『ハリスの考える進化9』

 

何をしているかと言うと

何をしているかと言うと

帰りの会です

帰りの会です

「皆の前でダンスをしたい」とすいすい組(5歳児クラス)の子どもたちから声があったので、それならばと任せてみることにしました。

集まった友だちの関心をダンスでこちらに向けた後、

今日の当番を前へ

今日の当番を前へ

「今日がんばったことは何ですか?」

「今日がんばったことは何ですか?」

「野菜(の配膳)です」

「野菜(の配膳)です」

最後の子にマイクを向けた後、

「今日は、散歩が楽しかったです。」

「校庭開放が楽しかったです。」

など、プログラムに沿ってそれぞれに思いついたことを言っていました。

明日の予定を話し、最後の挨拶へ。

驚いたのは、それまで話を聞いていたような聞いてなかったような子も、

椅子をしまって立ち上がります

椅子をしまって立ち上がります

「先生さようなら、皆さんさようなら」

「先生さようなら、皆さんさようなら」

最後は見事に全員で締めくくられました。

ブログ『臥竜塾』2018年10月21日『ハリスの考える進化9』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子育て神話では、子どもは空虚な脳をもって生まれ、親はそれを満たす義務がある、と考えます。いわゆる子どもは白紙で生まれ、そこに絵を描いていくのが親の義務であるという考え方が子育て神話を生み出しているようです。ハリスは、どう考えているのでしょうか?もちろん子どもたちは親から学ぶと言います。しかし、学ぶのは親からだけではありません。人間の子どもとして学ぶべきことは生まれてから学ぶことがほとんどですが、親がその学びを独占的に与えることがいかに不条理か、もっともな進化論的な理由があると言います。長期的に見たときに、親に感化されすぎることが子どもにとって好ましくないという理由は四つあると言うのです。

第一に、行動遺伝学者ディヴィッド・ロウが指摘しているそうですが、子どもが親からのみ学習するようになれば、彼らは同じ社会の他のメンバーたちによる有益で斬新な考えを知らぬまま過ごすことになります。便利で新奇なものは年配者よりも若者が考案することが多く、その点では先輩からだけでなく同輩から学ぶべき点も多いのです。同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多いのです。

子どもたちが話を聞いてくれない時は面白い話をしてない時、と塾長から教わったことが思い出されます。年配者である保育者は子どもたちの時代から20年以上遅れていると考えることもでき、タメになるようなことを言うこともできるかもわかりませんが、それ以上に子どもたちが興味をもって聞けるような工夫が必要であることを改めて感じます。

「同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいもの」なるほど子どもたちは自然にそれを行い、受け手は自然にそれを受け止めます。保育者は、指導したり、握った主導権をかざしたりするのではなく、子ども社会に入り込む、お邪魔するといったイメージでも間違いではないのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

『社会を構成する他者』

 

随分高い所から跳べるものですね

随分高い所から跳べるものですね

わいわい組(3歳児クラス)の子たちがあんまりにも楽しそうなので見守っていました。

わいわい組(3歳児クラス)の子たちがあんまりにも楽しそうなので見守っていました

黄色い洋服の子、一番高い所から跳びたいものの怖い様子で、一番高い所へ行っては降りてきて、

跳べる所から跳びます

跳べる所から跳びます

よく見ると、

皆自分で自分の発達に合った高さを選んでいます

皆自分で自分の発達に合った高さを選んでいます

面白いですね。

ブログ『臥竜塾』2017年10月3日『社会を構成する他者』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

ピアジェにとって、乳幼児は活動的な存在であり、科学者でした。周りの他者の影響を重要視せず、子どもは自力で発達していくという考えに対して、ヴィゴツキーは大きく異なる考え方を持っていました。彼が強調したのは、社会や文化、歴史の影響です。彼は、子どもの周りにいる他者が育んできた社会や文化は子どもの発達に重要な影響を与えると考えました。彼にとって、乳幼児は社会に開かれ、社会とともに育つ、社会的で社交的な存在だったのです。この考え方も、私にずいぶんと影響を与えています。特に、私はそれをかなり早い時期である乳児から影響していると考えているのです。

