「Neoteny→◯◯の心をもったまま◯◯になるということ」

8月11日(火)に行われた臥竜塾の報告をさせていただきます。

まずは恒例の夕ご飯の紹介から。この日は、先週が藤森先生と西村先生が出張だったため、一週あけての臥竜塾でした。

なので、ちょっと豪華なイメージでハンバーグにしました。

添えてある瓶は塾頭ご推選の〝食べるラー油〟です。これをポテサラに乗せて食べると、最高です。

添えてある瓶は塾頭ご推選の〝食べるラー油〟です。これをポテサラに乗せて食べると、ほんと、もう最高です。

にんにくとベーコンの入ったポテトサラダと富山名物(?塾頭にいわく「富山で食べてる人見たことない(笑)」とのことでした)きゅうりのお味噌汁です。

左:塾頭 正面:渡邊氏 右:平田氏からです。ご馳走様です!

左:塾頭 正面:渡邊氏 右:平田氏からです。ご馳走様です!

デザートには、外部塾生である渡邉寛臣氏から新婚旅行のお土産のチョコと、平田竜一氏から、熊本県阿蘇にある和菓子・洋菓子のスイーツメーカー「菓舗あそりんどう」より、チーズ菓子〝一五九二(ヒゴクニ)〟。そして、我らが塾頭から軽井沢のお土産をいただきました。とても美味しかったです!

計18個のハンバーグに火が通るまでに時間がかかり、さらにソースもつくらなければとのことで勝手に焦っていた今回のメニュー発案者の僕でしたが、

「大丈夫。とりあえず即席でソースはつくっちゃうから。」

「大丈夫。とりあえず焼けた分から食べ始めちゃおう。」

と優しく励ましてくれたのは調理柿崎先生です。

危なく惚れるところでした。

 

そんな柿崎先生がおばあちゃんのいる青森県に弟さんと旅行されたお話からスタートしました。

ちょうど青森名物〝ねぶた祭り〟が開催されていたようで、〝立ちねぶた〟となると全長20mもある迫力のねぶたを鑑賞してきたとの報告がありました。

大迫力!

大迫力!

そんな流れで、来週の臥竜塾の夕ご飯のメニューは青森名物〝せんべい汁〟と〝津軽漬け〟になるとのことです。今からとても楽しみです。

 

話は変わります。

NHKのEテレで先日放送されていた、『スーパープレゼンテーション』で、『哲学する赤ちゃん』の著書であるアリソン・ゴプニック氏が、〝赤ちゃんは何を考えているの?〟というタイトルでスピーチをされていました。

その映像を皆で見ました。

ネットから、この日のスピーチが見られますのでご参照下さい。

http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/150715.html

 

子どもが大好きなクラッカーと苦手なブロッコリーを使った実験や、動物の脳を比較しての考察、大人と子どもの脳の働きの違いなどを映像や写真が独特なスピード感ある語り口で、展開されていきます。

番組終了後、なんとなしに塾頭が言った「流石ですね」の一言が僕はとても印象的でした。様々な場所で演説に触れ、また自身も豊富な経験をもつゆえに、演説の見え方というものが違うのだろうということを感じさせる言葉でした。

 

他にも、

「子どもは関心をもたないことが苦手」

「子どもの脳は、あれもこれも面白くて選ぶことができない状態。大人で言えば、新しい状況に身を置いた時のような感じ」

「Neoteny→子どもの心をもったまま大人になるということ」(タイトルの答えです!)

「子どもの要素をもったまま大人になろう」

など、印象的な言葉がいくつもあり、とても勉強になりました。

 

感想を言い合っていく中で、「関心をもたないことが苦手」という言葉に本多先生がスポットを当てました。

すると塾長藤森先生から「〝子どもが落ち着くから〟という理由で、子どもに対して担当の先生を決めて保育をするという、担当制への違和感をやはり感じる。子どもは色々なことに関心をもちたがる脳の働きがある。また、トイレに向かおうとする子を抱きかかえたり、危ないからと色んなものを排除したりしようとする保育者がいるが、トイレへ行く〝途中〟こそ、保育なのではないか。」

とあり、一同とても納得をもって聞きました。

 

また、話の流れから、〝片付け〟についても藤森先生から言葉をいただきました。

「片付けはしつけではない。腰に手を当てて「片付けなさい」と言ったりするのは、それは日本独特のもの。あそびに満足すれば、子どもは片付ける。子どもと共にあそびを楽しむことを忘れてはいないか。」

「冒険心や好奇心を削いでまで、片付けるのは違う。保育者は、ある程度の散らかりを覚悟する必要がある。」

との内容で、これにもとても納得してしまいます。

ただ、〝しまう〟ということが本能的にあるのではないか、ということです。藤森先生のお孫さんがお家にあそびに来る時の話で、帰るときまっていつも先生のバッグの隙間に冷蔵庫の磁石が入っているのだそうです(笑)

これは〝しまう〟という一つのあそびであり、またある意味では一つの片付けの形でもあるのでは、というようにも感じられました。

 

塾頭からは、〝Neoteny〟について感想がありました。

それについても塾長藤森先生から非常に面白い考察をいただいたので、紹介させていただきます。

「ネアンデルタール人の方が今のヒトより脳が大きかった。もしかしたら、その場所に適応する力が現代人の何倍もすごかったかもしれない。その場所で個人が確実に適応できる、ということは、一人で生きることが可能であった、ということ。つまり、協力する必要がない為に滅んでしまったのではないか。ヒトに助けてもらう必要がなくなると滅びてしまうのではないか。

とすれば、生き残った我々の祖先は、一人では生きることができずに協力して生きようとしたヒト。協力とは足りないことを補うということ。この〝足りなさ加減〟が生き残る為に重要なのではないか。」

「見守る保育の特徴の一つとして、〝赤ちゃんから協力し合う〟という環境があることが挙げられる。(先程の担当制への違和感につながりますね) 完璧よりも足りなさの方が人類が生きられる。それを小さな頃から学ぶ必要がある。」

とても、説得力に満ちた内容です。

子ども同士のことにしてもそうですが、確かに例えば園の装飾にと買い物一つにしても、「これは一歳児クラスにいいかも!」と、他のクラスの先生が買ったり、思いついたりすることは当たり前のことのようにしょっちゅうあります。

