上映会と距離の近さ

6月10日の塾の報告です!

今回の塾は3月に行った「塾生松元先生のお別れ旅行 in石川県&福井県」の写真や動画を西村君が編集してくれたものが完成したということで、食事をしながら鑑賞会をしました。

行ってから3ヶ月しか経っていませんが、編集してくれた動画を観ながら懐かしみつつ笑いながらみんなで観ました。驚いたのが、西村君の行ってくれた編集が1時間を超えるものでクオリティーが素晴らしく、とても面白い作品になっていました。

ご飯を食べた後は、塾長から「知らない人もいると思うけど、最初の頃の塾はご飯を担当した塾生がその日の塾の話題を提案して、それについてみんなで意見を言っていたんだよ」と話されたので、瞬間的に今回食事の担当をしていた僕に話題を振られるかな?と思った瞬間に塾長から「んじゃ、高橋君!何かテーマを出して」と一言。それに対して高橋くんからは「保育園の子どもにとって保育士はどういう存在であるのか」という話題を出しました。

それは以前に高橋君が先輩の保育士さんに「子どもとの距離が近い」と言われたことがありそれを考えていそうです。高橋君自身は塾長が「何かあった時にいつでも戻れるところをつくっておく」という考え方から「なら近くにいた方がいいのではないか」。また、逆に「子どもの集団をつくるために一歩引いたところから見ておいた方がいいか」と立ち位置を悩んでいたそうです。

高橋君の意見を知ったところで、次に同じクラスの横田君はどう?と塾長から。

横田君「以前は子どもと離れるように意識をしていましたが、最近は距離をとるだけが見守る保育じゃないと思うようにたりました・・・」

塾長「天悠君は割と距離をとる方だよね?」

天悠君「自分ではわからないですけど、その子によって合った距離のとり方をとるべきだと思うので、最初はちょっと離れたところから見ておいて様子をみるのが大事だと思います。」

次に川辺君が振られました。

川辺君『1年目の時、2歳児クラスで担任をしていた時に自分がリーダーをやっていても他の保育士さんのように締められないし、どうしようかと悩んでいたところに先輩の保育士さんから「川辺君はその位置でいいんだよ」と言われたことがありました。それはいろんな大人たちの1人ということで、その時はその言葉でしくっりきたのを覚えています』ということでした。

塾長がなぜその4人に聞いたかというと、彼らは将来自分の園に戻る予定の塾生だったからでした。塾長からは「新宿せいがで職員の一人として働いているうちならそれでもいいと思うけど、将来自分の園に戻った時にはそうは言っていられない。自分が上になった時に、自分はこういうタイプだから。とは言ってられないんだよ」と話してくれました。

将来園長になる彼らのために、園長としての必要な心構えを伝えていました。せいがでそのまま身を置く私としては、どんどん先輩となる上でもそういった見方は必要ですし、以前にベテランの保育士さんに「そのクラスメンバーによって自分はどういう役目、立ち位置なのかを考えることが大事だよね」と言われたことを思い出しました。

そして塾長から「模範解答として森口君!」と一言。

森口君『最近、「自分は個性的だ」と言う人は怪しいな!と思っているんですよね!』

「見守る保育とか、せいがのやり方というものをやってみて、やった上で自分だったらどうしたいとかって出てくるものが個性だと思います。やり方を知らないのに自分ならどう、というのは個性ではないと思うんですよね。子育てをしながら思いますが、自分が軸ではなく子どもが軸なので、それによって近い時もあれば遠い時もあるし、微妙な位置というものもある。なのでその時々でも違ってくるよね」ということでした。

それに対して塾長『私も孫には近いし色々と甘えさせてあげるけど、お金をもらい仕事とするのであれば私はしないと思う。親子関係での「いつでもいけるより所」という意味と園でのその意味は種類が違うので親のようになってはいけない。子どもが負の状況に陥った時に親子は愛着関係だが、保育士とは信頼関係のもとに成り立っていると思う』と。また多様性という意味に関しても「保育理念や目標という目指すべき山はみんな同じだけど、そこへ向かう道順、アプローチの仕方はそれぞれにあっていいと思う。道によっては景色がいい道もあれば、花が綺麗に咲いている道があるかもしれない。そういう意味ではいろんなパターンを子どもに見せてあげられるのはいいかもしれない。でも、行き着いた先が違う山になってしまっているのはダメだよね」と話してくました。

話を聞きながら、よく「距離が近い人や、遠い人」という言葉を聞いていましたが、どちらが良いか、ということではなくその時々でその子どもに合わせて変えていかなければならないし、そのチームの先生の立ち位置によっても変えていくことが保育者の専門性の一つなのだなということ。またそれには大前提としてみんなで同じ山へ向かいつつも、様々な道順を見つけながら進んで行くことが重要ということを改めて学んだ今回の塾でした。

最後になりましたが今回の塾のご飯は、天丼(天ぷらは塾長が外出されていたので外で買ってきていただきました)、冷奴、黒はんぺんのお吸い物(黒はんぺんは私が買ってきた静岡土産)でした。   (報告者 柿崎)

