最近の塾長の講演の内容に新しい保育所保育指針についての話があります。平成30年から実施される保育所保育指針ですが、現行のものと大きく変わる点に「幼児期の終わりまで育ってほしい姿」ということで10の項目が挙げられています。今回はその10項目の中の1つである「数量や図形、標識や文字などへの関心・感覚」ということに注目して報告させていただこうと思います。
具体的な内容として「遊びや生活の中で、数量や図形、標識や文字などに親しむ体験を重ねたり、標識や文字の役割に気付いたりし、自らの必要感に基づきこれらを活用し、興味や関心、感覚をもつようになる。」と書かれてあります。
先日、わいらんすい(345歳児クラス)組で近くの公園にお散歩に出かけた時のことです。到着してしばらくすると、何やら遠くの方で盛り上がっている声が聞こえてきました。何だろうと思って近づいてみると、M先生と一緒に子どもたちが公園1周を走るという企画をしていました。
そして、すごいなと思ったのが、なんとM先生が子どもたちの公園1周のタイムを計っていたことです。
1週200メートルはあろうかという公園を子どもたちが走ります。そして、ゴールするとM先生から「47秒でした!」というようにその子のタイムが知らされます。
子どもたちも楽しんでいて、次々にいろいろな子が走っていました。
そんな中でM先生から「50秒でした!水曜日は48秒だったのにね!」という声が。そうです、なんと別の日にも同じようにタイムを計って遊んでいたのです。そのため、子どもたちは以前のタイムより、遅くなったのか、速くなったのか知ることができていました。これは自然と遊びの中で子どもたちが足し算や、引き算をする経験にも繋がりそうです。
この経験はまさに「遊びや生活の中で、数量、図形、標識や文字などに親しむ体験を…」につながる部分ではないかと思いました。
また、その中で実は私も子どもたちに混ざって、タイムを計っていただきました。結果は33秒だったのですが、ここでまた子どもの発見に驚かされました。私の後に男性のT先生が公園を1週走ったようで、結果は29秒でした。私はすでに公園の離れたところにいたのですが、その男性のM先生の結果を知ったある男の子が遠くから私に「先生〜!T先生29秒だって!いま、先生(私)は2位だね!」と興奮気味に教えてくれました。そうです、私のタイムをT先生が超えたので、全体の1位がT先生になり、そして、T先生が1位になることで、私が2位になったのです。そのことを理解していることに驚きました。T先生が1位になったから、私は2位になる。当たり前のことなのですが、この数字の入れ替えというか、順位の理解をしていることに驚きました。こういった体験も広い意味での数量に親しむこと、数字に触れることになるのではないでしょうか。
「先生ー!2位だよ!」と遠くから教えてくれました。
そして、数字とは関係ないのですが、先ほども言いましたが、この公園1周は200メートルはあります。正直、大人の私でも走っていて「長いな〜しんどいな〜」と思いました。しかし、子どもたちも同じ距離を走っています。きっと楽ではないと思うのですが、しっかり走りきっていました。
わいわい組(三歳児クラス)さんも挑戦です。
最後はちょっと疲れていますが、自分でやりたいと思ったことなので、走りきっていました。
これは10項目の一つである「健康な心と体」という部分につながるのではと思いました。内容には「保育所の生活の中で、充実感をもって自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせ、見通しをもって行動し、自ら健康で安全な生活をつくり出すようになる。」とあります。
自分のやりたいことに向かって心と体を十分に働かせることで充実感が生まれてくるということになります。達成感や充実感はやらされてやったことでは得られず、自分でやりたいと思ったことをやり遂げた時にしか得られません。この話は塾長がよく講演の中でもされます。公園1周を走るというのも誰が強制した訳でもなく、子どもたち自らがやりたいと思った子しか走っていません。だからこそ最後まで走ることを平気でやっていたんだろうなと思いました。
