何気ない今日と云う日が いつでも記念日

 

先日の土曜日の午睡明けです。

先日の土曜日の午睡明けです。

土曜日なので平日と比べて子ども達の人数も少ないですね。いつも以上にどこかのんびりとした雰囲気が感じられます。

この日ものんび〜り、ゆった〜り、過ごすだろうと思っていたPM15:21、

「おとめ山公園でおやつ食べてきたら?」

我らが誇るベテランの先生の言葉で、何かスイッチが入ったような気がしました(笑)

「人数も1,2,3,…じゃジュースとか準備しちゃいますね。」

「人数も1,2,3,…じゃジュースとか準備しちゃいますね。」

 とは、ベテランの先生と誕生日が一緒のこの先生。この手際の良さ(笑)成り行きのスムーズさに関心してしまいました。

園庭でおやつを食べることはよくあるのですが、散歩先でとの提案に大喜びの子ども達で、早速準備をしていました。

「早くー!」

「早くー!」

 

「おとめ山公園のあの虫がいっぱいいるところがいいよね!」

「おとめ山公園のあの虫がいっぱいいるところがいいね!」

「あの丘のところ?」

「そうそう!」

「あそこはテーブルもあるから丁度いいよね!」

自分達で散歩の場所を決め、

出発!

出発!

 

到着!

到着!

きなこ棒とジュースを美味しそうに頬張る子ども達でした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年8月29日(この日のブログは〝11Anniversary〟の日!)『ポジティブな養育4』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝日本における教育基本法にある教育の目的に、平和で民主的な社会の形成者としての資質を備えることとあります。この目的に向かって、保育者は子どもを教育する必要があります。それには、平和とは何かを体験させること、民主主義とはどのようなことかを、さまざまな場面で体験させることも必要になってきます。アメリカの国立小児保健・人間発達研究所では、質の高い保育の要素の一つとして、「社会的な行動の奨励」を挙げています。その例として(中略)

「保育者自身、よい行動をお手本として示しているか?」とあります。保育者が、社会的行動の奨励として手本を示すということは、どういうことなのでしょう。保育者同士、仲が良いとか、助け合っているとか、チームワークがよいということなのでしょうか?そういう意味で言えば、職員同士派閥があるとか、職員同士確執があるとか、職員がバラバラであるということは、質が低いということになりますね。〟

アイディアを生む力。そしてそのアイディアに〝乗る力〟。 散歩先でいただきますをするまでのたった20分の間に、発案、準備、実行という全てが滞りなく行われるこの力を〝チームワーク〟と呼んでいいのなら、抜群の力が発揮された一場面のように感じられました。

また、発案者、そして準備をしてくれた先生は散歩先に行っていないというところも見逃せない点だと思います。子ども達に楽しい体験をさせたいという思いは、言うまでもなく園の先生方全ての共通のものであることを改めて感じます。

〝社会的行動の奨励〟。固定観念や刷り込みに囚われることなく、現状をより良いものにしていこうとする保育者の試みは、これから社会に羽ばたかんとする子ども達に財産のように蓄積されていくことでしょう。

その一端を感じたこの度の出来事でした。

おやつ後、遊んでいると園の保護者の方とお会いしました。一緒になって遊んでいただき、帰り際に頂いた「こちらこそ遊んでいただいてありがとうございました。」との言葉に、保護者の方々にも保育を理解し、温かく見守ってもらえている日常があるのだということに改めて気付かされるような思いになりました。

おやつ後、遊んでいると園の保護者の方とお会いしました。一緒になって遊んでいただき、帰り際に頂いた「こちらこそ遊んでいただいてありがとうございました。」との言葉に、保護者の方々にも保育を理解し、温かく見守ってもらえている日常があるのだということに改めて気付かされるような思いになりました。

(報告者 加藤恭平)

ALL STANDARD IS YOU 〜あなたの幸せ願わない日はありません〜

先日の給食の時のことです。

「ごちそうさまでしたー。」

食べ終わって、食器を片付ける輪の中に混ざってこっそりと苦手なものを残しておしまいにしようとする子が、、そんなシーンが目に入ってしまいました(笑)

