生誕

4月15日の塾報告をさせてもらいます。少々遅くなってしまい申し訳ありません。
 この日は我らが塾長の生誕の日でございました。毎年この日には塾生からプレゼントを贈らせてもらっています。その恒例となっているのが塾長、塾生の似顔絵です。カリカチュアという似顔絵を描いてもらえるところに依頼して描いてもらうのですがこれが毎年出来上がって来た時が楽しみで仕方ありません。早速ですが出来上がった絵がこちらです。

藤森九神将

ツッコミどころ満載に仕上がっています。もはや人間ではないような印象の塾生もいます。いやー、お腹が痛くなるほどいつもあーでもないこーでもないと塾生で大笑いをしています。
 後日塾長が歴代の絵を持ってきてくださり、それらを見返すと非常に面白くまた感慨深くになります。
 この九神将ですが本来は、
『徳川十六神将』と言って、徳川家康に仕えて江戸幕府の創業に功績を立てた16人の武士をイメージして描いてもらいました。徳川家康を藤森先生に見立ててというイメージでしょうか。森口氏の提案でして、さすがだなというところです。

 ではそんな日の塾ですが現在、東京都は緊急事態宣言が発出しておりますので3密を避けるべく、オンラインで塾を開催いたしました。様子はこういった感じです。

オンライン塾

 森口氏による塾セミナーのプレを含め、20時から2時間ほどでしょうか行われました。セミナーの件は「チーム保育」についてです。

今回オンラインで参加してくださった皆様、この場を借りて御礼申し上げます。
 
 チーム保育のプレの時はそれぞれ感想と言いますかどうだったかを言い合いをし、そして最後に藤森先生から最終的なアドバイスをいただいて完成となっています。我々、塾生は必ずと言っていいほどある程度セミナーの準備ができた時に一度先生にお見せしアドバイスをいただきます。毎度、あー、こんなところが足りなかったか、そんな視点があるのかとまだまだであることを実感しつつも学んでおります。

 この発表で大事なところが先生がプレが終わった後におっしゃっていたことになります。それが以下の3つのポイントになります。
1、子どもの多様性を認める
子ども主体、子どもの多様性を支えるために大人がそれを援助する、一斉画一から個を大事にする保育へ。

2、保育者の多様性を認める
それぞれを生かす、先生たちがそれぞれの多様性を持っていることを生かす、あなたはあなたのままでいいよ。

3、複数の目で支える
一つの先生に価値観から見るのではなく、色んな複数の価値観から子どもを支える。

これがいったりきたりしていたからこうして項目に分けた方が見やすかもしれないねということ。

番外編で先生からの助言として
・自分の能力に気づく(自分は一体どういうタイプなのか、どういう人間なのか、そんなことに気付けるのがチーム保育)

・リスクを減少する、みんなでやることで一人だけの責任にならないことで心理的安全性へと繋がっていく。

・元々人類が男女を作ったのも多様性と言われている。男女がいないと滅びてしまうとも言われている。簡単にいうと一番の最小単位のチーム保育が男女である。そういう意味で保育者も男女がいるという意味がある。

・同じチームでもサッカー型と野球型とテニス型があるということ。

 そして、森口氏による、『信頼関係』『思いやり』といった部分も非常にチーム保育をする上で大前提に置くべき事項であると私自身強く思うところであります。

塾のプレではこういったことが挙げられ、それを踏まえた森口氏による塾セミナーでありました。

次回は加藤氏による、より実践的な内容になっていくのではないでしょうか。

 森口氏によるとこういったオンラインでやることのメリット、デメリットとしてオーディエンスがいないことで反応がない難しさをオンラインでは感じるようです。先生や森口氏はオーディエンスの反応で話すことを変えていくそうです。そんな領域まで達しておられることがすごいことです。反応が良ければその話をもう少し続けたりしているそうです。これは本当にすごことです。私の勝手な想像ですが、お笑いで笑をとれているのに反応がない為すべってしまっているのかなという感覚に近いのかなと…違いますね。

