されている先生達からのお話がとても興味深かったので今回はそちらにフォーカスを当てた報告としたいと思います。

まず話していただいた内容のなかで、『管理職』という立場を持った先生達と、自分との間に感じた大きな違いは、なによりも子どものことを考えているのはもちろんなのですが、それと同じくらい保護者のことも考えていることでした。
今コロナで行事の開催が一切なくなったといった園もあるなか、どうすれば開催できるか、どうすれば保護者も安心して行事に参加したいと思えるかを、保護者の反応を見ながら慎重に進めていったという話を聞いて、目の前の子ども達だけで手一杯になっている私と違い、その周囲にいる存在をきちんと気にかけることで結果的に子どものためになるのではないか、など感じることが多く、私も見習わなければと痛感しました。そしてそこには自分の子どもを保育施設に通わせているからこその視点もあるような気がしました。

以前どこかで、

「男性保育士は子どもと接するときに、自分の子供にされたら嫌だと感じることはしてはいけない」

といったようなことを聞いたのを思い出しました。私はまだ子どもがいませんからその思いは全て想像になってしまうのですが、わからないからこそ今以上に慎重に想像しなければいけないと思います。

その他にも、自園での子どもの姿が少しずつ以前と変わったことに喜びを感じた話や、映像コンテンツの使い方の話など興味深い話がたくさんあったのですが、その中で特に、研修の意義についての話が私は強く刺さりました。

ある先生が

「今やっているこの見守る保育を見直したり共有したり出来ないのがもどかしい」

と仰っていました。

ギビングツリーという輪のなかで切磋琢磨しあっていたのに、今現在コロナでそれが出来ないという状況で、陳腐な表現ではありますが、

『仲間がいるということが当たり前では無いことに失くしてはじめて気づいた』

といったところなのでしょう。
そんな一言からもわかるようになにより子どものことを考えて最善を尽くしているはずでも、同じ空間で同じ相手とだけ過ごしているとマンネリが起きてしまうのだと感じます。

ただだからこそ出来ることをするといった点ではディスカッションであったり、実践発表等であればオンラインでも可能ですし、こういった状況が他と差をつけるチャンスなのかもしれませんね。

これからコロナが落ち着くかどうかはわかりませんが、子どもたちが園に来て関わりを持ちながら成長していく、という点は絶対に変わることのない事実です。これからも自分達がやっていることに自信を持つと共にそれを深く深く追求していければなと思った1日でした。

(報告 髙橋)

ZOOM 塾 7.16

梅雨がなかなか明けない今日この頃です。

しかし、新宿せいがでは、このご時世にいたっても、行事に対しての熱は冷めるとこはありません。他の園は行事を中止にするのが普通だと感じている面もあるかも知れませんが、このご時世ならではの行事の在り方について、園長先生のアドバイスの元、どのような形で進めればいいのか?

係の先生主導の元、クラス単位で考え、チームで意見を出し合い形にしていく。チーム保育のいい面を垣間見ることができました。

常に社会の情勢がどうであっても、子どもの最善の利益の為にどのようにすればいいのか考えていらっしゃる園長先生には頭が下がります。

さて今日は微妙な天気な為に、ZOOM塾になりました。最初の入りは、森口先生です、さすがの軽妙なトークを皮切りにして、先生の故郷、島根の園内研修の話です。オンラインで園長先生が話される見守る保育のスタンダードな話をされたそうです。

名司会者の森口先生、さすがです!

そこでこういう話が、どう簡単に話せば相手に伝わるのか、難しくなくシンプルに。

中国の先生たちに、ポイントだけをうまくいうことが難しいとの事でした。

自分ではなく相手にどうすれば伝わるのかを語ってくれました。

次はむらはし先生の話です。なんとオンラインでせいがの子と交流し、感じた事をいってくださいました。聞く時間にタイムラグがあり、子どもが待てない面があったそうです。

ここで、こういう話に、大阪の名物はたこ焼き。じゃあ東京の名物は?

