環境設定

報告が遅くなり、申し訳ございません。2月9日の塾報告をさせていただきます。まだまだ、コロナが猛威を振るっている状況で、蔓延防止措置が出ていることもあり、今回もzoomでのオンライン塾でした。

オープニングトークは、小松崎先生が話していたコロナによる休園の話でした。コロナが広がり、やむをえず休園する保育園、幼稚園が数多くでています。誰が悪いというわけではないものの、園が休園することで、仕事に行くことのできない家庭が少なからずいます。そこで、こんな案が出ているようです。

「休園した園の子供は、休園していない、近くの園に代わりに預けることができる」

という制度です。これを聞いて、みんな「ん?」と頭にはてなが浮かびました。感染拡大を防ぐために休園して、外出を控えていただくためのものなのに、他の園に行ってもいいのでしょうか?無症状でも感染している可能性があるのに他園に行くことは感染拡大につながってしまうのではないでしょうか?仕事に行けずに経済を回すこと、保護者の声を聞いての対策だとは思うのですが、そうであれば、そもそも休園することをしなければいいのではないでしょうか。どのような制度が正しいかわかりませんが、どんなことに対しても、何のためにやっているのか、目的を見失わないようにしなければいけませんね。

そんな話から始まり、話題は環境の話に移りました。

ある園では年に何回か環境を大きく変えるそうです。それは、子供が落ち着かないからという理由からだそうです。環境を変えることで、子どもたちはしばらく遊び込むことができるそうですが、やはり飽きてくるとまた落ち着かなくなり、環境を変えるそうです。森口先生はこれを聞いて、まるで、新しいおもちゃを与えているみたいだと例えていました。遊び込むという段階までいけてないのではないか。子どもたちに刺激を与えることも、もちろん大切ではありますが、与えすぎてしまうと、刺激をもらうことに慣れてしまい、子どもたち自身が遊びを深めていくことができないのではないか、と話させていました。保育者は、子ども達が遊びを深めていくために、どんな環境を用意しなければいけないのか、考えていくことが大切ですね。もちろん、子ども達が遊びこめていない状況を放置することはいけないことですし、難しいですね。森口先生のお子さんは、カエルを弾いてバケツに入れるおもちゃを30分ほど遊ぶらしいです。すると、もちろん飽きてきてしまい、そうすると、次はバケツを裏返しにして、底面にカエル乗せようとしたそうです。遊びを自ら発展させていて、本当にすごいですね。邨橋先生の園では、ある子どもがクーゲルバーンで工夫して遊んでいるとそれが楽しすぎて、「面白すぎてやめられな〜い♪」と言ったそうです。すごく遊び込んでいて素敵ですよね。その子は積み木が好きで毎日やっているみたいで、そうやって遊び込んでいるからこそ、見えてきた遊びなのかもしれませんね。

環境を変えたがることに対して、西村先生の園でもあるみたいです。遊びの発展が停滞している時に環境を変えたがるそうですが、本当はもう少し見ていてほしい。変えたくなる気持ちはすごくわかるのですが、、、。と話し、それに対して、小松崎先生が、「その話わかる〜」とおっしゃっていました。小松崎先生の園でもそう言ったことがあったらしいですが、職員さんにこう言ったそうです。

「何か問題があって、それに対するアプローチとして、変えるという目的のためならいいけど、そう言った目的がないままに変えてしまうと、その後良くなった原因が把握できないよね」と話したそうです。そう言う意味で、大きく変えるのではなく、良くなった原因を把握するために小さく変えて行くことは意味があると言ったそうです。確かに、、、。と素直に思いました。

また、邨橋先生の園では環境を変えるという考えではなく、足し算をしていくような考えする先生がいたようです。おままごとゾーンにシンクがあるそうですが、そこでの遊びが盛り上がっていなかったみたいです。そこで、シンクのそばに、Bluetoothで繋がる小さなスピーカーをおき、YouTubeで焼き肉だけを焼く音「ジュー、ジュー」という音を流したそうです。するとシンクで音に併せて、ガチャガチャと遊びが盛り上がったそうです。先生のちょっとしたきっかけ、遊び心から、発展していてすごいですね。また、別の時には、シンクで髪の毛を洗っている様子を見た先生が、そこの反対側に鏡を設置したそうです。すると、いつの間にか、鏡の前で髪の毛を切る真似をして、美容院ごっこに発展したそうです。ちょっとした環境の変化(足し算)で遊びがぐっと盛り上がっていて、すごいですよね。大人は子ども達が、好きなことを見つけた後にやり込める環境、深められる環境を作ることが大切ですね。

