目白を知ろう!

11月22日の塾報告をさせてもらいます。
この日は我らが佐野木工先生の塾セミナーの日でもありました。

成し遂げた佐野木工先生

感想を聞いてみました。
「普段子どもたちを見るときは全体を見て保育することが多かったのですが、今回この発表をするにあたって、子どもの姿を意識して動画を撮ったりことがなかったので動画を撮ってみて意外と面白い関わりをしてるんだなぁと思いますし、こうやって楽しく遊んでいればその中に関わりって生まれてくるんだなーって思いました。」

森口氏からは
「まさに塾セミナーという感じでしたね」
という一言もいただきました。

実際に聞いていた私も実践からこういった発表を作ってもらえると現場はとても共感と共にこうすればいいのか!や、なるほど真似してみよう!という気になり聞いている、見ているだけでやる気が出てくる次第です。

さらにはそれらの発表を元に藤森先生からのお話も加えてありますのでなんとも贅沢な時間が設けられ、非常に有意義な時間になりました!

この発表は録画していますのでいずれ配信という形で皆様にもお伝えできると思いますので楽しみにしていてください。

さてその後の塾はと言いますと…

あ?

こういった形でご飯を食べながらなんとみんなで
「ブラタモリ」見ました!
地域は目白!我々新宿せいが子ども園がある場所は高田馬場の下落合という場所なので目白は隣駅で非常に近く、歩いて数分ですのでとても馴染みのある場所となります。
あーここは!という場面もちらほらあり、その土地がこんな理由でこうなってるんだ!という知識も豊富に蓄えることができました。これはとてもいい機会であり、我々子ども園の親子遠足は「地域を知ろう」というのがテーマでもありますので良い学びにまりました。いつかまた目白周辺の遠足があった場合は参考になりそうです!

最近森口氏は筋トレにハマっており、胸の下あたりにくびれができてきてみんなに披露してくれました。画像があるのですが自粛させていただきます。

久しぶりの参加ができてやはり現場での参加は楽しいと実感しています。
報告者 本多悠里

11月8日 個性を認めよう!

11月8日の塾報告をします。

 塾報告が遅くなり申し訳ありません。

 新宿せいが子ども園の4階の床が新しく張り替えられました。エレベーター付近からスリッパを脱ぎ上がっていただくようになりました。これは藤森先生がこれからの新しい学校のように床に座って研修ができるようにと考えたそうです。多様な学び方ができるように、これまでの学校のように机と椅子に座って学ぶスタイルから変わっていかなくてはいけないですよね。

 さて、塾では「成長展〜言葉と表現の育ち〜(お楽しみ会)」の話になりました。

今年度の年間テーマが「STEMを楽しもう」にちなみ、5歳児クラスは「エジソン」をします。エジソンは探究心が強すぎるあまり、周囲を困らせてしまっていましたが、エジソンの親は研究に没頭できる環境をエジソンに与えました。

そして、エジソンは周囲の理解を得て、さまざまな大発明をしていくという話です。

 もし現代にエジソンが保育園にいたら、迷惑がかかる子、手がかかる子というレッテルを貼られているかもしれません。しかし、周囲の人がそれを個性として認めることで、力を発揮するのでしょうね。

 11月の臥竜塾セミナーで私が佐野木工として「ゾーン保育の環境」の話をさせていただきました。藤森先生は保育理念として「共生と貢献」では、人に迷惑をかけない人はいない、他者を受け入れて生きていく、そして、一人ひとりが持っているもの、能力や得意なことは他者のために使い貢献することが大切だとおっしゃっています。

345歳になると、自分の好きなことや得意なことがわかってきてゾーンという環境の中で個性を発揮しています。そこでお互いに教え教わりながら成長しています。きっと子どもたちは”誰かのために”とは考えていないと思うのですが、これは「共生と貢献」の姿を体現しているのではないでしょうか。私もセミナーを発表を通して、自分の実践を振り返えることができました。今後も自分の好きなこと、木工で新宿せいが子ども園に貢献したいですし、自分の苦手な部分は無理をせず周囲に頼っていけたらと思います。そして、「ありがとう」という言葉を大切にしていきたいです。

 この後も、成長展の話が続きます。予行練習が近いということもあり、話のストーリーや子どもの役作りの話になりました。藤森先生は「予行練習が同じだとつまらない、工夫が大事」だとおっしゃっています。確かに、練習ばかりだと子どももあきてしまいますし、やはり表現を楽しむことが重要ですので、工夫は大切ですね。以前、合唱ではイントロクイズをしてから歌ったり、合唱の曲を教えずにいろいろな曲を本番まで歌い、当日の楽しみにさせ、当日は子どもが一番好きな歌をうたうこともあったそうです。