そんなことを思った時に感じたのは、保育指針の中に示されている幼児期の終わりまでに育ってほしい子どもの姿の項目ですが、子どもの行動の中にそれらの項目の内容がいくつも詰まっているのだなということです。今回の公園での走っている子どもの姿にも走って遊んでいるだけではなく、数を意識したり、自分のやりたいことをやるという健康な心と体という部分にも当てはまったりしていました。子どもの行動の中でにあらゆる大切な姿が詰まっているんだなと感じる出来事でした。
報告者 森口達也
先月頃から〝片付けチャンピオン〟という遊びを始めました。
ブロックゾーンにあるブロックをいくつ片付けられるかを競います。
最初の内は皆とても真面目に数字を数えていたのですが、賢い子ども達で1位になりたい気持ちから次第に数が700とか1000とかとんでもない数字を言うようになりました(笑)自己申告制なのでその辺りはご愛嬌ですね。
第一回優勝者です。嬉しそうですね。
いつも片付けが億劫だったのですが(笑)幾分か喜んで片付けてくれるようになった気がして、とても助かっています。
ちなみにこの黒板(ホワイトボード笑)は、
生臥竜塾ブログ2016年6月2日『第2回塾セミナーワークショップ』にて本多先生が報告されています。(太字をクリックするとその回の全文を読むことができます。)その黒板で、
このチャンピオンベルトは、
先日行われました夕涼み会のプロレスコーナーにあったものです。
リングにかかっていますね笑
この〝片付けチャンピオン〟という遊びをオリンピックイヤーにちなんで〝片付けオリンピック〟に改定しました。
数字がとんでもない数字になるにつれて子ども達から不平不満の声が出るようになってきた為(笑)ルールも改定し、〝その時ブロックゾーンにいた子達全員でチームになり、何秒で片付けられるかを競う〟というものにしました。
団体戦ですね。初日は基本となるタイムがない為、もちろん優勝です(笑)
第一回メダリスト達です。嬉しそうですね。
初回は表彰式のBGMも流しました(笑)
片付けるブロックの多い日もあれば少ない日もありますし、参加する人数によってもタイムに違いが出るのは当然なのですが、そこにはまだ不平不満の声は出ておらず(笑)一生懸命やってくれるので嬉しくなります。
ちなみにこのメダルは、
先日行われました夕涼み会のオリンピックのコーナー用に、職員が木を彫って一生懸命作ってくれたものです。
毎日大活躍してくれています。素晴らしいものをつくっていただいて、本当に感謝です。
11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2012年10月3日『夕涼み会3』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〝園でよく感じるのは、保育者は、いろいろな物をつくる能力とノウハウとセンスをたくさん持っていることです。個々場所の装飾など、センス良く、素敵につくることもできます。それなのに、どうしてか「保育室とは」、「子どもとは」ということにすりこみがあるようです。とても素敵なものが作れるのに、どうしても子どもだましのようなものが子どもにとって合っていると思い込んでいることがあります。私の園では、夕涼み会の装飾は、後期における室内装飾に応用することにしています。1日の行事のためだけに装飾したり、作り物をするのはもったいない話です。〟
子供騙しでない、真実の遊び。大人も夢中になって取り組むからこそ子ども達にもその魅力が伝わるのかもしれませんね。
リオオリンピックが無事閉会式を終え、いよいよ2020年に向けて日本中の期待が高まっていくことでしょう。日本国民の一人として、そして保育者の一人として、大いに応援していきたいと思います!
(報告者 加藤恭平)
P.S 今回の夕涼み会では聖火台も用意されました。
塾頭、西村先生の工夫です。これは本当にお見事!
先日、東京の気温が氷点下になりました。
そうなると何が起きるかと言うと、水たまりが凍るのです。
これは皆さんも経験があると思います。
私も小学校のときに水たまりが凍っているのを見ると傘で突っついてみたり、
踏んで音を楽しんだり。氷で遊びながら登校した記憶があります。
その日4階で観葉植物や花に水をあげていると、
西村先生が大慌てで4階を走り抜けて、階段を駆け下り、子ども達のお部屋に行きました。
何だろう!と思い私も追いかけてみると・・・
そう!大きな板状の氷です!
