巨大トランプ

 前回の巨大紙飛行機のように、今回も巨大なものシリーズです。普通のトランプを大きくしてみたらどうなるか。それで実際に遊んでみると、また新しい発見が待っていました。
サンタクロースにもらった「巨大トランプ」。私は、先日それで「神経衰弱をしてみない?」と子どもたちに提案してみたのです。
左が通常サイズのトランプ
左が通常サイズのトランプ
 子どもたちは、この巨大トランプに驚きながら、大きな好奇心を抱いていました。早速、そのトランプをセッティングします。普通のトランプは、一つの机の上に全てのトランプを置くことができますが、このトランプはそうはいきません。どうなるかというと、子どもたちはこのようにセッティングしていました。
トランプをセッティング
トランプをセッティング
 
 普段より9倍の机と場所を使うことになりました。その9倍がもたらすことは、まず足を動かす距離が増えたことです。普通のトランプで行う神経衰弱は、歩く必要もありませんが、このトランプではめくりに行くまでに体を動かさなくてはいけません。そこで発生する運動は、自発的なものになります。当然ですね。トランプをめくりたいと、うずうずしていますので。また、自分と他児がめくったトランプの記憶をさかのぼりながらブラブラと歩いて探すため、自然と歩く距離も長くなりますし、考えながらなので走り回ったりはしません。(もしかしたら、近所の公園に遊びに行くよりも歩いていたかもしれません。)ここから、運動における室内と屋外に新しい価値観を持つことができます。もちろん、外へ散歩に行くということは様々な環境に出会えるという利点がありますが、室内だから全く動いていないということではなくなりますね。
 
 また、私は「運動と記憶力」との関連性にも着目してみました。これはあくまで推測ですが、見たり聞いたりするだけよりも、実際に自分の体を動かした時の方が記憶に残っている印象があります。つまり、巨大トランプで行う「神経衰弱」は、理にかなっているというのが私の見解です。自分が持つ記憶力を、最大限に活かすことができるような仕組みになっているのではと予想します。
 
 そして、「トランプ」自体をよく見てみると、スペード・ハート・クローバー・ダイヤなどのマークが、サイコロでいうところの“ドット”の役割を担っていることに気がつきます。右上には数字が書かれているため、「神経衰弱」を行うことで、同時に【数】の認識にもつながっていることになっていると感じました。
マークとドットと数
マークとドットと数
 今回で、トランプの可能性をたくさん感じることができました。この巨大トランプで「ババ抜き」や「七並べ」など、違ったトランプ遊びを提案してみても面白いかも…と思ったりもしています。
 
(報告者 小松崎高司)