 子どもたちがあきないように工夫することも環境作りでは大切ですね。ついつい保育をしている際に、目の前のことに集中しすぎてしまい、余裕をなくしてしまうことが多いのですが、塾で団欒をするように話をしていると、いろいろなアイデアが生まれますし、「明日こんなことやってみよう!」と意欲にもつながります。難しく考えるのではなく、さまざまな切り口から保育をしていきたいですね。改めて仲間のよさを知った塾となりました。

(報告者:佐野)

10月18日の塾で話したことについて

グーテンターク皆様、塾生の小林です。

秋ですね。すっかり過ごしやすい季節となりました。

私は高校の頃はワンダーフォーゲル部に所属していて、10代後半から20代の終わりまではよく山に登っていました。ですのでこの季節になると山に行って紅葉を見たいなぁと思うのですが、なかなか腰が重く行動に移すことはありません。上高地や涸沢とはいきませんが、フットワークを軽くして高尾にでも足を伸ばして紅葉狩りしたいと思う今日この頃です。

マヨネーズをかけると更においしい赤天

さて今回は10月18日に行われた塾の報告をさせていただければと思います。この日はオフラインで行われ、島根名物の赤天をおかずにしてご飯を食べました。その後、いろいろなことが話し合われたのですが、その議論の中から私が改めて気がつかされたことは主に下記の2点です。

・教育においては、子どもが楽しく学べるような工夫をする必要があること。

・知識を学んだり覚えたりすることよりも、子どもから興味・関心や「これはなんだろう」「どうしてだろう」といった疑問を引き出すことの方が大切である。

この二つのことは共通し、繋がっているところも多分にあるかと思います。

話し合いの中で、藤森先生から下記のような実験があることをお教えいただきました。

・3つのグループを作り、それぞれのグループで難しい問題を解く。Aのグループは喜劇の映画を見てから、Bのグループは数学についての真面目な映画を見てから、Cのグループは何も見ずに、その課題に挑戦した。結果としては、Aのグループが圧倒的に正解率が高く、その次がBのグループ、最下位がCのグループだった。

その後「新しい創造性は楽しい気持ちの時の方が生まれる。逆に学校の先生が怒るような教え方をしていた場合は創造力は生まれにくい」といった旨の解説を先生からいただきました。

学校教育においては楽しむという気持ちを排除するような傾向があるように個人的には思います。特に勉強という部分においては文字通り、「勉めることを強いる」といいますか、ある種の罰や苦行といったような雰囲気もあるように感じます。が、それは逆効果であり、楽しんで学んだり問題に取り組めた方が良い結果が出るということを、上記の実験は示していると言えます。

またそれに続いて先生からこのような趣旨のお話もしていただきました。

・パソコンといった新しい技術の使い方を大人が子どもに教えるとする。その場合、子ども達は大人が教えた使い方しかしない。そうではなく、ただパソコンを子どもに与えて自由に使うように言うと、大人の発想を超えた使い方を子どもはしてくる。このように教えることが逆に足枷になる。教わるということが新しいことをする時の邪魔になることがある。

そのお話を受けて森口先生から、「養老孟司氏の「バカの壁」では「教えることの難しさ」「知るということのこわさ」が書かれている」といった言葉がありました。

これらのお話から子どもへの教育、とりわけ幼児教育においては、単純な知識の習得よりも、体験的で能動的な活動から子ども達が持つ好奇心を引き出すことが重要であるということに、改めて気がつかされました。また非常に難しいことかと思いますが、「『知っている』ということで、子どもの興味関心がそこで止まってしまう」ということを常に念頭において、子ども達の学びをサポートしなければならないと思いました。

さて突然ですが、皆さんは村上春樹の著作を読んだことはありますか? 

言わずと知れた大作家の村上春樹ですが、小説だけでなく翻訳やエッセイなどの著作も多いです。

そんな村上春樹の本で「職業としての小説家」(新潮社 新潮文庫平成28年10月発行)というエッセイ集があります。

その本には「学校について」という章があり、村上春樹が学校教育について思うことを書いています。私は村上春樹の大ファンというわけではないのですが(といってもほぼ全ての小説は読んでいるくらいには好きです……)、そこで村上が書いたことが今回のお話と通じるものがあると思いましたので、下記に紹介させてください。

この章の中で村上は自らの経験として、「学校教育においてテクニカルな知識を暗記することよりも、好きで読んでいた本から得た知識の方がずっと大切であった」といった旨のことを語っています。「学校で暗記させられた知識は即効性の知識、自らがすすんで読んだ本から得た知識を非即効性」として下記のように書いています(以下引用)。

