10の姿①

平成30年度より施行される新しい保育所保育指針の中に「幼児期の終わりまでに育って欲しい姿」として、10の項目が新たに追加されました。どれもとても大切なことが書かれてあると思うのですが、文章だけを読んでもいまいちどのような姿なのか私自身、ピンとこない感じがありました。ですので、この場で、文章と現場での様子を自分なりに照らし合わせて、どのような場面のことを言っているのだろうかと考えて、より理解していきたいとなと思いました。
よく分からないことを言ってしまうかもしれませんが、その時はコメントしていただけると助かります笑

まずは、アの「健康な心と体」ということで、「保育所の生活の中で、充実感をもって自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせ 、見通しをもって行動し、自ら健康で安全な生活をつくり出すようになる」とあります。

まず、「充実感」とはどういう意味なのだろうと思ったので、辞書で調べてみました。すると、「心が満たされている、満ち足りているという心情」とありました。次に心が満たされているというのはどういうことだろうかと考えてみました。満たされているというのは、子どもの欲求が適切に満たされているということに繋がるように思います。指針の中に情緒の安定という言葉がありますが、この情緒の安定は子どもの欲求が適切に満たされていることで、安定すると藤森先生がお話しされていました。子どもの欲求が満たされているというのは、それぞれの子どもの発達にあった環境が用意されているということになると思います。

左手に持ち替えたり、

子どもはこのように心が満たされることで、自分のやりたいことに向かって挑戦していけるのだと思うと、この充実感というのは信頼できる大人に見守られながら、いつも自分の欲求に応じた活動ができていること、発達にあった環境があるということになるのではないでしょうか。
だとするとその姿は0歳児クラスからも見ることができます。信頼できる大人のもと赤ちゃんたちは自らの発達にあった環境で過ごしています。新宿せいがでは、ズリバイ、はいはい時期の赤ちゃんは手の届く所、目の届く所に置かれたおもちゃに興味関心が生まれるように、その時期の赤ちゃんの環境はあえておもちゃを散らかすという環境設定をすることで、それを刺激しています。まさに「自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせ」ているということにつながるように思いました。また、2歳児クラスや、345歳児クラスの環境でも自分がやりたい、発達にあった遊びができるように、あらゆるゾーンが用意されていますし、ゾーンの内容も発達の幅を考えたものが置かれてあります。そして、子どもが主体となり、どのゾーンで遊ぶが選択し、自発的に遊びを展開することはまさに、「充実感をもって自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせている」ことになるのではと思いました。

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また「見通しをもって行動し、自ら健康で安全な生活をつくり出すようになる」というのは、子どもが自ら主体となって生活し、遊んでいるからこそ、生まれる姿になるのかなと思います。大人に指示されて動いていたり、大人が決めた遊びで遊ぶという生活を続けていると、自ら「見通しを持って行動する」ということはできなくなってしまうように思います。自分で考えて、動くということを生活の面でも、遊びの面でも行なっているからこそ、健康で、安全な生活を送れるのではないでしょうか。

最近、藤森先生の講演の中でも、移動距離の長い赤ちゃんの方が危機管理能力が高いということをお話しされます。いろいろな場所を動き回っているからこそ、何が危険で、なにが安全かを理解できるのですね。

01歳児の部屋の環境は、その部屋の中であれば基本的にどこへ行ってもいいというものになっています。みんなが遊んでいる場所から、ちょっと抜け出し、水道のところへ行ってみたり、布団が敷いてあるところへ行ってみたり、食事スペースに行ってみたりと、子どもたちは探索意欲を満たすように動き回っています。もちろん、大人はその姿をしっかり見守っておられます。また、園の中には階段があります。0歳児クラスの子たちも後ろ向きに上手に階段を降りていますし、手すりをしっかり持って降りる子や、慎重に降りる子、成長してくると体のバランスをとりながら手すりを持たずに降りる子と様々です。安全、安全と言って、環境の中からこのような環境をどんどん取り除いてしまうと逆に子どもたちの危険を回避する力を弱めてしまうことになると思うと、このような環境があることも大切ですね。

 

また、この時期は園で体調が悪くなる子も出てくるのですが、上のクラスの子たちになると自ら「なんか気持ち悪い」や「お腹が痛い」「疲れた」「頭が痛い」ということを訴えてきます。本当に細かく自分の体調を言葉にできる子どもたちには驚かされます。

