3・4・5歳児の子どもたちの姿を見ていると、紙に好きな形や模様、絵を書いたりする姿は見られますが、文字を書いている子どもの姿はなかなか見られません。確かに、文字の読み方やその言葉が意味することを理解したりすることは、絵を描くことよりも難易度が高く、手の微細な運動も必要になるでしょう。しかし、以前、友だち同士で楽しそうに「てがみ」を書き合っている子どもたちの姿が見られました。大人から見ると、何と書いてあるのか分からない形の文字が羅列してありましたが、子どもたちは絵と同様、誰かにこの気持ちを伝えたいと思い、一生懸命「文字」を表現していたのだと思います。つまり、文字を目的とすることではなく、文字を何かの手段とする環境が用意できれば、子どもたちは自然と文字に親しむことができるのではないかと感じました。文字と言えば「絵本」だと思います。この絵本ゾーンを使って、子どもたちが、もっと文字に親しむことはできないかと考え、「えほんマイスターへの道」という試みを始めました。
現代で使われているかわかりませんが、一般的にも知られている図書館にある「図書カード」というものにヒントを得て、3・4・5歳児の個人別で「絵本カード」というものを作りました。そのカードには、自分が読んだ絵本の題名と、読んだ日付を書く欄があります。(文字が書けない子どもは、文字が書けるお友だちや職員にお願いして書いてもらったりしています。)また、その本は自分にとって「かんたん」だったか、「ふつう」だったか、「むずかしかった」かを、顔の表情で表されている絵を塗りつぶし自己評価します。数字や文字を使って、自分に対しての自信や物語を通し、次なる意欲に向ける手段として表現できること、同時に自分が読んだ本の認識、そして物語の面白さに気づけるきっかけともなることを願っています。
3・4・5歳児の部屋には、300冊の絵本があります。そのなかで、3分の2の数である200冊を達成したら「絵本マイスター」の称号が与えられます。その称号がもたらすものは、「名誉」と「責任」です。まず、「えほんマイスター認定証」がもらえます。それは、絵本ゾーンに飾られるので、みなから賞賛されることでしょう。次に、普段は職員が子どもたちに読む本を選びますが、その本を選ぶ作業を「えほんマイスター」に頼みます。つまり、子どもたちの様子や季節もの、こちらが伝えようとしたいものといったように、子どもたちの姿を見て、今日のみんなにはこの絵本がいいのでは?といったようなことを考慮して選んできてもらうよう職員が頼みます。そして、新しく絵本を購入するときの選定員のメンバーとして加わってもらう予定です。責任重大ですね。
文字を書くことが目的ではなく、絵本マイスターになってみんなに貢献することが目的です。その過程で、絵本カードを通して子どもたちは文字に親しんでいるのです。すでに、150冊を突破した子どももいます。絵本マイスターが誕生する日が楽しみです。
(投稿者 小松崎高司)
以前に作品を残していいという話を少ししたと思います。
どおぶつとびいだまのおうち♡と書いてあります。(子どもの顔はぼかしています)
これはこれを立てることにより、誰が作ったのかがわかり、
どんなお友だち同士が関係して作っているのかがすぐにわかります。
また作った際に子どもたちは非常に嬉しそうに
「あれちょうだい!」と言ってきます。
さらにこれを立てる時に自分で書きたいと言う子も現れてきます。
自分で書くということは文字を理解する働きへとも移っていきます。
○○ゾーンとありますが環境によって様々なゾーンにも関係してくることがわかります。
そして、以前臥竜塾でブロックの話が出ました。
その際には、ブロックで遊ぶ子どもらしさの最終目的はなんであるかという話題になりました。
長方形や立方体といった精密に作られたブロックで橋など塔を作る。
橋を支えるためにはどうしたらいいのか。などなど…
そんなブロックの遊び方は子どもらしくないのではないかという疑問です。
子どもは形が様々でもどうにか色々な物を作り上げます。その中で一緒にやる楽しさや、
協調性を学ぶと言ったことが大切なのではないかということです。
さらに上記にあるように、立て札があり、これは自分たちが作ったという意思表示から、
一週間のうちにその立て札がいっぱいになりそれが友だち同士で繋がり、みんなで
