NHKスペシャル『人類誕生』2回目

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今回は、NHKスペシャル『人類誕生』の2回目を鑑賞しました。

人類誕生の地アフリカから、世界へと旅立ったホモ・サピエンス。その前に立ちはだかったのが、ヨーロッパに君臨していたネアンデルタール人でした。両者は1万年に渡って同じ土地で暮らし、ライバルとして地球の覇者を争ったそうです。(実際にホモ・サピエンスとネアンデルタール人の間で争いはなかったとされています)

ところが、屈強な体と高い知性を持つハンターだったネアンデルタール人はなぜか忽然と姿を消し、私たちの祖先であるホモ・サピエンスだけが生き残りました。もし、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが1対1で戦えば、間違いなくネアンデルタール人が勝つでしょう。しかし、ネアンデルタール人は敗北していったのです。それは、人類進化における最大のミステリーとされています。

その謎を見ていきましょう!

700万年前、最初の人類が誕生して以来、様々な枝分かれを繰り返し、20種類ほどの人類が生まれては絶滅しました。そして、最後に現れたのが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス。ネアンデルタール人は主にヨーロッパで進化し、その後アフリカで誕生したのが、ホモ・サピエンスでした。つまり、ネアンデルタール人と私達ホモ・サピエンスは同じ祖先から全く別の場所で進化した、遠い親戚のような関係でした。また、同時代に地球上に住んでいた、最大のライバルでもありました。では、この2種類どんな出会いだったのでしょうか。

文明の交差点、中東エルサレム、ここで両者は出会ったとされています。現在も3つの宗教の聖地とされるエルサレムは世界中の人が集います。何か縁を感じますね。きっかけとなったのは、イスラエル北部にあるマノット洞窟での発見です。5万5000年前にホモ・サピエンスが暮らしていた痕跡が見つかったのです。実はこの遺跡から、わずか40kmの距離にネアンデルタール人が住んでいた跡も見つかっています。これまで、この時代にはサピエンスとネアンデルタール人は遠く離れて暮らしていたと考えられていました。ところが、日常的に顔を合わせてもおかしくない、とても近くで暮らしていたことがわかりました。

では、ネアンデルタール人とはどんな人類だったのでしょうか。まず、ネアンデルタール人の知能が見直されています。それは、発掘された遺跡や頭蓋骨からわかります。ネアンデルタール人の頭蓋骨はホモ・サピエンスより明らかに大きく、10%も大きい脳を持っていたことが明らかになっています。また、言葉を話すのに欠かせない舌骨や耳小骨などを詳細に調べた結果、喋る能力があった可能性も判明。さらに、ペンダントやブレスレットを身につけていたり、文化的な行動を行っていたことも分かってきました。動物の皮を加工し、身につけていた証拠も。従来、体は頑丈でも、言葉を持たず知能は低いと考えられていたネアンデルタール人ですが、本当は屈強な体に高い知能を併せ持つ人類だったのです。私たちが賢く優秀だったから生き残ってきたと考えられていましたが、それは大きな間違いだったのです。

次は、お互いにどんな暮らしをしていたのか、みていきましょう。まず、ネアンデルタール人が繁栄したのは氷期のヨーロッパで、冬の気温はマイナス30℃まで下がり、食料は乏しい時代でした。この厳しい環境を生き抜くために、独特の狩猟方法を編み出します。それは、骨の化石に残されている無数の傷跡から分かるそうです。骨に残された傷は、ネアンデルタール人の狩りが肉弾戦だった証拠で、彼らはとてもチカラが強く、接近戦で狩りをしていたのです。しかし、かなり命がけの狩りだったことでしょう。その一方で、私たちの祖先のサピエンスは、ネアンデルタール人に比べると、全身の骨は細く、力が弱かったため、全然違う方法で狩りをしていました。勇猛果敢に大型動物に挑む強い力はなかったため、小型動物を狩りし、何とか命を繋いできたのです。

