「やんさん」と「げんさん」

8月21日の臥竜塾の報告をさせて頂きます。
今回の臥竜塾は昨日の20日から、環境サミットがありその中日に開催した塾となりました。そして、その環境サミットに参加されていた、外部臥竜塾生の「やん」先生こと邨橋先生も参加してくださいました。
やん=邨橋先生で通るのは、新宿せいが子ども園だけらしく、ご実家の園でも浸透していないとのことでしたので、ここではあえて,やん先生で書かせてもらいます(笑)

やん先生は現在、大阪のご実家の園に務められています。私たち臥竜塾生にも、実家が保育園をしている塾生も何名かいますが、いつか帰った時にこういったことが大変だとか、今何をしておくべきかなどとても参考になるお話をしてくださいます。
そして、やん先生が塾に参加してくれるだけで、塾内がとても盛り上がるような印象を受けました。これまでの塾生の話などもしてくださりとても楽しい時間を過ごすことができました。

村橋先生です

邨橋先生です

 

さて、今回のメニューを紹介いたします!
うどん
 なま白石温麺(しろいしううめん)
 唐揚げです。

つゆを数種類、ネギやオオバ、豚肉などなど…いろんなトッピングを加えておいしくいただきました!!中でも、西村先生特性のトマトのつゆがすごく自分の中でヒットしました!

料理

いろんな味でいただきました!

いろんな味でいただきました!

 

さて、そんなおいしい料理をいただきながらの話題は、やはりやん先生を中心に話が進んでいきました。趣味でボルダリングをやられているそうで、時間さえあれば登っているそうです。これまで、スポーツとは縁がなかったそうですが、ボルダリングをきっかけに、登るための筋トレも続けているそうで、本当にすごい体つきをしています。
以前のやん先生と比べると、ご実家の幼稚園の保護者に、「先生、痩せました?なんか病気になったんですか?」と心配されたこともあるくらい変わったらしいです。

そんな話のなか、やん先生が「となりに座ってるけど、初対面やんな??」

実は、塾生の松元先生とやん先生が初対面だったそうで、その言葉から松元先生の自己紹介をする流れになりました。
松元先生は、「げん」と呼ばれていて、それは松元の元の字をとっての「げん」であること、2年前の10月に新宿せいが子ども園に産休に入る職員がいたからこれたこと、実家が鹿児島で園をされていて「見守る保育」を持ち帰りたいと思い、縁あってくることができたことなど話してくれました。
初めて、新宿せいが子ども園に見学に来た時が、ちょうど夕涼み会の日で、塾生たちから見た松元先生の第一印象は「変」だったそうです(笑)
そこには、もしかしたら今後、新宿せいが子ども園に就職するかもしれないから真面目な感じで行こうという松元先生の思いと、見学者でも笑わせに行こうとする先輩方のすれ違いがあり、夕涼み会にスーツを着てきた松元先生の目の前でどんなに面白いことをしても、決して笑わず無表情な松元先生が「変」だったというのが、塾生や他の職員たちからの第一印象です。

就職した初日も運動会の日だったそうで、何をしたらいいかわからないなりに、「とりあえず大道具にいて」とほったらかしにされたらしく(笑)「うちの園、見学者をほったらかしにしてしまうことあるよね・・・」という反省点も見つかりました。

そんな松元先生ですが、最初の「変」なイメージとは違い、頭もよくて面白い、そしてチーム保育での動きにもすんなり入り、対応力もあるのが今の印象で、最初のハードルは低ほうがいいということを学ぶことができました。これには、やん先生も「地元が関西ってだけでハードル上がってるから、ほんとにハードル低いってのはいいことよ~」と同感だったようです。

こんな感じで、話してます!

こんな感じで、話してます!

 

松元先生の今現在の思いも話してくれたのですが、「最初は、新宿せいが子ども園が特別なことをやっている園だと思っていたが、特別なことをやっている訳じゃなくて、子ども一人一人の発達をしっかり見て保育をしている。そして、一人一人に合った環境設定や関わりをするために、チーム保育を通して職員が連携して見守る姿勢など、そもそも視点が違ったのかなと思っている。そして今感じていることを、実家に帰った時にどのように変換して伝えていくかが今の課題です」と話してくれました。だからこそ、一足先にご実家の園に戻られたやん先生の話がとても勉強になると話していました。
やん先生もこうしてたまに新宿せいが子ども園を訪れて、職員が自然体で保育している雰囲気を感じて持ち帰るだけでも違うと話してくれました。

それぞれの園で方針があり、「うちの園とは!」というものがあり、みんなで合わせようと「先生」すぎてしまうところがある。でも、新宿せいが子ども園は、先生というよりも「近くにいる大人」というような感覚で、揃えるところは揃えるが、細かいところはそれぞれの個性や考え方など、普通でいれることがすごいと思う。というような話を聞くことができました。
以前の塾長の話にもあった、「良い集団とは、決して同質を求めるのではなく、多様性を認め、その中で個々が光り輝くことがよい集団であり、また、よい集団こそが個々の輝きを増す」という言葉がまさにそのことを言っているのだろうなと感じました。
こういった話はとても貴重ですし、塾を通してみんなで共有できることはとてもありがたいことだと改めて思うことができました。

食器を片付け、コーヒータイムに入ります。
急に電気が消え「ハッピ バースデー トゥーユー♪」
先週の金曜日8月17日は、松元先生の誕生日でした!今年、29歳になったそうです!
げんさん、お誕生日おめでとうございます!!!

げんさん

これで今回の報告を終わりたいと思います。

報告者 田崎 天悠

それぞれの才能を

夏の香りの臥竜塾。

並ぶ背中の頼もしさ

並ぶ背中の頼もしさ

田崎先生は手早く洗い物を

田崎先生は手早く洗い物を

横田先生は生姜を

横田先生は生姜を

若い塾生が手際よく進めてくれる様子は、見ていてとても頼もしいものです。

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柿崎先生特製ヅケ。これがまたとても美味しい

盛り付けは田崎先生に委ねられました

盛り付けは田崎先生に委ねられました

「どれが園長先生の器ですか」「園長先生のだけはしっかり盛り付けしようと思って」

「どれが園長先生の器ですか」「園長先生のだけはしっかり盛り付けしようと思って」

心の声がそのまま言葉になってしまう素直さが田崎先生の良い所ですね。

海鮮丼とすまし汁

海鮮丼とすまし汁

この日は日本酒も

この日は日本酒も

そして最高のタイミングで本多先生

そして最高のタイミングで本多先生

森口先生も到着

森口先生も到着

たっぷりと盛られた塾長の大好物ウニ。「この値段にしては美味しいね。」礼文島など、各地の美味しいウニを経験されている塾長ならではのお褒めの言葉ですね。塾生一同堪能させていただきました。

ただ、長崎出身田崎先生、ウニは地元ではありふれた食材のようで、「東京に来てウニが高級なことを初めて知った」とは、何とも贅沢なエピソードですね。

 

