隙間

担当している1歳児クラスの中で、子どもの発達を促す物を作る上で、どうしても「玩具」という物に思考が向いてしまいます。確かに、子どもが物に自ら関わることで発達が促されていく部分は大きいと思います。積み上げたり、通したり、崩したりするなどの繰り返しを楽しむ過程から、様々な発達が促されていきます。そのため、今の子どもたちにとって、どんな玩具がいいのかなぁと考えていると、大切なのは玩具だけではないことを感じさせてくれた出来事がありました。

この時期、優先される発達というのは何なのかということを考えた時に、ある先輩保育士との会話の中でそれは見つかりました。ずばり、「子ども同士を結び付ける環境」です。つまり、「対人関係」における発達が、最重要項目であると理解した時、玩具(物的)にしても、保育士(人的)にしても、子ども同士を結び付ける環境でなくてはならないということだと感じます。そう考えた時、家具の配置や雰囲気などの「空間的環境」からも、子ども同士を結び付けられる環境が望ましいということになるのだと思いました。

これらことを考えて保育室を見ていると、家具と家具との間にできた「隙間」に目が止まりました。その隙間は、意図的に作られたものなのか、偶然できたものなのかは分かりませんが、そこではこのような子ども同士の関わりが見ることが出来ました。それは、まさに奇跡的な瞬間であったとも感じています。

隙間

隙間

1人の子どもが、この隙間から別の空間を覗いていると、もう1人の方の子どもがそれに気づき、別の空間から顔を近づかせ、お互いを見合っていたのです。その時間はおよそ1分間くらいでしたが、1人が微笑むともう1人も微笑み、足踏みや手も動かしながらコミュニケーションを図っていました。もちろん、相手にとっては顔や胸しか見えませんが、体の揺れとか顔の表情から、相手の気持ちを感じ取っていたのだと思います。

家具と家具の「隙間」が、このような子どもの姿を促してくれました。ドイツの環境にあった石畳の“微妙な段差”のように、子どもがつまずくであろう環境をあえて用意するといった、ある意味小さな環境構成が、大きな発達を生むという考えもあります。この「隙間」も、小さな環境ではありますが、子どもの発達にとって非常に重要な体験となっているということもあるかもしれません。

このような思いや考えもあって、今回は「活動報告」の項目ではなく、「研究発表」という空間的環境における“製作物”や“製品”のような位置づけで投稿させていただきました。保育士という仕事は、このような一瞬の連続を、積み上げていく・作り上げていく作業に喜びを見出すこともできるのだと思いました。

(報告者 小松崎高司)

写真集

最近、私が子どもたちの連絡帳を各々のロッカーにしまっていると、ある1歳児が様子を見にやってきました。その子は、置いてある連絡帳の顔写真を見て、指差しながら「◯◯ちゃん。」と、その子の名前を言いました。私は「じゃあこれは?」と、別の子の連絡帳を見せると、その子の顔写真を見て、指差しながら「◯◯くん。」と言い当てました。もしや…と思い、クラスの子全ての連絡帳を見せていくと、全て言い当てたのです。その子は、普段、他児に対して積極的でもなく、あまり言葉を発さないタイプ(言葉があまり出ない子という認識があった子)であったので、非常に驚きました。名前を知っているということは、他児への興味関心力が高いということだと思います。何かその部分を活かし、子ども同士における発達を促していく方法はないものかと考えて作ったのが「手作り写真集」です。

写真集

写真集

 

これは、クラスの子どもの顔写真を印刷して切り取り、インターネットから引っ張ってきた画像に当てはめたものです。これを通して、自分の写真を見つけるところから、次第に他児に関心を持つ子が増えたり、子ども同士で名前を呼び合い、子ども同士の関わりが今よりも増えたらいいなと願っています。また、園のテーマが「伝統」ということで、子どもたちは、夏の風物詩でもある“浴衣”に身を包んでいます。そして、遊び心としては、同フロアの先生方の写真も、一緒にちりばめておきました。先生方からは「やだ、なにこれ〜!」という声があがり、作った者たちには多少の非難があびせられながらも、そのようなコミュニケーションも大切だろうなぁと、ポジティブに捉えています。(笑)

