魅力溢れる人へ

秋も深まる生臥竜塾。この日のメニューの紹介です。

鮭のチャンチャン焼きです

鮭のチャンチャン焼きです

大根と豚肉のお鍋風スープ

大根と豚肉のお鍋風スープと

この日はビールも。吉田松陰ビールです。

この日はビールも。吉田松陰ビールです。

かんぱーい!

かんぱーい!

話は、先日のブラヘイジで吉田松陰所縁の地へ訪れたことから始まりました。

「松下村塾は8畳程だった。」大きさとしては、今僕らが学ばせてもらっているこの場所、藤森先生のご自宅の一室の間取りとほぼ同じ大きさということでした。

「そこでご飯を食べたり、その師から生活を学んだりした。」

週に一度の機会ではありますが、今まさに僕らが臥竜塾で得る学びを、当時の人たちは毎日、自分の師から得ていたのでしょう。

そして、「なぜ松下村塾が有名になったかわかるかな?」と僕らに問われました。

「そこで学んだ人達が有名になったから、その塾が有名になった。」だから、ここ臥竜塾で学ぶ皆が有名にならないと、この塾は有名にならないんだよ、と教えていただきました。

かの孔子も、孔子が自身で書いた著書は一つもなく、その弟子が孔子の言葉を編纂し、その偉大さを世に知らしめた、と言います。

藤森先生は既に著書がいくつもあり、ブログもあります。僕ら塾生はその名前通り、先生から〝生(なま)〟で教わったことを世に伝えていくということが、これからの大きな仕事の一つとなっていく、ということを改めて感じた夜になりました。

ここで一息。

 

この日のデザートはかき氷。グレープシロップに練乳をかけていただきました。

この日のデザートはかき氷。グレープシロップに練乳をかけていただきました。

振り返ってみれば、その日のテーマは、『人の上に立つ』ということだったのではないか、と思います。

僕は、来年で新宿せいが保育園の3年目になります。これから色々な人と関わりをもたせていただく上で、有効な心構えをお聞きしたい、とかねがね思っていたことを口にしました。

相変わらずの僕の安易な発言を優しく受け止めてくださり、そして、藤森先生から改めてご提案いただきました。

 

「人の上に立つにあたってそれぞれの足りないところを塾生同士で言い合う」

 

こういう力が足りないのではないか、もっと言えば、こういう力をつければ人物たる人間になれるのではないか。そんな助言をそれぞれにし合いました。

1)左隣に座っている人のことを言う

2)意見を言ってもらった相手に対して、「ありがとうございます」を最後に言う

というルールでスタート。以下、内容を要約しての箇条書きの為、文章に温度の感じられない部分もありますが、遠慮のない意見を交わし合ったという点をご理解いただき、読み進めてもらえたらと思います。

 

加藤→柿崎先生へ

  • 我を抜いてもっとちゃんと素直に藤森先生の話を聞くこと。

 

柿崎先生から西村先生へ

  • とても恵まれた環境にいる、ということを自覚すること。
  • 現場の人、色んな立場の人の話に耳を傾けて、実現しやすいように道をつくっていくこと。

 

西村先生から小松崎先生へ

  • 朝はもっと笑いましょう(笑)
  • 立場が変わっても、藤森先生についていけば大丈夫。
  • 健康を大切にすること。

 

小松崎先生から若林先生へ

  • 「僕(小松崎先生)は、わか(若林先生)は、大物になると思っている」
  • 保育の中で垣間見る、いい意味での空気の読めなさの中に斬新なアプローチがある。大切にしていってほしい。

 

若林先生から本多先生へ

  • サポート上手な本多先生。その人が人の上に立つにあたっては、もっとわがままな部分が出ていいと思う。もっとわがままな本多先生が見てみたい。

 

本多先生から山下塾頭へ

  • 〝着火が速い〟→発火した時の威力が凄まじい。故に、考える期間というものをもっと設けられるといいと思う。

 

山下塾頭から西田先生へ

  • 選択を迫られた時の優先順位を大切にしてほしい。
  • 先見の明をもって行動すること。

 

西田先生から加藤へ

  • 〝隠と陽〟の部分を大切にすること。
  • 思い切ってやってみて、思いっきり〝ハズす〟ことがある。行動は慎重に。
  • 後輩との関わりが、自分が園長先生になった時の職員への関わりになる。

 

以上で塾生同士の意見交換は終了しました。

かき氷の冷たさが塾生の頭をキーンと冴えさせてくれたようで、本当に忌憚のない意見を交わし合うことができました。

 

そこで、藤森先生から〝隠と陽〟について(こちらは11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず書いているブログ『臥竜塾』の2010年5月7日『変化の書 1』と5月8日『変化の書 2』をお読み下さい)、そこから派生して、園長として人の上に立つ立場に立たれているからこその実体験も含めた、お話をいただきました。

 

「園長は隠になったり、陽になったりする。」職員の足りないところを援助してあげる存在であり、職員の足りないところを自分(園長)がやればいい、と藤森先生は言います。

また、「出る相手、出ない相手によって自分を変えられないとだめ。」若いうちは相手に合わせることが相手に負けたような気になるもの。相手のしたいことをさせてあげる方が人としては大きい、と言います。

 

そして、「管理職は相手を活かす方法を知るべきだ。」加えて、管理職はチームをつくる役割だ、と仰っていました。

「この人ならこれくらいならやれそうなものだ、と思わないこと。」以前、行事のプログラムのアイディアについて、職員が中々思い浮かべられずにいたことがあったそうです。その時に、藤森先生の奥様が、〝アイディアを出す力のない人は、必ず他の部分で活かせる力を持っている。どの人に対しても「この人ならアイディアを出せる」、と思うのは一つの差別なのではないか〟という旨のことを藤森先生に言ったそうです。とても心に響くものがあります。

 

話は最終章へ。かき氷のシロップと塾頭の買ったソーダ水を混ぜたものに舌鼓を打っていると、藤森先生が口火を切って下さいました。

 

「私が人の上に立つ上で足りないところはどこだろう?」

 

今思っても、衝撃の質問です(笑)それを僕に聞いて下さいました。塾頭は「えーっとですねー(笑)」と言っていましたが(笑)力不足で、無言の時間が続いてしまいました。

 

そして、藤森先生が口を開いて下さいました。

「本当に大きい恩恵は気がつかないもの。」例えとして雑巾絞りを挙げられていました。雑巾を絞った時に、これを誰かに教わったな、と感じるとする。

「その誰かになりたい」

と藤森先生は仰りました。

 

僕は頭の中で、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を初めて読んだ時の感動を思い出していました。

 

そして、最後に、こんな教えをいただきました。

「発達と同じようなもので、人の成長にも段階はある。」褒めるのが得意な人は中途半端にやらずに徹底的にやる。そうすると、次の段階が見えてくる。

「吉田松陰は人を許せないよね。」でもそれは、若さもあるし、むしろそういう気性の人だったからこそ、あの時代の中で活躍できたのだろう。

変化の時には、変化をし、守る時には守る。

「世の中は変化の時に守ろうとする人が多すぎるよね。」保守的にならずに、新しい時代を受け入れ、望んで変化し、時に開拓していく姿勢が必要であるということを改めて感じました。

 