先生方みな、確かになんだろう?と答えられない、東京は無国籍だからこれといった明確な物がないということでした。なにがおいしいかどんどん出てきました。親子丼、深川めし、江戸前寿司、などたくさんありますよね。

次は、GTの話になりました。コロナの影響で講演もできず、どうすればいいのか常に考えられている、山下先生。ZOOMでやったら質問などは、チャットでやればいいのではないか?と園長先生がおっしゃいました。

ここで先生方から、園長先生の話を生で聞くことが一番の学びになると、確かに僕もそう思いました。私も環境セミナーに初めて参加させていただいた時に直接話をきく事に意義があるのだと。社会情勢も考慮しながらベストを考えてる山下先生が話してくれました。

その中で、配信している動画の話に!本多先生の総括が鉄板で面白い。本多先生のセンスですね!何度見てもすべらない、さすがです(笑)

また新たな総括の表現がでる事を期待したいと思います!

次は、法人形態の話になりました。ステム財団を発足して、今後やっていく事になったそうです。

どんどん、先生の思想が保育業界に広まっていくのが楽しみです!

最後は5分間何かを話す時間を設けて、先生たちが話します。

加藤先生がトップバッター、でもpcの不具合からなかなか音声が聞こえてきません(笑)

なので高橋先生へ、思っている事を素直に表現してくれました。自分は思った事をすぐに言葉にだしてしまう。意図があるけど相手に伝わらない。それに対し先生方のアドバイスが、信頼関係を構築できていないからではないのか?難しい問題です。でもこれからだよという優しい先生方の言葉がそこにはありました!

次に森口先生。何にしても考えすぎてしまう、森口先生、人の顔色を伺ってしまったりと、相手の立場にたつのが難しい。他人の意図している所、ソーシャルスキル、動機を感じれる能力が必要なのだという話になりました。非常に興味深い話でした。

ここで加藤先生の音声が復活したので、力を入れている誕生会の動画を見せてもらいました。

曲もオリジナル、高住先生の踊りが最高でした(笑)

今回もたくさんの先生たちを交えてやったZOOM塾、オンラインでも色んな話を聞けるのは非常に意義があります。感謝です。

報告者 川辺

STEM教育

報告が遅くなってしまい申し訳ありません。

7月8日の報告をさせていただきます。

連日、新型コロナウイルスのニュースばかりで、なかなか気持ちが晴れませんよね。そんな中、今回の塾では、塾頭である山下先生の誕生日をお祝いしました。毎回、誕生日の日には、本人には隠してケーキを用意し、サプライズで行うのですが、今年はちょっと違うようです。

本人のいる前で、堂々と、「みんな、たすくちゃん(山下先生)には内緒ね〜、冷蔵庫に入れとくからね〜」と言って、サプライズもなにもなく、初めから知らせるノリがきています。これには塾頭も、他のメンバーも大笑いで、楽しい雰囲気のまま塾は進みました。くらいニュースばかりですが、こういう楽しい時間も大切にしていきたいですね

改めて、塾頭、誕生日おめでとうございます。

さて、話は塾長の1週間の報告から始まりました。先日、私保連の会議に参加されたそうですが、そこで、「人類は共同養育をして育ってきた」という内容の話があったそうです。塾長は保育を始めた何十年も前から同じことに気付いており、本当にすごいです。

「昔は次の子を生むために、共同養育をしてきた。現代版の共同養育を考えていくべきである。昔の共同養育から、現代版の共同養育とはどうあるべきなのか?」

大豆田先生の話の中に、

「子供の感じたことや考えたことを絵に書いたりアートにしてたりしてきた。これからは、その先にある、絵を書くだけでなく、文化的実践にすべきである」とおっしゃっていたそうです。

塾長はこれに対して

「今までの保育は確かに絵を書いたり、アートをしたりしてきた。そしてこれからに文化的実践とは、まさにSTEM教育(S:science(科学)、T;technology(技術)、E:engineering(工学)、M:mathematics(数学))のことではないか」と話してくださいました。

最近では、STEMにart(美術)のAを加えたSTEAM(スティーム)もありますが、保育の世界ではそのアートは十分にやってきており、今まで足りなかった取り組みとして、大事になのはSTEMではないかと考えているそうです。

