ぱーてぃちぱてぃおーん

6月27日の塾報告をしたいと思います。
一週間遅れで申し訳ありません。
今回はドイツから帰ってきて初めての塾ということで森口氏からドイツ報告を受けることができました。
その報告の前に…
ドイツからのお土産を塾生それぞれいただきました。
ドイツの制汗スプレー (めっちゃいい匂いします)

ドイツの制汗スプレー
(めっちゃいい匂いします)

石鹸 (お家でヘビーローテーションしてます)

石鹸
(お家でヘビーローテーションしてます。これもいい匂いします)

お土産ではありませんが、森口氏がドイツで買った水筒です…。(現在毎日水を入れて子ども園に持って来ています)

お土産ではありませんが、森口氏がドイツで買った水筒(スタバの)です…。(現在毎日水を入れて子ども園に持って来ています)日本でも買える?

では報告に移りたいと思います。
今回のドイツ研修ではあるテーマが設けられていました。
それは3つあります。
「オープン保育」
「子どもの参画」
「小さな科学者」
だったようです。
(ちなみにブログの題名は読みは正しくないかもしれませんが、
ドイツ語で「参画」という意味です…
ややこしい題名ですいません。)
いくつかの園を森口氏が報告してくれましたが、それぞれの園の報告の内容の濃さに「まだ2園目!?」と驚くくらいそれぞれの特徴が見られました。
その中で、印象に残っている取り組みの部分を箇条書きで少しピックアップしていきたいと思います。

 

・朝のお集まりでテーマを決めて会をする

子どもの興味を拾い、それがテーマとなる。
見学した時は蝶々がテーマになっていた。
朝の会のみプロジェクト保育を行い、それ以外は行っていない。
これも一つの子どもの参画になるのではという感想でした。
・45分寝ない子は本を読んでもらう
長い本を読んでドイツ語に強くなるために読んでいる。
時にはテストのように子どもに質問をしている。
・片付けない子には…
遊びの途中でもおもちゃをそのままにして一旦お集まりに全員集合する。
全員でお片づけに向かう。その中で片付けない子がいたら、子どもたちで集まり、どうするかをみんなで話し合う。
話し合った結果、その子だけだ片付けることになる。
子どもたちで決めたことに従うことで、次から片付けなくなっていく。
・顔に絵を描く
絵が苦手な子は顔に絵を描くことで導入にし、絵を好きになってもらう。
・科学はしっかりと手順を教えていた。
科学は希望者のみ、6人くらいの人数で行っていた。
・0歳から3歳でオープン保育をしているため愛着という概念はない
慣らし保育は6週間から8週間と長めに設定してある。
それは親のためでもあるという。
0歳から子どもが先生を決める。
・0歳から3歳の園でもでキーボードが環境に用意されている
・オープン保育
100人でお集まり。
自分がどこの部屋にいるかの掲示をしている。
オープン保育の強みとして様々な特徴を持った部屋に特化できること。
「文字に特化した部屋」「科学に特化した部屋」etc…
・オープン保育のイメージ
ドイツ環境では壁がないイメージだがそれは逆でしっかりと区切られてる。ゾーンがしっかりとある。
しかし、近い将来新宿せいが子ども園のようにオープンの中でゾーンを設けるようになるのではと予想される。
・保護者の参画もある
園庭を一緒に作るなど、一緒に参画している。
・学童も参画を大事にしている
子どものやりたいことを実現する関わり。
環境地してブロックの片付けは2週間に一回。
ずっとサッカーができるがその代わり宿題はしっかりやるというのが条件として設けられている。

 

ザッと挙げたものだけでもまだ前半の前半分くらいではないかと思います。

おわかり頂けるだろうかこの情報量を…
実は細かい部分でまだまだありましたが割愛しています。
しかし嬉しい情報量ですね。
ドイツに行くとお頭がパンクするのではないかと思うほどですね。
それを整理するのも楽しみの一つかもしれないですね。

 

最終的にはこんな姿勢になれている森口氏。
IMG_7437

パソコンを見つめています。

内容は本当に面白いものでした。
毎年ドイツ報告を受けると何かしら実践をしてみたくなるのがいい刺激だなと思います。

 

このドイツ報告は藤森先生の臥竜塾ブログでいくつも報告されています。

そちらでより良い学びを一緒にしていけたらと思います。
「ありがとうございました、また来るね、バイバーイ!」
あ、子どもたちの決まり文句でした。
塩豚丼、春キャベツ(ギリギリ春ということで)、揚げとワカメの味噌汁 松屋をイメージしています…

塩豚丼、春キャベツ(ギリギリ春ということで)、揚げとワカメの味噌汁
松屋をイメージしています…

報告者 本多悠里

新しい命へ

雨の香りの臥竜塾。先ずは夕ご飯の準備から。

ネギを切る横田先生。

ネギを切る横田先生。

普段は自炊をしないとのことで、大切な機会ですね。

西村先生は味噌をときます。

西村先生は味噌をときます。

柿崎先生は相変わらず見事な手さばき。

柿崎先生は相変わらず見事な手さばき。

松元先生は包装を外します。

松元先生は包装を外します。

見事な手さばきです。

森口先生と田崎先生は食器の準備と打ち合わせ。

森口先生と田崎先生は食器の準備と打ち合わせ。

こういった機会があることが有難いですね。

そして完成です。

森口先生の大好物「焼肉のタレ」で味付けされた焼肉丼

森口先生の大好物「焼肉のタレ」で味付けされた焼肉丼

海苔香るチョレギサラダ

海苔香るチョレギサラダ

わかめと麩の味噌汁

わかめと麩の味噌汁

塾長が講演先でいただいた茨城県稲敷市特産「江戸崎かぼちゃ」

塾長が講演先でいただいた茨城県稲敷市特産「江戸崎かぼちゃ」

「江戸崎かぼちゃ」

栗のようなホクホクとした甘みでとても美味しいかぼちゃでした。

そして、塾長の奥様から枝豆もいただきました。いつも本当にありがとうございます。

さて、今回なぜ森口先生の好物メニューになったかというと、

おめでとうございます。5月30日、晴れてパパに。

おめでとうございます。5月30日、晴れてパパに。

最高ですね。今日はそんな森口先生のお子さん誕生報告から。

奥様出産日当日の朝、駆けつける電車の中で緊張からか森口先生のお腹が痛くなる事態に。奥様との共鳴のような痛みに耐えながら急ぎ向かう大江戸線内で無事安産の報告を受けたとのことでした。生まれた瞬間は「とにかく安心した」と森口先生。地元島根へ安着し、初対面はガラス越しだったそうですがそのあまりの可愛さに大感動。自分の子どもの顔を待ち受け画面にする人の気持ちが初めてわかったと力説していました。

塾長も当時を懐古され、むしろ自分が父親になった時よりも、御子息が父親になった姿を見た時にとても感動されたというエピソードと、その時隣にいた作業着姿の男性が保育器の中にいる子を長い時間じーっと見つめていた姿を見て、その姿に感動されたエピソードを聞かせていただきました。

とても想像できます。仕事中だったのか、仕事が終わって駆けつけたのか、作業着姿の男性が目に浮かぶようで、出産、子を授かること、そして親になることは何と掛け替えのないことなのでしょうね。

