1歳児の科学

明けましておめでとうございます。

今年も、子どもたちからたくさんのことを学んでいきたいと思います!

 

科学とは、「不思議さを感じること」であれば、乳幼児期から科学が自然に行われているということになると思います。実際の子どもの姿と共に報告していきたいと思います。

 

ある0歳児は、気化式加湿器に興味を示していました。ボタンを押してみたり、光っている部分を見たりしていましたが、ある部分から「ゴォ〜」っと音がしていることに気がつきます。手で探り、その部分を探し当て、そこから出る風に関心を向けます。風がどこから来ているのかと穴を覗こうとすると顔に「ブワァ〜」と風があたり、それが気に入ったようで繰り返し顔を出していました。

不思議

不思議

公園へ散歩に行った際に職員がシャボン玉を吹いて、子どもたちはそのシャボン玉を手で掴もうとしたり、パチンッと割ったりしていました。その流れが一段落し、周囲を見渡してみると、枯れ葉のついた枝を持って、それをじーっと見つめている1歳児がいました。その様子をうかがおうと近づいてみると、その子は私の存在に気がつき「ついたー!ついたー!」と叫びました。

初めは何のことか分かりませんでしたが、よく見てみるとその子が持ていた葉に、小さなシャボン玉が割れずについていたのです。それを、教えてくれていたのだと理解できました。あんなに簡単に割れていたシャボン玉が、こんな葉っぱに割れずに引っ付くなんて、不思議ですよね…。

不思議

不思議

また、ある1歳児は、公園にあったペイントマーク部分の一部にぽっこりと膨らみがあることに気がつきました。手でそれを押すと、なんとも言えないプニプニ感で、子どもたちは何度も押しては、上がってくる様子を見て、また押し返すといった遊びを繰り返していました。まさか、こんな部分にプニプニが存在しているなんて想像もつきませんよね(笑)子どもが持つ“科学アンテナ”のすごさを思い知らされました。一人が楽しそうにしていると、近くにいた子もやってきて、結果的に3人で楽しんでいました。

不思議&面白い

不思議&面白い

そして、1歳児が園庭で遊んでいた時です。

階段下の物置きスペースに、以前流し素麺に使われた竹が置いてあったので、それを引っ張り出し、斜めにセッティングして坂道を作ってみました。そこへ上から小石を落とすと、カランコロンカランコロンときれいな音がしました。私自身非常に気に入って、大きさの違う石を落として楽しんでいました。素材が竹ということもあって、きれいな澄んだ音がカランコロンとするのです。すると、その様子を見ていたある1歳児が、「私も」といった感じに私が使っていた石を手に取り、私と同じように上から落し入れました。

検証①:石ころ

実験①:石ころ

子どもの面白いところは、落とす物を変えていくというところです。

検証②:シャベル

実験②:シャベル

子どもは、石だけじゃなく、別の物を次から次へと落し入れ、それがどうなるのか試すということをし始めたのです。その子がしばらく繰り返していると、また別の子がやってきて「私も」といった感じに、また別の物を持ってきては、落としいれていました。

検証③:縄

実験③:縄

検証④:まあるいスポンジ

実験④:まあるいスポンジ

大人からみれば「これは転がらないだろう…」と思う物でも、試します。その様子は、まるで科学者です。ありとあらゆる現象を試し、“もしかしたら…”に可能性を見出す姿が、本当の科学者のようでした。

検証⑤:ボウル

実験⑤:ボウル

1歳児が過ごす中にも、不思議さという「科学体験」が存在しているのですね。

(報告者 小松崎高司)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟番外編

先日の報告の番外編です。公園での出来事から面白い発見がありましたので、報告させていただきます。

これは公園に着くまでの道中での一コマです。

「落ち葉がいっぱい降ってるから傘さしてるのー」何とも可愛いですね。

「落ち葉がいっぱい降ってるから傘さしてるのー」何とも可愛いですね。

公園では川の水かさが増して、いつもと違う雰囲気に。大喜びの子ども達でした。

公園では川の水かさが増して、いつもと違う雰囲気に。大喜びの子ども達でした。

公園を管理して下さっている方と。

公園を管理して下さっている方と。

雨上がりで風も強かった為に、公園はほとんど貸し切りのような状態でした。そんな中、外に出た仲間のような、同志のような(?笑)そんな感情が湧いたのでしょうか、「こんにちはー!」「はい!帽子あげまーす!」など(笑)いつも以上に関わろうとする子どもでした。

先日の報告で、落ち葉のじゅうたんや、風に流されていく雲を見て喜ぶ子ども達の姿を報告しました。そして上記の出来事も含めて、もしこの日、一年目の職員が「今日は部屋で遊びます」と判断をしたならば、また、散歩に出ようとするその判断を、先輩風を吹かしたような形で(?笑)僕らが潰してしまったならば、出会えなかった光景であることに気づきます。

それは、本当にもったいない。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2007年11月26日『伝統と文化』の中でこう書かれています。

日本の伝統や文化を見直し、それをどう進化させ、今の日本に活用し、世界に貢献していくかを考えることはとても重要なことです。今、世界でも日本の文化が再評価されています。それは、物だけではなく、生き方、生活の仕方なども再評価されているのです。環境保護、エコ、リサイクルに対する考え方、生活の知恵なども「もったいない」で表される日本人の考え方が注目を浴びています。しかし、私は、子どもたちに「日本の伝統、文化を勉強するように!」という前に、もっと、日本の伝統的な教育のあり方、学習のやり方なども検証してほしいと思います。

10年近く前のブログから、今年度のテーマである『伝統』にスポットを当てたブログを書かれています。脱帽です。

話が逸れてしまいましたが(笑)この日本人が得意とする〝もったいない〟という精神、考え方をもつことで、保育に膨らみと豊かさがプラスされるのではないか、とそんな風に感じました。

そんなことを思っていると、

椅子に置いていた子ども達の帽子が風で吹き飛んでしまいました。

椅子に置いていた子ども達の帽子が風で吹き飛んでしまいました。

 

