先日、学生の頃の友だちとキャンプに行ってきました。最後にキャンプに行ったのはもう何年も前の事で、テントを建てることもやっとの思いでした。そして、たき火を囲んで友だちと話をしたのですが、そのキャンプ場には何人ものファミリー連れが来ていて、子どもたちは自然を感じながら思い思いの遊びをしていました。心なしか、自然の中で体いっぱい遊んでいる子どもを見ていると、和みますし、部屋で遊んでいる子どもたちよりも楽しいそうに見えます。
また、ドイツで見た森の幼稚園のことも思い出しました。そこでは枝を使って、数を教えて算数の勉強をしていたり、体を使って、木を使って家造りをしていたり、思い思い自然物をつかって、遊んでいました。そこでの見立てや工夫はとても目を見張るモノでした。自然物が子どもたちに与える影響は都会にある便利なモノに比べると大きく違うように思います。多少の不便さというものは子どもたちの環境にとっては必要なことだと最近感じることが多いです。多少の不便さの中で起こる工夫が次に発想に繋がり、その経験するが生きる力に繋がっていることを見学していて、感じました。
最近、暑くなってきたので、どろんこ遊びが始まりました。1.2歳児の子どもたちは泥や水を使って、水の感触を楽しんでいたり、泥で形作ることを楽しんでいます。特に1歳児は指先に触れる感触が楽しいのか、ずっと握ったり、手を広げたりを繰り返しています。その指先に感じることが脳に刺激を与え、次の発達に向けて力をつけている最中なのかなと、聞きかじった知識に当てはめて活動を見ています。 (投稿者 邨橋)
森の幼稚園、とても興味があります。下落合という環境でどう活かせるのかという気持ちもあるのですが、単純な好奇心が働いてしまいます。
多少の不便さ、とても良い言葉ですね。今の時代にこそ必要なものであると思います。僕も豊かな時代に生まれたお陰で気づけていないことが多いです。こういった環境であそぶ子ども達からは、今以上に学ぶことばかりなのだろうなと思います。