そんな田崎先生に塾長から質問「そういえば、てんゆうくんは英語は話せるの?」

というのも、英語を話せるかどうかは才能によるところが大きい、という最新の知見があり、英語の試験の成績がそのまま英会話力に繋がっていない、という話を塾長からいただきました。そういう意味では子どもの内に英語に触れることは一概に意味のないことではなく、その子の才能を知るきっかけにはなるかもわかりませんね。これから海外出張も多くなる塾長、その素養を知りたくなられたのかもわかりません。

興味深かったのは、塾長の高校生時代のお話で、当時は9科目制で、当然その中に英語も含まれていたこと、塾長は855点という目を見張るような高得点ながら、周囲のレベルはそれが普通であったこと、それでも英語を話せる人は限られていたこと、そして現在、海外に出た時にもちろん簡単な英語は話せるけれども、講演など対象に伝えたい微細なニュアンスはやはり通訳に任せる方が良いと感じられ、最初の挨拶から最後まで日本語で通されていることなどをお話しいただきました。海外で活躍される日本人の方々が会見に臨まれている時など、現地の言葉でなく日本語で話されている場面が思い出されます。そうされることに何か意図があるのかもわからないと思えてきますね。

 

そんな話題を共有させていただきながら、

今日のコーヒーのお供は田崎先生のお土産

今日のコーヒーのお供は田崎先生のお土産

美味しいカステラをいただきながら、話題は塾長の出張に同行された森口先生の報告へ。

東京は世田谷区にある園へ

東京は世田谷区にある園へ

美術館のような園舎です

美術館のような園舎です

吊るされていて、とてもインパクトがあります

展示物、とてもインパクトがあります

船ですね。毎月テーマが変わるとのことです

船ですね。毎月テーマが変わるとのことです

その下で給食を食べています

その下で給食を食べます

涼しげな雰囲気です

涼しげな雰囲気です

外の景色と一体化されたようなフロアー

外の景色と一体化されたようなフロアー

木の上に建てられたかのような眺望です

木の上に建てられたかのような眺望です

工夫された廊下

工夫された廊下

座ったり、描いたり

座ったり、描いたり

自由な体勢で遊べますね

自由な体勢で遊べますね

キッチン

お洒落なおままごとキッチン

フラットな調理場

フラットな調理場

園庭もとても広く、写真を見ていて都内の園であることを忘れてしまいそうになりました。

森口先生の撮り集めた環境を見させていただき、とても勉強になりました。

その流れから、

森口先生が新宿せいがに来られる前の園で取り組まれた環境の数々

森口先生が新宿せいがに来られる前の園で先生方と取り組まれた環境の数々を紹介してくれました

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「せいがの影響を受けてですよ」と森口先生

「せいがの影響を受けてですよ」と森口先生

素晴らしいですね

素晴らしいですね

目の開くような思いがすると同時に、今ある環境を見つめ直すきっかけになります。来週21(月)からGTサミットが開催されますが、ご来園いただいた方々にもこのような感想をもってもらえたらと思う次第です。

そこで、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)の環境にと、塾長から

ドイツで見た装飾はどうかとのご提案をいただきました。

ドイツで見た装飾はどうかとのご提案をいただきました。

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真似て、学んでいきたいと思います。

真似て、学んでいきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

きゅうりとハチミツ

遅くなり申し訳ありません。
8月7日の塾報告をさせて頂きます。

この日のメニューは、かつ丼、きゅうりの和え物、スープです!!
この日は、塾のスタート時間が遅かったので、調理の柿崎先生が時短料理を作ってくれ、手伝う暇もありませんでした(笑)

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食事をしながら、この日の日中に園の畑で収穫されたきゅうりの話に・・・。
以前の塾で「きゅうりのおいしい食べ方」について話したことがありました。その時に、私が小さい頃、家の畑で採れたきゅうりに蜂蜜をかけて食べていた話をしました。祖父が畑をしていて、いつもとれたての野菜を食べていたのですが、きゅうりに蜂蜜をつけて丸かじりする食べ方も祖父に教わり、それが当たり前でした。

しかし、他の塾生から「それはない」とあまりに不評だったので、
「じゃあ、園の畑で採れたきゅうりで確認しよう!」ということになり、本日の日中に至ります。
昼休みに、畑で採れたきゅうりと蜂蜜を準備してくれて、各クラスの職員に食べてもらいました。
しかし、そこでも不評の嵐で「これはない」「そのままのほうがおいしい」「まあ、冷蔵庫にこれしかなかったら食べなくもない。」というような結果でした。
いざ、自分も食べてみましたが、あまりおいしくなかったです…。
小さい頃の記憶は何だったのでしょうか?不思議な気持ちになりました(笑)

食事が終わり、8月30日の塾セミナーについて話し合いを行いました。
今年度の塾セミナーのテーマは、「10の姿」についてで、毎月1つの項目について発表させて頂いています。今回の項目は「社会生活との関わり」で指針にはこのように書かれています。

「家族を大切にしようとする気持ちをもつとともに、地域の身近な人と触れ合う中で、人との様々な関わり方に気付き、相手の気持ちを考えて関わり、自分が役に立つ喜びを感じ、地域に親しみをもつようになる。また、保育所内外の様々な環境に関わる中で、遊びや生活に必要な情報を取り入れ、情報に基づき判断したり、情報を伝え合ったり、活用したりするなど、情報を役立てながら活動するようになるとともに、公共の施設を大切に利用するなどして、社会とのつながりなどを意識するようになる。」

「社会とのつながり」と聞くと、時がたつとともに、地域の人とのつながりが薄れてきていることが一番に浮かんできます。またそうした地域の人とのつながりが薄れていくことによって「伝統」「文化」にもつながってくるのでしょうか。そして、そういった背景を踏まえ保育所の役割とはどんなことなのでしょうか。また、“~遊びや生活に必要な情報を取り入れ、情報に基づき判断したり、情報を伝え合ったり、活用したりするなど、情報を役立てながら活動するようになる~”という部分では、情報が多い今だからこそ、正しい情報と誤った情報を見分ける力が必要だというような話にもなり、話を聞いているとハッとさせられるような感覚にもなりました。

塾長が毎日書かれているブログ『臥竜塾』2017年1月6日『集団の意味』の中にこんな文章があります。

『“現代はどうでしょう。集団とのつながりを断ち、集団に属することで生じるしがらみや息苦しさを軽減する。個人として存在しやすいように技術は進み、経済成長を実現してきました。次々にマンションが建ち、個人は快適で安全な環境を得ましたが、地域社会の人のつながりはどんどん薄れた。

直近では、人々はソーシャルメディアを使い、対面不要な仮想コミュニティーを生み出しました。人間の歴史の中にない集団のつくり方です。思考や時間に応じ、出入り自由なサイバー空間で「いいね!」と言い合い、安心し合う。現実世界であまりにもコミュニティーときり話された不安を心理的に補う補償作用として、自己表現しているのかもしれません。でも、その集団は、150人の信頼空間よりおおかたは小さく、いつ雲散霧消するかわからない。若者はますます、不安になっています。