また、3.4.5歳児クラスの装飾を、1歳児クラスの先生がつくったり。こんなことが自然と行われていることも、改めて、協力するという人類生存のとても重要な要素が、心地よい風として園の中を流れている、ということを感じるのでした。

 

最後に、先日行われたお泊まり会の写真をみんなで見ました。

そこで、5歳児クラス担任である本多先生が、賞状をもらったという話がありました。

『よくお泊まりができました』という、毎年お泊まり保育に参加した子どもたちに配るものでそれを保護者の前で本多先生に藤森先生から渡したとのことでした(笑)

「びっくりしました。『賞状をあげたい人がもう一人います』と藤森先生が言うので、誰かなぁ、地域の人かなぁと思っていたら、僕なんですもん(笑)」と本多先生。

聞くと、賞状を準備している段階で西村先生が準備したもので(笑)それを当日、渡す何分か前に「用意してあります。」と一言だけ言って藤森先生の手元に。何もしらなかった藤森先生は、その場のアドリブで(笑)渡してくださったとのことです。

 

まさにNeoteny。Neotenyのあまりに高いお二人の成される業、仕事ぶりを感じて、この日の塾はオシマイニーなったのでした。

「大人でも 頭が柔らかくて想像力豊かな蝶になりたいならー」

「大人でも 頭が柔らかくて想像力豊かな蝶になりたいならー」

「時々は 子どものようような考え方をすべきかもしれません」そうまるで、いたずら好きなあの方のように

「時々は 子どものような考え方をすべきかもしれません」そう、まるで、いたずら好きなあの方のように。

(報告者 加藤恭平)

草莽崛起④

さて、前回は高杉晋作が野山獄に入り、吉田松陰の事を思った詩を書いたところで終わりました。その後、幕府は、長州に対して「長州征伐」の準備を進めていました。晋作が奇兵隊の総督の任を下された後には三代目の赤根武人が総督になりました。その奇兵隊が奮闘するものの四か国の連合艦隊に完膚なきまでに叩かれたのです・・・。

 

それをきっかけに長州は連合艦隊と和議を結ぶために牢から出されました。そして筆頭家老 宍戸刑馬という人物になりきり晋作が和議に向かったのです。ドラマを見ている人ならば、晋作が和議に向かった時の服装を思い出すと思いますが、黄色の一等礼服に烏帽子直垂姿でしたね。そのあまりにも晋作の堂々とした態度にイギリス公使の通訳アーネスト・サトウは

「魔王の如く傲然として見えた」

と言ったほどです。交渉は3回に及び、3回目に賠償金の問題と彦島の租借要求出されましたが、どちらも晋作が強固に拒絶し、攘夷を行ったのは幕府の命令に従ったから、幕府より賠償金を取り立てるように主張しました。そして彦島も以前、晋作が以前、上海に行った時の風景があまりにもひどい有様で、これでは二の舞になると思い、急に日本の歴史を語り始めたのです。それで煙にまいたのか、彦島の要求は引っ込めたそうです。

 

その後晋作は萩に戻り閉居していたが、交渉の際に外国の要求を素直にのんだと奇兵隊の皆から誤解され、奇兵隊から命を狙われることになり、萩から脱出したのです。その時のシーンで橋の上で品川弥二郎と晋作が斬りあうシーンがありましたね。その時のセリフ

 

「俺は久坂も稔麿も入江も忘れてはおらん!」

 

野見山さんが言うには、ここでの晋作の言葉はもっと奥が深く、感動する言葉だそうです・・・。

萩を抜け出した晋作は最終的に福岡の平尾山荘の女僧の野村望東尼(のむらもとに)を訪ね、身を寄せる事にしました。先日、塾長と西村君が福岡に出張に行った際に、なんとその平尾山荘に行ったのです!すごい偶然ですね!ちょうど大河ドラマでも晋作が平尾山荘に身を寄せたところが放送されていて、そして福岡出張・・・。

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写真のように晋作は日本の将来を描いていたのでしょうね・・・。

そして晋作は平尾山荘で10日間過ごしたときに、藩政府が3家老を切腹させ、その首を幕府に差し出したことや、奇兵隊やほかの諸隊も解散の命令が出たことをきっかけに長州に戻る事になるのです。

当時の奇兵隊の総督の赤根武人は藩の命令に従い、解散を進めていましたが、周りはそれでは、今まで散っていった同士の志が途絶えてしまうと意見が割れている時に晋作が表れました。このシーンは大河ドラマでもありましたね。

そして晋作は80名ほどの人数で功山寺にて挙兵するのです。

野見山さんが言うには、この時の奇兵隊が一番すごかったそうです。何というと、晋作が一軒一軒訪ね、その人の長所を見抜き声を掛けていったそうです。そして真の精鋭が集まったのがこの時の奇兵隊だそうです。

その活躍は、大河ドラマでも放送されていましたが、80名あまりで正規軍2000名を撃破するのをきっかけに、奇兵隊が更に勢力を増し、幕府に恭順を示す意向を固めていた藩政府内に分裂が起き、藩政府は「倒幕」の姿勢を固めるのです。

 

この晋作の行動が後の明治維新までの筋道を徐々に築き上げていく土台になったそうです。

野見山さんはこう言いました。

 

「藤森先生は私達が道を歩きやすいように、作ってくれました」

 

おそらく吉田松陰も塾生たちが歩きやすいように「志」という教えで道を作ってくれたのかもしれません。ドラマを見ていても、吉田松陰が死んだ後も塾生たちは自分の「志」を掲げ、行動しています。

保育園で言うならば「理念」にあたる部分だと思います。「見守る保育」という理念があるからこそ、職員は自分達で考え、行動し、成長していきます。そして子どもたちにも伝わっていきます。

「志」があるからこそ振り返る事ができ、安心して戻れるのではないでしょうか。(報告者 山下祐)

草莽崛起③

安政の大獄により吉田松陰は29歳という若さでこの世を去りました。松陰の残した書物に「留魂録」という物があります。それを手にした塾生は先生の形見とし、それを破ってそれぞれが持つことにしたのです。

その「留魂録」というのは松陰が幕府からの裁きのいきさつと今の自分の心境を塾生に書き残しておくために書いた書物です。

「私の念じることは、同士にに私の志を継いでもらい、尊皇攘夷に大きな功績を立てて欲しいことである」と記されていました。

その「留魂録」は2通書き、一つは塾生の手に、そしてもう一通は同じ牢屋にいた沼崎吉五郎という福島の藩士に渡したのです。

 