でもきっと大丈夫。子ども達がやってくれます。

何も言わずに見ていると、

「あー!帽子があっちにいってるー!」

「あー!帽子があっちにいってるー!」

「もー!私がやってあげるね。」

「もー!私がやってあげるね。」

「一緒にやるー!」

「一緒にやるー!」

「ニンニンジャー参上!」

「ニンニンジャー参上!」

最後にはニンニンジャーまで登場していただき(笑)帽子はあっという間に集められていました。

今年は、本当に子ども達から学ばせていただきました。

来年も、子ども達の成長を見守りながら、たくさんのことを学んでいきたいと思います。

そして、

生臥竜塾ブログをいつも読んで下さっている皆様に、心から感謝いたします。

皆様の声が、僕ら報告者の原動力です。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

2016年が皆様にとって最高の年になることを祈りつつ、この度の報告を終わります。

(報告者 加藤恭平)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟完結編

「公園は濡れていると思うので、道を歩いて探索に行こうと思うんです。」

雨上がりの午前中の活動を自分で判断をして決めた一年目の職員の姿を追うことで、新しいリーダー像が浮かび上がってくるのではないかと思い、この度の報告を書いています。その完結編です。

さて、とことこ歩いていると、いつもの公園の近くに出ました。

探索と言ってはいたものの、目的地もなくこのまま楽しんでいけるのだろうか。

老婆心ながらそんな懸念を抱いた矢先、

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と、笑いながら言っていました(笑)

僕は、これも対人知性の一つと捉えます。もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に改めて〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

新宿せいが保育園は、活動やその日の流れを組むクラスの〝リーダー〟という役割が順番に毎週回ります。年度の始め、4月頃に、1番から◯番(クラスの人数によって数字がかわります)を決め、調整をしながら順番を定めていきます。年度の途中で変わることもありますし、また、時に自分の番号を超えて動くこともあります。その日のシフトによってもかわることがあるので、絶対厳守というような怖いもの(?笑)ではなく一日の流れをスムーズに促す為の、いわば〝基準〟のような、とても臨機応変なものです。

リーダーとは、誰のリーダーなのかというと、もちろん職員間、その週のクラス間のリーダーなのですが、あそびを提案していく、時にあそびを引っ張っていくという意味では、子ども達のリーダーでもあると思います。

そのリーダーが対人知性に優れること。空気を読む力を身につけることは、子ども達に対人知性を促す意味で、とても重要なことのように感じられるのです。

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と照れ臭そうに言ってはいましたが(笑)そういった判断ができるようになる、ということはとても重要なことだと感じます。

いつもの公園を目指しています。

いつもの公園を目指しています。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えてのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えたのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

「だったら川のところがいいー!」

 

という子ども達の声を受けて、結局〝いつもの公園〟から歩いて数分の川の流れのある公園にたどり着きました。

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

 

子どもの意見を尊重し、臨機応変に対応していく。チームの雰囲気、意図を察し、最善の提案をしていく。それを一年目の職員が行っています。経験年数でなく、頭でっかちな理論でもない。荒れ狂う嵐の中を突っ切っていくような勇猛さだけのものでもない。新しいリーダーの形が見えてくるような思いがします。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2015年1月12日『触媒』の中に、こう書かれています。

Science Experiences for the Childhood Years」には、こう書かれてあります。「触媒としての教師は、子どもたちに自分で考え、問題解決をするものだということを気づかせ、知的な力を活性化させます。」しかし、多くの教師は、「究極の知識源と見なされ、そのために、自分の知識と子どもの知識との隔たりを必要以上に大きく見てしまいます。そして、子どもが知的な能力を持っていることを見えにくくしてしまうのです。」としています。これは、アメリカにおける教師の実態として書かれてありますが、どの国においても同じような問題があるのですね。

 もし、触媒としての役割とする教師は、自分自身も普段から発見の喜びにあふれています。そのため、前向きで応援するような雰囲気を作り出すと言われています。このような教師像は、保育者としての自分の役割を見直すために参考になります。それは、幼児においてほど、一見、自分の知識と子どもの知識との隔たりは明らかなものと見えるからです。子どもは、何も知らない存在として長い間捉えられてきたからです。しかし、子どもは、知識の量ではなく、知的能力は優れており、それが、自分で考える力になるのです。それを、保育者は増幅してあげる必要があるのです。

あれやこれやと指図するでなく、むしろ集団が何を望んでいるかを察知し、子どもの声を汲み、職員間の思いを汲み取りながら、より良い一日を作り上げていこうとするリーダーとしてのその姿勢は、触媒というリーダー像そのもののように思えてきます。それをこの短期間で身につけるに至った彼女の手腕もそうですが、やはりこれだけの素質を伸び伸びと開花させるに至らしめた新宿せいが保育園という環境に、改めて驚きと、尊敬の気持ちが湧いてきます。

また、この日、我らが誇るベテランの先生がいない中での保育だったことも、とても大きな意味があったように感じます。以前藤森先生から〝守破離(しゅはり)〟について話をいただきましたが、それに近いものをこの日の保育の中から感じました。

Wikipediaには守破離(しゅはり)について、こう説明されています。

〝まずは師匠に言われたこと、を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身とについてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。〟

本当にまだまだまだまだ未熟な僕たちですが、先輩方が築き上げて下さった礎たる土台を基に、幾分か〝自分〟というものを表現しつつある段階にきているのかもしれません。後輩の成長を嬉しく思うと同時に、自分もまたこうして見守っていていただいていることを感じ、藤森先生、中山先生、そして諸先輩方に改めて感謝の気持ちが湧いてくる、そんな一日となりました。

(報告者 加藤恭平)

 

この公園でも面白い子ども達の姿を見ることができました。次回の報告で、お伝えしようと思います。

不思議さを感じること

塾長に「科学って何ですか?」という質問をした時、このような言葉が返ってきました。

「不思議さを感じること。説明はいらないよね。」

 