あまりにも立派な氷で私もテンションが上がりました(笑)
写真のように氷の下に手をあてて透けているのを観察したり、
冷たさを感じたり・・・。それぞれが板状の氷に対して関わっていました。
すると担任の先生が
「どれくらいの厚さだろう??」
と言った瞬間、西村先生がまた走っていきました。そして数秒後にものさしを持って帰ってきました。
「だいたい3㎝ですね!みんなも測ってみな」
と子ども達にものさしを渡しました。
西村先生の見よう見真似で年少の子どもが氷にものさしをあてて、厚さを測っていました。
おそらくものさしの使い方、数字もまだ理解ができないであろう年少の子どもですが、
必死に測ろうとしている姿をみて、彼の中で「文字・数・科学」に対する興味・関心・好奇心が芽生えたのかな?と思った瞬間でした。
そして子ども達に何か面白い物を用意しようと瞬間的に感じとり、瞬時に行動に移す西村君を見て、保育者として、用務員として、そして同じ職種のパートナーとして頼もしく感じた瞬間でした。(報告者 山下祐)
その日の345歳クラスのリーダーはベテランの男性保育士でした。
たまたま、朝の会の横を通りかかると、ホワイトボードを使って子ども達と遊んでいました。
瞬間的に何か面白そうだ!と思い僕も子ども達と同じように朝の会に参加することに(笑) どうやら言葉遊びのようです。
写真のようにホワイトボードにマスを書いて、そのマスの中にマグネットがついたカラフルな積み木を貼って…
「では○○君、右から3番目、上から2番目の積み木はどれですか?」
と聞いて、あてられた○○君は、じっと考え…
「これ!」
「違います!正解はこれです!」
といった具合で朝の会をしていました。
よく塾長の講演で 小学校に行ったら嫌でも長い時間座って授業を受けないといけません。ですので待つ行為はやはり必要です。しかし、だからと言ってつまらない授業をしたら子どもは飽きて、立ち歩くのはしょうがありません。もっと子ども達が楽しめる授業を先生は行う必要があります。
また、この出来事を塾長にすぐに報告し、これは言葉遊びなのか、どういう分野になるか聞いたところ、「座標」と教えていただきました。小学校くらいで座標を学んだ記憶があるので、もしかしたら年長さんでも知るのは少し早いのですか?と聞いたところ、そうではなく、例えばお便り帳を入れるウォールポケットの上下左右の端に「うえ」「した」「みぎ」「ひだり」という文字を記すことで、日常的に体験することができると教わりました。
少し見にくいかもしれませんが、丸くて白い人形がついたものに「した」「うえ」と書かれた文字が貼ってあります。
「だからかっ!!」
確かにウォールポケットに上下左右を記してあるのはその為だったのか・・・と気付きました。
その日の朝の会は子ども達60人全員が先生の話を聞き、誰一人私語をしないで、集中して座って聞いていました。私もその一人で食い入るように朝の会で先生の話を聞いていました。 (報告者 山下祐)
今、塾生が「単位」ということでブログを書いています。なかなか面白う報告で、えんでもずいぶんとさんこうになることが多いですね。そこで、園での「数」のゾーンの作り方のために、小学校ではどのように算数を教えるのかをすこし説明します。
小学校の学習指導要領の算数に書かれている項目にはある特徴があります。まず、多くの他の教科は、2学年ごとに目標・内容が設定されていますが、算数は、学年ごとに目標や内容が決められています。
次に、「目標」を見てみると、第1学年と第2学年にだけ書かれている言葉があります。それは、目標の最初に、必ず「具体物を用いた活動などを通して」が書かれてあります。まだまだ小学校低学年においては、発達から見ると、数や形の把握は具体物を通さないと理解が難しいのです。当然、幼児期ではさまざまな生活において具体物を通して、「数」に触れるようにしなければなりません。
次に、私たちがよく「数」という内容は小学校では「算数」という教科につながっていくのですが、そこには、大きく四つのカテゴリーに分けられています。
A 数と計算:数についての感覚を豊かにする。数の意味や表し方について理解できるようにするとともに、加法及び減法の意味について理解し、それらの計算の仕方を考え、用いることができるようにする。
B 量と測定:量とその測定についての理解の基礎となる経験を重ね、量の大きさについての感覚を豊かにする。
C 図形:図形についての理解の基礎となる経験を重ね、図形についての感覚を豊かにする。
D 数量関係:数量やその関係を言葉、数、式、図などに表したり読み取ったりすることができるようにする。
です。
ドイツでは、保育室の数のコーナーに置かれていたさまざまなものが、カテゴリーに分けて置かれているところが何園かありました。園の中でも、それを意識してゾーンを構成してみてはどうでしょうか?
