繋げて考える

お手伝い保育が始まっています

昨年らんらん組(4歳児クラス)だったあの子たちが、何とも立派に

皆、すいすい組(5歳児クラス)として、その活動をやり遂げていました

2020年9月18日『繋げて考える』の中でこう書かれています。

「心の中の情報に集中し必要なものを維持しながら作業を進めるには、余計な注意を引くものは取リ除き、刻々と変化する課題に備える必要かある。それは沢山の滑走路があり、沢山の飛行機が飛び交う空港で離発着をコントロールする管制官のようなものてある。人間の脳においてこのような航空管制と同じような働きをして、情報をコントロールするメカニズムを実行機能と呼ぶ。」

遊びたい気持ち、面倒臭い気持ち、いろいろな葛藤があるだろうことを思っていると、活動の終わり際、一人の子から、

「ずっとお手伝い保育だったらいいのに。」

何よりも楽しさでこの活動は行われていたのだと、子どもたちの気概に触れ、子ども観を見直させられたような気持ちになりました。

(報告 加藤)

必要なスキル

2020/721
お手伝い保育が始まりました

すいすい組(5歳児クラス)から数人、各クラスに配置されます。初回は1時間から1時間半くらい、短い時間ですが、子どもたちは楽しみにしていたようです。

ちっち組(0歳児クラス)にきょうだいのいるすいすい組の子、関わり方が上手で、ぐんぐん組(1歳児クラス)の新入園児がすぐに懐いていました。

写真は目の辺りを指さしたり、目尻を両手で下げたり、お姉さんの顔で遊んでいる様子なのですが、文句も言わずに付き合ってあげていて、偉いと思いました。

2020年7月18日『必要なスキル』の中でこう書かれています。

「ソフトスキル」と呼ばれるスキルには、コラボレーション、会議が自分の思い通りに進まなくても、カッとなったりしないような感情の調整、実行機能等が含まれます。実行機能とは柔軟に思考し、厄介な問題を解決するために、ただ同じやり方を漠然と繰り返すのではなく、別の方法を探そうとするスキルです。あなたの部屋の隣で子どもが大音量の音楽を流していても、家計の収支計算に集中できるのも、実行機能の働きによるものです。こうしたスキルは、弁護士、医者のような専門家に限らず、どんな職業の人でも使っています。

「ソフトスキル」を測定することはとても難しいのですが、ビジネス界や社会科学者の努力により大幅に研究は進歩しているようです。その結果、対人関係や社会的な洞察の役割についての理解が進み、子ども、大人にかかわらず、「ハードスキル」よりも「ソフトスキル」の方が、学業での成功を予測する上で役立つことが判ってきたそうです。「ソフトスキル」は「ソフト」ではなく「しっかりした」スキルなのです。

学校の授業では教わらないかもわからない学びを、今まさに積み重ねている子どもたちです。

(報告 加藤)

成功と幸せ

2020/6/23 ぐんぐん組(1歳児クラス)の子たち

「これ○○くんのエプロン」なのでしょうか「やってあげて」なのでしょうか、こちらにエプロンを差し出す男の子に、

これ僕のだよ、と体を叩いてアピール

それじゃ、と、

やってあげようとするのですが、

できなくて、テーブルに

その子が自分でやることを見守る形に

2020年6月21日『成功と幸せ』の中でこう書かれています。

彼らは、「成功」「幸せ」ということをこのように定義づけています。「健康で、思慮深く、思いやりがあり、他者と関わって生きる幸せな子どもを育て、皆が他者と協力し、創造的で、自分の能力を存分に発揮する責任感溢れる市民となる」こととしています。また、「『超』一流の市民」とは、無為の二流に甘んじることなく、一流というブランドに惑わされることなく、誰もが様々な分野で「『超』一流」となって輝くこととしています。

