先日、東京の気温が氷点下になりました。
そうなると何が起きるかと言うと、水たまりが凍るのです。
これは皆さんも経験があると思います。
私も小学校のときに水たまりが凍っているのを見ると傘で突っついてみたり、
踏んで音を楽しんだり。氷で遊びながら登校した記憶があります。
その日4階で観葉植物や花に水をあげていると、
西村先生が大慌てで4階を走り抜けて、階段を駆け下り、子ども達のお部屋に行きました。
何だろう!と思い私も追いかけてみると・・・
そう!大きな板状の氷です!
あまりにも立派な氷で私もテンションが上がりました(笑)
写真のように氷の下に手をあてて透けているのを観察したり、
冷たさを感じたり・・・。それぞれが板状の氷に対して関わっていました。
すると担任の先生が
「どれくらいの厚さだろう??」
と言った瞬間、西村先生がまた走っていきました。そして数秒後にものさしを持って帰ってきました。
「だいたい3㎝ですね!みんなも測ってみな」
と子ども達にものさしを渡しました。
西村先生の見よう見真似で年少の子どもが氷にものさしをあてて、厚さを測っていました。
おそらくものさしの使い方、数字もまだ理解ができないであろう年少の子どもですが、
必死に測ろうとしている姿をみて、彼の中で「文字・数・科学」に対する興味・関心・好奇心が芽生えたのかな?と思った瞬間でした。
そして子ども達に何か面白い物を用意しようと瞬間的に感じとり、瞬時に行動に移す西村君を見て、保育者として、用務員として、そして同じ職種のパートナーとして頼もしく感じた瞬間でした。(報告者 山下祐)
去年小松崎氏が四谷のおもちゃ美術館で行われた「おもちゃまつり」に行き、買ってきてくれた物があります。
それは…
投扇興
そう昔ながらの伝統遊びである投扇興です。
今年のテーマが伝統であることもありまして。
これまた渋さがあります。
割と大人が楽しんでいる光景を目にすることが多かったですが、早速去年頂いてすぐに子どもたちに紹介して出してみると…
割と目新しいものと見て楽しんでいました。
そして、今月久しぶりにやってみました。
するとけっこうな盛り上がりを見せ始めました。
始めの様子
上手に投げています。
後ろの子も興味津々です。
何も言わずともしっかり並んでみんなで順番を待ち、何回もやって感覚を養っています。
そのルールは簡単で、一定の場所からただ扇子を投げ、扇形の物に当てるだけ。
そして
当たるとこのように。
倒した時の扇子の場所や扇形の物がどこに落ちるかで点数が決まっています。
得点表
1点から50点と幅広くあります。だからこそ燃えるのかもしれません。
それを「何点!?」と夢中になって競っていました。
それから得点を一生懸命数えて楽しんでいるうちに色んな子が興味を示し、見てやりたいと思ってやる子もいれば、見て面白くなさそうと思ってどこかに行ってしまう子もいればと様々でしたが楽しさの輪をそこで少し広げていたように思います。
塾長は伝承遊びのことをこう言っていました。
「個人的に楽しむものや一人二人と徐々に仲間を増やして楽しむもの、大勢でいっしょに楽しむものなど様々な遊びがありますが、そのどれもが、遊びながら他の子どもとの関わり、他者との関係性を構築することによって、他者への理解、社会的ルール、コミュニケーションの能力などが育っていくことで、社会性が養われていきます。また、数的概念や科学的体験が入っていたり、問題解決能力や洞察力、忍耐力などが養われていきます。
そのほかにも伝承遊びのよさにはこんなことがあると言われています。まず、手や足や身体を直接使って楽しめるものが多くあります。いわば、手足を使うことによって、脳が刺激されるのです。つぎに、歌やリズムに合わせて遊ぶものが多く、リズムの楽しさを味わうだけでなく、遊んでいる子の周りのムードも楽しくなり、周りの子を仲間に入れていく効果があります。次に、遊びがとてもシンプルな物が多く、しかも、遊びの技術が次第に高度に発展していくものが多いので、同じ遊びを長く続けていても飽きることなく、チャレンジする楽しみがあります。さらに、伝承遊びというのは、長いあいだ子どもの世界で受け入れられて来たために、子どもの興味関心、発達にマッチしたものであり、また、危険性などについても長い間の実証があるので安心です。」
