『2019年1月1日』

 

「見ないで書いたの」

「見ないで書いたの」

すいすい組(5歳児クラス)の子が教えてくれました。

せいがぼうや

せいがぼうや

園のマスコットキャラ「せいがぼうや」に帽子を被せたアレンジを加えているようです。

すると、

「真似して書いたよ」

「真似して書いたよ」

皆、とても上手ですね。

皆、とても上手ですね

ブログ『臥竜塾』2019年1月1日『2019年1月1日』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

現在、私のブログの中で連載中ですが、昨年は、1994年にハリスが提唱した新しい理論に出会えたことは、私にとって大きな出来事でした。彼女は、子どもの発達について、家族よりもピアグループ(同年代の友人・仲間たちとの関係)に焦点を当てました。私は、「よりも」というほど強くはありませんが、最近の講演の中で強調しているのは、子ども同士の関係の重要性です。

頭にあるイメージで絵が描ける創造力に驚いてしまうのですが、それに影響を受けた子が真似をして続く、このような連鎖が自然と生まれることにも改めて感動を覚えます。子ども同士の関係から生まれる物語を今年も追いかけていきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

『怒りのコントロール3』

らんらん組(4歳児クラス)の子たち。ピーステーブルで興味深いやりとりを見せてくれました。

当事者が座っている二人(左の子以下左くん、右の子以下右くん)

当事者が座っている二人(左の子以下左くん、右の子以下右くん)

遊んでいる最中に左くんの口元に右くんの手がぶつかってしまったようで、痛かったことと、その思いを伝えるべく左くんが右くんをこの場所へ連れてきました。

見ている二人は仲裁役を果たします。

仲裁役の子「右くんが先ず最初にごめんねって言うんだよ」

仲裁役の子「右くんが先ず最初にごめんねって言うんだよ」

右くん「ごめんね」左くん「…」

右くん「ごめんね」左くん「…」

仲裁役の子「そう簡単には許せないとは思うけど…」

仲裁役の子「そう簡単には許せないとは思うけど…」

少しの沈黙。

マッサージ器具をくるくる

マッサージ器具をくるくる

右くんには悪気がなかったようで、中々許してくれない左くんのキゲンを伺うような雰囲気に。

仲裁役の子「左くんも謝りなよ」

仲裁役の子「左くんも謝りなよ」

この喧嘩が終わらないのは許してあげられない左くんにも原因があるのでは、という仲裁役の子の見解でしょうか。

少しの沈黙。仲裁役の子が動きます。

仲裁役の子「じゃあ、左くんはなんの気持ち?」

仲裁役の子「じゃあ、左くんはなんの気持ち?」

仲裁役の子「いま、泣いてる?」

仲裁役の子「いま、泣いてる?」

答えない左くん。

仲裁役の子「右くんはなんの気持ち?」

仲裁役の子「右くんはなんの気持ち?」

ここが秀逸でした。

(うれしい)

(うれしい)

仲裁役の子「うれしい…?なんでだよ笑」

仲裁役の子「うれしい…?なんでだよ笑」

仲裁役の子「喧嘩してんのになんで嬉しいんだよ笑」

右くんは解けた空気にほっとした様子。

その雰囲気につられて左くんが思わず感情表現パネルを覗き込みます。

その雰囲気につられて左くんが思わず感情表現パネルを覗き込みます。

仲裁役の子「(左くんは)悲しい気持ち?怒ってる気持ち?」

仲裁役の子「左くん、泣いてる?」

右くん「(左くんは)これ?」

右くん「(左くんは)これ?」

左くんにも笑顔が生まれ、けれども不本意に思わず場が和んでしまったことが許せない左くんはここからが苦労ですね。

右くん「(左くんの腕に触れて)ねえ」

右くん「(左くんの腕に触れて)ねえ」

右くん「左くん、これ?(おこってるを指差す)怒ってる?」

右くん「左くん、これ?(おこってるを指差す)怒ってる?」

右くん「ねぇ、これ?」

左くん「だから、そういうことじゃない!」

左くん「だから、そういうことじゃない!」

少し調子にのり過ぎてまた怒らせてしまいましたが、数分後、

「せっせせーのよいよいよい!」

「せっせせーのよいよいよい!」

仲直りできたようです。

ブログ『臥竜塾』2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

つくづく私たちホモ・サピエンスは、相手をやっつけることでは生き延びてはこなかったのだということを確信します。また、子どもたちを見ると、そのような怒りのコントロールの力を持っていることも見ることができます。また、けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。