巨大紙飛行機

 目に前にあるものをクローズアップしてみたり、逆にロングショットで見てみると、普段とは違った視点や発見をすることがあります。その道具として「顕微鏡」やカメラの「ズーム」機能などがあるように、その対象となる物のサイズを大きくしたり小さくする方法には「科学概念」が含まれていると思います。 
 子どもたちは、よく「紙ヒコーキ作って〜」と言ってきます。その度に、子どもと一緒に折ったり、紙飛行が折れる製作マイスターに頼んでみるよう提案をしています。屋外にでると、空を飛ぶヘリコプターや飛行機に憧れを抱くように、空中を飛ぶ紙飛行機にも興味を持つのでしょうか。
 そこで、その紙飛行機を大きくしたらどうなるだろうかといった疑問が浮かんできました。早速、クラスの職員に相談すると「面白そう!今日お散歩行ってやってみない?」ということになり、朝のお集りを簡潔にし、大きな模造紙を持って子どもたちと近所の公園に行きました。
小さい紙の方がA4紙
小さい紙の方がA4紙
 紙を折りやすい場所がコンクリートの上しかないということもあり、ごつごつしていて折りにくかったですが、ワクワクがその感情を消し去ります。子どもたちも、紙の端を押さえてくれたり、折り目を手で強く押して形を整えてくれます。
 そして、巨大紙飛行機の完成です。
巨大紙飛行機の完成
巨大紙飛行機
 子どもたちは、この紙飛行機はいったいどのくらい飛ぶんだろう、どうやって飛ぶんだろうなどと大きな期待を込めて飛ばしていたと思います。しかし、飛ばして1秒後には地面に落ちてしまいました。何度やっても結果は同じですが、子どもたちはそれでも楽しそうに遊んでいました。紙の素材が悪かったかな…、風が強かったかな…などと自分の中で反省していると、一人の子どもが「なんで飛ばないんだろう?」とぼそっと言いました。その言葉を聞いたとき、私は今日この活動をしてよかったと感じたのです。
自分と同じくらいの紙飛行機を飛ばす3歳児
自分と同じくらいの紙飛行機を飛ばそうとするす3歳児
 まっすぐ飛ばないこと、自分が思ってもいない方向へ飛ぶこと、風があるとそれに負けてしまうこと、飛ばしてもすぐに落ちてしまうことなど、そういったいくつもある小さな疑問が、2・3・4投目といったように次なる紙飛行機投てきへといざなっていく、そういった活動が「科学概念」という物事の可能性を知っていこうとする力を育んでいると思えたからです。
 年末に、塾長のブログで“科学的アプローチ”の話題が取り上げられていました。その学びを、実際に子どもたちとできたのは、相談した職員の「面白そう!今日お散歩行ってやってみない?」という言葉のおかげでした。子どもたちの体験を科学に向けるのは、そういった職員同士の協力が必要な時もあるのだと思います。
 
(報告者 小松崎高司)

バランス

園庭の運動遊具や園庭のあり方について、皆さんどう捉えるでしょうか。私の園でもそうなのですが、基本的に総合遊具は園庭の端にあり、真ん中は広い場所になっています。そこは三輪車で走ったり、ボール遊びをしたりと広い場所を使って遊ぶものをするときに使われることが多いです。一般的な保育園の園庭もそうであることが多いように思います。そのことについて、以前、ドイツの遊具メーカ-aibeのグリム氏と藤森先生の研修でグリム氏がこういったことを言われていました。

 

それは1.日本の園庭は遊具が少なく、様々な遊びができない。2.広いが一つの遊び道具しかない。ということでした。また、こんなことも言われていました。「日本人は遊具に信頼がない」つまり、「怪我するかもしれない」「落ちるかもしれない」といって、その遊具の本来の意図を理解よりも、怪我などのリスクを避けるということです。ドイツでは逆転の発想でした。

1

ロフトの下には木のチップが敷き詰められています。

たとえば、ブランコですが、「日本ではぶつかっては危ない」「落ちたら危険」といって公園から撤去されていますが、ドイツでは逆に「転落の経験も必要」という考えを持っていました。しかし、やはりぶつかると危ないので、座席部分はゴムにしているということでした。また、一番怪我をするのは降りるときであり、その問題は地面にある。だから、地面を柔らかい素材や木のチップを敷き詰めている。とのことでした。

「危険」だから取り除くという日本の捉え方と大きく違いますね。そして、その怪我や危険のためにバランスを養うことにより自分で怪我を回避するようにしているといっていました。このバランスということが何かと重要視されます。こういった目的のため、その遊具一つ一つに込められた意図をしっかりと繁栄されており、「経験」を通して、どう子どもたちを育てるかという意味合い自体が遊具メーカ-にも考えられていました。

 

3図

フィーリングロードも一つのバランスを養う場所

 

 

 

 

こういった園庭の遊具の環境から前回の内容にもあった「運動」につながることが研修の中で触れられていました。というのも、前回のブログでもあったように日本は「運動」のとらえ方というと「走る」「跳ぶ」「投げる」といったように広いフィールドで力いっぱい走り回っている様子を運動と捉えることが多いです。そのため、園庭の環境もそういった活動ができるように意識されていることがとても多いです。

DSCN2240

ドイツの園庭の環境

 