この言葉を軸に、先日の「文字・数・科学」の講座に挑みました。その際、子どもたち(5歳児)に「どんなことが不思議だなぁって思う?」という質問を投げかけてみました。するとこのような言葉が返ってきました。

 

A君「ひとつの磁石を木の下に持っていってね、上の磁石が動くこと。」

→きっと、間に物があったとしても強力な磁力で引きつけ合うことを言っているのだと思います。

 

B君「あのね、まあるいやつを回すと逆にも回ること。」

→これには正直「?」でしたので、3・4・5歳児の先生に聞いてみると「ラトルバック」とい玩具のことを言っていることが分かりました。これを卓上に置いて揺らすと、決して時計回りには回転せず、必ず反時計回りに回転します。無理に逆向きに回そうとしても、回転は全体の振動に変わって、ほどなく反時計回りに切り替わります。確かに、不思議ですね…。

ラトルバック

ラトルバック

身近な物でこの「ラトルバック」が作れるというサイトを見つけたのでシェアします。↓

http://www.kokukagaku.jp/06_science/064_hikidashi/064h_rattleback.html

 

C君「何でボールがバウンドするのか」

→大人は慣れすぎていて不思議と思わない部分も、子どもは純粋な視点で物を見ているようです。

 

D君「なんでブロックが上手に作れないかがふしぎ〜」

→これに関しては脱帽ですね(笑)子どもでも、自分の想像していることを現実に創造する難しさというものを感じているのですかね。遊びに関してのプロフェッショナルさを教えられているかのようです。

 

子どもたちが感じているこれらの「ふしぎ」を、体験・究明できる・している環境が科学の場所であり、さらになぜ?どうして?を体験した時、次の科学が生まれるのかなとも思いました。

そして、今回の講座でサブテーマにした部分は「日常と体験」です。子どもの日常には、多くの「文字・数・科学」が溢れおり、その部分が就学前教育の根本である「経験カリキュラム」とどう結びつき、子どもたちは何を体験しているのか、また、敷居の高いと思われている「文字・数・科学」がいかに身近で、そして“アバウトさ”とか“余白”、“遊び心”が必要であることを感じてもらうというねらいがありました。

「子どもが◯◯をしていた。あれって科学だったんだ!」「日常って面白いことだらけ!」「不思議なことってたくさんあるんだ!」を、大人が感じることで、子どもはより「科学」に関心を向けるだと思います。

大人は、この現象にはこういった原理が働いているということを話したがると思います。知識を伝えようとするからです。しかし、もう一度原点に帰ってみると、就学前教育の目的として「経験カリキュラム」という言葉が蘇ってきます。塾長の「説明はいらない」という言葉の意味が、ここにあると思います。子どもが「不思議だなぁ」っと思う環境を用意し、それに共感し、あわよくば、その経験を他の誰かと共有できる仕組みにすることが大事であると感じました。

見守る保育の特徴として、「乳幼児同士の関わり」があります。「科学」と「見守る保育」とを融合させる上での私たちの役割とは、『不思議さを誰かと共有させること』であるといった、一つの答えに至った講座までの道のりでした。

次回は、実際にあった1歳児の科学体験について報告していきたいと思います。

(報告者 小松崎高司)

ケンカです

最近ケンカがよくあります。
原因はよくわかりませんが、5歳児クラスの子たちがこのようになって話し合っているところをよく見ます。
始まったばかりの話し合い。

始まったばかりの話し合い。

そして少しヒートアップするので落ち着くために茶室に移動してもらい話し合ってもらいました。
少し聞き耳を立てていると、
A子ちゃん「全部私が悪いっていうの⁉︎」
B子ちゃん「だれも悪いなんて言ってないじゃん!」
C子ちゃん「そうだよ、ちゃんと自分の気持ちをちゃんと伝えないとわからないよ!」
などなど…
A子ちゃんはなにかと心のシャッターを閉めてしまう時があるので周りの子が少々困り顔になってしまいます。
長い時間話し合っているので少し声をかけてみました。
私「先生入った方がいい?」
すると、
B子ちゃん「んー、大丈夫!でもA子ちゃんなにいってもこうなんだもん!」
A子ちゃん「どっちでもいい。」
私「んー、そっかー、じゃ頑張って!」
と終わりました。
少しだけ見ていると、
B子ちゃん「ねぇ、どうしたら許してくれるの??」
とあれやこれやとB子ちゃんの気持ちとなって考えているようでした。
どうしたら仲直りできるのかを必死で考えている様子といいますか。
早く遊びたいという気持ちもあったと思います。笑
私は別の仕事があり離れなければいけなくなり、そこから去りました。
そして20分後くらいにスッキリとした顔でみんなが出てきました。なかなか出てこなかったので私はすっかり忘れてしまうほど。
どうやらB子ちゃんC子ちゃんの説得が効いたのかA子ちゃんの心が落ち着き仲直りしたようです。
その後はなにもなかったかのようにケラケラ笑っています。
どんな説得をしたのかは今だにわかりません…
長いケンカは結末がふにゃっと終わったり、いつの間に?ということもあります。
そんな状況で子どもたちはなにを学んでいるのか…
どうなのでしょう。
そんな様子を今後報告し、共有できたらいいなと思います。
報告者 本多悠里

20時30分のクリスマスツリー

その場、その瞬間によって保育の形は変化し、同時に、できることとできないことが生まれるのだと思います。その日に生まれた“できる事”は、閉園間際の3人占めのクリスマスツリーでした。

閉園間際のクリスマスツリー

閉園間際のクリスマスツリー

大人数がいれば、部屋の電気を消す事もできません。日中であれば、日光によってせっかくのイルミネーションが半減してしまいます。少人数になり、日が落ちたからこそできることですね。

横からはクリスマスソングがひっそりと流れ、光輝くイルミネーションを見ながら、「わぁ〜!見れてよかったね〜。」等と3人での会話を楽しんでいます。きっと、これが独り占めであったら、会話は“できない事”ですね。