ヴィゴツキーは、社会を構成する他者が子どもの発達にどのように影響を与えるかを考えました。その最も有名なものが、発達の最近接領域に関する理論だそうです。この理論では、子どもの発達を二つの水準に分けて考えます。一つは、子どもの現在の発達レベルであり、もうひとつは発達しつつあるレベルです。現在の発達レベルとは、子どもが自分一人でできる、完成した水準のことを指します。発達しつつあるレベルとは、自分一人だけではできず、教師や親の助けを借りればできる水準のことを指し、潜在的な発達レベルとも言えます。

森口は、こんなわかりやすい例を出しています。九九を習っている子どもが、2の段を自力で言えて、3の段は教師の助けを借りれば言えて、4の段に関してはヒントを出されても言えないとしたら、2の段が現在の発達水準、3の段が発達しつつある水準ということになると言います。発達の最近接領域とは、現在の水準と発達しつつある水準の間の領域のことを指します。この理論によれば、子どもは、他者の力を借りることによって、現在の自分の力以上のものを発揮できるのです。そして、他者の力を借りてできることは、明日には自分一人の力でできるようになる可能性があることになります。

塾長から乳児期の探索活動が遊びの下見であると教わったことが思い出されます。子どもは自分で自分の許容範囲を理解し、拡げていくのでしょう。

その中で、友だちの影響というのは計り知れないものがあるように思われました。

その中で、友だちの影響というのは計り知れないものがあるように思われました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 31『成功の見通し』より

土曜日の夕方、園庭に出てみると、

大きな水溜り

大きな水溜り

遊んでいる内、らんらん組(4歳児クラス)の子が、

「下まで流れてる」

「下まで流れてる」

正面玄関へと続く道に流れる水が面白かったようです。

その面白さを周囲にいる友だちに伝えます。

その面白さを周囲にいる友だちに伝えます

もっとやろう、ということになり、

道具を使って水をすくって

道具を使って水をすくって

「どう?流れてる?」「流れてる流れてる!」

「どう?流れてる?」「流れてる流れてる!」

とても楽しんでいました。

ブログ『臥竜塾』2016年4月28日『成功の見通し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「成功に対してより大きな期待を抱く子どもは、新しい課題を与えられても、すでにそれで成功したことがあるかのように、自信を持って取り組んだのです。彼らはしくじると思っていないので、それに「立ち向かう」ことを望み、進んで失敗の危険を冒したのです。彼らの見通しは、ただの夢想以上のものだったのです。過去に積み重ねた成功体験に基づいているからです。それまでの成功が、彼らのポジティブな期待を膨らませ、それが今度は、さらなる成功の可能性を高める行動や態度を奨励したのです。それがすべて合わさって、楽観主義者をなおいっそうほほえませる結果を生むというのです。

この結果からは、成功の見通しを物事全般で持ちづらい子どもたちは、課題にすでに失敗したかのように取り組み始めることもわかったそうです。しかし、そういう子どもも、現に首尾よく課題を成し遂げたときには、ポジティブな反応を見せ、この新たな成功体験のおかげで、将来の成功への期待がおおいに高まったそうです。成功するだろう、あるいは、失敗するだろうという一般的な見通しは、私たちが新しい課題にどう取り組むかに、重大な影響を与えることがわかりました。」

子どもたちの姿を見て、なるほど失敗は失敗と思うから失敗なのであって、それを失敗と思い込むようになってしまったのは、それを失敗と思い込ませた何かが、もしくは誰かの存在が在ったのではないか、と思いました。子どもが自発的に、自主的にやってみようと思いついたこと、その中で生まれるささやかな目標へ向けて何度もやってみようとすること、そこで達成される日常の中の素朴な成功体験が積み重ねられることで、成功の見通しというものは静かに確立されていくのではないかと思いました。