“系統的にではなく機械的に暗記したテクニカルな知識は、時間が経てば自然にこぼれ落ちて、どこかにーそう、知識の墓場みたいな薄暗いところにー吸い込まれて消えていきます。(中略)そんなものより、時間が経っても消えずに心に残るものの方が遥かに大事です。当たり前の話ですね。しかしそういった種類の知識にはあまり即効性はありません。そういった知識が進化を発揮するまでには、けっこう長い時間がかかります。残念ながら目前の試験の成績には直接結びつきません。即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら小さいやかんと大きいやかんの違いです。小さいやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなやかんはお湯が沸くまでに時間がかかるけれど、いったん沸いたお湯はなかなか冷めません。どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。上手に使い分けていくことが大事になります。”(新潮文庫215P)

村上春樹といえば洒脱にして的確な比喩表現が有名ですが、この「やかんの喩え」は印象的です。また上記の通り、「即効性のある知識」も不要なわけではないとしていることにも注意が必要と考えます。団塊の世代である村上の経験としてだけでなく、現在の学校教育においても「非即効性の知識」は軽視されているものと考えているようです。

私の解釈ではですが、ここで村上はアクティブラーニングの重要性を言っているように思います。

座学による知識習得だけではなく、生徒が能動的・体験的に知識を習得することが大切さである、ということを言いたいのではないでしょうか。楽しみながら学んだり自らがすすんで得た知識の方がずっと定着するということも言っていると思います。これらのことは上述の実験の結果に関係していることであると考えます。

またこの章の最後において村上は“僕が学校に望むのは、「想像力を持っている子供たちの想像力を圧殺してくれるな」という、ただそれだけです。”(236P)と書いています。子ども達の頭に詰め込むように知識を暗記させることは、子どもの想像力を奪うことにつながるのかもしれません。これは前述の「教えることが足枷になる」というお話に繋がるものであると考えます。座学的な知識の習得よりも子どもの想像力を大切にしながら、子ども自身が持つ興味関心を引き出していくようなアプローチが、今後の学校教育では必要なのだと思います。そして当然のことながら幼児教育においては、そういったことに重要性は学校教育のそれより更に高いものであると言えるでしょう。

ちなみにこの本の中では「世界をバランス良く見る視野を持つことが教育者の大切な資質である」という趣旨のところが、私にとっては一番好きというか感じ入った部分なのですが、その内容は今回のテーマとはあまり関連がないので、またの機会に紹介させてください!

報告は以上です。

それでは皆様、風邪をひきやすい季節になりつつありますのでご自愛ください。

アウフヴィーダーゼン!(執筆者 小林)

10月11日塾報告

こんにちは。10月11日開催の塾報告を中村よりさせていただきます。

今回は急遽zoomでのオンライン開催となりました。議題は大きく分けて3つ。

・臥龍塾セミナーに向けた発表相談(中村)

・廣田先生からの茨城出張報告

・山下塾頭からの名古屋出張報告

まず1つめ。来たる10月25日に臥竜塾セミナーがあります。ご存知の方も多いと思いますが、今年度は新宿せいが子ども園に入職して2・3年目の臥竜塾生メンバーがそれぞれのテーマに沿って話をするものとなっております。

そして私はその25日に“3・4・5歳児の保育”について発表するのですが、準備段階にはなりますがこの場を借りてプレ報告をさせていただきました。

正直、みなさんの前でお話しするレベルにはまだまだほど遠く、プレ報告にもなっていなかったと思うのですが、皆様の率直なご意見や貴重なアドバイスをいただくことができました…!

本番があるために詳細のお話しすることはできませんが、今回の発表準備をするにあたり、見守る保育や異年齢保育に関して改めて大変勉強になりました。藤森先生からのお話を聞いたり実際に現場に入って保育をすることがあっても、日々の保育について自分から誰かに話すことはありません。そのため、誰かに伝えるという難しさをとても痛感しました。ましてや準備段階とはいえ、藤森先生や塾生の前で話すなんて。。実はこの日の塾が始まってから発表が終わるまでずっと胃がキリキリしていました(笑)。

資料にまとめたり、話す内容を落とし込んで言葉にして練習して。頭で考えた構築も形にしようとすると大変難しいですね。藤森先生や塾生の先輩方の凄さを改めて感じています。

残り少ない期間ですが本番までしっかり準備してまいります!