報告者 本多悠里

zoom臥竜塾

春の香りの臥竜塾。

今回はそれぞれの自宅から

外部塾生の面々も参加し、賑やかな回となりました。

森口先生からの提案、「塾長に今聞きたいことを質問してみよう!」

先ずは横田先生

「小学校の先生に何でなろうとしたのですか」

なろうと思って、なったわけではない。一同笑い

その時は建築家になろうと思っていた。学校建築を設計するには実際に教員をやってみなきゃわからないと思って、やってみた。

それについて森口先生、「チーム保育や異年齢保育についても通じるものがありますね。それをやろうと思ってやってるんじゃなくて、子どもの主体性、子どもを第一に考えた時にそういう保育になった、ということで、塾長の一貫した考えた方を知る思いがする」

方法が目的になってはいけない、という塾長の話が思い出されます。

質問は続いていきます。

(報告 加藤)

勉強の意義

遅くなりましたが、3月18日の臥竜塾の報告をします。

卒園式も終え、移行の週に入りました!

コロナで振り回される日々が続いてますが、全国的にも、小中高は自治体によりけりだとは思いますが、臨時休校が続いていますね、そのなかでも保育園、学童は別。ニュースでも休校する事で感染リスクがなくなるが学童保育に集まる人も多くなる事で感染拡大抑制になっているのかというような疑問がメディアでも多々取り上げられている今日この頃です。

私自身も正直うん?と思うとこもありました(笑)保育園は社会インフラだから仕方ないのかな?など、ちょっとまてよ学校もそうではないかみたいなことも思いつつ、保育園の社会的使命ですね(笑)

そんなこんなでも無事、新宿せいがこども園も卒園式を迎える事が出来た事に私自身嬉しく思いました。

保護者の方にも、この大変な時期に卒園式をしてくれた事に、園への感謝の言葉も頂きました。卒園式後の祝う会でも、渡部先生が作って頂きましたくれたオリジナルソングに涙を流して聞き入っていた保護者をみると私もグっとくるとこがありました。せいがバンド最高でした!!ありがとうございます。そしてメンバーの先生方おつかれさまでした。

前置き長くなりました。さて3/18日の塾報告させてもらいます。今日のメニューはマグロの漬け丼でした。個人的に用事がなって遅くの合流になり、作っている先生方の写真があまりない事、ご了承ください。

ひたひたにしみ込むマグロ君 
職人技のように、うすくマグロをさばく柿崎先生

今日は、世界文化社の宮城さんも参加されました。

貫禄ある宮城さん!

さて、塾の内容ですが、宮城さんの大学の話になり先輩には、新宿せいがの事務のスペシャリスト、あや先生がいたとの事でした。学生時代も優秀だった先生。その中でこんな話がありました。優秀なのになんで、事務をしているんだろうね?

もったいないよねという話題になり、僕もホントもったいないなと思いましたが、その時にふとおもったのが、勉強する意義ってなんだろうという事でした。

世の中には、ホワイトカラー、ブルーカラーという表現がありますが、これは主に会社員に使われる事が多いですが、知っている方も多いと思いますが、簡単に説明させて頂くと。

ホワイトカラーは知的な面を必要とする労働者を指し、生産性に直接は関係のない職種。 ブルーカラーは、これとは対極の意味合いで生産工程や、現場作業、体を使った仕事が多い職種を指すと定義されているわけですが、頭脳職、現場職ともいわれているそうですね。

すいすい担任、加藤先生お疲れさまでした!
笑う山下先生!神妙な面持ちの本多先生(笑)

ホワイトカラーの方は、やはり大卒が多いそうですが、その中でも優秀な大学を卒業したものがなれる業種だと。でも優秀な大学を卒業しても、大企業に入りたいと思わない人間もいるそのエピソードを紹介したいと思います…

これは僕の同級生なのですが、東工大を卒業して、ショップ店員をしている子もいます。

なんで?と聞いた事があるのですが、逆になんで?と言われました。その子は、別にいい企業にいきたいから大学にはいったわけではないと。私は、ポカーンとしてしまいましたが、その子とお酒を結構酌み交わすのですが、そこから僕の勉強という概念が変わりました。