そして、「これからの時代は魅力である。」という言葉で締めくくられました。

 

人間的魅力。それがこれからの時代の最重要事項であるということです。

 

魅力的な人になりたい。藤森先生のように魅力的な人になりたいと心から思った、この度の臥竜塾でした。

 

(報告者 加藤恭平)

 

 

食育

9月15日の臥竜塾の報告をさせていただきます。今回は、9月の臥竜塾セミナー『食育』があったので、参加する先生は遅れ、料理組は私と塾頭の2人でした。メニューは、塾頭が地元の富山から買ってきた「ブラックラーメン」と、私が買ってきた「とんこつラーメン 柚子胡椒風味」と、レバニラです。

ブラックラーメンとんこつラーメンレバニラ

 

セミナーに参加した先生が合流すると、セミナーの報告が始まりました。今回は食育だったので、調理の柿崎先生が担当でした。準備していたパワーポイントで話していたらしいのですが、開始から25分で雲行きが怪しくなり、予定よりも早い30分で話が終わったそうです。(笑)それから、以前の行事で使用した、子どもの胃の容量を風船で再現したものや、ペットボトルのジュースに入っている砂糖の量を、空のペットボトルに入れたものなどを紹介したそうです。それから、休憩を挟んで3つのグループでディスカッションに入ります。

ディスカッションに参加した先生からも、それぞれのグループの報告がありました。本多先生のグループでは、それぞれが自園での取り組みを話すことで、時間を使ってしまい、調理と保育士の関係の話を聞いたりしたかったが、そういう話が聞けなかったということでした。次に、加藤先生のグループでは、保育園を始めたときは調理と保育士がぶつかっていたのが、今では言うことを言い合っていくことで、連携がとれてきたという保育園さんの話が聞けたのは面白かったそうです。また、ご飯粒をどこまで食べるかという話がでたそうです。調理としては、キレイに食器が返ってくることは嬉しいことですが、保育士としては、食べなさいと言って食べさせるのはどうかという考えがあるようです。最後は小松崎先生のグループですが、ここには名司会者の先生がいてくれたおかげで、スムーズにディスカッションが進んだそうです。話の振り方や問題提起のやり方が上手だったようです。このような人の存在があると、ディスカッションの印象が変わるとおっしゃっていました。

 

ここからは、塾長のお話です。食育に関して色んな話が聞けました。まず、塾長が以前せいがの森で、都知事賞を取ったときの話です。そのときは、子どもの食べる量を細かく測ったそうです。保育園の給食はもちろん、保護者にも協力してもらい、家庭での食事量を測って、体重がどのように増えるかを調べました。結果は、よく食べる子と小食の子に大きな差はなかったそうです。つまり、セミバイキングで、とる量が少ない子がいるが大丈夫なのか?という質問をされることがありますが、成長に食べる量はあまり関係ないのでしょうね。

また、戦後の食糧に困り、貧しかった頃の人と、現代の人の摂取カロリーを調べたところ、現代の人の方が少ないという研究があるそうです。さらに、色んな年代で、楽しいと思うときはどんなときか?というアンケートをとったら、年配の世代には必ず入っている「食べること」というのが、若い世代では、上位に入っていないということが、分かりました。このように、現代の人は食への関心がとても薄いことが分かります。だからこそ、食育の重要性が分かりますね。

そして、今回のディスカッションでよく聞いた話らしいのですが、各園食育に関する色んな取組みを発表します。その取組みはどれも素晴らしいものでしたが、やはり重要なのはその取組みを通して何を子どもに伝えたり、経験してほしいのかいうことです。

そこから、児童期と幼児期の違いの話になりました。小学校の学習指導要領には、各学年ごとに目標が書かれています。その書き方も、「○○ができるようになる」という書き方です。それに対して、保育指針には、卒園するまでに経験してほしいことが書かれています。書き方は、「○○を楽しむ」とか、「○○を味わう」という表現になっています。それを考えると、保育園での給食も食事を楽しんだり、調理をする経験をするということに重点を置くべきではないでしょうか。

 

今回は、西田先生の33回目の誕生日ということで、デザートにはケーキを食べました。もう1つのデザートは城山保育園さんが見学にいらっしゃったときにお土産で頂いた、和菓子です。いろんなキャラの和菓子で、とても可愛く食べるのがもったいない、と言うより、可哀想な感じでした。お子さんがいらっしゃる塾生は、お子さんに持ち帰っていました。

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西村 宗玲

おはぎ大臣参戦

9月8日(火)の生臥竜塾

今回の生臥竜塾には外部臥竜塾生の森口先生が参加してくださいました。

今回は塾メニューの方から報告させていただきます。

森口先生が塾長の書かれている臥竜塾ブログのコメント等で好物として書かれていたことから情報を入手し、森口先生の好物を用意しました。

そう、おはぎです!

そこで塾長のアイディアでサプライズを決行!

塾生は共通して肉が好物という手前で全員ステーキ丼ですが、森口先生は好物がおはぎなので1人だけおはぎ…

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おはぎ大臣

 

さすがは森口先生、期待を裏切らない反応を見せてくださいました(笑)

そこで塾頭から森口先生を「おはぎ大臣」に任命するとのお達しが!

塾生は皆、好きな食べ物に当てはめて「~大臣」と任命されているのです。

ちなみに私は「にんにく大臣」です(笑)

もちろんその後、森口先生用のステーキ丼を出してみんなで美味しくいただきました。

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ステーキ丼、サラダ、なめこ汁

 

そして、最後にデザートとして全員でおはぎを食べました。

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おはぎ

 

今回の塾内容は、先週末に塾長と西村先生で長崎へ出張に行かれた話から始まります。

この出張の際に「手順書」と言われるオムツの替え方の手順が記載されているものに出会ったそうです。

その手順書が作られた経緯は、同じ替え方、その手順を守ることで子どもが安心すると考えられて作られたもののようです。

この考え方に関して賛否両論あると思いますが、塾長は賛否以前に「自分ならどう作るかを考える」とおっしゃっていました。

例えば、「子どもが替えて欲しいというような表現、アクションを起こしてから替えましょう」や「替える際に話しかけながら(共感するように)替えましょう」などのことを挙げていらっしゃいました。

1つの理論があれば、賛否が分かれてしまうのはほぼ必然なことです。私もこの手順書のことを知ったとき、賛否を第一に考えてしまいました。

塾長の考え方を見習わなければいけませんね。賛否どちらにしても参考になる部分が必ずあることを忘れないようにしていこうと思えました。

また、今回の長崎出張の際に、長崎見守る保育研究会の先生方から、長崎でも塾長を含めて「臥竜塾」と同じスタンスで勉強会を行いたいと提案を受けたそうです。

そこで、塾長はその学びの場を「見龍塾」と名付けたとおっしゃっていました。

見龍のいわれは2010428日の「時の書6」にあります。

1部分を抜粋しました↓

「見龍とは、人を見て学ぶ龍です。師となる人物を見つけ、基本を修養する段階です。易経には「見龍田(でん)にあり、大人を見るに利あり」とあります。いままで、自分の志を持ち、じっと潜んでいた龍は、世間(田)に出てきます。まだまだ力はありませんが、少しずつ眼先が見えるようになってきます。そして、学ぶべき師(大人)に出会うために、人と出会い、物事の兆しをよく見なければなりません。そのためにも、この時期には、同時に見る力をつけないといけないのです。そして、真似をすることで「学ぶ」のです。まねることは本当の実力ではありませんが、本当の実力をつけるために、成長するために必要なことなのです。」

詳しくはこちらをご覧ください↓

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/04/6_2.html

ちなみに「臥竜」に近いものがあると塾長がおっしゃっている「潜龍」に関してはこの1回前の4月27日の「時の書5」に記載されていますので、こちらもぜひご覧ください。

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2010/04/5_1.html

話は変わり、来週の火曜日に行われる塾生が行うセミナー、次回のテーマは「食育」ということで、柿崎先生がプレ発表を行ってくださいました。

詳しい内容はまだセミナー前ですので伏せておきますが、ざっと項目だけ紹介させていただきます。

食から保育を考えるということで、「食育三本柱」「食育三本柱の実践報告」「食を五領域に当てはめた、五感を使った保育」等です。乞うご期待!!