では、どうしたら良いのかということで、そのカギとなる能力として、六つのCの力=6Csを提唱しています。それは、

Collaboration:それぞれの強みを活かし弱みを補い合う

Communication:対話によって互いが満足するストーリーを作る

Content:専門領域について熟知し直感が働く

Critical Thinking:根拠に基づき熟慮して上手に疑う

Creative Innovation:変革について大きなビジョンを持つ

Confidence:熟慮した上で失敗にひるまず挑戦し続ける

この六つの力を見ると、その中の1,2は、他人との関係が示されています。私たち科学と言うと、実験室に一人閉じこもって、試験管を振ると言うイメージがあります。しかし、ここには、1ではお互いに「補い合う」という人類の進化における特性である、協力する、助け合う、ということが求められています。また、2では、対話を大切にしています。もちろんこの対話は、言葉によるものだけではないかもしれません。そこには、共感など、心の問題もあるかもしれません。ということから、私は、これからの時代における本当の新しい生活様式、教育の目指す方向を考える上でのヒントがあるのではないかと思っているのです。

生活の中で育まれていけるよう、このような姿が生まれるよう、保育は考えられていかなくてはならないことを改めて思います。

(報告 加藤)

未完の大人?

繋げて繋げて、じっくりと取り組んでいます

この子は何でも回してしまいます

丸く繋げたこの玩具も

引っ張ると動くプルバックカーを逆にして

戻ってくることを何回も繰り返していました

ぐんぐん組(1歳児クラス)の子たちの遊びを生み出す力に驚かされています。

2019年7月25日『未完の大人?』の中でこう書かれています。

過去の10年聞の研究で、幼年期と人間性についての新たな概念が生まれました。赤ちゃんや幼児は単なる未完の大人ではないということです。これは、いわゆる白紙論に対する否定的な見方です。それは、観察からだけでなく、脳のシナプスの数の過形成と刈り込みによっても明らかになってきているのです。このことをもう少し認識することが必要です。すなわち、赤ちゃんや幼児は、変化し、創造し、学び、探求するために、進化によって極めてみごとに設計されているというのです。

誰かから教えられてできるものでないだろう遊びを見て、子どもは白紙でないことを改めて感じてしまいます。

(報告 加藤)

文化的行動の伝承

2019/4/17

わいわい組(3歳児クラス)に入園した新入園児が保護者と離れ、泣いていると、すいすい組(5歳児クラス)子が駆け寄ってきてくれました。

とても感動的だったのは、自然と寄り添ってくれたすいすい組の子たち二人は、同じようにわいわい組の時に自園に入園し、そして今泣いているその子と同じように、保護者との別れに泣き、そしてその頃のすいすい組の子たちにその涙を拭いてもらっていた子たちだったからでした。

2019年1月5日『文化的行動の伝承』の中でこう書かれています。

以前、ハリスは遺伝以外に文化的行動が古い世代から新しい世代へと受け継がれる方法が四つあると述べていました。そのうち三つはすでに却下されています。文化は親から子へと伝えられるものるではなく、移民を親にもつ子どもたちは仲間たちの文化を受け入れます。このことから、親の育児態度と子どもが親を模倣するというはじめの選択肢二つは排除されました。三つ目の選択肢は子どもたちが同一社会に属する大人全員を模倣するというものでしたが、これだと子どもの文化が親の文化と異なる場合には成り立ちません。そこで、ハリスは、「文化は子どもたちの仲間集団を通じて伝えられる」という結論に達しています。

これは、最初に私の見解を述べたものと同じ結論です。私はかねがね文化は子ども集団の中で伝えられていくものが大きいと考えているのです。これはハリスが提案する集団社会化説の中心的な考え方の一つでもあります。

こうしてまたこの子も、涙を拭う側へと成長していくのでしょう。

(報告 加藤)

手伝う動機

登園後、

泣いている新入園児に寄り添う子たち

写真奥のすいすい組(5歳児クラス)の子は、わいわい組(3歳児クラス)の時にすいすい組の子に同じようにして朝の受け入れをしてもらっていました。

配膳の並び方を新入園児の子に教えるすいすい組の子

その子もまた同じように配膳の長い列に並ぶのは苦手な子なのですが、それがすいすい組という立場からこのような役回りを得ることになるのですね。

相互に影響し合いながら、育まれていくものがあることを感じます。

にこにこ組(2歳児クラス)の掃除のお手伝い

園庭で遊んでいるとぐんぐん組(1歳児クラス)の先生に頼まれました

ブログ『臥竜塾』2015年10月20日『手伝う動機』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

子どもの手伝うという行為を、なぜ行なわれるのかは判っていないと言います。大人は、同情に動機付けられるわけでもなく、しょっちゅう人助けをしているのではないかと言います。両手にいっぱい本を抱えて、閉まっている扉の方へよろよろ歩いている人がいたら、何も言われなくてもさっと立ち上がって扉を開けるだろうと言います。これは、親切心と言うより、誰かがくしゃみをしたら反射的に「お大事に」と言うような、習慣に動機付けられたものかもしれないというのです。