そんな松陰が獄の中で過ごしている時に、実は獄の中では色々としきたりがあります。着物や本の差し入れは牢名主(囚人たちの中で選ばれた取り締まる長のこと)を通す必要があり、そのためにはお金が必要でした。その調達を江戸で遊学していた高杉晋作に頼むのです。

しかし、晋作の父が息子と松陰との接触を避けるために、長州藩からの命令で晋作が萩に帰るように命令が下ったのです。

その際に晋作が松陰に尋ねました。自分はこの先にどうすればいいのか?とすると松陰は晋作に対して「萩に戻って、親孝行をしなさい。そして10年間はおとなしくしていなさい」とそれを言われた晋作は素直に松陰の言葉を聞き入れ、萩に戻って結婚し、自宅に引きこもって読書をすると言ったそうです。大河ドラマでは出家していましたね。

 

そんな高杉晋作が引きこもっている時に長州は攘夷の動きがさらに激しく動き始め、海峡を渡る外国船に対して砲撃を撃ち放ち、一時は優位かと思いきや戦況は一変し、アメリカ、フランスによる報復攻撃を受け、惜敗したのです。そんな危機的状況を打破すべく長州藩が取った行動は高杉晋作を呼び戻し、何か策がないか?と問われた晋作は「奇兵隊」を創設したのです。

奇兵隊の理念は、身分は問わず、力量も問わず、「志ある者は集まれ」と民衆に呼びかけて集まった集団が奇兵隊です。しかし、この奇兵隊も実は松陰の考えだったのです。松陰が近代兵器で武装した外国軍と戦う方法として「日本国有の短兵接線も以って敵と戦い、意志が堅く強い者を集めた奇兵隊が必要である」と書いた本を引きこもっている時に読んだと思われます。

 

こうして奇兵隊の初代総督となった晋作ですが、その裏腹に長州藩との正規軍との間でいざこざが絶えず、晋作は総督の任を下されるのです。この間に、京都では八・一八政変が起こり、長州藩は窮地に立たされるのです。

ここで八・一八政変、池田屋事件、禁門の変により長州は、「朝敵」(天皇の敵)という汚名を着せられ滅亡の危機をむかえていた。これらの事件により松下村塾の四天王の久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一が壮絶な死を遂げたのです・・・。

そして晋作はというと、奇兵隊の総督の任を下されたあとに、脱藩し京に向かうのです。しかし桂小五郎により説得され、萩に帰国後、脱藩の罪で松陰と同じ野山獄に投獄されていたのです。この時にドラマの中でも放送されていましたが、松陰と同じ牢屋に入れられた晋作が壁に「至誠」と書かれた文字を見て

 

「先生を慕うてようやく野山獄」

 

という詩を読みました。松陰も二度、野山獄に入れられ、そんな松陰の意思を継ごうとする晋作の強い思いが表れている詩です。それだけ高杉晋作は吉田松陰に対して強い思いがあったのです。もちろん晋作の生き方を決定づけたのも松陰の言葉なのです。それは松陰が江戸で獄に入っている時に晋作に宛てた手紙の中に書かれた言葉です。以前「男子はいつどこで死ぬべきですか?」という晋作の質問に対して松陰は手紙でこう書いたのです。

 

「死というものは好むべきでもなく、また憎むべきものでもありません。死んで不滅の名声が残せるならば、いつ死んでもよいでしょう。また生きてなおお国の為に大きなことを成す見込みがあるならば、いつまでも生きたらよいでしょう。要するに、死ということを考えるよりもまず、成すべきことを成す生き方が大事なのです」

 

当時の武士は死ぬ瞬間まで武士であるという強い思いがあるので、晋作も武士として自分の「死ぬべきところ」について考えていたのでしょうね。今では考えられないことです。ただ何となく分かるのは、私もいずれ死ぬのならば、何か残していきたいという思いはあります。それが何かというのは、まだ分かりませんが、松陰が晋作に言った「成すべきことを成す生き方が大事」というのは胸に刺さりました。今の自分は何ができるのか?ほんの小さなことでもいいから、とにかく何か成す事が大切だと思いました。その積み重ねで結果的に大きな事を成す事ができるかもしれませんし、死んだときに、それが残るかもしれません。

 

やはりここでも松陰の言葉と塾長がかぶってしまうのです。塾長はとにかく今、塾長自身が成すべきことに向かって、まっすぐに進んでおられます。

「私はみんなよりも先が見えている、だから今のうちにやらないといけない」

と言われました。まさに「成すべきことを成す生き方」です。そんな生き方をしている方が目の前にいて、その方から直に教えを乞う、私たちは本当に幸せ者です・・・。(報告者 山下祐)

草莽崛起②

前回は野見山さんと吉田松陰との出会いで終わりました。今回からテーマである「高杉晋作」について書いていきたいと思います。

まず、野見山さん自身は当初、松陰のことばかりで高杉晋作はそこまで注目をしていなかったそうです。それがどうして高杉晋作の魅力にはまったかと言うと、純粋に「真面目」そして師の松蔭に対しての真っ直ぐな思いに魅了されたとのことです。

まず野見山さんから塾生に対して高杉晋作の印象を聞かれました。

本多君は「お金持ち」

西田君は「風雲児」

西村君が「日本ハムの大谷しょうへい選手」

と答えました。私も高杉晋作の印象としては大河ドラマの影響がかなり大きいですが、猪突猛進というか、とにかく暴れ馬のような印象です。そんな高杉晋作ですが10歳の時に天然痘と患い、その影響で病弱な体質、そして小柄で痩せていたため、身体的にコンプレックスが強かったようです。その為か学問よりも剣術に励んでいた幼少期だったそうです。そして吉田松陰との出会いはドラマでも書かれていましたが、藩校の「明倫館」に晋作は通っていましたが、授業もつまらなく、退屈な日々を送っていたときに久坂玄瑞らが松陰の下で学んでいる事を知り、晋作も松陰と出会うことになり塾に通うこととなりました。

 