森口先生、本当におめでとうございます。

さて、食べ終えた食器、洗い物を森口先生にお願いし、

テーブル下に隠されたケーキ

テーブル下に隠されたケーキ

サプライズの始まりです。

森口先生が座った瞬間暗転

森口先生が座った瞬間暗転

「ハッピバースデートゥーユー、」

「ハッピバースデートゥーユー、」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

「消しますね。」

「消しますね。」

西村先生流石

西村先生流石

冗談です

冗談です

本当はこちらで、

本当はこちらで、

そしてこちらです。

そしてこちらです。

再び

再び

本当におめでとうございます

本当におめでとうございます

チョコレートケーキは皆で等分し、森口先生には大好物のモンブランでした。

 

話題は柿崎先生の出張報告へ。

6/1(金)、GT北関東(茨城、群馬、栃木)が茨城県稲敷市で開催されました。

会場は「認定こども園つばさ」建て直されて1年目の園で、通された理事長室の広さは驚く程だったとのことです。

講演内容はシンガポール講演でも話された「見守る保育10か条について」そして「昨今の保育指針改定について」。その夜は懇親会もあり、若林先生も参加されました。次の日は、保護者と職員の方々を対象とした講演を行い、その後はお昼を食べながら質問タイムといったスケジュールで行なわれました。

その際に利用された宿泊施設の話題になり、そこは小さなテレビが一つあるだけのトイレも洗面所もない8畳1間、全てが共同、冷蔵庫も共同、トイレは廊下の一番奥、洗面所はその反対側一番奥、夜中廊下に一つポツンとあった自販機から飲み物を取り出す音がして初めて他の宿泊客がいることを確認できたといった柿崎先生史上トップ3に入る様相であったようです。

しかしながら朝食にと通された食堂には壁中に芸能人のサインが貼られていたようで、なるほどロケ地等で利用されることが多いのでしょうね。先日から臥竜塾ブログ上海報告があげられていますが、出張にはドラマが待ち受けているようです。

 

最後は塾長の奥様が切り抜いて下さった新聞の記事から。

日本苦戦、100位内に4校 大学「論文の生産性」 アジア勢と差拡大 2018/6/4付 日本経済新聞 朝刊

「日本経済新聞などの調査からは、日本の大学が研究力で苦戦している姿が浮かび上がる。2012~16年の「論文の生産性」で100位以内に入っているのは、東京大学、京都大学、東北大学、東京工業大学の4大学のみ。強みのある戦略分野を明確にして競争主義を徹底するアジアの大学の背中が遠くなっている。」

記事によると、

1位 南洋理工大学 シンガポール

2位 香港城市大学 中国

3位 オールボー大学 デンマーク

4位 カルフォルニア大学 アメリカ

5位 デルフト工科大学 オランダ

そして日本は、

94位 東京大学

98位 京都大学

99位 東北大学

100位 東京工業大学

「日本が置いていかれそうだね。」と塾長。

新しい命が誕生し、その子が大きくなる時にどんな日本になっているのでしょうか。

見守る保育藤森メソッドが成すべき課題の大きさを目の当たりにするようなこの度の塾でした。

(報告者 加藤恭平)

NHKスペシャル『人類誕生』2回目

今回は、NHKスペシャル『人類誕生』の2回目を鑑賞しました。

人類誕生の地アフリカから、世界へと旅立ったホモ・サピエンス。その前に立ちはだかったのが、ヨーロッパに君臨していたネアンデルタール人でした。両者は1万年に渡って同じ土地で暮らし、ライバルとして地球の覇者を争ったそうです。(実際にホモ・サピエンスとネアンデルタール人の間で争いはなかったとされています)

ところが、屈強な体と高い知性を持つハンターだったネアンデルタール人はなぜか忽然と姿を消し、私たちの祖先であるホモ・サピエンスだけが生き残りました。もし、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが1対1で戦えば、間違いなくネアンデルタール人が勝つでしょう。しかし、ネアンデルタール人は敗北していったのです。それは、人類進化における最大のミステリーとされています。

その謎を見ていきましょう!

700万年前、最初の人類が誕生して以来、様々な枝分かれを繰り返し、20種類ほどの人類が生まれては絶滅しました。そして、最後に現れたのが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス。ネアンデルタール人は主にヨーロッパで進化し、その後アフリカで誕生したのが、ホモ・サピエンスでした。つまり、ネアンデルタール人と私達ホモ・サピエンスは同じ祖先から全く別の場所で進化した、遠い親戚のような関係でした。また、同時代に地球上に住んでいた、最大のライバルでもありました。では、この2種類どんな出会いだったのでしょうか。

文明の交差点、中東エルサレム、ここで両者は出会ったとされています。現在も3つの宗教の聖地とされるエルサレムは世界中の人が集います。何か縁を感じますね。きっかけとなったのは、イスラエル北部にあるマノット洞窟での発見です。5万5000年前にホモ・サピエンスが暮らしていた痕跡が見つかったのです。実はこの遺跡から、わずか40kmの距離にネアンデルタール人が住んでいた跡も見つかっています。これまで、この時代にはサピエンスとネアンデルタール人は遠く離れて暮らしていたと考えられていました。ところが、日常的に顔を合わせてもおかしくない、とても近くで暮らしていたことがわかりました。

では、ネアンデルタール人とはどんな人類だったのでしょうか。まず、ネアンデルタール人の知能が見直されています。それは、発掘された遺跡や頭蓋骨からわかります。ネアンデルタール人の頭蓋骨はホモ・サピエンスより明らかに大きく、10%も大きい脳を持っていたことが明らかになっています。また、言葉を話すのに欠かせない舌骨や耳小骨などを詳細に調べた結果、喋る能力があった可能性も判明。さらに、ペンダントやブレスレットを身につけていたり、文化的な行動を行っていたことも分かってきました。動物の皮を加工し、身につけていた証拠も。従来、体は頑丈でも、言葉を持たず知能は低いと考えられていたネアンデルタール人ですが、本当は屈強な体に高い知能を併せ持つ人類だったのです。私たちが賢く優秀だったから生き残ってきたと考えられていましたが、それは大きな間違いだったのです。

次は、お互いにどんな暮らしをしていたのか、みていきましょう。まず、ネアンデルタール人が繁栄したのは氷期のヨーロッパで、冬の気温はマイナス30℃まで下がり、食料は乏しい時代でした。この厳しい環境を生き抜くために、独特の狩猟方法を編み出します。それは、骨の化石に残されている無数の傷跡から分かるそうです。骨に残された傷は、ネアンデルタール人の狩りが肉弾戦だった証拠で、彼らはとてもチカラが強く、接近戦で狩りをしていたのです。しかし、かなり命がけの狩りだったことでしょう。その一方で、私たちの祖先のサピエンスは、ネアンデルタール人に比べると、全身の骨は細く、力が弱かったため、全然違う方法で狩りをしていました。勇猛果敢に大型動物に挑む強い力はなかったため、小型動物を狩りし、何とか命を繋いできたのです。

しかし、ウサギのような小型動物を追っていた時代から数千年経った4万3000年前、サピエンスの狩りは様変わりしていました。このとき、道具の革命が起き、大きな動物を何匹も捕まえるようにまで、進化していたのです。その際に使用していた道具が、「アトラトル」と呼ばれるもので、サピエンスの暮らしを根底から変えました。アトラトルとは、槍を遠くまで飛ばすことのできる道具で、テコの原理を用いて、腕だけで投げる距離の2倍以上の距離投げることができます。これだと、近距離でなくても狩りが可能になり、サピエンスは弱点を補うことに成功したのです。(以前日本テレビの「世界の果てまでイッテQ」という番組でお笑い芸人のみやぞんさんが、このアトラトルを使用する回を観たことがあります。興味のある方は、そちらもご覧ください)また、画期的な道具は、アトラトルだけではなく、サピエンスは石器など様々な道具を革新させていったのです。それに比べると。ネアンデルタール人の道具は、25万年もの間、ほとんど変化がありませんでした。この違いは、両者の遺跡を比べることで分かります。