「(月曜日は祝日)火曜日になったら皆きっと驚くんじゃない!?」

「(月曜日は祝日)火曜日になったら皆きっと驚くんじゃない!?」

そんな先のことまで見通して遊んでいるものなのですね、驚いてしまいます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 30『集中力』『一休さん』より

夕方、クラスの先生から「座禅を組んでいる子がいる」との情報が入りました

3階ホールの一角

3階ホールの一角

見られていることに気付き、少し照れるような恥ずかしい気持ちとが入り、輪が乱れると、まるでそれを邪念とするかのように、

「集中チーム!集中して!」

「集中チーム!集中して!」

中心人物と思われる子から叱咤が入ります。

笑ったり、笑わせ合ったりしながら30分程の間、この遊びを楽しんでいました。

ブログ『臥竜塾』2009年6月24日『集中力』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「子どもは大人と違って、いろいろなことに興味関心があり、好奇心旺盛です。また、集中できる時間も、大人と違ってもともと長くはありません。数年前から、人間らしいものを考えるときに働く前頭葉が注目を浴びていますが、その前頭前野の活発な活動のリミットは、人がどのくらい集中できるかということで計ることができます。すると、集中力は大人のレベルでも40?50分くらいで切れてしまうそうです。ですから、まあ、1時間が限度です。また、教育の現場で言われる集中力は、小学生では学年×10分が最高であると言われています。ということは、1年生では、10分です。ですから、幼児ではすぐに周直が切れてしまうのは当たり前ですね。簡単に集中力がないと言わずに、子どもたちが何に取り組んでいるのか、何をしたがっているかを見る必要があるような気がします。」

誰が何の目的で始めたのかわかりませんが、電気の付いていない薄暗い場所を利用して子どもたちは集中力を高め合っているようでした。在る環境から遊びを発展させ、いよいよ神の領域に踏み込まんとする子どもたち、思い掛けない光景に、集まった先生方全員がシャッターを切っていました。

それにしても、見ようによっては何とも奇妙な光景のようにも思われるところですが、座禅、塾長の教員時代にはもっと身近なものだったのですね。

2006年2月27日『一休さん』の中にはこう書かれています。

「私が教員だった頃に、子どもを集中させるある方法を用いていました。その頃、テレビで「一休さん」のアニメが、人気がありました。その中で、毎回さまざまな困難にあったときに一休さんは、とんちを働かせて乗り切ります。その時に、その「ひらめき」をもたらすときのスタイルがあります。禅を組み、目をつぶります。そして、両の手の人差し指をぺロリとやって、頭の両脇をさすります。そして、マジナイをした後、木魚のポンポンたたく音がしばらくした後、チーン鳴って、ひらめくのです。このスタイルは、子どもたちには人気がありました。」

今度皆で観てみても面白いかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 28『積み木と社会性』より

「なんで取るんだよー!」

怒っている声がしたので行ってみると、わいわい組(3歳児クラス)の子がらんらん組(4歳児クラス)の子の玩具を取って行ってしまうところでした。

ところがその場所から離れないわいわい組(3歳児クラス)の子。すると、側に落ちていた木のブロックをおもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子に渡しました。

「ありがとう。」

思いがけない一言に、嬉しそうなわいわい組(3歳児クラス)の子。そうか、一緒に遊びたかったのですね。

そうして二人のブロックの時間が始まりました

そうして二人のブロックの時間が始まりました

二人で作った作品「富士サファリパーク」

二人で作った作品「富士サファリパーク」

完成を二人で手を叩いて喜んでいました。

ブログ『臥竜塾』2014年1月13日『積み木と社会性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ブロックを子どもに用意した時に、乳児はその形、素材を確かめるかのように「見つめ」「触り」「舐める」ことをします。そして、積み始めます。その後の行為は、保育園でなければなかなか見ることができないことをし始めます。それは、赤ちゃんは「積み木を見つめる」ということを、自分の目の前の積み木だけでなく、他の子が触れている積み木を見つめるのです。そして、それを触ろうとします。