先日、近所の雑貨屋さんにふらっと入ると、布製の「身長計」が目に止まりました。最近、「文字・数・科学」という視点から保育を行っていくよう意識していたので、目に止まったのだと思います。
さっそく購入し、次の日に壁に設置してみました。すると、子どもたちは次々に興味を持ち始めていました。初めは、自分と友だちの身長を比べていましたが、次第に様子が変わってきます。
身の回りにある様々な物を比べ始めたのです。
私は、“きっと身長を測るだろう”といった予想のもと、「きみのしんちょうはなんせんち?」という言葉を添えたのですが、子どもたちの飽くなき好奇心は、それに留まることなく、様々な物の長さを調べ始めたことから、「いろんなものをはかってみよう!」といった言葉でもよかったなぁとふと感じました。子どもの行動というのは、良い意味で大人の予想を裏切ってくれます。その柔軟さについていける、幅の広い予想を持たなくてはと思います。
そんな思いを抱いている時、同じ保育室内に紙上の「身長計」が既に貼られていたことに気がつきました…。恥ずかしい話なのですが、その存在を認識していませんでした。ここで感じたのは、同じ環境があっても、アプローチの仕方や環境を設置する場所によって子どもの反応は違ってくるということです。きっと、子どもの「動線」の話も関連していると思うのですが、私が設置した場所は、既存の「文字・数・科学」ゾーンのそばではなく、普段お昼寝や、ホールに行く際に必ず開ける扉のすぐ横に設置してみました。これには、私なりの意図がありました。
ある例え話です。
あるビルのエレベーターが、非常に遅いという苦情がオーナーのもとに来ました。つまり、待ち時間が長いのです。オーナーは困りました。なんとか、あまりお金をかけずにこの問題を解決したいなぁと思っていました。
みなさんなら、何をするでしょうか?
3…
2…
1…
アンサー!