ということを思うと、まさに新宿せいがの環境や大人の見守るという関わり方が、「保育所の生活の中で、充実感をもって自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせ 、見通しをもって行動し、自ら健康で安全な生活をつくり出すようになる」という子ども像をうむ環境になっているように感じました。
よく、藤森先生は指針を読み込んだからこそ、このような保育になったということを言われますが、改めて、そのことを感じました。

投稿者 森口達也

マッサージ機

以前に、私がおもちゃ美術館に行った際にこんな報告をさせて頂きました。木の車に対して、どう遊ぶかというレクチャーのもと、私がどう考えたかという報告です。

『例えば木の車のおもちゃを走らせるとき床を走らせるのではなく、子どもの体を走らせることでコミュニケーションが生まれるということでした。子どもにうつ伏せになってもらい、何人かで円を作ります。うつ伏せになってもらった背中を走らせることだ自分のところに車がくると自然と興奮し、笑い声が生まれるそうです。尚且つお尻を通る時は「おや、お山があるぞ」や頭を通るときに「大きな岩があって通れない」などいうことで子どもが意識して頭を下げ、平らにしようとしたりもするそうです。

私はこれを大人がやるのではなく、子ども同士にやってもらい、子ども同士が意図的に体を触れ合える体験も含めてやれることがいいのではないかとも感じました。』

といった報告でしたが、いつかやってみたいなぁと思っているところでした。

先日の小松崎氏の報告でありました、「発展土産」という中でどこかに行った際に保育を潤してくれる土産を紹介してくれていました。

その小松崎氏は他にもこんな物を(3.4.5歳クラス)に買ってきてくれていました。

画質が悪いですが…

画質が悪いですが…

これは単純にマッサージをする道具であります。

さすがですね、こんな風にやってみたいというものをこのタイミングで持ってきてくれるというのはまさに阿吽の呼吸ですね。笑

木の車ではありませんが、子ども同士で使うことで楽しい発展がありそうだということでさっそく保育の時に使いました。

夕方保育でこの道具を使ってお友だちの体をマッサージしてあげようというテーマで声をかけてみるとたくさんの子が集まってお友だち同士で楽しめました。

その様子がこちらですが、やはり、自然と笑顔になっている様子がわかります。

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ちなみに先生も子どもたちにやってもらい、身体をほぐしてもらいました。笑

こういったことでもコミュニケーションの一つとして使えることが見ていてよくわかりました。道具が少ないため、ある先生がなくても出来るマッサージを子どもに教えたりと発展していきます。そんな発展も楽しみの一つです。

このように意図して子ども同士が触れ合える環境を作ることで少し違った子どもの姿が見えました。

塾長や小松崎氏の土産というのはいつも保育に潤いを与えくれます。

この意識というのは私も見習い、常に持ち合わせていきたいものです。こうした保育園全体を考えられる職員が多いからこそ、保育が潤っていくのでしょうね。

土産を買ってきてくれる職員にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。

(報告者 本多悠里)

「はかる」こと

先日、近所の雑貨屋さんにふらっと入ると、布製の「身長計」が目に止まりました。最近、「文字・数・科学」という視点から保育を行っていくよう意識していたので、目に止まったのだと思います。

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さっそく購入し、次の日に壁に設置してみました。すると、子どもたちは次々に興味を持ち始めていました。初めは、自分と友だちの身長を比べていましたが、次第に様子が変わってきます。

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身の回りにある様々な物を比べ始めたのです。

 

私は、“きっと身長を測るだろう”といった予想のもと、「きみのしんちょうはなんせんち?」という言葉を添えたのですが、子どもたちの飽くなき好奇心は、それに留まることなく、様々な物の長さを調べ始めたことから、「いろんなものをはかってみよう!」といった言葉でもよかったなぁとふと感じました。子どもの行動というのは、良い意味で大人の予想を裏切ってくれます。その柔軟さについていける、幅の広い予想を持たなくてはと思います。

 

そんな思いを抱いている時、同じ保育室内に紙上の「身長計」が既に貼られていたことに気がつきました…。恥ずかしい話なのですが、その存在を認識していませんでした。ここで感じたのは、同じ環境があっても、アプローチの仕方や環境を設置する場所によって子どもの反応は違ってくるということです。きっと、子どもの「動線」の話も関連していると思うのですが、私が設置した場所は、既存の「文字・数・科学」ゾーンのそばではなく、普段お昼寝や、ホールに行く際に必ず開ける扉のすぐ横に設置してみました。これには、私なりの意図がありました。

 

ある例え話です。

あるビルのエレベーターが、非常に遅いという苦情がオーナーのもとに来ました。つまり、待ち時間が長いのです。オーナーは困りました。なんとか、あまりお金をかけずにこの問題を解決したいなぁと思っていました。

みなさんなら、何をするでしょうか?