最後におはぎ大臣こと森口先生から締めのお言葉(感想)をいただきました。

「雰囲気が良い。だから間違ったことは言っちゃいけないというような緊張感が一切なく、発言に気を張る必要がないので思ったことを素直に発言できる場で居心地が良かったです。また、発言したことに関してまずは共感してくれていると感じ、包容力さえ感じました。」

素敵な締めのお言葉ありがとうございました!

またご参加いただける日を塾長、塾生一同楽しみにしております!!

(報告者 若林邦彦)

29歳と理想像

9月1日(火)の生臥竜塾

今回の塾にも、ゲストティーチャーが来て下さいました。保育環境研究所ギビングツリー会員園の園長先生方4名です。そんな園長先生方に、ちょうど本日で29歳になった私から、「29歳の時に何をしていたか?何を思っていたか?」「理想の保育士像は?」という質問をさせて頂きました。箇条書きではありますが、報告させて頂きたいと思います。

 

【伊藤先生】

◯29歳の時

・29歳で園長になる

・保護者から多くのご指摘を受けていた時期

◯理想の保育士像

・一緒に話せる人

・現場で一緒に考えたり悩んだり、子どもたちのことを考えてくれる人

・園の雰囲気は、園長の雰囲気だけじゃない部分もあるので、雰囲気作りは難しいと感じている

 

【小川先生】

◯29歳の時

・「すげーとがってましたね」

・臨床試験の施設にいた

・負けるのが嫌でがむしゃら

・分からないことが分かることに無償の喜びを感じていた

・一体何のために仕事をしているのかと考える →貢献度

・平成14年に保育の世界に入り、最初は抵抗があった

・2005年7月、保育のお手本探しをしている時「環境セミナー」で藤森先生と出会う

◯理想の保育士

・とにかく失敗してもいいから、チャレンジできる人

 

【相山先生】

◯29歳の時

・29歳で園長になる

・それまでは、千葉県のカー用品店に勤務し、そこで「日報」を書く

・上司からは「謙虚であること」「世の中は見えていることや分かっていることの裏の方が多い」「何事もバランス」ということを学ぶ

・「謙虚」が苦手であり、調子に乗っていた

・そこで自ら力技で謙虚になろうとする →「まだまだ」と、自分を過小評価していた

・それでは次にいけないということを知り、自分なりに評価をしようと考える

◯理想の保育士

・こんな人、というのは浮かばない

・人が理想になってくれるわけではないので、今いる人たちと作り上げる

・みんなが落ち込んでいる時にそうでない人がいたりなど、反対の人たちの存在が大切

・色々な人たちがいて、そこでやっていくことが必要

 

【西村先生】

◯29歳の時

・個人的には一番幸せな時 →29歳の5月に結婚

・昔は園の調理を担当していた

・調理室からは職場の人間関係、人の性格や体調も知ることができる

・様々な人に、調理室に入るといいよ提案している

・保育的には悶々とした日々が続いていた

・25歳〜42歳 保育を研究

・40歳くらいで藤森先生に出会う

・園長になって、これまでの理念や建物の構造等、全てをぶっ壊した

・そして、反動もあった

◯理想の保育士

・職員を育てるのが楽しい

・採用は「縁」でとる

 

【藤森先生】

◯29歳の時

・教員時代であり、保育園に入る頃

◯理想の保育士像

・一生懸命さや必死に慕ってくれる人 →可愛く見える

・園の全職員が可愛い →1人ずつそれぞれの可愛さがある

・好きだと思ってくれる人がいれば、気持ちがいいだろうなぁ

・そのような関係の中で死にたい

・今ではセミナーの参加者すらも可愛く思う

・すまして付き合うのは嫌だ

・大体の園長は自分の園の職員は可愛いと思っている

・反対する人には説得するのではなく、「向こうが思わないんだったらいいや」と思う

 

【塾生:加藤氏】

◯理想の保育士像

・ツイてる人

・「私幸せです」と言っている人

・風通しのいい園がいい

 

【塾生:若林氏】

◯理想の保育士像

・仲間思いで明るい人

・チームを意識できる人

・いい雰囲気を作る人

 

【塾生:柿崎氏】

◯理想の保育士像

・自分の仕事を本気で楽しめる人 →仕事が続くし発見が多い

・プライベートの談笑が保育の話

・心の底からこれが好きだなって思っている人

→仕事に行くのも楽しいだろうし生きててハッピーだなと思う

 

【塾生:本多氏】

◯理想の保育士像

・これだというのはないかも

・どんな方が来てもこちらが合わせる

・バランスがとれる人

・チームを組んでいて自分のポジションを考える

 

【塾生:小松崎】

◯理想の保育士像

・学ぶ事に積極的な人

 

【塾生:西田氏】

◯理想の保育士像

・自分にないものを持っている人

・人と人の関係で、どう変わっていくか、また、自分がどう変わっていけるか

 

【塾生:西村氏】

◯理想の保育士像

・裏表のない人 →普段と保育をしている時が変わらない

・わざとらしさがあるのは嫌い

 

【塾頭:山下氏】

◯理想の保育士像

・第一印象 →「こいつは俺に合うな」

・勘やフィーリングで採用するだろうな

 

このように、各々の意見を伝え合い、合間に楽しい会話も盛り込まれながらの塾でした。そんな中、塾長が最後に「縁だよね。どうせ出会ったらいい縁にしたい。」と言っていたのが印象的でした。私は、「縁」というのはそこで完結するものであると思っていました。つまり、AとBが出会った時点で「縁」は生まれ、そこで、それは良い縁であったのか、それともそうでなかったのかがはっきりするものと思っていたからです。しかし、「どうせ出会ったらいい縁にしたい」という言葉から、いい縁にできるかは環境次第、そして、自分次第でもあるのかなということを感じました。

 

【番外編】

共感し合った2人

共感し合った2人

これは、オナラや便意の催し方について、初めて自分に共感をしてくれ、その事について真剣に話せる人と出会ったという2人の写真です。2人の座り方も、自然と同じ体勢になっていました。縁ですね。今後も、さらにいい縁へとなればいいですね。

 

最後に、今回の塾メニュー紹介です。

ネバネバ丼・豚汁

ネバネバ丼・豚汁・長崎の高菜・塾製らっきょう

ゲストティーチャーの園長先生方から、たくさんのお土産も頂きました。ありがとうございました!