さて、2つめは廣田先生からの出張報告です。

10月7日に茨城県鉾田市にある「青山こども園」さんでの園内研修があり、藤森先生と森口先生と廣田先生で行かれています。

青山こども園さんは新宿せいが子ども園のOBで臥竜塾生でもある小松崎先生が園長先生を務める園で、もちろん見守る保育〜藤森メソッド〜の実践園です。

藤森先生から見守る保育〜藤森メソッド〜の授権書が授与されている時の様子です。

青山こども園さんのHPを見てもわかる通り、自然豊かな環境でのびのびと保育をされています。私は実際には伺ったことがないのですが、以前の塾で夕涼み会の様子を動画で見させていただいたことがあり、先生方かたくさんの工夫をされている様子を覚えています

廣田先生からの報告では、園内の様子を写真に撮って見せてくれ、先生たちの工夫を感じることができました!

3つめは山下塾頭からの名古屋出張報告です。

これから新しく見守る保育を導入する園へのコンサルティングについてでした。藤森先生のこの保育を実践していく仲間が増えるのはとても楽しみなことです!

最後に佐野先生より一言いただいたのでご紹介してこの日の塾報告を終わりにしたいと思います。

佐野先生「廣田先生からの青山こども園さんの報告について、各ゾーンや環境の中に先生たちの工夫はもちろん、遊び心が垣間見れました。自分も日々の保育の中で遊び心も忘れずに環境を整えていきたいです。」

zoomの様子です!

報告者 中村英知

10.4「変化を恐れない」

まずは、と言っても私は少し遅れて入室しましたので、そこからの報告になってしまうのですが、邨橋先生の園に韓国の園長先生たちが視察に訪れた話から始まりました。

26名の方が視察に訪れたそうです。こちらは、園長先生と懇意である韓国の元烏山大学のコン先生が、どこか大阪で視察できる園はないかと園長先生に連絡があったことから実現されました。

韓国では幼保の一元化を進めているということから、邨橋先生への質問は制度についての話が中心だったそうです。

次に西村先生の園が無事に運動会を終えたという話になりました。

今年から新宿せいがと同じような形に運動会を変更されたようで、かつ運動会の名前も

新宿せいがと同じように「成長展~からだの育ち~」というタイトルに変更されたそうです。

そして、すべての行事のリーダーを今年は西村先生が担当し、せいが、藤森メソッドの行事のあり方を示しているそうです。

何かをはじめる時に、まず基本となる形をしっかり職員さんに伝えていくことが何より大切なのかもしれません。私自身も、中間的な立場になり、職員との関わり方で迷うことも多いです。そんな中でまずは先陣きって自分が動いていくことが大切なのかなと思いながら過ごしています。なので、西村先生の在り方からも刺激を受けました。

また、運動会のプログラムをSTEMのMである数に注目して、サイコロ型にしたこと、そして、それに関連して、numberの表紙に載っていたリーチマイケルに自分自身がなったことなど、細かく、ユーモアも忘れない実践が西村先生らしいところです。

似てるw

運動会ということから、ある園での運動会での取り組みがとても参考になったという話を私の方からさせていただきました。

その流れで、園長先生はどのような流れを経て、このような運動会を作り上げていったのかを質問してみました。すると園長先生から、

「昔、広い場所で運動会をしていた。しかし、そこが使えないことになり、狭い場所で行わなければならなくなった。どうせ、そこでやるのなら、広いところが使えなくて残念と思うのではなく、狭いなりの利点を生かしたものにしようと思った」ということから、一人ひとりの発達がじっくり見れるような内容の運動会に変更したそうです。

これはまさに藤森先生の考え方を表しているエピソードですね。

そして、藤森先生は「状況によって常に変えてきたからいろいろ変えることは平気」ということを言われました。

この言葉はとても印象に残りましたし、私自身も大切にしていきたい姿勢です。人はついつい変わらないことを求めてしまいます。それゆえの悩みも多いですね。そもそも変わっていくことが世の常ですね。方丈記の「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」ではありませんが、そのことを受け入れ、では、どうするかと常に考えられる人間になりたいです。

私はついつい、くよくよと悩んでしまう癖があります。起こったことは変えることはできません。それをどう受けいれ、自分を変化していくか。

このあたりは、やはり私の好きな養老先生の思考と同じですし、養老先生はよく「人なんて3ヶ月も経てばほとんどの細胞が入れ替わっている。常に同じ自分なんてない」なんて言われますし、(藤森先生と養老先生の考えはマッチするところがたくさんあります)福岡伸一さんの動的平衡のように、生物は常に絶え間ない変化をすることでバランスをとっているという考えにもつながっていきます。

すみません、この辺り自分にとってはかなりホットな部分で、悩みやすい人間なので、いつもこのような考えに戻ってきて、また自分を鼓舞していたりするので、ついつい熱くなってしまいました。