個人的に、STEMをどういう場面で保育の現場におろすのか、これから考えていくのがとても楽しみです。

塾の報告とは関係ありませんが、森口先生は科学が得意で、「いろんな不思議」を子供達に伝えています。先日、ペットボトルを使った実験を紹介していました。とても面白かったのでぜひおためしください!笑

ちなみに、加藤先生曰く、ビックカメラにもSTEMコーナーがあったりもしたらしいです。

しかし、STEMおもちゃの中にはこじつけのようなものもあるみたいです。。。

さて、話はかわり、ゾーンの名前の話になりました。

新宿せいが子ども園に3階には、絵本や、モンテッソーリのおもちゃを置いたりして、一人、もしくは少人数で遊べるゾーンがあります。ここのゾーンに名前をなにしようかとみんなで考えました。

森口「学びのゾーン?いやー、学びではないなあ」

塾長「個々を大事にするから、ダイバーシティゾーンとか。なんかしっくりこないな」

森口「きたっ!プレイルーム!!」

塾長「塾じゃん!」

森口「プレイゾーン!!」

塾長「全部じゃん!!笑」

良い集団には良い個が必要で、良い個が良い集団を作る。集団としても大切であるが、そのためにも、個を大切にすることも必要である。

塾長「スバルゾーンもいいけど、ゾーンの名前を聞いただけでわからないよね。」

となかなか決まりませんでした。

個人的に面白かったのは、加藤先生の「籠るから、ハリネズミゾーン!笑」でした。

次は9月入学の話になりました。ある記事で次のようなことが紹介されていました。

コロナの影響で日本も外国に合わせて9月に入学という話に対し、様々な議論がされている。その中でも小学校の入学を半年遅くすることで、その分、小学校にはいってからの学力格差を広めるのではないかという問題があがっている。これに対して、半年遅くするのではなく、半年早めるといいのでは。しかし半年早めた小学校の入学に対し、異年齢で保育をしている園では、それはできないであろう。と書かれていました。(子供のことを丁寧に見れていないため、発達が十分ではないと思われているから?)

この部分に対して塾長は、「むしろ異年齢のほうができそうだけどね、3年分のことを2.5年でやるほうが出来そうだけどね。年長だけ1年分を半年でやるほうが難しそうだよね」

とおっしゃっていました。たしかに!!笑

そう考えると、本当に見守る保育はいろいろな場面で対応できますね。

そんな話をしながら、今回の塾は終わりました。

世間ではまだ新型コロナウィルスが猛威を奮っています。全国の皆様もどうかお気をつけてお過ごしください。

報告者 横田龍樹

興味深い話3

最後は柿崎先生

展示食の場所を展示食コーナーにして、様々な掲示を計画中。来月は『免疫力について』や『食べ物に含まれている糖分について』のポスターを展示予定です。充実の内容で、保護者の方々が読まれている姿をよく見かけます。食べて美味しい、見て美味しいランチですね。

そしてこの日は、

おめでとうございます。高橋先生のお誕生日。

高橋先生の好物プリン

バキバキに日々鍛え上げられた体に染みる唯一の甘味ということで、皆でジャンケン争奪戦を行いました。

森口先生には大好物のモンブランのサービス

塾頭の粋な計らいです。

「保育士の中で僕程モンブランを食べている人はいない」と豪語するだけあって、モンブランの味にうるさい森口先生なのですが、栗の味自体は特に好きではないとのこと。「マロンクリームから栗の味を感じたことはない」という深言も飛び出し、いよいよくるところまできていることを感じさせます。

そんな森口先生は野菜嫌いでも有名。

野菜と言えば、その昔(数十年前です)行われた親子遠足で、動物園へ行った時のこと。動物の食べている野菜をクイズにしたりと楽しい企画があったそうです。チンパンジーなどはチーズを食べていたりして、面白い発見もありました。

また、テーマを『乗り物』と設定した年に、地元の遊園地を舞台に親子遠足をしたこともあったそうです。観覧車の上から見て、地上に設定してある文字を読んで集めて言葉にするなど、面白いアイデアでその年も保護者の方々から反響があったとのことでした。

最後の最後まで何とも興味深いお話をいただき、学び深い夜となりました。

(報告 加藤)