西村君がつくってくれ大作動画
動画の上映会
静岡土産の黒はんぺん
今回の塾ご飯

ファンタジーな世界②

さて前回の続きになります。

神様の中で一番偉い「天照大神(アマテラスオオミカミ)」が自分の孫の神様である「ニニギノミコト」に「日本をもっといい国にするように頑張って来なさい」と命じ、稲穂と神の3つの宝である鏡、曲玉、剣を持って日向高千穂という場所に降り立ちました。これが「天孫降臨」と言います。

降り立った場所に家を建て、過ごしていると美しい女性と出会い、

その女性と結婚し、生まれた子どもがウミサチヒコとヤマサチヒコです。

ウミサチヒコは釣りが上手で、ヤマサチヒコは山で狩りをするのが得意で、

ある時、二人で「とりかえっこしよう」とウミサチヒコが山へ、ヤマサチヒコが海へ行きました。

二人は何も取る事ができず、ヤマサチヒコは、ウミサチヒコが大切にしていた、釣り針を海の中に無くしてしまいました。謝っても一向に許してくれないウミサチヒコをみて、ヤマサチヒコはおじいさんに船を作ってもらい、海の世界に行くことを決心したのです。

海の世界を旅していると海の神様「トヨタマヒコ」の家の前にたどり着き、そこで娘である「トヨタメヒメ」と出会いました。

海の神様はヤマサチヒコを大切なお客さんとして迎え、ご馳走や踊りを披露しもてなしました。

しばらくしてヤマサチヒコはトヨタマヒメをと結婚する事になり海の神樣の家で暮らし始めました。

海の世界で暮らし3年が経過しましたが、ヤマサチヒコが溜息ばかりつくのを見て、トヨタマヒメが「自分の世界に帰りたいですか?」と聞くと「そうだ」と答えたヤマサチヒコ。

ヤマサチヒコが海の世界に来た訳を聞いたトヨタメヒメが父である海の神様に相談したところ、海の世界中の魚達を集めました。すると魚達が

「鯛が、口が痛いと言って来ていません」と聞き、鯛を呼び出して口の中を見ると、釣り針が刺さったままになっていたのです。海の神様は釣り針を取り、ヤマサチヒコに渡しました。

いよいよヤマサチヒコが地上の世界に帰る時にトヨタメヒメが言いました

「もうすぐ、あなたの赤ちゃんが生まれます。家を作って待っていてください」

そしてヤマサチヒコは釣り針と海の神様からもらった2つの魔法の玉を持ち地上の世界に帰りました。

地上に着いたヤマサチヒコが海の神様から教えられた通り、釣り針を返したところ、兄のウミサチヒコが怒って受け取らず、困ったヤマサチヒコは魔法の玉を取り出しました。

すると海の波がザブンザブンとやって来て、ウミサチヒコを溺れさせました。

「私が悪かった、許してくれ、なんでもいうことを聞くから、助けてください」

とヤマサチヒコに頼みました。

ヤマサチヒコをもう一つの魔法の玉を取り出すと、波が引き、ウミサチヒコが溺れずにすみました。

ウミサチヒコがなんでもいうことを聞いてくれるようになったので、トヨタマヒメを一緒に暮らす家を作り始めましたが、完成しないうちにトヨタメヒメが来てしまい「赤ちゃんが、生まれそうです」と言いました。

そして「私が赤ちゃんを産むときに、絶対に見ないでください」と言い、部屋の中に入って行きました。最初は我慢していたヤマサチヒコですが、とうとう我慢できずに、部屋の中を覗いてしまいました。

なんとそこにいたのは大きな鰐(フカ)でした。

ヤマサチヒコに本当の姿を見られたトヨタマヒメは悲しがり、生まれた赤ちゃんを残し、海の世界に帰ってしまったのです。

残された赤ちゃんは、ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトと名付けられ、

トヨタマヒメの妹、タマヨリヒメが育てる事になりました。

大きくなったヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコトは自分を育てたタマヨリヒメと結婚し、4人の子どもが生まれました。

4人の子どもはやがて大人になり、4人息子の一人カムヤマトワレビコは兄弟達に言いました。

「私たちの祖先を日本を良くしようと地上に降りて、頑張って来た。しかし私たちは知らない場所がたくさんある。みんなで力を合わせて東の方角へ進み、日本全体が中心となるような場所を作り上げよう」こうして4人は何年もかかって東の方へ進みました。

長い長い旅の途中は戦いをしなければならない時もあり、目指した場所にたどり着いた時はカムヤマトイワレビコ、ただ一人になっていたのです。そこでも最後の戦いをしなければなりませんでした。

しかし、もう自分を守ってくれる兄弟はおらず、「もう勝てない・・・」と思った瞬間、空が急に真っ暗になり、ピカピカに金色に光る鵄が飛んできて、カムヤマトイワレビコの弓の先にとまりました。

この金色の鵄があまりにも光るの敵は目を開けることもできず、戦う事ができなくなりました。こうして最後の戦いに勝ったカムヤマトイワレビコは橿原(奈良)という場所を日本の中心にして、そこで初めて日本の天皇(神武天皇)となり、より良い日本のためにはたらきました。

本当にざっくりと書いたので、細かい部分は違うのかもしれません。私もいくつか調べてみましたが、色々と諸説がありました。神話というのを私自身、ちゃんと調べたのは初めてですが、まずはそれぞれの名前が長く、読むのに一苦労でした(笑)