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そして、名店「ユーハイム」のケーキで29歳のお祝いをして頂きました。ありがとうございました!

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(報告者 小松崎高司)

長崎、熊本より

今回はGTサミットがあった関係で長崎と熊本からゲストティーチャーが臥竜塾に来てくださいました。その時間はとても有意義なものとなりました。

総勢12名での食事でしたので机をなくし、床で食事を囲む形式で行われました。

少し秘密の会議をしているような気分です。笑

一通り食事が揃い乾杯。

そしてまずは塾生からゲストティーチャーへ自己紹介です。

久しぶりに塾生の自己紹介を聞くとまた新鮮な気持ちというかそれぞれが少しづつ変化していっていることを感じます。ただ基本はこのブログに載っている通りです。笑

その中には以前、新宿せいが保育園に勤めていて、今では大阪のたちばな東保育園で奮闘している邨橋先生もきてくださいました。やはり塾生として料理などをこしらえていた経験は身体に染み付いているようで、来るなりスムーズに料理の準備をしていました。笑

さすがです。

本日の位置づけとしてはゲストではなく、塾生という立ち位置での参加となりました!

そして肝心のゲストティーチャーの紹介です。

長崎、畝刈保育園から武内先生です。

3人のお子さんを持ち、外には出ずに一生懸命に子育てに励んできたそうです。

今ではお子さんが大きくなりやっと外に出れるようになってきたそうです。

ただこの話を様々なエピソード含め、おもしろおかしく組み立てて話してくださるので塾生は大笑いの連続です。そんな笑いを誘ってくださるお人柄に塾生一同惹かれていきました。

 

簡単に自己紹介を説明します。

保育園の園長を務めていらっしゃいますが、以前は子どもが好きではなかったそうです。

実家の保育園を継ぐことに対して抵抗があり長崎ではホテルで働き、その後ホテルに派遣する仕事へと変わっていきます。ホテルに派遣する仕事では様々な人と交流をしたそうです。人を調整するということを数多くこなす経験というのが今現在保育の仕事と繋がってきていることを最近思ったいう話をしていただきました。

 

人を調整する。例えば、この人とこの人を一緒に組ませることでどんな相乗効果が生ませるであろうか、どんな化学変化が起きるだろうかいうような人事移動に関して、ホテルでのノウハウが生きているようです。

教育しつつも、その人材に対して出来ることをしてもらうことを考える。その子になにができるのかということを考えることに重きを置いて接していることがよくわかりました。

 

人事の動きについて邨橋先生からこんな体験談も出ました。

邨橋先生が初めて新宿せいが保育園にきて入ったクラスが幼児クラスのフリーでした。

フリーという役柄はベテランの先生がやるのではないかと解釈していた当時の邨橋先生に対して、塾長がこんな声をかけたそうです。

 

「幼稚園から来るとクラスという意識が高く、クラスを引っ張りそうだからフリーにしているんだよ。そして組む先生は邨橋くんが成長するため人材を選んでるんだよ」

(言い回しは少し違うかもしれませんが…)

 

と言っていました。

そこまでを見越し、人の成長を配慮した配置を考える役職の奥深さをさらに感じることが出来ます。これが職員のマッチングの楽しさでもあるようです。現在、邨橋先生はその仕事をしているので自分の経験というのが非常に今生きているようです。同じ釜の飯を食べていた仲間として聞いていて非常に嬉しくなるような話でした。

そして我らが西村宗玲先生のお父さんである、みのり保育園の西村先生です。長崎の見守る保育を引っ張っている偉大な先生です。

そんな西村先生の自己紹介は…

最近の嬉しかったこと、悲しかったこと、がっかりしたことの3つのようです。

まずは嬉しかったこと

「初めに塾長と長崎に来て初々しかった山下氏が現在塾頭となり塾生を仕切り成長している姿を見て嬉しかった」

そして悲しかったこと

「前回(2011年)来た際に塾生は5人だったので塾生ナンバー6と言っていたのが今ではこんなに多くの塾生がいてナンバー6どころではないこと。笑」

最後にがっかりしたこと

以前みのり保育園の男性保育士が新宿せいが保育園に見学をしに行ったそうです。その男性は新宿せいが保育園のある男性保育士がけん玉を披露している朝の会を見学したあとにやる気満々で帰ってきたそうです。そして初めに朝の会でやったのが、けん玉だった…ということです。笑

そうその男性保育士は私です…。笑

さすが西村先生のお父さん、しっかり落ちがついています。

山下氏の話では、山下氏を息子のように見守っているような様子が僕らにも伝わり嬉しくなります。現在4代目の助手として頑張っている息子さんのことも少し重なったのではないかと勝手に思っています。

 

そして長崎、形上保育園の田崎先生

現在、息子さんが新宿せいが保育園で実習を行っています。

見学に来た際に息子さんの頑張っている姿を見て安心されたそうです。その息子さんですが普通の実習生ではしないような質問を新宿せいが職員にしていてさすが田崎先生の息子さんだと関心しています。

そんな田崎さんは小学校6年生から保育士になるという志をお持ちになられていたそうです。

ですので保育士の気持ちがよくわかるともおっしゃっていました。1日が追われるように過ぎていってしまう一斉保育からどうにか抜け出せないものかと思っていたときのキッカケが指針の改訂と塾長のお話だったそうです。

塾長は、

「昔は昔に合った保育をしている、今は今に合っている保育をしなくてはならない」

ということを助言していたそうです。

この言葉も深さを感じます。

10年以上も前からの付き合いで塾長が長崎に来る時はなにか良い体験をということで、船の運転、タケノコ狩り、ホワイトアスパラの収穫など都心では味わえない体験を用意して下さってたということを聞くとおもてなしの精神を非常に感じることが出来ます。離れいても志が同じであることの絆のようなものをここでさらに感じます。

 

そして、熊本、城山幼稚園の豊田先生

新宿せいが保育園は職員研修旅行でもお世話になり、よく交流させてもらっている園でもあります。

豊田先生は小さい頃から幼稚園に入ると決めていたというほどこの道のスペシャリストでもあります。見守る保育が楽しく、現在臥竜塾のブログで連載されている指さしについての考察を自分のお子さんを見て考えることの楽しさもあるそうです。

幼稚園で見守る保育という新たな開拓をしている園でもあり、当時、外から来た園長先生が見守る保育をすると言ったときに園児が減ること苦情が来ることを覚悟して受け入れて対応したほどです。その器の広さに感銘を受けます。

見守る保育をするにあたり、今までしてきたこと(鼓笛)をやめるのではなく、自由にやれるコーナーを作っていったり、小学校1年生の教科書をコピーして手作りのパズルを作り、遊ぶことで教科書のページを完成させ、自然な学びへと繫げていくという実践をしています。

子ども同士のケンカでも、帰りの会などで話し合いの時間を設けるなどの実践を聞くたびに参考にしたいと思うことばかりです。

見守る保育をすることで職員が意見をしっかりと言えるようになり、やりやすいように壁を取っ払うことで楽しさも倍増していったそうです。

皆さんが塾長と10年以上の付き合いですのでその接し方であったり、距離感、学ぶ姿勢というのを目の当たりにし、多くの学びある時間となりました。

自己紹介だけでもそこから多くの学びをさせていただくことができました。まだまだ貴重なお話がありましたが、割愛させて頂きます。

最後に本日のメニューです。

大勢でしたのでおつまみを中心とした献立です。塾長が新宿せいが保育園職員のお土産で頂いた五島で取れたサバ、さつま揚げ、鶏の照り焼き、焼きそば、浅漬け、自家製らっきょ、買ってきた餃子などなど。そして締めに茶漬けです。(茶漬けは撮り忘れました…)

ここを囲んでの食事です。

ここを囲んでの食事です。

臥竜塾でらっきょをむいて一から漬けたらっきょです。 これがまたおいしい!