興味深い話2

宮城さん

塾長と原稿を書きに石和温泉へ出張へ出られました。久しぶりの広い湯船が嬉しかったと宮城さん。原稿もとても進んだそうです。また、その間に塾長に商品の相談もできたようで、試作品ができたら持ってきてくれるとのこと。皆で意見を出したり、そんな話ができたら楽しいですね。

本多先生「大変興味深いお話でした。」

さて、そんな本多先生はGTチャンネルに出演。塾長より朝の会の意味などについてのお話があったようです。改めて塾長の話に触れ、実際に朝の会やお集まりをしている時の感覚に変化があったようで、アップされるのが楽しみですね。また、週末にチームで保育環境に必要な買い物へ出られたようで、仕事と離れて保育の話ができたことでとても充実した時間をチームで感じることができたようです。

大変興味深いお話ですね。

そして塾頭。

『塾長の著書の読み聞かせ動画の録音、配信』
『4階ハーブ園の修繕』
『 GT広報誌の発刊』
『撮った動画をYouTubeへアップ』

忙しい日々が想像されます。Fujimori Methodを発信する立場としての仕事が増えていることを、話の中からも感じます。コロナ禍においていろいろと制約が生まれ、ただ、それをそのまま受け入れるのではなく、好転させていく気概がこの状況の中では重要になると言います。塾頭の取り組みはそれをまさに体現しているかのようで、会えないからこそ出来ること、この状況だからこそできることをこれからも創造していきたいですね。

最後は柿崎先生です。

(報告 加藤)

興味深い話

雨の香りの臥竜塾。

この日の夕ご飯作り

高橋先生が下ごしらえ

川邊先生もテキパキと準備

臨機応変な動きです。

横田先生も入って皆でワイワイ

楽しい時間ですね。

そして完成

この日は牛丼、厚揚げ、きのこのお味噌汁。

牛肉たっぷりのとても美味しい牛丼でした。

さて、今回は久しぶりの塾長宅での開催でしたので、集まった塾生それぞれから近況報告を行いました。

森口先生

誕生会で行ったペットボトルの実験遊び。いろいろな種類のペットボトルに水を入れて、覗き込むと目が大きくなったり、後ろからライトを当てて面白い光を出してみたり、子どもたちから大反響があったようです。こちらはYouTubeへもアップされるとのことで、楽しみですね。

総括はzoomで参加の本多先生

「大変興味深いお話でした。」

知る人ぞ知るこのフレーズが今後炸裂し続けることは塾生の誰もがわかりながら、次の人です。

高橋先生

2年目になり、新人という立場ではなくなってきた。先輩という立場から後輩の職員へ伝えたいことをどう伝えるか、そもそも伝えようとしていること自体が合っているかどうか、とても考えさせられている。人との距離感や、自分はこういうタイプ、と思ってきた部分などについても、考える機会になっている。

大変興味深いお話でした
川邊先生

自粛が明け、子どもたちの人数も増えてきている。活動の流れに乗れない子もいて、慎重に保育をしている。また、本来ならこの時期に2歳児クラスの子どもたちには配膳の際の「いっぱい・ちょっと」などに取り組んでいるが、全体の雰囲気を見て、タイミングなどをクラスで話し合っている。

大変興味深いお話でした
横田先生

「メダカ泥棒を捕まえました。」

園の外堀で飼育していたメダカ。横田先生が休日にふと園の側を通ると何やら怪しい人影が。なんと園のメダカを網ですくおうとしていたその瞬間に立ち会っていたのです。勇気を出して声をかけ、メダカを無事救出。

横田先生お手柄です

続きます。

(報告 加藤)

哲学・人類学・歴史学から見るコロナ新時代 後編

前回の続きです・・・

またまた間が空いてしまい、読んでくださった方には大変、読みにくいかもしれません。申し訳ございません・・・。

さて前回は「人の死」を軽視しているのでないか?と言う國分氏の提言で終わりました。

飯島氏

【人類と感染症の関わりはいつから??】という問いに対して、

「1万年くらい遡ることです。人類が農業を開始するということは、森林を切り開くなど生態系へ介入することである。と言うことは、農業というのは生態系に対してかなりの負荷をかけてしまっている。そうなると、もともと森林にあった、病原体と人が交錯することになり、結果的に感染症にかかってしまう・・・。また野生動物を家畜化することも、大きな要因の1つである。農業は人が集まって、共同作業をすること、それが文明化である。その文明化によって生態系と人間の距離が徐々に縮まり、かつ人が集まることで感染症が起きてしまうのを1万年繰り返してきている。」