また、仮に1人だけ残ったとすれば、このクリスマスツリーは独り占めです。保育園で、物を独り占めできることはなかなかないですから、それはそれで貴重な体験ですね。

そして、一日の保育園を、最後まで満喫してもらいたいですね。

(報告者 小松崎高司)

よォーこそ!〜よく来てくれた ドーゾヨロしく!〜

先日、にこにこ組(2歳児クラス)から、仲良しだったお友達が一人転園をしてしまいました。

 

寂しい気持ちも束の間、12月1日から新しいお友達がクラスにやってきています。

赤い服の男の子(以下 赤井くん)が新入園児の彼です。慣らし保育初日からどんどん遊びの中に入っていける子で、もう既に違和感なくそこにいますね(笑)

赤い服の男の子(以下 赤井くん)が新入園児の彼です。

 慣らし保育初日からどんどん遊びの中に入っていける子で、もう既に違和感なくそこにいますね(笑)

すると、青い服の子(以下 青井くん)、黄色い服の子(以下 黄色くん)が遠慮をし始めました(笑)これこそ対人知性の一つであると思います。

堂々とした遊びっぷりに、青い服の子(以下 青井くん)、黄色い服の子(以下 黄色くん)が遠慮をし始めました(笑)

これこそ対人知性の一つであると思います。

ここで、もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に〝対人知性〟について紹介させていただきます。

 

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

 

子ども達にこの力が育まれていることを、新入園児の子が教えてくれるような思いがしました。

 

そして、展開されていきます。

「これは、僕の黄色(電車の玩具)だからね。」

黄色くん「これは、僕の黄色(電車の玩具)だからね。」

赤井くんに、優しく牽制する黄色くんです(笑)それでも赤井くんは電車の玩具が欲しくて仕方がない様子。

すると次の瞬間、隣りであそんでいた青井くんの電車をとってしまいます。

すると次の瞬間、赤井くんは隣りであそんでいた青井くんの電車をとってしまいます。

青井くんは気付いているのかいないのか、何も声をかけませんでした。初めてのお友達に対して、遠慮のような、気が引けるような気持ちがあったのかもわかりませんね。それを見た黄色くんが、こう言います。

 

「いっぱいあるでしょ。一番長いよ。」

 

青井くんの気持ちを代弁するように、赤井くんに声をかける黄色くんです。こんなにも子ども達が育っていたのかと、感動してしまいます。

着々と電車の数を増やしていく赤井くんに、フードを被った男の子(以下 風土くん)が近付いてきました。

着々と電車の数を増やしていく赤井くんに、フードを被った男の子(以下 風土くん)が近付いてきました。

いよいよ面白くなってきましたね(笑)

しばらく赤井くんのあそびを見守っていた風土くんです。

しばらく赤井くんのあそびを見守っていた風土くんです。

写真を見てもらえるとわかる通り電車の数が全く違います(笑)

さすがにしびれをきらしたのか、青井くんが赤井くんの電車の列から電車をとろうと手を伸ばしました。すると、

「これは赤井くんのだよ。」

風土くん「これは赤井くんのだよ。」

風土くんがその手を遮るように座り込み、青井くんに優しく諭したのです。

まるで、ドラマを見ているような展開に、驚きました。

最後まで読んでいただけるとわかるのですが、風土くんは、最初から赤井くんに好感をもっていたようです。その気持ちから、このような行動に出たのかな、ということが後になって推測できます。

赤井くんはそんなこともつゆ知らず、一人楽しく遊び続けていました。

赤井くんはそんなこともつゆ知らず、一人楽しく遊び続けていました。

この風土くんの配慮、そして赤井くんのあそびを見守ろうとするその姿勢は僕らが愛する、見守る保育そのもののようにも思えてきます。子どもが子どもを見守るという姿を見せてくれたように思うのです。

 

そして、この関わりの終盤へ向かいます。

黄色くんは、何かを察したようで、〝赤井くんと一緒に遊んでみる〟ことにしたようです。

黄色くんは、何かを察したようで、〝赤井くんと一緒に遊んでみる〟ことにしたようです。

赤井くんの電車に自分の電車をつなげてみようと試みるのですが、

赤井くんの電車に自分の電車をつなげてみようと試みるのですが、

「ヤダよ。」

「ヤダよ。」

断られてしまいます(笑)

大人ならムッときそうな瞬間ですね(笑)何も言わず、そっと電車を引いた黄色くんでした(笑)

 

数秒後。

すると、風土くんも改めて関わろうと、そっと寄ってきました。

風土くんが改めて関わろうと、そっと寄ってきました。

風土くん「積み木好き?塗り絵好き?」

風土くん「積み木好き?塗り絵好き?」

赤井くん「しゅしゅぽぽ好き!」

赤井くん「しゅしゅぽぽ好き!」

「え?…風土ね、ぐちゃぐちゃに塗っちゃうんだ〜♪」

「え?…風土ね、ぐちゃぐちゃに塗っちゃうんだ〜♪」

 

噛み合わない会話(笑)それを相手の気持ちを推しはかりながら、進めていこうとする風土くんのこの姿勢は、大人顔負けですね。

 

赤井くんは新しいお友達との会話よりも電車の玩具に夢中で、そのことがわかったのでしょう、風土くんは彼との会話をそっと止め、静かに電車のあそびの中に入っていきました。

 

さぁ感動のラストシーンです!