臥竜塾でらっきょをむいて一から漬けたらっきょです。
これがまたおいしい!

城山幼稚園の豊田先生からのお土産も頂きました。 ありがとうございます!

城山幼稚園の豊田先生からのお土産も頂きました。
ありがとうございます!

さらに塾生の西村先生が長岡にプライベートで行った時のおみやげです。

さらに塾生の西村先生が長岡にプライベートで行った時のおみやげです。

最後には塾長の臥竜塾ブログが8月29日をもちまして11年目を迎えるということでまるまる10年をお祝いしました!2005年8月29日のブログに書かれてある「司馬遼太郎著「峠」」

を参考に、峠=山=モンブランということで手作りモンブランでお祝いでした。

ぺろりとでした!

ぺろりとでした!

長くなってしまいましたが読んで頂きありがとうございます。これを書くにあたって、物事を簡潔にまとめることの難しさを感じます。

少し意味は違ってきますが、難しいことをシンプルにすることとも関係してくるのではないかと思えます。

この塾報告を繰り返し行い、まとめる力をつけていきたいものです。

(報告者 本多悠里)

みんなのお盆休み&環境によって・・・

8月18日の臥竜塾はちょうどお盆休み明けということで、実家などに帰省してきた塾生からどのような休みを過ごしてきたかをみんなに報告をしました。

西田先生からは、子どもたちは、おじいちゃん、おばあちゃんや、ひいおじいちゃんにも会ったり、御前山の花火大会を子どもたちと観に行ったそうです。花火の大きい音にびっくりして怖がりながら観ていたところ、雨が降ってきてしまったということで、家に戻り手持ち花火をしたそうです。

若林先生からは、栃木の実家に帰省し久しぶりに家族全員が集まったということで、みんなで那須塩原へ温泉旅行に行ったそうです。また、親戚同士で集まった際に、よく将棋や囲碁などをやっていて、将棋ではあの人が強く、囲碁ではあの人が強いと大体決まっていたそうです。しかし、今回久しぶりに将棋の強い親戚に挑んだところ、見事に勝ったそうです。本人曰く、昨年まで学童クラスを担当していてよく子どもたちとやっていた成果が出たのかもと言っていました。

山下先生は、富山の実家に今年開業した北陸新幹線ではなく、飛行機で帰省したそうです。というのも、まだ子どもが小さく狭い空間にあまりいれないという理由から早く着ける飛行機を選んだということでした。飛行機で帰省したのですが、子どもが電車が大好きということで、『陸新幹線「かがやき」をじいじに買ってもらおう(笑)』という計画のもとおもちゃ屋さんへ行ったり、山下先生のお母さんが還暦を迎えられたということでそのお祝いをしたそうです。また、石川県にある大きいプールへ行き、初めての大きいプールに抱っこしながら入っても子どもがすぐに出たがりプールサイドを走りまわっていたところ、子ども用の足を入れて乗るタイプの「はやぶさ」の浮き輪を見つけた瞬間、目の色変えて笑顔でプールに入って遊んでいたそうです。

加藤先生は、葛西臨海公園へ行き、観ていたら奥さんが「お寿司が食べたくなっちゃった」と一言(笑)。その足でお寿司屋さんに行ってきたそうです。また奥さんは平日の休みを取らなかったということで、子どもといっぱい遊んで絆を深めたということでした。また、夜に子どもが寝た後、奥さんとテレビを見ていた際に、木村拓哉さんと松たか子さんが出ていて、村拓哉さんの上から発言に対して奥さんがキュンキュンしていたので、加藤先生が「俺もたまに上から発言をするけど嫌がるじゃん」というと奥さんが「あれは可愛がっている上からだからいいの」という事を聞き加藤先生が、「そういう事か!!」と理解し即実践してみたりと、家族の絆が深まったそうです。

西村先生は、実家がお寺という事で、お盆の時期は家のお手伝いをすると、お檀家さんと甲子園の話や時事問題についてなどいろいろな話をし、わからないことは調べたりすることからとても成長できる季節ということでした。また、地元に図書館が新しくできたという事で、お父さんと相談し「見守る保育」の本を寄贈しようかと計画してきたそうです。

また時期的に、戦争についてのテレビ番組がよくやっていたことから観る人も多く、戦争を通じて「環境」についての話になりました。 戦争という状況下では人を殺さないと自分が殺されてしまうので、「人を殺すのはいけないこと」とわかっていても、引き金を引いてしまう環境が感覚を麻痺させてしまう。 また、金を引いてしまったことでヒトを殺すことに「快感」を覚えてしまうという実話の映画もあるように、そういった体験や話を聞くことで、人まではいかないものの、動物などを殺すことで「体験してみたくなったからやった」という事件も実際にあった。そういった事から、何でも「悪いこと」と理解しつつも人に怒られると「だってみんなやってるし」といった感じで、自分のいる環境や世界でそこが普通になってしまい、常識がずれていってしまう。また、先生や大人がいう事、感想は刷り込まれてしまうので気を付けなくてはならない。という話にもなりました。

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そして今回のご飯は、私が母親側の田舎の青森県へ行った際にお土産を買ってきたので、それを使って青森の郷土料理である「せんべい汁」と「十和田バラ焼き」を作り「津軽漬け」という数の子や細かく刻んだ昆布や大根が入った白米に合うようなお土産に買ってきました。個人的にせんべい汁は初めて食べたのですがとても美味しく、大量に作ったのですがみんなもたくさんお変わりするほどみんなも気に入ってくれていました。もう一品は山下先生からの富山県土産「鱒寿し」でした。たまにお土産で買ってきてくれるのですが、いつもながら絶品でした!! (報告者 柿崎)

草莽崛起⑤

前回のドラマでは功山寺で高杉晋作が80名ほどの人数で挙兵し、次々に藩政府軍を打ち破り、結果的に1000名を越える奇兵隊が結成されました。そして高杉晋作は言いました

「草莽の力を合わせるのだ!」と。

奇兵隊のように闘う者だけでなく、同じ志を持った街の商人、民の力も合わした。真の草莽の力です。見ていてとても興奮しました。

その後、藩政府で実験を握っていた椋梨藤太は晋作の挙兵により形勢逆転し失脚してしまいます。そして岩国の方に逃亡するものの、捕らえられてしまい野山獄にて処刑されてしまうのです。しかし、この時の椋梨は「私一人の罪ですので、処罰は私一人を罰するようにと・・・」と懇願し斬首されるのは椋梨のみであったそうです。ドラマでは終始、嫌な存在として映っていますが、おそらく当時、椋梨自身も自分なりに長州を守ろうと思った行動であり、決して悪くしようとは思ってはいないはずです。結果的に残念な形として生涯を終えましたが、やはり最後は民の力なのかもしれません。高杉晋作、椋梨藤太はどちらも自分の国を守る為に行動しましたが、民は高杉の方に見方しました。塾長とちょうどこの話しをした時にこんな事を言いました。