山際氏

「ゴリラは10から20頭で生活をしているため、常に互いの顔をみて生活している。同調していることで仲間であると確認して認識しているが、それがないと、仲間であると認識しなくなる。それに対して、人間は数年離れて、また戻ってきても仲間であると認識できる。進化の過程で「離れ合う」ということも、社会の作り方の条件として認めてきた。それをもう一度思い出す必要がある。」

國分氏

「人と会うということはどういうことか?そのことを真剣に考える。人に会うことを制限された時に、何が起こるのか??

アガンベンはお見舞いは慈悲の心で行うもの。それもできない。怪我した人、病気の人はどうなってしまうのだろう?精神的、身体的に大きな打撃になってしまうのでは?といっています」

山際氏

「人間が「言葉以外」で使ってきたコミュニケーションの手段を、新型コロナによって失ってしまうのではないか??信頼を「言葉だけ」に依存してこなかった。身体と身体が共鳴しあう中で信頼を形づくってきた。身体を共有しないと信頼は作れない。今、人と会うことができないため、言葉だけでどう信頼を作り上げていくのか?人は共感しながら人間社会を作り上げてきたが、その中で言葉は後から出てきたから、一番信頼できるコミュニケーション手段ではない。今、身体の共鳴が失われ、「言葉だけで繋がる社会」に放り出された時に、人間が一体どうなるのか??人間は言葉を登場させるよりも音楽を先に発明したと思っている。

「気持ちを伝えるコミュニケーション」音楽は人と人の間を共鳴させる一番いい装置である。そういうものをもう少し多用して、情報社会にも人と人が共感できる仕組みを作ったほうがいい。

続けて山際氏がコロナ以前に戻れるのか??という問いに対して・・・

「今、ビジネスを一気に再開させてしまうと、モノの移動、開発、大気汚染がコロナ以前よりもひどくなってしまう可能性がある。それは、また新しいウイルスを呼び起こしかねない。野生動物から感染してしまうことに注目して、自然破壊をやめることが必要だし、地球の環境が変わり始めているため、地震、津波などの災害によって、そこから私たちが接したことがない新たなウイルス、細菌が出てくる恐れがある。氷河の下、深海の生物・・・地球にはバランスがあるため、人間の手で、地球の秩序をこれ以上壊してはいけない。細菌やウイルスも悪いものばかりではない。人間にとっていい働きをしてくれるものもいる。地球は「細菌の惑星」であって、あるいは「ウイルスの惑星」であって人間は主人公ではない。バランスを壊さないような地球の管理の仕方を真剣に考える封鎖や接触を禁止したとしても人間らしい社会を営めるのか?今後、パンデミックを経験した国が、初めてパンデミックを経験した国を助けていく。これから国を超えて助け合っていかなければいけない時代が来る。その時に先陣争いをするのではなく、国と国がどのように連携できるのかを考えていく必要がある。」

最後は山際氏の言葉で締めくくられています。

今回、3人の対談を見ることで、改めて人間として大切なこと。

決して忘れてはいけないことを気付かされた気がします。

個人的に一番印象に残っているのは「死者の権利」です。

親族でさえ故人に会えないというのは、本当におかしい気がします。

もちろん感染リスクを抑えるためとは言え、

最後までちゃんと送ることができないのは、おかしい気がします。

また山際氏の話から、私たち保育現場で何を大切にしないといけないのか?

直接的な話ではないにしろ、通じるものが見えてきた気がしますし、

見守る保育を学んでいる人は同様に感じたのではないでしょうか?