まず、サピエンスが暮らしていたフランス西部のカスタネ岩陰遺跡を見てみます。かつて、崖の下には500平方メートルの広大な空間が広がり、石器や人骨の数から、多いときには150人ほどが一緒に暮らしていたことが分かるそうです。その一方で、ネアンデルタール人の住んでいたとされる、スペイン北部のエル・シドロン洞窟を見てみると、出土した骨などから推測し、13人で生活していたことが分かるそうです。彼らの集団は多くても20人ほどで、さらに全員が血縁関係にあり、家族単位の小さな集団で生活していたことが分かります。この集団の大きさの違いが、道具の革新の差に繋がったと考える研究者が、イギリスのオックスフォード大学にいらっしゃいます。そう、ロビン・ダンバー博士です。

例えば、アインシュタインが何かを発見したとき、集団が大きければ、多くの人がそれを使えます。でも、ネアンデルタール人は新たな発見をしても、多くの人に広めることができなかったのです。画期的な道具が生まれても、ネアンデルタール人の家族単位の暮らしでは広がりません。一方、サピエンスのように大きな集団では、多くの人に広がり、改良も進んでいくのです。アトラトルという画期的な武器を手にしたサピエンス、その背景には集団での情報共有があったとされているのです。

サピエンスは集団生活によって、やがてネアンデルタール人との運命を逆転していくことになります。モスクワの東200km、ウラジミールに残る3万5000年前のスンギール遺跡があります。この頃、サピエンスの集団は、さらに大きくなり、ここには400人にのぼる非常に大きな集団で生活をしていました。それは、血縁を超えた、もはや社会と呼べるものでした。なぜ、これほどに集団が大きくなったのでしょうか。その謎には、私が今勉強している「宗教」というものが大きく関わってきます。遺跡から、マンモスの牙でできた指輪やホッキョクギツネの歯で作られた頭飾りなどが発掘されるのですが、これらは全て死者のための埋葬品だったのです。つまり、この頃から「死後の世界」に思いを馳せ、原始的な宗教のようなものが生まれていたと推測されるのです。原子の宗教の痕跡は、このころのサピエンスの遺跡から相次いで見つかっています。フランスのショーヴェ洞窟では、洞窟壁画がたくさん描かれています。その中には、上半身は動物で下半身は人間のような絵や、ライオンマンと呼ばれる、顔がライオンで体は人間のように現実にはない不思議な生き物が多く描かれています。一説には、儀式を執り行うシャーマンの姿だと言われています。

この宗教こそが、人々を結びつけ、巨大な社会を生み出す原動力になったと言われています。先ほど出てきた、ダンバー博士も、宗教が人々の間に強い絆を生み出し、人類は宗教を使って非常に大きな社会を作っていったと言います。闇に包まれた洞窟の奥には、神秘的な世界が広がり、そこで人々は共に歌い踊り、儀式を行うことで繋がりを深めたと考えられています。このように同じものを信じることで生まれた強い連帯感で、強固な集団の力となり、それはその後のサピエンスを救うことになります。

ヨーロッパを襲ったハインリッヒイベントと呼ばれる気候変動が起こります。当時北アメリカを覆っていた巨大な氷の塊が海へと崩落し、その影響で海流が変わり、ヨーロッパの気温が急激に乱高下を繰り返したのです。極端な暑さと寒さが、ときには10年単位で入れ変わり、森は消え生き物も激減しました。サピエンスはこのおきな危機をどう乗り越えたのでしょう。その鍵となったのは、集団同士の交流でした。宗教は何千キロも離れた人々を結びつけ、数千人の社会が誕生します。例えば、食料が全く足りなくなったときも、宗教で結ばれた遠く離れた仲間同士が、互いに助け合って、この危機を乗り切ったのです。こうして、気候変動を生き延びたサピエンスは、ヨーロッパでの勢力を拡大する中、ネアンデルタール人の生息域は徐々に狭まっていきました。

小さな家族単位の集団だったネアンデルタール人は、仲間の助けを受けることなく孤立し、わずかに残った森で数少ない獲物に頼るしかありませんでした。また、その肉弾戦の狩りは常に死と隣り合わせで、狩りで命を落とす者も多く、ほとんどが30代までに亡くなったと推測されます。さらに、彼らは体が大きく大量のエネルギーを必要としていました。それは長い時間をかけて氷期に適応した体になっていたのです。しかし、それが結果的に仇となってしまいました。ホモ・サピエンスが大きな社会を築き始めていた頃、ネアンデルタール人はヨーロッパの南端、イギリス領ジブラルタルのゴーラム洞窟で最後のときを迎えたされています。彼らが、最後の日々に何を感じ、世界をどう見ていたかを知ることはできません。しかし、彼らにも私たちと同じように悲しみや怒りといった感情は持っていたはずです。おそらく最後の1人はとてつもない孤独を感じていたでしょう。絶滅の淵に追い込まれたネアンデルタール人が残した不思議なものが4年前見つかりました。ハッシュタグ(#)と呼ばれる、繰り返し石を削って刻まれたものです。なぜ、このようなものが描かれたのかわかりませんが、もしかしたら、一族が生きた証を残そうとしたのかもしれません。こうしてこの地球上には、私たちホモ・サピエンスだけが生き残ることになったのです。

これまで、ライバルという表現をしてきましたが、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが、直接戦ったり、殺し合いをしたことはなかったと言います。人類最初の戦争は、サピエンス同士で起こったとされています。生活が違ったからこそ、ネアンデルタールとサピエンスは戦うことはなかったそうです。宗教で集団の結びつきが強まった反面、争いも始まったのです。集団の力は、諸刃の剣だということが分かります。

そして、ここまでネアンデルタール人が絶滅した背景を見てきましたが、実はそのDNAが私たち現代人の中に受け継がれてきていることが最近分かったのです。ネアンデルタール人の骨からDNAを採取・復元し、世界各地の人々と比べたところ、アジアやヨーロッパの人々に約2%、ネアンデルタール人のDNAがあることが分かりました。最先端の技術すごいですね。一方で、アフリカのサハラ砂漠以南の人には、ほとんどありませんでした。この理由として、最初に書いたサピエンスとネアンデルタール人が出会ったのがエルサレムということが挙げられます。アフリカを出たサピエンスはエルサレムでネアンデルタール人と出会い、交配をしましたが、アフリカに残ったサピエンスは、ネアンデルタール人に出会うことなかったので、混血もなかったと考えられています。

ホモ・サピエンスに刻まれたネアンデルタール人の遺伝子は、私たちにポジティブな影響を与えてくれました。例えば、アフリカにはなかったウイルスに対する免疫遺伝子などです。私たち人類は、異なる人々と交わり様々な遺伝子を受け取って生きてきたのです。そしてその事実は私たちとネアンデルタール人がとても近しい存在だったことを意味しているのです。もし彼らが今も生き残っていたら、きっと共に生きることができただろうと言われています。

個人的には、人々を結びつけた宗教や集団の力をもっと勉強したいと思いましたが、それ以上に塾長が講演で話す内容に世間が追いついてきたように感じました。次回の人類誕生は、グレートジャーニーで日本にやってきます。それも楽しみですね。