 

「保育園も園長と職員がいくら同じ目標を持っていても、いざっていう時にはやはり職員の力が必要になる。だから園長は職員の声を聞いておかないといけない」

 

なるほど、確かにそうですね・・・。ただその辺はとても難しいと思いました。確かに職員の声を聞くことを大切ですが、だからと言って職員の中に無理に入っていくのもなんだか違いますし、逆に声を聞きすぎてしまうのも、逆効果になるような気がします。園長という立場は本当に難しいですね。その後に更に塾長が言われたのは

 

「距離間が大切」

 

と言われました。近すぎてもダメだし、遠すぎてもダメ。絶妙な距離間が大切と。これが、また難しい課題です・・・。

 

さて、話しを戻します。吉田松蔭をはじめ、命を落としていった者たちの姿を見ていると決して自分のために行動しているのでなく、自分達の国、日本を少しでも良くしようと思って行動している姿に感動しました。また自分とさほど年齢が変わらないのに、あそこまでの行動力は信じられません。国を変えるというのは年齢に関係なく、強い思いと、行動力のように思います。

それはやはり塾長を見ていて思います。塾長からこんな話しを聞きました。

 

「距離に負けるな好奇心」

 

これはJR東海が広告のキャッチコピーとして出した言葉です。聞いた瞬間に旅に出たくなるくらい、人の心理を上手くついた言葉ではないでしょうか。どうしても年を取るごとに行動することや、遠くに行くことに億劫になりがちですが、そんな時こそ好奇心を持って一歩踏み出そうという気にさせてくれますね。私は塾長を見ていて

 

「歳に負けるな好奇心」

 

という言葉があてはまります。まだ塾長の年齢まで、まだまだ先なので、実際は分かりませんが、65歳という定年の年齢になっているにも関わらず、むしろ年を重ねるごとに行動力が増し、どんどん新しい事にチャレンジしていく塾長は好奇心の塊のように思います。その裏では「見守る保育」を日本のスタンダードにするという強い「志」がそうさせているのかもしれません。

そんな塾長を見ていて年が若いから色々なことに挑戦してみよう、という言葉を聞きますが、意外と若くても保守的な人が多いような気がします。その裏に「面倒くさい」「疲れる」とすぐにネガティブに考えてしまうような気がします。また新しい事を企画し行動しようと思っても「反対されてしまう」と思い、なかなか行動できなかったり・・・。実際に環境がそう思わせてしまう可能性もあると思います。

 

「至誠にして動かざるものは 未だこれあらざるなり」

 

ご存知、吉田松陰の言葉です。「至誠」とは精一杯の誠意を尽くすという意味です。精一杯の誠意で相手に尽くせば心を動かされない人はいない。要は人を動かそうと思ったら、真心を持って、精一杯心で接しなさいという意味です。

 

「子どもに真心を持って接しただろうか」

 

おそらくこの言葉を思いついた人が多いと思います。見守る保育の三省の一文です。

子どもには真心を持って接すること、そうすれば自分の気持ちも伝わるし、そうすれば子どもも分かってくれると思います。そこで「共感」が生まれ、見守れる存在になっていくと思います。これは子ども同士だけでなく職員同士も言える事だと思います。自分の気持ちを分かってくれない、ではなく自分の伝え方が変だったのかもしれない、真摯さが足りなかったのかもしれない、それこそ「至誠」が足りないのかもしれません。お互いが「至誠」を持って接することが大切なのかもしれません。

野見山さんが最後に私たちに言ってくれた言葉は

 

「藤森先生が作った『志』を皆がつないでいってください」

 

と言われ、高杉晋作の熱い話しは終わりました。

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野見山さんから貸していただいた本です。

そして塾長も言われました。

 

「私は自分が活躍するよりも、皆がそれぞれの場所で活躍していくことが嬉しい・・・」

 

私たち塾生(草莽)が塾長の作った「志」を胸にずっとつないでいき、そしていつか活躍(崛起)できるその時まで、しっかりと力をつけていこうと思います。(報告者 山下祐)

「Neoteny→◯◯の心をもったまま◯◯になるということ」

8月11日(火)に行われた臥竜塾の報告をさせていただきます。

まずは恒例の夕ご飯の紹介から。この日は、先週が藤森先生と西村先生が出張だったため、一週あけての臥竜塾でした。

なので、ちょっと豪華なイメージでハンバーグにしました。

添えてある瓶は塾頭ご推選の〝食べるラー油〟です。これをポテサラに乗せて食べると、最高です。

添えてある瓶は塾頭ご推選の〝食べるラー油〟です。これをポテサラに乗せて食べると、ほんと、もう最高です。

にんにくとベーコンの入ったポテトサラダと富山名物(?塾頭にいわく「富山で食べてる人見たことない(笑)」とのことでした)きゅうりのお味噌汁です。

左:塾頭 正面:渡邊氏 右:平田氏からです。ご馳走様です!

左:塾頭 正面:渡邊氏 右:平田氏からです。ご馳走様です!

デザートには、外部塾生である渡邉寛臣氏から新婚旅行のお土産のチョコと、平田竜一氏から、熊本県阿蘇にある和菓子・洋菓子のスイーツメーカー「菓舗あそりんどう」より、チーズ菓子〝一五九二(ヒゴクニ)〟。そして、我らが塾頭から軽井沢のお土産をいただきました。とても美味しかったです!

計18個のハンバーグに火が通るまでに時間がかかり、さらにソースもつくらなければとのことで勝手に焦っていた今回のメニュー発案者の僕でしたが、

「大丈夫。とりあえず即席でソースはつくっちゃうから。」

「大丈夫。とりあえず焼けた分から食べ始めちゃおう。」

と優しく励ましてくれたのは調理柿崎先生です。

危なく惚れるところでした。

 

そんな柿崎先生がおばあちゃんのいる青森県に弟さんと旅行されたお話からスタートしました。

ちょうど青森名物〝ねぶた祭り〟が開催されていたようで、〝立ちねぶた〟となると全長20mもある迫力のねぶたを鑑賞してきたとの報告がありました。

大迫力!

大迫力!

そんな流れで、来週の臥竜塾の夕ご飯のメニューは青森名物〝せんべい汁〟と〝津軽漬け〟になるとのことです。今からとても楽しみです。

 

話は変わります。

NHKのEテレで先日放送されていた、『スーパープレゼンテーション』で、『哲学する赤ちゃん』の著書であるアリソン・ゴプニック氏が、〝赤ちゃんは何を考えているの?〟というタイトルでスピーチをされていました。

その映像を皆で見ました。

ネットから、この日のスピーチが見られますのでご参照下さい。

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150715.html

 

子どもが大好きなクラッカーと苦手なブロッコリーを使った実験や、動物の脳を比較しての考察、大人と子どもの脳の働きの違いなどを映像や写真が独特なスピード感ある語り口で、展開されていきます。

番組終了後、なんとなしに塾頭が言った「流石ですね」の一言が僕はとても印象的でした。様々な場所で演説に触れ、また自身も豊富な経験をもつゆえに、演説の見え方というものが違うのだろうということを感じさせる言葉でした。

 

他にも、

「子どもは関心をもたないことが苦手」

「子どもの脳は、あれもこれも面白くて選ぶことができない状態。大人で言えば、新しい状況に身を置いた時のような感じ」

「Neoteny→子どもの心をもったまま大人になるということ」(タイトルの答えです!)

