ブログ『臥竜塾』2019年1月9日『子ども文化は寄せ集め』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
複数の文化に属する子どもたちは、それぞれの文化から取捨選択ができるので、選択の幅はいっそう広まります。
様々なものを取り入れて新しいものを生み出す。こういったことが子どもたちの日常のあらゆる場所で繰り広げられていることを感じます。
(報告 加藤)
ブログ『臥竜塾』2019年1月9日『子ども文化は寄せ集め』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
複数の文化に属する子どもたちは、それぞれの文化から取捨選択ができるので、選択の幅はいっそう広まります。
様々なものを取り入れて新しいものを生み出す。こういったことが子どもたちの日常のあらゆる場所で繰り広げられていることを感じます。
(報告 加藤)
先日、豆まきをしました。
まいた豆を片付けていただいている間、子どもたちと散歩へ。
「何か風の音も違う」
「いつもなら、スーっていうのに、今日はザーザーザーって」
「あ、わかった」
想像力が働きますね。
ブログ『臥竜塾』2010年9月7日『妖怪2』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
日本では、森羅万象、天地万物という人為でないものに対して、恐れを抱くことがあるのですが、同時にある神聖なものを感じていたようです。特定の形を持たない自然環境や自然現象を、古代人はそのまま霊性や神として意識していたことが「古事記」や「日本書紀」をはじめ、天地開闢についての神話や説話から見られると片岡真実さんは語っています。片岡真実は、森美術館チーフ・キュレーターで、今、開催されている「ネイチャー・センス展」を企画しています。そこで、メンバーを対象にして展覧会貸し切り特別内覧会「MAMCナイト」を開催しているようです。私は「先生のためのツアーガイド」に参加したのですが、「MAMCナイト」同様、一般向けイベントとは一味違う切り口で、展示解説、および展示に関る多様なコンテンツを提供してくれました。片岡さんは、プロジェクターを使って、この展覧会が出来上がるまでの様々なシーンを紹介し、そこでの話は、日本と西洋の神の成り立ちについての違いにも言及していました。
「『古事記』では、最初に高天原に現れた神々に続き、石や土、海、水、風、木、山などの神々が出現し、『日本書紀』でも、イザナギとイザナミの神が海の神、川の神、山の神、木の神、草の神といった自然神を生み、続いて太陽神として天照大神が現れる。人々は自然に包まれ、その自然感から八百万の神と言われるような多神教の宗教観が育まれたことも理解できる。」八百万の神というのは、たくさんの神々ということですが、それは身の回りに起きる森羅万象全てに神が宿るという考え方でもあるのです。子どもたちは、「環境に自ら働きかけ、それとの相互作用により発達する」ということは、身の回りに起きる不思議さ、怖さなどから自然を感じ、その不思議さに対する探究心を持つことが自然と子どもの関わりで大切なことであり、決して、広い園庭があって、そこを走り回っていれば子どもたちが自然の中で過ごすことにはならず、また、緑があれば自然が豊富ということにはならないのです。
鬼を探求する二人。最後には、近くの食品工場から流れてくる香りに、
笑ってしまいました。暦の上では春を迎えますね。
(報告 加藤)
塾頭の報告にもありましたように、すいすい組(5歳児クラス)の男の子たちは、
「城下町もつくりたい」とのことで、
思わず笑ってしまいました。
すいすい組の女の子二人がつくっていました。
ブログ『臥竜塾』2019年2月1日『男集団と女集団』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
女の子たちが判断したようです。作品としての結果には残らずとも、こうしてイメージを通わせ合って、関わり合って遊ぶことのできる環境と子ども集団。園は子どもたちにとって路地裏のような存在なのかもわかりません。
(報告 加藤)
書いてある内容は、ごっこゾーンにこれから置きたいものということで、
そして今日、
とても上手ですね。
ブログ『臥竜塾』2019年1月15日『世の通年』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
文化は親の仲間集団から子の仲間集団へと伝えられるとハリスは考えています。親子間ではなく、集団間で、親集団から子ども集団へと伝承されるのだと言うのです。
そして2019年1月16日『仲間集団から』にこう続きます。
この2枚の紙、それぞれ別のすいすい組(5歳児クラス)の子が書いています。聞けば、互いの家にある共通のものをリストにしていったようです。塾長のブログとの繋がりを感じます。
(報告 加藤)
先日、視力検査が行われました。
何でも遊びに変えてしまうのですね。
ブログ『臥竜塾』2019年1月16日『仲間集団から』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
ためらう必要がないからでしょうか、つい先程仲間集団で共有された内容はすぐさま集団の遊びとして昇華されたようです。子どもたちが遊びを通して様々な学びを重ねていることを改めて感じます。
(報告 加藤)
お迎えの時間、ぐんぐん組(1歳児クラス)の担任の先生と保護者の方のやりとりを見ていたら、とても興味深い場面に立ち会えました。
担任の先生「うんちが出ると自分でオムツを持ってきて教えてくれるんですよ」
保護者の方「家では違います。出てない、って言ったりするし、逃げたりして替えさせてくれないんですよ」
すると、その話を側で聞いていたその子がお母さんの口を塞ぐようなポーズをしてこう言ったのです。
「言わないで」
『臥竜塾』2018年9月4日『社会的状況による言語』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「まだ言葉で表現できない子も、その子の話題をしているとお母さんの口を手で抑えたりする姿をよく見る」