そんな松下村塾ですが、元は叔父の玉木文之進が開き、そして松陰も文之進から厳しい指導のもと逃げ出さずに山鹿流兵学を学び学問に励んだそうです。松陰がなぜ松下村塾を受け継ぎ始めようと思ったのは、大河ドラマでも描かれていましたが、野山獄に入れられていた時に同じように獄に入っている夢や希望も無い囚人たちを見て、この状況を何か良い方法で変えたいと考えている時に、書が上手な人、俳句が上手な人々がいると知った松陰は、その得意なことを互いに教え会うことを思いついたのです。最初は少なかった参加者も次第に増え始め、先生になった人は教える喜び、生徒になった人は学ぶ喜びを感じたのです。獄の中でも生きがいを感じた囚人たちも生き甲斐を感じ、獄の雰囲気も次第に明るくなったそうです。そんな時に松陰もすすめられて講義をすることになり「孟子」について独自に解釈したものを分かりやすく話したそうで、その面白さに野山獄の役人福川犀之助(ドラマでは田中要次が演じてました)までも、松陰の講義を聞くようになったのです。

生きる喜びを見出す場所を変えることができると感じた松陰は「福堂策」という一冊の本をまとめたのです。

その後、野山獄を出獄した松陰は自宅に帰って獄での話し、そして孟子の話などを家族にしたところ、とても面白く、勿体にないということで「松下村塾」を開き、松陰が先生となり始まったのです。

 

なかなか高杉晋作の話に行けずにすみません。どうも私も大河ドラマに影響されて吉田松陰がとても大好きになったようです。本題に移る前に、もう少しだけ吉田松陰について書かせて下さい・・・。

 

塾に通うことになった晋作は松陰から学び始め、次第に頭角を表すようになりました。松下村塾では四天王と呼ばれる人物がおり、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿の4人です。

そんな有名な松下村塾も実は約1年で終わったのです。とても短いですね・・・たった1~2年という期間ですが、野見山さんが言うには当時の塾に通っていた若者は学ぶのに必死だったそうです。片道数時間をかけて塾に通っていた塾生もいたそうです。そうなると学ぶ吸収力もすごかったでしょうね。また松陰の教えも「見守る保育」と通じるものがあるのですが、それぞれの塾生の個性を見極め、それぞれにあった書物を与え、そして一人一人に丁寧に指導していたそうです。結果よりも学ぼうとする姿勢を松陰は重視したとのことです。塾長の講演でも松陰と同じことを言われています。

 

「子どもに対しても結果よりも、それまでのプロセスを褒めることが大切です」

 

そんな松下村塾も一年が経過しようとした時に、おそらく一度は耳にしたことがある「安政の大獄」が起きるのです。簡単に言うと、政府がやっている事に反対している者を次々に捉えて、弾圧していくことです。松陰もそのうちの一人で、何とかして政府(当時は江戸幕府)がやっていることを阻止するために老中の暗殺を企てたり、政府に過激な意見書を送るなど、行動に移したが全て失敗に終わったのです。しかし、幕府に松陰が何かに関わっているという尋問からの情報が入り、直接取り調べをすることに江戸に送られることになり、松陰はこれを良い機会と捉え、自分の考えを伝えるチャンスと捉えたそうです。

 

そんな時に松陰は「草莽崛起」という考え方を唱えたのです。

「草莽」・・・草の生い茂る場所のこと。転じて民間を意味し、役人ではなく民間人のこと。

「崛起」・・・立ち上がって闘うこと

何とかして今の日本の危機的な状況を変えようと考えたのです。幕府も役人ももはや酔っぱらいのような者で、救う手立てもない。だからこそ草莽の人々が立ち上がり、闘うことを望む。

ドラマの中で松陰は「狂うときがきたのです!」と塾生に言った一言は、ただ自分たちが変におかしくなるのでなく、幕府や役人が既におかしくなっているからこそ、自分たちが変わるしかない「狂うしかない」という深い意味だったんですね。

 

今、塾長は日本のスタンダードな保育「見守る保育」を構築し体系化するために、色々な事にどんどん挑戦し、行動しています。形は違いますが、なんだか当時の吉田松陰と似ている部分があります。そして私たち塾生が始めた「臥竜塾の教え」これの意図は、今まで当たり前かと思われてきたことに対して。果たして本当にそうなのか?と一石投じる為の意図があるとお話されました。私たち塾生も「草莽崛起」し「狂うとき」がきたのかもしれません・・・。

 

今回は「草莽崛起」という考え方がどのように生まれたのかを説明させていただきました。まぁドラマを見ている人や、歴史に詳しい人は「そんなの知ってるし」となるかもしれませんが、私は日本史の中でも、ちょうど幕末の時が嫌いというか、恥ずかしいですが安政の大獄の意味すら知りませんでした・・・。それを31歳にしてもう一度吉田松陰と通じて当時の歴史を学ぼうと思っているので、少々つまらない内容かもしれませんが、しばらくお付き合いください(報告者 山下祐)

「草莽崛起」

今日は最初にメニューを紹介したいと思います。 今日のメニューは下の写真を見てください。

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左上・・・シーザーサラダ  左下・・・手抜きリゾット  右上・・・生姜の豚肉巻き  右下・・・コーンスープ

手抜きリゾットとは、冷凍ご飯を使ったリゾットです。そもそも生米を使用して作るのが本来ですが、手抜きということで冷凍ご飯を使用しました。 そしてシーザーサラダ、生姜の豚肉巻き、コーンスープです。 ちなみにリゾットの上に乗っているのは鶏肉ですが、シェフ柿崎が保育園にあるローズマリーを鶏肉に漬け込んで焼いた物です。 そして更に、コーンスープに乗っている緑の粉状の物も保育園で採れたバジルを炒めてみじん切りにしたものを散らしてあります。 時にはやってくれますね(笑) どれも最高の食事でした。 1438175069169 そして今日は西村くんの少し早い誕生日をお祝いしました!24歳おめでとう!!   今回はゲストティーチャーとしてカグヤの野見山さんをお呼びしました。 野見山さんから焼酎の差し入れを頂きましたが、その焼酎がまた珍しい焼酎ですので紹介します。 DSC_0845   「米焼酎 薩摩 自顕流」 http://www.47club.jp/47M-000039onn/goods/detail/10024539/ ↑紹介文ですので、興味がある方は是非。 鹿児島、薩摩と聞くと芋焼酎という印象が強いので、どうなんだろう?と半信半疑で飲んでみたところ、とても飲みやすく、ついたくさん飲んでしまいそうなくらいでした!   では肝心な塾の報告に移りたいと思います。 まずは今回、野見山さんにゲストとして来ていただいた理由は、私が野見山さんに是非とも塾生にお話していただきたい内容がありまして、お願いしたのです。それは以前、保育園に塾長のウェブラジオの収録に来られた際に、少し時間があったので二人で野見山さんと大河ドラマの話しをしたときです。 DSC_0852 実は野見山さんに会う数日前の塾で過去にゲストとして来られた方に専用のノートに言葉を書いて頂いたノートを見返していました。中でも野見山さんは参加率が高く、ちなみに今回で5回目でしょうか。その3回目に書かれた言葉が「草莽崛起」と書いてありました。その会は吉田松陰の話しをしていただきました。当時、私たちはそこまで吉田松陰の事も知らず、もちろん「草莽崛起」という言葉も知りませんでした。そしてその時に。草莽崛起の話しをしていただいたと思うのですが・・・見事に忘れていましたが、たまたまノートを見返した時に野見山さんが書かれた「草莽崛起」という言葉に一同反応し、「やっと意味が分かったね!!」と言葉を揃えたのです。そして、保育園で野見山さんにその話をした時に、野見山さんが次に話してくれたのは、高杉晋作の話でした。その話に私はとても感動し、是非とも臥竜塾で高杉晋作の話をみんなにして下さい!とその場でお願いをして、念願が叶いました。 また放送中の大河ドラマでもちょうど高杉晋作が大きな事を成そうとしている時なので、色々な偶然が重なり、今回の臥竜塾に至ったわけです・・・。 そして野見山さんの高杉晋作の話しがスタートしました・・・。