「子どもの要素をもったまま大人になろう」

など、印象的な言葉がいくつもあり、とても勉強になりました。

 

感想を言い合っていく中で、「関心をもたないことが苦手」という言葉に本多先生がスポットを当てました。

すると塾長藤森先生から「〝子どもが落ち着くから〟という理由で、子どもに対して担当の先生を決めて保育をするという、担当制への違和感をやはり感じる。子どもは色々なことに関心をもちたがる脳の働きがある。また、トイレに向かおうとする子を抱きかかえたり、危ないからと色んなものを排除したりしようとする保育者がいるが、トイレへ行く〝途中〟こそ、保育なのではないか。」

とあり、一同とても納得をもって聞きました。

 

また、話の流れから、〝片付け〟についても藤森先生から言葉をいただきました。

「片付けはしつけではない。腰に手を当てて「片付けなさい」と言ったりするのは、それは日本独特のもの。あそびに満足すれば、子どもは片付ける。子どもと共にあそびを楽しむことを忘れてはいないか。」

「冒険心や好奇心を削いでまで、片付けるのは違う。保育者は、ある程度の散らかりを覚悟する必要がある。」

との内容で、これにもとても納得してしまいます。

ただ、〝しまう〟ということが本能的にあるのではないか、ということです。藤森先生のお孫さんがお家にあそびに来る時の話で、帰るときまっていつも先生のバッグの隙間に冷蔵庫の磁石が入っているのだそうです(笑)

これは〝しまう〟という一つのあそびであり、またある意味では一つの片付けの形でもあるのでは、というようにも感じられました。

 

塾頭からは、〝Neoteny〟について感想がありました。

それについても塾長藤森先生から非常に面白い考察をいただいたので、紹介させていただきます。

「ネアンデルタール人の方が今のヒトより脳が大きかった。もしかしたら、その場所に適応する力が現代人の何倍もすごかったかもしれない。その場所で個人が確実に適応できる、ということは、一人で生きることが可能であった、ということ。つまり、協力する必要がない為に滅んでしまったのではないか。ヒトに助けてもらう必要がなくなると滅びてしまうのではないか。

とすれば、生き残った我々の祖先は、一人では生きることができずに協力して生きようとしたヒト。協力とは足りないことを補うということ。この〝足りなさ加減〟が生き残る為に重要なのではないか。」

「見守る保育の特徴の一つとして、〝赤ちゃんから協力し合う〟という環境があることが挙げられる。(先程の担当制への違和感につながりますね) 完璧よりも足りなさの方が人類が生きられる。それを小さな頃から学ぶ必要がある。」

とても、説得力に満ちた内容です。

子ども同士のことにしてもそうですが、確かに例えば園の装飾にと買い物一つにしても、「これは一歳児クラスにいいかも!」と、他のクラスの先生が買ったり、思いついたりすることは当たり前のことのようにしょっちゅうあります。

また、3.4.5歳児クラスの装飾を、1歳児クラスの先生がつくったり。こんなことが自然と行われていることも、改めて、協力するという人類生存のとても重要な要素が、心地よい風として園の中を流れている、ということを感じるのでした。

 

最後に、先日行われたお泊まり会の写真をみんなで見ました。

そこで、5歳児クラス担任である本多先生が、賞状をもらったという話がありました。

『よくお泊まりができました』という、毎年お泊まり保育に参加した子どもたちに配るものでそれを保護者の前で本多先生に藤森先生から渡したとのことでした(笑)

「びっくりしました。『賞状をあげたい人がもう一人います』と藤森先生が言うので、誰かなぁ、地域の人かなぁと思っていたら、僕なんですもん(笑)」と本多先生。

聞くと、賞状を準備している段階で西村先生が準備したもので(笑)それを当日、渡す何分か前に「用意してあります。」と一言だけ言って藤森先生の手元に。何もしらなかった藤森先生は、その場のアドリブで(笑)渡してくださったとのことです。

 

まさにNeoteny。Neotenyのあまりに高いお二人の成される業、仕事ぶりを感じて、この日の塾はオシマイニーなったのでした。

「大人でも 頭が柔らかくて想像力豊かな蝶になりたいならー」

「大人でも 頭が柔らかくて想像力豊かな蝶になりたいならー」

「時々は 子どものようような考え方をすべきかもしれません」そうまるで、いたずら好きなあの方のように

「時々は 子どものような考え方をすべきかもしれません」そう、まるで、いたずら好きなあの方のように。

(報告者 加藤恭平)

草莽崛起④

さて、前回は高杉晋作が野山獄に入り、吉田松陰の事を思った詩を書いたところで終わりました。その後、幕府は、長州に対して「長州征伐」の準備を進めていました。晋作が奇兵隊の総督の任を下された後には三代目の赤根武人が総督になりました。その奇兵隊が奮闘するものの四か国の連合艦隊に完膚なきまでに叩かれたのです・・・。

 

それをきっかけに長州は連合艦隊と和議を結ぶために牢から出されました。そして筆頭家老 宍戸刑馬という人物になりきり晋作が和議に向かったのです。ドラマを見ている人ならば、晋作が和議に向かった時の服装を思い出すと思いますが、黄色の一等礼服に烏帽子直垂姿でしたね。そのあまりにも晋作の堂々とした態度にイギリス公使の通訳アーネスト・サトウは

「魔王の如く傲然として見えた」

と言ったほどです。交渉は3回に及び、3回目に賠償金の問題と彦島の租借要求出されましたが、どちらも晋作が強固に拒絶し、攘夷を行ったのは幕府の命令に従ったから、幕府より賠償金を取り立てるように主張しました。そして彦島も以前、晋作が以前、上海に行った時の風景があまりにもひどい有様で、これでは二の舞になると思い、急に日本の歴史を語り始めたのです。それで煙にまいたのか、彦島の要求は引っ込めたそうです。

 

その後晋作は萩に戻り閉居していたが、交渉の際に外国の要求を素直にのんだと奇兵隊の皆から誤解され、奇兵隊から命を狙われることになり、萩から脱出したのです。その時のシーンで橋の上で品川弥二郎と晋作が斬りあうシーンがありましたね。その時のセリフ

 

「俺は久坂も稔麿も入江も忘れてはおらん!」

 

野見山さんが言うには、ここでの晋作の言葉はもっと奥が深く、感動する言葉だそうです・・・。

萩を抜け出した晋作は最終的に福岡の平尾山荘の女僧の野村望東尼(のむらもとに)を訪ね、身を寄せる事にしました。先日、塾長と西村君が福岡に出張に行った際に、なんとその平尾山荘に行ったのです!すごい偶然ですね!ちょうど大河ドラマでも晋作が平尾山荘に身を寄せたところが放送されていて、そして福岡出張・・・。