臥竜塾ブログにて
http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2008/09/post_1063.html
こういったことからまさに投扇興という遊びから様々なものを子どもたちは養っていることがわかりました。
伝統遊びでも様々養えるものが多くあることを感じます。
さらに少し発展が見られたので次回報告したいと思います。
(報告者 本多悠里)
その日の345歳クラスのリーダーはベテランの男性保育士でした。
たまたま、朝の会の横を通りかかると、ホワイトボードを使って子ども達と遊んでいました。
瞬間的に何か面白そうだ!と思い僕も子ども達と同じように朝の会に参加することに(笑) どうやら言葉遊びのようです。
写真のようにホワイトボードにマスを書いて、そのマスの中にマグネットがついたカラフルな積み木を貼って…
「では○○君、右から3番目、上から2番目の積み木はどれですか?」
と聞いて、あてられた○○君は、じっと考え…
「これ!」
「違います!正解はこれです!」
といった具合で朝の会をしていました。
よく塾長の講演で 小学校に行ったら嫌でも長い時間座って授業を受けないといけません。ですので待つ行為はやはり必要です。しかし、だからと言ってつまらない授業をしたら子どもは飽きて、立ち歩くのはしょうがありません。もっと子ども達が楽しめる授業を先生は行う必要があります。
また、この出来事を塾長にすぐに報告し、これは言葉遊びなのか、どういう分野になるか聞いたところ、「座標」と教えていただきました。小学校くらいで座標を学んだ記憶があるので、もしかしたら年長さんでも知るのは少し早いのですか?と聞いたところ、そうではなく、例えばお便り帳を入れるウォールポケットの上下左右の端に「うえ」「した」「みぎ」「ひだり」という文字を記すことで、日常的に体験することができると教わりました。
少し見にくいかもしれませんが、丸くて白い人形がついたものに「した」「うえ」と書かれた文字が貼ってあります。
「だからかっ!!」
確かにウォールポケットに上下左右を記してあるのはその為だったのか・・・と気付きました。
その日の朝の会は子ども達60人全員が先生の話を聞き、誰一人私語をしないで、集中して座って聞いていました。私もその一人で食い入るように朝の会で先生の話を聞いていました。 (報告者 山下祐)
ここ2・3ヶ月くらい、1歳児の中でおんぶ紐ブームが到来しています。おんぶ紐と人形(赤ちゃん人形や動物のぬいぐるみ)を手に持って、職員のもとに近寄ってきては「やって(この紐で人形を背負わせて)!」と言ってきます。職員の一人が、家にあるぬいぐるみを大量に持ってきてくれたことも影響しているのかもしれません。また、クラスの中に、下の子が生まれた家庭が増え、母親が弟や妹を抱っこやおんぶしている姿を目にする機会が増えたことも影響しているのかもしれません。意外にも、女児だけではなく、男児も人形をおんぶしている姿も目にします。そんなところからも、父親の育児参加の様子がうかがえたりもするのでしょうか。(笑)そして、単純に、他児の遊びを真似している子どももいると思います。
塾長は、そのような他者を「模倣」することについてこう書かれています。
『なぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。』
この言葉から、まず“他者に対する興味関心度が急上昇している時期”ということが感じられました。また、「協力」や「助け合い」を自ら求め、他者と同じ体験をする事を喜びと感じていることが伝わってきます。つまり、そのような体験が促される環境や言葉がけが必要となるということだと思います。
そして、塾長は続けてこう言います。
『その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。』