〝自分で決めた量だから責任を持って食べる〟

正しい答えとしてはこうだと思います。

配膳の際に子ども達は自分で量を決めます。(僭越ですが配膳についてはこちらをどうぞ)。

決めた以上は食べる。自分で決めたことを最後までやり通す力、そこで育まれる責任感を思うと、やはり最後まで食べ切ってほしい、そう思う気持ちが半分。

あとの半分は、、

先日の園内研修をきっかけに、こういった事柄があった時に、〝あの先生ならどうするだろうか〟と、聞くことに躊躇いがよりなくなったように感じています。

にこにこ組(2歳児クラス)で掃除をしておられた、我らが誇るベテラン先生の言葉は、とても胸に響きました。

「それはその人の道徳観であったり、自分の中の価値観であったりすると思う。〝食べ物は粗末にするんじゃない〟という答えも正解。〝ここまでよくがんばって食べたね〟という答えも正解。色々な正解があって、それがチームで保育をすることのすごく良い所で、多様性の良い所で、〝私はこう思う。それじゃ君はどうする?〟という問いかけがその子にとって大切で、そこでどの価値観を選ぶかはその子次第じゃないかな。」

この時点で胸も目頭も熱くなる想いだったのですが、先生はこう続けて下さいました。

「その子に委ねてみる。〝価値観ですら選択できることが選択制保育〟では。」

「僕らは、子ども達にとって環境の一つだからね。」

とても感動しました。それと同時に、語彙が少なくて申し訳ないのですが、先生の言葉を聞く数分前と違って心が軽くなるような、そんな気持ちになりました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月24日『クール』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝リーダーにとって必要なのは、他者の心を打つメッセージを表明する能力だと言います。確信を持って自分の気持ちを表明できるリーダーから、共鳴は周囲に広がっていくのです。なぜなら、その気持ちとは、本心から発したものであり、価値観に深く根ざしているからなのです。

EQの高いリーダーは、楽観や同情や連帯を感じさせる夢を言葉にし、明るい未来を語ることで人々の心を動かすのです。そこで、私は、リーダーは「語る力」が必要だと思っています。「語る力」とは、「他者を感動させる力」だけでなく、「他者を前向きの気持ちにさせる」ことも必要です。〟

自分の価値観というものが、素晴らしい人の傍にいることや素晴らしい人の教えに触れることで、変化をし、その変化は自分の人生をより豊かにし、そうして自分が見守ろうとする子ども達にとって豊かな人的環境として存在し得るのだということを、実感として感じた思いがしました。

そして、ベテランの先生の言葉に触れることができ、藤森先生の教えに辿り着くことができたのも、給食を残してくれたその子のお陰であることを思うと、やはりどんな状況でも感情的になったりして心をなくすことなく、感謝をするべきなのだ、と思ったりします。

目の前で起きるいつものこと、よくあること、そういったことの中にも自分の力の及ばないドラマが待ち受けているようです。いつでも準備をして、毎日を発見と感動でいっぱいにしたいと思ったこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

 

君の声を聞かせて〜雲をよけ世界を照らすようです〜

片づけオリンピック午前の部(?笑)を終え給食の配膳へ向かう子ども達です。

 

決めのポーズも決まっていますね。

決めのポーズも決まっていますね。

すると、配膳へ向かう子ども達から嬉しそうな声がしました。

見るとこのようなテーブルの配置になっていました。

見るとこのようなテーブルの配置になっていました。

 

ちなみにいつもはこんな感じで、この上にテーブルクロスをかけます。

ちなみにいつもはこのような具合でこの上にテーブルクロスをかけます。

小松崎先生に聞くと、〝ある子がいつものような元気がなかった。何か楽しいことはないかとテーブルの位置を変えることを提案してみた。すると瞬く間に元気になり(笑)次々にアイディアが出てきて、この机の並びになった〟とのこと。