その子から教えてもらったのは、勉強していい大学いったら、確かにいい企業に入れたりするだろう、学歴フィルターもある。その考えがそもそもの間違いだと、お前はそういう色眼鏡でしかものを見ることができないのかと怒られました。勉強する意義について熱く語りましたが、その子に勉強したら「人生の選択肢が増えるんやと」教えてもらいました。

例えば、一万もっている人で、9900円の物を買う人もいれば500円ぐらいの物を買う人もいるんやと、でも、1000円しかもっていない人が2000円の買い物するのは無理やろと、だから2000円、5000円の物を買うには勉強しないといけないんだよなという内容でした。

この話の落ちは、ある人から引用したそうですが(笑)

ホントそうだなと塾で話している時に思った出来事でした。

AIの時代がきたらどうなるのでしょうか?

園長先生もよくAIの話をされますが、代替する新しい職種も出てくるだろうと、ホワイトカラーの職種もAIに奪わるといろんなコラムを読むと書いてありますが、蓋を開けてみないとわからないですよね(笑) 何年後にそういう時代になるのかわかりませんが、楽しみでもあります。

報告者  川邉


潜竜から・・・

3月26日の塾報告をさせていただきます。

まずはじめに食事のメニューからですが、前日が送別会でした。

新宿せいが子ども園の送別会では退職される先生が食べたい物を用意するのが、

恒例になっております。

ちなみに今年の退職者は3名おりまして、

一人はパエリア、二人目は豚の角煮、そして3人目が豚肉料理ということで、

保健の先生が「豚ロースのネギ味噌マヨ焼き」という、いかにもご飯にピッタリな物を考えてくれました。

というわけで、お肉料理ばかりということで、お肉がメインにならない物で考えた結果、「麻婆豆腐丼」にしました。

そして買い物にいつものスーパーに行くと、何やら入り口に行列が・・・

なんと入場規制がかかっていたのです!!これには流石に驚きましたし、並んで入ったところで、おそらく何も無いということで、別のスーパーに・・・。

そこは普通に入ることができました。

麻婆豆腐の豆腐を探しに行くと、まさかの展開です!

豆腐が一つも無いという状況!さらには生肉、生魚も全くなく、さらにはインスタント麺もほとんどないという状況!

ご存知の通り、ニュースでも騒がれておりますが、新型コロナの影響なのか分かりませんが、何もないという異様な光景でした・・・。

野菜はたくさんあったので、野菜を使った料理ということで、

塾長が「麻婆茄子にしよう!」と提案してくださったので、メニュー変更です。

この報告を書いたのは3月29日に書きましたが、

小池都知事から土日は自粛するようにと言われたのをきっかけに、さらに買いだめしている人が多かったのではないでしょうか?

ただ不思議なのは、土日は天気も悪く、日曜日は雪が降ったので、

外出する人も必然的にいなかったかもしれませんね。

さて肝心な塾の報告をしますね!!

今回は家庭の事情で参加者が少なく本多先生、柿崎先生、川辺先生、高橋先生と私と塾長を含めた6名でした。

その6名で塾長の今後の目標を話してくださいました。

今後、中国で見守る保育が広まり、塾長だけでなく塾生にも中国で話してもらうことで、活躍の場を色々なところに広げたいという話しから、

塾生がもっと保育に色々なアイディアを出し、それを活かすということです。

具体的には実践もそうですが、手作りおもちゃだったり、見守る保育を実践するにあたっての、具体的な環境です。

例にあがったのはボードゲームです。

よく塾長が講演でも話されますが、日本のボードゲームとドイツのボードゲームの違いです。

日本はどうしても将棋のように相手を打ち負かすのがルールのボードゲームに比べて、ドイツは数人と協力しないとクリアできないボードゲームが主流と話されているように、みんなで話し合って協力しながらゴールできるオリジナルなボードゲームを考えたり、子どもが自立できるような環境を考えて、作ってみたり・・・。