子どもたちは「模倣」することによって、他者を理解しようとしていたのですね。
そのような子どもたちを見ていて、そのような遊びが発展するような環境があればなと思い、考えてみたのがこの写真です。
これまでは、おんぶ紐や手提げ袋など、ままごとゾーンの棚の中にありました。その棚は、基本的には職員が開閉を行い、子どもたちの姿に応じて玩具の量や質を調整しています。その棚の両側に、子どもたちがいつでも自らで取り出せるように環境を設定してみました。例え、ままごとゾーンが開いていなくても、赤ちゃんをおんぶし、手提げ袋にレゴブロックを詰めたりして、今楽しいと感じることを十分に行えるようにと考えました。
そして、年末にサンタクロースからもらった「あづま袋」も出して、その中に何かを詰めて袋を持つ人の模倣を通して他児との関わりが増えることを願いました。
このように、子どもたちの現在の姿を捉えて何かの環境を考えるというのは、うまくいくこともあれば、当然はずれることもあります。しかし、このような環境設定の過程は非常に楽しく、子どもたちがどんな姿を見せてくれるのか、その子どもたちに対して他の職員はどのような関わりをするのか、そのような一部始終を、遠くの方から見てないような態度でチラ見するのが、僕の楽しみでもあります。
(報告者 小松崎高司)
先日、ニュースでも流れましたが、東京に雪が降りました。 案の定、電車、飛行機などの交通網は大パニックになり、多くの人が大変な思いをした一日でした。職員も何人か電車の遅延で遅れる職員もいました。 私は息子を保育園に登園させる時に、抱っこかベビーカーか悩んだ結果、ベビーカーを選択しましたが、それが仇となり、とても大変な思いをしました…。
さて私の話はさておき…
保育園では何やら子どもたちがテーブルに置いてあるバケツを囲んで盛り上がっていました。 何か気になり覗いてみると…
そうです!透明なコップを使って中に雪を入れて、
水で溶いた絵の具をシロップに見立て、各々好きな色を入れてかき氷を作っていました。
違う色同士を混ぜることで色の変化や、色の作り方を子ども達は学んでいる気がします。
また欲張ってたくさんの色を入れると、かえって汚い色になってしまうとか・・・。
これは立派な科学遊びですね。
更に雪が大量にある、この時期にしかできない遊びです。
夏だと氷をたくさん作って・・・
かき氷機を使用して・・・
と、少し時間がかかるのと、すぐに溶けてしまいます。そして少し面倒です(笑)
ですがその日はバケツの中の雪が溶けても、また雪を足せばいいので、便利ですね!
そんな楽しい事を考えたのが塾生の本多先生だそうです。
さすがですね~。
私は雪国出身なので雪遊びというと外に出てそり遊びや雪だるま作り、雪合戦など
「雪で遊ぶ=外遊び」という発想しかなかったので、とても新鮮でした。
やはり現場の保育士の先生たちの発想はさすがです!(報告者 山下祐)
以前、遊びにも片付けにも使用できる「手作り型落とし」について報告させて頂きましたが、今回は、その環境を用意してからの子どもたちの姿について報告したいと思います。子どもたちはというと、こんな感じで大盛況でした。
落とし入れるのに順番待ちができたり、入れ終わった玩具を箱から取り出して、再び入れ直すという姿も見られます。しかし、以前「いい玩具っていうのは…」という題で報告した、家具のフックを付ける用の小さな穴部分から、玩具を入れて遊ぶ姿はなくなりませんでした。その遊びを無くすために「手作り型落とし」を作ったわけではないので別にいいのですが、大人にとって同じように見える遊びでも、子どもにとっては別な遊び、唯一無二なものであるということが理解できました。
また、「手作り型落とし」によって子どもが意欲的に遊べる物が増えただけでなく、職員に余裕ができた印象があります。散らばった玩具を拾い集める作業が減り、子どもと少ない玩具で一緒に片付けをすることが出来ています。子どもたちも、すぐに片付けを終えて食事や昼寝スペースへ移動したりとスムーズです。