藤森先生のブログで読んだ〝参画〟の言葉を思い出しました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月29日『ドイツ報告3』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ミュンヘン市が、1997年、子どもの権利条約の採択を受けて、市長はじめ、子どもに関するすべての行政職員、ボランティアみんなで検討して取り組むことに決めた課題です。そして、バイエルンという保育指針のような幼児教育が取り組む課題として、この「参画」が書かれることになり、デモクラシーについて、考えていこうということにしたのです。そして、この参画に取り組むようになった経緯としては、子どもにとって最も効果的な学びととは、子どもに興味関心を持たせることにあり、そこには個人によっての個性があるために、参画という考え方をすることになったと言います。

 参画の例としてあげられているのは、例えば、食事について、子どもは誰と、どのくらい食べるのかを決める権利があるというようなこととか、どんな遊びをしたいか、新しい遊具を買うときにも、子どもたちによる投票によって決めます。また、買い物に行くときなどは、各グループから代表が選ばれ、彼らのよって提案されます。このような参画の内容については、それぞれの園によって子どもと一緒に、また保護者とも一緒に決め、均一はないと言います。〟

子どもの提案からそれを実現へと導いた小松崎先生のアプローチは、参画の考え方に沿うものであるように感じられました。

そして皆でいただきます!

そして皆でいただきます!

面白い発見がありました。

この席や、

この席や、

 

この席。

この席。

 

子どもが考えた配置なので無理が出てくるのですが(笑)そこをうまくよけたり、避けたりしながら食べています。

いつもは2席が丁度のこの席に(笑)

いつもは2席が丁度のこの席に(笑)

 

このテーブルは6人(笑)

このテーブルは6人(笑)

 

ここに至っては7人(笑)

ここに至っては7人(笑)

テーブルの下の子ども達の足はほとんどが椅子の下に引っ込んでいて(笑)そんな風にして気を配っている子ども達がとても可愛く思えました。

そんな姿を笑いながら見守るクラスの先生方に、改めてクラスの先生方の素晴らしさ、職場環境の素晴らしさ、そして保育の可能性を感じるこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

ラッキープール 〜こうして面白い遊びを これからも探すでしょう〜

先日から、改めて臥竜塾ブログ〝リーダー論〟のカテゴリーに上がっている回のブログを読み返しています。

胸がわくわくします。本当に面白く、勉強になります。臥竜塾ブログの右側に検索欄があり、そこに〝リーダー論〟と入れても読むことができますし、下にスクロールしていただいて、『カテゴリー』の欄の中の〝リーダー論〟をクリックしていただいても読むことができます。

保育者であれば、職場でリーダーとしての立場にいないと感じられている方にも必見の内容で、というのも「保育者は子ども達にとっては時に遊びをすすめるリーダーでもあるよね。」との藤森先生のお言葉の通りで、日々の保育に直結した、臥竜塾ブログファンにはたまらない(笑)項目だと思っています。

例えばこんな回があります。

『臥竜塾』ブログ2013年3月12日『ユーモアとコンピテンシー』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝有効的なユーモアは、後で考えればつまらないジョークでも、張り詰めた空気の中で笑いや微笑みを誘うことができれば、それで十分だと言います。それは、「笑いを誘う」というよりは、「場を和ませる」ということなのでしょう。そのために、私は空気を読む力と、瞬時にその場に必要な空気を感じる力が必要だと思っています。〟

〝こんな調査があります。役員の中からリーダーの地位に昇進する者を選ぶための面接で、どの役員が面接中に何度笑いを取ったかを記録し、誰が二年後に優秀なリーダーになったかを追跡調査しました。その結果、優秀なリーダーになった役員は、平凡な役員の二倍も面接官を笑わせていたことがわかったそうです。

 そうしてみると、優秀なリーダーは、緊迫した状況に置かれたときでもユーモアを忘れず、その場の空気を変える前向きなメッセージを送っていることがわかったのです。〟

優秀なリーダーの定義のような、そんな言葉に出会うことができます。

そんなことを頭の片隅に置きながら保育にあたると、すると先日こんな場面に出会うことができました。

一番右、輝く映るは我らが誇るベテラン先生です。

一番右、輝く映るは我らが誇るベテラン先生です。

子ども達が熱狂して見ているその視線の先には、

わかりますでしょうか。

わかりますでしょうか。

 