話は変わりますが、先日、久しぶりの出張で塾長と鹿児島に行かせていただき、西郷隆盛を巡ってきました。

大河ドラマを見ていたということもあり西郷隆盛、大久保利通などの偉人たちが、実際にここで生活していたと思うと、本当に感動しました。

歴史上の人物が実際に住んでいた場所、お墓などを見ると、とても親近感が湧きます。

それに比べると神話というのは本当かどうか分かりませんし、実際に「海幸・山幸」の神話も読んで見ると、不可思議な出来事ばかりですが、神話というのはそこがいいのかもしれません。

神話と聞いて思い出すのが、ギリシャ神話です。

夕涼み会でプラネタリウムの解説をした時に「おおぐま座」の神話をプラネタリウムの解説の中で行いましたが、とても面白かったのを思い出しました。

ギリシャ神話も、日本神話も聞いて、「こんなのあり得ないじゃん!」と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、そうではなく自分の中で神話のイメージを膨らませて、まずは楽しむことが大切のような気がします。

今まで、神話に対して避けていた自分がいましたが、今回報告を書くにあたって調べて見ると、自然と神話の魅力に惹かれている私がいました。

リアリティな世界だけを信じるのでなく、ファンタジーな世界を楽しむことも人生を豊かにする大切なことですね。(報告者 山下祐)

ファンタジーな世界 ①

6月5日 水曜日の報告です。

まずは夕飯のメニューから・・・。

まずは・・・

w今回は塾長と田崎先生が宮崎に出張に行かれたという事で、宮崎県の名物にしました。

塾長がお土産に冷汁の出汁を買ってきていただいたので、

キュウリと豆腐、薬味にミョウガを入れました。

そしてチキン南蛮です。

さすがに鶏肉を揚げるのは時間もかかるので、惣菜で唐揚げを買ってきました。

塾生の中で宮崎出身の横田先生にチキン南蛮のタレとタルタルソースの味付けをしてもらいました。

実は以前、プライベートで横田先生にチキン南蛮を作ってもらったところ、

あまりにも美味しかったので、今回も味付けをお任せしました。

もう一品は地鶏の炭火焼もお土産に買ってきていただきました!

「宮崎名産定食」の完成です!

さらにさらに!デザートも宮崎特産のマンゴーゼリー!!

「マンゴーとマンゴージュースの中間!」と森口先生からコメントをいただきましたが、

本当にその通りで、口の中に入れた瞬間、ゼリーがトロッと溶けて、

濃厚なマンゴージュースを飲んでいる感覚でした!塾長、ありがとうございます!!

さて、今回、宮崎県に出張に行かれたのはGT園の研修に行かれました。

研修の内容としては保護者講演と園内研修です。

見守る保育を始めて、保育室の環境を少しずつ変えている途中ということもあり、

手作りのパーテーションで保育室の空間を区切り、ゾーンを作り上げている途中の写真を見せていただきました。

塾長の講演内容もまずは見守るということはどういうことなのか?という

基本的な話をされたそうです。

今回の出張は1日目で全ての行程が終了したので、

2日目は、先方の園長先生が車を出していただいたそうなので、一緒に巡られたそうです。

まずは向かったのは・・・。

そうなんです!宮崎県のGT園、稗田保育園さんに突撃訪問をされました!!

その時の動画を田崎先生が撮っていたので見せていただきましたが、

園長先生の久松先生は藤森先生がいる事に本当に驚かれてました!

そりゃ・・・そうですよね(笑)

さすがGT園、快く迎えていただき、園舎内も案内してもらったそうです。

ちょうど3、4、5歳児クラスが朝の会をしている最中を見学させてもらったそうですが、

子ども達が静かに先生の話を聞いていて、とても落ち着いていたという感想を田崎先生が言われていました。

さて、せっかくなので久松先生も合流して、4人で向かったのは

ちなみに田崎先生がこの写真の中にいます!分かりますか??
真ん中に白いシャツを着ている人が見えますか??

「鬼の洗濯岩」です。

写真のように岩が洗濯板のようにギザギザになっているのが特徴ですね。

私も塾長と出張で宮崎県に行った時に、ここに来たので懐かしく思いました。

あと、個人的な話になりますが、ちょうど私の妻の実家(福岡)に挨拶に行った時に、

宮崎まで足を伸ばして観光した時に、ここに訪れた時のことを思い出しました・・・。

どうでもいいですね。

ちょうど宮崎は梅雨入りしたそうですが、

天気が本当良くて、海と鬼の洗濯岩が本当にキレイですね。

鬼の洗濯岩があるのは「青島」というところあり、「青島神社」があります。

青島は「海幸・山幸」の舞台となった神話のふるさとで、日向神話館という資料館があります。

塾長と一緒に行ったのを覚えていますが、実は神話に関してはほとんど知らず、

恥ずかしい限りです・・・。

「海幸・山幸」について書いてみましたが、かなり大雑把な解説というか、

資料館のHPに書かれてあるのをまとめただけです・・・。

少し長くなるので、次の報告に・・・。(報告者 山下祐)