次に、その片付けをどう発展させるべきかという疑問が浮かびました。子どもがしている遊びを観察し、その遊びを片付けに応用し、次にやることは…と考えた時、やはり原点に戻りました。原点とは「子ども同士」です。子ども同士で片付け遊びが出来る方法はないものでしょうか。例えば、手で持てるサイズで1人に1つの型はめボックスを数個用意し、その担当になった子どもが他児の場所に行ってその形(種類)の玩具のみをもらって(集めて)くるのです。きっと、そこでは自然に「(この箱に)いーれーて」「はーい」とか、「まだやるの(遊びたい)!」とか「お片づけだよ」などといったやり取りが生まれるかもしれません。1歳児では難しいかも…と思うことでも、子どもはこちら側の想像をはるかに越えてくることがあるので、そのような、遊びを発展させる物を今後も考え形にしていきたいと思っています。
(報告者 小松崎高司)
「ガッシャーン‼」
ある日、ひときわ大きな音がたちました。その音の先を眺めてみると、1歳児が棚から玩具箱を取り出してひっくり返しており、その際に出た音でした。子どもたちは、箱の中の全ての玩具を床一面に散らばせます。そして、これでもかといったように、ブルドーザーのごとく足を引きずりながら、玩具を部屋の隅々まで持っていきます。その時、一瞬「あぁ〜…」と哀愁漂う思いが頭を巡るのですが、すぐに「子どもは無駄な事はしないのだ」と自分に言い聞かせました。すると、それをすることが“楽しい”と感じたり、大胆なことをしたがる時期なのかな、この経験から玩具の音や性質、そして形状を理解するきっかけとなっていくのかな、目当ての玩具を一番速く効率的に探して手に入れるためにはこの方法がいいと考えたのかな…などと様々な思いが浮かんできました。
1歳児には「片付け」よりも、好奇心とか探究心、目の前の興味関心に熱中することが大切であると思っています。そのため、一応「そろそろお片付けしましょう〜」などとは言いますが、片付けは保育者が行おうと思っています。なかには、そんな保育者の姿を見て手伝ってくれる子どももいますが、ただ単に「作業」としての行為にはもったいないと思いますし、多少の億劫さも否めません。そこで、その一連の流れを「遊び」として子どもに提供できたらなぁと思いました。
先日、報告させて頂いた「いい玩具っていうのは…」の中に、0・1歳児が穴の中に玩具を落とし入れている姿がありました。その遊びには、好奇心とか探究心、そして熱中という、すべてがあったと思います。つまり、それを参考にして、その遊びと「片付け」を融合させ、遊んでいる先に、自然と「片付け」が存在しているといった感じにできればと思いました。
「ガッシャーン‼」とひっくり返した箱には、購入した際にフタがついていました。そのフタは、これまで使用していませんでしたが、それを利用して、中の玩具の形状をくり抜き、その形の場所に落し入れるという遊びを作ってみたのです。
型落とし
これで、例え、箱をひっくり返したとしても、型落としという遊びによって元通りになりますし、子どもの欲求も満たせてあげられます。もちろん、すべての玩具箱の物を作るわけではないので、“保育者の姿を見て手伝ってくれる子ども”の保障もできます。1歳児クラスの発達を保障する上で、子どもにとっても大人にとっても、楽しさや面白さを感じられる一つの環境として機能してほしいと願います。
(報告者 小松崎高司)
以前に、私がおもちゃ美術館に行った際にこんな報告をさせて頂きました。木の車に対して、どう遊ぶかというレクチャーのもと、私がどう考えたかという報告です。
『例えば木の車のおもちゃを走らせるとき床を走らせるのではなく、子どもの体を走らせることでコミュニケーションが生まれるということでした。子どもにうつ伏せになってもらい、何人かで円を作ります。うつ伏せになってもらった背中を走らせることだ自分のところに車がくると自然と興奮し、笑い声が生まれるそうです。尚且つお尻を通る時は「おや、お山があるぞ」や頭を通るときに「大きな岩があって通れない」などいうことで子どもが意識して頭を下げ、平らにしようとしたりもするそうです。
私はこれを大人がやるのではなく、子ども同士にやってもらい、子ども同士が意図的に体を触れ合える体験も含めてやれることがいいのではないかとも感じました。』