少しづつ自分たちが塾長から学んできたことを具現化し少しづつ実行する時期が近づいてきているのかもしれませんね。

※今回のテーマの潜龍について・・・

そんな夢のような話しから年度末ということで、子どもの話になりました。

塾長が教員時代のエピソードで、とても乱暴な男の子がいたそうです。

その子は教室の前から後ろの自分の席に行くまで、机の上に置いてあるクラスメートの筆箱やノートを片っ端から落として教室の後ろの自分の席まで行くという子でした。

そんなこともあり、塾長はなんとかその子を態度や性格を変えようと思い、

保護者の方に相談したところ、親は自分の子供に限ってそんなことは・・・

となかなか取り合ってもらえず、解決できないまま月日が経ち・・・

数年後、久しぶりに当時の生徒に会う機会があり、乱暴だった彼が、あれからどういう進路に行ったのか気になり聞いたところ、

都内の有名な大学に進学したと聞いたそうです。それを聞いて塾長が思ったことは

「保育士は万能ではない、見守る保育をしたから全ての子どもが良くなるとは限らない」

と感じたそうです。確かにそれは私も思います。

見守る保育はこれからの社会に絶対に必要な保育だと思います。

じゃあ、それを実践したから全ての子どもが絶対に良くなるというのは・・・難しいと思います。

ただ我々、認可保育園はパブリックな仕事だからこそ、

リスクは少ない方を優先するべきだと思いますし、

補助金で運営している以上、指針に沿った保育を展開する必要があります。

実際に塾長のここ数年の講演を聞いている方は実感していると思いますが、

今まで塾長が話してきたことが科学的に実証されてきていますし、

だからこそシンガポール、中国、韓国とアジアを中心に広がってきているのだと思います。

今日から新年度が始まりました。年長児は小学校に進学します。

最後の最後まで新宿せいが子ども園で過ごせて楽しかった!!と思えるように、

私ができることを子ども達と過ごして実感させてあげたらと思いました。(報告者 山下祐)

象徴機能 4

『字』についても塾長から話がありました。

(漢字を)書く(ことを教える)ためには字画が少ない字から教えますが、読みを教えるには具体的なものから教えたほうがいいかもしれない。

私が絵画指導をやった時に、前の子の目を見させて、『目』の写生をさせた。最初は点とか(子どもたちは)やるのだけど、よく見ると、まなこがあるじゃない。それ(出来上がった絵)を縦にすると『目』で、漢字を表してるじゃない。
よく見て書く(ことを積み重ねていく)と、物を表す漢字が読めるようになるよ。
そうすると、全然(何の漢字かを)言わないで、『耳』と『鼻』を書くと、殆ど(の子が)読める。
鼻(という字)は下(の部分)が鼻水垂らしたみたいに見えるんだろうね。

更に塾長から、

字画が少なくて、ものの形を言えるものということでは、『曜日』、月、火、水、木、金、土、日、などが入りやすい。

あと顔の部分、ね。

なるほど、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)では朝の会で今日の日にちと曜日を確認するのですが、その曜日の部分が漢字である理由は、このような所にあったのですね。

だからこそ、三重苦を背負ったヘレン・ケラーの凄みを感じます。象徴機能の獲得に不可欠ではないかと一般に思われるような視覚のない中で、字を獲得していくということは、並大抵のことではありませんね。

観賞終了

学び深き時間をありがとうございました。

最後に、宮城さんから

世界文化社に所属する宮城さん。これから塾長の教えをより広域へ展開していく為にアイデアを貰えたら、とのことで、塾生一同頭を絞りました。

このような機会が増えることはもちろん塾生の学びにもなりますし、また塾生が届かない視点を、様々な先生方、先輩方から学ぶ機会にもなるように感じられました。

塾後、塾長宅のドアを開けると、外は春の匂いがしました。新しい季節、新しい風が吹いています。

(報告 加藤)

象徴機能 3

ヘレン・ケラー

赤ん坊の頃に熱を伴う病気にかかった後、視力と聴力を失い、話せない状態となる。顔の表情で大雑把な喜怒哀楽は表現できるが、具体的な細かいことまでは表現できない。また、甘やかされて育ったため、要求が通らないと相手を叩いたり周りにある物を壊すなど時折かんしゃくを起こす。人形遊びが大好き。(wikipedia)