しかし、私が以前ドイツの保育園に見学に行ったときも、園庭の中に広い広場があることは少なかったように思います。園庭が日本のように走り回って体を動かすといったようなものではなく、多くの「経験」ができる場所としての意味合いが強かったように思います。日本の様に「園庭=運動」ではなく「園庭=自然環境や外でしかできない活動」といったイメージでしょうか。

isinoyama

乳児の環境でも不安定な場所が作られている。

 

 

 

 

そのため、岩が置いていたり、木などの自然環境があったりと日本の一般的な園庭とはまた違った環境でした。では、どこで運動をしているかというとそれは園庭だけではなく、室内でもしていることがありました。それもどちらかというとボール遊びだけではなく、アスレチックのようなもののほうが多かったように思います。それは前述にもあったように「バランス」が非常に重要視されているからなんでしょうね。

 

では、なぜ「バランス」が重要視されているのでしょうか。このときの話ではバランスを重視する内容が2つでていました。1つは「特別な機能を上げるのではなく、やりたいスポーツで発揮できるように 体のコントロール能力 と バランス感覚 を養うことが大切としていることです。最近ではスポーツの中でも「体幹」が重要と言われることが多いですが、バランス感覚はどのスポーツでも大切なことです。スポーツをするためにトレーニングするのではなく、自然と遊びの中でトレーニングすることでやりたいスポーツができるようになる。といったことですね。2つめは「集中力の強化」が言われていました。バランスを必要とすることは集中力を必要とします。難しければ難しいほどどう渡るかを考えます。そして、その経験が「問題解決能力」に繋がると考えられていました。

 

あくまでこれは遊具メーカーの考える遊具や園庭においてどう考えるかということの一端にすぎないことだと思います。しかし、この一つの話をとっても、私はあらためて考えることが多かったです。文部省のHPを見ても、日本人の身長は年々伸びているのに対し、運動量は低くなっています。「運動をできるようにする」のではなく、「運動を楽しくできる」ようにするにはどうしたらいいのか。そのために、どういったアプローチをしていくことが必要なのか。もっと幅の広い目線や意図で園庭においても環境を作る必要性をこの研修で感じました。

(投稿者 邨橋智樹)

テーブルサッカー

 3・4・5歳児クラスにあったテーブルサッカーが、去年壊れてしまいました。もちろん、人気すぎて毎日のように子どもたち同士で遊んでいたからです。それを見ていてくれたのか、クリスマスにサンタクロースが子どもたちに「テーブルサッカー」をプレゼントしてくれました。そのの箱を見た子どもたちは、とても喜んでいました。以前は職員が組み立てましたが、今回は子どもと一緒に組み立ててみようと思いました。自分たちで作った物には愛着が生まれますし、物の仕組みやドライバー・六画レンチの使い方も遊びながら知れますし、何よりも楽しそうと思ったからです。
 まず、子どもたちと箱の中にどんな部品が入っているのかを一緒に確認しました。「これは下のところだよ!」「これはこのところじゃない?」「あ、このネジでとめるんだ!」などと言って、子どもたちの頭の中でどんどん作り上げられていきます。
さっそく組み立てです。子どもたちの中で、リーダー的存在を決め「設計図」を託しました。
設計図
設計図
試行錯誤中
試行錯誤中
 この設計図には文字がなく、絵で描かれていたので子どもたちはその絵を頼りに次はどうすればいいかを考えながら行程を進めていきます。設計図を見ても分からなかったら、箱に描かれている完成形を見ていました。賢いですね。
完成形を見ながらの組み立て
完成形を見ながらの組み立て
 もちろん、それでも組み立ては一筋縄ではいかず、その都度一隅のヒントを与えながらの組み立てです。しかし、私が驚いたのは、最初から最後まで組み立てに参加したメンバーが変わらなかった事です。時間にして1時間くらいかかった組み立てでしたが、途中で飽きて違う遊びに行った子どもがほとんどいなかったのです。組み立て作業に、これほどの魅力があるものだとは思ってもいませんでした。
完成!