 あるいは、幼児は助けられる相手を気遣うのではなく、助けるという行為を楽しんでいるだけなのかもしれないとも考えられるのではないかと言います。大人が、手の届かないところにある何かを取ろうとしていて、子どもがそれを手渡すとしたら、その動機は、問題が解決されるのがたんに快感だからかもしれないということもできます。いや、幼児のお手伝いは、大人が幸福のためではなく、大人の是認を得るのが目的なのかもしれません。お手伝いをしようとする子どもの姿は、愛らしいものです。もしかしたら、これが正解かもしれないとも考えられます。子どもたちのお手伝いは、大きな目や丸い顔のような、身体的な魅力と同じ、保護者に愛されるために設計された適応行動かもしれないと言います。

 これらの懐疑的な指摘は、とても面白いですね。ある意味では、こんな可能性もあるのですね。そして、それはどれか一つではなく、複数の理由が含まれているのかもしれないのです。

 しかし、研究者たちが得た証拠によれば、お手伝いは、少なくとも年かさの子どもたちによる場合、実際に、他者に対する純粋な気遣いによって動機付けられているということはわかっているようです。ブルームの同僚のアリア・マーティンとクリスティーナ・オルソンは、大人に、3歳児と遊んでから、ある用途に必要なものを取ってきて、と頼むように指示してみました。例えば、大人の近くに水が入った水差しが置かれているとします。大人は、子どもに、「水が注げるようにカップを取ってくれる?」と頼みます。頼まれたものが用途に適していれば、たとえば、カップにひびが入っていなければ、子どもはたいていそれを手渡してくれます。頼まれたものが、カップにひびが入っているといった具合に、用途に適さない場合には、子どもは取ってきてと頼まれたものには触れず、部屋の別の場所にある、ひびの入っていないカップのような、用途に適ったものを取ってくることを発見したのです。つまり、子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。

先日、各クラスへ見学へ行きました。

もうすぐ始まる『お手伝い保育』。どんな姿が見られるのか、とても楽しみです。

(報告 加藤)

 

『仲間のようになりたい』

 

昨年度3月後半のブロックゾーン

今年度もこのような遊びの広がりを見られることを楽しみにブロックゾーンを見ていると、「写真撮って」と今年度のすいすい組(5歳児クラス)の子たちに声をかけられました。

群馬県にある駅だそうです

一人の旅行先での思い出が共有されて作品になったとのことで、それよりも思い掛け無い所で成長を感じたのは、カメラの中に子どもたちが写ろうとしないことでした。

「だって作ったものを撮ってほしいから」

「それに皆が写ったら作ったものがあんまり見えなくなっちゃうじゃん」

ブログ『臥竜塾』2019年3月6日『仲間のようになりたい』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

年少の子どもたちは年長の子どもたちと同じように行動し、話し、そして装いたいと願うのです。いかに行動し、話し、装うべきか、子どもたちはその指標を成人に求めようとはしません。なぜなら、子どもと成人とでは、属する社会的カテゴリーも違えば、従うべき規則も違うからです。より高い地位に就きたい、年長の子どものようになりたいという願いは集団の中に対して、〈子ども〉という社会的カテゴリーの中に対していだかれるのです。

昨年度のすいすい組(5歳児クラス)の背中を見て育った彼ら。今年度もとても楽しみです。

(報告 加藤)

 

『取捨選択』

 