クリスマスを一人で過ごす若者の中に「一生懸命働いた自分へのご褒美」に、自分に高級レストランを予約する人もいると聞いて考え込んでしまいます。人間は他人から規定される存在です。褒められることで安心するのであって、自分で自分を褒めるという精神構造をずっと持たなかった。それがいま、少なからぬ人々の共感を呼んでいる。やはり人間関係が基礎部分から崩れていると感じます。

土地とも人とも切り離され、社会の中で個人が孤立している時代です。人類はどうやって安心を得たのか、生身の体に戻って確かめるために、霊長類学が必要とされているのでしょう。”

ここに、私たちが子どもたちに伝えなければいけないことが見えてきます。というのは、繰り返し主張しますが、このような集団を乳児の頃から持っているのが、保育施設であるからです。私たちは、集団という言葉を使うのは慎重になります。それは、集団教育が、子どもたちを間違った方向に導いてしまった経験があるからです。それもあって、「一人一人に」「個々に」という言葉が多く使われるようになりました。しかし、それが一人一人をバラバラに切り離してしまったのです。この指摘は、私はずいぶん前からしてきました。山極さんは、「思い合うことが信頼や安心をもたらしてくれる」と言います。それは、人間は、一人ではどうにも生きられない存在だからなのです。そして、最後にこう結論します。

「グローバル化で社会が均一化すると、逆に人々の価値観は多様化する方向へ向かいます。個人が複数の価値観を備え、自分が属する複数の集団でそれぞれのアイデンティティーを持つようになります。そうした時代には、5感をフル出動させた人間関係のつくり方がさらに重要になるでしょう。」』

今回の10の姿の項目の1つである、「社会生活との関わり」と重なる部分があると思います。現代社会の在り方を改めて実感するような内容ですね。
現在、塾セミナー当日の発表に向けて、塾頭と横田先生が中心に準備を進めてくれているところです。たくさんの方にご参加いただき、一緒に学びを深められたらと思います。

これで、今回の報告を終わります。

報告者 田崎 天悠

”どよう”丑の日

7月24日の 塾報告をさせていただきます。

 

”どよう”丑の日、ウナギが食べれる日

家でウナギが出ると「きょうは土曜日なんだ」と幼少期に思っていたのを覚えています。

そして”どよう”が土曜ではなく“土用”と教えられたのはいつだったか、、、

 

もともとは江戸時代、平賀源内が夏に売れないうなぎ屋の相談に乗り

「本日 土用丑の日 鰻の日」というキャッチコピーを考えたところが始まりだとか(その前にもストーリーはあるようですが、、、)

そんな土用丑の日が近かったこともあり、また園長先生のご提案もあり

 

今日の塾メニューは鰻でした!

今日の塾メニューは鰻でした!

 

鰻っていいお値段しますよね。そして間違いなく美味い。

そんなうなぎを、こちら

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ひつまぶしでいただきました。今日はビールも出て、もう、、、感謝です!

 

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オニスラサラダもありました。

これは市販ドレッシングと森口先生が作ったオリショー(オリーブオイル+醤油)ドレッシングでおいしくいただきました。

ひつまぶし、一度の食事で三度楽しめるそうで、園長先生のレクチャーを受けつついただきました。

まずはそのまま食べます、、、美味い!

次は薬味、今回はワサビを乗せて食べました、、、合う!

そして次は出汁をかけて「ウナ茶漬け」、、、たまらん!

 

おいしい夕食をいただいた後は

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森口先生おすすめのスイーツ、その名も「PANDORA’S BOX」

マリベルのおいしいチョコレートを使った焼き菓子、食べ過ぎてしまいそうになる、まさに禁断の味でした。

 

食事がひと段落するとNHKスペシャル「人類誕生」の第3集~ホモサピエンス、ついに日本へ~を鑑賞しました。

われわれ日本人の祖先がどのようにこの列島へ上陸したのか。

その旅路は極寒の地や広大な海原を超えるといった大きな障壁がありましたが、ホモサピエンスはそれを発明の力で切り開きました。寒さに耐えうる衣服を作るための「針」や、船を作るための材木を伐るための「石斧」。人類を前進させるための大きな発明品でした。

針は動物の骨から。微妙な力加減と角度を変えて石器で打つことで細い骨の棒を打ち出し、さらに石器で削り先端を鋭利に。糸を通すための穴も石器で打ちぬいて作っていました。

斧は木を伐採する際、石を直接持つのではなく棒に括り付けて打つことで打撃力が上がるところから、これは「アルトラル」のような人間の力を倍加して作用する道具の知識がカギになっているように思いました。

これらの発明もさることながら未開の地へと足を進める勇気や協同して必要なものを作り出していくホモサピエンスの集団の力が現代を生きる自分にも遺伝子として残っていることに誇らしさを感じました。

全3集にわたって人類の祖先がどのように生き残ってきたか、またどのように進化を遂げてきたかを鑑賞することができ、現在自分たちの持つ力や子どもたちの姿を通して見える発達の力の源が垣間見えたような気がします。人類の成り立ちから保育を考える、園長先生のおっしゃっていたことを改めて考えさせられました。

報告者 松元泰志

 

 

 

男性職員としてのあり方

7月31日の臥竜塾の報告です。今回は、家族の体調不良で3人が参加できなかったこともあり、定位置に座ってみると、とてもゆったりと座れた塾でした(笑)

 

今回話した内容は先ず、塾長から田崎君に「今、目標だったり目指している事は何?」という質問から始まりました。それに対して田崎君は「目標としていることは、何年かしたら実家の園に帰ることになってしまうので、せいがに来たからには、できるだけ多くのことを学んで帰る。というのは常に考えています。保育に関しては、先輩方の動きをたくさん見るようにしています」と答えていました。

なぜそういう質問をしたか、という事は話しませんでしたがそのあとに、大阪のこども園で園長の息子が、女児に対して猥褻行為を起こしたという事件について話しました。

そういう事件が起きてしまうと、男性職員という信用がなくなってしまいかねません。もちろんせいがにはそんな職員はいませんが、意識して気を付けなければいけないという話になりました。

新宿せいがは男性の職員がとても多いですが、普段からの保護者のかたや周りの職員との信頼関係がある中で働けているという現状があります。今まで卒業していった塾生や、田崎君も含め現在いる将来実家の園に戻る先生に対して、戻ったときに男性職員が少なくなる。というのを心配しているようでした。

他の話題としては、保育環境研究所の運営状況などの話をしました。

 

今回は西村君の誕生日当日という事で、いつも通りにはなってしまっていますが、サプライズケーキでお祝いをしました。ケーキは西村君の好きなトップスのチーズケーキと、チーズの苦手な松元君と今回は人数が少ないのでチョコレートケーキをハーフサイズで買ってくるように田崎君にお願いをして買って来てくれました。