3…

2…

1…

アンサー!

そのオーナーはというと、エレベーター前に「鏡」を設置したそうです。その途端、その苦情はなくなっていったそうです。私も、詳しくは分かってはいませんが、きっと同じ待ち時間でも、鏡で“自分の身なりを整える”という時間を作ったことによって、待ち時間に別の付加価値を加えたのだと感じています。

この話を思い出し、普段、上の階に行く時には必ずこの扉の前に並んで待っている子どもたちの時間を、「数」の時間にしようと考えたのです。

そして、ふと、物を測っている子どもたちは何を知りたがっているのだろうと思いました。長さを知って何をするためなのでしょう。よく理解できていませんが、物を測り、大きさを知る行為というのは、ある決断を行う時に必要不可欠な情報としてなくてはならない存在なのだと思います。その決断のスムーズさが、物を測る行為と関連しているのではと予想します。まるで、その物と自分との距離を図っている行為のようにも感じました。様々な情報の中から、子どもたち自身で必要な選択ができるような環境を考えていきたいと思っています。

(報告者 小松崎高司)

輪回し(アドバイス)

江戸時代にはやった「輪回し」は、たるや桶などの「たが」を使ったことから「たがまわし」と言われていましたが、その場合は、真ん中に溝がありませんので、先が二つに割れた木の枝などを使ってまわします。wamawasi1 (1)

昭和初期になって、自転車のリムを使うようになり、その時は1本の棒で、それを溝にあてて回します。

回し方のコツは、図のように輪の下から3分の1のところに棒をあてるとうまくいきます。wamawasi1 (2)

味付け

うんどうマイスターに続き、もう一つの取り組みを紹介したいと思います。

運動会では走る、くぐる、登る、跳ぶ、転がる、バランスをとるなど、個人的な運動能力の発達過程を見てもらう「個人競技」というものがあります。それを見てもらうことで一人一人の発達をじっくり見てもらいます。
毎年行っていることではありますがここで少しの味付けをすることを研修旅行で学んできました。

その取り組みはこういったものです。

3歳児クラスの競技

4歳児クラスの競技

4歳児クラスの競技

5歳児クラスの競技

5歳児クラスの競技

 

個人競技でなにをやるかのかというのを保育室に掲示するということです。
こうした掲示をすることで保護者の方も今年はうちの子はこんなことをするのかということを把握してから運動会に臨めるかたちになります。尚且つうんどうマイスターのスタンプと同様にコミュケーションの種にもなるように思います。こんなことをやるんだったら休日にやってみるか?というように我が子を応援するようにもなるのではないでしょうか。

この取り組み関して、保育者側の意図性と細やかさをとても感じます。
「毎年行われる行事でも、その味付けによって子どもたちの楽しみが増したり、印象を変えることができます。」と塾長はおっしゃっています。子どもたちに対しての工夫ではありませんが、保護者に対しての工夫も必要です。
「工夫が必要ですが、だからといってその行事の趣旨を変えたり、奇をてらったものは、かえって焦点がぼけてしまいます。」
「変えてはいけないものと変えるべきもの」ということも塾長はおっしゃっています。
まさに保護者に対してのこの掲示というの変わべきことだと思う取り組みだと思います。尚且つこれを作るに当たって同僚は「これを作りたい!」と言い、楽しんで作っていました。正に職員が行事を楽しむことへとも繋がっている様でした。

この島根の研修旅行で様々なことを考える良い機会となりました。
この場を借りてお礼させてください。
ありがとうございます。

(報告者 本多悠里)