滝!(笑)

滝!(笑)

大喜びの子ども達です。

時々入浴剤を入れてみたり(笑)

時々入浴剤を入れてみたり(笑)

 

こんなに面白いことをしていたら、それは自然子どもも大人も集まりますね(笑)

こんなに面白いことをしていたら、それは自然子どもも大人も集まりますね(笑)

このような先生の傍で働くからこそ、僕達も面白いことをやってみよう、これはどうだろうと色々と考え、実践してみようとする気持ちになるのだと思います。

何より、滝をつくったりと遊んでいる先生が誰よりも楽しんでいるようにも感じられます(笑)

ユーモア。遊び心。誰しもが持っている感性を自然なままに表現できる環境程素晴らしいものはないように思われます。改めてこの環境で働くことのできる今に感謝の気持ちが湧いてくると同時に、自分もまた、そういうリーダーになりたいと思うこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

everyday, marshmallow day!!! EPISODE FINAL

 

「おかわりくーだーさい。」

「おかわりくーだーさい。」

 

早速何人かの子がおかわりに来ました。面白かったのがその殆どがわいわい組(3歳児クラス)の子でした

年齢別で考えることではないとは思いながら、やはり幼い子には我慢することや、先の見通しを持つこと、また、保育者が大勢の前で言ったことを理解することというのは、簡単なことではないのかもしれません。

そんな中、面白かったのがらんらん組(4歳児クラス)の子達で、

二人で手遊びを始めました。

二人で手遊びを始めました。

 

「もうすぐ麺が来るんだよー。」このボーダーの男の子はおかわりに来る子に話しかけ、自分の気持ちを逸らしていました。

「もうすぐ麺が来るんだよー。」このボーダーの男の子はおかわりに来る子に話しかけ、自分の気持ちを逸らしていました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年5月6日『動機』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ミシェルが行った「マシュマロ実験」はいろいろと面白い結果が出ました。(中略)この実験で最良の結果を出した子どもたちは、気を逸らす方法を独自に考え出していたのです。一部の子どもは実験者が戻ってくるのを待つあいだ、ひとりでしゃべったり歌ったりしていたのです。

 私の園でも、いろいろな場面で子どもたちは「待つ体験」をします。子どもたちは、待つことができるように様々なことを考えます。友達とおしゃべりをする、手遊びをするなどです。〟

まさにブログに書かれている通りで、子ども達は独自に気を逸らす方法を考え出していました。

そして調理の先生登場!

そして調理の先生登場!

 

〝待つ〟ことを見事達成した子ども達です。

〝待つ〟ことを見事達成した子ども達です。 

『臥竜塾』ブログ2016年8月13日『運命か?』の中にはこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝ミシェルは、子どもでも大人でも自制心を育むことは可能で、前頭前皮質を意図的に使ってクールシステムを活性化させ、ホットシステムを調整できると言っているのです。

 彼は、これを可能にするスキルがあれば、刺激にコントロールされることを免れられるので、その時々の衝動やプレッシャーの言いなりになる代わりに、自制を達成し、真の選択ができるのだというのです。

 彼は、現代科学が与えてくれる主要な教訓を挙げています。それは、私たちの脳の構造は、DNAと子宮内での発育によってあらかじめ運命付けられているのではなく、以前に思われていたよりも順応性があり、私たちは積極的に関与し、自らの人生をどう生きるかによって自分の運命を形作られるということを挙げています。〟

私たちは〝待つ〟ことを始めとした〝自制心〟という力を育み、鍛えることによって運命を、人生を切り開いていくことができる、ということです。

子どもの時からこのような環境で過ごすことの大切さを改めて感じると同時に、保育者としては子ども達にこのような力をぜひともつけて社会へ羽ばたいてほしいと思うところですね。

そして私たち大人も。より良い人生を手に入れる方法は目の前に広がっていたということを感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

everyday, marshmallow day!!!

