Red floor philosophy episode 2 ちとち

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4月。環境に慣れることは子どもたちにとっての大きな仕事の一つのようですね。。登園後、涙涙の時間を過ごしていたちっち組(0歳児クラス)の女の子です。

それとは対照的に、フロアー中を歩き回り、既にぐんぐん組(1歳児クラス)と一緒に園庭で遊んでいる同クラスの男の子(5月生まれ)がいます。

女の子の気が紛れればと、男の子のいるぐんぐん組の部屋へ行ってみることに。

すると、

 (はい、どうぞ)

(はい、どうぞ)

ドラマは突如として始まりました。両手に持っていた玩具の内の1つを、誰も何も言っていないのに、女の子に渡したのです。

写真手前の女の子はもらった玩具をこちらに見せています。何かを確認するような表情です。

写真手前の女の子はもらった玩具をこちらに見せています。何かを確認するような表情です。

その女の子の視線につられて、男の子もこちらを見ます。こちらの反応を待っているといった印象です。

「よかったね〜!」「嬉しいね!」など、思わず出てしまった声に安堵するかのように、女の子から笑い声が起きました。そして、

この表情!

この表情!

いい笑顔ですね。 

男の子は、

頭を触って(撫でて)!

頭を触って(撫でて)!

 

女の子の嬉しそうな様子を確認するような姿を見せてくれた後、

少し離れます。女の子の嬉しそうな様子を確認するような姿を見せてくれた後、

自分の次の興味へと、向かっていきました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年1月4日『道徳のかけがえのない部分』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私たちの道徳感は、二つの部分から成り立っていると彼(『ジャスト・ベイビー:赤ちゃんが教えてくれる善悪の起源』著者ポール・ブルーム氏、発達心理学者)は考えています。道徳は、私たちに生まれつき備わっている部分から始まっているからだと言います。そしてそれは、目を見張るばかりに豊かでもあるのです。赤ちゃんは道徳的な生き物だということは明らかになっています。進化のおかげで、他者に共感し、他者を思いやることができます。他者尾行動を評価することもできます。正義と公平も少しは理解しています。しかし、私たちは、単なる赤ちゃんを超えた存在なのです。私たちの道徳のかけがいのない部分、私たちを人間たらしめているものの多くは、人類の歴史と、個人の発達の過程で現われます。それは、私たちの思いやり、想像力、そして、合理的思考を可能にするたぐいまれなる能力の産物であると結論しています。」

涙で過ごしてきた時間を、彼はわかっていたのでしょうね。

そして、とても興味深いのですが、その後この女の子は、

大きな柱の向こうへと行ってしまった彼を呼ぶように、

その白い大きな柱の向こうへと行ってしまった彼を呼ぶように、

 「ンパッ。」とその方向へ声を出すのです。

そして、数分後。

再び戻ってきた彼に、

(さっきはこれ、ありがとう。)

(さっきはこれ、ありがとう。)

 

(どういたしまして。)

(どういたしまして。)

玩具を返すのです。

そうして先程とは打って変わって落ち着いた女の子を抱えながら、0歳児クラスにおける子ども集団の織り成すドラマに、少し呆然とする思いがしました。

(報告者 加藤恭平)

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