藤森先生が歩んできた道を私たちは継承することができます。それはとても大きな財産であり、それを大切にし、残していくことが我々塾生の意味であると改めて報告をしながら、振り返っています。

報告者 森口達也

9/13 塾報告

 おはようございます。こんにちは。こんばんは。そして初めまして。初めての塾報告をさせていただきます。令和5年度7月から臥竜塾に入塾しました、廣田優也(ひろたゆうや)と申します。この場をお借りして、簡単な自己紹介だけさせてください。今年度、新宿せいが子ども園に入職しまして、現在2歳児クラスの担任をしております。神奈川県出身で、好きな食べ物はラーメンと餃子、趣味は筋トレとサウナです。お勧めのサウナ、ぜひ教えてください!ということで、以降よろしくお願いいたします!

 さて、本題に入りまして、9月13日に行われました、ZOOMでのオンライン臥竜塾の報告をさせていただきます。

 園庭にとって必要なものは、広さではなく、質なのではないかという話や、これからの学校の教師は、ティーチングではなく、コーチングが求められるなどの興味深い話が多々あがりました。その中でも「運動」に関しての話が印象的でした。

 今月末に新宿せいが子ども園では「成長展~からだの育ち~」が控えており、この日は予行の第一回が行われました。その中で藤森先生から「運動を見直していかなければならない」というお話がありました。皆さんは跳び箱を覚えていますでしょうか。小学生、中学生の時、ひょっとしたら大学や専門での授業でも久しく行ったという方もいるのではないでしょうか。そんな跳び箱も最近は、小学校などで必要性が問われていると言います。跳び箱のような、障害物に手をついて飛び越えるという運動が、児童期に必要なのかと議論になっているそうです。跳び箱を行う目的として、日本大百科全書には「障害物を征服する運動である。跳び箱という障害物を跳び越すことにより、基礎的な体力、跳躍力、機敏性、身体支配能力の向上とともに、注意力、勇気、決断、自信などの精神要素の養成も目標にしている。」とあります。確かに、跳び箱の高い段数を飛び越えることで、強い達成感を抱いた記憶があります。段数という数字が課題としてわかりやすくあることで、「6段の次は7段だ!」というふうにステップアップ、成長する感覚を持ちやすいのかと思います。保育所、幼稚園、子ども園でも運動会や運動遊びに跳び箱を取り入れている園も多いのではないでしょうか。そこで藤森先生は、跳び箱の必要性を今一度考えるべきだとお話しされています。転んだ時に手を付くために必要という声もあると言いますが、そうであるならば「段数をどんどん高くしていくのではなく、低くしていくべきなのではないか」そんなお話もありました。大事なことは、「長年やっているから」という理由で行うのではなく、本当にその活動、行為は必要なのか、目的は何か、立ち止まって考えることなのではないかと思いました。今回は跳び箱が例に上がりましたが、保育の中で「毎年やっていることだから」と、目的を考えずに行われているものが多くあるように感じます。子どもたちの発達や特性に応じた保育というのを心掛けたいと、改めて考えさせられた内容でした。

 他にも、「園の設計図、図面を見て、自分たちならどうやって保育を行うか、どのような環境を設定するかを考えてみよう」というワクワクする新しい試みやYouTubeのサブチャンネルでのお話など、興味深いお話が多くあった、有意義な塾でした。

報告者 廣田優也

ZOOM画面

9月6日 塾報告

9月6日の塾報告を行います。

今回はオフラインでの塾でした。

この日はちょうど環境セミナーの最終日でした。

その中で見学された他園の先生方から山下たすく先生や森口先生への質問や相談された話などの共有がされて、改めて考えさせられることが多くありました。

その中でも環境セミナーでは、私自身も3歳児の担任で他園の見学されてる先生方から質問を受け、「給食の際の食器はなぜ陶器のものも使用されてるんですか?子どもたちが落として割れませんか?」尋ねられました。

確かになんでだろう…。と思い分からなかったので、近くにいた山下たすく先生に共有させていただくと、

「わざと割れるようにしてます。割れることで子どもたちも今後気をつけようと言う気持ちにもなれるし、割れた音はかなり大きいので、周りの子たちにもその意識ができると思うので割れるようなものを使用してます。割れることも子どもにとってもいい経験です。」と言うお答えでした。

普段保育していると当たり前のことでも、他園の先生方からの質問や相談を受けることで、普段気づかないようなことや気にしなかったことも気づくことができるので、私自身も学びとなるいい機会となり、まだまだわからないことばかりで改めてもっと見守る保育藤森メソッドを学んでいきたいなと感じました。