また、3歳以上になると、私の園に設置されている「ピーステーブル」という場所にいって話し合いをしています。その話し合いをしている姿を見ると、まず、そこまで行くまでに頭を冷やし、断固した態度で相手と対決しています。しかし、普段の生活で、それほどストレスがないのか、簡単に解決し、仲よく一緒に戻っていきます。たまに、自分で自分の気持ちの整理ができないときには、仲裁する子がいます。こんな時に、変に大人が仲裁に入ると、怒りが増大してしまうことがよくあります。大人は、集結しようとその怒りの原因を聞きだそうとしますが、子どもたちは、腹の立つことを思い出すたびに怒りが少しずつ積み重なっていくばかりです。そして、最後には大人の権力を持って、集結させてしまうのです。子どものけんかは、けがのない限りは、放っておけばいいのです。

喧嘩をしても、子どもたちのように仲直りができたら。子どもたちから学ぶことの大切さを改めて感じます。

(報告者 加藤恭平)

 

『思考方法』

「これきれいだよー」

「これきれいだよー」

らんらん組(4歳児クラス)の子が教えてくれました。

トンボの目

トンボの目

トンボの目のつくりを再現したこの玩具に、

このブロックを合わせました

このブロックを合わせました

組み合わせの妙ですね。
ブログ『臥竜塾』2014年12月22日『思考方法』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
子どもにおける科学する力を考察するにあたって、いろいろな形式を組み合わせて学びを拡張していこうとする実践が行われています。そのために、約1世紀の間、幼児学校や進歩的な教師たちによって取り組まれてきました。同時に、脳の解剖学構造についての新しい知見が得られました。その知見によって、現場で直感的に知っていたことが正しかったことが分かってきています。それは、子どもたちの学習の可能性はとても大きく、それを効果的に伸ばすには、様々な学習の道筋が用意されていなければならないことが分かったのです。この解明について、現在、私が現場から感じている乳幼児における発達、それは、乳幼児期における学習、教育のあるべき考え方が、次第にいろいろな研究知見から説明されることと似ている気がしています。認知神経科学者は思考方法について研究しています。その結果、思考方法には異なった二つの形態があり、それが一緒になって働くことを確信しています。それは、「意識的な思考」と「非意識的な思考」という形態です。「意識的な思考」とは、自分がしていることを意識していて、情報を獲得したり、情報を使ったりするときに言葉を使います。一方、「非意識的な思考」は、潜在学習とか無意識思考とも呼ばれています。意識下で常に働いていて、言葉は使われません。この二つの思考形態は、お互いに影響し合いますし、普通心的活動でもこの両方が働いています。幼児の思考の多くは、社会的行動や言葉から、無意識のうちに複雑なパターンや暗黙のルールを学んでいきます。実は、科学には、この非意識的思考が重要なのです。科学的というと、情緒的と正反対な世界のように思えますが、実は、そこにはかなり人間の能力の中で五感以外の感覚が必要のようです。「ははぁ、やっとわかった!」という、思いがけない解決を経験することがよくあります。そのとき、意識的な思考では思いつかなかった解決を、非意識的なプロセスが導き出したものなのです。このようなことを、たぶん、「ひらめき!」というのでしょうが、科学的思考の領域では、想像力と同じように、直観的な洞察力も大切なのです。解決すべき問題を見つけ出したり、解決方法の目星をつけたりするときに、なくてはならない思考法だというのです。「確かにね!」と同感します。理詰めで考えを展開していくと息づまることがあり、ふと、直観的にひらめくことがあります。私たちの周りで進行している様々なことを意識して知覚できるのはほんのわずかで、ほとんどは非意識的プロセスによって取り入れているのです。そして、情報処理も、意識的思考よりも早く処理しています。さらに、非意識的プロセスは、まとまりを見つけ出したり、他の情報とのつながりをつけたりするときにも、とても効率的であるということが分かっています。
「あれとあれを組み合わせてみよう」というような、単純な思考と思えるその奥で、脳はとても豊かなプロセスを経過するようです。子どもたちの創造力、閃きが生まれる環境について、考えていきたいと思いました。
(報告者 加藤恭平)