タイミングよく西村君がトイレに入ったのでその瞬間にケーキの準備をし始めたのですが、いざケーキを出して見ると、なぜかハーフサイズでお願いしたチョコレートケーキが丸々一本。さらにロウソクがないという田崎君らしいハプニング(笑)時間もないので塾長に何かないかと相談したところ、素敵なアロマキャンドルを出してくれたのでそれで代用しました(笑)準備ができた頃にちょうど西村君が戻って来たと思ったら・・・。

「ハッピバースデー トゥ ミ~♪」と歌いその手には、ロウソクが飾られたトップスのミニパフェ!自分の誕生日を利用したドッキリをやってくれました(笑)

みんなでチーズケーキとチョコレートを食べ、さらに西村君は自分で用意したミニパフェも食べました。

 

そして今回のメニューは薬味やトッピングがたくさんの素麺とだし巻き卵でした。とても美味しかったのですが今回の反省としては、一人200g(乾麺)の素麺は多すぎるということがわかりました(笑)   (報告者 柿崎)

三人前の素麺

三人前の素麺

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西村君へのサプライズケーキ

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ハッピバースデイトゥミ~♪

イゾラドとノモレ

7月17日の塾報告をさせていただきます。

まずは今回のメニュー紹介。最近日中が36℃を超える日も出てきましたね。ということで体温を下げる効果のある茄子を食べようと思い、麻婆茄子にしました。それをごはんの上にかけて麻婆茄子丼に!プラス、鶏がらの中華スープ、 サラダとして、レタスと玉ねぎの塩昆布和えです。どれもおいしくいただきました。

 

ボールいっぱいの茄子

ボールいっぱいの茄子

フライ返し!

フライ返し!

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準備はみんなで手分けして

準備はみんなで手分けして

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ごはんを食べながら最初は西村先生が学校で気づいた話をしました。西村先生が通うゼミではなんでもヲタク(アニメがとても好きな人)が多くいるらしく、アニメグッズの集め方が男性と女性で違うということでした。例えば、9種類のガチャガチャがあるとして、男性では「9種類すべてコンプリートしたい」という思いが強い。これはなんだかわかるような気がします。自分も好きで集めるのであれば、「どうせならコンプリートしたいな」と思います。対して女性は好きなキャラだけいっぱい欲しいという傾向らしいです。確かに新宿や秋葉原に行くとバックに同じキャラクターの缶バッチや人形をバックに大量に着けている人がたくさんいる気がします。結果、男性ヲタクより、女性ヲタクの方がコレクションにかけるお金は多いそうで、アニメ業界、グッズ関係でもそういった女性をターゲットにしたマーケティングが進んで来ており、変わってきているそうです。

男性と女性でこんな違いもあるんだなと思い、とても面白いなと感じました。

ごはんが終わると、食器を片付けます。食器を洗い終え、さあ後半戦!と部屋に戻ると、電気がパチッと消え、「ハッピーバースデー トゥ ユー♪」とケーキとともに歌が。自分で報告するのも恥ずかしいですが、自分の誕生日を祝っていただきました。こうやってお祝いしていただけるのは本当にうれしいことだなと思います。ありがとうございます。ケーキのプレートには「よこた」の3文字だけ!シンプルすぎてちょっと笑ってしまいました。塾頭から「今日の報告は横田だろ?」ということで写真は自撮りでパシャリ。

 

自撮りですw

自撮りですw

ケーキを食べた後は、西村先生が学校で教わった「イゾラド」の話へ。

テレビをつけて、

NHKスペシャル「イゾラド」と呼ばれる人々 ―最後のイゾラド 森の果て 未知の人々―

を鑑賞しました。これを見るにあたって、人と人のコミュニケーションについて考えほしいと西村先生は言っていました。

イゾラドとは、文明社会と接触したことのない人たちのことで、「隔絶された人々」という意味です。アマゾン源流域、ブラジルとペルーの国境地帯に部族名も言語も人数もわからない先住民(イゾラド)が目撃されているそうです。

イゾラドの映像

イゾラドの映像

「この森の奥には人間などだれもいない、と信じられてきました」というナレーションがながれ、話は森の奥にある小さな村にイゾラドが現れた、というところから始まりました。イゾラドは弓や槍などの武器を手にしていました。村の人たちはどうにかしようと思い、言葉をかけたり、服を脱いだり、献上の品(バナナ)を送ったりして「自分らは敵ではないです」という意思表示を行っていました。言葉は普段使っているものは通じず、集落の先住民の人たちが使っているものだけが反応があったそうです。イゾラドは動物の真似をしたり、バナナのお礼に、30cほどの短剣を献上してくれました。

こうしてしばらく、バナナを送り、少しの会話する村の人たちとイゾラドの奇妙な関係は続いたそうです。しかし、突然その関係は終わりました。イゾラドによる村の襲撃です。村の人たちは船で逃げたそうですが、家畜やペットはすべて殺され、家は見るも無残に荒らされていました。後日、調査団が森に入ると、カエルの死体がつるされていたそうです。「これ以上森に入るな!」という先住民に伝わる拒絶の意思表示。

バナナをおくり、言葉を交わし、友好な関係が築き始めていると思っていたのですが、どうしてなのかなと思いました。

もし、自分が同じ立場ならどうコミュニケーションをとったのだろうと思うと考えもつかないです。おそらくおびえて隠れていたのかもしれません。

 

また別の場所では、イゾラドによって殺された青年がいました。弓矢で心臓を一突きされたあとが生生しく映っていました。その集落の人たちはイゾラドに対する復讐の念がすごかったです。報復しかないと語っていました。

 

また別の所では家族で行動するイゾラドがいました。そこでも、調査団はバナナを送ったり、言葉を交わしたりしていました。「ノモレ」(友達だよ)という言葉がよくでてきました。

「この人はなにもしないよね?」や「子どもに手をだすな」と調査団を警戒する言葉が多く出ていましたがしばらくすると、「おなかに赤ちゃんがいるんだ」と家族紹介?するような言葉も出ていました。

調査団の人が、バナナを送る平和な会だからと取材班の同行を許可しました(取材班は一人だけの同行)。「ノモレ」という単語だけを教えられイゾラドのところに行きました。言われた通り、イゾラドに何を言われても「ノモレ」と返す取材班。イゾラドも取材班の人に対しすごく警戒していた様子でした。「服を脱げ!」「お前を誰だ?」などの言葉が出ていました。取材班の人はさぞ怖かったでしょうね。最終的にバナナを渡し数十分に交流は終了しました。

そしてまた突然イゾラドは姿を消してしまいましたというところで映像は終わりました。

 

塾長「こういう部族で恐ろしいのは感染症だ。抵抗がないため、感染してしまうと全滅することもある。だから、容易に他の者との接触ができない。イゾラドもそうではないか。

またコミュニケーションの基本は笑顔である。映像でみたイゾラドは笑っていない。」と話してくださいました。また「仲良くなるために食料を渡すのは、相手からしたら、食べ物をくれるから仲良くなりたい。食べ物をくれないのならメリットがないということになる。原住民はほっとけばいいのに」とも。

ヒトとのコミュニケーションを考えるということでイゾラドの映像を見ましたが、すごく考えさせるような内容でした。

 

最後にみんなでかかき氷を食べて今回の塾は終わりました。

かき氷を作ってくださっている塾長。

かき氷を作ってくださっている塾長。

ガムシロップと練乳をかけていただきました

ガムシロップと練乳をかけていただきました

コーヒーをかけるとかき氷の味がグンとおいしく!!