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また話は、保育者の番号について。

新宿せいがでは、保育者のその週の役割を番号で決めています。

1番はリーダーで2番はそのサブで…のように、決めることで役割をはっきりさせています。

その番号ですが、昔はなく阿吽の呼吸でやっていたところ父親保育のために番号を決めてやったのが今の保育者の番号に定着したとのことでした。

今のせいがは、番号を固定しながらもそれぞれの保育者が柔軟に動いてるとのことでした。

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わいらんすい組(3.4.5歳児)の番号。あくまでも参考です。

ですが、他園では、番号を決めることで意識し逆に回らなくなるということもあるそうです。

番号を固定することでそれ以外のことはやらないということもあるそうです。

確かに私も始めの頃に番号ってなんだろう?番号の仕事だけをやればいいのかな?と悩んでいる時期もありました。

その頃ある男の先生から「番号はサッカーのフォーメーションやポジションと同じだよ。」と教えていただきました。

「ポジション(ここで言う番号)はそれぞれ決まっているけれど、ディフェンス(守り)の選手が攻めている時はそのポジションを他の選手が埋めればいいし、セットプレーで高さが武器の選手がいたらその選手にお願いをして、そのポジションを他の選手が埋めればいいよね。それと同じで周りを見て臨機応変に動けばいいし、得意不得意はあるからお互いでカバーし合えればいいよね。」と言われたのを思い出しました。

サッカーが好きだったこともあり、それでいいんだとその頃とても納得できたのを今でも覚えています。

運動遊びで運動を教えることが得意な先生がいたら、他クラスでもその先生に教えてもらうようにお願いをし、その先生が抜けたところはほかの先生がはいったり、ほかにも音楽が得意な先生がいたら、朝の会の伴奏をお願いしたりと、お互いの得意不得意をカバーし合えばいいと教えていただきました。

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今回の塾では、普段当たり前にやっていたことや感じていたことを改めて思い出すことができ、また知らなかったことを聞くことができ、学びの多いとてもいい塾となりました。

これからも学ぶ姿勢を大切にし、様々の人に話を聞き初心を忘れずやっていきたいと思える時間でした。

他にも、

・日々の保育の話

・運動会に向けて

など様々な話をしたあっという間の塾でした。

報告者 伊藤

8月30日塾報告

8月30日の塾報告をします。

この日はオンラインでの開催となり、外部臥龍塾の先生方も参加されました。

内容としましては、「第2回全国実践研究大会in石川・富山」の報告になりました。

この研修を担当された西田先生は、「取りまとめ役としていろいろな準備や調整が大変でしたが、とても良い学びになりました。今後も石川と富山で交流を深めていきたい。」と仰っておりました。西田先生、お疲れ様でした!

西田先生が研修の内容を動画にあげておりますので、ぜひ、ご視聴ください!

〇第2回全国実践研究大会の動画について

第2回全国実践研究大会1日目① 藤森先生講演

第2回全国実践研究大会1日目② 雄谷先生講演

第2回全国実践研究大会2日目①実践発表AM

第2回全国実践研究大会2日目② 実践発表PM

この中でも、社会福祉法人佛子園雄谷先生の講演が印象的だったとありました。

佛子園さんは「ごちゃまぜ」と言い、高齢者、健常者、障がい者、地域関係なく、様々な施設で人とのつながりを大切にしているそうです。

施設内は誰もが利用でき、人と人とかつながるように、あえて通路を狭くしたり、目線が合うような高さの椅子や建物が見えるようにしたりと、工夫でいっぱいです。

また、温泉施設もあり、介護者とデイサービス利用者さんが一緒にお風呂に入ったり、職員の家族が施設の手伝いにいたりと、本当にごちゃまぜで過ごしているようです。

年間42万人の方がこの施設を利用しているそうです。驚きの人数ですね!

たくさんの人がいるということで、いつも問題は起きているそうです。しかし、「それもそれでいい。問題があることを前提に話し合いをしよう」という覚悟と多様性を受け入れているそうです。

そんなごちゃまぜを通して生まれる関わり。

その中に、首から下が麻痺してる重度の心身障がいの方に、認知症のおばあちゃんがゼリー食べさせようとしてくれていたのですが、手が震えてうまく食べさせてあげれません。しかし、それでも3週間続けていくうちにおばあちゃんが介助できるようになり、可動域が狭かった心身障がいの方が食べられるようになったそうです。