牛タン

5/21の臥竜塾の報告です。

本日は都合がつかない先生や遅れて参加する先生が多く6人でのスタートになりました。
普段大の大人が11人で集まって話している部屋も6人だとだいぶ大きくゆったりとしていて少し寂しく感じられました。

ちなみに本日のメニューは塾長が仙台へ出張に行った際に買ってきてくださったお土産の牛タンとそれにあうサラダやスープを用意しました。
サラダはリーフレタスとキノコの炒め物を合わせたものを、スープは卵スープを用意。
さて食べようというとき、牛タンは田崎先生が取り分けてくださったのですが、均等に取り分けず枚数の当たり外れがあったので、塾生が皆自分の牛タンの枚数を数えるというシュールな光景が見られました。

牛タンの梱包
本日のメニュー

牛タンを食べ進めていくなかで、なぜ牛の舌を食べようと思ったのかという話題に。
私も以前その話で友人と盛り上がったとき友人に、

「仙台で有名な伊達政宗が度胸試しで部下に食べさせてみたら思いのほか美味しくて、そこから広まった。」

という嘘をつかれ、その時実話も調べたはずなのですが、それが印象に残りまったく思い出せませんでした。
実際は、佐野啓四郎という方が東京で料理の修行をしている際に、フランス人のシェフに勧められて食べてみたところその味に惚れ仙台で専門店を開いたことが日本に広まったきっかけだと言われています。
佐野啓四郎さんに教えてくれたフランス人のシェフはなぜ食べようと思ったのでしょうかね。
私は学生時代アルバイトで焼肉屋さんで働いていたのですが、肉の部位の知識に関する本に

“牛タンを食べ、牛との熱い接吻をお楽しみください”

という一文が書いてあるのを見てから牛タンを食べるとき一瞬躊躇してしまうようになってしまいました。イメージとは恐ろしい。

食後のコーヒーは普段いれてくださる西村先生が遅れて参加ということで、森口先生がいれてくださりました。初めていれるということで普段の西村先生のやり方を思い出しながら丁寧に美味しいコーヒーをいれてくださいました。インスタントコーヒーが普及している今、なかなかこだわる人でなければペーパードリップなどしないですから、難しいですね。お湯のいれかた、いれるタイミングなど繊細なのでしょう。私も今度挑戦してみたいと思います。

コーヒーをいれるキリッとした森口先生

食事も一段落し、西村先生もいらっしゃったところで、間近に迫った森口先生の塾セミナーのパワーポイントの模擬発表が始まりました。

背中で語る森口先生

今回の内容はずばり・・・

「異年齢保育」です!

見守る保育と言えば異年齢だ!、と頭に浮かぶくらい浸透しているやり方だとは思いますが、そこには様々な見守るメソッドが盛り込まれており、形だけ真似してそこを無視した方法をとってしまうと、年齢別保育と何ら変わらない効果しかもたらさない、などといった難しさも孕んでいるということで、根本的な理論や考え方の要因を一つ一つ丁寧に説明していきました。
大人からの働きかけというよりは、環境を通して子供達の発達を保証しながら保育していく、といったシンプルに見えてとても深くなかなか底の見えないテーマです。
一通り模擬発表も終わり、塾長にお話を聞こうとしたとき塾長からひとこと。

「森口くん、ちょっと私の作ったパワポでもう一回説明してみてよ」

なんと、塾長は森口先生の発表の内容を聞きながら、認識のずれている部分や付け足した方がいい考え方などを補うようなパワポを作られていたようで、急遽新しいパワーポイントでの発表が始まりました。
そうして考え方のすりあわせが行われていきました。
こうした入念な準備があのセミナーに繋がっていると思うと気が引き締まります。私が担当することになったとしたらどうなってしまうのか考えるだけでも震えてしまいますが、これから少しずつ頑張っていきたいと思います!

そうそう、自己紹介が遅れましたが、わたくし今年から新宿せいが子ども園で働かせて頂いてます。髙橋健一郎と申します。現在の新宿せいがでは副園長と私だけが普段から眼鏡をかけている男性職員ということで、眼鏡をかけた先生と覚えていただければ幸いです。拙い文章ではありますがこれからもどうぞよろしくお願い致します。

(編集 髙橋)

見守る保育 中国へ

5月16日の塾報告をさせていただきます。

まずは本日のメニューの紹介から。今日のメニューは親子丼、サラダ、みょうがの味噌汁、TSINGTAO(青島ビール)です。青島ビールは塾長が中国に出張に行かれ、そのお土産でいただきました。ありがとうございます。

さて料理は田崎先生、高橋先生が下ごしらえを。柿崎先生がそれを調理するというながれ。毎回手際よくやられる様子を見て、本当にすごいなと思います。料理ができる男性ってかっこいいなと心底思います。

高橋先生と田崎先生
料理を作ってくださるカッキー先生
塾生全員分となると結構な量です
塾長からのお土産「青島ビール」

出来上がった料理はどれもとても美味しかったです。ごはんを食べながら話題は「親子丼」の話に。というのも、食事の買い出しをしに行くときに田崎先生が、「今日は親子丼ですよね。お肉はブタにします?」と言っていて、塾長がすかさず、「それじゃ親子にならないじゃん!」とツッコミ!その経緯があり、卵に親は鶏だから親子丼。いくらの親は鮭。その組み合わせじゃないなら他人丼だね、と話ました。のちのち田崎先生に聞くと、実はちゃんと知っていて笑いを取るためにボケていたそうです(笑)。

そして、回らないお寿司屋さんの話になりました。塾長が行かれたところでは、板前さんが盛り付けについて他の方を指導していた場面を見たそうです。盛り付けも食べる人のことを考えて、食べやすいように工夫されているそうです。それをみて塾長が「高橋くんがお寿司屋さんに行ったら、どんな風に盛り付けられるかな。お寿司の盛り付けって右利きの人が箸を入れやすいように斜めになっているよね。左利きの人は逆に食べにくいよね」と。

確かにと思いました。板前さんはお客さんの様子を見ながらその都度盛り付け方を変えているんですね??