『教師の意図』

 

「あー、なるほどね」

「あー、なるほどね。面白いね」

先日の土曜保育、ある先生が楽しそうに見つめていた光景が何とも興味深いものでした。

「ちょっと待ってね」

「ちょっと待ってね」

「どうぞ」

「どうぞ」

「やっぱり、流石すいすい(5歳児クラス)ともなるとね」

「やっぱり、流石すいすい(5歳児クラス)ともなるとね」

一番上に置かれたぐんぐん組(1歳児クラス)の子のお皿

一番上に置かれたぐんぐん組(1歳児クラス)の子のお皿

ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が何気なく片付けたお皿の上にどのようにお皿を重ねるのか、それを観察していたのですね。

「にこにこ組(2歳児クラス)の子はね、上に重ねちゃうんですよ」

「にこにこ組(2歳児クラス)の子はね、上に重ねちゃうんですよ」

「わいわい組(3歳児クラス)の子は気付いてたかな」

お皿が置かれる毎に元に戻して、その都度感心されていました。

ブログ『臥竜塾』2015年2月14日『教師の意図』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもたちは、いつの時代でも、教室や保育室や遊び場、家庭などで変わらぬ興味や疑問、そして関心を抱いています。子どもの発達に影響する環境とは、子どもの身の周りにあるすべてのものです。赤ちゃんは、物を投げるという行為をしたいときに、それがボールにかぎらず、あらゆるオモチャ、食器、身の回りの物を投げようとします。投げるものは、手に持つことができるものすべてです。同じように、子どもが興味を持つ者は、必ずしもそれが直接学習につながらないように見えるもの、大人から見るとくだらないものにでも興味を持ちます。

逆に、面白いだろうと思って与えたオモチャには見向きもしないこともあります。いけないと思うものに限って触ろうとしますし、遊ぼうとします。また、興味を持って遊んでいたかと思うと、すぐに違うものに興味が移ってしまうこともあります。興味を持続させることは、年齢が小さいほど難しいことです。しかし、その多くは発達過程に左右されることが多いのですが、年齢が上がるにつれ、知的能力レベルや家庭環境によって異なる子どもたちをひきつけ続けなければならないからです。そのために、教師は身の回りのものに目を見張らなければならないのです。

保育者の持つべき意図、それをその先生は「仕掛け」と表現されていましたが、日常の細やかな部分に焦点を当て、それを保育の面白みに変えてしまう先生の磨き上げられた保育者脳というのでしょうか、そのような感性が無ければ到底思い付くことの出来ない発想で、とても感動してしまいました。

(報告者 加藤恭平)

 

『文化の伝承』

先日OB父親保育が行われました。

給食のおにぎりの具を買って

給食のおにぎりの具を買って

帰り道、

「あのね、梅ジュース飲んだり、お風呂に入ったりするんだよ」

「あのね、梅ジュース飲んだり、お風呂に入ったりするんだよ」

買い出しに行って帰って、お泊まり保育のことを思い出したのでしょう、すいすい組(5歳児クラス)の子が話すそれをらんらん組(4歳児クラス)の子が頷きながら聞いていました。

ブログ『臥竜塾』2009年11月24日『文化の伝承』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもたちを文化的環境の中で育てるということは、子どもたちには、次世代に文化を受け継いでいってもらわなければならないからです。
 日本の文化というのは、どのような文化でしょうか。日本独特の文化とは、必ずしも日本で生まれた文化ということではありません。どこかで生まれ、何かの形で日本に伝わり、それが長い間に日本の風土に合ったものに変化し、日本独特の文化となっていくのです。もちろん、日本で考えられたものもあるかもしれませんが、それが、やはりほかの文化と融合したり、影響し合って成熟していくのです。ですから、ある意味では、文化とは、人々の生活であり、習慣なのです。文化とは英語圏では「cultivated」といいます。これは自己の内面を耕した状態のことを指し、成熟した状態を意味します。

成熟へ。伝えるべきものを伝えていく役割をこうして果たしていくのですね。

(報告者 加藤恭平)

『育児のヒント』

 