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メニューはカツカレーとオニオンサラダでした。

以上、5月29日臥竜塾報告終わります。

西村 宗玲

近況報告と今後の課題

5月19日の臥竜塾の報告です。

今回はいつもより早く食事が終わり、特に出張報告もなかったので久しぶりに「最近自分が、クラスが園で取り組んでいること」について一人ずつ話していきました。

 

最初は3,4,5歳担任の天悠君からでした。

「3年目になって、今はまだ先輩の保育士さんたちがいろんなことを先に先にやっていってくれているので、とにかくそれにくらいついて自分も仕事を覚えられるようにしていきたいと思っています。」という事でした。

天悠君は現在3,4,5歳児クラスで、「1年目に担任をした子たちが4歳児になってどう感じるか?」という塾長からの問いかけに対して、「1年目の時のクラスでは、子どもたちの発達はゆっくりと聞いていたのですが、1年目なのでわからなかったですが、3,4,5歳の異年齢クラスに入って離れてみていると、その特徴がわかるようになりました。と答えていました。そして最近クラスで取り込んでいる事は、「同じクラスの加藤先生と環境をどんどん良くしていこうという話をしいています」とのことでした。「今は、一つのゾーンに集中してしまって遊べない子もいたりするので、どうにか各ゾーンを遊び込めるように、2階と3階の使い分けを明確にしたりとか、環境を変えて子どもたちにアプローチしていこうと考えています」という事でした。

塾長は現在「子どもの参画」について考えていることから、「権利だから参画させるのではなく、参加させることでどう変わっていくのか。という事をすすめて行きたいと提案されていました。

 

2番目は2歳児担任の松元君からでした。

「散歩の道中でまだ並んで歩くのが難しいので、先ずは手をつなぎながら歩けることをしっかりとやっていきたいです」「ゾーンで言うと落ち着ける場所をつくったりしたいです」とのことでした。

2歳児について話をしていたところ、今、世間では2歳児の「イヤイヤ期」という名称が話題なっているという話題になりました。「イヤイヤ期」という名前だと子どもが悪者になってしまうような言い方に聞こえてしまいそうですが、塾内で話を進めてみると、逆に親の目線になってみれば、「今はイヤイヤ期だから仕方ないか」という気持ちになり、ある意味で「2歳児の親はみんな一緒なんだ」「自分だけじゃないんだ」と親は安心するのではないか!?という答えになっていきました。

3番目は1歳児担任の横田君からでした。

「まだ担任になって間もないので先輩の保育士さんにいろいろ教えてもらっています」「クラスでは噛みつきが増えてきているのでそれを注意しながら見ています」また、「部屋から出てしまう子が夕方に多くなってきているのでそういったところも注意しながら見ています」ということでした。それに対して塾長から「探索活動の時期もあるからあまり静止しすぎるとストレスが溜まって逆に噛みつきが増えるこがあるよ」というアドバイスがありました。

 

4番目は一時保育の本多君からでした。

「今日たまたま1歳児の先生に一緒にお散歩へ行かないかと誘われて行くことが出来ました。一時保育の部屋は他のクラスと階も違うし離れているので、一緒に行くことで他のクラスの様子がわかるのでとてもあがたかったし、誘ってくれた1歳児の先生にもお礼を言われた。

5番目は調理の柿崎からです。

「個人的に今頑張っているのは今月に入ってから今までほとんどやっていなかった17~8人分の離乳食を作っていて、それを時間通りに終わらすことを頑張っています。そして最近作るのが徐々に楽しくなってきました」また「全体的に言えば、5月から入ってきた新人さんに早くいろいろと覚えてもらうこと」という事を報告させてもらいました。

6番目は研究員の森口君からです。

「アメリカの保育の質を評価する指標を使い、項目が200個くらいありますが環境評価スケールを行いました。うちの園ではどの位当てはまるかを、今日の午前中に山下先生とチェックしていきました。」あと「個人的な事で言えば、徐々に園にも慣れてくるとすぐに調子に乗ってしまう癖があるので気をつけたいと思います。」とのことでした。

最後に塾頭からでした。

「今年から森口君と一緒に用務の仕事をやっているが意外とモノを知らないという事に気づきました。それは、年長担任と子どもたちとナスとトマトの種を植えたかったんですが、自分は用があってできなかったので森口君が「任せて下さい!」と一言。いざ子どもたちと種を巻いていたら年長の担任に「なんか雑だなぁ」と言われてしまったらしく後々話を聞いたら、1つの穴に種を3ついれていた(小学生の理科の授業で、1個の種だと発芽しないかもしれないので、穴を近くに3個つくりそれぞれの穴に種を一つずつ捲くというやり方)そうで、「ちゃんと教えていなかった自分が悪いんだ…」と反省しました(笑)とのことでした。また、この前の遠足の看板を作るときに布を切る際に30㎝のものさしを使って測って導き出した長さが、なぜか20㎝ものさしと勘違いして測っていたといううっかりがありました。

という感じで、現状の取り組みや、課題などを話し合っていきました。

後は、塾頭から今後のGTセミナーで販売する冊子についての話や、今後の臥竜塾セミナーの話をしました。

残りの時間は、最近の西村君の大学生活についての近況報告がありました。

「編入で3年生から入ってみたけど、1年生からいる人間に比べて知識量が違うので危機感が出てきてます。逆に編入で良かったのが、授業については全部が専門科目なので、全部が横つながりで学びが深く感じれた。仏教学部に入って思うのは、保育と仏教だったり宗教というのは近いものを感じるがまだ言葉にはできないので、それを学んでいくところで楽しくなってきている。という近況を聞き今回の塾は終わりました。

ちなみに今回のメニューは、個人的に大好きな麻婆豆腐丼、塾長から頂いた新玉ねぎでオニオンサラダ、ワンタンスープでした。

(報告者 柿崎)

今回の夕食

今回の夕食

 

本当の自立

5月1日の塾の報告をさせていただきます。

まずは今晩のメニューの紹介から。新年度も始まり、はや一ヶ月が経ちました。新年度の疲れもたまってきているだろうということで、元気をつけようと思い、納豆、オクラ、山芋、まぐろなどを入れたねばねば丼、それになめこを入れた味噌汁にしました。また、園長先生から愛媛県宇和島産のかまぼこをいただきましたので、ねばねば丼に入れて食べさせていただきました。ありがとうございます。食後には田崎先生から長崎のお土産でカステラを食べました。カステラ大臣(塾頭)曰く、卵の使い方(黄身と白身の配分?)が普通のやつとは違っていて、しっとり、しっかりした味付けになっていてとてもおいしいとのことでした。田崎先生、おいしいカステラをありがとうございます。また、塾長から鹿児島のお土産で西郷どんのお菓子も食後にいただきました。ありがとうございます。

宇和島のかまぼこ 塾長のお土産です

ねばねば丼

ねばねば丼

なめこ入り味噌汁

なめこ入り味噌汁

食事前 塾風景

食事前 塾風景

田崎先生からの長崎土産 高級カステラ!

田崎先生からの長崎土産
高級カステラ!