まずは高杉晋作の話になる前に、野見山さん自身の吉田松陰(以後 松蔭)との出会いをお話されました。野見山さんが松陰先生と出会ったのは17歳の時だそうです。とても感銘を受けたらしく、それから今まで22年間、毎年欠かさず松蔭神社に通っているそうです。それだけ松蔭に影響を受けたらしく「自分も松蔭先生のように生きよう」と心に誓い、道を歩き出しました。そして野見山さんが29歳の時、それは松蔭が安政の大獄によって処刑された歳と同じ歳になったときです。「自分も松蔭先生と同じ29歳で死のう・・・」と本気で思ったそうです(笑い事ではなく本気だったそうです)。それに向かって必死で生きてきたのに、松蔭先生のようになれず、仕事でもなかなか上手くいかず本当に悩んでいた時に藤森先生、塾長と出会ったのです。そして塾長に聞いたそうです「松蔭先生は29歳で死にました、私も同じように死のうと思うのですが・・・」と、すると塾長は 「吉田松陰と自分の年齢を重ねて考えればいいんじゃないですか?30歳になった吉田松陰はどう考えるだろう、40歳になったときはどう考えるだろう?とその時のその時の吉田松陰の立場で考えてみたらいいのでは」 その言葉をいただいた野見山さんは暗闇から一気に光が見えて、それをきっかけに立ち直れたそうです。そんな感動エピソードから高杉晋作物語はスタートします・・・。 と高杉晋作の話にいきたいのですが、ちょっと内容が濃すぎて、一回では書ききれない情報でしたので、今回はこの辺で・・・。 次回から野見山さんの高杉晋作ワールドを紹介していくので、お楽しみに!!(紹介文 山下祐)

ねぎしに行ってきました

遅くなりましたが、7月21日の臥竜塾の報告です。

今回の臥竜塾はいつもと違います。以前私が報告させて頂いた、ねぎしフードサービス(牛タン焼き肉の店)を覚えていますか。なんと今回は、実際にねぎしで食事をし、カンブリア宮殿で話題となった、『親切』という企業戦略を(勝手に)見学させていただきました。なぜ、このタイミングでねぎしに行ったのかと言いますと、これも縁が重なった結果だったのです。

(前回の報告の際に、偶然という言葉を用いましたが、それは偶然ではなく『縁』だと言うご指摘を、あるお坊さんからいただきましたので、これからは縁という言葉を使っていこうと思います。)

以前、塾でねぎしを観たときに、実際にねぎしで食事をしてみたいねという話になり、近くにある高田馬場店に食べに行こうとなったのですが、たまたまリニューアルオープンに向けて改装中でした。リニューアルオープンの日にちを見ると、7月10日となっていたため、7月14日の臥竜塾の日に食べに行くように計画していました。しかし、その日は毎月行っている臥竜塾セミナーの日で、塾生の帰りの時間がバラバラになってしまいました。そのため、今回の臥竜塾でねぎしに行くことになったのですが、このようにして1回ズレたことで、前回ねぎしについての報告をした私に、今回報告の順番が回ってくるという縁が生まれたのです。

では、実際のねぎしはどうだったのでしょうか。写真も交えて報告させていただきます。

まず、今回ねぎしには塾生全員の9名で行きました。9名が一度に来店されるとお店側としてもやはり大変だと思います。しかし、9名が一緒に食べられるよう、机を準備したり、料理も大きな時間差もなく出てきました。

 

店内はオシャレなカフェのような雰囲気で、緑が多かった印象です。塾長がよくお話しする緑視率の話を思いだしました。

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どうでしょう。勉強ができるカフェのような机が並んでいますね。そして、ふと客席を見ると、椅子の脚に何か黒いものが付いていました。

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塾生で話をした結果、これは傘を置くものだろうという結論が出ました。たしかに、傘立てがない場合、席での傘の置き場に困ることがよくあります。そのようなときに、これはとても便利ですね。

 

いよいよ食事を注文し、運ばれてきました。今回はみんな同じで、しろたんセットを注文しました。

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以前、臥竜塾で作ったセットと同じですね。お肉は柔らかく、ご飯がよく進みました。ねぎしでは、ご飯のおかわりができるのですが、私たちが空になった茶碗を持ち、店員さんにおかわりをお願いしようとすると、目が合っただけで、お茶碗を取りにきてくれるのです。大食いの多い塾生です。何度も何度もおかわりをしていましたが、快くおかわりを持ってきていただきました。おかわりの際、ご飯の量を聞かれるのですが、普通は大盛りや普通と言うところを、塾生は『3分の1盛』や、『日本昔話のように』など、細かいおかわりのお願いをしたのです。しかし、それらの要望にもしっかりと応えていただきました。

 

また、カンブリア宮殿でも紹介されていました。お客様アンケートにも答えてきました。

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最後にお店を出るときに、根岸社長の本も購入しました。本の報告もいつかできたらと思います。

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以上、ねぎしの報告となります。細かいところに、ねぎしの親切が垣間見ることができました。