塾長は言います。

目も見えず、耳も聞こえず、話すこともできない。そうすると象徴機能が発達しないから、いくら手話で『水』と教えてもそれが何を意味するか、がわからない。思い浮かべようにも見たことがないし、聞いたこともないから、だから最初まるで動物を育てるかのように育てられる。その人が世界的な有名な人になるんだよね。

そして、彼女に象徴機能を身につけさせたのが家庭教師のサリバン先生。

子どもの頃は、これを見ても意味がわからなかったけど、ね

と塾長。そして、

象徴機能が育たないってことは、逆に象徴機能を育てる為には色んなことを見たり聞いたりしないとその機能って発達しないってことだよね

幼少期における象徴機能の発達についての塾長の見解ながら、成人してからの成長にも当てはまるように思えてきます。百聞は一見にしかずのように、想像をしたり、人の気持ちを考えたり、思いやることや、言動に配慮をすることなど、人生の経験値がそれを可能にさせるものなのかもわからないと思えてきます。

また、森口先生は、

ちっち(0歳児クラスの子どもたち)でも(象徴機能を働かせたやりとりを)やってると思う

と言います。互いに、言葉にならない言葉のようなものを交わしながら、落とし所を見つけてやりとりをするような姿は確かに想像することができます。

今年のテーマである、象徴機能。これから日々の学びの中で、より深めていきたいですね。

更に夜は深まります。

(報告 加藤)

象徴機能 2

象徴機能とは、『今そこにないものを呼び起こす働き』のことを指す機能で、そこにないものを呼び起こす働きをする。つまり、意味するものと、意味されるものとを区別して使うことが可能になるということ。

塾長は続けます。

今そこに知覚しているものを手がかりにして、そこにないものを思い浮かべて、それに反応することが可能になる、ということ。

話は、具体的になっていきます。

1歳半から2歳にかけて象徴機能が現れ始める。今、目の前にない物事についても頭で思い浮かべて、実際に行動してみなくてもその様子を頭で思い描くようになる。つまり、具体的な知覚体験を基に、自分なりのイメージを構成し、それを利用して、時、場所をかえて自分なりのやり方で活動するようになる。

初期の活動として、遅延模倣。

例えばある子どもが「ガーン」「ゴーン」と言いながら、長方形の箱を動かして、時々箱を止めて、自分の体の動きも止めて「プシュー」と言った。というのは、電車に乗った時のイメージを基に後日、『模倣を後になって(家の中で)その特徴を再現している』、電車ごっこというかね。この模倣行為には『箱を電車に見立てる活動』『箱や体を動かしたり止めたりして電車に乗っているフリをする活動』が含まれている。ここでの箱や子どもdの音声、仕草は、電車という指示対象を意味するもので、すなわち象徴、音声言語に限らず、言葉の発達そのものには象徴機能の発達が前提である。ということは、象徴機能の最初は音声言語。今ないものを言葉で言うことでそのものを指すことをする。例えば、うさぎと言うとうさぎをイメージするような。

3歳くらいになると、今度子どもはフリや見立てを複雑に組み合わせて、虚構の世界を作り上げるようになる。絵本を何冊も抱えて持ってきて、大勢を集めながら一冊ずつ開いては、「うんうんうん」「〜でした。おーしまい。」などの様子を観察することができる。この場合子どもはまだ字が読めていないのに、いかにも読んでいるかのように見せている。それは単なるモデルの模写ではなく、自分のイメージや知識に基づいてして演技をしているのだ。

やがて子どもは遊びの中で役割を意識し、それにふさわしい動作を思い描き、状況を設定することによってごっこ遊びが展開されるようになる。

以上のようにして象徴機能が発生する。

それではこの機能が十分に形成されていない子どもにはどのような問題点が発生するだろうか。

塾長は続けます。

象徴機能とは、今そこに知覚しているものを手がかりにして、そこにないものを思い浮かべてそれに反応するということが可能になるということだから、象徴機能の獲得が困難な子どもは、やっていることの意味がわからない、意味が見えにくいのである。本来ならば多機能、いろいろなところの発達と共に人とのコミニュケーションが意味をもって受け止められていくのだが、それができていないと、大人のやっていることの意味が見えにくい。また、自分のもっている力が意味をもって中々使えないのである。家の遊びでも生活でも中々広がっていかない。象徴機能に弱さがあると中々言葉が出てこない、或いは言葉があってもそれが意味あるものとして使えず、ただやっているだけになってしまう。