鹿児島のお土産 西郷どんのお菓子

鹿児島のお土産
西郷どんのお菓子

さて今回の塾では、まず、食事を食べながら田崎先生がGWで実家に戻っていましたので、その時の話から始まりました。休日はどこにも出かけずに家族の時間を大切にしたそうです。弟たちと買い物に出かけたりもしたそうです。「これかってよ~」と弟たちからのおねだりにも、「こんなときしかできないからな」と思いながら買ってあげたそうです。さすがお兄ちゃんですね。

また実家の園にも行かれたそうです。そこでは、職員さんからの質問をたくさん受けたそうです。いくつか受けた質問を紹介します。

Qピーステーブルを置いているが、子どもがピーステーブルに行けばいいんでしょ。ってなる。どうしたらいいですか?

A泣いている子がいて、その周りに声をかけそうな子がいたら、その子に任せる。でも自分(保育者)からどうしたの聞くことは悪いことではない。関わりすぎないように気を付ければいい。

 

Q食べ残しが非常に多いのですが、どうしたらいいですか?

A子ども達の自分から食べる、食べたいという意識付けだけでだいぶ変わる。

 

Q保護者の意識が低い

A都会の人はトイレトレーニングなどがつがつ言ってくる人が多い気がします。田舎はゆっくりなのかもです。

 

など聞かれたそうです。応えられるところは答えて、そうでないところは、「どうしたらいいんだろうね」と一緒に考えていたそうです。

 

さて食事が終わると、今度は田崎先生の保育に対する心境の変化という話をパワーポイントを見ながら聞きました。

保育のモチベーションのグラフを作っており、最初はあまり高くなかったそうです。とりあえず資格だけは思い大学に入ったのですが、そこで、先輩から保育実習の話を聞くそうです。実習はただの地獄だと。そこで保育に対するモチベーションはものすごく下がっていったそうです。自分は保育関係の学校行っておらず、保育実習の大変さも苦しさも知りませんので、へえ、そうなんだぁと思いました。

 

ところが、そのモチベーションは実習をきっかけにグンと上がったのです。田崎先生の実習先は「新宿せいが保育園」でした。はじめは、どうせ地獄なら東京に出れるからいいか、くらいに思っていたそうです。実際に実習が始まると、聞いていた話とは真逆のことが多く、毎日が楽しくてしょうがないくらいだったそうです。実習では見られるというよりは、見せてくれているような感覚。集団とは決して同質を求めるのではなく、それを補いあうような。保育者同士は競い合う存在ではなく、互いに支えあうような存在であったそうです。それぞれに個性、特技があり、それを生かす保育を心掛けている。とても面白い話で、勉強になりました。

また主体性と自発性の違いについても話題になりました。

 

田崎先生の話が終わりと、次は自立の話に移っていきました。

5月の塾セミナーでは自立心をテーマに発表させていただく予定です。

一般的に自立と聞くとどうしてもなんでも一人でできるようなことを想像しがちです。実際、社会にでて働きだし、経済的に親元からはなれ、一人で生きていいく時に自立したと言います。しかし、塾長の考える自立の意味は違っていました。

例えば、無人島に行ったとしても、生き抜いていける力のことを自立というのではなく、社会の一員としてその役割をもって生きていくことを自立というそうです。これにはとても驚きました。実は新しく出た保育指針の人間関係のところに「他者と支えあって生きていくために自立心を育て」と記載されているそうです。指針にも社会(人と人の関わり)とのかかわりの中での自立と書いているんですね。

よく塾長が出張に行かれた際に質問をうけるそうですが、その中にこんな質問があるそうです。

 

Q子どもに何かを要求された時にすぐにその要求にこたえてもいいんですか?大人がやってしまったら、子どもは甘えて、大人に頼りっきりになったりしませんか?

 

自分はなんとなくよくわかるなと思いました。普段の保育でも、子どもにやらせてあげた方が、自分でできるようになるのかな、なんてよく考えます。自分がやってあげちゃっていいのかなと思います。しかし塾長の答えは違いました。

 

Aある研究結果で、子どもに抱っこを要求された時に、その要求にすぐに応えてあげた方が、抱っこをする総時間数は、要求に応えない群よりも減るそうです。実は、求められたらすぐに応えた方が、できるようになるのは早いそうです。

 

加えてこんな話もしてくださいました。

 

子どもが頼みに来た時に、大人が丁寧にやり方まで教える場合と、そうでない場合(大人がさっさとやっちゃう)では、丁寧に教える方が、技術の習得は早いかもしれないが、そうでない場合では、大人を真似して他の子にやってあげるようになるそうです。

自立(社会への貢献)を考えると後者の方がいいですね。すごく面白い考えだなと思いました。

よく挨拶しなさいと子どもに教えている様子を目にしますが、それよりかも何も言わずに大人が挨拶する方が、挨拶を返してくれる子どもは多い気がします。大人をモデルにしている例ですね。

4月5月は子どもも慣れていなく、大人がモデルを示すことが大切です。見守るためにも今はがっつり介入することが必要だ、という話で今回に塾は終了しました。

 

報告者 横田龍樹

人類誕生

大変、遅くなってしまいましたが、4月10日の臥竜塾の報告をさせていただきます!
(もう、1ヶ月も経ってしまっています!!すみません!)

この日はまず、ある番組を見ることから塾が始まりました。
その番組はNHKスペシャル「人類誕生」というものです。全3回から構成される壮大な番組(なんと言ってもCGがすごいです)で、僕たちが見たのは第1集「こうしてヒトが生まれた」という回です。
5月13日には第2集「そしてヒトが生き残った」
6月10日には第3集「ついにヒトは海を越えた」
が放送される予定ですので、興味のある方はチェックしてみてください。

Web

今、相次ぐ新発見により、人類の歴史が次々と塗り替えられているそうです。そんな新事実に基づいた内容になっています。
余談ではありますが、歴史というのは本当に分からないですね。今まで、そうだと思い込んでいたものが全く違っていたということがよくあります。だからこそ、おもしろいのかもしれませんね。

では、第1集「こうしてヒトが生まれた」の内容ですが…

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私事ですが、先日産まれた友人の子どもの名前が「一生」になりました笑

まず、なぜヒトは二足歩行をはじめたのかということからはじまります。
現在分かっているだけで、20種類もの人類が同時期に共存していたそうです。その中でも、アルディピテクス・ラミダス(なんだか、あれですね。横浜ベイスターズの監督みたいな名前ですね。個人的には去年のクライマックスシリーズで我が広島東洋カープは…あ、関係ない話になってしまいました)という類人が二本足で立っていたそうです。
それは、骨盤の形からも分かっているそうです。
しかも、従来の研究では二足歩行は草原ではじまったと考えられていたのですが、ラミダスは木の上で生活していたそうです。

そもそも二足歩行では歩く速度が遅くなってしまうので、肉食獣から逃げるのは不利だったそうです。
では、なぜ、そんな状況でもラミダスは生き残ることができたのでしょうか。
それはなんと環境変化によるものだったそうです。
地下のマントルの上昇に伴い、アフリカ大陸が持ち上がり、山脈が生まれます。その山脈が大きな壁になり、山脈の東側は遮られ、乾燥が進みます。そうなることで、木々がまばらなってなってしまいました。木々が少なくなったことで、果物などの食物が手に入りにくくなります。

しかし、そんな状況になったことで、たまたま、木の上で二足歩行をしていたラミダスが有利になったのです。
それは遠くからエサを運ぶことができるからなのです。そして、木登りが得意な猿から逆転し、ラミダスが生き残っていったそうです。

たまたまというのがおもしろいですね。
番組の中で、人類学の先生が
「進化は偶然に起きることがある」ということを言われていたのが印象的でした。
「こうなってやろう」という意志ではなく、偶然に進化したというのはおもしろいですね。