 

空っぽのボールです。

空っぽのボールです。

 

皆に大人気絶品ミートソースがこの日の給食。配膳時に皆が〝いっぱい〟を言うので、あっと言う間に売り切れ(?笑)てしまいました。

 

おかわりしたい子に、と余っていた手付かずの麺お椀一杯分をボールに入れました。

おかわりしたい子に、と余っていた手付かずの麺お椀一杯分を優しくて可愛い職員がボールに入れてくれました。

調理の先生からは、「今おかわり分を茹でていますのでちょっと待っていて下さい」との連絡が。

ここで、皆に聞いてみました。

「ちょっとでもいいから今すぐおかわりしたい人は並んで下さい。そのかわりおかわりはちょっとです。」

「今調理の先生が麺を茹でてくれています。いっぱい食べたい人は待っていてください。」

「これマシュマロテストみたいですね。」と先ほどの職員が気付いてくれました。本当に、まるで、マシュマロテストそのものだと思いました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月17日『実験結果』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝マシュマロを一つ置いておき、食べないで待っていれば、あとでもう一つあげるといい、もしどうしても食べたければ、ベルを鳴らせばいいよと言って部屋を出たときにどのような行動をするかを観察したのがマシュマロ実験とか、マシュマロ・テストとか呼ばれるもので、ミシェルらが行ないました。これは、主に欲求を満たすこと(欲求充足)を、先に延ばすことが出来るかということをテストしたもので、自己抑制力とか誘惑に打ち勝つ力だとか、我慢をする力だとか、意志の強さなどに関係してくるものです。〟

今年度の成長展のテーマは〝自制心〟です。テーマが決まり、そこにスポットを当てると、こういう場面にすぐに出会えるような気がして、不思議ながらいつもわくわくします。

それは逆を返せば、子ども達が成長をしている機会、保育者や研究者がその対象にしたいと思えるような事象に、実は毎日は溢れていて、それに気づけないだけなのかもしれませんね。

さぁ検証の結果はいかに!次回報告します。

(報告者 加藤恭平)

私待つわ いつまでも待ちます

今年度の成長展、テーマは〝自制心〟。そんなことを思いながら写真を撮り集めています。

「我慢できている姿ばかりじゃなく、今はまだ我慢できない姿を追っていくことで、成長展の時にその子の成長を見せられるのでは。」

係での話し合いを受けて、様々な場面でカメラを向けています。

すると先日、ホールで運動あそびをした際にこんな姿と出会いました。

注目はこの一番左端の緑のズボンの男の子。

注目はこの一番左端の緑のズボンの男の子。

ボルダリングのスペースに順番を待つ為に並んで、もうかれこれ5分程経っています。

左の子とお喋りをしながら待っています。

左の子とお喋りをしながら待っています。

 

こんな感じで、何人の子が遊んでいる姿を見送ってきたことでしょう。

こんな感じで、何人の子が遊んでいる姿を見送ってきたことでしょう。

 

赤い服の子が終わればいよいよその子の番です!

赤い服の子が終わればいよいよその子の番です!

 ところが赤い服の子が長い長い!(笑)

足を曲げて体をクネクネさせています。

足を曲げて体をクネクネさせています。

 

ちょっとぼーっとしてみたり、

ちょっとぼーっとしてみたり、

 

足を伸ばしてみたり、

足を伸ばしてみたり、

 

足をあぐらのようにしてみたり、

足をあぐらのようにしてみたり、

 

鼻をかいてみたり、

鼻をかいてみたり、

 

足をバタバタさせてみたり、

足をバタバタさせてみたり、

 

(お、そろそろかな?)

(お、そろそろかな?)

 

終了!

終了!

 

急ぐ彼!

急ぐ彼!

 

そして念願のボルダリング!

そして待望のボルダリング!