そのオーナーはというと、エレベーター前に「鏡」を設置したそうです。その途端、その苦情はなくなっていったそうです。私も、詳しくは分かってはいませんが、きっと同じ待ち時間でも、鏡で“自分の身なりを整える”という時間を作ったことによって、待ち時間に別の付加価値を加えたのだと感じています。
この話を思い出し、普段、上の階に行く時には必ずこの扉の前に並んで待っている子どもたちの時間を、「数」の時間にしようと考えたのです。
そして、ふと、物を測っている子どもたちは何を知りたがっているのだろうと思いました。長さを知って何をするためなのでしょう。よく理解できていませんが、物を測り、大きさを知る行為というのは、ある決断を行う時に必要不可欠な情報としてなくてはならない存在なのだと思います。その決断のスムーズさが、物を測る行為と関連しているのではと予想します。まるで、その物と自分との距離を図っている行為のようにも感じました。様々な情報の中から、子どもたち自身で必要な選択ができるような環境を考えていきたいと思っています。
(報告者 小松崎高司)
子どもたちは「数」も、生活や遊びを通して学びます。
3・4・5歳児の朝の集まりで出欠確認をして、今日の欠席人数をみんなで把握しています。その行程の際などに、数字と人数の一致を分かりやすく視覚的に理解できるものであったり、自発的な遊びを通して数に親しめるようにといった狙いのもと、新人の用務員がこれを作ってくれました。
木の容器に、はんだごてで数字を書き、容器の周りを移動する囲いを木片で作り、そして中には12個の花のクリップが入っています。木の容器を「植木鉢」に見立て、その鉢に自分が決めた数字分の花を植えるという手作り玩具です。
塾長のブログにはこう書かれています。
「小学校の1年生での数の指導では、物の個数を直観的に把握させること、つまり集合数としての数の役割を重視する考え方を直観主義といい、物を数えるという操作を通して把握させること、つまり順序数としての数の役割を重視する考え方を数え主義といいます。数の概念を形成するにあたって、どちらの意味も、具体に即して、正しく理解させ、両方の調和のとれた指導が必要だとされています。しかし、子どもたちは、小学校に入学する前から、両方を生活や遊びの中で経験していきます。」
この手作り玩具は、まさにその経験を可能にしている環境のひとつです。植木鉢に咲いている花の数を当ててみたり、数字の羅列から順序数を把握しています。これは、決してやらせれているのではなく、子どもたちが自発的に遊びを通して行っているところが最大のポイントであると感じています。
ある子どもが、その玩具で遊んでいました。その子どもは、初めから12個の花クリップ全てをつけていました。クリップをつける感触を楽しんでいるのかなと思っていると、自分が決めた数字分の花を容器に戻し、数を引き始めたのです。子どもたちは自発的に行っているからこそ、自分でルールを考えたり新しいものを創造していけるし、数という対象の深い認識にもつながっていくのだろうなと感じました。
(投稿者 小松崎高司)
私のいる園では毎週体育の時間あります。その中では、決まった2つのグループに分かれて、鉄棒や跳び箱、マットなどの運動をしています。
つい最近、その中で面白いことに気付きました。
その面白いことは、鉄棒で逆上がりができた人数を、2つのグループ(仮にAとBグループで呼びます)で競い合っている場面で起きました。
結果はAグループが3人できて、Bグループが2人できたという感じだったのですが、先生が「今回はAグループの方ができた人が多かったね」と話し、Aグループが喜んでいると、Bグループは悔しがりながらも、ある子が「ちょっとまって!だってAの方が人数が多いからじゃない?」と発言したのです。
そうなんです。その日は確かにお休みの子がいて、決まったグループでやっているため、偏りができて、Aグループが10人、Bグループが8人だったのです。
私は「良く気付いたな」と子どもたちに感心していたのですが、本当に驚かされたのはその後でした。
体育後に、担当していた先生にその場面のことを聞いてみた所、こんな話が返ってきました。
「体育というと、跳び箱を飛べたか、鉄棒ができたかという所だけ見られがちなのですが、今日の様に意図して人数を合わせず、そこで数のことも学べるようにしているんです」
この話を聞いた時に、確かに数を学ぶことを意図していない人だと、おもわず最初に人数を合わせるだろうなと感じました。
そうなると、今回の様に数の違いに気付く子は出てこないと考えるとすごくもったいない気がしてきます。
普段、遊びの環境、言葉掛け、関わりの中では、文字であったり、数を意識していたのですが、運動の中に数というのは意識したことがなく、その話を聞いた日から運動の見方が変わりました。
他にも、日常の中で普通になっていることの中に、まだまだそんな子どもたちの学びチャンスがあるのではと思うと、常に子どもたちの様子をみて学ぶ大切さを感じます。
(投稿者 西田 泰幸)