「お家で作ってきたんだ」

「早く田崎先生と森口先生に見せたい」

野球好きな二人を想いながら作ったのですね。

「じゃここから投げるからね」

「上手く捕れるかな?」

わいわい組(3歳児クラス)の子たちを誘って遊びを作っていました。

「城下町が出来てきたから写真撮って」

屋根はお家セットの三角のコーナーに置く棚でアレンジ

「これ(棚)がないと城にならないんだよね〜」

こだわりですね。

「カメラを作りました」

「撮るね」

一旦製作ゾーンへ行った二人に渡されました

「はい、先ほど撮った写真です」

ブログ『臥竜塾』2019年3月13日『取捨選択』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

取捨選択が個人の自由裁量で行なわれ、さらに先進国社会の若者たちには同年代の仲間とかかわるので、高校や大学に新たに入学した者たちは、独自の文化を構築することになります。その新たな文化には社会全体、すなわちメディア、世界情勢、そして先輩の文化から迎え入れた情報と、先人たちと差別化を図る目的で文化の構築者たちが新たに加えたものとがプレンドされているというのです。

子ども社会の中でもこのような文化の構築があったことでしょう。そんな大いなる担い手である彼らが、卒園式を迎えました。たくさんのアイデアと感動を与えてくれた彼らに、感謝の気持ちでいっぱいです。

(報告 加藤)

『子ども文化は寄せ集め』

 

「お城のお堀を作ったんだ」

「お城のお堀を作ったんだ」

「これ(箱)とこれ(箱)とこれ(箱)を組み合わせてお城にするよ」

「これ(箱)とこれ(箱)とこれ(箱)を組み合わせてお城にするよ」

大きな計画ですね

大きな計画ですね

するとその横でらんらん組(4歳児クラス)の子

するとその横でらんらん組(4歳児クラス)の子

「真似してるんじゃなくて、すいすい組(5歳児クラス)の子よりもっとすごいの作ろうとしてるんだよ」

「真似してるんじゃなくて、すいすい組(5歳児クラス)の子よりもっとすごいの作ろうとしてるんだよ」

ブログ『臥竜塾』2019年1月9日『子ども文化は寄せ集め』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

遊び、言葉、大人を欺く戦略、細かな慣習、子ども文化はまさに寄せ集めだと言います。子どもたちは好き勝手に、その集団に属する子どもたちの大半に認められたものであれば何でもかんでもその中に投げ入れます。大人文化からも取捨選択をして取り入れるため、集団ごとに文化の内容は異なります。(略)

複数の文化に属する子どもたちは、それぞれの文化から取捨選択ができるので、選択の幅はいっそう広まります。

様々なものを取り入れて新しいものを生み出す。こういったことが子どもたちの日常のあらゆる場所で繰り広げられていることを感じます。

(報告 加藤)

『男集団と女集団』

塾頭の報告にもありましたように、すいすい組(5歳児クラス)の男の子たちは、

お城に興味があるようです

お城に興味があるようです

ブロックゾーンにお城の写真を

ブロックゾーンにお城の写真を

「城下町もつくりたい」とのことで、

城下町の写真も

城下町の写真も

「よーし、僕は城下町にあるコンビニエンスストアつくるぞ」

「よーし、僕は城下町にあるコンビニエンスストアつくるぞ」

思わず笑ってしまいました。

着々と進んでいきました

着々と進んでいきます

興味深かったのはその輪の中にできた動物園

興味深かったのはその輪の中にできた動物園

すいすい組の女の子二人がつくっていました。

いよいよ輪が大きくなっていきました

いよいよ輪が大きくなっていきました

ブログ『臥竜塾』2019年2月1日『男集団と女集団』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

男の子と一緒に遊ぶ女の子のほとんどは、学校にいるときではなく家の近所の男の子と遊ぶときです。家の近所では校庭に比べると遊べる対象が限られているため、子どもたちはさほど選択的になれないのです。そのため、選択的になりたくない子どもにとっては格好の言い訳ができるのです。いずれにしても近隣地域の遊び集団はあらゆる年齢の男子女子で形成されている場合も多いと言います。あらゆる年齢が一緒に遊ぶことによって、路地裏の遊びが年長から年少へと代々伝承されていきます。男女とも一緒に遊ぶことによって、多くの女性、ある調査では全体の50パーセント以上が、幼い頃はおてんばで男の子ともよく遊んだなどと言うようになると言います。

片付けた後の城下町に動物園はありませんでした

片付けた後の城下町に動物園はありませんでした

女の子たちが判断したようです。作品としての結果には残らずとも、こうしてイメージを通わせ合って、関わり合って遊ぶことのできる環境と子ども集団。園は子どもたちにとって路地裏のような存在なのかもわかりません。

(報告 加藤)