秋も深まる生臥竜塾。この日のメニューの紹介です。
話は、先日のブラヘイジで吉田松陰所縁の地へ訪れたことから始まりました。
「松下村塾は8畳程だった。」大きさとしては、今僕らが学ばせてもらっているこの場所、藤森先生のご自宅の一室の間取りとほぼ同じ大きさということでした。
「そこでご飯を食べたり、その師から生活を学んだりした。」
週に一度の機会ではありますが、今まさに僕らが臥竜塾で得る学びを、当時の人たちは毎日、自分の師から得ていたのでしょう。
そして、「なぜ松下村塾が有名になったかわかるかな?」と僕らに問われました。
「そこで学んだ人達が有名になったから、その塾が有名になった。」だから、ここ臥竜塾で学ぶ皆が有名にならないと、この塾は有名にならないんだよ、と教えていただきました。
かの孔子も、孔子が自身で書いた著書は一つもなく、その弟子が孔子の言葉を編纂し、その偉大さを世に知らしめた、と言います。
藤森先生は既に著書がいくつもあり、ブログもあります。僕ら塾生はその名前通り、先生から〝生(なま)〟で教わったことを世に伝えていくということが、これからの大きな仕事の一つとなっていく、ということを改めて感じた夜になりました。
ここで一息。
振り返ってみれば、その日のテーマは、『人の上に立つ』ということだったのではないか、と思います。
僕は、来年で新宿せいが保育園の3年目になります。これから色々な人と関わりをもたせていただく上で、有効な心構えをお聞きしたい、とかねがね思っていたことを口にしました。
相変わらずの僕の安易な発言を優しく受け止めてくださり、そして、藤森先生から改めてご提案いただきました。
「人の上に立つにあたってそれぞれの足りないところを塾生同士で言い合う」
こういう力が足りないのではないか、もっと言えば、こういう力をつければ人物たる人間になれるのではないか。そんな助言をそれぞれにし合いました。
1)左隣に座っている人のことを言う
2)意見を言ってもらった相手に対して、「ありがとうございます」を最後に言う
というルールでスタート。以下、内容を要約しての箇条書きの為、文章に温度の感じられない部分もありますが、遠慮のない意見を交わし合ったという点をご理解いただき、読み進めてもらえたらと思います。
加藤→柿崎先生へ
- 我を抜いてもっとちゃんと素直に藤森先生の話を聞くこと。
柿崎先生から西村先生へ
- とても恵まれた環境にいる、ということを自覚すること。
- 現場の人、色んな立場の人の話に耳を傾けて、実現しやすいように道をつくっていくこと。
西村先生から小松崎先生へ
- 朝はもっと笑いましょう(笑)
- 立場が変わっても、藤森先生についていけば大丈夫。
- 健康を大切にすること。
小松崎先生から若林先生へ
- 「僕(小松崎先生)は、わか(若林先生)は、大物になると思っている」
- 保育の中で垣間見る、いい意味での空気の読めなさの中に斬新なアプローチがある。大切にしていってほしい。
若林先生から本多先生へ
- サポート上手な本多先生。その人が人の上に立つにあたっては、もっとわがままな部分が出ていいと思う。もっとわがままな本多先生が見てみたい。
本多先生から山下塾頭へ
- 〝着火が速い〟→発火した時の威力が凄まじい。故に、考える期間というものをもっと設けられるといいと思う。
山下塾頭から西田先生へ
- 選択を迫られた時の優先順位を大切にしてほしい。
- 先見の明をもって行動すること。
西田先生から加藤へ
- 〝隠と陽〟の部分を大切にすること。
- 思い切ってやってみて、思いっきり〝ハズす〟ことがある。行動は慎重に。
- 後輩との関わりが、自分が園長先生になった時の職員への関わりになる。
以上で塾生同士の意見交換は終了しました。
かき氷の冷たさが塾生の頭をキーンと冴えさせてくれたようで、本当に忌憚のない意見を交わし合うことができました。
そこで、藤森先生から〝隠と陽〟について(こちらは11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず書いているブログ『臥竜塾』の2010年5月7日『変化の書 1』と5月8日『変化の書 2』をお読み下さい)、そこから派生して、園長として人の上に立つ立場に立たれているからこその実体験も含めた、お話をいただきました。
「園長は隠になったり、陽になったりする。」職員の足りないところを援助してあげる存在であり、職員の足りないところを自分(園長)がやればいい、と藤森先生は言います。
また、「出る相手、出ない相手によって自分を変えられないとだめ。」若いうちは相手に合わせることが相手に負けたような気になるもの。相手のしたいことをさせてあげる方が人としては大きい、と言います。
そして、「管理職は相手を活かす方法を知るべきだ。」加えて、管理職はチームをつくる役割だ、と仰っていました。
「この人ならこれくらいならやれそうなものだ、と思わないこと。」以前、行事のプログラムのアイディアについて、職員が中々思い浮かべられずにいたことがあったそうです。その時に、藤森先生の奥様が、〝アイディアを出す力のない人は、必ず他の部分で活かせる力を持っている。どの人に対しても「この人ならアイディアを出せる」、と思うのは一つの差別なのではないか〟という旨のことを藤森先生に言ったそうです。とても心に響くものがあります。
話は最終章へ。かき氷のシロップと塾頭の買ったソーダ水を混ぜたものに舌鼓を打っていると、藤森先生が口火を切って下さいました。
「私が人の上に立つ上で足りないところはどこだろう?」
今思っても、衝撃の質問です(笑)それを僕に聞いて下さいました。塾頭は「えーっとですねー(笑)」と言っていましたが(笑)力不足で、無言の時間が続いてしまいました。
そして、藤森先生が口を開いて下さいました。
「本当に大きい恩恵は気がつかないもの。」例えとして雑巾絞りを挙げられていました。雑巾を絞った時に、これを誰かに教わったな、と感じるとする。
「その誰かになりたい」
と藤森先生は仰りました。
僕は頭の中で、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を初めて読んだ時の感動を思い出していました。
そして、最後に、こんな教えをいただきました。
「発達と同じようなもので、人の成長にも段階はある。」褒めるのが得意な人は中途半端にやらずに徹底的にやる。そうすると、次の段階が見えてくる。
「吉田松陰は人を許せないよね。」でもそれは、若さもあるし、むしろそういう気性の人だったからこそ、あの時代の中で活躍できたのだろう。
変化の時には、変化をし、守る時には守る。
「世の中は変化の時に守ろうとする人が多すぎるよね。」保守的にならずに、新しい時代を受け入れ、望んで変化し、時に開拓していく姿勢が必要であるということを改めて感じました。
そして、「これからの時代は魅力である。」という言葉で締めくくられました。
人間的魅力。それがこれからの時代の最重要事項であるということです。
魅力的な人になりたい。藤森先生のように魅力的な人になりたいと心から思った、この度の臥竜塾でした。
(報告者 加藤恭平)