 

ねぎしで食事を済ますと、塾長の家にデザートを買って向かい、いつもの臥竜塾です。Evernote Camera Roll 20150724 000422 (3)

今回は、先週話に出た臥竜塾セミナーのテスト問題をそれぞれ発表しました。基本的には、セミナーを聞いた後に行うテストなので、そのセミナーの中に答えがあるように作っています。

もう1つの話題は、定員増に伴う行事のやり方です。丁度先週夕涼み会が終わりましたが、定員が増えたわりには、人の密度は昨年に比べたら、余裕があるような印象でした。定員増によって、二部制にしたことで、このような結果になったと考えられます。普段の保育は、定員が増えたことにも慣れ、大きな問題もなくなってきていますが、これからは行事が、その影響を受け、色んな変化が生まれてきそうです。これまでのやり方を守るのは、もちろんいいことだとは思いますが、変化を頑なに拒むのは少し違うのではないかという話でした。やってみて、また改善が必要なら改善すればいいと思うのです。ドゥーシープランですね。

 

以上、今回の臥竜塾報告ですが、私の念願のねぎしにも行くことができ、実際にねぎしの企業理念を目の当たりにできました。また、ねぎしの店員さんが生き生き仕事もしているのも見ることができましたが、次の日保育園に来ると、自分も楽しく仕事ができているなと思いました。ねぎしに行くことで、自分の仕事の良さを改めて感じることができましたし、そんな仕事に就けたことをうれしく思います。

 

西村 宗玲

見守る保育中国展開

7月14日の生臥竜塾

今回の生臥竜塾では、見守る保育中国展開の話が出ました。

初めに中国展開の意図として、中国で流行らせることが目的ではなく、中国で注目されることで、日本で取り上げてもらうということを塾長が話してくださいました。

これには塾生一同「なるほど!」でした。

そこで、今年度新たに始めた塾生が行っている各テーマに沿った臥竜塾セミナーのテスト問題を作ろうという話になりました。

※テスト問題は、各テーマの基本的な部分から出題され、再確認する要素が強いものです。

そしてこのセミナーを中国でも行い、その問題を出して、達成できると見守る保育のステッカーが授与されます。

このステッカーを授与されると、ホームページ等で見守る保育を行っていると堂々と宣伝できるのです。

と言うことは、塾生が海を渡り、中国でセミナーをやるかもしれないということです。

実感が湧かないのが正直なところですが、少しでも多くの人に見守る保育という素晴らしい理念に沿った保育があることを知ってもらうためにも一生懸命励んでいこうと思います。

また、塾長が興味深い話をしてくださいました。

アメリカの経済学者にジェームズ・ヘックマンという方がいます。

塾長の書かれている臥竜塾ブログを拝見している方はご存知のことと思いますが、ブログに度々出てくる「非認知能力」の名付け親です。

このヘックマンは数多くの栄誉な賞を受賞していますが、2000年にノーベル経済学賞を受賞されています。

ヘックマンや非認知能力に関しての詳しいことは、塾長が書かれているこちらのブログを拝見してください。

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2014/01/%e9%9d%9e%e8%aa%8d%e7%9f%a5%e8%83%bd%e5%8a%9b.html

 

ヘックマンの研究等をお読みになった塾長の見解では、ヘックマンは何事にも「なぜ?」「本当かな?」と疑問を抱くことで、追求していったことがノーベル賞等の数多くの栄誉な賞に繋がった1番の要因ではないかとおっしゃっていました。

最近の臥竜塾ブログのタイトル「二層の志向的構造」にも、人類と類人猿の身振りのコミュニケーションは、基本的な点で異なっているとあり、その1つに人類の身振りの受け手は無意識に「なぜ?」と自問するとありました。

このように人類と人類に最も近いとせれる類人猿との比較であぶりだされる違いが、人類の特徴の1つであり、それらを活かしていくことが、人工知能に支配されてしまうと懸念されている2045年問題に対抗する唯一の術だと思ったのと同時に、自分はまだまだ自問を使いこなせていないことにも気付けました。

詳しくはこちらを…

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2015/07/%e4%ba%8c%e5%b1%a4%e3%81%ae%e5%bf%97%e5%90%91%e7%9a%84%e6%a7%8b%e9%80%a0.html

 

続いて、先週末に塾長と助手の西村先生が行かれた沖縄出張の報告を西村先生がしてくださいました。

今回の沖縄出張では、ゆうわ保育園さんで、たばる愛児園さんとおおな愛児園さんを交えて園内研修を行いました。

園内研修での塾長のお話の内容は、ドイツの保育環境や子どもの関わりをベースにお話をされたそうです。

たばる愛児園さんには、男性保育士が5人もいらっしゃったそうで西村先生は仲良くなれたと言っていました。

次の日に観光で、那覇市よりも南にある「港川原人」の遺跡を見に行ったそうです。

塾長が講演する際の「人類の起源」のお話にも出てくる「ホモサピエンス」は、沖縄を介して今の日本の本土に上陸した説があるため、興味深く観光できたそうです。

最後にガイドさんから、塾長がお話になる人類の起源、ホモサピエンスの話をされたそうですが、西村先生曰く塾長がお話になった方が…と言っていました(笑)

そして、沖縄お土産を特別に本多先生だけに…

なぜでしょう?(笑)

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沖縄土産

最後にこの日にあった臥竜塾セミナー(テーマ:チームワーク)を担当した、西田先生と加藤先生からの報告がありました。

だいぶざっくりとした説明になってしまいますが、塾長が以前お話になった、「保育におけるチームワークは、数多くあるチームスポーツの中でサッカー型が最も当てはまる」という話と新宿せいがのチームワーク体験談を用いての報告が多かったそうです。

中には、ヘルプやシフトを自分たちだけで決めてやっていることに驚かれた方もいたそうです。

それには新宿せいがには、主任という立場がないことが一因にあるのではないかということと、私は新宿せいがしか知らないので、逆に驚きましたが、園長が保育を主任に一任していることで、何事も主任を介してという園が多いのではないかという話が出ました。

最後に「本当にそんなに仲が良いんですか?」と質問があったそうです。

本当に新宿せいがは、男性保育士、女性保育士問わず仲が良いのです!!