といった報告でしたが、いつかやってみたいなぁと思っているところでした。
先日の小松崎氏の報告でありました、「発展土産」という中でどこかに行った際に保育を潤してくれる土産を紹介してくれていました。
その小松崎氏は他にもこんな物を(3.4.5歳クラス)に買ってきてくれていました。
画質が悪いですが…
これは単純にマッサージをする道具であります。
さすがですね、こんな風にやってみたいというものをこのタイミングで持ってきてくれるというのはまさに阿吽の呼吸ですね。笑
木の車ではありませんが、子ども同士で使うことで楽しい発展がありそうだということでさっそく保育の時に使いました。
夕方保育でこの道具を使ってお友だちの体をマッサージしてあげようというテーマで声をかけてみるとたくさんの子が集まってお友だち同士で楽しめました。
その様子がこちらですが、やはり、自然と笑顔になっている様子がわかります。
ちなみに先生も子どもたちにやってもらい、身体をほぐしてもらいました。笑
こういったことでもコミュニケーションの一つとして使えることが見ていてよくわかりました。道具が少ないため、ある先生がなくても出来るマッサージを子どもに教えたりと発展していきます。そんな発展も楽しみの一つです。
このように意図して子ども同士が触れ合える環境を作ることで少し違った子どもの姿が見えました。
塾長や小松崎氏の土産というのはいつも保育に潤いを与えくれます。
この意識というのは私も見習い、常に持ち合わせていきたいものです。こうした保育園全体を考えられる職員が多いからこそ、保育が潤っていくのでしょうね。
土産を買ってきてくれる職員にはいつも感謝の気持ちでいっぱいです。
(報告者 本多悠里)
土産には様々な「土産」があります。知人や縁者の家宅など訪問先を訪問する際に感謝を込めて持参する「手土産」。旅先で見聞きした物事や体験などを語って聞かせる「土産話」。そして、知人や縁者に配る目的で旅行先などで買い求めるその土地に因む品物(進物)のことをさす「御土産」。この「土産」文化を、「日本独特のものであるということはあまり知られていない」と語るのは、『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』の著者、鈴木勇一郎氏です。『おみやげの英訳は「スーベニア」とされていますが、両者は似て非なるもの。スーベニアというのは本人のメモリアルのために買ってくるもので、欧米の駅で売られているのはキーホルダーや置物などの非食品が中心です。しかし、日本のおみやげは饅頭とか羊羹のようなお菓子、その土地の名産というような食べ物が多い。それも、自分で食べるのではなく人に配り歩くためのものでしょう。』とも語っています。
塾長はよく、どこかに出かけたらその地にある玩具や興味深い物、面白い物などを購入して園に持ってきてくれます。それらは、全て保育に活かすためのものであり、保育に潤いを持たせ、環境のさらなる発展を促すためのものです。土産について語っていた、鈴木氏の「人に配り歩くためのもの」という、自分のためだけではなく、周囲のことを想った行動・言葉のように、塾長は、出かけ先での土産話を人に配り、気になった物を通した環境の潤いや発展をも配っているようにも感じています。これは、土産が保育環境の発展を促すということで、「発展土産」という新しい土産の形でもあり、ひとつの保育の形であると思っています。
このような塾長の姿を真似して、私もよく出かけ先では気になった物を購入してみようと思うようになりました。先日、職場の仲間と「動きのカガク展」という企画展に行った際、関連グッズが売られているショップに面白い物がありました。
「任意の点P」
3D本
これは、眼鏡のような部分に目を当て、その先の微妙に異なる2つの絵(2D)を眺めると、立体(3D)に見えるという本です。「これ、わらす(3・4・5歳児クラス)の子たち、絶対楽しいよ!」と仲間の職員が言って満場一致し、この本を購入しました。現在、3・4・5歳児クラスでは、科学ゾーンの充実を図っていることが、環境を通して伝わってきていました。それを、他クラスの職員であっても、子どもたちの喜ぶ顔と環境の発展のために思考が向く部分に、クラスを越えたチーム保育を感じました。来週、子どもたちにお披露目するのが楽しみです。