後で聞いた担任の先生からのお話にも驚いてしまいました。1歳児クラスの子にもうこのような意識が芽生えているのですね。
(報告 加藤)
追いかけっこがケンカに発展してしまいました。
左くん「喋ってよ」
左くん「ケンカは喋るんでしょ」
ケンカの当事者はもう一人いたようです。
左くん「黒くんも喋れ」
仲直りのきっかけはこの瞬間でした。
発言した左くん含め、思わず全員が笑ってしまいます。
右くん「何でケンカに笑うの」
一見落着です。
ブログ『臥竜塾』2018年1月7日『独自の文化』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
ケンカをする、仲直りをする。日常のこのような姿も、彼ら自身で築き上げてきたものの表出された姿なのかもわかりません。
(報告 加藤)
すいすい組(5歳児クラス)の子が教えてくれました。
園のマスコットキャラ「せいがぼうや」に帽子を被せたアレンジを加えているようです。
すると、
ブログ『臥竜塾』2019年1月1日『2019年1月1日』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
頭にあるイメージで絵が描ける創造力に驚いてしまうのですが、それに影響を受けた子が真似をして続く、このような連鎖が自然と生まれることにも改めて感動を覚えます。子ども同士の関係から生まれる物語を今年も追いかけていきたいと思います。
(報告者 加藤恭平)
らんらん組(4歳児クラス)の子たち。ピーステーブルで興味深いやりとりを見せてくれました。
遊んでいる最中に左くんの口元に右くんの手がぶつかってしまったようで、痛かったことと、その思いを伝えるべく左くんが右くんをこの場所へ連れてきました。
見ている二人は仲裁役を果たします。
少しの沈黙。
右くんには悪気がなかったようで、中々許してくれない左くんのキゲンを伺うような雰囲気に。
この喧嘩が終わらないのは許してあげられない左くんにも原因があるのでは、という仲裁役の子の見解でしょうか。
少しの沈黙。仲裁役の子が動きます。
答えない左くん。
ここが秀逸でした。
仲裁役の子「喧嘩してんのになんで嬉しいんだよ笑」
右くんは解けた空気にほっとした様子。
仲裁役の子「(左くんは)悲しい気持ち?怒ってる気持ち?」
仲裁役の子「左くん、泣いてる?」
左くんにも笑顔が生まれ、けれども不本意に思わず場が和んでしまったことが許せない左くんはここからが苦労ですね。
右くん「ねぇ、これ?」
少し調子にのり過ぎてまた怒らせてしまいましたが、数分後、
仲直りできたようです。
ブログ『臥竜塾』2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
喧嘩をしても、子どもたちのように仲直りができたら。子どもたちから学ぶことの大切さを改めて感じます。
(報告者 加藤恭平)
らんらん組(4歳児クラス)の子が教えてくれました。
トンボの目のつくりを再現したこの玩具に、
組み合わせの妙ですね。
ブログ『臥竜塾』2014年12月22日『思考方法』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
子どもにおける科学する力を考察するにあたって、いろいろな形式を組み合わせて学びを拡張していこうとする実践が行われています。そのために、約1世紀の間、幼児学校や進歩的な教師たちによって取り組まれてきました。同時に、脳の解剖学構造についての新しい知見が得られました。その知見によって、現場で直感的に知っていたことが正しかったことが分かってきています。それは、子どもたちの学習の可能性はとても大きく、それを効果的に伸ばすには、様々な学習の道筋が用意されていなければならないことが分かったのです。この解明について、現在、私が現場から感じている乳幼児における発達、それは、乳幼児期における学習、教育のあるべき考え方が、次第にいろいろな研究知見から説明されることと似ている気がしています。認知神経科学者は思考方法について研究しています。その結果、思考方法には異なった二つの形態があり、それが一緒になって働くことを確信しています。それは、「意識的な思考」と「非意識的な思考」という形態です。「意識的な思考」とは、自分がしていることを意識していて、情報を獲得したり、情報を使ったりするときに言葉を使います。一方、「非意識的な思考」は、潜在学習とか無意識思考とも呼ばれています。意識下で常に働いていて、言葉は使われません。この二つの思考形態は、お互いに影響し合いますし、普通心的活動でもこの両方が働いています。幼児の思考の多くは、社会的行動や言葉から、無意識のうちに複雑なパターンや暗黙のルールを学んでいきます。実は、科学には、この非意識的思考が重要なのです。科学的というと、情緒的と正反対な世界のように思えますが、実は、そこにはかなり人間の能力の中で五感以外の感覚が必要のようです。「ははぁ、やっとわかった!」という、思いがけない解決を経験することがよくあります。そのとき、意識的な思考では思いつかなかった解決を、非意識的なプロセスが導き出したものなのです。このようなことを、たぶん、「ひらめき!」というのでしょうが、科学的思考の領域では、想像力と同じように、直観的な洞察力も大切なのです。解決すべき問題を見つけ出したり、解決方法の目星をつけたりするときに、なくてはならない思考法だというのです。「確かにね!」と同感します。理詰めで考えを展開していくと息づまることがあり、ふと、直観的にひらめくことがあります。私たちの周りで進行している様々なことを意識して知覚できるのはほんのわずかで、ほとんどは非意識的プロセスによって取り入れているのです。そして、情報処理も、意識的思考よりも早く処理しています。さらに、非意識的プロセスは、まとまりを見つけ出したり、他の情報とのつながりをつけたりするときにも、とても効率的であるということが分かっています。
「あれとあれを組み合わせてみよう」というような、単純な思考と思えるその奥で、脳はとても豊かなプロセスを経過するようです。子どもたちの創造力、閃きが生まれる環境について、考えていきたいと思いました。
(報告者 加藤恭平)