「寝る時いつも汗かいちゃうから半袖にした」

「寝る時いつも汗かいちゃうから半袖にした」

らんらん組(4歳児クラス)の子が嬉しそうに教えにきました。

季節は冬の足音を感じせますが、布団の中の温度調節は大人でも確かに課題であったりします。

ブログ『臥竜塾』2016年7月14日『育児のヒント』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもの自立心と責任感をともに高めるために、自ら求められる選択肢があること、それぞれの選択肢には結果が伴うこと、それは良い選択には良い結果、悪い選択には悪い結果を、幼いうちに子どもが認識するのを、私たちは手伝ってやれるとミシェルは言います。これは、日本では古くから子どもたちに「因果応報」といった言葉や、「バチが当たる」というような言い方で伝えてきたことと同じです。そのことばは、先を見通す力に通じます。

半袖で寝てみて寒かったなら次は長袖で寝てみようと思うものなのかもしれません。

こうして経験則を積んでいく子どもたちの日常の中で共に生活をしていることを改めて感じます。

(報告者 加藤恭平)

城の色

先日、お楽しみ会に向けて、年長児と舞台背景の仕上げを行いました。

今年の年長児は「ききみみずきん」です。

劇中に殿様が出てくるシーンがあるので、お城が必要になり、城の土台は私が作り、

城の屋根、外壁、石垣などの色は子ども達と塗ることにしました。

絵の具と筆、パレットを準備し、5人の子ども達と塗る作業に取り掛かる前にこんなことを聞きました。

「今から、お城を塗るけど・・・何色にする?」

すると・・・

「みどり!!」

「えっ!?」

聞いた瞬間、私と年長児の担任は固まりました。

私も、絵の具は黒、白と天守閣の黄色くらいしか用意しなかった・・・と言うか、

屋根瓦は黒で外壁は白で、石垣は灰色と勝手に思い込んでいいたので、「緑」と聞いて驚きました。

「いやいや、緑の屋根の城って(笑)どこのお城?」

とディズニーランドの城と勘違いしたのかな?と聞くと・・・

「名古屋城」

「・・・確かに!!緑だわ!!!」

Unknown

そう、名古屋城の屋根は緑なんですよね。

年長の担任に話を伺うと、名古屋城と答えた園児は歴史が大好きで、お城がとても好きなようです。

担任の先生はすぐに名古屋城の写真を印刷をしてきてくれて、それを見ながらみんなで塗り始めました。

DSC_1380

DSC_1382

久しぶりに子ども達と関わって、一緒に製作をしましたが、自分の刷り込みに反省した瞬間でした・・・。

(報告者 山下祐)

 

『お楽しみ会の考察7』

お楽しみ会が近付き、楽器ゾーンが盛り上がっています。

ブログ『臥竜塾』2012年12月16日『お楽しみ会の考察7』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

合奏ですが、3,4,5歳児の部屋には「楽器ゾーン」があります。普段は、そのゾーンは、楽器だけでなく、人形劇をやったり、コンサートをやったりと表現ゾーンですが、おたのしみ会が近づいてくると、様々な楽器が置かれ、楽器ソーンが充実してきます。それと同時に、いつもは人気のある製作ゾーンから、素材が少なくなっていきます。子どもたちは、あまり素材が多くない製作ゾーンよりも、あまり目にしない楽器がたくさん置かれている楽器ゾーンの人気が高まっていきます。そして、楽譜が何枚も置かれ、子どもたちの中には、好きな曲の楽譜を取り出してメロディオンを引き始める子がいます。そして、それに合わせて、タンバリン、スズ、トライアングル、大太鼓、小太鼓、シンバルなどを鳴らして楽しそうに演奏します。

中心にいる子が音頭をとって、「かえるの歌」の演奏をしていました

中心にいる子が音頭をとって、「かえるの歌」の演奏をしていました

「お楽しみ会の考察」読み深めて臨みたい内容であることを改めて感じます。

(報告者 加藤恭平)

『二分法』

 