この写真集は、同じクラスの男性先生と一緒に作ったのですが、こだわった点が2つあります。1つ目は、子どもの性格と着物の衣装や柄とを合わせること、2つ目は顔の微妙な角度です。子どもの顔写真を持って画像の上に当てながら「◯◯ちゃんはこの浴衣かなぁ」「なんかイメージが違うなぁ」「こっちの浴衣じゃないですか?」「この角度いいですね」などと、遠目から見ても違和感のない子どもの雰囲気やイメージを目指して行いました。これによって、子どもの共通理解もでき、一種の月案でもあるかのようにも感じました。

先生たちと各々の意見を言い合い、今の子どもの姿を共有しながら子どもの発達を促すこともできる。そのような効果が、“複数で作る手作り玩具”にはあります。

(報告者 小松崎高司)

算数

今、塾生が「単位」ということでブログを書いています。なかなか面白う報告で、えんでもずいぶんとさんこうになることが多いですね。そこで、園での「数」のゾーンの作り方のために、小学校ではどのように算数を教えるのかをすこし説明します。

小学校の学習指導要領の算数に書かれている項目にはある特徴があります。まず、多くの他の教科は、2学年ごとに目標・内容が設定されていますが、算数は、学年ごとに目標や内容が決められています。

次に、「目標」を見てみると、第1学年と第2学年にだけ書かれている言葉があります。それは、目標の最初に、必ず「具体物を用いた活動などを通して」が書かれてあります。まだまだ小学校低学年においては、発達から見ると、数や形の把握は具体物を通さないと理解が難しいのです。当然、幼児期ではさまざまな生活において具体物を通して、「数」に触れるようにしなければなりません。

次に、私たちがよく「数」という内容は小学校では「算数」という教科につながっていくのですが、そこには、大きく四つのカテゴリーに分けられています。

A 数と計算:数についての感覚を豊かにする。数の意味や表し方について理解できるようにするとともに、加法及び減法の意味について理解し、それらの計算の仕方を考え、用いることができるようにする。

B 量と測定:量とその測定についての理解の基礎となる経験を重ね、量の大きさについての感覚を豊かにする。

C 図形:図形についての理解の基礎となる経験を重ね、図形についての感覚を豊かにする。

D 数量関係:数量やその関係を言葉、数、式、図などに表したり読み取ったりすることができるようにする。

です。

ドイツでは、保育室の数のコーナーに置かれていたさまざまなものが、カテゴリーに分けて置かれているところが何園かありました。園の中でも、それを意識してゾーンを構成してみてはどうでしょうか?

かず

 

「和風」と「洋風」

新宿せいが保育園が定員増に伴い、新しくなった環境を少しずつ紹介していきたいと思います。

まずは以前からある日本庭園ですが、特に大きく変わってはいないのですが、

ハーブ園がある屋上は緑化も兼ねて芝生を植えています。

屋上の環境を覚えている人はイメージがつくと思いますが、ハーブ園があるスペースと、奥にも一段下がった場所にも芝生を植えています。

そして柵の外はハーブを植えていましたが、去年の冬にハーブから「芝桜」に植え替えました。

しかも、ただ1色ではつまらないので、ピンクと白の二種類をバランス良く交互に植えて、少しデザインぽくしてみました。

その芝桜が先日満開になり、とても綺麗なので皆さんに紹介したくなり、アップします。

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この芝桜を見ていて、以前塾長のブログに「庭園」ついて詳しく書かれているのを思い出し、