また、他にもラミダスの特徴として、犬歯が小さかったということがあげられるそうです。
チンパンジーの場合はメスを巡って争うために犬歯が発達しているそうなのですが、ラミダスはそうではありません。
それは、ラミダスは一夫一妻制で、協力して生活するため、メスを巡る争いがなかったからと考えられるそうです。
メスを巡って争うことにエネルギーを費やすのではなく、メスの子育てを協力することにエネルギーを費やすことができ、生存競争に勝ち残ったというのです。
一夫一妻制の方が有利だったのですね。ついつい生存競争に有利なのは、一夫多妻の方なのかなというイメージを抱いてしまいますが、そうではないのですね。

そして、そんなラミダスからやがて、様々な人類が生まれていきます。
しかし、その中で、生き残ったのはアウストラロピテクス・アファレンシスという人類だけになります。
では、なぜ、アファレンシスは生き残ったのか。
それは乾燥が広がり、アフリカはさらに草原になっていきます。そんな大地で、ひ弱なアファレンシスが生き残れたのは、10人ほどの集団で行動していたからだそうです。数だけが肉食獣に対抗する術だったのですね。そして、仲間を持つヒトに進化したのです。

そして、さらに人類はそこから
ホモ属とパラントロポス属に分かれていきます。
パラントロポスは噛む力が強く、頑丈型猿人と呼ばれます。反対にホモ属であるホモハビリスはとてもひ弱な存在でした。しかし、そんなひ弱なホモハビリスが生き残ることになります。

ここにもたまたまという偶然があったのです。
それは、石器の発明でした。
顎の弱いホモハビリスはなんとかあがくことで、石器という道具を発明し、生き残ったのです。
弱い方がピンチをチャンスにすることができるのですね。
まさに、必要は発明の母!かつて、長嶋監督は「失敗は成功のマザー」という名言を残しましたね。

その後、ホモエレクトスという人類が生まれます。このホモエレクトスは「足が長くなり、体毛がうすい」ということが特徴でした。そして、狩りをしていたそうです。
ホモエレクトスは狩りをしていた。
体毛がうすいことで、汗をかき、体温の上昇を防義ながら、走ることができたので、長く走ることができたので、狩りに適していたのですね。そして、肉を食べることで、脳が大きくなり、知恵をもち、心を持つヒトになっていったそうです。

そして、
紆余曲折あり、さらにホモ・サピエンスという人類が生まれます。しかし、そんなホモ・サピエンスにピンチが訪れます。
それが氷河期の到来です。
アジアにいた人類には氷期の影響はあまりなく、ヨーロッパにいた人類はいち早く寒さに対応していたため問題なかったのですが、アフリカにいたホモ・サピエンスはもろにその影響を受けてしまいました。
アフリカの草原は砂漠になり、住処を追われ、ホモ・サピエンスはある岬に逃げ込みます。
そんな岬でなんとホモ・サピエンスは今まで口にすることがなかった貝を食べることで、生き残っていったそうです。

「見慣れない食べ物をたべるための好奇心が人類を生き延びさせた」のですね。

というよう流れで番組は進んでいきました。
私たち、人類が生き残ってきたというのは本当に不思議なことですね。
偶然があったり、逆転があったり、ピンチをチャンスにして生き残ってきたと思うと、生きるということを考えさせられるような気がしてきます。

そして、この番組の内容はまさに塾長が話をされることでもあり、塾長はそこから乳幼児教育の本質を見ようとされています。塾長のこの、あらゆる知識を関連させる力は本当にすごいです。物事をこのようにいろいろな方向から見ることを私も忘れたくないなと思います。

そして、この日は少し早いですが、4月15日が塾長の誕生ということで、みんなでお祝いをしました。
メニューもお祝いということで、いいお肉を使って、牛丼を作りました!!
塾生から竜のネクタイピンを塾長にプレゼントしたのですが、わたくし、写真を撮り忘れてしまいました!!

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数え歳で塾長は今年古希を迎えられました。そのような年齢を感じさせないパワフルさがあります!
「人類誕生」の番組と重なりますが、生きるということを改めて感じた塾になりました。

報告者 森口達也

「なぜか上海」♪

遅くなり、申し訳ありません。
4月24日の塾報告をさせていただきます。

まず始めに、メニューの紹介です。
先日、塾長と森口先生が愛媛県 宇和島に出張に行かれ、そこでお土産を買ってきてくださいました。

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今日のメニューは、じゃこ天ほたるじゃこ、手押してんぷら、ケンタッキー、ホタルイカ、ご飯、味噌汁です。

ホタルイカは山下先生のお父さんから頂きました。

ご飯を食べながらの話題は、上海出張の話です。

井上陽水の「なぜか上海」をBGMに…。

「上海での電車の取り合いがすごかった」そうで、降りようとしている人がいても、
関係なしに乗り込んでくるのが当たり前だったそうです。
日本ではなかなか見ない場面ですね…。

そして、上海でのご飯の話ですが、
上海蟹の食べ方が分からず、現地の人に聞いても「さぁー」という答えに、ビックリしたという話を聞き、

文化の違いといいますか、日本と中国でこんなにも変わってくるんだという印象を受けました。

海外の出張で必ず話題になるのが、飛行機のはなしです。
行きの飛行機で「家族はつらいよ」帰りは、「スターウォーズ」の映画を見たそうです。
そして、機内食も美味しかったそうです。
そして、機内での言語は中国語しかなく、機内食で何がいいか聞かれていたけど
「チキンヌードル」しか聞き取れず、チキンヌードルを選ぶしかなかったようです笑

なかなか、海外へ行くことがないので毎度、海外出張の報告を聞くたびに、自分も行ってみたいと思ってしまいます。

そして、話題は研修の話ですが、その時に上海の方が見せてくれた動画を見ました。

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お当番が食器を洗ったり、拭いたりする様子でしたが、一言を喋らず淡々と食器を洗って拭く動画でした。

その拭き方にも決まりがあるようで、一枚一枚丁寧に洗って拭く姿に、驚きました。
見ていて感じたことは、私語は禁止なのかなと思ったことと、どういったねらいからの取り組みなのだろうと感じました。

塾長の話を聞くと、その園はモンテッソーリの園ということでした。

◆モンテッソーリ教育誕生の経緯
モンテッソーリ教育は、イタリア最初の女性医学博士のひとり、マリア・モンテッソーリによって開発された教育法です。同氏はもともと障がい児教育に携わっていましたが、やがて「同教育法は障がいのある子どもの教育だけに限定されない」という考え方から、同氏監督・指導の保育施設で一般的に適用されたのが始まりです。

◆モンテッソーリ教育の考え方と目的
モンテッソーリ教育の基本的な考え方は「子どもは生まれながらにして、自分自身を成長させ、発達させる力をもっている。したがって保護者や教師といった大人は、子どもの成長要求をくみ取らなければならない。子どもの自由を保証し、自発的な活動を助ける役割を果たすべきだ」というものです。
この考え方にもとづいて、責任感と思いやりをもった自立的な人間、一生を通じて学び続ける姿勢をもった人間を育てることが、モンテッソーリ教育の目的です。

◆モンテッソーリ教育における「整えられた環境」
モンテッソーリ教育を実践する幼児教育施設は「子どもの家」と呼ばれます。「子どもの家」では、以下の4つの要素を満たす「整えられた環境」が準備されていることがポイントです。