しかし、ウサギのような小型動物を追っていた時代から数千年経った4万3000年前、サピエンスの狩りは様変わりしていました。このとき、道具の革命が起き、大きな動物を何匹も捕まえるようにまで、進化していたのです。その際に使用していた道具が、「アトラトル」と呼ばれるもので、サピエンスの暮らしを根底から変えました。アトラトルとは、槍を遠くまで飛ばすことのできる道具で、テコの原理を用いて、腕だけで投げる距離の2倍以上の距離投げることができます。これだと、近距離でなくても狩りが可能になり、サピエンスは弱点を補うことに成功したのです。(以前日本テレビの「世界の果てまでイッテQ」という番組でお笑い芸人のみやぞんさんが、このアトラトルを使用する回を観たことがあります。興味のある方は、そちらもご覧ください)また、画期的な道具は、アトラトルだけではなく、サピエンスは石器など様々な道具を革新させていったのです。それに比べると。ネアンデルタール人の道具は、25万年もの間、ほとんど変化がありませんでした。この違いは、両者の遺跡を比べることで分かります。

まず、サピエンスが暮らしていたフランス西部のカスタネ岩陰遺跡を見てみます。かつて、崖の下には500平方メートルの広大な空間が広がり、石器や人骨の数から、多いときには150人ほどが一緒に暮らしていたことが分かるそうです。その一方で、ネアンデルタール人の住んでいたとされる、スペイン北部のエル・シドロン洞窟を見てみると、出土した骨などから推測し、13人で生活していたことが分かるそうです。彼らの集団は多くても20人ほどで、さらに全員が血縁関係にあり、家族単位の小さな集団で生活していたことが分かります。この集団の大きさの違いが、道具の革新の差に繋がったと考える研究者が、イギリスのオックスフォード大学にいらっしゃいます。そう、ロビン・ダンバー博士です。

例えば、アインシュタインが何かを発見したとき、集団が大きければ、多くの人がそれを使えます。でも、ネアンデルタール人は新たな発見をしても、多くの人に広めることができなかったのです。画期的な道具が生まれても、ネアンデルタール人の家族単位の暮らしでは広がりません。一方、サピエンスのように大きな集団では、多くの人に広がり、改良も進んでいくのです。アトラトルという画期的な武器を手にしたサピエンス、その背景には集団での情報共有があったとされているのです。

サピエンスは集団生活によって、やがてネアンデルタール人との運命を逆転していくことになります。モスクワの東200km、ウラジミールに残る3万5000年前のスンギール遺跡があります。この頃、サピエンスの集団は、さらに大きくなり、ここには400人にのぼる非常に大きな集団で生活をしていました。それは、血縁を超えた、もはや社会と呼べるものでした。なぜ、これほどに集団が大きくなったのでしょうか。その謎には、私が今勉強している「宗教」というものが大きく関わってきます。遺跡から、マンモスの牙でできた指輪やホッキョクギツネの歯で作られた頭飾りなどが発掘されるのですが、これらは全て死者のための埋葬品だったのです。つまり、この頃から「死後の世界」に思いを馳せ、原始的な宗教のようなものが生まれていたと推測されるのです。原子の宗教の痕跡は、このころのサピエンスの遺跡から相次いで見つかっています。フランスのショーヴェ洞窟では、洞窟壁画がたくさん描かれています。その中には、上半身は動物で下半身は人間のような絵や、ライオンマンと呼ばれる、顔がライオンで体は人間のように現実にはない不思議な生き物が多く描かれています。一説には、儀式を執り行うシャーマンの姿だと言われています。

この宗教こそが、人々を結びつけ、巨大な社会を生み出す原動力になったと言われています。先ほど出てきた、ダンバー博士も、宗教が人々の間に強い絆を生み出し、人類は宗教を使って非常に大きな社会を作っていったと言います。闇に包まれた洞窟の奥には、神秘的な世界が広がり、そこで人々は共に歌い踊り、儀式を行うことで繋がりを深めたと考えられています。このように同じものを信じることで生まれた強い連帯感で、強固な集団の力となり、それはその後のサピエンスを救うことになります。