早速検索し、読み返してみました。

おそらく塾長の講演でも何度か話されているのでご存知の方もいるかとおもいますが、

英語のガーデンgardenの語源は、gan(ガード、囲い、防衛)とeden(エデン、悦び、愉しみ)の合成語ですから、「安全で快適な世界」ということだそうです。「庭園」という文字は、和製漢字熟語で「庭」は、屋前の、あるいは建物で囲まれた人工的な空間であり、「園」は、囲いがあって、その中に果樹が植えられていることを示しています。ちなみに、囲いの中に野菜が栽培されているのが「圃(ほ)」、家畜を飼っているのが「囿(ゆう)」というそうです。(ブログ臥竜塾から引用)

 

同じブログの中に塾長はこう言っています

「庭」は癒しの空間である。

確かにそうかもしれません。ただ、そんな風に感じたのは最近かもしれません・・・。

それまでは綺麗な日本庭園を見ても何も思いませんでしたが、

最近はやたら感じるようになりました。

それは、おそらく自分たちで「庭」を作ったからかもしれません。

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上の写真は園長室の前の庭ですが、ここも芝桜が綺麗に咲いています。

去年、西村君が新宿せいが保育園に就職したおかげで、色々なことが出来るようになり、

その一つが、園長室前の庭園作りです。

前から存在はしていたのですが、年月の経過と共に見栄えが悪くなってきたので、

これを機に改装をしたのです。

土と白い石の間には仕切り専用の瓦を用いて、土の流出を防ぐことで見栄えを良くし、

蹲や灯篭がある場所の石は細かく綺麗な石を使っています。

という風に自分たちで「作る」という作業をすることで、庭園に興味を持ち、

そして自然と「癒し」を得ていたのかもしれません。

同じようにハーブ園の奥に作った芝桜の庭園も、満開の姿を見て、とても癒されました。

 

「生き物である花や緑を少しでも身近に置きたいと思うし、できれば自らの手で育ててみたいと願う。何から何まで誰か(プロやメーカー)がつくった“もの”を買って消費するだけの現代人は、わが手でつくり育てること、手づくりに憧れる。」

 

これは進士五十八さんの言葉です。

塾長は進士さんが書かれた「日本の庭園」という本を読まれてブログに解説を書いています。

詳しくは・・・

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2011/05/post_1939.html

 

植物は私たちが言葉で話しかけても答えてくれません。

しかし成長という言葉で私たちに答えてくれます。

 

その姿を見て共に生きている「共生」があり、

癒しという「貢献」があるのだと思います。(報告者山下祐)

食育インストラクター

数年前に塾長からふと『「食育インストラクター」っていう資格があるみたいで面白そうだから、かっきーも取ってみたら』と言われたことがありました。塾長とネットで資料請求をし、どんなものかと調べ始めてみることにしました。

DVDとテキストを見ながら、問題に答えを書いて郵送するという通信教育で、初級だったこともあり割と簡単に解いていき、3回目かの回答を送りその答案が何と100点満点でした!小学生ぶりに取った100点は簡単な問題でしたがとても嬉しかったです!笑

そんなこんなで晴れて食育インストラクターの資格は取れた訳なのですが、そのテキストに書かれていた食に関する教えを紹介していきたいと思います。

 

先ずは、「社会情勢の変化が食卓を変える」という事です。

日本が先進国の仲間入りをし、経済成長を遂げるのと並行して、家族の在り方が変わってきています。親子3世代で同じ家に住む大家族から徐々に核家族化していき、今ではそれが一般的になっています。そして現在でも少しずつ見られるところはありますがこれからの傾向としては、夫婦と子どもの核家族は少しずつ減っていき、夫婦のみの世帯や高齢者の一人暮らしを含む単独世帯が増加していくと予想されています。

現在の慌ただしいライフスタイルの中では核家族の家庭でも例えば、父親が朝早く出勤し帰宅が遅かったり、子どもが塾通いをしていたり、さらに働く女性も増えているということで、家族そろって食卓につくことが少なくなってきています。親もこどももますます忙しくなっているため家族のなかでも、一人で食事を摂る「孤食」が増えてしまっています。