コーヒーをかけるとかき氷の味がグンとおいしく!!

報告者 横田龍樹

北京講演

 

7月10日の塾報告をさせて頂きます。

まずはじめに、今回のメニュー紹介です。
回鍋肉、ごはん、卵スープです。

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手際よく、準備も終わり、今回の話題は先日の北京講演の話です。塾長と森口先生と、カグヤの野見山さんが一緒に行かれたそうです。
写真を見せながら、報告をしてくれたのですが、
講演会場や、北京の街並みや食べ物には驚かされました。

まず、
北京に着く前までずっと雨だったのに、着いてからは晴れが続いたそうです。
そして、日本に帰ってくると北京が雨だったようで、塾長の晴れ男の力には驚いてしまいます(笑)

昼頃着いて、夜には北京の街を散歩したそうです。中華街を歩いていくと、サソリ、サナギ、ヘビ、ムカデ、ヒトデも店舗に並んでいたそうです。

ヘビです

ヘビです

サソリ

サソリ

写真を見たのですが、サソリの串は、サソリがまだ動いていて目の前で揚げてくれるそうです。中国では、なんでも食べると聞いたことがありますが、本当なんだなと思いました。

次の日は、万里の長城に行こうということで、ロープウェイに乗ったそうです。

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万里の長城

万里の長城

写真を見ただけでも規模の大きさにびっくりしたのですが、話を聞くとその全長が3000㎞だそうです。日本の端から端までがおよそ3000㎞なので同じくらいの距離ですね。ちょっと気になったので、調べてみると総距離が12,000㎞あるみたいです…
建設には、1800年かかっているそうで、世界で最大の建造期間です。
ちなみに2番目がドイツのケルン大聖堂で、630年です。

万里の長城は、観光できる部分が決まっているそうで、とても人が多かったそうです。
そして意外と危険もあるようで、命を落とす人も年に数名いるそうです。
そして、宇宙船から唯一見える、建築物とも言われているそうですが、実際には望遠鏡を使わないと見えなかったりとか…

他にも、観光をしたそうですが移動距離があり、ほんとに中国の規模の違いにびっくりしてしまいます。
北京の故宮博物館というところにも行かれたそうで、そこには、
塾長の講演の後に、講演する人が足立区の保育園の園長先生だったそうで、一緒に回ったそうです。その方は、塾長よりも3つ上の方で、自分の還暦祝いに自分でタクラマカン砂漠を5日間かけて、3000㎞バイクで走ったそうです。そんなワイルドな方の保育園はどんな保育園なのでしょうね。気になります(笑)
中国でそんな素敵な出会いがあったことも素晴らしいことだと思います。

故宮博物館

故宮博物館

とにかく人が多く、目の前に美術館もあったそうですが、500メートルくらいの列ができていたらしいです。

塾長たちも、昼食をとるのに1時間待ったそうです…

天安門

天安門

夕方になるとライトアップされるそうで、とても綺麗でした。

塾長の今回の講演内容は、「AI時代の子どもがどんな力を付けたらよいか」という内容を、
講演されたそうです。大勢の方々が、聞いていたのですが、通路にまで座って聞いたり所々で中国らしさを感じる場面がありました。
講演後には、写真対応やサイン対応に30分~1時間もの時間がかかったそうです。

講演の様子

講演の様子

講演を聞く中国の方々

講演を聞く中国の方々

サイン対応

サイン対応

最後に、サソリを食べる動画を見せてくれたのですが、中国の方々が普通に食べていたので、塾長と森口先生も食べてみることにしたそうです。
生きているサソリをそのまま、目の前で揚げてくれるそうで・・・
食べた感想は、イナゴのような、エビせんのような感じだそうです。

お土産として、「論語」が書かれている竹簡『金陵竹刻』を塾長からいただきました。

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そして、今回の旅の中でスターバックスに立ち寄ったそうで、
森口先生が、「アイスコーヒー プリーズ」と伝え、「英語が分からないから、分かる人を連れてきます」とのことで、奥から出てきた人にも「アイスコーヒー プリーズ」と伝えたそうですが、それでも、塾長のピーチティーしか出てこず・・・
店員に「セイム?」と聞かれ、
「ノー セイム!! アイスコーヒー プリーズ」と答え、やっと出てきたのがピーチティーだったそうです(笑)
中国では、本当に簡単な英語でもわからないことがあるらしく、旅行に行く際には、気を付けたいなと思います。

そしてこの日、塾頭の誕生日をお祝いしました!!

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塾頭、おめでとうございます!!

報告者 田崎天悠

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6月27日の塾報告をしたいと思います。
一週間遅れで申し訳ありません。
今回はドイツから帰ってきて初めての塾ということで森口氏からドイツ報告を受けることができました。
その報告の前に…
ドイツからのお土産を塾生それぞれいただきました。
ドイツの制汗スプレー (めっちゃいい匂いします)

ドイツの制汗スプレー
(めっちゃいい匂いします)

石鹸 (お家でヘビーローテーションしてます)

石鹸
(お家でヘビーローテーションしてます。これもいい匂いします)

お土産ではありませんが、森口氏がドイツで買った水筒です…。(現在毎日水を入れて子ども園に持って来ています)

お土産ではありませんが、森口氏がドイツで買った水筒(スタバの)です…。(現在毎日水を入れて子ども園に持って来ています)日本でも買える?