途中、哲学者の話など難しい表現があり、理解しにくい箇所もあったかもしれませんが、

今、コロナの状況で社会が変わっていこうとしている中で、

変化して良いものと、変化しではいけないものを教えていただきました。(報告者 山下祐)

カーポラヴォーロ

6月17日の塾報告をさせていただきます。
この日は邨橋氏が行った「チーム保育」の塾セミナーを無事に終えたお祝いとして外食をしました。外食をした場所は以下の部分をクリックしてみてください!

カーポラヴォーロ

↑クリックしていただけると公式ホームページにいきます。

というお店で行いました。ここは藤森先生の御用達のお店であります。
コロナの影響でお客さんが少ないというお話もあり、少しでも助けに慣ればなという思いもあり、訪れました。

乾杯を済ませ、お食事を楽しみました。
まずはいただいたお食事をずらっとのせさせていただきます!
もう全て美味しくて塾生は出されたらすぐに食べるスタイルで貫いておりました。

天然酵母のパン
オレンジ色のものが人参が入っているそうです。
人参のスープ
人参、オリーブオイル、塩、胡椒、水のみでできているそうです。
非常に美味!!伝わりますかね〜。
ナポリタン
以下に説明がありますので一読を…

料理名を忘れてしまいすいません…覚えているものだけ、書かせていただきました。

いやー、今見ても食べたくなります。

上のホームページをご覧になった方はわかると思いますが、
「からだが喜ぶお料理」と「笑顔溢れる時間」をというのが初めに出ていますね。

そこでシェフである鳥海さんという方のブログを拝見させていただきました。
そのブラグから引用させていただきます。
↓クリックしていただけるとブログへ飛びます(写真付きのものへ)

プロ野球を目指す野球少年だった私は、バイトで関わった飲食業界の魅力に引き込まれ、気づけばイタリア料理人を志すようになっていました。そして24歳の時にあてもなく裸一貫でイタリアミラノに。働き口も見つからず路頭に迷っていた頃、以前日本で知り合った方の紹介でミシュラン一つ星を獲得し続けている「JOIA」のシェフと出会う事ができたんです。この出会いが今に繋がる原点となり、大きなターニングポイントでした。「JOIA」では、自然栽培や有機栽培といったこだわりの野菜や、添加物を含まない食材、調味料をメインに使用していました。肉や魚を使った伝統的なイタリアンを学びに来たはずが、野菜をメインとした料理を看板にしているそのお店のスタイルに衝撃を受けました。当時はお金もなく、お店の賄いなど野菜中心の生活になっていたので、若かった私には正直物足りなさを感じてたのですが・・・日本にいた頃はコンビニ弁当や冷凍食品といった生活だったため、自然に近い食材に囲まれた生活を重ねるうちにみるみる自分の身体と食への概念が変化していったんです。半年~1年立ったころには、体が軽くなったり体調が良い状態続いたりと目に見えて変化が。
「やっぱり食って大事だな」と強く思うようになったんです。イタリアでの修行中も何度か日本に帰省するタイミングがあったのですが、コンビニで何気なくとったおにぎりを見て愕然としました。原材料が添加物だらけで、パンに至ってはさらにその倍も添加物が使われていました。「体にとって入れなくていい物ばかり!こんなの絶対におかしい!」という想いが、自分が学んだ食の素晴らしさを日本で発信したいと考えるようになった大きなきっかけとなりました。そうしてできたのがこのお店、「カーポラヴォ―ロ」です。

こちらがシェフの思いとなります。

このお話を生で聞くことができ、塾生一同食い入るように聞いていました。

特に印象的だったお料理がナポリタンでした。
その料理の説明がこちらになります。

「まずはケチャップを使うことなく作られていること。マッシュルーム、ピーマン、玉ねぎ、ソーセージ、というシンプルな具材ではありますが、野菜は自然栽培といい、無肥料、無農薬のものを使っています。ソーセージは無添加で放牧豚のものを使っています。一週間に一度でもいいからそう言った自然に近い状態のものをご家庭で使って欲しいなという思いでこのお店を始めたので、こう言った自然に拘った食材を使うようにしています。全部が全部できるわけではないですが、家庭でもこういったことに目を向けていただけたら、5個入っている添加物のものを2個にしてみるといったことをしてもらい、思考が変わっていくようなきっかけになっていただければという思いでやっています。」