他にも、同じ食卓にいながら家族がそれぞれ自分好みの違ったメニュー食べる「個食」、好き嫌いが多くていつも同じものばかり食べている「固食」、パンや、パスタなどの粉を使った主食を好んで食べる「粉食」、食事の量が少ない「小食」、味付けの濃い料理を好んで食べる「濃食」、と、6つの「こ食」が今大きな問題となっています。

 

これら6つの「こ食」はある研究から、少年犯罪を犯してしまった子どもたちの食生活を調査したところ、何かしらの「こ食」が当てはまるっているという結果があるそうです。

この結果から、保育園という大家族の中で色々な子ども達や大人と関わり合いながら食事をするという事は将来的にも大切な事なのだなと実感しました。

引き続きこのテキストから紹介していきたいと思います。(投稿者 柿崎)

「はかる」こと

先日、近所の雑貨屋さんにふらっと入ると、布製の「身長計」が目に止まりました。最近、「文字・数・科学」という視点から保育を行っていくよう意識していたので、目に止まったのだと思います。

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さっそく購入し、次の日に壁に設置してみました。すると、子どもたちは次々に興味を持ち始めていました。初めは、自分と友だちの身長を比べていましたが、次第に様子が変わってきます。

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身の回りにある様々な物を比べ始めたのです。

 

私は、“きっと身長を測るだろう”といった予想のもと、「きみのしんちょうはなんせんち?」という言葉を添えたのですが、子どもたちの飽くなき好奇心は、それに留まることなく、様々な物の長さを調べ始めたことから、「いろんなものをはかってみよう!」といった言葉でもよかったなぁとふと感じました。子どもの行動というのは、良い意味で大人の予想を裏切ってくれます。その柔軟さについていける、幅の広い予想を持たなくてはと思います。

 

そんな思いを抱いている時、同じ保育室内に紙上の「身長計」が既に貼られていたことに気がつきました…。恥ずかしい話なのですが、その存在を認識していませんでした。ここで感じたのは、同じ環境があっても、アプローチの仕方や環境を設置する場所によって子どもの反応は違ってくるということです。きっと、子どもの「動線」の話も関連していると思うのですが、私が設置した場所は、既存の「文字・数・科学」ゾーンのそばではなく、普段お昼寝や、ホールに行く際に必ず開ける扉のすぐ横に設置してみました。これには、私なりの意図がありました。

 

ある例え話です。

あるビルのエレベーターが、非常に遅いという苦情がオーナーのもとに来ました。つまり、待ち時間が長いのです。オーナーは困りました。なんとか、あまりお金をかけずにこの問題を解決したいなぁと思っていました。

みなさんなら、何をするでしょうか?

3…

2…

1…

アンサー!

そのオーナーはというと、エレベーター前に「鏡」を設置したそうです。その途端、その苦情はなくなっていったそうです。私も、詳しくは分かってはいませんが、きっと同じ待ち時間でも、鏡で“自分の身なりを整える”という時間を作ったことによって、待ち時間に別の付加価値を加えたのだと感じています。

この話を思い出し、普段、上の階に行く時には必ずこの扉の前に並んで待っている子どもたちの時間を、「数」の時間にしようと考えたのです。

そして、ふと、物を測っている子どもたちは何を知りたがっているのだろうと思いました。長さを知って何をするためなのでしょう。よく理解できていませんが、物を測り、大きさを知る行為というのは、ある決断を行う時に必要不可欠な情報としてなくてはならない存在なのだと思います。その決断のスムーズさが、物を測る行為と関連しているのではと予想します。まるで、その物と自分との距離を図っている行為のようにも感じました。様々な情報の中から、子どもたち自身で必要な選択ができるような環境を考えていきたいと思っています。

(報告者 小松崎高司)

「さわってみて」をやってみた

以前、塾長のブログで、科学体験活動の具体的な方法として「さわってみて」といった展示コーナーの例が出されていました。さっそく、子どもたちが実際に手に取り、考え、試してみることができる環境を用意してみようと思いました。

 