では報告に移りたいと思います。
今回のドイツ研修ではあるテーマが設けられていました。
それは3つあります。
「オープン保育」
「子どもの参画」
「小さな科学者」
だったようです。
(ちなみにブログの題名は読みは正しくないかもしれませんが、
ドイツ語で「参画」という意味です…
ややこしい題名ですいません。)
いくつかの園を森口氏が報告してくれましたが、それぞれの園の報告の内容の濃さに「まだ2園目!?」と驚くくらいそれぞれの特徴が見られました。
その中で、印象に残っている取り組みの部分を箇条書きで少しピックアップしていきたいと思います。

 

・朝のお集まりでテーマを決めて会をする

子どもの興味を拾い、それがテーマとなる。
見学した時は蝶々がテーマになっていた。
朝の会のみプロジェクト保育を行い、それ以外は行っていない。
これも一つの子どもの参画になるのではという感想でした。
・45分寝ない子は本を読んでもらう
長い本を読んでドイツ語に強くなるために読んでいる。
時にはテストのように子どもに質問をしている。
・片付けない子には…
遊びの途中でもおもちゃをそのままにして一旦お集まりに全員集合する。
全員でお片づけに向かう。その中で片付けない子がいたら、子どもたちで集まり、どうするかをみんなで話し合う。
話し合った結果、その子だけだ片付けることになる。
子どもたちで決めたことに従うことで、次から片付けなくなっていく。
・顔に絵を描く
絵が苦手な子は顔に絵を描くことで導入にし、絵を好きになってもらう。
・科学はしっかりと手順を教えていた。
科学は希望者のみ、6人くらいの人数で行っていた。
・0歳から3歳でオープン保育をしているため愛着という概念はない
慣らし保育は6週間から8週間と長めに設定してある。
それは親のためでもあるという。
0歳から子どもが先生を決める。
・0歳から3歳の園でもでキーボードが環境に用意されている
・オープン保育
100人でお集まり。
自分がどこの部屋にいるかの掲示をしている。
オープン保育の強みとして様々な特徴を持った部屋に特化できること。
「文字に特化した部屋」「科学に特化した部屋」etc…
・オープン保育のイメージ
ドイツ環境では壁がないイメージだがそれは逆でしっかりと区切られてる。ゾーンがしっかりとある。
しかし、近い将来新宿せいが子ども園のようにオープンの中でゾーンを設けるようになるのではと予想される。
・保護者の参画もある
園庭を一緒に作るなど、一緒に参画している。
・学童も参画を大事にしている
子どものやりたいことを実現する関わり。
環境地してブロックの片付けは2週間に一回。
ずっとサッカーができるがその代わり宿題はしっかりやるというのが条件として設けられている。

 

ザッと挙げたものだけでもまだ前半の前半分くらいではないかと思います。

おわかり頂けるだろうかこの情報量を…
実は細かい部分でまだまだありましたが割愛しています。
しかし嬉しい情報量ですね。
ドイツに行くとお頭がパンクするのではないかと思うほどですね。
それを整理するのも楽しみの一つかもしれないですね。

 

最終的にはこんな姿勢になれている森口氏。
IMG_7437

パソコンを見つめています。

内容は本当に面白いものでした。
毎年ドイツ報告を受けると何かしら実践をしてみたくなるのがいい刺激だなと思います。

 

このドイツ報告は藤森先生の臥竜塾ブログでいくつも報告されています。

そちらでより良い学びを一緒にしていけたらと思います。
「ありがとうございました、また来るね、バイバーイ!」
あ、子どもたちの決まり文句でした。
塩豚丼、春キャベツ(ギリギリ春ということで)、揚げとワカメの味噌汁 松屋をイメージしています…

塩豚丼、春キャベツ(ギリギリ春ということで)、揚げとワカメの味噌汁
松屋をイメージしています…

報告者 本多悠里

新しい命へ

雨の香りの臥竜塾。先ずは夕ご飯の準備から。

ネギを切る横田先生。

ネギを切る横田先生。

普段は自炊をしないとのことで、大切な機会ですね。

西村先生は味噌をときます。

西村先生は味噌をときます。

柿崎先生は相変わらず見事な手さばき。

柿崎先生は相変わらず見事な手さばき。

松元先生は包装を外します。

松元先生は包装を外します。

見事な手さばきです。

森口先生と田崎先生は食器の準備と打ち合わせ。

森口先生と田崎先生は食器の準備と打ち合わせ。

こういった機会があることが有難いですね。

そして完成です。

森口先生の大好物「焼肉のタレ」で味付けされた焼肉丼

森口先生の大好物「焼肉のタレ」で味付けされた焼肉丼

海苔香るチョレギサラダ

海苔香るチョレギサラダ

わかめと麩の味噌汁

わかめと麩の味噌汁

塾長が講演先でいただいた茨城県稲敷市特産「江戸崎かぼちゃ」

塾長が講演先でいただいた茨城県稲敷市特産「江戸崎かぼちゃ」

「江戸崎かぼちゃ」

栗のようなホクホクとした甘みでとても美味しいかぼちゃでした。

そして、塾長の奥様から枝豆もいただきました。いつも本当にありがとうございます。

さて、今回なぜ森口先生の好物メニューになったかというと、

おめでとうございます。5月30日、晴れてパパに。

おめでとうございます。5月30日、晴れてパパに。

最高ですね。今日はそんな森口先生のお子さん誕生報告から。

奥様出産日当日の朝、駆けつける電車の中で緊張からか森口先生のお腹が痛くなる事態に。奥様との共鳴のような痛みに耐えながら急ぎ向かう大江戸線内で無事安産の報告を受けたとのことでした。生まれた瞬間は「とにかく安心した」と森口先生。地元島根へ安着し、初対面はガラス越しだったそうですがそのあまりの可愛さに大感動。自分の子どもの顔を待ち受け画面にする人の気持ちが初めてわかったと力説していました。

塾長も当時を懐古され、むしろ自分が父親になった時よりも、御子息が父親になった姿を見た時にとても感動されたというエピソードと、その時隣にいた作業着姿の男性が保育器の中にいる子を長い時間じーっと見つめていた姿を見て、その姿に感動されたエピソードを聞かせていただきました。

とても想像できます。仕事中だったのか、仕事が終わって駆けつけたのか、作業着姿の男性が目に浮かぶようで、出産、子を授かること、そして親になることは何と掛け替えのないことなのでしょうね。

森口先生、本当におめでとうございます。

さて、食べ終えた食器、洗い物を森口先生にお願いし、

テーブル下に隠されたケーキ

テーブル下に隠されたケーキ

サプライズの始まりです。

森口先生が座った瞬間暗転

森口先生が座った瞬間暗転

「ハッピバースデートゥーユー、」

「ハッピバースデートゥーユー、」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

「消しますね。」

「消しますね。」

西村先生流石

西村先生流石

冗談です

冗談です

本当はこちらで、

本当はこちらで、

そしてこちらです。

そしてこちらです。

再び

再び

本当におめでとうございます

本当におめでとうございます

チョコレートケーキは皆で等分し、森口先生には大好物のモンブランでした。

 

話題は柿崎先生の出張報告へ。

6/1(金)、GT北関東(茨城、群馬、栃木)が茨城県稲敷市で開催されました。

会場は「認定こども園つばさ」建て直されて1年目の園で、通された理事長室の広さは驚く程だったとのことです。

講演内容はシンガポール講演でも話された「見守る保育10か条について」そして「昨今の保育指針改定について」。その夜は懇親会もあり、若林先生も参加されました。次の日は、保護者と職員の方々を対象とした講演を行い、その後はお昼を食べながら質問タイムといったスケジュールで行なわれました。

