BGM

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最近、我が子と遊んでいてとても気になるというか、不思議に思う事があります。

つい最近、プラレールを買ったので息子は基本的にそれで遊んでいますが、それでも時には違う遊びをします。

 

そのタイミングはもちろん分からないので、気づいたらプラレールを飽きて違う玩具で遊んでいる姿を目にします。ですので線路を上を走っている電車の電源をオフにすると、息子が遊んでいる玩具を放り投げて、怒って戻ってきて、電車を走らせろ!と言わんばかりの反応を示します。こちらとしては遊んでいないのだから、いいじゃない!と思うのですが・・・なぜか怒るのです・・・。

 

また別の日に塾生の西田先生の家に遊びに行った時にも似たような光景がありました。

西田先生の家にある玩具で魚釣りの玩具がありました。池がクルクルと回って魚が定期的に口を開けるので、そこに釣り針を落として吊り上げるという、昔からある玩具です。

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電源を入れると、なかなかの音を発して、少しうるさいくらいです(笑)

その玩具の電源を入れて遊ぶのかと思いきや、さっさと違う玩具で遊び始めたので、電源を切るとすぐに気付いて玩具の電源を入れて、また違う遊びに没頭するのです。そんなやりとりを数回繰り返してみましたが、何度やっても電源を消すと、入れにくるのです(笑)

 

この行動は何だろうね?と皆で笑いながら疑問に思っていましたが、

ついに解決したのです。

 

先週の月曜日~水曜日にGT環境セミナーがありました。

その時の塾長の講演の中で答えが出ました。

講演の中で塾長が今の話しをして、ご自分のお孫さんもそういう行動を取るそうです。

それは塾長が言うには

 

「遊びのBGMです」

「子どもは自分の手に届く範囲、目に見える範囲に玩具があることに落ち着く。」

 

という話しをされて、全てが解決しました。

保育園でも同じ様な現場に遭遇するのではないでしょうか?特に息子と同じくらいの年齢では片付けをしないで、他の玩具で遊んだり・・・。それをムキになって「片付けは?!」と言ってしまう保育士が案外、いるのではないでしょうか(笑)

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早速に自宅に帰って妻に話しをして、二人で納得して、

プラレールを走らせながら、違う遊びをしている息子を見守っているのです。(報告者 山下祐)

BGM」への4件のフィードバック

  1. 遊びのBGM!そのように考えたことがなかったので、また子どもたちの世界を見る目が変わっていきそうです。私もPC作業をするときに周辺に準備するものがあったり、ときには音楽を流しながらというように他の作業でもとりあえずそれを置いておくだとか、必要なさそうにないものを近くに置いていることがあったりするのを思い出しました。よく「ねえそれ片付けたら?」「いるの?使うの?」「二つもいる?同じものじゃん(あ、これは違いますね笑)」なんて言われることも多いですが、そんな気持ちと同じですかね笑(ちょっと違うかもしれませんね)。
    どんなことがあっても子どもの姿をみて、子どもの世界を想像するということが大切だなと感じました。大人の尺度や価値観で子どもにヤーヤーと言うのではなく、これはどういう意味の行動なんだろう?と常に考えることが大切ですね。「片付けなんて二の次だ!」とここでだけ大きな声で言わしていただきます笑

  2. 素晴らしい発見ですね。子どもの行動の意味を考えていこうとする姿勢は、私も大切にしていきたいと思います。「遊びのBGM」に関連して思い浮かぶのが、「昼寝のBGM」です。新入園児は4月頃、慣れない環境の場所で寝るということで、まとまった昼寝ができずにいました。他児の泣き声や様々な物音、子どもや職員の声などにも敏感に反応していました。しかし、次第にそんな環境にも慣れ、まとまった睡眠ができるようになっていきました。それはきっと、気になっていた音や声が、昼寝のBGMと化しているようにも感じています。何も音がしない環境よりも、そういった生活音の中で寝る力は、生きる力にも直結しているようにも思いました。

  3. なるほど。今、うちのクラスでは、はとぽっぽ体操とアンパンマンの歌がよく流れています。体操は踊る子どももいる中、1番にリクエストした子が全く踊らずおもちゃで遊んでいたり、アンパンマンの歌でも子どものリクエストで流した後、おもちゃで遊び、終わったら「もう一回」そしておもちゃで遊びの繰り返しでした。遊びのBGMと捉えればなんだか納得してしまいました。

  4.  『遊びのBGM』。この言葉は至言です。大人にはもしかしたら感じることのできない快感が、そのBGMの中に多分に含まれているのかもしれませんね。僕もよく音楽を流しながら食器を洗ったりします。水で流す時に、その音でかき消されてしまうので、聞こえなくなる時もあるのですが(笑)それでも流れていると心地よくて、洗い物が捗るような、そんな気がしています。
     こういった、人の心が軽くなるような、明るくて、そして簡潔な言葉を、藤森先生にこれからもどんどん生み出していっていただきたいなぁと、改めて思ったりしました。

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