1.お子さまが自由に教具を選べること。
2.「やってみたい」とお子さまが思えるおもしろそうな教具があること。
3.社会性や協調性が促される、年齢縦断型のクラス編成をすること。
4.お子さま一人ひとりの発達段階に応じた環境を整備し、お子さまの自己形成を助ける教師。

◆日常生活の練習
モンテッソーリ教育の基礎である課目です。大人が行う日常生活のさまざまな動作をまねします。たとえば、ひも通しによる縫う練習、まゆばさみによる箸を使う練習、金属磨きによる磨く練習などです。
日常生活の練習によって、お子さまは秩序立った体の動かし方を身につけるとともに、自立心や独立心を育みます。

◆感覚教育
感覚を洗練させ、ものの考え方を身につけさせる教育法です。感覚教具は、「対にする」「段階づける」「仲間分けする」という3つの操作法が組み込まれています。代表的な教具は、円柱さし、音感ベル、ピンクタワーなどです。

◆言語教育
言語発達を促す教育法です。絵と文字が書かれた絵カードや、文字を並べ替えて言葉や文章を作る文字カードを使います。語彙や文法、文章構成を学びます。

◆算数教育
数の概念の基礎、十進法、簡単な計算を学びます。代表的な教具は算数棒やビーズなどです。抽象的、論理的な力が身につきます。

◆文化教育
身近なものに触れながら、歴史や地理、生物、音楽について学びます。代表的な教具は世界地図パズルや時計などです。

モンテッソーリについて、あまり知らないので調べてみました。
塾長の話の中にも、もともとモンテッソーリは障害児保育に携わっていたこともあり、裕福な家庭には、障害児が少ないと言われていた。それは、裕福な家庭の方が家の手伝いをしていたから、それが、機能回復に繋がっていたと考えられて作られたということでした。

上海の園で子どもたちが取り組んでいたことも、そういった背景があり、皿洗いを通して、日常生活の練習から責任感と思いやりをもった自立的な人間をねらいに取り組んでいたのかなと思います。

そんな会話の中、山下先生が到着しました。
「ケーキ買って来たよー」と言いながら入ってきたのですが・・・
実は、森口先生の誕生日で、普段なら本人に気づかれないようにサプライズするのですが、
あえて、普通に持ってくるという(笑)そして、すぐに森口先生が「かくせかくせ!」とツッコミ盛り上がりました。

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みんなでケーキを囲み、森口先生の30歳の誕生日を祝いながらの会話は
「30の誕生日を東京で迎えると思っていたか?」という話題へ。

私もそうですが、実家にいた頃に目覚ましテレビで新宿やお台場など東京の映像を見ていた時の感覚と今とでは、すぐそこだったりするので、何度見ても不思議な気持ちになります。
かといって、東京生まれ東京育ちの塾生からするとその感覚がわからないという話があったりしました。
そんな話から、それぞれの地方の話やCMの話で盛り上がりました笑

そんな楽しい雰囲気の中の塾でしたが、
今日一に笑った場面が、
上海のお土産で、ライチ味のポッキーを頂きました。

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みんなが食べる前に塾長が食べて・・・「まずっ!」

塾生に一本ずつ配ってくれたのですが・・・「まずっ!」

その場面が今日一で笑いがおこった瞬間でした!笑
何人かは、意外と好きだったようで、ライチが好きな人にはおいしいかもしれません!
最後に、今年度の臥竜塾生の似顔絵が完成しました!!

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これで今回の報告を終わりたいと思います。

報告者 田崎 天悠

学び舎の日々 ありがとう

桜の花舞う臥竜塾。先ずは食事の準備から。

その手にキラリと光る包丁。

その手に一際輝く包丁。

『臥竜塾』

『臥竜塾』

今月より外部塾生となられた小松崎先生、若林先生からプレゼントしていただいた臥竜塾包丁。西村先生はその切れ味を堪能。小気味良い音を奏でます。

田崎先生は大量のうどんをボールへ。

田崎先生は大量のうどんをボールへ。

思わずにっこりの森口先生。

思わずにっこりの森口先生。

少し量が少なく感じられるのは、普段よりも塾生の人数が少ないからでしょうね。座る席にもゆとりがあり、寂しかったので、

小松崎先生のいた席に人の形の磁石を置きました。

小松崎先生のいた席に人の形の磁石を置きました。

そして完成。

そして完成。

春野菜のキャベツ、玉ねぎを使った焼うどんと即席スープです。

春野菜のキャベツ、玉ねぎを使った焼うどんです。

 ブログ『臥竜塾』2006年2月21日『焼うどん』の中で書かれている小倉発祥焼うどんのこだわりは相当のものですが、ここは流石調理師柿崎先生の腕の冴え渡るところで、この度の焼うどんもソース味、しょうゆ味と2種類をつくり、皆の舌をうならせてくれました。とても美味しかったです。

さて食べながら話題は4月より学生になった西村先生に。実家のお寺を継ぐ為、仏教学部へ編入されました。ということで、最初の報告は西村先生の学生再デビュー報告から。

先日行われたオリエンテーションでは、全学部合わせて100人規模、その殆どが年下ながら、所属する仏教学部の平均年齢は高く、最高齢は68歳。そんな中行われた懇親会では、「異性から言われて嬉しい言葉」などのトークテーマでディスカッションが展開され、「『も』から始まる嬉しい言葉」の際に「もう少し一緒にいたい」と絶妙な解答で周囲をざわつかせたのでした。

更にその日は、園へ戻ってアルバイト業務を完遂。初めての遅遅番(〜20:30)では、展示食の片付け方、生ゴミの出し方など、今までになかった経験をしたとのこと。これからこのような形で園に携わってくれる、何とも頼もしいことです。

食事も済み、片付けをしてデザートタイムへ。

食事も済み、片付けをしてデザートタイムへ。

「ニュージーランドアイスクリーム」の「ホーキーポーキー」

「ニュージーランドアイスクリーム」の「ホーキーポーキー」

バニラの中にふんだんに入ったキャラメル粒が魅力のアイス。ニュージーランドでは定番のアイスとのことで、コーヒーと合わせたり、またコーヒーフロートにしてみたりと堪能させていただきました。とても美味しかったです。

さて話題は「臥竜塾年間講座」へ。今年度より施行の保育所保育指針より「幼児期の終わりまでに育って欲しい10の姿」をテーマに取り組みます。2時間の内の前半は「健康な心と体」「自立心」「共同性」、などを1つずつ、座学として解説させていただき、後半はその「10の姿」に沿った写真を元にディスカッションを行うというスタイルです。

全11回の初日となる4/26(木)は今回の講座の流れの説明を兼ね、『子どもの権利条約』第12条を元に塾生が日々の保育の中からそのテーマに沿った写真を収集。どの写真がよりテーマに沿ったものであるか、また、それぞれの写真から見える様々な見方、感じ方などを共有しながら、最後に参加者の皆様に投票していただきます。

今年度も多くの方々と楽しい学びの時間を共有できることをとても幸せに思います。離れていても、同じ保育の下で、志の下で学び合う仲間の存在に胸を寄せたこの度の塾でした。

(報告者 加藤恭平)

最後に、

「今まで食べた分です」とのことで、若林先生より送っていただいたお米を塾生皆で等分させていただきました。

「今まで食べた分です」とのことで、若林先生より送っていただいたお米を塾生皆で等分させていただきました。

森口先生のリュックの重そうなこと。

 測ってみると10㎏。

測ってみると10㎏。

数値化すると見えてくるものもあるようですね。

2017年度最後

2017年度最後の臥竜塾の報告です。

今回で最後の先生が2人。小松崎先生と若林先生です。以前田崎先生から松本へのお別れ遠足の報告もあったと思いますが、2人とも、ご実家の園に戻る予定です。

今回は、豪華に手巻き寿司を食べました!!