また、別の日の出かけ先では、こんな物も見つけました。
フォトスタンド
これは、一応「フォトスタンド」という名目ではありますが、様々な使い方ができると思ったのです。まず、素材が木なので、非常に軽いです。また、職員が紙に描いた絵をハサミで切って、溝に差し込み立たせながら物語を進めることもできると思いますし、子どもが日常で描いた絵を簡単に展示出来るものにすることもできると思います。そして、子どもが描いた絵を自分で切って差し込みながら、自作の物語を演じるかもしれません。パネルシアターとペープサートの間とでもいいますか、その場の状況に対応できる大きさと用途と柔軟性がある気がしました。
このように、出かけ先にある「保育の形」は、日常の保育を発展させる重要な視点であり、保育の質を深めてくれる時間でもあることを学びました。(報告者 小松崎高司)
1歳児クラスの遊びの空間から、排泄場所までは少々距離があります。その距離の意味は、1歳児の発達として「歩くこと」があるからです。その発達を保障し、その発達した能力を定着させるための環境であるというわけです。また、空間を区切っているパーテーションから自ら抜け出して、様々な探索活動ができることを保障する環境も大切です。それは、「探索」というその時期特有の発達があるからです。これらのような、この時期の子どもの発達を踏まえ、環境を構成した意図や、0・1歳児クラスの発達に柔軟に対応する重要性などを、先日、塾長から0・1歳児クラスの職員に話してもらう機会がありました。
この機会は、今年度の定員増という変化を通し、なかなか先の見通しがつかない中、「見守る保育」は実践できているのかという『進化をするための原点回帰』であると思っています。正直な話、この機会を設けるというのは非常に勇気がいることであると思います。塾長、藤森平司氏のもとで働いているということは、「見守る保育」を理解して柔軟に実践できているのが“当たり前”でなくてはいけないからです。しかし、“当たり前”の奥には人知れずの努力と苦労があり、それを乗り越える必要があることを先生方は理解しています。ただ、それらを「楽しみ」へと変換できるのが新宿せいが保育園の特徴だと思うのですが、我々は、自信を持って「見守る保育が出来ています!」と発信ために、『見守る保育を目指している』保育園のひとつであるということを感じました。この機会を設けようと提案した職員、それを勇気を持って受け入れた職員、「再確認できて良かったね」と言った職員、「この機会を設けてくれてありがとうございました」と言った新人職員など、すべての人が「良い保育」を行おう・目指そうとした姿であったと思いました。
このようなことを踏まえ、私自身も、環境については理解していたつもりでしたが、日々の保育を行っていくうちに、少しずつ発達についての意識が薄れ、柔軟性に欠けていた自分に気がつく事が出来たと同時に、発達を促すための環境構成についての考えが高まってきた印象があります。その環境のひとつを紹介したいと思います。
探索と蟻
これは、遊びの空間から排泄場所までの道のりの一部を撮りました。ご覧の通り、蟻が歩いています。最近、1歳児の子どもたちは「蟻」に夢中です。壁や床を歩いている蟻を見つけると、指さしをして足踏みをしたりして喜びをあらわにしています。その蟻を随所に這わせ、探索活動をしているうちに歩いて自然に排泄場所に来てしまうという意図を持った環境構成です。始めの頃は、本当の蟻が歩いていると思った職員がよく驚いていましたが、そのような姿を見るのも楽しいですね(笑)。遊び心と発達を促す環境とのコラボレーションといった感じでしょうか。とどまる事に対して不安を感じる中に身を置く私たちは、遊び心というスパイスを投じながら、一つの目標に向かって多くの仲間と走り続けている途中でもあります。
蟻の目的はチョコレートでした。
(報告者 小松崎高司)