その際に利用された宿泊施設の話題になり、そこは小さなテレビが一つあるだけのトイレも洗面所もない8畳1間、全てが共同、冷蔵庫も共同、トイレは廊下の一番奥、洗面所はその反対側一番奥、夜中廊下に一つポツンとあった自販機から飲み物を取り出す音がして初めて他の宿泊客がいることを確認できたといった柿崎先生史上トップ3に入る様相であったようです。

しかしながら朝食にと通された食堂には壁中に芸能人のサインが貼られていたようで、なるほどロケ地等で利用されることが多いのでしょうね。先日から臥竜塾ブログ上海報告があげられていますが、出張にはドラマが待ち受けているようです。

 

最後は塾長の奥様が切り抜いて下さった新聞の記事から。

日本苦戦、100位内に4校 大学「論文の生産性」 アジア勢と差拡大 2018/6/4付 日本経済新聞 朝刊

「日本経済新聞などの調査からは、日本の大学が研究力で苦戦している姿が浮かび上がる。2012~16年の「論文の生産性」で100位以内に入っているのは、東京大学、京都大学、東北大学、東京工業大学の4大学のみ。強みのある戦略分野を明確にして競争主義を徹底するアジアの大学の背中が遠くなっている。」

記事によると、

1位 南洋理工大学 シンガポール

2位 香港城市大学 中国

3位 オールボー大学 デンマーク

4位 カルフォルニア大学 アメリカ

5位 デルフト工科大学 オランダ

そして日本は、

94位 東京大学

98位 京都大学

99位 東北大学

100位 東京工業大学

「日本が置いていかれそうだね。」と塾長。

新しい命が誕生し、その子が大きくなる時にどんな日本になっているのでしょうか。

見守る保育藤森メソッドが成すべき課題の大きさを目の当たりにするようなこの度の塾でした。

(報告者 加藤恭平)

NHKスペシャル『人類誕生』2回目

今回は、NHKスペシャル『人類誕生』の2回目を鑑賞しました。

人類誕生の地アフリカから、世界へと旅立ったホモ・サピエンス。その前に立ちはだかったのが、ヨーロッパに君臨していたネアンデルタール人でした。両者は1万年に渡って同じ土地で暮らし、ライバルとして地球の覇者を争ったそうです。(実際にホモ・サピエンスとネアンデルタール人の間で争いはなかったとされています)

ところが、屈強な体と高い知性を持つハンターだったネアンデルタール人はなぜか忽然と姿を消し、私たちの祖先であるホモ・サピエンスだけが生き残りました。もし、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが1対1で戦えば、間違いなくネアンデルタール人が勝つでしょう。しかし、ネアンデルタール人は敗北していったのです。それは、人類進化における最大のミステリーとされています。

その謎を見ていきましょう!

700万年前、最初の人類が誕生して以来、様々な枝分かれを繰り返し、20種類ほどの人類が生まれては絶滅しました。そして、最後に現れたのが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス。ネアンデルタール人は主にヨーロッパで進化し、その後アフリカで誕生したのが、ホモ・サピエンスでした。つまり、ネアンデルタール人と私達ホモ・サピエンスは同じ祖先から全く別の場所で進化した、遠い親戚のような関係でした。また、同時代に地球上に住んでいた、最大のライバルでもありました。では、この2種類どんな出会いだったのでしょうか。

文明の交差点、中東エルサレム、ここで両者は出会ったとされています。現在も3つの宗教の聖地とされるエルサレムは世界中の人が集います。何か縁を感じますね。きっかけとなったのは、イスラエル北部にあるマノット洞窟での発見です。5万5000年前にホモ・サピエンスが暮らしていた痕跡が見つかったのです。実はこの遺跡から、わずか40kmの距離にネアンデルタール人が住んでいた跡も見つかっています。これまで、この時代にはサピエンスとネアンデルタール人は遠く離れて暮らしていたと考えられていました。ところが、日常的に顔を合わせてもおかしくない、とても近くで暮らしていたことがわかりました。

では、ネアンデルタール人とはどんな人類だったのでしょうか。まず、ネアンデルタール人の知能が見直されています。それは、発掘された遺跡や頭蓋骨からわかります。ネアンデルタール人の頭蓋骨はホモ・サピエンスより明らかに大きく、10%も大きい脳を持っていたことが明らかになっています。また、言葉を話すのに欠かせない舌骨や耳小骨などを詳細に調べた結果、喋る能力があった可能性も判明。さらに、ペンダントやブレスレットを身につけていたり、文化的な行動を行っていたことも分かってきました。動物の皮を加工し、身につけていた証拠も。従来、体は頑丈でも、言葉を持たず知能は低いと考えられていたネアンデルタール人ですが、本当は屈強な体に高い知能を併せ持つ人類だったのです。私たちが賢く優秀だったから生き残ってきたと考えられていましたが、それは大きな間違いだったのです。

次は、お互いにどんな暮らしをしていたのか、みていきましょう。まず、ネアンデルタール人が繁栄したのは氷期のヨーロッパで、冬の気温はマイナス30℃まで下がり、食料は乏しい時代でした。この厳しい環境を生き抜くために、独特の狩猟方法を編み出します。それは、骨の化石に残されている無数の傷跡から分かるそうです。骨に残された傷は、ネアンデルタール人の狩りが肉弾戦だった証拠で、彼らはとてもチカラが強く、接近戦で狩りをしていたのです。しかし、かなり命がけの狩りだったことでしょう。その一方で、私たちの祖先のサピエンスは、ネアンデルタール人に比べると、全身の骨は細く、力が弱かったため、全然違う方法で狩りをしていました。勇猛果敢に大型動物に挑む強い力はなかったため、小型動物を狩りし、何とか命を繋いできたのです。

しかし、ウサギのような小型動物を追っていた時代から数千年経った4万3000年前、サピエンスの狩りは様変わりしていました。このとき、道具の革命が起き、大きな動物を何匹も捕まえるようにまで、進化していたのです。その際に使用していた道具が、「アトラトル」と呼ばれるもので、サピエンスの暮らしを根底から変えました。アトラトルとは、槍を遠くまで飛ばすことのできる道具で、テコの原理を用いて、腕だけで投げる距離の2倍以上の距離投げることができます。これだと、近距離でなくても狩りが可能になり、サピエンスは弱点を補うことに成功したのです。(以前日本テレビの「世界の果てまでイッテQ」という番組でお笑い芸人のみやぞんさんが、このアトラトルを使用する回を観たことがあります。興味のある方は、そちらもご覧ください)また、画期的な道具は、アトラトルだけではなく、サピエンスは石器など様々な道具を革新させていったのです。それに比べると。ネアンデルタール人の道具は、25万年もの間、ほとんど変化がありませんでした。この違いは、両者の遺跡を比べることで分かります。