言葉が中々出てこないということは、自我の育ちとも大きく関連していて、行動面では大人の意図を受け止めての行動とはなりにくい為、どうしても欲求に支配された行動となりやすく、また、自分のやりたいことを相手に上手く説明できないために、パニックに陥りやすくなる。

そこで塾長から映画『ヘレンケラー』の提案が

60年近く前の映画から、最新の知見を得る夜となります。

(報告 加藤)

象徴機能 1

春も近付く臥竜塾。今夜のメニューは、

みんな大好きチャンピオンカレー
みんな大好き柿崎先生がコトコト温めて下さって
みんな大好き川邊先生はアスパラの下ごしらえを
今日の特別なトッピング
持ってきて下さったのは宮城さん

ウィットに富んでいますね。

塾長は龍のお皿で
ほうれん草も添えられて

高橋先生の手によってよそられていきます。

更に鳥の唐揚げ、その上からルーをかければ完成

今日は塾頭山下先生からのホタルイカも

豪勢な夕ご飯となりました。とても美味しかったです。

ご馳走様でした。

この日は、それぞれの好きな食べ物の話から。

それぞれに大臣という役割を持つ塾生ですが、改めて大臣の定義を確認。

三食食べたい程に大好きな食べ物

宮城さんは、お刺身、とのことで、今度はそれに因んだ夕ご飯になりそうですね。

因みに高橋先生はキムチ、納豆。確かによく食べています。体にいいものを選ばれるところはやはり高橋先生ですね。

会話は弾み、いよいよ本題へ。次年度のテーマでもある『象徴機能』について、学び深い夜となりました。

(報告 加藤)

コロナ

新型コロナウィルスに関する動向が気になる今日この頃ですが皆様手洗いうがいは忘れずに行っているでしょうか。外から帰ったときや子供の排泄を手伝った後などはいつも以上に念入りに手を洗ってしまいますね。

正直騒ぎすぎではないかと思うこともありますが、ならずにすむなら病気にはなりたくないものです。

未知というのはなんであっても怖いもので我々がコロナを怖がる思考と子供達がお化けや鬼を怖がる思考というのは同じなんでしょうね。

ちなみにコロナウィルスは拡大すると冠状の突起がいくつも表面についていることからこう呼ばれているそうで学術的な名称は未だに正式にはついていないそうです。

それでは3/4の塾報告です。

今日はなんと様々な事情が重なり塾生5人+塾長というなんとも珍しい塾になりました。この臥龍塾がはじまった当初の人数がこの人数だそうで開塾からずっとこの臥龍塾を支えてきてくださった諸先輩方は昔を思い出して盛り上がっていました。

メニューは加藤先生考案のカップ麺です。(加藤先生は事情により不参加です)

スーパーで塾生がカップ麺をあーでもないこーでもないと選んでいる姿は面白くまた珍しく、なんだか笑ってしまいます。

6人しかいないのにカップ麺は8個ありますね。

誰が何を選んだか是非予想みてください。

食事を終え一段落ついたら食の起源の最終話を見ようということになりました。

私は前回の報告でも食の起源についての報告をしたのを思い出し、そういった縁なのかと思った次第です。

最終話はズバリ「美食」についてです。

自然界に生きる動物達は生命活動を維持するために食事を行いますが、人間だけは味を楽しむ、という生きることとは別の意味を食事に持たせます。

果たしてそれはなぜなのか、どういった進化を遂げたからなのかこの最終話で明らかになりました。

まず1つ目のキーワードは苦味です。そもそも苦いものには毒があることが多く、生き物は苦味を感じると吐き出すように本能に刷り込まれていたそうです。しかし氷河期の訪れで苦いものしか食べるものがなくなった時、苦味のある食材に栄養のあるものを見つけ、それをより多くとるために苦いものを美味と感じるように進化していったそうです。