色々お話を伺いましたが、やはり無添加のものを食べることで体の調子が良くなるというのは頷けますし、我々が以下に添加物を多く摂取しているかがよくわかりました。

ちなみに…


スラッシュの後に書かれている食品は全て添加物だそうです。何か食べ物や飲み物を買う際は表示を見て買うといいかもしれませんね。

そしてこのご時世ですのでお客さんも少ないということで色々と先のことを先手先手で考えているそうです。先を読む力というのは保育同様大事なのですね。

たまにはこんなブログもどうでしょうか。
ぜひカーポラヴォーロ に足を運んでみてください。

報告者 本多悠里

哲学・人類学・歴史学から見るコロナ新時代 前編

少し間が空いてしまいました・・・。

6月3日に行われた塾の続きです。

前回に続き、3人のオンライン対談の内容をお伝えしようと思います。

箇条書きになっているので、少し内容が掴みにくいかもしれませんが、

ご了承ください・・・。

まず最初のテーマは・・・

山際氏

「今回のコロナウイルスは人が移動しやすい集まりやすい時代に、非常に賢く適応している。

産業・教育・政治を根本から考え直す必要がある。」

國分氏

「「ウイルスは差別しない」と言われているが、

現代の「格差社会」を健康の面でありありと示す可能性がある

潜在的に人間が他者にとって脅威を持つ存在になっている

人間関係の社会が変わってしまう」

飯島氏

「歴史上で見ると、今回の状況は繰り返されてきている。

2009年新型インフルエンザが起きた時と同じ状況になっている。

マスクが不足 医療機器の不足、医療崩壊の危険性など・・・。

その対応をしている最中に2011年の東日本大震災の対応に追われ、

震災の対応に関心が動いてしまった。

そのため、新型ウイルスへの対応の準備が未完成のまま起きてしまった。」

3人の発言はどれも納得のいく言葉ですね。国分氏の人間が他者にとって脅威を持つ存在となっているというのは、確かにそうかもしれません。

例えば電車の中で咳をした途端に周囲から避けられ、軽蔑な目で見られるでしょう。前からマスクをしていない人が歩いてきたら、自然と避けて歩いたり・・・少し前までは全くそんな事がなかったのに、今回の一件で人間関係の社会が変わると言うのは身にしみて感じる部分です。

次は山際氏から飯島氏への質問です。

山際氏

「今回の感染症によって人間の社会がどう変わったのか??

もとどおりに戻るのか??感染症が変えたものとは??」と言う問いに対して

飯島氏

「ヨーロッパがハワイを開拓しようとしたら、ヨーロッパから持ち込んだウイルスによって、たくさんの人が亡くなってしまった。

そのため、労働力を確保するために日系人などのアジア系の人を労働力として連れてきた結果、現在のハワイで日系人などのアジア系の人が多い。

現在のハワイを表している一つの背景として「感染症の来襲」である。

今回のコロナの影響で小さな島国は早々に外国からの入国を止めたのは、自分の国がハワイのように無くなってしまう可能性がある、そういった歴史を知っていたから早々に入国禁止をした可能性がある。」

この問いに答えた飯島氏のあとに山際氏はこう話しました。

山際氏

「人間の社会の作り方にとって、重大な危機である。

人類という種は信頼できる仲間の数を増やすように進化してきた。人々が移動することによって、集団と集団との関係を密接に作ってきた。

人が移動、人が集まることによって国が作られ、国同士が連携しあってグローバルな社会を作り上げてきたが、それが今回のコロナで崩されてしまった。

接触と移動を禁じられた事には、社会の作り方を根底から覆されてしまった・・・。」

藤森先生がよく講演でも人は社会を形成する事で進化してきたと言われますが、社会を形成するということは、人が集団を形成することです。

子ども達も、集団で遊ぶことで多くのことを学んでいます。その集団や人と接することを禁止されてしまうということは、人は進化できない。学ぶこともできないという事になるのは、山際氏がいうように「重大な危機」です。