大きな街になることが最終目的ではないかという結論です。
それぞれが作る作品たち
ブロックゾーンというところから様々な学びが含まれていることに改めて気づかされます。
(報告者 本多悠里)
先日園に、おもちゃ業者さんがいらした時に、面白いおもちゃを教えてもらったので紹介したいと思います。
それはこれです。
柿にも見えるこのおもちゃ。なんとなくの形と紐があるところから、独楽だろうなということがわかると思いますが、、、肝心の紐をかけるところがありません。
「独楽であってるんだけど、回し方わかる?」といわれ、何とかやってみたのですが、私は教えてもらわないと回せませんでした。
「つり独楽」という独楽らしいのですが、別名は「いじわる独楽」というそうです。
なぜいじわる独楽というかというと、何も知らないと回せない人が多く、それを見て喜ぶからだそうです。とまあ、まさに別名の通りおじさんを楽しませてしまいました。
回し方は
紐を半分に折り、折った紐を独楽の上のでっぱりにかけ、初めは手で独楽を回し、その後はぶんぶんゴマの様に紐のねじれを利用して回そうです。
実際にやってみると、やり方を知ってしまえば、とても簡単でよくある紐独楽よりも簡単で楽しく思えました。
なぜこんな簡単で楽しいものが、もっと出回っていないのかと尋ねたところ、こう教えてくれました。
この独楽は江戸独楽の一つで、作るのにとても技術が必要で、それを作る職人さんもとても少なくなってきているということでした。今回の独楽もなかなか手に入らず、職人さんのお弟子さんに無理を言って作ってもらったということでした。
調べてみたところ、独楽の歴史は古くその発祥は諸説ありますが、現存して残っているの最古独楽はエジプトで発掘された紀元前2000年から紀元前1400年頃の独楽といわれています。日本においては平安遷都の頃の7世紀の頃といわれているそうです。
今回の江戸独楽の由来は。
独楽はもともと貴族階級の楽しみであったのですが、江戸時代に入り、大衆向けになり、独楽を扇子に乗せたり、綱渡りをさせるといった、様々な曲芸を披露する寄席演芸が流行ったそうです。その頃に様々な技術や形の独楽が作られ、「江戸独楽」となったようです。
しかし、その後、徐々に衰退して、伝統的技術を伝承してきた職人たちも今では数えるくらいにしか残っていないということです。
古き良きものがなくなってしまうのはとても悲しく、また今あるものよりも楽しめそうな魅力を秘めているものもたくさんあると思います。
その中でも1つのこの「つり独楽」。こういったものを子どもたちに体験させてあげ、古き時代の伝統や技術を守っていくのも私たちの役目なのかなと感じました。
まだ、実際に子ども達には遊ばせてあげていないので、遊ばせてあげる日を楽しみに、、、やり方を教えずに、にやにやしたいと思います(笑)
(報告者 西田泰幸)
以前、子どもに「電気で動く物はなんでしょう?」という質問をしてみました。「とけい」や「テレビ」という返答が出る中、驚くほど現代的な物もあがりました。それは、「スマホ」や「車」です。子どもたちにとって、それらは日常になりつつある物なのでしょうね。
そこで、それらは“レモン”でも動くかもしれないという話をして、塾長がドイツ土産として子どもたちに買ってきてくれた『レモン電池実験セット』を使って、時計が動くかを子どもたちの前で試してみました。子どもたちは、実際に時計が動き出す様子を見て、「うごいてるー」や「なんでー?」と、不思議そうな顔つきで口々に言っていました。私も仕組みが分からなかったので、「なんでだろうねぇ」と言ってしまいました。
後日調べてみると“レモン果汁は、イオンが含まれている電解質であり、この電解質にイオン化傾向が異なる2種類の金属をいれると金属の間に電圧が生じるため時計が動く”といった感じだそうです。説明文を読んでも、頭に「?」が浮かびました。しかし、私も含め、「不思議だなぁ」に出会える場が心地よいのは、理解できることだけでは、きっと、人生つまらないといった思いを本能的に感じているからかもしれません。いつでも、好奇心旺盛でいたいと思った出来事でした。
(投稿者 小松崎高司)