次に2つ目のキーワードはにおいです。人のにおいを感じるセンサーは味を感じるセンサーの10倍あるそうで鼻から感じるにおい以上に口の中にたまった風味をより強く感じることで美味と感じるそうです。幼いときはよく苦手なものがあるなら鼻をつまんで食べろ!といわれましたが、つまんで食べても飲み込んだ後の後味のような風味からどうやっても逃げられなかったのはにおいを感じるセンサーのせいだったんですね。

そして最も大切な3つ目のキーワードが共感力です。人は誰かが美味しそうに食べていると自分も食べたくなるそうで、チンパンジーを使った実験では一匹ではほとんど食べなかった苦い薬を塗ったリンゴを仲間が食べているのを見続けたところ食べ始めた、という驚きの結果が出たのです。これは園でもよく見る光景で、これみよがしに給食を美味しい美味しい、といいながら食べると子供たちの箸の進みもよくなるのをいつも感じていました。みんなで食べると美味しいね!という言葉は科学的に根拠のある台詞なんですね。

食というのは人にとってなくてはならないもので人が何よりも拘りをもって進化させてきたものの1つです。そしてそんな食の進化の中にあったのが人と人との関わりでした。大学時代に受講した余暇に関する授業でも、初対面の人と仲良くなるための最も効率のいい方法は共に食事をすることだと教わりました。近年個食や孤食が問題になっているからこそ、食やそれ以外の進化の中に、確かに、そして根強く存在する人との関わりということを今一度よく考え、実践していかなければならないのでしょう。

次回は塾生みんなで集まれることを祈り締めとしていただきます。

(報告者 髙橋)

2019年臥竜塾覚年会 3

横田先生

父親保育や運動会のリーダーを務めた。森口先生や本多先生に励まされ、助けていただいた一年だった。

一年目は仕事を覚えることに一生懸命だったが、初めてのクラスから持ち上がることができ、最近ようやく自分のやりたいこともわかってきた。観察ゾーンやテラスの植物を育てたりすることができた。

子どもの発達を見ることが一年目の時よりはできるようになってきたのでは、と感じる。塾の中での自分の役割も見え始め、ステップ1を踏み出せたのでは、と感じる1年だった。来年もよろしくお願いします。

塾長より

普段は阿吽の呼吸でやっているけれど、保育の番号をつけてやった時、それぞれの動きのどこを見てても横田くんは前寄りをやってしまう。それは注意しないの?とチームの職員に聞いたら、「後ろがフォローします」。それはとても良いことだけれど、そうすると後の人は常にフォローしなければならなくて、それでは大変だから番号をシャッフルしたり工夫しての昨年があった。それはそれでいいことなのだけど、横田くんはそれに気付かない。周りがフォローしてることに気付かない。だから横田くんにフォローをし合う体験をさせてあげたい。色々な人が大変な思いをしていることに意外と気がつかないその部分は、それは子どもの細かいところにも気がつけないことにも繋がる。離れないと、前に出過ぎて見えなくなってしまう。園長は子ども好きではなく保育好きでないとならない。全体の職員の動きを把握できるような、全体の動きが見えるような練習をしていってほしい。
園長になったら全てのタイプを受け入れないといけない、色んな人から学べるように。

西村先生

6年間ありがとうございました笑笑
もうこの機会ないんだな、と(寂)この1年間、中途半端な立ち位置の2年間で、結構どうしよう、というのもあった。大学の勉強もしなきゃ、でも保育も学ばなきゃ、大学入らなければよかったかな、という思いもあった時もあったが、卒論を書き上げることができてよかった。
これから仏教が中心になってくる。仏教との共通点、見守る保育 Fujimori methodの大事な所が見えたな、という2年間だった。
とりあえず2年、寺に入ることで保育から離れる。でも頭のどこかに見守る保育Fujimori methodが必ずある。長崎でやっていく、その時は塾長、塾生に助けていただいたり、しっかり引き継ぎでいきたい。

塾長より

ムネはいい園長にならずに、いい住職になりそうな気がする。今、禅や仏教を見ていると、ムネが立派な僧になっている姿が浮かんでくる。お寺の住職として地域の人や色々な人を助ける、そういうことから保育をする、という感じがする。徳を積んで修行をしていくと、人を受け入れたり、人を精神的に支えたりすることができるようになる。ムネはそういうタイプのような気が凄くして、そういう偉い僧と知り合えている、というような感じをムネから感じる。