ここで國分氏が違和感を感じるとのことです・・・

国分氏

「統計的に人口を扱う。人をコマとして見ていることに少しも疑問を持たないことに違和感。」

・・・少し難しい表現かと思いますが、そのあとの飯島氏の言葉で理解できます。

飯島氏

「感染者の数に一喜一憂している。疫学は数学であるが、一人一人の顔が見えない・・・。集団でしか人間を捉えないという問題は確かにある。一人一人の感染、死が数字としてしか表されていない。」

確かに毎日のニュースで「今日の東京の感染者は・・・」という数字の方に敏感になっているかもしれません。昨日より少ない!⤴︎今日は昨日より少し増えた⤵︎など、数字でしか見ていなかったかもしれません。大切なのは「一人一人の顔」と表現をしていますが、特に感染によって亡くなってしまった方、人の命を大切にしなければいけない所を、数字で表して片付けている状況が違和感なのかもしれません。

ここで山際氏が哲学について問いをかけました。

山際氏

「新たな哲学の時代。新たなウイルスの出現によって、人間の生きる意味が変わるのだろうか?」

これに対して哲学者の國分氏は

「哲学は問いを立てることによって見えてくるものがある

イタリアの哲学者ジョルジュ・アガンベンと言う人物が今回のコロナに関して

イタリアの政府に対して少し批判的な意見をしたことに炎上してしまう。

そして補足説明を行った

言いたかったことは大きく分けて2つ

・死者の権利

新型コロナウイルスに感染して亡くなった方が、葬儀を行われずに埋葬される。

親族ですら会うこともできない。

人が亡くなってしまった方を大事にしない、お見舞いすらできない。人が死者に対して敬意を払わなくなった時に社会はどうなってしまうのだろうか?

「生存以外の価値を認めない社会」

生存だけを価値として認めてしまう。

感染してしまうから人と接しない、葬儀も行わない。そんな社会に入ってしまい、そういうことに少しも疑問を持たないことに、人間の関係、社会はどうなってしまうのだろうか?とアガンベンが問いています。

そしてもう1つが

・移動の自由         

近代社会の法体制では一番が死刑で一番下が罰金で、その間が移動の制限である。人間にとって移動をすることが極めて重要であるということを理解していたため、移動を制限すること刑罰として採用している。それだけ移動を制限すること人間社会にとって非常に酷なことである。そのことを重く受け止めているのか??

ソクラテスは哲学者はアブのような存在である。

みんなが飛びつきやすい意見が出た時に「本当にこれでいいのか?」と何度もしつこく問いかけることが哲学者の役割である。アガンベンはアブとしての役割を果たしている。

本当にそのまま突き進んでいいのか?突き進んだ時に社会はどうなってしまうのか?このアガンベンの問いかけをしっかり受け止める必要がある。

仮に葬儀を行われない、死者に会うことができないことが認められたとしても、そのことに少しも疑問を抱かない。なにも考えを持たないで受け入れてしまったら、社会はおかしなことになってしまうのではないか?とアガンベンは私たちに問いている。死者に対して敬意持つのは、社会が大事にしてきたことを守っていくことである。今まで作り上げてきたものを守っていかなければいけないと思った時は過去のことを考える。それが原理原則を守ろうという気持ちになるが、死者に対して何の敬意も持たなくなると、

今まで大事にしてきたことに何の配慮もない・・・。

ペラペラの薄い現在だけが残ってしまう・・・。」

この言葉を聞いて去年の春に亡くなった祖母の葬儀を思い出しました。

親族一同が集まり、祖母を偲び、私が知らない話をたくさん聞きました。また地域の人も参列してくださることで、社会との繋がりを改めて感じます。

それを感じさせてくれたのは祖母が残してきた遺産だと思います。

ニュースで志村けんさんがコロナに感染し亡くなってしまいましたが、親族が志村けんさんに会うことができたのは、遺骨になった志村けんさんでした・・・。

この状況にコロナだから仕方ない、というのは確かに変だと思います。

かといってニュースで見ましたがオンラインで葬儀を行うのも、変だと思います。もちろん感染のリスクを減らすのは、人の命がかかっているので重要なことですが、そうだとして「人の死」を軽視しては絶対にいけないことだと思います。

さてここで対談の前半を終わりにします。(報告者 山下祐)