「順番こにあそぶものですよ〜」

黄色くん「(電車は)順番こにあそぶものですからね〜」

 

赤井くんに聞こえるか聞こえないかのような絶妙なトーンで(笑)黄色くんは赤井くんに電車の遊び方を教えるような、軽い牽制球を投げて、このやりとりは終了しました。ここまでの関わりで積み重ねた気持ちの集大成のような言葉に、思わず笑ってしまいました(笑)

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2011年10月12日『仲間』の中で、こう書かれています。

 

〝同年齢の仲間との間では、その関係において、二者関係にはならず、相手との共同作業になります。したがって、子どもは仲間との対等な関係から、他人とはどういう人たちであるかを学び、その関係になれていなくてはなりませんし、仲間間の交渉上の規則にも慣れている必要があります。

(中略)くりかえし仲間と接触を持つことで、幼児は自分の行為と相手の行動との間の随伴性を発見し、自分のパートナーに効果的に対応するにはどうすればよいのかがわかってきます。仲間は、伝達したり、攻撃したり、防衛したり、協力したりするスキルをゆっくり丁寧に作り上げていく機会を与えてくれる存在です。仲間は子どもにとっていろいろな意味で近い存在であるので、人間関係の発達に必要な能力を訓練するパートナーとしては、親よりも適しているといえます。

子ども同士の関係は、まだまだ研究される余地がありそうです。〟

 

新入園児のその子にとってはもちろんのこと、受け入れる側である子ども達にとっても、とても刺激があり、見守る大人も改めて子ども達の成長に気付かされたこの度の出来事でした。

 

〝子ども同士の関係は、まだまだ研究される余地がありそうです。〟

その言葉に深い納得を抱きながら、新しい仲間の誕生に大いに胸を馳せ、今日も子ども達の新しい姿を追っていきたいと思います。

 

(報告者 加藤恭平)

あぁよかったなぁ あなたがいて〜見守る人の心に咲く花・花〜

先日の遅番で、わいわい組(3歳児クラス 以下わいわい)らんらん組(4歳児クラス 以下らんらん)すいすい組(5歳児クラス 以下すいすい)の子ども達の関わりについて、感動することがあったので報告させていただきます。

 

新宿せいが保育園は、20:30までが開所時間です。18:30から遅番の時間となり、時間が経つ毎に子どもの人数が少なくなっていきます。

 

この日の素敵な場面は20時頃に訪れました。赤い部屋(ちっち組0歳児クラス・ぐんぐん組1歳児クラス共同の部屋)の運動スペースであそんでいた時のことです。

写真に写っている子は計5人。

写真に写っている子は計5人。

その中で、手前桃色の服の女の子(以下桃ちゃん)だけがにこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)で、他の子はわいらんすい(3・4・5歳児クラスの略称)の子達です。この度の主役となるのは、写真左の立っている男の子(らんらん組 4歳児クラスの子)と、写真中央右で前の子を抱きかかえるようにして笑っている男の子(すいすい組 5歳児クラスの子)です。

 

桃ちゃんが坂になっている台の上に乗ってくれた瞬間大喜びをしていました。

 

そしてあそびが始まりました。

「おいで!」「登ってみて!」

「おいで!」「登ってみて!」

当たり前に登れるのですが(笑)恥ずかしさからか、このあそびへの猜疑心(?笑)からか、桃ちゃんもゆっくり登っていきます。

登り終わると、「おめでとーう!」と(笑)

登り終わると、「おめでとーう!」と(笑)

そして、設定した台をバラバラにして、また組み立てる、ということを繰り返していました。

 

その時に、らんらんの男の子が大きな声でこう言いました。

 

あぁ、桃ちゃんといると楽しいなぁ!

 

あぁ、桃ちゃんがいてくれてよかったなぁ!

 

まるで、模範解答のような美しい言葉に正直、驚いてしまいました。

 

そして、すいすいの子が、

「桃ちゃんも楽しかった?」「…(うん。)」

「桃ちゃんも楽しかった?」「…(うん。)」

それを見たらんらんの子も、

「また明日もあそぼうね!」「…(うん。)」

「また明日もあそぼうね!」「…(うん。)」

桃ちゃんは嬉しそうに頷いていました。

 

その後の桃ちゃんのテンションの高いこと(笑)お迎えが来るまで、飛んだり跳ねたりして、その喜びを表現していました。

 

あまりに素敵な出来事だったので黙っていることができず、すいすいの担任である本多先生にこのことを伝えました。

 

「お手伝い保育の影響がきっとありますね。」小さい子にお世話をしてあげたい、楽しい気持ちにしてあげたい、という気持ちが育っているのかもしれない、とのこと。

 

毎週、すいすいから各クラスにお手伝い保育として、グループに分かれた数名がお手伝いをしにきてくれます。半日一緒に過ごして、午睡のトントンまでしてくれます。クラスの子ども達は嬉しいやらちょっと緊張するやらなのか、にこにこでは、何だか姿勢がシャンとなる子もいたり(笑)ブロックなどのあそび一つにしてもいつもと違った物凄いものを作ってくれたりするので、その日は僕ら大人は本当に助かるし、新しい発見があるしで、子どもも職員もとても楽しみにしているイベントです。

 

また、素敵な言葉を桃ちゃんに言ってくれたらんらんの男の子についても、そういえば、と先日あったという素敵なエピソードについて話してくれました。

 

いつもは塾頭山下先生や西村先生と一緒にすいすいが給食後、部屋の雑巾がけをしています。運動会では雑巾がけの世界大会もあった程で(笑)子ども達にとっては、楽しくて、またすいすいにしかできないものとして、とても特別な気持ちで取り組んでいるようです。

先日、すいすいがクラスで戸外へ出た時に、らんらんが雑巾がけに取り組んだことがありました。その時に、今回の主役の一人であるそのらんらんの男の子がとても上手に雑巾がけをしていた、ということでした。

なぜそんなに上手なのか。聞くと、その子はこう答えたそうです。

「だっていつもモニターで見てるから。」

3階と2階を映像で繋ぐモニターを見て日々イメージを膨らませ、訪れたその機会をチャンスとし、自分の行動へ反映させたのでしょう。すいすいという年長組への憧れの大きさ、また、自分より年を重ねた相手を見てその相手から学ぼうとする意欲の高さを感じる、とても素敵なエピソードだと思いました。

(詳しくは、生臥竜塾2015年10月31日『伝承』(報告者山下祐)をご参照下さい)

 

そんな2人だからこそ、こうしてにこにこの子に、このような優しい言葉、優しい発想が思いつくに至ったのかもしれません。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年1月7日『教える、教わる』の回の中で、こう書かれています。