懐石料理は一汁三菜が基本とされていています。先ず初めに、亭主自ら運び客に手渡します。客側から見て膳の手前左に飯碗、手前右に汁碗、奥に一菜目の向付(むこうづけ:お造り)が置かれ食べ始めます。徐々に二菜目の煮物椀(にものわん:煮物)が出されます。これは懐石のうちで一番の御馳走で、材料の取り合わせ、季節感、味付けに亭主がもっとも心を込める一品になるそうです。三菜目の引重(ひきじゅう:焼き物と香の物)という一汁三菜に八寸(はっすん:海の幸と山の幸の取り合わせ)、強肴(しいざかな:塩辛などの酒盗類)を加えてフルコースになりましたが、その後の茶事の都合で変化させていくのですが、要は客と亭主の心のつながりをスムーズに運べればいいのです。
客が最後のお茶をもっとも美味しく飲めるように、亭主は品数や量を調整させていきます。
また懐石の中で正客が亭主に「どうぞお持ち出しを」と挨拶する場面があるそうですが、これは亭主も一緒に御相伴しましょうという思いやりの心だそうです。
話しは少しずれますが、先日テレビを見ていた時に「女性の浴衣」についての話をしていました。「女性が着る浴衣はきちんと着るとやはり暑いものなのですが、それを涼しげに着て歩き、浴衣に描かれている絵柄も涼しげなものが多いのは、すべては他人がその姿を見たときに涼しさを感じられるように」と言っていました。
また、日本のモノを作る技術が海外から高く評価されるのも職人が、使う人に対して「使いやすいように」や「壊れにくいものを」といった思いやりがあるからだと思います。日本人の「おもてなし」や「他人を思いやる」という気持ちは本当に素晴らしく感じます。
懐石料理も『利休七則の「冬は温かに、夏は涼しく」を基本に、一つずつの持ち味を大切に楽しみ、季節感を意識することが大切で、自然の教えるままにさからわずに順応し、体で一つずつを体得していくことが大事です。知識だけではおいしさは出ませんし、心の豊かさも出ないのです。』とありました。
人と人とのつながりや感謝の気持ち、他を思いやる心が懐石料理から感じ取れました。(投稿者 柿崎)
この休みを利用して、久しぶりに映画を見にいきました。
その見た映画は「宇宙兄弟 #0」。宇宙の話だけでなく、そこには組織論やリーダー論、家族論などいろんなことが詰め込まれていて、考えさせられる物語なだけに私は好きです。
いろんなシーンの中で普通に見ていると他愛のないシーンだったのですが、終わって考えてみるととても良いシーンであったと思うシーンがあったので紹介します。
それは主人公の弟で宇宙飛行士の日々人が幼少期の頃の話です。日々人は幼少期、家で飼っていたハムスターが亡くなったことで自分が「死」というものに初めて向き合うことになり、「死」というものを意識するようになったというエピソードです。
あるとき、日々人が飼っていたハムスターが死んでしまいます。そこで母親が「ちゃんとお葬式をしてあげましょう」といって、家族でハムスターの葬式をすることになりました。いつもはおちゃらけて、のほほんとしている両親がその日は喪服を着て、近所の裏山まで家族で向かいます。そして、両親は穴を掘り、ハムスターをその穴にいれ、みんなで手を合わせます。父は「ちゃんとお別れをすることが大事だ」と伝え、母は「今までありがとう」を伝えて、「あなたといれて楽しかったよ」を伝えて、最後に「さよなら」って伝えるのよ」と話します。たった一幕のシーンなのですが、この両親の子どもに対する真摯な姿勢はとても私に響きました。
実際保育の中で「死生観」を伝えるということはとても難しいことです。何度か私も保育で金魚が死んだときなど、話をしましたが、なかなか伝わりません。なぜなのかを調べていくと、いろんなの心理学者の方々が子どもの死生観についてどう感じているかの研究がされていることがわかりました。しかも、それらは発達段階に分かれているのが実に興味深く、見ていると勉強になります。
テキサス大学のアンダーソンがんセンターの小児がん病院において、マーサ・アッシェンブレンナー氏が主催した「子どもの悲嘆の表現」を研究したプログラムでは、「子どもが発達していく中で、死というものをどのように受け止め、表現するのか」を研究しており、それぞれの発達段階ではどのような特徴があるかが紹介されていました。
0~2歳までの子どもたちは「死」というものを認識はしていないが、親しい保護者がいなくなることについて不安になります。その表現は機嫌や睡眠に現れます。