同じものが自分の目の前にあろうが、他人のものに触ろうとします。これは、大人になると、「隣の芝生は青い」と言われるようなことに近いように思いますが、どうも、社会を構成して生きていく私たちの遺伝子で、関わろうとする芽生えのような気がします。

また、その行動は、時として、あたかも人が遊んでいる積み木を奪うかのように見えます。しかし、奪うという意識はなく、まだ、自分のものと他人のものという区別がないだけで、それ以上にそのものへの好奇心がそのようにさせるのです。しかし、奪われた方は、せっかく自分が遊んでいるものを取られてしまうわけですから、きょとんとするか、泣いてしまいます。そんな時に大人は喧嘩しているとか、意地悪しているとか思ってしまうことがありますが、ただそのものに興味を持つだけです。しかしこのやり取りは、将来に役に立つ、非常に需要なことなのです。」

それは幼児においてもそうなのだと思いました。

物の取り合いだと、喧嘩の仲裁をという姿勢で声をかけてしまうことがとてももったいないことであると改めて感じた出来事でした。

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 26『ドイツ報告12』より

帰りの会をやろうとすると、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが「みんなの前でしたいことがある」というので、任せてみました。

あやとりを始めました

あやとりが始まりました

最近できるようになったことを皆に見てもらいたかったようです。すると、

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

隣に座っていたすいすい組(5歳児クラス)の子が嬉しそうに言います。

前には出ないけど、僕もその一員なんだという、その子の意識を感じるようでした。

ブログ『臥竜塾』2018年6月27日『ドイツ報告12』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「7時30分から、登園が始まりますが、登園したら、決められた受付の場所で登園を記録します。そして、上着を脱いだりしたくしたら、全員がホールに集まります。そして、参画ということで、当番が司会進行をします。

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まず、円に表された絵の針を、今日は、何月何日何曜日と動かしていきます。この司会進行は、3歳児でも可能だそうです。もちろん、朝のお集りの司会進行だけでなく、他にも、たとえば遠足や様々な催しを決めるときに代表が選ばれるときにも、3歳でも可能だそうです。また、それらに対する希望や要望、または苦情でも、代表者だけでなく、だれでも、いつでも受け付けるそうです。」

参画、ということを、体現する子どもたちの姿と照らし合わせながら、少しずつ理解していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 20『他者への指向性』より

「ねぇ、ちょっとこっち来て」

わいわい組(3歳児クラス)の子(以下わいくん)の手を引いてピーステーブルへ向かうらんらん組(4歳児クラス)の子(以下らんくん)です。

普段、喧嘩になると手の出やすい印象の二人だったので、らんくんがピーステーブルへ誘ったことも意外ながら、きちんと話し合いができるのかどうか、側で見守ることにしました。

「ねぇ、何か言うことないの?」

「ねぇ、何か言うことないの?」

らんくんが問います。きっかけはわからないのですが、どうやらわいくんが手に持っている車の玩具でらんくんの手を叩いてしまったようで、「ごめんね」その一言を引き出したい、そんな様子です。