うんどうマイスター

先月、職員研修旅行で島根の保育園を見学させていただきました。
様々な環境が見やすく、細かいところに気を配られていることで非常に参考になる保育園でした。

見学させていただいた保育園さんは運動会シーズンということで様々な取り組みをしていました。

その中で参考にし、実践した取り組みを紹介します。

その名も
「めざせ!うんどうマイスター」笑

表紙

表紙

中身はこういったものです。

てつぼうの用紙

てつぼうの用紙

マット、平均台、鉄棒、跳び箱、などそれぞれ用紙があります。
それぞれの用紙に書いてある項目を子どもが読み、自分ができたと思う所にスタンプを押していきます。
読めない子はお兄さん、お姉さん、先生に読んでもらうなどしてやっていきます。
必死で字を読もうとする子もいます。この取り組みから体を動かすことと、頭を使うことの両方をすることができることがわかります。
スタンプを押しているとき、字が読めない子がいると、ある職員が
「あの子に教えたらみんなに教えてくれるよ!」と言う姿もあり、子ども同士の横のつながりも期待できるものでした。
話は戻り、初めにマットと平均台の用紙から始まり、少したってから鉄棒の課題が「届いたよ!」というように渡していきました。
課題がくることで子どもたちのやる気も上がっていきました。
このマイスタースタンプを作ることでそれぞれがどこまで出来るかを把握することもでき、自分が次どんなことを頑張ればいいのかが明確にわかってき、自己理解にも繋がるように思います。更に保護者の方が見ることによって我が子が今どんな取り組みをしていてどんなことができるのかを家庭でも把握できます。
運動会前日にはそのスタンプからこれを頑張る!などというコミュケーションを取れる種にもなることでしょう。
このアイディアを研修から取り入れるとこで発見が見られることから、相乗効果のような感覚で保育が楽しくなっていく感覚を覚えます。

更にもっと保護者に運動会のことを理解してもらうための取り組みがありました。
それは次回紹介したいと思います。

(報告者 本多悠里)

死生観

この休みを利用して、久しぶりに映画を見にいきました。

その見た映画は「宇宙兄弟 #0」。宇宙の話だけでなく、そこには組織論やリーダー論、家族論などいろんなことが詰め込まれていて、考えさせられる物語なだけに私は好きです。

いろんなシーンの中で普通に見ていると他愛のないシーンだったのですが、終わって考えてみるととても良いシーンであったと思うシーンがあったので紹介します。

それは主人公の弟で宇宙飛行士の日々人が幼少期の頃の話です。日々人は幼少期、家で飼っていたハムスターが亡くなったことで自分が「死」というものに初めて向き合うことになり、「死」というものを意識するようになったというエピソードです。

あるとき、日々人が飼っていたハムスターが死んでしまいます。そこで母親が「ちゃんとお葬式をしてあげましょう」といって、家族でハムスターの葬式をすることになりました。いつもはおちゃらけて、のほほんとしている両親がその日は喪服を着て、近所の裏山まで家族で向かいます。そして、両親は穴を掘り、ハムスターをその穴にいれ、みんなで手を合わせます。父は「ちゃんとお別れをすることが大事だ」と伝え、母は「今までありがとう」を伝えて、「あなたといれて楽しかったよ」を伝えて、最後に「さよなら」って伝えるのよ」と話します。たった一幕のシーンなのですが、この両親の子どもに対する真摯な姿勢はとても私に響きました。

実際保育の中で「死生観」を伝えるということはとても難しいことです。何度か私も保育で金魚が死んだときなど、話をしましたが、なかなか伝わりません。なぜなのかを調べていくと、いろんなの心理学者の方々が子どもの死生観についてどう感じているかの研究がされていることがわかりました。しかも、それらは発達段階に分かれているのが実に興味深く、見ていると勉強になります。

テキサス大学のアンダーソンがんセンターの小児がん病院において、マーサ・アッシェンブレンナー氏が主催した「子どもの悲嘆の表現」を研究したプログラムでは、「子どもが発達していく中で、死というものをどのように受け止め、表現するのか」を研究しており、それぞれの発達段階ではどのような特徴があるかが紹介されていました。

0~2歳までの子どもたちは「死」というものを認識はしていないが、親しい保護者がいなくなることについて不安になります。その表現は機嫌や睡眠に現れます。

そして、3歳くらいまでは「死=寝ている」ことと誤解し、その誤解がより多くの不安を引き起こす時期だそうです。そのため、大事な人が亡くなったことを伝えても、何度も繰り返し質問をする。そして、やはり不安から食事や睡眠などに影響がでることがあるそうです。

6歳くらいまでは心の中でその人は帰ってくるものだと考えている段階であり、『死』は一時的または、徐々に起こる出来事として捉えており、死んでも元の生きている状態に戻ると思っている。その反面、この時期は自分の行為が死を招く原因になったと考えがちになるそうです。