松元先生が塾セミナーで「保育者は環境で語る」と言っていましたが、本当に環境の大切さを改めて感じることができた塾の内容でした。自分も、今一度、子ども達の様子と環境を見つめ直していきたいなと感じました。今夜もあっと言う間に終わる楽しい塾でした。

報告者 横田 龍樹

2022/1/19 臥竜塾

冬も深まる臥竜塾。
この日は今回の臥竜塾セミナーを担当する小松崎先生のパワーポイントを皆で見ました。
タイトルは『シン・コドモ観』
小松崎先生らしいタイトルですね。

・気になる言葉を見出しに用いて、興味を引きつける
・単なる文字の羅列でなく、写真や絵で内容を紹介していく
・事象について現場目線から考察することにより、現場の保育者に伝わり易い内容になっている

等、魅力満載のパワーポイントで、とても勉強になりました。

内容については明日(1/26)の本番をお楽しみに、
なので、見させていただいた感想と考察をここに書くことで今回の報告とさせて頂こうと思います。

見守る保育を実践する保育者の姿勢について触れられていた場面を皆で話す中で、
「引き際が大切なのではないか」という至言との出会いがありました。

現場目線で最近思うことと繋がり、
例えば1年目の新人職員さんでも、言葉の意味を理解して実践できる人もいれば、
引くことばかりに気持ちがいくのか、子どもと関わることから遠ざかってしまうような人もいたりします。
この違いについて、
その人に『センス』が有るか無いか、
実はこれはとても重要なことだと思います。
しかしながら、
「それではセンスがない人は保育ができないのか」
という疑問については、
「学びにつながる機会を幾つも得る」
ということが大切なのではないかと思いました。
ベテランの先生方をはじめ様々な先生の「引き際」を見る、引き際について話してみる、塾長の本を読む、そのような機会を増やすにつれて、次第と引き際がわかっていくのではないか、と想像しました。

だからこそ、根底には、学ぼうとする気持ちが大切なのだと思いました。

保育や子どもを見る目を純粋な気持ちに戻してくれるような、
まさに『シン・コドモ観』
ご期待ください。

(報告 加藤)

新年会

 先週行われた臥竜塾の新年会の報告をさせていただきます。
今回は2人が事情により欠席であったため少し寂しい雰囲気になるのかなと思っていたところ、zoomで西村氏、小松崎氏、邨橋氏が参加してくださいました。変わらぬ雰囲気で話は弾んでいきます。

左上:西村氏 左下:ヤン 右下:小松崎氏

 一つ面白いなーと思ったことを書かせていただきます。

 西村氏が今は寺の修行から帰られて実家である、平戸の保育園にいらっしゃいます。そこで環境を見直すことを考えているようでした。

 まずはよく新宿せいが子ども園にもラキューというおもちゃがありますが、これをひとまず外してみようとなりました。
理由としては年長限定で出していて遊んでいましたが、そこには子ども同士の関わりが希薄になっていることに気付いたそうです。確かにラキューというおもちゃは割と一人で黙々と作品を作るために集中しますし、面白いおもちゃだと思います。しかし西村氏の園ではこのパーツ欲しさにトラブルになることも少なくなかったようです。それが欲しいから…横取りしてしまうこともあるかもしれません。そう考えた時に環境を作る上でどんなことを大切にしなければならないかを考えた結果が、

「シンプルに子ども同士の関わりがないものは排除していこう」

という結論に至ったそうです。
ラキューがいけないというわけではなく、それぞれの園に合った形で環境を作る上で西村氏の園ではその考えになっています。もちろん一人で集中する時間も必要だと思いますし、やれる時間もあっていいと思います。しかし、今の状況としてはゾーンとしては作らなくていいかなという結論ですね。ラキューでも関われる環境があるであればそれはそれで良いのでしょうね。

西村氏は続けてこう言っていました。
「ただそこの考えに至るまでに少し時間を要しました。どうやって環境って作っていたっけな?」と。

そういったところが自分のブランクなのかなとおっしゃっていて、長い間違う環境に身を置くことで再度戻ってきた時に感覚が鈍るのも無理ないなと思います。ただ、西村氏に関してはそんなブランクも感じさせないくらいもう感覚を取り戻している気がします。すでに学童でYouTubeを開設しているそうです。こちらをクリックで飛んでいきます。

西村氏は新宿せいが子ども園にいた時、見学者の案内を日々こなしていたこともあり各クラスの特徴や大事にしていることを見学者に話していたため、人に教えることこそが学びというのを日々実践していました。その甲斐もあり環境づくりに大いに役に立っているというお話もいただけました。

やはり人に教えることがより自分の中に落とし込んでいけるのだなと今回のお話を聞いてより強く思う次第でした。
毎年新人の方が入られて教える立場になった時に自分にもいい機会なんだと思いよりよく関われたら面白いチームになるのかなと今回の臥竜塾で学ばせてもらいました。

小松崎氏、邨橋氏からもたくさんお話をしてもらい勉強になりました。今回は西村氏の話をピックアップしましたが機会があれば他の方々の話もしていけたらと思います。

報告者 本多悠里

忘年会

皆さま、明けましておめでとうございます。

新年を迎へいかがお過ごしでしょうか?