塾頭

毎年反省するが、今年も色々反省をした。あぐらをかいていた、という感覚に近く、毎晩今日一日どうだったか振り返る。園の中の立場が、自分をベテランという見られ方をしてるだろうと思う。自分の言動、休みの取り方一つにしても後輩たちが全部見ているだろう、と感じる。あの人がああなら自分もこうしよう、となる。今までみたいに、楽しい部分と自分をコントロールしなくてはならない部分とをしっかり区別していく。先生に初めて教わった『初心を振り返る』初心をちゃんと振り返って、夜だけではなく日々の中でも、振り替えながらやってきた一年だった。それを継続していく。
この立場だからできること、企画、新しいこと、新宿せいがの文化、せいがらしさを出しつつ新しいことを考えていきたい。
GTを任される。月1でムネとカグヤさんへ行ってセミナーの打ち合わせをしたりして、見えてきた部分もある。それを残しつつ新しい風、時代に合わせてやったりすることが来年も凄く楽しみ。

アジアを中心に広げる→一番大事なのは日本で、しっかり広げていく。何が大事なのか、先を見据えて、10年後何ができるか、そういう先を見据えて今を、平日は塾長の出張に同行させていただきながら、勉強をしながらやっていきたい。

最後に塾長から総括を
いただきました

少しずつの目的は、
韓国のヌリ課程、345歳、非常に細かく書かれている、どこに行ってもちゃんと出来ていて、行き着く所まで行くとやはり凄い。がその次なにをしたらいいか、こんなことしてみたいという時に、今度はヌリ課程が邪魔をする。結局細かく書かれているということは、それから反したら補助金が貰えないということだから、今度はそれが足枷になってしまい、やりたいことが出来ない、という現状がある。

例えば、

異年齢をやりたい→年齢別だから出来ない

コーナーをもう少しこういう風に作りたい→それはヌリ課程に書かれていないから出来ない

という中で、行き詰まってきてしまっている。
そんな中、韓国はヌリ課程で細かく書くことをやめて、

園の創意工夫に任せる

遊びを中心に

という大転換を遂げることになる。

現場の保育士は、今までああしろこうしろと言われてきたから、創意工夫と言われても一体何をすればいいのか。遊びを中心と言われても、今までは先生がやらせてたから、子どもが遊んでる時一体何をやればいいのか。全部何をするか、ということで教わってきたから、とても戸惑っている。
そんな中、再編纂されたヌリ課程に書かれている最初の基本部分が、私の見守る保育に書かれている文章とそっくりだ、という話が上がったようで、韓国の園が今、見守る保育 Fujimori methodを実践している形になってきていて、だから、私に来て話をしてもらいたい、ということへ韓国へ。

講演の休憩中にクレームが入ったそうです。
「自分たちが知りたいことは理念じゃなくて、棚に何を置いたらいいのか、とか、どんな歌を歌えばいいのか、とかそういうことが聞きたい」

やはり今まで全部それを言われてるから考え出せすことが難しいということなのでしょう。

そうすると、益々塾生もそういう所へ出て行って話をしていってほしい。中国もシンガポールも。

先ずは、塾生が交代で中国へ。塾セミナーはその為の準備。

皆の存在を心強く感じる。

塾長からの熱いメッセージに、身の引き締まる思いと、アジア展開に具体的に関わっていける高揚感とが混じり合う、格別な気持ちを味合わせていただいたような思いがしました。

塾長の言葉を受けて、森口先生が締めます。

塾長の考え、見守る保育 Fujimori methodを学ぶ度、全てに繋がっていくことを感じます。人間調子に乗ってしまうもので、その都度見つめ直す、他者から言われることで見つめ直し、しっかり締めてまた来年いきたいと思います。いい一年でした。

そして、塾長の健康を祈念して一本締めで会は締め括られました。

本当にいい一年でした。見守る保育 Fujimori Methodのこれからに、そして見守る保育 Fujimori Methodを信じる全ての人たちにとって、2020年もまた良き年になることを心から願います。

(報告 加藤)