完成!

 そして、テーブルサッカーも無事に完成し、子どもたちが実際に遊んでいましたが、2人ではなく6人で遊んでいました。操作する棒が6本あるからです。本来なら1人で3本を扱い、1対1で楽しむ遊びかもしれません。しかし、少々の口論はあるものの、子どもたちはそれで満足そうでした。まるで、組み立ての苦労をみんなで労っているかのようです。
みんなでテーブルサッカー
みんなでテーブルサッカー
 普段は職員がやってしまう業務的なことも、「子どもと一緒にやってみたら面白いかも」といった思考で日々の生活を振り返ってみると、新しい発見にあふれているのかもしれません。そういった活動も、子どもにとっては「遊び」なのだと思います。
 
(報告者 小松崎高司)

絵本カードと貢献

 以前、「絵本カード」という取り組みを報告しました。そのカードには、自分が読んだ絵本の題名と、読んだ日付を書き、その本は自分にとって「おもしろかった」か、「ふつう」だったか、「むずかしかった」かを、顔の表情で表されている絵を塗りつぶし自己評価するといった取り組みです。200冊を突破すると与えられる称号「絵本マイスター」も今では9人に増え、子どもたちが自ら絵や文字に親しんでいる姿が多く見られます。
 
 この取り組みの目的として、以前こう書きました。「文字を書くことが目的ではなく、絵本マイスターになってみんなに貢献することが目的です」。園の保育理念は「共生と貢献」とあります。社会を形成する一員としてのあり方を学ぶ上で、他のものとの共生を感じることが重要です。また、そういったよりよい社会にするための「貢献」を、喜びと感じる子ども像を目指しています。
 その「貢献」しようとする姿に、先日出会いました。
 
 ある数人の子どもたちが、「せんせー、セロハンテープかしてー」と言いにきました。「何に使うの?」と聞くと、「絵本カードなおすの」と。絵本カードは、“絵本カードファイル”に綴じてありますが、各々が記入する度にファイルから取り出して書くため、綴じ口がボロボロになっていたのです。私は、“自分の絵本カードを大切に使おうとしてくれているんだな”と思い、非常に嬉しくなりました。セロハンテープを渡すと嬉しそうに絵本ゾーンへ向かい、修繕遊びに没頭していました。
 
 20分ほどの時間が過ぎましたが、その活動は一向に終える様子がありません。自分の絵本カードを直すのには時間がかかっているなぁ…、違う遊びにでも切り替えたのかなと思って近寄って見てみると、自分の絵本カードだけではなく、なんと他の子どもの絵本カードまでも直していたのです。
 
修繕の様子
 
 修繕をしていたその子どもたちをよく見てみると、ほとんどが「絵本マイスター」の称号を得ている子どもたちだったのです。これまで、理念に沿った環境で遊ぶ子どもたちを見てきましたが、ここまではっきりとした形で私の目に飛び込んできた「貢献」は初めてでした。もちろん、この環境だけではありません。他にもある様々な理念に沿った環境のおかげで、この子どもたちの姿があります。「自分のだけじゃなく、みんなの物も…」といったように、社会に貢献することに喜びを感じていることに感動し、誇りに思い、同時に愛おしくなりました。
 
(報告者 小松崎高司)