こんな感じのイメージ

個人的に、その日の子ども達の様子を見てその日の保育内容を決めるような、そんな感覚と似ているなと思いました。指導計画を立て、その通りにやってもお客(子ども達)のニーズを満足させることはできないと考えました。ぜひ、左利きの高橋先生にはお寿司屋さんに行ってもらいたいです。

食事を取り終えると、食器を片付け、話題は塾長の中国出張の話へ。今回は水野先生と大阪の邨橋先生と一緒に行かれ、日本への人材派遣を行っている会社で、かつアパレルの会社に行ったそうです。その会社の幹部の方が見守る保育の本を読み、見守る保育を新しく始めるとのことで、自社のビルの一フロアを保育室にするそうです。そもそも、なんで人材派遣&アパレルの会社が保育を?と思ったのですが、なんでも日本への人材派遣で、日本は保育士不足、自社で保育の勉強をし派遣できるようにするとのことでした。

東京から中国に行くと、高額だったそうで、関空経由、青島空港行きで行かれたそうです。空港につきそこから3時間かけて会社へ。まずは日本への派遣のために日本で働きたい中国人を教育しているとのことで、その寮を見られました。まず、日本人は礼儀正しい。廊下ですれ違ったら挨拶をする。コンビニでの買い物の仕方、和室での生活の仕方などなどを教えてくれていました。

他にも、洗濯物は室内に干す(インナーは室内)。日本の食事(これは笑っちゃいました)もです。カレーの作り方で、カレーを作っておきますって、それは盛り付け方やな!西村先生がツッコミ!(笑)塾生みんなで大笑いでした。毎日ラジオ体操もしているそうで、日本人ならできるでしょ?と邨橋先生も一緒にやりましょう!と誘われていました。丁重にお断りしたそうです(笑)。

日本の料理「カレー」
ラジオ体操の様子

それから、会社のビルに行き、講演をされたそうです。エレベーターの前には歓迎の言葉が。熱烈歓迎なんてなんだかすごいですね。世界への広まりを感じますね。最後は日清戦争の博物館に行かれた話を聞き、塾長の話は終わりました。

その後汐見先生が書いているコラム?で見守る保育のことが書かれており、それをみんなで読みました。子ども達を見守るのが見守る保育。例えば、木に登った子どもが下りられなく、泣いていたとしても、大人は助けずに見守っている!これは、どうなのだ?と書かれていました。

そんなことはしないけどな、と思いました。泣いているってことは助けを求めているわけですし、手を差し伸べると思うのですが。。。これを読んで塾長は「先生も助けるだろうけど、よく考えてみれば、昔は子どもが泣いて木から降りられなくなっとしても、きっと急いで走って助けに行ったりとかはなかったよね。年上のお兄ちゃんがまずはここに足をかけてなど、いろいろ教えながら助けていたはず」とおっしゃっていました。たしかにそうですね。大人と子どもの関係も大切ですが、子ども同士の関わりや関係も保育では大切ですね。また加藤先生から、汐見先生は最先端の情報を話す人で、その人が見守る保育を話すということは、自分らのやっている保育は最先端なんだなと感じたと話していました。これを機に見守る保育がいろんな人に知ってもらえたり、興味をもってもらえたらうれしいですね。

最後に田崎先生から大分出張の報告がありました。世界文化社の講演をされました。田崎先生は大分の学校に行っていたそうですが、大分駅は初めて行ったとのこでした。到着するとまずはお城を見に行き、その後茶殻のラーメンを食べ、講演へ。100人くらいの人が聞きに来られていたそうです。講演が終わると別府に移動し、泊まられたそうです。次の日は地獄めぐりを観光されたそうで、そこには、外国人だらけ(中国)。煙があちらこちらから出ていて硫黄のにおいが。はじめはちょっと…、って感じでしたが、慣れるとそこまで気にならないと話していました。外国の方も、爆買いなど物を対象にしていたことから観光という体験を求めて旅行するように変化していますね。そんな話をしながら報告終え、今回の塾は終わりました。

報告者 横田龍樹

富山→茨城→長崎

遅くなり申し訳ありません。4月24日の臥竜塾の報告です。

まず、本日のメニューです。4月22日から24日まで、塾長はGT長崎へ出張に行かれていました。長崎のお土産として、長崎ちゃんぽんを買ってきてくださいました。そのため、今日のメニューは長崎ちゃんぽんです。

ちゃんぽんを食べながらの会話は、最近塾に新しく加入した高橋君が、あまりにも若いということで…「最近、年をとったなーと思う瞬間」について話しました(笑)個人的には、年は関係あるのか分かりませんが、「夜更かしができなくなってきた」ことです。年をとったなと感じます・・・。他の塾生はというと、「若いころは、お散歩先で無性に走りたくなる衝動があったのに、今では、体力を温存しようとしてしまう…」とのことです。

皆様も思い当たるところはありますでしょうか??