「これが当たって痛かったんだよ」

「これが当たって痛かったんだよ」

それでもわいくんは黙秘。

途中何度かそのやりとりを気にした子たちが、関係のない話題を携えて入ってこようとするのですが

途中何度かそのやりとりを気にした子たちが、関係のない話題を携えて入ってこようとするのですが

らんくん、「関係ないからあっちに行ってて」と、二人での話し合いを継続します。

約2分間の問いかけと沈黙。流石にしびれを切らしたらんくんのとった行動が意外でした。

際中ながら外を向くわいくんの手を取り、

際中ながら外を向くわいくんの手を取り、

立ち上がって

立ち上がって

連れて行く先は

連れて行く先は

発端となったブロックゾーン

発端となったブロックゾーン

そして何も言わず手を離し

そして何も言わず手を離し

遊びを再開するらんくんでした。

どうしていいかわからない様子のわいくん

座り込むわいくん

ここから数分間、らんくんの遊ぶ姿をじっと見つめるわいくんと、

その視線に気付きながらも言葉をかけずに遊びを続けるらんくんの姿が

その視線に気付きながらも言葉をかけずに遊びを続けるらんくんの姿が

とても印象的に思えました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月6日『他者への指向性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「一方、仲間に向けられた攻撃性は0歳代の終わりに見られ始め、それも、たいていは物をめぐる争いの状況で生じます。たしかに、歩行期の子ども同士の相互作用の大部分は葛藤的ですが、それ自体、攻撃的なものではありません。またこの時期に幼児はことばでけんかしたり、向社会的行動によっていざこざを解決したりするようになると言われています。

葛藤や攻撃性が資源をめぐる争いの状況でまず生じるのは、系統発生的な記録とたしかに一致しているそうです。先に簡単に説明したいくつかの要因、コストや相手の戦略、資源の価値といった要因次第で、攻撃行動は非常に効果的な戦略となったり、非効果的でコストのかかる戦略になったりします。また、歩行期の子どもが一般的に他児のおもちゃを欲しがるのは、必ずしも不適応と見なすべきではないと言います。ホーレーは、歩行期の子どもの限られた交渉能力を考えると、おもちゃを「取る」ことは資源を獲得する効果的な手段であり、「事実、世界に対する健全な主張的アプローチであり、結果的に、成長し生存していくための物質的報酬を得ることにつながるであろう」と指摘しています。もっと、このことを知っておく必要がありますね。大人のような略奪ではないのです。」

らんくんの遊んでいる積み木の中に車の玩具があるあたり、わいくんが攻撃行動に出たきっかけは玩具の取り合いだったのかもわかりません。しかし、それは「大人のような略奪ではな」く、そして手を叩いたという行為もまた、大人のような暴力ではなく、「世界に対する健全な主張的アプローチ」であったのではないか、そのような解釈をすることができるように思われました。

そして、それを理解するかのようにらんくんは、やり返したり手を出したりせず、最後は姿勢でもって語ることを選びました。「話せないならもういい。ただもうさっきと同じことは困るよ。お互い遊ぶ時間もなくなるし、気を取り直して遊びを再開しようか。」そう伝えるかのようならんくんの遊び続ける姿から、わいくんはきっと何かの学びを得るのでしょう。

同時に、こうしたやりとりも出来るという一面を見せてくれたらんくんの成長を感じて、嬉しくなりました。

(報告者 加藤恭平)

 

Blue floor philosophy episode 18『遊びの機能』より

面白い工夫と出会いました。

カエルを箱の中へ入れる玩具

カエルを箱の中へ入れる玩具

指先の力加減が必要で、わいわい組(3歳児クラス)の子にはちょっと難易度の高いこの玩具。本来は箱を立てて使うのですが、

横にして遊び始めました

横にして遊び始めました

入った

入りました

それを見た友だちも

一緒に

一緒に

数分後

数分後

皆わいわい組(3歳児クラス)の子たちです。

ブログ『臥竜塾』2018年5月26日『遊びの機能』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ヒトの遊びが長期間に及ぶのは、ヒトの子どもには学習すべきことが山ほどあり、その学習に長時間が必要であると同時に、最終的な成人役割を習得するためには安全な環境が必要であることによるというのです。この観点は、人間としての意味としてとても重要ですね。仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進し、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるだろうと言うのです。

ヒトは、未成熟期が長いと言うのは、ある意味で遊びが長期間に及ぶことであり、それは、遊ぶことから学習することに長時間必要だからです。その遊びからの学習は、仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進するからであり、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるからだと言うのです。この子どもにとって人生における大切な時期に携わっている私たちは、そのことをもっと認識すべきでしょう。さらに、この時期における将来社会で生きていくための学習は、まさに「遊び」なのです。」