そこにあるもので応用する

 先日、ルールが生まれた瞬間に立ち会いました。
 
 最近、子どもたちはドッジボールをよくしています。2チームに分けるのも、誰かが「並んで〜」といってまず一列に並びます。次に、先頭の子の好きな単語2種類をみんなに伝えます。例えば「じゃあ、今日はタコとイカね。」というと、先頭から順に「タコ、イカ、タコ、イカ、タコ…」と最後の子どもまで言い終わると、タコチームとイカチームの出来上がりです。毎日、その単語が変わるのが面白いです。2チームに分かれたら試合開始です。しかし、下の写真のように園庭には線がありません。両者を分け隔てる重要な中央線がないのです。どうするのかなと観察していると、なんとそのまま試合が始まりました。大人だったら、まず線を書くでしょうね。しかし、子どもたちはというと、見事なまでに見えない線をなんとなく意識しながらも楽しそうに遊んでいるのです。たまに、相手チームの陣地に入りすぎる子どももいましたが、それでトラブルにはなりませんでした。
ドッジボールの様子
ドッジボールの様子
 数日間は、そのような遊び方でドッジボールは行われていました。スコップやシャベルを並べれば直線ができるという一隅のヒントを与えようとしていたある日、いつもと同じように試合をしていると一人の子どもが「あ、いいこと考えた!」といって、園庭にある落ち葉を集めてきました。そして、それを一列に並べ始めたのです。他の子も「いいね〜」と言わんばかりの表情で、その作業を手伝い、葉っぱによる中央線が出来上がりました。
 
ルールが生まれた時
ルールが生まれた時
 
 私が考えていた線よりも、実にスマートで合理的な線ですね。(笑)
 
 私が注目したのは、「あ、いいこと考えた!」と言った子どもは、何を思っていたのかということです。私が推測するに、相手が自分の陣地に入りすぎているのをずっと気にしていたのではないでしょうか。誰かが小さな疑問を抱いたとき、ルールは生まれるのかもしれません。そして、園庭にあるもの・そこにあるもので応用して線(ルール)を作り上げた子どもたちの“生きる力”に触れることができました。
IMG_0349
試合再開!
 
 子どもたちは、日々このような経験を繰り返しています。
 
(報告者 小松崎高司)

興味を強くする

保育園の装飾もクリスマス一色になってきましたね。

そんな雰囲気に触発されてか、最近、以上児のクラスや学童で保育に入ると、わりばしと毛糸を使ったオーナメントを一緒に作っています。わりばしを半分に折り、それを輪ゴムで十字に固定して、その周りを毛糸で順番にグルグル巻いていくというものなのですが、うまくできるととてもかわいいオーナメントになります。

 

ただ少しコツがあるのと、可愛いものを作るには途中で、毛糸の色を変えるために、毛糸同士を結ばなくてはなりません。そんな難しさがあるため、やり方を伝えるのにも少し時間がかかり、作っているゾーンはなかなかの人だかりができます。

人だかりができると、それを見てとりあえず集まってくる子、その子達に説明してくれる子などそういった関わりも見ているのも楽しみの一つなのですが、順番に教えてあげるねと話しながら、やっていると子どもたちの中で自然と順番を作りそれまで別の遊びをして待っていたりするのは、さすがだなと感じます。

 

一緒に作るのが、2回目、3回目となるにつれて、子どもたちの中に教えてくれる子が出てきて、その順番待ちに変化があります。今回のオーナメントは難しいところが多いので、なかなかそういった子は出てこないのかなと思いきや、子どもたちの興味はすごいですね。

上手な子に話を聞いてみると、1回目をやった後に、家で40個も作ったからもう一人で、できるし教えることもできるというのです。

 

教えてくれる子ができて、少し余裕ができそうかなという時に、私はその子たちに任せて少し離れてみることにしました。教える人が減った分、また少し混みだすのですが、その流れを見ながらあることを感じました。

 

それは、「待つことによって興味が強くなるということ」です。

 

例えば、外食をする時、有名なお店やおいしい料理を食べためによく並びますが、その並びがまたその味を更に良いもの感じさせているような気がします。遊びや興味においても同じようなところがあるのではないかと思います。

 

そして、どこまで本当かわかりませんが、食事をとるのに並んでまで食べるのは日本人くらいだというのを聞いたことがあります。これは、日本人の一つの特徴なのでしょう。遊びにおいても同じことが言えるとしたら、日本人は世界一いろんなものに興味を持ちやすい人種ともいえるのではないでしょうか。

 