私はというと、先日着たスーツが正月太りも相まってズボンが破けないかと心配になってしまったということがありました(笑)

世の中的にはコロナウイルスの新しい株、オミクロン株の影響で感染者がどんどん増えてきていますね。感染予防等に気をつけつつ、普段の保育は楽しみたいものですね。

報告するのが遅くなってしまい大変申し訳ないのですが、12月15日の塾の報告です。

今回の塾は忘年会をしました。

普段の塾での食事は基本的に1人500円のワンコインで食事をしているのですが、忘年会では毎年1人10000円という設定にしています。また、1年の締めくくりとして全員正装で参加をします。そして今回の忘年会では、椿山荘のバイキングを楽しみました。ちなみに数年前の忘年会でも椿山荘のバイキングを利用した事がありました。その時に覚えているのは、当時塾生だった小松崎先生が数ある豪華な食事の中で持ってきたものは、スープなどに入れるクルトンをのみをパクパク食べるという珍事がありましたね(笑)

今回はそれぞれ食事を堪能した後、1人1人今年の反省を述べていきました。

先ずは加藤先生からでした。「今年を振り返って1番大きかったことは、同じクラスで川辺先生と組んだことかな。すごく考えさせられたし、自分の保育感を見直すきっかけにもなった。他にもチーム保育のこととかも。僕的にはかけたことのエンジンをかけさせてくれた人でしたね。また、人にないものねだりをするのではなく、元々あるものをつかって楽しくできれば人は付いてくるんだなという事がわかりました。」

横田先生「見守る保育の本質である子ども達の発達をみるという事ができました。前年度の保育記録と見比べた時に、時期毎に同じことをやるのではなく、子どもたちの発達に応じて早めたり遅らせたり、レベルを上げたり、落としたりということを日々考えさせられた1年でした。またチーム保育についても全体をみることの大切さを学びました」

高橋先生「幼児クラスをやって、自分の悪い癖じゃないんですが、人に期待をする割に自分の思い通りにならないと、もういいやと思ってしまい1人でやっちゃおうと思ってしまうところがあって・・・。でもそこは、巻き込む力がないといけないなと思いました。クラスでは色々やりたいことはやらせてもらえたんですが、1人よりは2人、3人とできた方がいいものができると思うので、来年度から環境が変わりますが意識していきたいと思います」

川辺先生「1歳児フリーというポジションでやらせてもらいました。自分は保育のセンスがない中で、自分で考えたことと他の先生から望まれる事が違ったことに戸惑いはありました。自分では「我」を出していない方だと思っていたんですが、他の先生から「我」が強いと言われて見つめ直さなきゃいけないなと思いました」

柿崎「今年は6月から人数が満たされたことで、今まで全くできなかった食育や、日中に少し時間ができれば345歳とクッキングに出れるくらいの余裕ができたのはよかったです。ちょっとした時間ではあるが、誰かしらが抜けれて事務作業とかができる時間が生まれたというのは、はやはりこの人数は必要なんだなと感じました。」

山下先生「今年1番の反省は、お楽しみ会の3歳時の時の準備ですね。最近の自分の悪いところが出てしまったなと思った。事前打ち合わせで他の人が確認していたからいいやって思っていたら、その人は準備中の幕間担当で一緒に準備ができなかった。そういう確認を怠ってしまった、というのはダメだったなと感じた。普段の仕事でも出てしまうこともあるので、面倒臭がらずちゃんとやっていかなきゃなと感じた。来年は普段の仕事や他の部分でも、忙しいとは思いつつそういうところも楽しみながらやっていきたいと思います。

森口「私からは3つありあます。1つは、「ちゃんと園長先生のいうことをやればいい」と感じました。園長先生にNPOをつくってみたら?とか、あれやってみたら?とか、言われて、最初は戸惑うところもあるけど、自分に与えられた仕事なんだと思えば、見えてくるものがあって、言われたことはちゃんとやろうと思った事が1つ。2つ目は何年も働いているとだんだん下の子が増えてくるというところです。1回自分が驕ったような部分が見えた時にこれはマズいと思ったので、気をつけていきたい。3つ目はプライベートな事とか含めて不安になりすぎてしまうので、これを直したいです」