 写真の情報を見ると、カメラを向けてから遊ぶまでの間、約8分。

その前から並んでいたので、10分は優に超えるのではないかと思います。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年7月5日『自己防御のレッスン』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝司会者は辛抱強く、クッキーを食べたくて仕方ないクッキーモンスターに再びルールを説明します。「もし僕が戻ってくるまでクッキーを食べないで待っていたら、2枚もらえるんだよ!」クッキーモンスターは、ほんの一瞬、それは良い考えだと思います。「それなら待つよ」司会者は、がんばってと声を掛けます。ところが、クッキーモンスターの頭にはすぐにホットな考えが浮かび、「あっ、何言ってんだ、待てないよ!今食べる!」と言って、クッキーに向かって突進します。すると突然“ウェイティング・ゲーム・シンガーズが現われ、「待てば必ず良いことがある」と歌いながら、クッキーモンスターの行く手を遮ります。

ウェイティング・ゲーム・シンガーズが、何かを待つのがとてもつらいときには、歌うのが良い手だと諭すので、クッキーモンスターは試してみます。ところが、待てないし、待ちたくもないと思います。「まあ、いいや、食べちゃおう!」しかし、シンガーズがまたしても割って入ります。「別の手が必要だね。覚えている?待てば必ず良いことがある。そう、待てば必ず良いことがある」。

クッキーモンスターは、クッキーが額縁の中にあるふりをすることを学びます。頭の中に描いている額縁を指で形作り、本物の額縁を引っ張り出し、クッキーを額縁に入れ、両手の親指をくるくる回したり鼻歌を歌ったりするのですが、すぐまた誘惑に駆られます。それでも救いの手をさしのべ続けてもらい、新しい戦略を一つ一つ学び、自らもいくつか発見し始めて、自分でも驚きます。「別の方法が必要なんだ。あっ!そうだ!このおもちゃで遊んでクッキーのことを忘れよう」。犬のぬいぐるみを持ち出して、一人で歌いながらそのぬいぐるみで遊び出します。それにも飽きると、新しい方法を編み出して我慢し続けるのです。

 「おいしいクッキーがすごく臭い魚ということにしよう」。台の上のクッキーは魚に変わり、彼はいかにも臭いという感じであたりの空気を払いながら待ちます。ずいぶん長い間、おおいに苦労し、我慢強さを増した彼は、ウェイティング・ゲームの勝者となるのです。そして、ウェイティング・ゲーム・シンガーズに交じって勝ち誇ったように歌います。「待てば必ず良いことがある」。〟

ウェイティング・ゲーム・シンガーズの登場がなくてもこれだけの時間を待つことができたのは、「楽しいボルダリングが待っている!」という期待感と、日々の生活の中で彼の中に育まれた自己を制御する為の方法、我慢をする為の気の逸らし方などの方法が機能したことによるでしょう。

これは、今回のような日々の生活の折々で、また、例えば給食の〝いただきます〟の挨拶を皆で一緒にすることなど、保育の意図された環境の中で育まれている、と言えるように思います。

「待てば必ず良いことがある」。彼はセサミストリートのウェイティング・ゲームを実際に見たわけではないでしょうが、このような力というのは、育まれるべき環境の中にいることで自然と育まれていくものなのですね。

そして、このような姿を追っていくことで、例えば今後同じような場面が生まれた際に、どのような対応が生まれるのか、待てる時間の長さに変化はあるものなのか、など見えてくるものがあるようにも思います。

毎日の保育が、子ども達の姿を見守っていくことが改めて楽しみになるような、この度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

写真で二言三言

 