オーナメント作りはまだまだ続きそうなので、しばらく様子を見ていきたいと思います。

(報告者 西田)

気づき

以前に職場の同期と話をしている時に先輩が教えてくれたことについて話す機会がありました。

様々なことを教えて頂いた中から、先輩がこんなことをして子どもに気づいてほしいという意図がある行動を思い出しました。
その一つを紹介したいと思います。
うちの保育園はご飯を食べ終わった後に食器を下膳します。お茶碗、お椀、おかず皿、コップをカゴに入れていきます。当然、人数が多いのでそれぞれの食器が多く重なっていきます。
大体それぞれの食器が2棟ずつくらいになるのが普通です。ですが子どもが置いていくと片方に偏り高く積み上がっていくことが多いです。あと1人積み上げたら倒れるのでは?と思うくらい積み上がる時もあります。それは大体大人が直し、平均的に置かれるようにすることがあります。
下膳の場所

下膳の場所

そこである日、下膳の時間にある先輩が何かの用事で違うクラスから通りました。なにかゴソゴソっと動いて去っていったなぁと思いました。
「ん?」と思い、何をしたのかをよく見てみると下膳食器のお椀の部分をわざと高く積み上げて去っていったのです。
なぜかはみなさんもすぐわかると思いますが、子どもたち自身がそれに気づき、整えてもらうことを意図していたようです。
この些細なことですが、遊び心のようなものと子どもたち自身の気づきにも繋がる行動に驚きました。
これに気づくことは共に共同生活をしていく上で人を思いやる気持ちや、物を大切にする気持ち、整理整頓をすることに繋がっていくと思います。
こういった些細なことを繰り返し繰り返し子どもたち自らが気づける環境を用意していくことの大切さを先輩の行動から感じることができました。
またこういった楽しいやり方をしてくれると自分もそういったやり方をしてみたいと思えます。
(報告者 本多悠里)

落ち葉

3,4,5歳児クラスのお散歩で面白いこと出来事がありました。

 

新宿せいが保育園では毎週水曜に近くの小学校の校庭を借りて遊ぶイベントがあります。

校庭が使えるのは、9時半までで、そこから子ども達は再び室内遊びと外遊びを選択します。室内を選んだ子は園に戻り、外遊びを選んだ子はさらに、11時半過ぎまでとたっぷり外で遊べます。

 

その日はちょうど水曜日で、校庭の後の外遊びは、最近できたばかりの公園に行きました。そこはとても広く、また日が出ている時はごろんと横になりたくなるくらい気持ちのいい芝生が生えている公園で、子ども達は、ほどよい日差しを浴びながら、ボール遊びをしたり、かけっこをしたり、ムシさがしをしたりと思い思いに遊んでいました。

 

私も、なんとなくいすに腰掛けながら、子どもたちの様子を見ていたのですが、ある子どもたちのグループが目に留まりました。そのグループは、芝生の上に落ち始めているたくさんの落ち葉をせっせと拾ってきては、一か所に集めながら何か話していました。

 

少し離れていたので良く聞こえないところもあったのですが、

「もっと集めてきて」「後でお店屋さんを・・・」と、何やらごっこ遊びをする準備をしているようでした。

楽しそうだなと思って見ていると、公園の手入れをしてくれているおじさんたちが、芝生に落ちている葉っぱの掃除にやってきました。

 

おじさんたちが熊手で芝に落ちている葉っぱをきれいにしてくれている横で、かすめ取るように葉っぱを集めていく子ども達。

私はそれを見ながら、「おじさんたち掃除しにくいかな~」と思っていると、

 

おじさんが「遊ぶのはいいけど、ちゃんと持って帰っててよ」と一言。

 

そんなことを言われて、子どもたちはどうするのかと見ていると。

一人の子が「どうする?持ってってだって。」

突然の声掛けにしばらく止まる子どもたちでしたが、その後が輪になり、相談を始めていました。しばらくすると、パッと散らばってまた葉っぱを集めだしました。ですが今度は自分たちが集めていた場所ではなく、おじさんたちが集めている袋に入れていました。