そして、児童期に入る頃から「死」ということに興味や関心が生まれ、意識化され始めます。その一端として現れるのが「攻撃的な行動」喧嘩や戦いごっこなどに現れるようになります。また、この頃から、幼児期のアニミズムから離れていく時期であるからこそ、より「死」ということを受け止め始める時期になります。

「おおむね」で考えると納得しますね。また、保育園の場合であると、集団の中にいるだけに、ほかの子どもと共感や共有を通して、もっと理解は早い部分やそうではないことはあるのかもしれません。

しかし、とはいえ、保育園にいる子どもたちの発達段階からいうと、まだ、そこまで「死」というものを具体的に意識できる時期ではないのかもしれません。そして、その根底には幼児期にあらわれる「アニミズム」という世界観があり、生きている生物と生きていない無生物を大人とは違った世界観で見ており、「すべてのものに命はある」という姿勢で物事を見ることになり、この理論でいくと「死」を大人のようには受け入れてはいないのかもしれません。

とはいえ、「死」を捉えていない時期だから言わないのではなく、こういった発達段階を踏まえて、どう伝えていくことは必要なのか、どういった体験を経験することが大切なのか、子どもたちと向き合っていくことが必要なのかを考えていくことが大切であると思います。

いろんな資料や考えを元に保育につなげていきたいですね。

(投稿者 邨橋)

健康作り

以前に活動報告でけん玉検定のことについて書きましたが新たにけん玉について
面白いことが見つかりました。
 
それはとある新聞に掲載されていまいした。その名も「けん玉フィットネス」
 
どうやら今密かにブームのようです。
現在では米国の若者たちの間で「かっこいいスポーツ」として人気を博し、国内に逆輸入されて密かなブームになっているようです。確かにテレビでも取り上げられ、以前ハワイに行った時にもお店に普通にけん玉が並んでいましたし、実際に町中でけん玉を持っている若者もいました。
  
そんな中けん玉をエクササイズに取り入れる試みも始まっているようです。
 大手スポーツクラブが4月からけん玉をしながら足腰を鍛えるというフィットネスプログラムを全国58施設で始めているようです。
 
そのフィットネスを考案した方は幼い頃にけん玉をしていた経験からけん玉の屈伸運動は筋肉のトレーニングになると思い始めたようです。
基本型は肩幅に足を開き、中腰になるスクワットの姿勢。このフィットネスに興味を持った方がやった感想を紹介します。
『言われた通りやっていたつもりが、「膝が前に出過ぎてますね。」と早速指摘された。
太ももにかかる負担を無意識に減らそうとして、体が前のめりになっていたためだ。
お尻をつきだし、いすに深く腰掛けるような正しい姿勢にしようとするとひっくり返りそうになった。
そこでけん玉が登場。
玉を前に乗せて体の正面で構え、中腰になってみる。するとけん玉を持つ腕が、ひっくり返りそうになる体を引き戻すような感覚になり、バランスよく正しい姿勢が取れるようになった。その姿勢からリズム良く屈伸を繰り返す。慣れてきたら立ち上がる際に玉を上げて、
しゃがむときに皿でキャッチする。数分で足がプルプルと震え、汗が吹き出てきた。太ももとお尻の筋肉にしっかり負担がかかっている証拠だ。』とありました。
基本型

基本型

応用型

応用型

けん玉の効果として、けん玉を体の前に持つことで前後の重心が取りやすくなり、
トレーニングの初心者でも効果を実感できるそうです。
実際に私もやってみた所かなりキツかったです。ただ、けん玉があることで意識が
そちらにいき普通のスクワットより、楽しめる印象を受けました。
更にフィットネスのみならず、健康作り、介護予防に役立てる取り組みもあります。
ある施設では高齢者向けのけん玉教室を開き、大皿と中皿を往復する「もしかめ」
などを指導しているようです。
けん玉なら雨天でも屋内の狭い場所で全身を使って長時間続けられるというメリットが
あります。
調べによるとけん玉をした前後の心拍数や呼吸量などを測ると、時速3.6キロのゆっくり
とした歩行に相当するという結果が出ているようです。
肺機能を高める有酸素運動として適していることがわかりました。
このことから普段運動をしないという年配の方までも1時間程度やるようになっているようです。昔やっていたけん玉だから手に取りやすいということです。
このようにけん玉をやっていた経験からここまで発展することを知ると自分がやってきたことで何か人のためにできることはないかと振り返ってみたくなります。
一つのことでも様々な枝分かれを生み出すことを学んだ記事となりました。 
(報告者 本多悠里)