お椀が7個、お皿が7枚。

お椀が7個、お皿が7枚。

 配膳の時の写真なのですが、とても感動したので報告します。

新宿せいが保育園では配膳も異年齢のグループで行っています。2Fと3Fに分かれて食べ、お当番になったグループはお当番をした階で食べます。

以前、流れるままに配膳をしていたら、お当番さんのお皿やお椀が足りなくなってしまったことがありました。

なので基本は、先にお当番さんのものは確保しておき、配膳を始める、といった段取りになっています。

その日は配膳を始めようと思った矢先、もう既にこうして確保してあったのです。

忘れやすい僕なので(笑)とても助かりました。

職員にお礼を言うと、「私じゃないですね〜。誰でしょうね。」とのこと。

するとその会話を聞いて、「やっておいたよ〜。」と声をかけてくれたのはすいすい組(5歳児クラス)のこの日のお当番の女の子でした。

前回の報告で紹介させていただきました、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年11月28日『社会の一員』。結びにこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝教育とは、文化を伝達するだけのものではなく、もう一つの大切な論点があるとデューイは考えます。それは、子どもたちに社会をつくり直していく能力を身につけさせることだとしています。既存の文化を伝えるとともに、新しい文化を創り出していける力、その新しい文化を創り出して、その新しい文化によって社会をつくり直していく能力を身につけさせることが重要であるとしたのです。これは、とても新しい考え方です。また、その力をつけるための教育も変わってくるはずです。日本の教育の目的である、社会の形成者としての資質は、その一員として、社会の中で「共生」する力と、社会に「貢献」する力が必要になるのです。

 それは、社会を存続させる際に大切な活動が教育の中で、「更新(リニューアル)」ということを重要視しました。その新しい文化を創り出す能力が「成長」の証です。社会を取り巻く環境や状況は変わっていきます。しかし、環境や状況が変わっても社会が滅びずに連続していくためには、単に文化を伝えるのではなく、文化を新しく創造していく、あるいは更新していくということが重要なテーマとなると考えたのです。

このことをデューイは、『民主主義と教育』の中で述べています。すなわち、教育の大切な役割は、「大人が子どもに文化を伝達し、子どもを社会の一員とする。」「子どもに新しい文化を創造する能力を身につけさせる」「変動する環境に適応できる力を教育によって育てる。」としたのです。〟

大げさかもわかりませんが、上記の〝子どもに新しい文化を創造する能力〟という部分、まさに当てはまるように思いました。本来お当番の仕事ではないことを自分で想像し、創造しています。

〝共生と貢献〟。こうして子ども達に貢献してもらいながら、大人が助けられ、そして助けてもらった恩を子ども達に返す。それはまさに共生であり、子ども達は共に社会を築かんとする共同体、仲間なのだということを改めて感じた出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

やさしさに包まれたなら きっと 目にうつる全てのことは メッセージです

6月1日から、らんらん組(4歳児クラス)に新入園児として1人、お友達が増えました。

この日は6月2日。

この日は6月2日。

入園2日目にしてお当番が回ってきました。大人でもドキドキしそうなタイミングですが(笑)やり方を教わって一生懸命に取り組むこの子です。

「あ、僕はもう少し多くがいいなぁ」

「あ、僕はもう少し多くがいいなぁ」

 

 「お見本くらいにしてもらえる?」

「お見本くらいにしてもらえる?」

容赦ないですね(笑)

「…いっぱいですか?ちょっとですか?」「ちょっとでお願いします。」

「…いっぱいですか?ちょっとですか?」「ちょっとでお願いします。」

優しい眼差しと、その子が緊張しないような言い方で手元を見つめる青い服の男の子のは、すいすい組(5歳児クラス)のお兄さんです。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年11月28日『社会の一員』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝以前、新教育運動におけるイエナプラン校の提案の中で、学校を一つの社会として見るために、異年齢で構成することが当然であると考えていることを紹介しました。デューイも学校を「典型的な仕事によって学校を小型の共同体、胎芽的な社会とする」と述べています。その時の社会とは、「共通の進路にしたがい、共通の精神と共通の目的に関わって働いているがゆえに、結合されている一定の人々からなるもの」であると定義しています。それは、子どもが共通の目標に向かって、協同で活動を行い、主体的に参加するという民主主義の社会です。日本における教育基本法の教育の目的で「平和で民主的な社会」を作るためには、民主的な学校でなければならず、それは、将来、社会の一員になるための準備でもあるのです。デューイにとって、そのような活動が行われている場が「社会」であり「共同体」であるということで、学校そのものを小型の「社会」、子どもの生活の場としての「共同体」にしていくことが大切だと主張しました。〟

配膳という仕事に貢献することで、多くの子ども達と関わりを持つことができ、また、配膳に並ぶことでその子と関わることができます。この子のお当番での働きは〝共通の精神と共通の目的に関わって働いている〟ということであり、〝共通の精神と共通の目的〟とは即ち園の理念〝共生と貢献〟であると言えます。この子達はその目標に向かって、主体的に社会を形成している、と言うことができるように思います。