最後に今回のメニューを紹介させていただきます。

今回はビビンバと中華風春雨サラダ、チヂミ、わかめスープです。

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ビビンバと春雨サラダ、チヂミ、わかめスープ

 

デザートは杏仁豆腐とマンゴープリンにジュースを組み合わせ、久しぶりに生臥竜塾恒例の「せーのっぴ!」で決めました。

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デザートとジュースの組み合わせ

 

今回も美味しくいただきました♪

(報告者 若林邦彦)

プレ発表会

7月7日(火)の生臥竜塾

7月14日(火)には、第4回臥竜塾セミナー(テーマ:チームワーク)が行われます。今日は、そこで発表する西田氏と加藤氏が、塾生に向けてプレ発表会をしてくれました。詳しい内容はネタバレになってしまうので話せませんが、チームワークというものを、新宿せいが保育園での実践を交えつつ、役割のひとつである“リーダー”という見方から伝えていくものとなっています。

発表中や発表後、「こんな事例もある」「発表のこの部分ってチームワークなのかな?」「見学者でよく聞かれるのはこんなことが多い」などという意見も加わり、内容はさらに良いものへと変わっていくと思います。セミナーを受講する方はどんなことを求めているのか、どういう切り口で伝えた方がいいのか、実際にチームワークというものを体験できるワークはないかなど、受講する方にとって刺激的で、且つ、自園に戻って実践できるような発表にしたいと、西田氏と加藤氏は語ります。

よく臥竜塾では、このようなプレ発表や議論する機会を設け、塾生同士で学び合い、塾長の言葉を聞いて、自分たちの考えをまとめていくのですが、その度に自分たちの考えが深まっていくといった印象を持ちます。つまり、現在セミナーを行っている私たちの方が、多くの学びを得ている感覚になるのです。まさに、「教え・教わる」体験をさせてもらっています。ありがとうございます。

次に、昨日から行われているGTセミナーで、西村氏が発表した「新宿せいが保育園紹介」の報告を行いました。実際に発表した内容を見せながら、“反応がどうだったか”とか“入りをもっとこうすればよかった”などと、反省点を自ら挙げながら次回のための改良ポイントを報告していました。内容はというと、テーマは新宿せいが保育園の「変化」です。定員が増えたということで、変化した部分に焦点を当てた発表でした。中でも、塾頭の山下氏協力のもと、「結果にコミット」でおなじみの某CMとかけて、音楽に合わせて保育環境の「Before」と「After」を見せる演出はとても面白かったです。そういった部分でも“遊び心”を持って発表していくというのは大切なのですね。

そして、昨日(6日)誕生日であった塾頭の山下氏のお祝いをしました。誕生日ケーキではなく、塾長が選んだのはこれです。
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これは、滋賀が誇る和菓子屋さん「たねや」の“五六あわせ(黒糖)”と言われるゼリーです。これもまた遊び心満載で、どうやって食べるかというと、ところてんのように、容器内に入ったゼリーを格子状の出口に押し出してから食べるのです。あまりにも美味しくて楽しかったので、この容器で何かできないかとみんなで盛り上がり、誕生会の特別メニューの時にどうか、もうすぐお泊まり保育があるからそこで使えないかなど、ここでも様々な意見が飛び交っていました。楽しいものはすぐに取り入れようとするスタンスがここにはあります。

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この和菓子を見た瞬間、山下氏は「これ、食べたかったやつなんですよ!!」と嬉しそうに言っていました。その言葉を聞いた塾長が一言。

「たす君が食べたいものは知っているよ。」

相手が何を求めているものは何なのかなど、先見の明というか観察力というのか、そのような、人が喜ぶことに気がつく塾長の姿には、いつも驚かされています。

塾頭、お誕生日おめでとうございました!

メニュー【素麺&冷しゃぶ】

メニュー【素麺&冷しゃぶ】

(報告者 小松崎高司)

アボガド

今回の臥竜塾は塾長に用事があり、何人かの塾生で先に塾長のお宅にお邪魔し、料理を作りました。そこでは黙々と料理を作る、西村氏と柿崎氏がいました。料理は野菜をよく切ります。丁度サラダを作るために食材を取り出すと、西村氏から一言。
「僕に切らせてください」
彼は当所、危ない手つきで食材を切っていたので見ているこちらがヒヤヒヤとするくらいでした。しかし、今回は「僕に切らせてください」の言葉は自信にあふれてました。
見ていると臥竜塾料理長(笑)の柿崎氏や塾頭の包丁さばきを見て盗み、時にはどうやるんですかと熱心に切り方を教わっていました。その熱心な姿は教える方もきっと楽しいのだろうなと思えるほどです。柿崎氏ほどかと言われればまだまだかもしれませんが私は彼に逞しさを感じました。私もその姿勢を見習っていこうと思います。
そして、その傍らで何やら、塾頭と加藤氏が真剣に話しています。内容はというと次回の臥竜塾セミナーについてです。次回は加藤氏が発表者となっています。その話の中ではこんなことを言えたら伝わるかもしれない、確かにそれいいね、とそれぞれのアイディアといいますか、意見を言い合い、自分の考えを伝えることで構築していっているような印象を受けました。私は2人の話を聞いているだけでも楽しく、次の臥竜塾セミナーのテーマでもあるチームワークについて深く振り返る機会を二人からいただきました。次回の臥竜塾セミナーに参加される方、乞うご期待ですね。
と、そんな部分にも視点を向けてみると細かい部分でも臥竜塾という場所は学びであふれているのだなと感じます。
さて、本題にいきますと、先週末に塾長と西村氏で行かれた、香川での赤ちゃん学会での報告を西村氏から受けました。
まずは正直な感想は…
「難しい…」
でした。
その中でも興味深かったのが桜新町保育園の小嶋さんの発表だったそうです。
集団にはストレスはつきものだが、それ以上の楽しさが上回るようにしていくことが大事ということをおっしゃっていたそうです…
さらに小嶋先生の言葉のチョイスが非常に面白かったようです。
聞いてみると確かに面白いです。笑
例えばですが、幼児のケンカで言い合いになり、突然けんかしていた一方の子が急にコソコソ話をし、仲直りをするシーンを、
「エレガントな仲直り」と表現していたそうです。
確かに普段使わない単語ではありますね。笑
他にもたくさんありますがきりがないので次に行きます。
全国のGT園の方がそのブースでは様々なテーマで発表をしていたそうです。
そこで気づいたのが香川という地にきてもGT園の方々が多くいることです。大きな会に行ってもGT園の方々がいることで嬉しくなったそうです。全国に行っても仲間がいるというのは非常に心強いですね。研修旅行に行った時などよく思いますが、遠い地でも見守る保育をしている仲間がいて実際に見させてもらって交流をすることで非常に心強い気持ちになります。そんな気持ちと同じなような気がします。
その後は塾長の感想も聞くことができました。
今回の赤ちゃん学会の発表は面白かったそうです。
それは研究者の方々が子どもの先行事例を元に行われた実験を発表していたそうです。その内容が研究所や先行事例を元にしているので、現場との違いを感じ、本当にそうなのかと毎回質問をしたいくらいに疑問が浮かんだそうです。その疑問を毎回考えること自体が楽しかったそうです。
様々な発表は基本的に言い回しが難しく、東大や、京大の方々しかわからないような言葉が多く使われていたようなので、西村氏は難しかったのだと思います。
そこで塾長から、難しかったり、深いことをシンプルに伝えることが大事なのではないかということです。
さらに、それを見守る保育に置き換えたとき、保育というのは奥が深く、説明すると非常に長くなります。しかしどれだけ難しいことをシンプルに言えるか、その難しい部分をシンプルに言えるということは本当にわかっている証拠だと塾長は言っています。
確かに「見守る保育」とシンプルに説明していますが、その奥の深さというのは計り知れないと感じ、まだまだ完璧に理解できているかと言われれば本当にまだまだです。難しいことをシンプルにするというのは難しいことをそのまま伝えることよりも難しいということがわかります。
医学的な話は塾長にとって非常に刺激となったそうです。
赤ちゃん学会の内容がどんな発表か気になる方はこちらにアクセスをお願います。
他にも様々な話が出ましたが省略させて頂きます…
そして最後に料理の紹介です。
題名がなぜアボガドなのか…
私はあまりアボガドを好き好んで食べませんが塾長、塾生は好きかなと思い、チョイスしてみたところ、好きな人とそうでもない人が半々でした…
私のチョイスミスです…笑
さてお肉は塾長と西村氏が香川で買ってきてくださった骨付きの鶏肉です!
これがまた美味しくて、外がパリッと中はジューシーな感じでおいしくいただきました!
骨付き!