そして、3歳くらいまでは「死=寝ている」ことと誤解し、その誤解がより多くの不安を引き起こす時期だそうです。そのため、大事な人が亡くなったことを伝えても、何度も繰り返し質問をする。そして、やはり不安から食事や睡眠などに影響がでることがあるそうです。
6歳くらいまでは心の中でその人は帰ってくるものだと考えている段階であり、『死』は一時的または、徐々に起こる出来事として捉えており、死んでも元の生きている状態に戻ると思っている。その反面、この時期は自分の行為が死を招く原因になったと考えがちになるそうです。
そして、児童期に入る頃から「死」ということに興味や関心が生まれ、意識化され始めます。その一端として現れるのが「攻撃的な行動」喧嘩や戦いごっこなどに現れるようになります。また、この頃から、幼児期のアニミズムから離れていく時期であるからこそ、より「死」ということを受け止め始める時期になります。
「おおむね」で考えると納得しますね。また、保育園の場合であると、集団の中にいるだけに、ほかの子どもと共感や共有を通して、もっと理解は早い部分やそうではないことはあるのかもしれません。
しかし、とはいえ、保育園にいる子どもたちの発達段階からいうと、まだ、そこまで「死」というものを具体的に意識できる時期ではないのかもしれません。そして、その根底には幼児期にあらわれる「アニミズム」という世界観があり、生きている生物と生きていない無生物を大人とは違った世界観で見ており、「すべてのものに命はある」という姿勢で物事を見ることになり、この理論でいくと「死」を大人のようには受け入れてはいないのかもしれません。
とはいえ、「死」を捉えていない時期だから言わないのではなく、こういった発達段階を踏まえて、どう伝えていくことは必要なのか、どういった体験を経験することが大切なのか、子どもたちと向き合っていくことが必要なのかを考えていくことが大切であると思います。
いろんな資料や考えを元に保育につなげていきたいですね。
(投稿者 邨橋)
新宿せいが保育園にはブロックゾーンというゾーンがあります。
今日はそのブロックゾーンについて話していきたいと思います。
ブロックゾーンにはルールがあり、作品を作ったら残しておいていいよというルールがあります。
作品を残しておいてまたブロックゾーンが開いたときに続きができるようになるという持続が可能です。
残しておく時には自分の顔写真がついているクリップを札につけ、作品の隣に置きます。
これは私が作ったから壊さないでね、という表示をしておくことでみんながだれが作ったものか理解出来ます。
作品以外のブロックを片付けることももちろんルールです。ただ、週末金曜日になると一斉にお片づけをして
綺麗な状態で月曜日を迎えられるようにしています。
画面左下に立て札があります
そんなブロックゾーンでは子どもたちが思い思いのものを作り、楽しんでいます。
「動物園作った」「だれだれちゃんのおうちだよ!」「スカイツリー!」など様々です。
時に先生が一緒に入ってやることで遊びを発展させていくこともありますが、今では子どもたちの
アイディアだけでも素晴らしい作品が次々と出来上がっていきます。
そこには発達ごとに違う作品になっていき発達過程のようなものが見えてくることもありとても面白いです。
ここで異年齢保育の良さも生まれます。
それはほとんどのクラスの子が共同で作る時です。そんなときは上の子が丁寧に教える、
下の子は上手な作り方を見て学ぶということです。また大勢で作ることで大作が生まれます。
当たり前のことではありますがお互いに大きな刺激を与え合っているように感じます。
そして、ここからがポイントになってきます。異年齢で作られた大作をどう残し、次に繋げていくかです。
大作を作ってはい、終わりというのではなく伝承していく必要があると思っています。
異年齢で作られた物以外にも仲の良いお友だちで作られた大作も同じです。
どう伝承していくかというと、私たちはその大作を写真に撮り、ブロックゾーンの棚に貼っています。
今年は4月5月6月とその月ごとに大作ができたときの写真を撮り貼っています。子どもたちがいつでも
見られる場所に貼り、その作品達をお見本に
「これを作ってみよう!!」と張り切って作る姿も見られます。
その写真の刺激は大きく、先月こんな物を作ったのなら、今月はもっとすごい物を作ろうという意欲が