2年間リハビリをしていても首を動かすことができなかったこの方が、おばあちゃんに介助されたことで首が回るようになり、スタッフさんは驚いたそうです。

リハビリは何を目的としてするのかが分かりませんが、おばあちゃんのゼリーを食べたいという思いが首を動かす力になったそうです。

そして、この認知症のおばあちゃんもこの関わりを通して、「わたしがいないとこの子は死んでしまう」と元気に過ごしていたそうです。

専門家でもある介護スタッフでもできなかったことが、心身障がい者の方と認知症高齢者の方の関わりがお互いを変えていく。

そのことをきっかけに「ごちゃまぜ」の大切さに気づいたそうです。

私も雄谷先生の研修動画を見て、

保育をしていて、保育士ではできないことが友だちとの関わりを通して成長していく。できるようになる。そんな場面をたくさん見てきたこと思い出しました。

だからこそ、保育士と子どもという関係性ではなく、子ども同士の関わりを大切にし、子ども同士が関わることができる環境を作ることが重要だと再認識しました。

そして、健常者、障がい者、高齢者…そんな区別することなく、人と人とか関わることが自然になるような社会になることになってほしいなと思いました。

ぜひ、動画をご視聴ください!

報告者 佐野

6月14日 塾報告

投稿が遅れてしまいまして、申し訳ございません… 

6月14日の臥竜塾報告をさせていただきます。 

この日はオフラインでの塾開催となりました。久しぶりに森口先生のがオフライン塾に参加なさるということで、塾生勢揃いで塾が行えたことのうれしさを感じました。 

まずは以前行われた親子遠足についてのお話が挙がりました。 

今年の親子遠足では「STEM」をテーマとし、高田馬場生まれの科学の子として有名な「鉄腕アトム」が前面に出されていました。 

お話の中でアトムの名が出ると、藤森先生のほうから「アトムを見よう」とのお声が。 

ということで、鉄腕アトムの鑑賞会が始まりました。 

誰しも名前は聞いたことはあるかとは思いますが、意外にしっかりと見たことがあるということは少ないのではないでしょうか。自分もあまりじっくりと見たことはなく、よい機会となりました。 

今回見たお話は「ロボット競技大会」という回で、世界中のロボットがいろいろな競技を通して世界一を決めるという内容でした。5日間を通して2位となったアトム。ついに来た最終競技は、湖から水を汲んでくる速さを競うというもの。1位で水を汲んできたアトムでしたが、途中で山火事を見かけたアトムは汲んだ水で消火を行い、遅れてのゴール。負けたと肩を落とすアトムでしたが、この競技では山火事を見てどのように行動したかということが評価されていたのです。スピードやパワーだけでなく、美しい心を持つこと最高のロボットであるということで、無事アトムは表彰台に上がったのでした。 

ロボットなどの機械などにも、心が宿る時代が来るのですかね。AIの発展も目覚ましい昨今、なんだかフィクションでなくなる日もいずれやってくるのではないかと感じました。 

アトムを見て、藤森先生から興味深いお話が。 

イーロンマスク曰く、海外はロボットを侵略するものとしてイメージされることが多いが、日本は協同して作業するものとして捉えているとのこと。 

確かに、ターミネーターとドラえもんといったように、技術の発展に対する考え方の違いが作品などにも表れているのかもしれませんね。 

そういうことで、日本はChatGPTをうまく使える国だと思われているそうです。 

ChatGPTといえば、皆さんの中には一時話題になった論文作成ツールとしての使い方が印象に残っているかもしれません。 

藤森先生はそこで、ChatGPTに書類を作成してもらったらどうなるかと考えて、保育日誌を作成するようにChatGPTに指示してみたそうです。 

キーワードは「今日は晴れている、3・4・5歳児でおとめ山公園に散歩に行った、原っぱで遊んだ」と設定したそうです。木登りやボールで遊んだなどいろいろな内容が含まれており、想定していたよりも内容がしっかりしていて驚きました。内容が気になる方は、ぜひ調べてみてください! 

また、このChatGPTで作成した保育日誌を、新宿せいがの職員に見せて感想を聞いたところ、自分たちが行っている保育メソッドでは子ども同士のかかわりを大切にしているという特徴があるが、ChatGPTはそれを踏まえては書いてくれないのではないかと、声が上がったそうです。 

そのことを聞いて、確かに一般的に通じそうな内容ではあるが、見守る保育の視点で書くことはAIにはまだ難しいのかなと思いました。 
藤森先生もこのことをわかっていて、園独自の書類などに専念できるように、一般的な書類の作成などに使えないかと、作業の削減について考えていらっしゃいました。 

まだまだ発展途中な技術なので使用には注意を要しますが、なんだか可能性を感じるお話を聞くことができた時間でした。 

AIのできることが増えていく時代になってきていると思いますが、そんな中だからこそ、実際に人に触れ、かかわっていく職業の専門性というものが改めて重要になっていくのだと思います。保育士もその中の一つ、自分も見守る保育を現場で学びつつ、人・子ども同士が関わり合うことで生まれるものがないかと目を凝らして日々精進していきたいと思います。 