本多先生「プライベートはいろいろと大変でしたね〜(笑)仕事では、高橋先生という今まで出会わなかったタイプの人と組めていろいろ勉強になりました。今年は朝からトップギアに入れていかないと自分が追いつけないなと感じたのがとても学びになったなと思います。自分ではひと回りもふた回りも大きく成長できたんじゃないかと思った一年でした」

塾長「投資家の人に、あなたに10億投資したらあなたは何に使いますか?と聞かれた時に改めて自分は何がしたいのかを考えてしまう。そう思った時にそういう考えがないと優先順位を間違えてしまい、目の前のことに追われてしまう。いろんなところで講演をしたり、考え方を伝えたりしていると、そのやり方や考え方を取られてしまうかもしれない。でも、自分が何をしたいかを考えた時に、こういう保育を広めたい事をしたいので、取られようが何しようが広がるのであれば特に問題はないと思う。若い人たちが、自分が将来何がしたいかの優先順位を考えた時に、その通りに進んでいるかを考えなくてはいけない。みんなはまだ先が長いので、何を目指して生きるかというのを見つけてもらいたいと思う。一緒にいていろんな事ができればいいなと思います」

というそれぞれの反省でした。

食事の後は、椿山荘の庭園で見れる綺麗な雲海とオーロラをみんなで見て今年の塾を締めくくりました。

報告が遅くなりましたが、改めて自分が何をしたいのか、優先順位が何なのかを考えることで、後悔しないようそれぞれが充実した日々を過ごせればいいなと思います。   (報告者 柿崎)

雲海とオーロラ

身体を気をつけましょう

とうとう、年が明けてしまいました・・・。

12月8日の報告です・・・。

今年の目標は報告を時間を空けずに書くことを目標にします!!

さて思い出しながらの報告になりますが、

「人格者」についての話になりました。

人格者とは優れた人格の持ち主ということで、人から尊敬されるような人のことを指します。他にも色々と個人的にネットで調べてみると、さまざまな事が書かれています。

・正義感、責任感が強い

・謙虚

・誰にでも平等に接する

・礼儀正しい・・・などなど

人と付き合う上で当たり前のことが書かれてある印象ですが、その当たり前のことを実践するのが難しいのかもしれません。

どうしても人間は感情、欲、さまざまな要因によって謙虚さを失ってしまったり、差別をしてしまったり、礼儀を忘れてしまったり・・・それこそ人格者と言われる人の行動とは反対の行動を取ってしまう時があるでしょう。

それをいかに自分をコントロールするかが大事だと思いました。

まさに2歳児クラスで大切にしている「自律」の部分です。

また新宿せいが子ども園の理念、「共生と貢献」だったり、当法人「省我会」の「省我」の意味にも通じるところです。

少なくとも、新宿せいが子ども園で働いている以上、人格者を目指す!!

というのは少々、おこがましいので、そう言われるような人を目指していきたいですね。

ましてや新宿せいがで働いて14年が経過すると、立場的にも上の方になってきます。

後輩への接し方はもちろん、働き方など、年々気を付けていきたいところです。

また後輩へと伝えていくことも大切な役割です。

保育の楽しさ、深さ、そして自分達の保育者の役割など、若い子にどう伝えていくのか?

これも毎年の課題です。

12月に入り、外の気温も低くなり始めました。

暖かいお風呂がサイコーな季節ですが、私も好きなので家の近くの銭湯にサウナを時々、

利用しにいきます。

よく行事のあとに本多先生と新宿せいが子ども園の近くの銭湯に入りにいきましたw

個人的にサウナの醍醐味はやはり水風呂でしょうか。

火照った体を冷ますことで、スッキリする感覚がたまりませんw

しかし近年、「ヒートショック」といって、サウナから急激に体を冷やすことで、

血管が急激に収縮し脳卒中や心筋梗塞だけでなく、不整脈を引き起こしてしまう、

恐れがあり、若い人でも発生してしまうこともあるようです。

ニュースでも相撲部屋の親方が倒れてしまい、一命を取り留めましたが、

それだけ怖い症状です・・・。

サウナの後、すぐに冷水に入るのではなく、「かけ湯」や「かけ水」をして、

手足などから十分に体を慣らしてから、ゆっくり冷水に浸かることが大切とのことです。

私も確実に歳をとっていくので、サウナに限らず、いろいろな場面で体を気をつけていきたいと思います。(報告者 山下祐)

歴史かおる墨田

遅くなってしまいましたが、11月5日の塾報告になります。

この日は墨田区の水神保育園さんで園長先生の保護者講演があり、その後に食事をするということだったので、勤務が終わった塾生が集合して一緒に食事をしようということになりました。