湧いてきます。子どもたちが自ら環境に働きかける姿を見られました。
月ごとの作品 (子どもの顔が出ているのでボケさせています)
こういった環境のおかげでどんどんとブロックゾーンの作品が生まれていっています。
今ではクーゲルバーンといってビー玉を転がして作る積み木が流行っていて複雑なビー玉の落ち方を作り出しています。積み木を立体に捉えているので空間認知力も自然とついてきているのではないかと感じます。
そんなクーゲルバーンの作品も写真を貼ることでどんどん発展していっています。
最初のお見本写真からどんどん発展を遂げて行くブロックゾーンは毎日子どもたちの作品であふれています。
最初のお見本
(報告者 本多悠里)
現在、新宿せいが保育園での年間テーマとして「季節を感じよう」という事で、年間の様々な行事で「季節」を大切にしています。その中で、誕生会の食事でも「季節」を感じられるように「旬の野菜」を毎月取り入れるようにしています。
先日、出張先のホテルに隣接した茶室が国宝指定されていました。そこを塾長と見学をした際に受付の横に「やさしい懐石料理」という本が売られていました。私は、調理師の学校を出て先ずホテルのコックとなり、自分の料理の基本がずっと「西洋料理」だったので少しだけ「日本料理」というものに苦手意識を抱いていました。今の保育園のテーマも季節なので、いつまでも苦手意識のままではいられないということもあり、「懐石」の本ですが勉強中です。
私もちゃんと違いが分かったのは最近なのですが、「懐石」と「会席」の違いをご存知ですか?簡単に言うと、「懐石」は最後にお茶を美味しく飲むための料理、「会席」は酒を楽しむための料理という事だそうです。それを踏まえて「懐石料理」の特徴を説明できたらと思います。
「懐石料理はフルコースではありますが、量は腹八分目になるよう、一つずつの料理が特に目立たないように、しかもリズミカルな味の起伏がなければならないのです。品格を保ちながら強い味と香りは避けつつ、しかも栄養を外れないように季節と茶会の目的に合ったものを調理することが大切です。器は料理との調和を考えて選び、さらっと、器の余白が生きるように盛り付けていきます。また、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく出せるような間のとり方を心得ておかなければなりません。これらの季と器と機のいわゆる
三(・)キ(・)を中心に献立を考え、客のために走り回って材料を調理してもてなすこと(御馳走、御奔走)を料理の真髄とします。これが茶の心でもあります」とありました。上記で「懐石料理は最後にお茶を美味しく飲むための料理」と書きましたが、最後のお茶を飲む頃にはとても心地よい幸福を感じる料理ということでした。また、「すみずみまで行き届いた温かいもてなしの数々が、瞬時に口福、眼福をもたらしてくれるのです。この後で頂く濃茶ほど美味しく感じられるものはありません」ともありました。それは全て、料理を出す側の亭主から客への「もてなしの心」と、客から亭主への「感謝の念」が通った瞬間なのだと思います。
そんな料理人に憧れつつ、この本を読み進めたいと思います。(投稿者 柿崎)
先日、家で我が子と遊んでいる時に、突然「ありの~ままの~」と流行りの歌を歌いだすということがありました。特に、TVや映画を見せたわけではなかったのですが、おそらく通っている保育園で、仲良しのお兄さんやお姉さんの歌っているのを聞いて覚えたのでしょう。
そんな様子を見て、急いで某DVDを買いに行った親バカな私ですが、、。
中には意味の分からない言葉もあるとも思うのですが、それをリズムをつけて、話せてしまうのをみて、改めて、歌の持つ力のすごさを感じました。
そこで今回は『子どもにとっての音楽』についてとりあげてみることにしました。
まず、塾長の書籍の『見守る保育 0・1・2歳の「保育」』に音楽について項目があったのでそれを振り返ってみます。
その中には、「つくりうた」なるものが取り上げられています。
「つくりうた」とは子どもが自分の言葉に即興的にメロディーをつけて口ずさんでいる歌のことで、子守唄やわらべうたには「言葉を歌にする」という法則があり、赤ちゃん知らず知らずのうちに「つくりうた」になじんでいくというものでした。