まず、サピエンスが暮らしていたフランス西部のカスタネ岩陰遺跡を見てみます。かつて、崖の下には500平方メートルの広大な空間が広がり、石器や人骨の数から、多いときには150人ほどが一緒に暮らしていたことが分かるそうです。その一方で、ネアンデルタール人の住んでいたとされる、スペイン北部のエル・シドロン洞窟を見てみると、出土した骨などから推測し、13人で生活していたことが分かるそうです。彼らの集団は多くても20人ほどで、さらに全員が血縁関係にあり、家族単位の小さな集団で生活していたことが分かります。この集団の大きさの違いが、道具の革新の差に繋がったと考える研究者が、イギリスのオックスフォード大学にいらっしゃいます。そう、ロビン・ダンバー博士です。

例えば、アインシュタインが何かを発見したとき、集団が大きければ、多くの人がそれを使えます。でも、ネアンデルタール人は新たな発見をしても、多くの人に広めることができなかったのです。画期的な道具が生まれても、ネアンデルタール人の家族単位の暮らしでは広がりません。一方、サピエンスのように大きな集団では、多くの人に広がり、改良も進んでいくのです。アトラトルという画期的な武器を手にしたサピエンス、その背景には集団での情報共有があったとされているのです。

サピエンスは集団生活によって、やがてネアンデルタール人との運命を逆転していくことになります。モスクワの東200km、ウラジミールに残る3万5000年前のスンギール遺跡があります。この頃、サピエンスの集団は、さらに大きくなり、ここには400人にのぼる非常に大きな集団で生活をしていました。それは、血縁を超えた、もはや社会と呼べるものでした。なぜ、これほどに集団が大きくなったのでしょうか。その謎には、私が今勉強している「宗教」というものが大きく関わってきます。遺跡から、マンモスの牙でできた指輪やホッキョクギツネの歯で作られた頭飾りなどが発掘されるのですが、これらは全て死者のための埋葬品だったのです。つまり、この頃から「死後の世界」に思いを馳せ、原始的な宗教のようなものが生まれていたと推測されるのです。原子の宗教の痕跡は、このころのサピエンスの遺跡から相次いで見つかっています。フランスのショーヴェ洞窟では、洞窟壁画がたくさん描かれています。その中には、上半身は動物で下半身は人間のような絵や、ライオンマンと呼ばれる、顔がライオンで体は人間のように現実にはない不思議な生き物が多く描かれています。一説には、儀式を執り行うシャーマンの姿だと言われています。

この宗教こそが、人々を結びつけ、巨大な社会を生み出す原動力になったと言われています。先ほど出てきた、ダンバー博士も、宗教が人々の間に強い絆を生み出し、人類は宗教を使って非常に大きな社会を作っていったと言います。闇に包まれた洞窟の奥には、神秘的な世界が広がり、そこで人々は共に歌い踊り、儀式を行うことで繋がりを深めたと考えられています。このように同じものを信じることで生まれた強い連帯感で、強固な集団の力となり、それはその後のサピエンスを救うことになります。

ヨーロッパを襲ったハインリッヒイベントと呼ばれる気候変動が起こります。当時北アメリカを覆っていた巨大な氷の塊が海へと崩落し、その影響で海流が変わり、ヨーロッパの気温が急激に乱高下を繰り返したのです。極端な暑さと寒さが、ときには10年単位で入れ変わり、森は消え生き物も激減しました。サピエンスはこのおきな危機をどう乗り越えたのでしょう。その鍵となったのは、集団同士の交流でした。宗教は何千キロも離れた人々を結びつけ、数千人の社会が誕生します。例えば、食料が全く足りなくなったときも、宗教で結ばれた遠く離れた仲間同士が、互いに助け合って、この危機を乗り切ったのです。こうして、気候変動を生き延びたサピエンスは、ヨーロッパでの勢力を拡大する中、ネアンデルタール人の生息域は徐々に狭まっていきました。

小さな家族単位の集団だったネアンデルタール人は、仲間の助けを受けることなく孤立し、わずかに残った森で数少ない獲物に頼るしかありませんでした。また、その肉弾戦の狩りは常に死と隣り合わせで、狩りで命を落とす者も多く、ほとんどが30代までに亡くなったと推測されます。さらに、彼らは体が大きく大量のエネルギーを必要としていました。それは長い時間をかけて氷期に適応した体になっていたのです。しかし、それが結果的に仇となってしまいました。ホモ・サピエンスが大きな社会を築き始めていた頃、ネアンデルタール人はヨーロッパの南端、イギリス領ジブラルタルのゴーラム洞窟で最後のときを迎えたされています。彼らが、最後の日々に何を感じ、世界をどう見ていたかを知ることはできません。しかし、彼らにも私たちと同じように悲しみや怒りといった感情は持っていたはずです。おそらく最後の1人はとてつもない孤独を感じていたでしょう。絶滅の淵に追い込まれたネアンデルタール人が残した不思議なものが4年前見つかりました。ハッシュタグ(#)と呼ばれる、繰り返し石を削って刻まれたものです。なぜ、このようなものが描かれたのかわかりませんが、もしかしたら、一族が生きた証を残そうとしたのかもしれません。こうしてこの地球上には、私たちホモ・サピエンスだけが生き残ることになったのです。

これまで、ライバルという表現をしてきましたが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが、直接戦ったり、殺し合いをしたことはなかったと言います。人類最初の戦争は、サピエンス同士で起こったとされています。生活が違ったからこそ、ネアンデルタールとサピエンスは戦うことはなかったそうです。宗教で集団の結びつきが強まった反面、争いも始まったのです。集団の力は、諸刃の剣だということが分かります。

そして、ここまでネアンデルタール人が絶滅した背景を見てきましたが、実はそのDNAが私たち現代人の中に受け継がれてきていることが最近分かったのです。ネアンデルタール人の骨からDNAを採取・復元し、世界各地の人々と比べたところ、アジアやヨーロッパの人々に約2%、ネアンデルタール人のDNAがあることが分かりました。最先端の技術すごいですね。一方で、アフリカのサハラ砂漠以南の人には、ほとんどありませんでした。この理由として、最初に書いたサピエンスとネアンデルタール人が出会ったのがエルサレムということが挙げられます。アフリカを出たサピエンスはエルサレムでネアンデルタール人と出会い、交配をしましたが、アフリカに残ったサピエンスは、ネアンデルタール人に出会うことなかったので、混血もなかったと考えられています。

ホモ・サピエンスに刻まれたネアンデルタール人の遺伝子は、私たちにポジティブな影響を与えてくれました。例えば、アフリカにはなかったウイルスに対する免疫遺伝子などです。私たち人類は、異なる人々と交わり様々な遺伝子を受け取って生きてきたのです。そしてその事実は私たちとネアンデルタール人がとても近しい存在だったことを意味しているのです。もし彼らが今も生き残っていたら、きっと共に生きることができただろうと言われています。

個人的には、人々を結びつけた宗教や集団の力をもっと勉強したいと思いましたが、それ以上に塾長が講演で話す内容に世間が追いついてきたように感じました。次回の人類誕生は、グレートジャーニーで日本にやってきます。それも楽しみですね。

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メニューはカツカレーとオニオンサラダでした。

以上、5月29日臥竜塾報告終わります。

西村 宗玲