「これは何でしょう?」

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帰りのお集りで、これを子どもたちに実際に見せ、問題提起をしました。子どもたちはというと「……?」です。誰一人、知っている子どもはいませんでした。次に、「さわってみて」コーナーの説明をしました。

 

「この箱の中に入っているものはいつでも触っていいです。自分たちでいろいろ触ってみたり、匂いを嗅いでみたり、よーく見たりして、これが何なのかを考えてみて下さい!」

 

そして、子どもたちに十分な考える時間を与えるため、答えは明日の朝のお集りの時に言うと伝えました。

 

すると、子どもたちはよく観察して、色々試していました。穴があいていることに気がついたり、耳に当ててみたり、鼻に付けてみたり、息を吹きかけてみたり…。すると、考えを言い始めました。「アヒルのやつじゃない?」「豚の鼻かな?」「口からフーってしたら、少し音が鳴ったから笛じゃない?」、また、その物体をジーと見つめて、ただただ無言で考え込んでいる子どももいたりと様々です。

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次の日になりました。

「これはなんだと思う?」と言うと、笛じゃない?と言った子どもの案が採用されたようで、数人が「ふえ〜!」と答えていました。

そうです。これは笛なのです。しかし、笛は笛でも【鼻笛】といって、鼻と口に押し当てて、口を開いたまま鼻息を出すと音を奏でることができる楽器なのです。実際に鼻と口に当てて音を鳴らすと、こんな音が出るのかと驚いていました。音を鳴らすには、少々コツがいります。この微妙な難しさが、子どもにはいいのかもしれません。その後も、いい音がでないか試していました。

 

「さわってみて」という環境が改めてそこにあることで、物に触れるといった行動がスムーズに行われ、普段何気なく触っている物でも、新鮮な気持ちや何か自分が知らない世界があるのかもしれないといった感覚になるのではとも感じました。なので、今後も子どもたちが未だ触れたことがないような物と同じく、目にはとめるけど触ったことがないような物をその箱に入れてみようかと考えています。

 

(報告者 小松崎高司)

文字(アドバイス)

私が、以前シュタイナー教育を学ぶために、小学校1年生になって授業を経験するというものがありました。その中で国語の授業で、文字を学ぶというものがありましたが、日本では、それを書き方ノートに濃い、柔らかい芯の鉛筆である「かきかた鉛筆」を使います。それを使って、まず、ひらがなが点線で書かれている上をなぞるという事から始まります。

シュタイナー教育の体験をしたときは、クレヨンを使って文字を書きます。その時に、「K」という字を習うときに、Kの文字を王様(キング)が杖を持っている絵にして、「K」の文字を印象付けていきます。それは、文字なのか、絵画なのか、はっきり区別がつかない活動です。それは、シュタイナー教育では、イタリアのレッジオ同様、教育を芸術行為と位置付けます。それは、芸術には、日常と精神を調和的に結びつける力があると考えるからです。子どもは、芸術的なものに触れると、人の感情は高まり、感覚が対象に集中するからです。喜怒哀楽の感情とともに取り入れた知識は鮮明に記憶することができると考えるからです。そして、知識を芸術行為によって伝えることで、頭だけではなく、心や体も含む全体に働きかけることができると考えるからです。

ただ、この捉え方は、私の個人的な見解でもありますので、本当のシュタイナー教育とは違うところもあるかもしれませんが、どのような考え方を日本でも参考にするべきかという観点から考えたものです。

シュタイナー教育では、他にも、教科を芸術的に教えます。例えば、水彩画やフォルメン、教師の描く黒板絵を子どもたちが丹念にノートに写し取ることも芸術行為ですし、体を動かすこと、算数に木の実などを使ったり、自然素材を使って自分の手で教材を作ることもあります。その考え方から、1年生のエポックで、初めての文字導入では、1日目、クレヨンでノートを青く塗り、2日目に真ん中に小さい黄色を塗り、日を追うに従ってその黄色が大きく放射状になり、3日間かけて「光」という漢字を学びます。机上で字面を追いながら記憶するのではなく、喜びと感動をもって体験していく学びです。