(報告者 太田) 

自由遊びについて(8月9日の報告)

夏ですね! 
小林純平でございます。
先日娘と学校のプール開放に行ってまいりました。
私は元来地黒で日焼けには強いという認識があったので
ラッシュガードといったものは身につけず、また日焼け止めクリームも塗らずに
2時間プールで娘と遊んでおりました。
すると肩がひどい日焼けに……!
真っ赤になってしまい、服の脱ぎ着をするだけでも強い痛みが走る状態になりました。
日焼けは本当に火傷だなと実感した次第です。
皆様も夏の日差しにはくれぐれもご注意ください!

さて今回は先日8月9日に行われた塾の報告をさせていただければと存じます。
この日はZOOMによる開催となっておりました。
私は娘の寝かしつけ等のため、参加が遅くなってしまったのですが
終始、中身の濃い議論がなされていたようでございます。

zoom画面

途中参加でしたが、その中で特に印象に残ったテーマは「自由遊び」についてです。
きっかけは他園にお勤めになられているある先生がされたお話からでした。
それは「園を卒業し小学校に上がった子ども達の中で、学校へ行きづらさを感じたり不登校になってしまったりしている子がいる」といったお話でした。そういった卒園後に学校への不適合を起こしてしまう子どもへの心配とともに、保育園での過ごし方にその要因の一つがあったのではないか、といったことを考えられていらっしゃるようでした。 
そういったお話に対して森口先生は「自由遊びの時間は十分にありましたか?」と質問をされていました。その先生は「十分にある」と答えられておりましたが、それに対して藤森先生は下記の旨を指摘されていました。
「自由遊びの中で子ども達は自分たちで相談したりルールを作ったりする。規模の小さい園では自由遊びといっても、保育士が全部見てしまい結局コントロールしてしまっていることがある。そういったことで育っていない部分があり、小学校で困っているのではないか?」といったご意見でした。またその後、藤森先生は「自由遊びにおいては、保育士が知らない部分や把握していない部分があってもいい」といったことも仰っていました。
また「規模の大きい園であると、一人の保育士が把握していなくとも、他の保育士がその部分を見ているということがある」とも藤森先生はお話になり、そのことから森口先生や佐野先生からご経験に即した共感の声が上がりました。

上記の議論は「自由遊び」について改めて考えるきっかけとなりました。
「自由遊び」とは何かと考えると、雲を掴むような話といいますか捉え所がないもののように感じます(遊びとはそもそも自由なものであって、「自由でない遊び」があるとしたらそれは本当に遊びと言えるのでしょうか?)。
例えば倉橋惣三は「幼稚園真諦」の中でこう言っています。
“自由遊びというのは、子供が自由感をもって遊んでいることを言うのですから、その遊びの内容について、特別のものを意味しているわけではありません。すなわち、ここで言う自由遊びということは、誘導保育案に誘い出されている保育と、必ずしも別なものときまってるわけではありません。どんどんかけまわっていることだけが、自由遊びで、何か製作しているのは、自由遊びではないということにはなりません。”
つまり倉橋は子どもが自由感を感じて遊んでいれば、それは自由遊びであると考えていたということでしょうか。倉橋は幼児による自由遊びを初めて重要視した日本人であると言えるものと思います。が、その保育理論である「誘導保育」の「誘導」という言葉には、子どものことは最終的には大人がコントロールすべきであるといったニュアンスがあるように感じます。
上記でいう「自由感」も子どもがそう錯覚させているだけで、結局は大人の手の上の「自由」ということであったとしたら、それは本当の自由遊びとは言えないように思えます。その点、今回の議論において藤森先生からお話頂いた「自由遊びにおいては、保育士が知らない部分や把握していない部分があってもいい」というお言葉は、自由遊びを考える上でとても重要なことだと感じました。

大切なことは結局のところ、子どもを信じる心を持つことなのではないかと思います。子どもを誘導する、コントロールするといった感覚ではなく、もっと子どもの持つ力を信じ、それを妨げないように接することが肝要なのではないかと感じました。
「見守る保育の三省」には下記の一文があります。
“子どもは、自ら育とうとする力を持っています。その力を信じ 子どもといえども立派な人格を持った存在として受けいれる事によって 見守ることができるのです。”
このことを胸に刻んでおくことが、自由遊びをする子どもへの接し方を考える上で最も大切なことなのではないかと思います。また「三省」することが如何に重要であるかということも、改めて実感させられた次第です。

報告は以上です! 
オブリガード! 
アディオス!
(報告者 小林)