 

〝少子化、地域社会での連帯の欠如などの環境から、子どもどうしの世界が失われ始めています。学校においても、授業形態は、多くの時間、教師という大人からの伝達が多くなっています。今日、様々な子どもたちは、大人からしか物を学んでいないところが顕著だと言われています。エリクソンは大人から物を学ぶことに価値がないとは一切言っていません。それは勿論価値のあることですし、大切なことです。しかし、乳幼児から児童期の発達課題を十分に消化していくために不可欠の要件というのは、「友達から物を学ぶことであり、友達に自分の物を分かち与える」ことなのです。こういう経験を十分しなければならなくて、内容よりも量が大切だということも言っています。どれくらい多くのことを友達から学んだか、どれくらい多くのことを友達に与えられたかということが大切であるとエリクソンは言っているのです。(中略)〟

 

そして、こう締めくくられています。

 

〝エリクソンはその時期を小学校低学年である児童時の課題と言っていますが、これは、私からすると、程度の差があるとはいえ、また、その姿は違うと言えども、すでに乳児から行われていることのような気がしています。それは、乳児の頃から共感する力を持っているからです。同時に、違いを知るということも、自己を確立してくることも関係してくるからです。

もう一つ、私は、この教わる、教えるという関係は、異年齢で行われることが多いために、異年齢で過ごすことも大切になると思っています。〟

 

子ども達が、教え、教わる関係の中に身を置いていること。その環境が、大人の心を和ませ、花が咲いたような優しく豊かな場面を作り出しているように感じてしまいます。子ども達が子ども達らしく育ち、またその子がその子らしく育っていく中で出逢えるたくさんのドラマのワンシーンに出くわすことができたようで、とても幸せな気持ちになれたこの度の出来事でした。

 

最後に、この『教える、教わる』の回の中で、大人こそ意識して考えねばならないと思われる重要な文章があったので、別件ながら自省の思いも込めて掲載させていただき、この度の報告を終わろうと思います。立場、身分、年齢を超えて、目の前の人を認め、尊敬の気持ちを持ち、自分のために、子ども達のために、相手を変えるのではなく、自分を変えて成長させていかなくてはならない、という強いメッセージが込められているように感じるのです。

 

〝能力の高い人に対して、その人を尊敬できるか、その人に共感できるかということが大切であるのに、どうしても、嫉妬とか、羨望とか、敵意とか、その裏返しとしての劣等感を強く意識してしまうことが最近は多いようです。あるいは逆に、自分のほうが何か優れているときに、健全な誇りとか、自信とかいうことではなくて、優越感を感じてしまうことがあります。

劣等感と優越感というのは、表裏一体の感情で、人間は、だれもがいろいろな意味で程度の差はあれ、そういう感情は持っているのです。それが過度に強調されて子どもの中に育ってしまうということは、エリクソンが言う、この勤勉さを習得しなければならない時期に、友達から豊かにものを学び得たか、同時に友達に多くのことを分かち与えたかという経験がとても大事であるということをエリクソンは強調しているのです。〟

 

同じブログの中にこれだけの内容を描かれる藤森先生を尊敬します。

自分を磨いて、成長していきたい。改めて強く思いました。

 

(アドバイザー:本多悠里 報告者:加藤恭平)

一人一人違う種を持っています その花を咲かせることに一生懸命になればいいのです

先日、夕方の自由遊びの時間ににこにこ組(2歳児クラス)の子ども達の対人知性の高度な関わりがあったので報告させていただきます。

水玉模様の服を着た女の子(以下 水玉ちゃん)が強い視線で見つめています。その先には、

水玉模様の服を着た女の子(以下 水玉ちゃん)が強い視線で見つめています。その先には、

女の子の集まりが。何か、面白いことになりそうな雰囲気がありますね(笑)

女の子の集まりが。何か、面白いことになりそうな雰囲気がありますね(笑)

この写真の中にいる女の子達は4人とも、毎日の関わりを見ていて、とても大人っぽい関わり方をします。話し合いで解決出来る力のある子達なので、この場面を見守ってみることにしました。

写真中央紫色の服の女の子(以下 紫ちゃん)がこの報告の主役の一人です。どうやら、紫ちゃんの持っているお人形を水玉ちゃんが使いたいものの、紫ちゃんが元々使っていたものだったので、「あとでね」「ダメだよ」というやりとりをした直後、ちょっとこじれてしまった(笑)という感じだったようです。

写真中央紫色の服の女の子(以下 紫ちゃん)がこの報告の主役の女の子です。

どうやら、紫ちゃんの持っているお人形を水玉ちゃんが使いたいものの、紫ちゃんが元々使っていたものだったので、「あとでね」「ダメだよ」というやりとりをした直後、ちょっとこじれてしまった(笑)という感じだったようです。

じーっと見つめています(笑)

じーっと見つめています(笑)

見かねた友だちが声をかけに行きます。

見かねた友だちが声をかけに行きます。

水玉ちゃんは気付いていますが無言です(笑)

水玉ちゃんは気付いていますが無言です(笑)

紫ちゃんも来ました。

紫ちゃんも来ました。

ケンカの当事者ながら、相手の傍に行けるというのがすごいですね(笑)紫ちゃんの頭の中には、もしかしたら「話の決着をつけに行きたい」という思いだったかもしれません。もしかしたら、「かわいそうなことをしたな」という思いだったかもしれません。どちらにしても想像の範囲ですが、それを考えても、〝ケンカをしても逃げたりせず、それっきりで終わらせない〟という紫ちゃんの心意気のようなものを感じて、子どもって本当にすごいなと思ったりします。

ピンクの服の子「これが使いたかったの?」 水玉ちゃん「…(うん)。」

ピンクの服の子「これが使いたかったの?」
水玉ちゃん「…(うん)。」

使いたかった気持ちが自他共に再確認されました(笑)さぁここからです!