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写真のように晋作は日本の将来を描いていたのでしょうね・・・。

そして晋作は平尾山荘で10日間過ごしたときに、藩政府が3家老を切腹させ、その首を幕府に差し出したことや、奇兵隊やほかの諸隊も解散の命令が出たことをきっかけに長州に戻る事になるのです。

当時の奇兵隊の総督の赤根武人は藩の命令に従い、解散を進めていましたが、周りはそれでは、今まで散っていった同士の志が途絶えてしまうと意見が割れている時に晋作が表れました。このシーンは大河ドラマでもありましたね。

そして晋作は80名ほどの人数で功山寺にて挙兵するのです。

野見山さんが言うには、この時の奇兵隊が一番すごかったそうです。何というと、晋作が一軒一軒訪ね、その人の長所を見抜き声を掛けていったそうです。そして真の精鋭が集まったのがこの時の奇兵隊だそうです。

その活躍は、大河ドラマでも放送されていましたが、80名あまりで正規軍2000名を撃破するのをきっかけに、奇兵隊が更に勢力を増し、幕府に恭順を示す意向を固めていた藩政府内に分裂が起き、藩政府は「倒幕」の姿勢を固めるのです。

 

この晋作の行動が後の明治維新までの筋道を徐々に築き上げていく土台になったそうです。

野見山さんはこう言いました。

 

「藤森先生は私達が道を歩きやすいように、作ってくれました」

 

おそらく吉田松陰も塾生たちが歩きやすいように「志」という教えで道を作ってくれたのかもしれません。ドラマを見ていても、吉田松陰が死んだ後も塾生たちは自分の「志」を掲げ、行動しています。

保育園で言うならば「理念」にあたる部分だと思います。「見守る保育」という理念があるからこそ、職員は自分達で考え、行動し、成長していきます。そして子どもたちにも伝わっていきます。

「志」があるからこそ振り返る事ができ、安心して戻れるのではないでしょうか。(報告者 山下祐)

草莽崛起③

安政の大獄により吉田松陰は29歳という若さでこの世を去りました。松陰の残した書物に「留魂録」という物があります。それを手にした塾生は先生の形見とし、それを破ってそれぞれが持つことにしたのです。

その「留魂録」というのは松陰が幕府からの裁きのいきさつと今の自分の心境を塾生に書き残しておくために書いた書物です。

「私の念じることは、同士にに私の志を継いでもらい、尊皇攘夷に大きな功績を立てて欲しいことである」と記されていました。

その「留魂録」は2通書き、一つは塾生の手に、そしてもう一通は同じ牢屋にいた沼崎吉五郎という福島の藩士に渡したのです。

 

そんな松陰が獄の中で過ごしている時に、実は獄の中では色々としきたりがあります。着物や本の差し入れは牢名主(囚人たちの中で選ばれた取り締まる長のこと)を通す必要があり、そのためにはお金が必要でした。その調達を江戸で遊学していた高杉晋作に頼むのです。

しかし、晋作の父が息子と松陰との接触を避けるために、長州藩からの命令で晋作が萩に帰るように命令が下ったのです。

その際に晋作が松陰に尋ねました。自分はこの先にどうすればいいのか?とすると松陰は晋作に対して「萩に戻って、親孝行をしなさい。そして10年間はおとなしくしていなさい」とそれを言われた晋作は素直に松陰の言葉を聞き入れ、萩に戻って結婚し、自宅に引きこもって読書をすると言ったそうです。大河ドラマでは出家していましたね。

 

そんな高杉晋作が引きこもっている時に長州は攘夷の動きがさらに激しく動き始め、海峡を渡る外国船に対して砲撃を撃ち放ち、一時は優位かと思いきや戦況は一変し、アメリカ、フランスによる報復攻撃を受け、惜敗したのです。そんな危機的状況を打破すべく長州藩が取った行動は高杉晋作を呼び戻し、何か策がないか?と問われた晋作は「奇兵隊」を創設したのです。

奇兵隊の理念は、身分は問わず、力量も問わず、「志ある者は集まれ」と民衆に呼びかけて集まった集団が奇兵隊です。しかし、この奇兵隊も実は松陰の考えだったのです。松陰が近代兵器で武装した外国軍と戦う方法として「日本国有の短兵接線も以って敵と戦い、意志が堅く強い者を集めた奇兵隊が必要である」と書いた本を引きこもっている時に読んだと思われます。

 

こうして奇兵隊の初代総督となった晋作ですが、その裏腹に長州藩との正規軍との間でいざこざが絶えず、晋作は総督の任を下されるのです。この間に、京都では八・一八政変が起こり、長州藩は窮地に立たされるのです。

ここで八・一八政変、池田屋事件、禁門の変により長州は、「朝敵」(天皇の敵)という汚名を着せられ滅亡の危機をむかえていた。これらの事件により松下村塾の四天王の久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一が壮絶な死を遂げたのです・・・。

そして晋作はというと、奇兵隊の総督の任を下されたあとに、脱藩し京に向かうのです。しかし桂小五郎により説得され、萩に帰国後、脱藩の罪で松陰と同じ野山獄に投獄されていたのです。この時にドラマの中でも放送されていましたが、松陰と同じ牢屋に入れられた晋作が壁に「至誠」と書かれた文字を見て

 

「先生を慕うてようやく野山獄」

 

という詩を読みました。松陰も二度、野山獄に入れられ、そんな松陰の意思を継ごうとする晋作の強い思いが表れている詩です。それだけ高杉晋作は吉田松陰に対して強い思いがあったのです。もちろん晋作の生き方を決定づけたのも松陰の言葉なのです。それは松陰が江戸で獄に入っている時に晋作に宛てた手紙の中に書かれた言葉です。以前「男子はいつどこで死ぬべきですか?」という晋作の質問に対して松陰は手紙でこう書いたのです。

 

「死というものは好むべきでもなく、また憎むべきものでもありません。死んで不滅の名声が残せるならば、いつ死んでもよいでしょう。また生きてなおお国の為に大きなことを成す見込みがあるならば、いつまでも生きたらよいでしょう。要するに、死ということを考えるよりもまず、成すべきことを成す生き方が大事なのです」

 

当時の武士は死ぬ瞬間まで武士であるという強い思いがあるので、晋作も武士として自分の「死ぬべきところ」について考えていたのでしょうね。今では考えられないことです。ただ何となく分かるのは、私もいずれ死ぬのならば、何か残していきたいという思いはあります。それが何かというのは、まだ分かりませんが、松陰が晋作に言った「成すべきことを成す生き方が大事」というのは胸に刺さりました。今の自分は何ができるのか?ほんの小さなことでもいいから、とにかく何か成す事が大切だと思いました。その積み重ねで結果的に大きな事を成す事ができるかもしれませんし、死んだときに、それが残るかもしれません。

 

やはりここでも松陰の言葉と塾長がかぶってしまうのです。塾長はとにかく今、塾長自身が成すべきことに向かって、まっすぐに進んでおられます。

「私はみんなよりも先が見えている、だから今のうちにやらないといけない」

と言われました。まさに「成すべきことを成す生き方」です。そんな生き方をしている方が目の前にいて、その方から直に教えを乞う、私たちは本当に幸せ者です・・・。(報告者 山下祐)