あとは、「元号が令和になること」ですね。「平成の人」と言われるようになるんだと思うと、なんだか時の流れを感じます(笑)

そんな話をしながら、4月22日は森口先生の誕生日だったので、みんなでお祝いです。塾長の1週間後が誕生日で、先週の塾でもケーキを食べたので、今回は和菓子を準備しました。森口先生お誕生日おめでとうございます!!

さて、誕生日のお祝いが終わり出張報告に入ります。まず、富山出張です。4月16日から2日間の出張でした。

簡単にご報告させていただきます。富山県には何度か来させていただきましたが、快晴だったのは今回が初めてでした!きときと空港から見える立山の景色です。

今回は、GT園であるちゅうりっぷ保育園さんの保護者講演と職員に向けての講演でした。

テーマは「これから求められる力」についてです。

保護者の方も、職員の方もすごく真剣に話を聞かれていた印象を受けました。

また、ちゅうりっぷ保育園さんでは蚕を飼育しており、園長先生が毎日丁寧にお世話をされているそうです。その蚕を見せてもらいました。

最後に富山のGT園の皆様と一緒に夕飯を頂きました。様々な話を聞いているとGT富山の各園同士のつながりの深さを感じました。話の流れから、新宿せいが子ども園でも、蚕を育てることに・・・。次の日の朝に、蚕を連れ東京に帰りました!

新宿せいが子ども園のどこかで飼育していますので、探してみてください(笑)

続いて、茨城県の出張報告です。

茨城と言えば、今は外部臥竜塾生としてご実家の園で頑張っておられる小松崎先生の故郷です。また、先ほども紹介いたしました、高橋君の故郷でもあります。

私は、人生初の茨城でしたが、意外と上野駅の次の停留所が水戸ですぐに着いてしまったことに驚きました。そして、茨城の散策もさせてもらいましたが自然に溢れ、歴史や伝統に触れることができる観光名所など茨城県の良さをたくさん知ることができました!!

出張報告としては、社会福祉法人豊潤会、ごだい保育園さんとゆたか保育園さん、かしま台保育園さんにお世話になりました。

見学させていただいた園は、かしま台保育園さんです。園舎を改築されたそうで、もともと縦長の園舎で狭く感じてしまうため、広々と感じるように、壁を透明にしたそうです。

見学をさせていただきながら、塾長にたくさんの質問をされていました。また、講演会場としても使わせていただき、講演中の聞く姿勢にも、質問にもこれから保育の質を高めていこうとする、「やる気」を感じ、とても素晴らしいなと感じました。私たちも見習って、保育の質の向上に励みたいと思います。

そして、今回の出張中に小松崎先生がサプライズで会いに来てくれました!!

最後に、22日から24日までありました、長崎県理論武装についてです。

大村空港に到着すると、竹内先生が出迎えてくださいました。昼食は、福山雅治行きつけの、「協和飯店」でちゃんぽんを食べました。ちゃんぽんは実家でよく出てくるので、あまり食べたい!とはならないのですが、協和飯店のちゃんぽんは絶品でした!また、お店の雰囲気にとても懐かしさを感じ、癒されました。

出迎えてくださった竹内先生の後ろ姿

さて、本題に入ります。今回の理論武装の会場はパサージュ琴海です。今回の理論武装では、塾長の講演がトータルで7時間もありました。講演の内容を簡単に説明しますと、これから時代が進むにつれ、今の子どもたちが社会に出るときに、必要とされる力は、現在必要とされているものとは、違う。将来を見据え、子どもたちにどんな力をつけてもらうべきか、また、保育を通して、そうした力をつけてもらうためにどういった保育者の関わりが大切かというような内容です。そして、今回も感じたことですが、長崎の皆様の保育に向かう姿勢は、「すごい」の一言です。見習わせていただきます。

24日の最終日、午前の講演が終わり、新宿せいが子ども園の新人歓迎会のため急いで東京へ。

学び多き今回の出張でした。

最後に今年度の、臥竜塾生の似顔絵を紹介して終わりたいと思います。

ツッコミどころが多すぎて・・大爆笑でした(笑)

報告者 田崎 天悠 

奇跡の日2

先ずは、黒豚とんかつで腹ごしらえ

そして向かうはGT鹿児島。塾長を待つ会場を目指します。

その途中で、
幼保連携型認定こども園 松青こども園
松元先生のご実家の園です

4月に鹿児島へ戻られた松元先生。東京で積み重ねた日々が鹿児島で実ることでしょう。応援しています。

そして会場へ

会場では松元先生に会うことができました。その喜びの熱量と、会場の熱気と、そして東京を経つ前から実は体調がいまいちだったという幾つもの要素とが合わさり田崎先生の体は熱をもってしまいます。180ページ程から成る塾長のパワーポイントの操作中、スリープモードに入ってしまったとのことでした。