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松本旅行でしっかり送別会のようなつもりだったので、今回の塾は、いつも通りの塾で、湿っぽくなりませんでした。正直思い出せないくらい、面白おかしくみんなで思い出を語り合った回となりました。また、松本旅行中、私はずっと動画を撮っていたので、それを編集し、40分ほどの大作?ムービーを作りました。それを真剣に観てしまうと、飽きてしまうので、食事をしながら、みんなで観ました。

塾生から、2人へのプレゼント贈呈。将来、園に戻って使う機会が増えるであろう、名刺入れのプレゼントです。色違いのモノを贈りました。

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そして、2人から塾へのプレゼントが!

なんと「臥竜塾」と彫られた包丁です。

大切に使っていきましょう!!

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楽しく、思い出話をしていたら、内容をメモする暇もなく、楽しいばかりで覚えてもいないので、2人へのメッセージをここに記します。

また、他の塾生からのメッセージはコメントに頂けたらと考えています。

塾には、2人と同じ立場で、将来は実家の園の園長になる人がたくさんいます。また同じような立場の先輩として、大阪、石川にも大活躍している先生もいらっしゃいます。臥竜塾で学んだ仲間は何があっても、助けてくれる仲間だと思います。現場の問題、管理職としての

問題、様々な困難なことがあっても、助けを求めれば、必ず力になります!そして、偉大な塾長もいらっしゃいます!鬼に金棒ですね(笑)なので、せいが、臥龍塾で学んだことを2人なりの表現の仕方で、思う存分発揮してほしいです!それを参考に、私自身も将来、自分の園で実践していきたいと思います。

お2人の活躍を心よりお祈りしています!!!!

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西村 宗玲

(追記)

実は、私も新宿せいがを退職する1人です。将来のために都内の大学で仏教を学びます。

そしてアルバイトとして再雇用して頂きました。本当に有難いです。

引き続き、よろしくお願いします。

松本旅行3

松本城をあとにし、浅間温泉へと向かいます。

これまで、「まつもと夜噺」「旧開智学校」「松本城」と回っていきましたが、
割と近い距離にあるので、すべて歩いていくことができました。
浅間温泉までは、バスで30分くらいです。

バス停に向かいながら、松本市内を探索しました。

こんな感じで探索します!

ふらっと立ち寄る、洒落た店♪

喫茶山雅です!

喫茶山雅です!

 

「喫茶山雅」について、簡単に説明すると、1965年に松本駅前に「純喫茶山雅」という喫茶店があったそうで、そこの常連客によって、松本山雅FCというサッカーチームが結成されたそうです。一度、姿を消してしまうのですが2015年、クラブ設立から50周年の記念事業の一環として、松本山雅FCの原点である「喫茶山雅」を復活させるプロジェクトがスタートし、2017年2月25日、約40年ぶりに、次の新たなる50年に向けた新事業として『喫茶山雅』が復活したそうです。喫茶店であり、松本山雅FCのグッツも置いてあるという、サッカー好きにはたまらないですね!!

そして、さらに進んでいると、なわて通りという栄えた通りがありました!

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松本は、カエルの町としても有名で、いたるところにカエル・カエル・カエル。

歩いて、通るだけでも楽しい賑やかなところでした。

 

そして、松本探索を終え、浅間温泉へ!

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とても豪華な旅館です!
着いてすぐに、立派なお風呂に入らせていただき、夕食です。

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どんどん料理が運ばれてくるのですが、どの料理も最高でした!
夕食をいただきながら、たわいもない話や保育の話などなど、
小松崎先生、若林先生にこれまでのせいがでの生活を振り返ってもらい、
とても楽しく充実した時間でした。

普段、同じ職場で顔を合わせていますが、同じご飯を食べ、同じ部屋に泊まる事で、いつもとは違う一面を見ることができ、さらに仲が深まったような感じがします。

部屋は、3部屋に分かれて泊まりましたが、それぞれの部屋で楽しんだようです!

 

3月11日(日)の朝を迎え

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豪華な朝食をいただきました!!

仕度を済ませ、お世話になった浅間温泉から松本市内へ向かいます。

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この写真は、バスを待っている風景ですね!
バスの運転手さんもビックリしたことと思います(笑)
バスを待つ間も、一人ずつムーンウォーク対決。笑いが絶えません(笑)

 

旅行最終日は、「そば打ち体験」を企画しました!

「和食そば処たかぎ」さんにご協力いただき、
そば打ちを教えてもらいました!!

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そば粉に水を入れ練っていきます!

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生地を伸ばしていきます!

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細く切る工程ですね!
これが、非常に難しい・・・。
切ったときに、包丁を傾けて板をずらして切るのですが、傾ける角度がとくに難しく感じました。

やっぱり職人さんってすごいんだなと実感ました。

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最後にお世話になった、「和食そば処たかぎ」さんと記念撮影をし
出来上がったそばは、一人1つずつ持ち帰りました。
初めてのそば打ち、とても貴重で楽しい時間でした!

そば打ち体験を終え、
残る時間はお土産や昼ご飯を買うために松本探索です!

最初に立ち寄ったのが、「珈琲まるも」です。

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店内が、広々としていておしゃれで落ち着いた内装になっていました!

みんなでコーヒーをいただいていると
隣に座っていた常連客の方が、話しかけてくださり、

松本市と、珈琲まるもの良さについてたくさん教えて頂きました!
松本の人たちは、本当にとても親切で暖かい!本当にいい街です!
こんな町で見守られながら成長していく子どもたちはきっと幸せでしょうね!!

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常連客の方が教えてくれたのですが、貴重な椅子らしいです!
せっかくなので、座らせてもらうことに(笑)

珈琲まるもを後にして、中町通りを歩きました!
昨日通った、なわて通りと中町通りが松本市で有名な通りといいますか、
観光客が多く訪れているそうです!

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ここで、各々クラスの先生方にお土産を買ったり、ホワイトデーのお返しを買ったり
お店を見て回るだけで楽しい時間が過ごせました!

そして、

とうとう東京に帰る時間になりました…

ここで、名残惜しい松本とも西田先生ともお別れです…。

帰りの便も、スーパーあづさでした!!!

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帰りの列車は、爆睡していたのでみんなが何をしていたのかは分かりませんが
あづさの乗り心地は最高です!!

今回の旅行を振り返ると、、
行も帰りもスーパーあづさに乗ることができ、
松本城、浅間温泉と贅沢でとても楽しい旅行でした!

塾生になって、初めての旅行だったのですが、
職場で見る先輩方の姿と違った一面が発見できたり、さらに仲良くなれたり、
とにかく笑いが溢れていました。

小松崎先生、若林先生のお別れ旅行ということでしたが、
楽しい思い出ができたので、せいが子ども園を離れても、きっと頑張れるでしょう!(笑)

そして、松本という素晴らしい街を知ることができました。
お城に入ったのも初めてで、松本の街並みや、人々の暖かさもとても好きでした!
またいつか、行ってみたいと思います!!

こんな感じで今回の松本旅行の報告を終わりたいと思います。

報告者 田崎 天悠