遊びたかったけどどうしても上手く出来なかったこの玩具を、少しの工夫で遊び易いものにしました。その工夫は同じ感覚でもってその遊びを捉えていたであろう友だちの関心を集め、そして子ども同士のやりとりに発展していきます。子どもたちで子ども社会を形成する、遊びがその礎となっているように思え、遊びの重要性に改めて気付かされる思いがします。

また別の日

別の日

流行とは、こうして生まれていくものなのでしょうか。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 14『興味を持たせる工夫』より

 

「どうだったー?」

「どうだったー?」

「よかったよー」

「よかったよー」

何をしてるのかと見ていると、

「一緒に食べながら見る?」

「一緒に食べながら見る?」

誘わってもらいました。

「じゃ、次私行ってくるね」

見ていると、

見ていると、

登場です。

登場です。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

大喜びの子どもたち。

大喜びの子どもたち

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

なるほど合点がいきました。

ブログ『臥竜塾』2015年2月1日『興味を持たせる工夫』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「子どもは、大人から見るとさもないと思われることでも興味を持ちます。大人が見落としてしまうものの中からでも輝くものを見出します。子どもは、大いなる発見者であり、発明者でもあると思います。」

2階と3階を繋ぐモニターをこのように遊びに変えてしまう子どもたち。

天才だと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 9『社会的行動の発達』より

厚生労働省による『保育所保育指針解説』「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「自立心」についての解説の中でこのように書かれています。

「「自分もこまをうまく回したい」と思うと、始めはうまくいかなくても諦めずに繰り返し挑戦するようになる。その過程では、友達がこまにヒモを巻く様子を見たりうまく回すやり方を聞いたりして、考え工夫して何度も取り組んだり、保育士等や友達からの応援や頑張りを認められることを支えにしたりして、できるまで続けることにより達成感を味わう。子どもはそこで得た自信を基に、大きな板で坂道を作って回しながら滑らせたりするなど、更に自分で課題を設定しもっと難しいことに挑戦していく。こうしたことを保育士等や友達から認められることで意欲をもち、自信を確かなものにしていく。なお、こうした姿は卒園を迎える年度の後半に急に現れるものではなく、いろいろな遊びから自分がやりたいことを自分で選んで行動し、少し難しいと思うこともやってできた満足感を味わうなどの体験の積み重ねの中で育まれることに留意する必要がある。」

4月当初から盛り上がっている伝承ゾーンです。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

4月24日。

4月24日

写真左手の子が回すことに成功しました。

この日はお迎えに来ていた保護者の方も物陰からその様子を見ていて、その感動を共有しました。

すると、4月25日。

すると、4月25日。

次なる成功者です。

次なる成功者です。

続々とコマを回せる子が増えています。しかも、とても個人的に驚くことが、みんなわいわい組(3歳児クラス)の子どもたちです。

ブログ『臥竜塾』2018年4月25日『社会的行動の発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「乳幼児期における学びは「遊び」であることはよく知られています。しかし、以前に私が課題として投げかけたものの一つに、遊びにおける目的です。遊びには目的がないゆえに素晴らしいものということがあります。それを、逆に目的がないために学びがないという考え方をもあります。また、生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?たとえば、乳児が食事の時に机をたたいていると注意されますが、太鼓をたたいていると遊んでいると喜ばれます。しかし、赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません。ともに、発達上必要なことを行動に表しているにすぎません。

「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について」の報告書には、遊びについてこう書かれてあります。「幼児期の教育は環境を通して行うこと、幼児の生活や経験からの学び、自発的な活動を重視している。これにふさわしい指導方法が遊びを通した総合的な指導である。幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するかが教職員の指導における重要な課題となる。」

幼児教育、保育は環境を通して行われること。それは指針の中に書かれ、改めてになりますが、藤森メソッドは踏襲し、発展させ、その環境下で子どもたちは伸び伸びとその育ちを謳歌させていることに気付きます。

「では、ビョークランドは、進化発達から考えて「遊び」をどのように捉えらているのでしょうか?」

塾長は、更にその先へ、歩みを進められているのですね。

(報告者 加藤恭平)