講演内容として、脳科学から考える乳幼児教育の大切さ、現在臥竜塾ブログではハリス氏の考察を追いながら子ども集団の大切さについて改めて説かれていますが、それを乳児期から行うということの大切さについて展開されていきました。

講演後、田崎先生の体調を気遣って松元先生が薬を購入してきてくれました。

お金はいらないよ

松元先生の心に打たれますね。

そして懇親会へ
安藤先生により成長展で制作された『会話の質』
動画を見ています

そして、

塾長にサプライズ

御心遣いに、こちらまで嬉しくなります。

そうして夜が更けていきました。

次の日は観光へ。

維新ふるさと館

名だたる面々

西郷隆盛、大久保利通もまた、郷中教育の中で育まれていきました

ブログ『臥竜塾』2008年12月24日『異年齢の集団』

25日『郷中』

26日『郷中2』

27日『郷中3』

郷中教育について詳しく触れられています。子ども集団、異年齢、見守る保育 Fujimori Methodとの共通項の多さを改めて実感します。

その後は天文館にも訪れました

そして帰京。その日の夜のこの日の塾という、分刻みのような毎日を送る塾長。これからも元気で長生きをしていただきたいです。

さて僕たち塾生からも、

部屋が暗くなり、
「ハッピバースデー塾〜長〜♪」
70歳おめでとうございます

塾生からは毎年恒例の絵と、

Yシャツをプレゼント
刺繍入りです

絵は来週の報告をお楽しみに。

ちなみにこれは2018年の絵

藤森平司塾長の元に集まり、互いに切磋琢磨しながら学び合う日々は郷中教育と重なるものがあるかもわかりません。師を尊び、この奇跡のような出会いに感謝し、この一年も大切にしていきたいと改めて思います。

塾長、本当におめでとうございます。

(報告 加藤)

奇跡の日

4/15の臥竜塾。

この日は1年に1度の大切な日。

塾頭山下先生
柿崎先生
本多先生

先生方の結婚記念日であり、そして、

塾長藤森平司先生の70回目のお誕生日です

おめでとうございます。

お祝いのケンタッキー

塾長の大好物と思いきや『ケンタッキー伝説』と呼ばれるエピソードがその感を強くしているようです。

というのも、ケンタッキーが食べたくなったある日、塾頭と調べに調べて飯田橋の店舗まで買いに行った時のこと。その帰り道に高田馬場に店舗があることに気付き、なぜこんな近くにあるのに電車に乗って遠くまで買いに出たのだと(笑)

その時の印象が多くの人に残っているのかもわかりません。

因みに塾長の本当の大好物はうに。いつか白いご飯にたっぷり乗せて皆でお祝いしたいですね。 

「ケンタッキーって鶏だけですか?」

ここで田崎先生からの素朴な質問。面白くなりそうな予感がしてきますね。

では、KFCとは何だろう

 西村先生からの質問返しに 、

「ケンタッキー、フライド、センター」

奇跡の解答に彼のほとばしる才能を感じざるを得ません。

そんな田崎先生、鹿児島出張へ同行されました。

(報告 加藤)

今年度はじめの

4月10日の塾の様子を報告します。

新年度一発目の塾は、早速、今年度から新宿せいが子ども園に就職し、臥竜塾に加入した高橋先生の簡単な自己紹介からはじまりました。

その後は、塾長はじめ、塾生の印象を聞くという恒例の行事へ。

塾長

「叔母の紹介で存在を知る。ネットで検索し、塾長の顔を見たとき、アクティブでガツガツ行くタイプかと思ってたけど、すごく落ち着いてる印象」

なるほどです!ですが、もしかすると塾長が一番アクティブかもしれません笑

山下先生

「体つきがすごい」

確かに、筋肉質です!

本多先生

「髪型を急に変えたから、覚えてた顔と違って戸惑った」

これはもはや印象というのか笑

横田先生

「地元に似てるヤンキーがいるからそんな人かと思ったら、全然優しい」

横田くんは、世の中に5000人くらいは似た人がいそうな顔をしています。

カッキー先生

「いろんな人に話しかけられていて人望があると思った」

酒場ではモテモテですね!