水曜日の朝

水曜日の朝

子どもたちが決めて開ける朝のゾーン表。ブロックゾーンも製作ゾーンも開いていません。

「だって校庭開放*だから片付け大変でしょ?」

すいすい組(5歳児クラス)子から一言。流石だと思いました。

ブログ『臥竜塾』2017年4月14日『二分法』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

ここでまた、私たちが生きていく上で大切にしなければならないことが示唆されています。まず、ヒトが持っている能力を他の生き物と区別するものは、「能力の種類」ではなく、むしろ「能力を発揮できる程度」だということです。これは、私たちが大切なのは、どのような能力を持っているかということではなく、持っている能力をどのように発揮できるかということなのです。今回、教育として大切なものとして、「知識・技能の習得」が挙げられていますが、それも、どのような知識を持っているか、どのような技能を持っているかということが大切なのではなく、それらの知識をどのように使うことができるのか、持っている技能を何のために、誰のために使うかどうかに意味あるのです。

また、すべてのほ乳類と鳥類が生きていくための基本能力がどんなものであるか、そして、その能力のレベルがどのくらいであるかが問題であるということだそうですが、そのときの基本能力とはどのようなものかということが、私たちが持たなければいけない能力を示しています。ダンバーが、その例としてあげているものに、「因果関係を把握する」「類推する」を挙げています。そして、彼は、これらの能力が合わさって大きなスケールで展開されるときに、心を読む能力がふと出現すると言っています。このふたつの能力は、先の見通しが立てられるということであり、また、因果関係を把握するということは、仏教の世界でも大切にしていることでもあるのです。

保育者のような視点で朝のゾーンが決められていることを改めて感じました。

(報告者 加藤恭平)

*毎週水曜日、8:30頃〜9:30まで、近くの小学校の校庭をお借りして遊べる時間の総称です

『ハリスの考える進化9』

 

何をしているかと言うと

何をしているかと言うと

帰りの会です

帰りの会です

「皆の前でダンスをしたい」とすいすい組(5歳児クラス)の子どもたちから声があったので、それならばと任せてみることにしました。

集まった友だちの関心をダンスでこちらに向けた後、

今日の当番を前へ

今日の当番を前へ

「今日がんばったことは何ですか?」

「今日がんばったことは何ですか?」

「野菜(の配膳)です」

「野菜(の配膳)です」

最後の子にマイクを向けた後、

「今日は、散歩が楽しかったです。」

「校庭開放が楽しかったです。」

など、プログラムに沿ってそれぞれに思いついたことを言っていました。

明日の予定を話し、最後の挨拶へ。

驚いたのは、それまで話を聞いていたような聞いてなかったような子も、

椅子をしまって立ち上がります

椅子をしまって立ち上がります

「先生さようなら、皆さんさようなら」

「先生さようなら、皆さんさようなら」

最後は見事に全員で締めくくられました。

ブログ『臥竜塾』2018年10月21日『ハリスの考える進化9』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子育て神話では、子どもは空虚な脳をもって生まれ、親はそれを満たす義務がある、と考えます。いわゆる子どもは白紙で生まれ、そこに絵を描いていくのが親の義務であるという考え方が子育て神話を生み出しているようです。ハリスは、どう考えているのでしょうか?もちろん子どもたちは親から学ぶと言います。しかし、学ぶのは親からだけではありません。人間の子どもとして学ぶべきことは生まれてから学ぶことがほとんどですが、親がその学びを独占的に与えることがいかに不条理か、もっともな進化論的な理由があると言います。長期的に見たときに、親に感化されすぎることが子どもにとって好ましくないという理由は四つあると言うのです。

第一に、行動遺伝学者ディヴィッド・ロウが指摘しているそうですが、子どもが親からのみ学習するようになれば、彼らは同じ社会の他のメンバーたちによる有益で斬新な考えを知らぬまま過ごすことになります。便利で新奇なものは年配者よりも若者が考案することが多く、その点では先輩からだけでなく同輩から学ぶべき点も多いのです。同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいものである場合が多いのです。

子どもたちが話を聞いてくれない時は面白い話をしてない時、と塾長から教わったことが思い出されます。年配者である保育者は子どもたちの時代から20年以上遅れていると考えることもでき、タメになるようなことを言うこともできるかもわかりませんが、それ以上に子どもたちが興味をもって聞けるような工夫が必要であることを改めて感じます。

「同輩から学ぶものはより時節に合った現状にふさわしいもの」なるほど子どもたちは自然にそれを行い、受け手は自然にそれを受け止めます。保育者は、指導したり、握った主導権をかざしたりするのではなく、子ども社会に入り込む、お邪魔するといったイメージでも間違いではないのかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)