自然、1対1での話し合いに。 紫ちゃん「これ紫ちゃんのだもん。」

自然、1対1での話し合いに。
紫ちゃん「これ紫ちゃんのだもん。」

水玉ちゃん「ヤダ!」

水玉ちゃん「ヤダ!」

写真右の男の子も気になっているようですね。

紫ちゃん「ねぇ〜…。なんでいいよって言わないの…?」

紫ちゃん「ねぇ〜…。なんでいいよって言わないの…?」

このケンカを終わりにしたい、お人形を気持ちよく使いたいというような、紫ちゃんの呟くような言葉です。

しびれを切らして、クラスの先生の元へ。 先生「どーしよーねー。」(いい返し!笑)

しびれを切らして、クラスの先生の元へ。
先生「どーしよーねー。」(いい返し!笑)

ここで面白いのが、どうやったら水玉ちゃんのキゲンが直るのか、そして、このお人形をどうしたら自分の元に置いたままで、また元の関係に戻れるのか、ということを紫ちゃんが考えているということです。かなり高度なことだと思います。

先生「もう一回話してみたら?」

先生「もう一回話してみたら?」

 

再度チャレンジ。

紫ちゃん「(水玉ちゃんに貸したら)紫ちゃんの赤ちゃんなくなっちゃうもん。」

紫ちゃん「(水玉ちゃんに貸したら)紫ちゃんの赤ちゃんなくなっちゃうもん。」

水玉ちゃん「…私早お迎えだから(貸して欲しい)。」

水玉ちゃん「…私早お迎えだから(貸して欲しい)。」

実際は早お迎えではないのですが(笑)流石です。

 

二人にどこか妥協点が生まれたのでしょう。少し空気が変わりました。

紫ちゃん「じゃさ。ちょっと待ってて。すぐ貸してあげるから。」

紫ちゃん「じゃさ。ちょっと待ってて。すぐ貸してあげるから。」

紫ちゃん「ね。ちょっとおいで。」

紫ちゃん「ね。ちょっとおいで。」

その誘いには水玉ちゃんは乗らなかったものの、二人の間の空気がはっきりと変わり、一緒にあそび始めました。

 

そして、感動の(?笑)クライマックスです!

おもむろにしゃがむと遊びが始まりました。水玉ちゃんがもっていた箱を開けた瞬間!

おもむろにしゃがむと遊びが始まりました。水玉ちゃんがもっていた箱を開けた瞬間!

紫ちゃん「あ!そのスリッパいいね!私持ってないやつだ!」

紫ちゃん「あ!そのスリッパいいね!私持ってないやつだ!」

なんと、水玉ちゃんの持っているものを褒めたのです!この紫ちゃんの行動にとても驚きました。水玉ちゃんは、嬉しそうに履いています。

 

そして、

(紫ちゃんどこ行ったかな?)

(紫ちゃんどこ行ったかな?)

おままごとゾーンから出てきて数分後、バッグの中に何かを仕入れてきた様子です。水玉ちゃんのキゲンはすっかり直っていますね(笑)

おままごとゾーンから出てきて数分後、バッグの中に何かを仕入れてきた様子です。水玉ちゃんのキゲンは表情から見て取れる通りすっかり直っていますね(笑)

 

そして、

お人形は水玉ちゃんの元へ!

お人形は水玉ちゃんの元へ!

「ありがとう。」

「ありがとう。」

相手を褒め、喜んでくれた。その気持ちが自分の気持ちも高揚させ、相手に対して寛大な気持ちになれたのかもしれません。

 

そして、数分後。

二人で遊ぶテーブルの上にお人形はありません。

二人で遊ぶテーブルの上にお人形はありません。

おもむろにバッグから何かを取り出しています。

おもむろにバッグから何かを取り出しています。

それは、なんとスリッパでした!

なんとスリッパでした!

仲良しな足が並んでいました。

その後、二人はすっかり仲直り。仲良くあそんでいました。

 

ここで改めて、〝対人知性〟について紹介します。

  • 対人知性とは他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

相手の気持ちを察し、そして、相手の態度に対して、自分の対応を変えていく。自分も幸せ、相手も幸せな結果を導いていくその姿勢は、単なる世渡り上手的な印象のものではなく、相互の幸せを考えて行動するという、とても高度な関わり方であると思います。

 

自分だけがよければいい、ではなく、相手だけがよければいいという自己犠牲の精神でもない。自分も相手も幸せにしようとする行動こそ、これからの時代のよりよい生き方ではないか、と、強く感じます。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月11日『貢献』にこう書かれています。

〝知恵は、必ずしも、誰でも持っているものではなく、生まれつき備わっているものでもなく、生きている中で、学んでいくものもあるのです。〟

また、

〝私の園の理念は、「共生と貢献」です。 (中略)ストレスが多いけんかなどでも、子どものころから体験することで、それを調整する力が付きます。人は、他と共生していく生き物であり、それゆえに他と共生することで感情をコントロールすることができるのです。〟

 

この度の子ども達の関わりを見た時、大袈裟かもしれませんが、まさに園の理念と言えるべき姿が、子ども達から垣間見えたような、そんな気がしました。

 

さらに、2006年2月8日『育てるとは』という回の中では、このように書かれています。

 

〝動物占いで有名な弦本將裕氏がこんなことを言っています。(中略)「個性心理学では辞書にない言葉の使い方をしますが、「そだてる」というのは、「素立てる」と書きます。学校で習う「そだてる」は「育てる」ですが、これは養うという意味も入っているのです。養われている者からしたら、ご飯を食べさせてもらっているから逆らえません。これが今までの、上から下へものを言う教育だったのです。これからは、素立てる、素(個性)を立てる、教育でなければならないのです。今までこの素を知る術がなかったこともあったでしょう。素がわからないから、種がわからないのですから立つわけがない。いろいろな種がありますが、花屋さんに買いに行くと、「いつ蒔きなさい」「お水はいつあげなさい」「いつ咲きますよ」と袋に書いてあります。種がわかっているから育て方がわかるのです。人間だけは、生まれたときには何も書いてありません。オギャーと生まれた赤ちゃんの足の裏とかに、「どう育てなさい」とか「いつグレる」とか書いていないでしょう。つまり、種(素)がわからないから立つわけがない。子どもも素・立たない。」