また、アルファベットを覚えるときにはまず絵を描きます。ノートや画用紙などの1ページいっぱいにアルファベットをふくんだ絵を描き、次に少し抽象化された絵にし、この絵から抽象化されたアルファベットをまたページいっぱいに描いていきます。このようにして1つのアルファベットを覚えていきます。「A」をただ「A」としておぼえるのでは、なぜこの文字を作ったのか、どうやってこの文字が成り立ったのかを知りながら覚えるのと大きく異なります。ただ「A」を「A」として覚えただけでは決まり事や約束事を覚えることとなんら変わらなくなってしまうからです。発音し、絵を描いて、自分で文字にしていくことで、昔人間が「文字」というものを必要として、作りだしたのだという一連の流れを子どもたちに感じさせていきます。(藤森)

文字

 子どもたちは、いつの間にか文字に興味を持ち始め、自ら読んだり書こうとします。身の回りにそのような環境が多くあるからでしょうね。園でも、子どもたちが文字を書こうとしていますが、きれいな直線や曲線を書くのは発達上なかなか難しいようです。では、就学に向けて「文字」に親しむために、どのような環境が必要かを考えたとき、以前報告した「絵本カード」のような自ら楽しんで行えるものが重要だと感じます。
 
 今の時期、5歳児は自分の体と相談して昼寝をするか決めています。ほとんどが寝ていないので、3・4歳児が昼寝をしている時間は体を休めながら、現在は“マンダラ”などの「塗り絵」をしています。
 
マンダラ
マンダラ
 
 マンダラには、『無心に塗ることで、日々のストレスから開放されます。楽しみながら塗れば、こころとからだが知らぬ間に癒されます。塗りあがったものを通して、今まで気づかなかった「自分」に出会えます。子どもの創作意欲を刺激し、創造力を育てます。調和の取れた図形を塗ることが、子どもの心の豊かな成長をはぐくみます。手を使い配色を考えることで右脳が活性化し、お年寄りの脳の老化防止にも役立ちます。』といった効果もあるそうです。
 
 また、これらは、「文字」と同様に、直線と曲線で構成させているため、色鉛筆を何度もその動作で往復することで、手にその感覚を覚えさせます。そして、線をはみ出ないように気をつけることで、随意筋の発達をも促してくれます。このような塗り絵を、子どもたちが自ら意欲的に楽しんで行うことで、知らず知らずのうちに、「文字」を書く上で必要な力をつけていることになるのです。
 
 それらを踏まえた上で、今回はアゲハチョウをモデルにこのような塗り絵を作ってみました。
 
アゲハチョウの塗り絵
アゲハチョウの塗り絵
 
 この塗り絵には、「文字」に必要な縦線や横線はもちろん、『そ』や『ん』などを見立てた鋭角線(ギザギザ線)や、『の』などのグルグル線などをちりばめてみました。(隠れ文字もあります)
 
 あくまで、子どもたちが遊びを通して楽しんで行える塗り絵を意識しました。よく、就学後の内容を先取りした文字指導をしてしまいがちですが、それらを早く学ばせることには意味がないと言われています。それよりも、その時期が来た時に、自分の体の動きと頭で考えて動かそうとしていることとが一致して、楽しく意欲的に「文字」に親しめるような、『後伸び』する力を幼児期で育みたいと考えています。
 
(報告者 小松崎高司)

輪回し(アドバイス)

江戸時代にはやった「輪回し」は、たるや桶などの「たが」を使ったことから「たがまわし」と言われていましたが、その場合は、真ん中に溝がありませんので、先が二つに割れた木の枝などを使ってまわします。wamawasi1 (1)

昭和初期になって、自転車のリムを使うようになり、その時は1本の棒で、それを溝にあてて回します。

回し方のコツは、図のように輪の下から3分の1のところに棒をあてるとうまくいきます。wamawasi1 (2)