今回、我が子が歌ったのは子守唄やわらべうたではありませんが、知らない言葉も歌えるというのはそういったことが関係しているのでしょう。
また、「赤ちゃんは大人が普通に歌った歌よりも、父親や母親の問いかけやいっしょに歌うことを好むそうです。」ともあります。
今回は保育園でのことですが、身近な人が歌うこと、それは「模倣」と「歌の持つ力」が加わり、大きな影響力となっているのではと感じました。
そう感じた時、そんな影響力のある歌で、一番古くから伝わる歌はどういったものなのだろうと、一つの興味が湧きました。
あくまで個人で調べたことなので誤りもあるかもしれませんが、
日本で最も古いわらべうたは、日本の最古の歴史書「古事記」に書かれている「いもむしごろごろ」という歌だそうです。私は全く聞いたことがなかったのですが、驚くことにいまだに歌われていることもある歌のようです。
歌詞は「いもむしごろごろ ひょうたんぽっくりこ」というもので、その後の歌詞は時代とともに様々な形に変化をしてきているようです。
歌だけではなく、わらべうたというだけあり、遊びとして『何人かの子供が、縦に並んでしゃがみ、前の子供につかまって、頭を左右に振りながら「いもむしころころ、ひょうたんぽっくりこ」とはやして練り歩くもの』だったり、ふれあい遊びとして『膝の上に子どもを乗せて揺らして歌う』などといった、振り付けもあるそうです。
調べだすといろいろなことがわかり、その内容の濃さにまとめきれないところもあるので、今回はこのくらいにして、またまとまったら書いてみたいと思います。
最後に塾長の書籍の中にはこうもありました『音楽は子どもにとっては環境のひとつであり、楽しみながら関われる環境を保障することが必要です』、そして『歌を歌うのは歌手になるためではなく言葉同様、自分の気持ちを素直に表現する手段でもあるのです』
音楽や歌の持つ力を改めて大切にしていこうと感じます。 (報告者 西田 泰幸)
最近、私のうちで熱帯魚を飼い始めました。
ホワイトミッキーマウスプラティとブルーコリドラスの二匹を20㎝の小さい水槽で飼うようになりました。
魚を飼うことはどこの保育園でも飼われていることが多いのですが、魚の動きには人を落ち着かせる「1/Fゆらぎ」というものがあるそうです。
というのも、以前、長野県の黒姫高原に新宿せいが保育園で職員旅行にいった際に、「癒やしの森」に行ってきました。そこではその森の中をグループで散策し、自然を体感することができ、自然が体にどう作用するかということも一緒に教えてもらうことができました。
そこで出てきたのが「1/Fゆらぎ」であって、塾長の講演でも出てくる言葉です。
では、その「1/Fゆらぎ」とはどういったものであるかというと、Fという周波数に対して反比例する「ゆらぎ」だそうです。う~ん、難しい。
平たく言うと「自然界で起こる不規則な動きや音」だそうです。自然にあるものとすれば、ろうそくの炎の揺れ方、小川のせせらぐ音、木漏れ日などで、ほかにも電車の動きなんかもこういった効果があるそうです。
家の新しい仲間です。
また、調べていくと、(株)ゆらぎ研究所の武者利光氏によると「1/Fゆらぎ」は人間など生体のニューロン(神経細胞)は生体信号として電気パルス(電気信号)を発射しており、ある細胞の発射間隔を調べたら、その間隔が「1/Fゆらぎ」をしていたことが研究で分かったそうで、人間の生体リズムそのものが「1/Fゆらぎ」になっており、そこから人間の快適性と関連があるという結果が出ています。また、人間がリラックスしたときに出るα波の周波数も「1/Fゆらぎ」だそうです。
「1/Fゆらぎ」は「ピンクノイズ」ともいわれ、youtubeなどでたくさんその音が紹介されています。そして、その一つが「母親の胎内」の音として紹介されていました。実に興味深く、4月当初、泣いている1才児に対してその効果があるのか試して見るとなんと皆、ピタッと泣き止みました。よく赤ちゃんは3歳くらいまで胎内のことを覚えていると聞きますが、本当なんですね。
いろいろと調べてみると「ヒーリングミュージック」や森本レオの声、たけもとピアノの財津一郎さんの歌など、この「1/Fゆらぎ」は身の回りにたくさんありました。
こういったものも含め子どもたちの環境の中にいれていくことも必要なことですね。
(投稿者 邨橋智樹)