実は、水神保育園さんは今年から新宿せいが子ども園に就職された中村先生のお父さんが理事長をされている保育園さんで、法人内に他に2園の施設があり、見守る保育・藤森メソッドの実践をはじめられたという経緯があります。

水神保育園さんは東部スカイツリーラインの「鐘ヶ淵」駅が最寄駅になります。藤森先生の出張に同行させてもらうと、私の生活では行くことのない土地や駅で降りることも多く、とても新鮮な気持ちになります。

それだけ、先生は日本全国、都内においても様々なところへ行かれているということを感じます。

鐘ヶ淵駅から10分ほど歩いたところに水神保育園さんはあります。大きな壁のようにそり立つ住宅の中にある園さんで、公立からの民営化を受けたという経緯があります。

どこか懐かしい雰囲気を感じる園舎のホールでの保護者講演会でした。

平日の夕方にもかかわらず多くの保護者の方が参加しておられ、講演の内容も熱心に聞いておられるのが印象的でした。

講演の最後には質疑応答がありますが、藤森先生の質疑応答の時間は本当におもしろいといいますか、刺激的です。

参加者の方からの質問を横で聞いていて、自分だったらなんて答えるだろうかといつも頭の中でシミュレーションしているのですが、先生の答えは当然、もちろん当然ではあるのですが、いつも自分が考えるさらにさらに深い返答ばかりで、いつも驚かされます。

同時にとても学びになるので、個人的にこの質疑応答の時間はかなり好きな時間です。

藤森先生の質疑応答4時間研修なんていうのも、かなりエキサイティングな時間になると思いますので、ぜひ迷われている方がおられましたら、ご検討ください笑。

保護者講演会の後は、場所を「向島百花園」に移し、感染対策をとりながらの食事会が行われました。

庭園から見えるスカイツリー

この向島百花園を管理されている方と、中村先生のお父様がお知り合いということでこの場所での時間となりました。

向島百花園は1804年に開園し、360本もの梅の木を植えたことから、当時亀戸にあった「梅屋敷」ではなく、「新梅屋敷」などとも呼ばれていたそうです。

また、幾度も変転を経ながらも、園内の景観が今もなお、かつての趣きを保っており、江戸時代の花園を遺しており、景観、遺跡ともに重要であるとして、1978年に国の史跡および名勝に指定され、保護措置がとられることになったそうです。

夜の時間帯ではありましたが、管理人の方に庭園を案内していただきました。

様々な木々が人の意識が及ばない、まさに自然に栄えているような場所でした。こういった人の意識が作り出してない場というのは都内の中で貴重な環境ではないでしょうか。そのような場に身を置くことで、意識の世界から脱却することというのは現代こそ重要であるということを感じます。

少し話が、逸れてしまいました。

コロナ禍ではありますが、やはり人と人との交流は人にとって大切なことであるということを改めて感じました。

トーキョーサイダー

森口達也

本質

近所の公園の大きな銀杏の木が、なんとも鮮やかな色に染まり、秋の終わり、冬の始まり、そして1年の終わりがもう来るんだと日々が過ぎる早さを痛感するこの頃です。

ちなみに、木々が紅葉し落葉していくのは、エネルギー効率を考えた上での生存戦略と、新たな養分を作る事が大きな理由だと言われていますね。にもかかわらず、人が歩きやすいように、などの理由で、せっかく養分になるはずだった木の葉たちが掃き集められ捨てられていると思うと、複雑な思いがあります。ただそれでも来年の夏には青々と繁った葉が、暑さをしのごうとする私たちに優しく影を作ってくれるのだと思うと、自然の優しさと雄大さをを感じます。

今回は12月1日の塾報告です。

塾セミナーのプレ発表で、第二いちご保育園の先生が2名いらっしゃりました。今回の内容はずばり“2歳児”

0,1歳で作った見守る基礎を、定着させ幼児に向けて飛躍の準備をするこの時期は、約3年藤森先生のお側で学ばせていただいている私の中では、保育園やこども園での生活のなかで一番大切な時期なのではないか、と考えています。

今年は幼児クラスの担任をさせていただいているのですが、たしかに幼児から途中入園した子も、しばらく見守る環境で生活するとそれなりに理念に則った姿を見せてくれるのですが、やはり乳児から土台をガッチリと固めた子たちの幼児クラスでの伸びは目を見張るようなものがある気がします。

そんな乳児クラスと幼児クラスの狭間にいる2歳児クラスを各GT園さんが、どれだけ工夫し、趣向をこらして環境を作っているのかというのを見られるのはとても学びになります。