また、このようにも書かれています。

〝日本の教育の目的である、社会の形成者としての資質は、その一員として、社会の中で「共生」する力と、社会に「貢献」する力が必要になるのです。〟

給食の配膳一つにしてもこの理念が行き渡り、そして、これから社会を形成していく未来そのものの子ども達に、この力がこうして育まれているということに改めて気付かされたような思いがしました。

7月に入り、今ではすっかりお当番にも慣れたこの子です。お当番デビュー日の写真をたまたま見返し、こうして互いに育み合いながら、子ども達は日々成長をしているのだということを実感として改めて感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

 

ALWAYS どんなに君が遠くへ歩いていったとしても ずっと見守ります

「見守れませーん!(笑)」

面白いでしょう?(笑)我らが誇るベテラン保育者のある日の言葉です。

伝承あそびゾーンにお手玉を所構わず投げてあそんでいたわいわい組(3歳児クラス)の男の子です。

伝承あそびゾーンにあるお手玉を所構わず投げてあそんでいたわいわい組(3歳児クラス)の男の子です。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年9月18日『楽観主義を使う場合』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝私は、「見守る保育」で、見守っていていい場合と、行けない場合を思い浮かべ、共通なものを見出します。例えば、「リスクの大きいことに直面した場合や、将来の見通しが不確かな時は、見守ることは避けた方がいい」と思います。例えば、子どもが、遮断機が降りているにもかかわらず踏切を渡ろうとする、信号が赤であるのに大きな道路を渡ろうとするときは、すかさず大声で制止しなければなりません。また、一時保育の子で、その子の発達や姿を理解していないときには見守ることは危険です。

 また、「子どもたちには想像もつかないような先のことを考えたり、将来について助言をしたりするときには、最初は見守っていない方がいい」と思います。それは、子ども本人の力の限界を超えているからです。また、「子どもに共感していることを示したい場合は、最初は見守っていず、信頼関係が出来上がってから、見守ってあげる方がいいかもしれない」と思います。全く、楽観主義のときと同じですね。やはり、保育の中で、子どもとの関係の中で、どんな状況にでもやみくもに見守っていればいいというものではないのです。柔軟な見守る姿勢を学んでいこうということを提案しているのです。〟

わいわい組(3歳児クラス)の子にとってまだまだあそびのルールが浸透、確立されていなかった4、5月。このようなことが多くありました。それもユーモアに変えつつ、見守れる子へと促していく先生です。

「こうやるものだよねー?」

「こうやるものだよねー?」

声を聞きつけて駆け寄ってきたすいすい組(5歳児クラス)の子達。もちろんルールがわかっています。

「とりあえず一個にしてみようよ。」

「それで、投げたらキャッチ。投げたらキャッチ。」

「そうそう。そういうこと!」

「そうそう。そういうこと!」

 

先生の真似をしてやってみています。

先生の真似をしてやってみています。

「あとは、こういうのもいいかも。いくよー。」

先生の手にあったお手玉を、

青い服の子へポンっ。

青い服の子へポンっ。

「やってみて。」

黄色い服の子もポンっ。

黄色い服の子もポンっ。

 

ポンっ。

ポンっ。

「じゃ次ふたりでやってみたら?」

ポンっ。

ポンっ。

 

キャッチ。

キャッチ。

こんな風に促した数分後。

「投げたらキャッチ。投げたらキャッチ。」

「投げたらキャッチ。投げたらキャッチ。」

と楽しみつつ、

頭の上に乗せてみたり(笑)

頭の上に乗せてみたり(笑)

 

あそびの中に先生が入る前のような所構わず投げる、というようなことはしなくなっていました。

あそびの中に先生が入る前のような所構わず投げる、というようなことはしなくなっていました。

放任の中で子どもは育たちません。時にあそびの中に入り、提案していく。そして子ども達の様子を見てスッと抜けて、ある距離でまた見守っていく。その繰り返しの中で、見守れる環境というのが順々に出来上がっていくのだということを改めて感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)