ヨーロッパを襲ったハインリッヒイベントと呼ばれる気候変動が起こります。当時北アメリカを覆っていた巨大な氷の塊が海へと崩落し、その影響で海流が変わり、ヨーロッパの気温が急激に乱高下を繰り返したのです。極端な暑さと寒さが、ときには10年単位で入れ変わり、森は消え生き物も激減しました。サピエンスはこのおきな危機をどう乗り越えたのでしょう。その鍵となったのは、集団同士の交流でした。宗教は何千キロも離れた人々を結びつけ、数千人の社会が誕生します。例えば、食料が全く足りなくなったときも、宗教で結ばれた遠く離れた仲間同士が、互いに助け合って、この危機を乗り切ったのです。こうして、気候変動を生き延びたサピエンスは、ヨーロッパでの勢力を拡大する中、ネアンデルタール人の生息域は徐々に狭まっていきました。

小さな家族単位の集団だったネアンデルタール人は、仲間の助けを受けることなく孤立し、わずかに残った森で数少ない獲物に頼るしかありませんでした。また、その肉弾戦の狩りは常に死と隣り合わせで、狩りで命を落とす者も多く、ほとんどが30代までに亡くなったと推測されます。さらに、彼らは体が大きく大量のエネルギーを必要としていました。それは長い時間をかけて氷期に適応した体になっていたのです。しかし、それが結果的に仇となってしまいました。ホモ・サピエンスが大きな社会を築き始めていた頃、ネアンデルタール人はヨーロッパの南端、イギリス領ジブラルタルのゴーラム洞窟で最後のときを迎えたされています。彼らが、最後の日々に何を感じ、世界をどう見ていたかを知ることはできません。しかし、彼らにも私たちと同じように悲しみや怒りといった感情は持っていたはずです。おそらく最後の1人はとてつもない孤独を感じていたでしょう。絶滅の淵に追い込まれたネアンデルタール人が残した不思議なものが4年前見つかりました。ハッシュタグ(#)と呼ばれる、繰り返し石を削って刻まれたものです。なぜ、このようなものが描かれたのかわかりませんが、もしかしたら、一族が生きた証を残そうとしたのかもしれません。こうしてこの地球上には、私たちホモ・サピエンスだけが生き残ることになったのです。

これまで、ライバルという表現をしてきましたが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが、直接戦ったり、殺し合いをしたことはなかったと言います。人類最初の戦争は、サピエンス同士で起こったとされています。生活が違ったからこそ、ネアンデルタールとサピエンスは戦うことはなかったそうです。宗教で集団の結びつきが強まった反面、争いも始まったのです。集団の力は、諸刃の剣だということが分かります。

そして、ここまでネアンデルタール人が絶滅した背景を見てきましたが、実はそのDNAが私たち現代人の中に受け継がれてきていることが最近分かったのです。ネアンデルタール人の骨からDNAを採取・復元し、世界各地の人々と比べたところ、アジアやヨーロッパの人々に約2%、ネアンデルタール人のDNAがあることが分かりました。最先端の技術すごいですね。一方で、アフリカのサハラ砂漠以南の人には、ほとんどありませんでした。この理由として、最初に書いたサピエンスとネアンデルタール人が出会ったのがエルサレムということが挙げられます。アフリカを出たサピエンスはエルサレムでネアンデルタール人と出会い、交配をしましたが、アフリカに残ったサピエンスは、ネアンデルタール人に出会うことなかったので、混血もなかったと考えられています。

ホモ・サピエンスに刻まれたネアンデルタール人の遺伝子は、私たちにポジティブな影響を与えてくれました。例えば、アフリカにはなかったウイルスに対する免疫遺伝子などです。私たち人類は、異なる人々と交わり様々な遺伝子を受け取って生きてきたのです。そしてその事実は私たちとネアンデルタール人がとても近しい存在だったことを意味しているのです。もし彼らが今も生き残っていたら、きっと共に生きることができただろうと言われています。

個人的には、人々を結びつけた宗教や集団の力をもっと勉強したいと思いましたが、それ以上に塾長が講演で話す内容に世間が追いついてきたように感じました。次回の人類誕生は、グレートジャーニーで日本にやってきます。それも楽しみですね。

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メニューはカツカレーとオニオンサラダでした。

以上、5月29日臥竜塾報告終わります。

西村 宗玲

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