田崎先生

「ほりが深い」

これはあまり思ったことがなかったです。

西村先生

「目を合わせてくれない」

確かにそうかもと何人かからも意見が。本人としては後輩にどうやって接していいかなかなか掴めずにいる雰囲気が

そうさせているということでした。その感覚は、僕もよくわかります。

加藤先生

「歌とか歌ってそう、フォークシンガーみたい」

確かにそうですね。よく歌ってます笑

歌を楽しそうに歌う加藤先生がいるからこそ、子どもの楽しく歌っているのかもしれませんね。

森口先生

「めちゃめちゃ元気」

これに関してはまさにイメージですね。実際、僕はそんなにいつも元気ではありません笑

ただ、周りからいつも「ポジティブなイメージ」「いつも楽しそう」と思われているみたいです。

でも、実は人一倍ネガティブなんですけどね~笑

人の印象とは分からないものだなと感じました。

自分の思いと周りの印象は必ずしも一致しないのかもしれませんね。

そう思うと、自分がどう思われているのかなんてことも考えるだけあまり意味のないことなのかなとも

思ったりしました。

ちなみに、高橋先生、まだまだ僕たちも知らないことばかりなのですが、

体育の先生を目指していたということもあり、スポーツは得意ということでした。

さて、そこから話題は今年度の臥竜塾セミナーへ。

今年度は塾長が20年近く前に出版された「21世紀型保育のススメ」をなんと2年かけて、

じっくりセミナーで勉強していきたいと思っています。

発達別の保育、2歳児クラス、選択活動、乳児保育などなど塾長が考える保育のまさに基礎が書かれてある

本がこの「21世紀型保育のススメ」ではないでしょうか。

今、塾長の考えが世界へと広まっている中で、もう一度、塾生を含めて、その基礎を学んでいかなければいけないのでは

ないかと思い、今回のセミナーはこのテーマになりました。

そして、まずは塾生みんなで

「21世紀型保育のススメ」のDVD版を見て、勉強することに!

異年齢保育について、乳児の環境について、とてもわかりやすく塾長が解説されていたので、再度、勉強になる内容でした。

その後に、塾長から解説があったのですが、中でも異年齢保育の捉え方は改めて考えさせられる内容でした。

異年齢にすることに意味があるのではない、問題は発達を保障している集団であるかどうかということ。

このことはとても大切であるように思います。形ばかりが目的になるのではなく、しっかり中身が目的になるような保育を行なっていかなければいけませんね。

塾長の考えている保育と、現場での実践、そして、21世型保育のススメからさらに進化した塾長の保育の理論をうまく照らし合わせながら、みなさんと一緒に考えて、学んでいけたらと思っております。


高橋先生好物のステーキで歓迎。

報告者 森口達也

来年度に向けて

今年度最後の塾となりました、3月26日の臥竜塾報告です。

2018年度は粉物締め。お好み焼き、焼きそば、そした、塾頭の地元、富山から送られてきたホタルイカが、食卓に並びます。(ホタルイカは粉物ではないですが)

炭水化物1
炭水化物2
ホタルイカは、酢味噌で

焼きそばには、隠さない隠し味のポテトチップスが入ります。

川辺先生、真剣ですね。

お好み焼きは、ホットプレートとフライパンで同時に焼いていきます。

本題は、来年度の塾セミナーについて。

来年度で5回目を迎える塾セミナーですが、塾長が2000年に出した『21世紀型保育のススメ』を教科書に進めていく予定です。5巻まで出ている本なので、2年間で20回の講座を1冊4回の講座で解説していきます。もともとこの本が作られた経緯について、塾長が話してくださいました。

 本を見ると、1,2巻と3,4,5巻では、構成が違うことが分かります。最初は、とある月刊雑誌の付録の連載から始まったのが、この本だったそうです。6回連載の予定が、好評で1年連載となり、さらにはもう1年追加され、反響が大きかったために、その連載が本になったということでした。その1年分が1冊となり、1,2巻は構成されています。そのため、1冊12章構成です。その反響がまたまた大きかったため、3巻以降が作られることになり、5巻構成となっています。

 2000年に出されたとは言え、塾長のおっしゃることは、今と変わっていませんが、見守る保育やゾーンという言葉は本の中には一切出てきません。また、ベースは変わっていませんが、最近の理論はもっと進化しているため、その辺りをアップデートしたセミナーにしていければと思っています。

 今回の塾で話題に上がったのは、「異年齢」です。1巻のサブタイトルとなっている「たてわりではない異年齢児保育」ですが、異年齢児保育と聞いたときに、たてわりをイメージする人が多いようです。日本の役所も、異年齢時保育をだめと言ってくるところが多いようですが、特に0.1歳児クラスを分けなさいという声をよく耳にします。その分け方ですが、どうしても生年月日で、つまり日本の4月生まれから翌年の3月生まれで構成される学年で分けるという意味のようです。それは、0歳と1歳を分けたことと言えるのでしょうか。

 また、分ける理由を聞くと、1歳が食事をするときに机の下に食べ物を落としたりすると、0歳がその上を歩いて踏んだりすると不清潔だからという理由のようです。役所の言う異年齢は、発達の違う子を一緒にしようとする異年齢であって、発達の違う子を近い発達の子同士で分けようとする、塾長の考える異年齢とは真逆の考え方ですね。やはり一般的な「異年齢」のイメージと、塾長の「異年齢」にはギャップがあるように感じます。そこで、コーナーがゾーンへと呼び方を変えたように、異年齢についても呼び方を変えたいとおっしゃいます。

 異年齢と近い言葉に習熟度別と言う言葉がありますが、これは課題保育のときだけの話で、普段は発達の違う子を一緒にしています。では、何と言ったらいいのでしょう?その辺りの話が、塾セミナーでは聞けるかもしれません。

へ早速、4月17日からセミナーが始まります。今年は、40名ほどの参加者となり、過去最大規模です。恐らく、『21世紀型保育のススメ』と言うこともあり、見守る保育の基礎的な話を期待しての申し込みが考えられます。私たちも実践している保育を整理し、振り返る良い機会だと思っています。普段のこの臥竜塾でしっかり学び、セミナー等でアウトプットしければいいですね。

2019年度もよろしくお願いします。

(西村 宗玲)