子どもの個性を知ることは、それを認めることに通じます。そのために、子どもの理解と予測がなければなりません。それが、親としての愛情です。また、保育者としての専門性です。子どもがもっているものを引き出すためには、子どもに何かをしよう、してあげようとする前に、まず、子どもを知ろうとする努力をしないといけないでしょう。

 

子どもを知り、そして、子どもの元々もっている個性、才能であるその〝素〟を育ててこそ、保育なのではないか。見守る保育は、それを育む保育であるということを改めて感じた、この度の出来事でした。

 

最後に、

 

あれだけ争ったお人形はと言うと…

先ほどの写真です。右端をご覧ください。

先ほどの写真です。右端をご覧ください。

右端をご覧ください。

右端をご覧ください。

(笑)

(笑)

先日の環境セミナーで、〝2歳児のイヤイヤ期に対して、どう対応すればよいですか?〟という質問に、藤森先生がこう答えられていました。

 

「大人が本気にならないことです。」

 

いつだって優しい気持ちで、頭を柔らかくして、子ども達を信じて見守っていこうと改めて思いました。

 

(報告者 加藤恭平)

Just The Way You Are〜とある先生の愛情〜

先日の土曜保育の時間に感動したことがありました。

その日は、我らが誇るベテラン男性職員が午睡前の紙芝居を読んで下さいました。

ナスのお化けが出てくる紙芝居で、子ども達は〝オバケナス〟と覚えて、とても印象に残った様子で布団へ入っていきました。

にこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)担任の僕も、午睡の場所へトントンをしに行きました。

リズミカルにテンポよく、ビートを刻みながらトントンをしていると、にこにこの男の子が急に、

「このズボン嫌だ。」

と言うのです。どうやら寝る時になって今履いているズボンが気に入っていなかったことを思い出したようなのです。子どもってこういうところ、ありますよね(笑)

にこにこの部屋に行って履き替えてくることに。ところが着替えの引き出しの中には、お尻にポケットがついた、これまた彼のお気に入りではないズボンしか入っておらず(笑)嫌がりながらもしぶしぶ納得させ、その時は彼の承諾もきちんと得て、そのズボンに履き替えて、また布団へ戻りました。

布団へ行くと、ぐんぐん組(1歳児クラス)の今年入られた大型新人の一人であり(僕は新人の方全員大型新人だと思っています)、3児の母であり、この度の主役である先生がトントンをして待っていました。その先生の顔を見て、「この先生なら…」と思ったのでしょう、(このあたり、子どもの対人知性の一つだと感じます)

「このズボン嫌だ。」

と、本当は嫌だった心の内をその先生に伝えていました(笑)

僕は、もう他に彼のズボンはないし、あとは保育園のズボンを貸すことくらいしか思いつかず、そのことをその先生に伝えようとした瞬間、なんとその先生は、彼のお尻のポケットを優しくキュッと掴み、

「これでもうポケットはなくなったよ。もう大丈夫だから寝ようね。」

と優しく諭したのです。

コクンと頷き、納得した表情で布団に入っていく彼を見て、その先生の鮮やかで優しく、温かみのある保育に、とても心を打たれてしまいました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2013年10月25日『教師から教育者』というブログの中で、こう書かれています。

〝私たちは、教師というとどのようなイメージを持つでしょうか?「教える人?」「偉い人?」「権威を持った人?」「権力を持った人?」「怖い人?」「優しい人?」様々な印象を持っている人がいるでしょう。その多くは、自分が出会った教師のイメージがあるかもしれません。また、それは、時代によっても変わってきているかもしれません。(中略)

ペーターセンは、教育者と生徒の関係、また、生徒と生徒との関係は、「人間的なもので、より高貴な基本的な態度に基づくべきである」と言っています。〟

より、高貴な基本的な態度。それは、見守る保育の三省の中にもある、

・子どもに真心を持って接したか

という基本姿勢であると同時に、その人それぞれのもつ愛情そのもののようにも思えてきます。

また、『臥竜塾』ブログ2013年5月21日『偉大な旅6』の中で、

〝ある出来事が起きたときに、男女という違う脳を持った存在が補い合い、生きていく知恵を生み出していくのです。(中略)そして、様々な年齢差を持つ集団も、遺伝子を次世代につないでいくために必要な多様性のひとつです。〟

とも書かれており、ズボンを履き替えることしか思いつかなかった僕を、そっと優しく、まるでお母さんのような愛情で包んでくれたその先生の保育は、まさに多様性の部分を体現され、僕の足りなさを補って余りあるものでした。

その職場での経験年数でなく、人生を積み重ねてきた人のもつ器量や懐、そういったものが、人それぞれの中に必ず存在します。このような先生が存分に腕をふるえるような、その人らしさが自然と出せるような環境を、僕は本当に素晴らしいと感じます。

感動は続きます。その子が眠るまでのもう一つのドラマを紹介して、この度の報告を終わらせていただきます。

布団に入るとごキゲンで、少しテンションが上がってしまった彼です。何やら自分で目隠しをしていますね。

布団に入るとごキゲンで、少しテンションが上がっていた彼です。何やら自分で目隠しをしていますね。

あらま、隣の子も。これは、その先生が、「目を閉じたら〝おばけなす〟が見えるかもしれないよ。」と促したからなのです。

あらま、隣の子も。これは、その先生が、「目を閉じたら〝オバケナス〟が見えるかもしれないよ。」と促したからなのです。

数分後。二人揃ってスヤスヤと寝息を立てていました。

数分後。二人揃ってスヤスヤと寝息を立てていました。

子ども達は、こうして愛情の中で育まれ、夢を見るのでしょう。

子ども達は、こうして愛情の中で育まれ、夢を見るのでしょう。

 

(報告者 加藤恭平)