骨付き!

ジューシー!

ジューシー!

あとはなすの肉みそがけです。これもまた美味でした!
あとは失敗したアボガドサラダです。笑
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そして西村氏が弟さんと会った際に、「お兄ちゃん、チーズケーキ好きやろ?」と言ってもらったというチーズケーキです。兄弟愛!!!
兄弟愛!

兄弟愛!

そして最後は塾長の奥さんから、臥竜塾があるからと言ってパイナップルを頂きました。
思いやり!!!ありがとうございました!!
ありがとうございます!

ありがとうございます!

(報告者 本多悠里)

研修、同窓会、落成式報告

今回の塾では、先週末に行った築地本願寺での講演や、滋賀県で行われた11期生のドイツ同窓会の話し、宮崎県のGT園の落成式で講演を行った話しを塾長の研修報告を同行した小松崎君から聞きました。

 

私自身も塾長が主催するブラ平司で通りかかった時に、築地本願寺は外観しか見たことがありませんでしたがとても立派な建物です。中はどんなすごいところなのだろうと思っていましたが、やはりすごいところでした。写真を見せてもらったのですが、ホールの舞台上にはとても光輝く大きい仏壇があり、その舞台上で講演をする塾長はある意味、教祖様に見えたとの事でした(笑)講演の内容は就学前教育について話されたとの事でした。

 

その足で滋賀県のGT園さんに向かい、11期生のドイツ同窓会を行ったという事でした。

その中で1名の方が、カンボジア、シンガポールから直で参加されたという事で現地の保育状況を聞くと、シンガポールの保育がとても熱いという事でした。シンガポールでは、アジアのトップを育成しようという思いがあるそうで、日本に追い付こうという意識があるそうなのですが、それが実際に日本を見てみるとイメージダウンしてしまうので、日本はアジアのトップとして頑張らなくてはならないという話しをしたそうです。

また11期生がドイツで泊まったホテルがかなり印象的だったそうでその二つの話題で持ちきりだったそうです。

次の日は、その滋賀県の園さんで午前中に保護者講演をし、午後は15時まで園内研修でした。そこからの移動が長かったそうで、電車を使って新大阪へ行きそこからバスで伊丹空港、そして宮崎ブーゲンビリア空港に着いたのが21時だったそうです。そこからホテルに向かうためにバスに乗ろうとしたら、終バスが終わってしまっていたそうで、空港駅があったのでそこから特急電車でホテルに着いたころには22時を過ぎていたそうです。

 

その次の日は、落成式のため宮崎県の園さんへ行き記念講演をしたそうです。落成式の中でマジシャンの方がこられその助手役として小松崎君が志願し!?舞台へ上がって行ったのですが、たねは全くわからなかったそうです。また、マジシャンの話術や注目のさせ方が上手いことから、子どもを注目させるときに試してみると良いような技を学んできたそうです。

園舎内はせいがの森保育園と同じように、上から調理室が見下ろせる作りになっていました。また、その落成された保育園さんのロゴマークはなんと、塾長の娘さんがデザインをしたものをマークにしているそうで、保育園のクラス名にも関係されていてとても素晴らしいマークになっていたという報告をしてもらいました。

 

その後、塾の前日にNHKでやっていた、「人工知能によって人間の職が徐々に奪われていく」という2045年問題のニュースを見て、様々なものがコンピュータ化されさらに人工知能をもったロボットが自分で考えて行動していくというニュースをみんなで観ました。保育の世界はどのようになっていくのだろう、そして個人的には「食」の面はどのように・・・などと考えながら観ていました。

 

今回の塾のメニューは、冷汁と地鶏の炭焼きをお土産として買ってきていただいたのでそれと、飫肥(おび)天に見た目が似たさつま揚げを食べました(笑)

冷汁、地鶏の炭焼き、さつま揚げ

冷汁、地鶏の炭焼き、さつま揚げ

そしてデザートは、宮崎で買ってきていただいたマンゴージュースとマンゴージャムをかけた恒例となったかき氷と、6月21日に若林君が25歳の誕生日だったという事でケーキをみんなで食べお祝いをしました。

マンゴーかき氷

マンゴーかき氷

チョコとチーズの誕生日ケーキ

チョコとチーズの誕生日ケーキ

(報告者 柿崎敬史)