 

どうやら、ごっこ遊びから、お手伝いと葉っぱをいっぱい集める遊びに変更したようでした。そんな様子におじさんも感心していましたが、何人かの子ども達には、おじさんが集めている熊手にたくさん葉っぱがあると、おじさんの周りを行ったり来たりで、おじさんも苦笑いでした。

 

おじさんの一言で変わった遊び。

 

もし大人だったらどうでしょう。私の場合、注意されるとそこでお終いにしてしまうかもしれません。ですが、子どもたちはそれをきっかけに新しい遊びを生み出し、更に楽しんでしまう。そんな所に子ども達の強さと魅力を感じた出来事でした。

 

(報告者 西田)

環境の変化

私は今幼児クラス担任させてもらっています。その幼児クラスに8月から新入園児が入ってきました。早生まれということもあり、少し幼く同年代の子よりも体が少々小さいです。入りたての頃から環境の変化や前の保育園の小規模な集団から大きな集団に変わったことから、少し落ち着きはなく自分の思い通りにいかないとすぐに癇癪を起こし、少し手が出てしまう子です。

その子が最近、同じクラスの子と玩具の取り合いになっているところを目にしました。遠くから見ていたので駆けつけようと準備はしていたのですが、側にいたある男性職員が声をかけてくれていました。その後すぐにその男性職員は2人をピーステーブル(以前にも説明したケンカをした時に話し合う場所です)に連れていきました。そして一言。
「はい、ここで話しきて」と言ってその場を立ち去っていきました。
私はそこで思ったのが、あの子が果たしてピーステーブルでお話ができるのだろうか…と。
掃除をしていた私は掃除そっちのけで気づかれないように見に行ってしまいました。
するとそこでは、その新入園児が、
「話してよ!話してよ!ねぇ、話してよ!!」と連呼していました。いつもだったら貸してもらえないと手が出てしまっていたところ、グッとこらえて話していました。
相手の子が、
「話してるよ…」というと、その子は
「うるさい!」と一言…矛盾はしていますが。
その後彼は仲良く本を読んでいた子がいたらしく、いきなり立ち上がり、一緒に本を読んでいた子のところへ行き、
「○○君、今ケンカしてるから待っててね」と今まで聞いたことないほどの優しい声で言ったあとにピーステーブルに戻り再度、
「話してよ!」と繰り返していました。
ただ言い続けてもお友だちは折れることなく玩具を渡さずにいました。
すると、埒が明かないと思ったのか貸してもらえないことを諦め、その場を立ち去って行っていきました。
玩具をかたくなに離そうとしなかったお友だちもそれはそれでいいかというような表情で終わっていました。
終わってすぐに、新入園児の子に、
「仲直りできたの?」と聞くと、
「うん。」と言っていました。
話にはなっていないかもしれません。ただ私にとってはその子がお友だちと立派にお話をしているように見えました。何かを伝えようとしていることがわかりました。
この一連の流れから、私は新入園児にこの子はまだお友だちとお話ができないのではという固定概念が存在していたことに反省しました。以前にも書かせてもらった3歳児のケンカのシーンと同じような感じですが、ここで違うのがずっと新宿せいが保育園にいた子同士のケンカではなく、途中入園してきた子のケンカでした。
まだ話せないだろうと思ってしまっていたことに反省しますが、それ以上にこの見守る保育をすることで入園当初は不安定だった子がこんなにもすぐに成長し、ピーステーブルでお話ができるようになっていることに感動しています。やはり、子ども同士の影響で慣れていく環境というのがいかに大切かというのがわかります。どんな意図で男性職員がピーステーブルで話してきてと言ったのかはまだ聞いていません。きっと私よりその子のことをより理解していたのであろうと思います。その新入園児にそういった機会を設けてくれたことに感謝しています。

と、色々と感じることのできる出来事でした。
(報告者 本多 悠里)