今回第二いちご保育園さんの発表で、目的と手段を混同してはいけないという言葉がよく出てきました。この言葉は常日頃から意識しなければなと感じるものではありますが、そもそも保育施設における目的はなんなのか、その原点を見失ってはより良い保育は出来るはずがありません。おおもとの理念を忘れては、目的を意識していたつもりがいつの間にか手段が前に出ていた、何て事も起こりうるなかで、どれだけ目的を見失わずにいられるか、というのは全ての保育士が掲げるべき大きな課題なのかもしれませんね。

環境は千差万別ありますから、正解があるものではないですが、常に原点に立ち返り、自分たちがやるべき事の目的を見失わないように心がけなければいけません。そうすることでおのずと結果のほうがやってくる気がします。

焦って目先のものにとらわれない本質のわかる保育士になりたいものです。そう、常に成長するという目的を忘れず、葉を広げたり紅葉したり落葉したりといった手段を決して間違えないあの木々のように。

最後にスモールボスも登場してくださいました。

(報告 髙橋)

2021/11/10

報告が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。

秋も深まる臥竜塾。11月10日の報告です。

この日は、先日から参加させていただいている研修が話題に。

『保育者とは母親の代替である』という考え方が基本にあることが理解できる研修内容で、Fujimori methodとはその根幹が異なる為に、中々難しい研修となっている現状なのですが(笑)

その話を受けて、塾長から学びある言葉をいただきました。

「そもそも母親の、家での育ちを保つ→保母」

「保育に欠ける子を救済措置としての保育所→働く女性の為の保育所」

「それが今だに強く残っている」

しかしながら、日本の大学生の競争力はOECDの順位で最下位という結果が出ているそうです。

「もっと長期的に見たらどうか」

「感受性の一番高い時期に、社会的スキルを身につけなければならない時に母親に任せ切っている、もしくは、母親の代替のような保育をしているからでは」

日本の大学の教育成果が世界に通用しないのは現状日本の乳児保育が間違っているからではないか、という仮説が成り立つように感じられてしまいます。

しかしながら、

保育園は家庭の代替である→ならば家庭に戻すべきでは

ということでベビーシッターに補助金を出す、という流れもあるようです。

「愛着、という言葉はくっつく、という意味合いが強く出過ぎている」

「だから『愛着』ではなく、『アタッチメント』」

そして、

「アタッチメントの成立とは、安心をして大人から離れていろいろなものに目を向けられる、ということ」

「アタッチメントとはスキンシップではない」

「家庭のアタッチメントと集団のアタッチメントは種類が違う」

更に、

「乳児は常に大人との関わりを求めているわけではない」

だからこそ、担当制という保育形態への警鐘を塾長は鳴らし続けるわけですね。

「しかしながら実際は、保育士の一挙手一投足に目を奪われている」

「ずっと大人に意識がいっていることによって、保育士に遊びやゆとりの機会を奪われている」

そう思うと、脳の発達の大切なこの時期に、子ども集団の中でもなく、また、母子関係の代替であるような保育を受けることは、有意義なこととは言えないのではないか、と思えてきます。

余談になりますが、塾長は、担当制を頭から否定しているわけではありません。

「子どもの要求に気付けない、もしくは子どもの要求に知らん顔の保育士も中にはいるでしょう→担当を持たせる」

そう思うと、担当性の方がいい場合というのは、大人側の都合のことと言えるかもしれません。

「チーム保育、チームワークがうまくいかない園は担当制にした方がいいかもしれない」

「しかしそれをアタッチメントと結びつけてはいけない」

アタッチメントの意味、愛着、というあたかも保育用語化してしまっているかのような言葉について、もう一度きちんと学び直す必要があることを感じた夜となりました。

(報告 加藤)

茶室で質問コーナー

11月17日の報告をさせていただきます。

今日の塾はいつもと違う雰囲気で行いました。というのも、塾の開催場所は、保育園の茶室で行いました!森口先生のアイディアで、いつもの雰囲気と少し変えてみようという発想から初まったそうです。

昨年から猛威を振るったコロナウイルスですが、ようやく収まりの兆しが見えてきましたね。コロナの収まりも見えてきて、今回の塾では久しぶりにご飯を作ってみんなで食べました。ということで、メニューの紹介からしていきたいと思います。

今日のメニューは天丼と、お味噌汁でした。カッキー先生が特製のタレを作ってくれ、それをかけていただきました。久しぶりにみんなで作ったご飯を、みんなで食べるのはやはり一段と美味しく楽しいですね。

味噌質はインスタントですが、やはり、みんなで食べるご飯は美味しいです

ご飯を食べ終えると、突然あかりが消え、ハッピーバースデーの歌とともに、なんと外からローソクの明かりに照らされた塾頭とケーキが登場!!この演出にはみんな大爆笑でした笑。カッキー先生のお誕生日をみんなで祝いしケーキを食べました!柿崎先生、改めて、おめでとうございます。

