9月25日の塾報告をさせてもらいます。
まずは食事の準備です。
久しぶりに塾長が包丁を握るとさすがの包丁さばき…
キャベツがあれよあれよと切れていきます。
そしてできあがったのがこちらです。
後ろにちらりと見えているのがメインディッシュの
美味しく頂きました!
そして話はどんな方向に行くかと思っていましたら、我々新宿せいが子ども園は先日北海道へ研修旅行へ行ってまいりましたので行っていない塾生に少しその報告をすることから始まります。ただその内容が深く非常に興味深いものでした。
見学先のこども園さんには非常にお世話になり、充実した研修になりましたことをこの場所をお借りして御礼申し上げます。
さてでんなお話かと言いますと、北海道のある職員の方が多数決が好きではないという主張があり、それに対する塾長の考え方をみんなで聞きました。
それは、例えば子どもを連れて行くなら山と海だったらどちらがいい?という多数決を取るとすると山が多ければ、じゃ山だねとなりますが、そうではなくて、海が良いと言った人には何が良いのかを聞いて、例えば、「子どもにとって水と触れ合うことが大切かと思って」と言ったら、「じゃ山には湖があるよ」というのが理想である。大多数の圧力や権力でやるべきではない。
しかし問題は多数決が嫌いだと主張した方の年代の問題は「話す力、聞く力」である。その時代(おそらく20代くらいでしょうか)は「話す力の教育を受けている」その成果がプレゼンテーションの能力や、ディベートの能力へと繋がってるいくが聞く力がなくなってしまうということ。人の話を聞けなくなって行く傾向にあるのではないか。
そもそも「聞く」というのは耳で聞くのではなくて「人の意見を取り入れて膨らますこと」である。今の若い子というのは様々な場面で自分の意見をしっかりと言うが、言い終わってしまったら他の意見を無視してしまうことが多いのではないかということ。それは社会に出たら一番問題なことになってしまうことで、聞く力が育っていないことになる。
そこでなぜかということへと移っていきます。
塾長はディベートが嫌いというお話を受けました。例をわかりやすくお話してくださいました。
子どもに好きなクレヨンを一本づつ持って来なさい、それを隣の人と交換しなさい。そしたら今手のひらにクレヨンはいくつあるか…。一本ですね。
では頭の中に秋になったことを一つ思い浮かべなさい、隣の人と交換しなさい。そうすると頭の中には色がいくつある?… 2つありますね。
この考え方が「話し合い」となる。
反対にディベートというのは相手のクレヨンを折ろうとすることになる。それはおかしいではないかということ。教育が自分のことだけを主張して偉いということを教わってしまっていることに原因を感じている。そうすると自分の意見が深まらないのではないか。
なるほどです。特に保育士や園長という立場であれば人の意見を聞かなければない立場にありますからより、「話し合い」ということが大事になりますね。
さらに塾長はこんなことを注意したそうです。
今20代くらいの年代では「多様性」がすごく言われていのではないか。あなたの考えいいね、あなたの考えもいいね、君にの考えもいいね、みんないいねというのを教わっているが、これからの時代はそれはダメと言われている。
というのは、園でそれをしていたら、決めなくてはいけないことが決まらなくなってしまう。多様性を認めるというのを学校でやりすぎているが、それは学校だからいいけども、世の中に出たら、どれか一つにしていかなくてはならないのではないか。その時に、「最適解」お互いが合意できるような最適な解を見つけて行かなくてはならない。それを決めていくには矛盾が生じたり、我慢をしなければならないことも生じるが、それを社会のために我慢できるのは人間だけである。それは相手に共感できるからである。それをするためには、白目を見ることで共感力が伝わると言われている。最近はSNSが普及して言葉の内容は伝わるが共感は伝わらないと言われている。
今を生きるために必要なことがここに詰まっているような気がします。
さらに塾長はこんなこと言っています。
人のことを参考にしたり、人の意見を聞くと自分が下になった気になるとこがあるかもしれないがそれは逆で自分がもっとしっかりしたものを持ってるからこそ人の意見が聞けるし、反論もしなくなるのではないか。
人と関わる上で非常に大切なことを学んだ気がします。そして「最適解」という言葉が出てきましたが今私自身がこの最適解というのを意識していたのでタイムリーな言葉に感動しています。「聞く力」、そして「話し合い」の本当の意味というのを理解しながら前に進みたいなと感じる次第です。
文章ばかりですいません。他にもお話は多くありましたが私はここの部分が非常に記憶に残っています。
報告者 本多