まさかの外から登場笑

さて、今日の塾のメインは、西田先生の質問コーナーでした。先日GTサミットがあり、その中で、いくつか西田先生に質問が来ていたみたいです。その質問を塾生みんなで話し合ってみようというものが、今日のメインでした。

zoomにて参加の西田先生

早速ですが、内容に入って行きたいと思います。

Q物の使い方についてです。先日のGTサミットの発表園の中で、子ども達がバケツをかぶってそれが連鎖していった報告がありました。正しくものの使い方をしないが、これはいいのでしょうか?命の尊さを伝える事(捕まえた虫の扱い方など)は大人の関わりとして必要ではないかと思いますが、先生はどのようにお考えですか?

Aまずバケツの部分について

塾長「これって、何がいけないのかな?物を別なものにして使うこと、帽子を投げて遊ぶみたいなことではないの。昔、ある小学校の問題でレモンを使ってどういう遊びができるか。という問題があったの。みんなならどう答える?」

本多先生「うーん、レモンの皮をこう曲げて、汁をピッと飛ばす笑」

自分も、食べ物で遊ぶのはななしだろうから、投げるとかはないよな。じゃ、紫キャベツを使って色の変化を楽しむ?なんてことを考えていました。

塾長「実はこの問題の最高得点はレモンをボールにして遊ぶ。そして、一番点数の低い答えは、レモンを使って炙り出しをするなんだよ」

一同「えっ!?!?」

みんな驚きました。まさか、レモンをボールのするのがいいなんて想像もできませんでした。炙り出しが最低得点の理由は、レモンの機能をそのまま使っているから。発想がレモンに囚われているからだそうです。それに対してボールにすることは、レモンから全く離れた発想をしているからだそうです。子どもたちにとって、見立て遊びはとても大切ですし、バケツを頭にかぶるのも、バケツを帽子に見たてて、新しい発想をしているからいいではないかと塾長がおっしゃっていました。

自分「先生、見たて遊びは0、1歳の時、特に1歳児クラスの時は重要で、クラスにはあまり具体物をおかず、ブロックとかをご飯に見立てたりする遊びが重要とは知っているのですが、4、5歳になっても見たて遊びは重要なんですか?」

塾長「見たて遊びは年齢を重ねれば、どんどん高度になっていく。単純なみたてではなくなっていくからね。

食べ物をおもちゃにしてはいけないというが、昔のお手玉は全部小豆でできていた。大人がこれはこういうものと決めてしまうと、子どもたちの遊びが広がらない。見たて遊びは大切だよ」

最初はえっ!?と思いましたが、なるほどと思う納得の答えでした。

虫の扱いについてです。

これについては、森口先生はこう話していまいた。

養老たけしさんは、虫も殺せない人が、人を殺すといっているそうです。森口先生は昔、川でつった魚を水槽に入れて、その魚をまた釣るという遊びをしていたそうです。そして、何度か繰り返すうちに魚の顎が外れてしまい、戻らなくなってしまったそうです。それで、あっ、可哀想なことをしたと思ったと話していました。虫も、足をもいだり、踏み潰してしまい殺したりどの経験があり、気持ち悪さとか、命の大切さを知るのでは。もちろん、虫を殺すことはいけないことですし、現場では殺そうしている場面を見ると、止めるのですが、心のどこかで、まあ、仕方ないかと思うゆとりが大切なのではと話されていました。

Q3才以上児は現在100人近くいます。子どもたちが走りまわったり、奇声を上げる子が多くいます。試行錯誤しながら環境を見直したり、声掛け等工夫しています。活動は3つのグループに分けることが多く、比較的落ち着いています。そこで、現在、生活も3つのグループに分けてみようと計画をしています。朝の興味別遊びから全てを3つのグループに分けることも考えています。ちなみに響く環境は変わってなく、増築部分もかなり声が響きます。3グループで生活するスタイルはどう思われますか?

A音については、専門の先生に環境を見てもらうといいかもしれないですね。そしてグループに分けるのも、朝の会や、食事など、落ち着いて話を聞いたりする場面ではいいと思う。遊びの場面ではグループに分けるというより、ゾーンに分けて遊べばいいのではないか。あるゾーンがいっぱいになるようなら、ゾーンに定員を決めてやればいいのではないか。子どもたちが走り回るのは人数ではなく、遊べる環境を見直す必要があるのではないか。やりたいことがあると走り回ることはない。発達にあったものがあると走り回ることはないのではないか。

Qやすらぎのゾーンの使い方が気になっています。クッションやぬいぐるみ等を投げたり踏んだりする児が多いのですが、環境設定のポイントはありますか?

Aこちらの質問も、遊べない子がこういったことになりやすので、ゾーンの環境を見直すといいのかもしれない。発達にあったおもちゃがあるのか、もう一度見直してみるといいと思います

ということで、質問の回答を終え、今回の塾は終了しました。

今回もとても楽しい塾でした。参加していただいた西田先生も、ありがとうございました。

報告者 横田 龍樹

本当の子ども達の姿とは?

もう11月です・・・

これから報告するのは9月29日の塾です・・・

塾生として反省すべきことです・・・。

10月から宣言が解除されることに伴い、塾の開催もオンラインから新宿せいがこども園の4階会議室で開催する予定です。

塾生もワクチンを2回接種しましたので、とりあえずは安心ですが、

それでもお互いの間隔を保ち、換気をしっかり行って今後の塾を開催していければと思います。

さて、最初は小松崎先生(茨城・青山保育園)から近況報告をいただきました。

先日園内研修を行ったそうで、テーマはSTEMについてです。

STEM保育研究会の広報紙に青山保育園の実践を掲載させていただきましたが、その実践報告を書かれた先生を中心に研修を行ったそうですが、

職員の皆さんの反応としては、とても良かったそうです。

やはり「STEM=科学」というイメージが強いのと、なぜ必要か?

という部分が緩和されたとのことです。

これからSTEMに関しては益々注目を浴び、乳幼児期かどうSTEMを取り入れていくのか?がとても大切になってきます。

ちなみに来月11月15日にSTEM研修会が行われます。

興味がある方はギビングツリーのホームページに詳細が載っていますので、見てください!

さて、今日は異年齢について話し合うことになりました。

まさに原点回帰というか、「異年齢」という言葉こそは知っていますが、

表面的な説明で終わってしまうでしょう。

そうではなく、なんのための異年齢か?異年齢の意味などを改めて理解することは大切なことですね。

一人一人「異年齢」と聞いてどう考えるか語ってもらいまいた。

柿崎先生

・共食

・年上の食事の姿を真似する

横田先生

・観察ゾーンを女性職員が手伝ってくれる

・年上の人と関わることで、自分の興味などが広がるのでは?

二人とも現場ならではの「異年齢」の捉え方ですね。

私も異年齢と聞くと、子ども集団はもちろんですが、職員集団を思い浮かべます。1年目から新宿せいがで仕事をしている私にとっては、開園して約14年という期間の間だけでも様々な異年齢による職員集団というのを体験してきました。

それこそ新人だった立場での職員同士の関係、そして中堅、現在は私よりも先輩はいますが、年数からベテランと呼ばれてしまいます・・・。

藤森先生は・・・

「臥竜塾は有志で勉強しようと集まっている人だから、年齢はバラバラだよね」

と言われました。逆に年齢別で集まったら何をする?と問われましたが、まぁ年代も一緒なので共通の話題で盛り上がるくらいでしょうかw

おそらく塾長が言いたかったことは、塾生も異年齢だからこそ、それぞれの考え方や捉え方があり、自分に無い意見を聞くことができるのではないか?と我々に伝えたかったと私は個人的に思いました。

さらに、最後に塾長はこう言いました。

「子どもの事を本当に考えているならば、自然と理論が理解できるのではは?」

正直、これはなかなか難しいようにも思いました。

ただ冷静になって考えてみると、子どもの発達、保育の理論ばかりを学んでも、実践に結びつかなければ意味がありません。

逆になにも考えずに保育者のエゴで実践してしまうと、それこそ発達を超えたことをさせてしまい、本来の子どもの姿ではない姿にさせてしまう可能性もあります。

「子どもの事を真剣に考える」この言葉の意味を深く受け止める必要がありますね。

この言葉を聞いて、それぞれどう感じるのか分かりませんが、私として最終的には子ども達の姿が正解なのかな?と思います。

自分の発達にあった遊びだったら子どもは集中して遊び始めますし、そうでなければすぐに飽きるでしょう。

さらにいうと、発達もバラバラですし、性格も違う時点で統一の正解はなく、それこそ子ども一人一人に合った環境が大切ですし、子ども達自身も自分に合った遊び方を展開していくと思います。

例えば、オセロを渡した場合、年長はルールに則った遊び方をするかもしれませんが、まだ理解できない年少さんは白と黒を綺麗に並べたり、重ねたりとそれなりに遊ぶでしょう。私はそれでいいと思います。

それくらい心の余裕を持った子どもとの関わり方が良く、わざわざ1つ1つの関わり方に理論や正解を無理やり結びつける必要がそこまでないのではないでしょうか・・・。

何かのきっかけで実践と理論が結びつくと思いますし、そうした経験で初めて保育の深さを知るタイミングだと思います。(報告者 山下祐)