これからは日本語
10月2日の臥竜塾の報告です。
最初の話題は、園にいる5歳児のハーフの女の子の英語の発音がすごいという話になりました。その子は家で日常的に英語で会話をしているそうなのですが、先日昼食後のお当番の仕事を塾頭とやっていて塾頭に英語で「can I play〜」と話しかけてきたそうなのですが、発音の良さのせいか聞き取れずもう一度ゆっくり話してもらったそうなのですが、それでもわからなく、日本語で話してもらうと「もう友達と遊びに行ってもいい」と聞いていたそうです。つまり「can I play my friend?」と聞いてたそうなのですが、その子にとっては日常会話なので「マイフレンド」を「マイフレ」と略して話していたので塾頭もわからなかったと言っていました。という話をしていたところ塾長から、「今はパソコンなどで英語や中国語などすぐに日本語に翻訳できたり、逆に日本語で入力した文字が英語や中国語に翻訳されたり、あっという間にできるから、近々東大の入試から英語がなくなる」という話を聞きました。
以前の塾の時にも塾長は毎年のドイツをはじめ、最近ではシンガポールなどで講演を行う際に、話をする時にしっかりと理論や例などを伝えないと勘違いしたり間違って伝わってしまう。そうならないためには、現地の言葉が話せる事に越したことはないけど、自分がしっかりとした日本語を話すことができないとちゃんと伝わらないと言っていました。
また、大学生が行なったテストでも数式からは答えが導き出せるが、文章問題を読み解き数式を作って答えを導き出す問題になると途端に正解率が減ってしまったそうです。
確かにニュースなどを見たりネットで調べてみると、「日本人の若者を中心に読解力の基礎となる語彙の量が不足している」というデータが多数あるのが現実です。
私自身、英語がとても苦手で道端で海外の方に英語で話しかけられたり、塾長と行ったドイツ研修も通訳さんがいるとはいえドキドキしていました。
そんな中、ついこの間塾長と天悠くんと電車に乗っていたら中刷り広告に「世界とポケトークしよう!!」というキャッチフレーズの広告がありました。それはスマホより小さめの手の平サイズ。なんと74言語も対応しているという翻訳機で値段も3万円前後!これを見た時に、英語の塾に通い月謝を払い続けるよりは、自分ならこの機械を買って海外の人とたくさん会話をした方が楽しそうだし、世界が広がりそうだなぁと感じてしまいました。(単純に勉強が嫌いというのが本音です!笑)
通訳は機械ができても言葉を考え発するのは自分自身にしかできないことなので、表現する言葉、語彙力がこれから特に重要視されていくのではないかと思いました。
その他の話題としては、安倍内閣が組閣した時だったので政治の話、学生時代の話をしました。
ご飯は、以前に塾で作った梨酒と塾長宅近くの餃子屋さんの餃子、頂いた太平燕(タイピ―エン)に、横田くんが作った野菜炒めを追加し具沢山にしました。
デザートには、横田君の顔の大きさに匹敵するほどの大きな梨を食べました。 (報告者 柿崎)
瓢鮎図 final
副園長中山利彦先生主催のリーダー研修会に田崎先生も参加されました。
塾長からの提案で田崎先生も来場者の方の前で話をする時間があったそうです。
森口先生からは「35点」その理由は、「塾長と聞き手が求めていることを話せるようになるといい」
その後塾長からも同じ内容でアドバイスをいただいたとのことで、何とも考えさせられるものがありますね。
皆で美味しくいただきました。いつもありがとうございます。
「厚木ふじの花保育園」では保護者講演がありました。
パワーポイントで構成された塾長の講演。パソコンを操作する役割を初めて担いました。
と強気な姿勢を見せていたそうですが、塾長のタイミングに合わせることや、間違えて2回続けて押してしまったり「指が勝手に動いてしまった」とのことで、一筋縄でいかないものであることを強調されていました。その中で沢山のメモをとる森口先生や、シンガポール講演を成功に導いた西村先生、助手として初代からその仕事を確立された塾頭山下先生、「食後の講演はどうしても眠気との戦いになるから、チョコレートがいい」と実践的なアドバイスをくれる柿崎先生。助手の先生方の積み上げてきたものの大きさを改めて感じさせられます。
田崎先生の報告の中でとても印象的だったことが、日本の保育とピアノの関係についてでした。
関信三(1843天保14年−1880明治13年)浄土真宗僧侶、wikipediaによると、
「明治政府の命を受けキリスト教の内情を探るべくキリスト教徒の中に長期にわたり潜入。(略)その後、東本願寺の命により、東本願寺の大谷光瑩(現如)上人の随行員としてイギリスに留学。その後、政府のキリスト教解禁のため帰国、東京女子師範学校の英語教師となる。欧州滞在中に見聞したフレーベル教育を活かし、1876年、日本初の幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)を創立し、その初代監事(園長)となる。主任保母は、松野クララが務めた。」
松野クララ(1853年−1941年) wikipediaによると、
「フリードリヒ・フレーベルが創立した保母学校に学ぶ。1876年(明治9年)に来日(略) 日本における近代幼児教育の基盤整備に取り組み、東京女子師範学校附属幼稚園の最初の主席保母として、ドイツの要請所で学んできたフレーベルの理論や保育内容の実際をほぼ舘に直接教え、後には東京女子師範学校の保母練習科の生徒たちにも教授した。また当時珍しかったピアノを弾いて一緒に子どもたちと遊戯を楽しんだ保育者の第一号でもある。」
明治時代の教育者が最初に導入したピアノが、今日の日本の保育にこれほどまでに影響を与えるとは思ってもいなかったことでしょう。また、それだけの経緯でもあるという見方もできるようにも思えます。ドイツでは朝の会や帰りの会など皆で集まる時間に、様々な場所で行う為に持ち運びの簡単なギターやアコーディオンなどを用いると聞きます。ウクレレの音質、音量なども保育に適していると保育雑誌で目にしたこともありますし、少し前まで小松崎先生は朝の歌をカズーで子どもたちと歌っていました。楽器が弾けなければアカペラで構わないわけですし、弾きたい子どもたちが弾いてくれるかもわかりません。その人の得意不得意をそのまま表現できるような環境は、子どもたちにとっても保育者にとってもとても過ごし易いものと言えるように思います。
金沢「わかばこども園」施設長西田泰幸先生からいただいた九谷焼の湯飲み。その際に、皆でそれぞれの柄を決めました。
西村先生がコーヒーを担当してくれていて、誰がどの柄かを全て暗記しているのですが、実際に配ろうとすると、中々思い出せないものです。
ひょうたん柄の湯飲み。柿崎先生のものです。
ひょうたん→たこ→海の生き物→柿崎先生
西村先生の考案が柄を見ると思い出されるからです。
「ひょうたん→なまず→カッキーという覚え方もあるね」
「そういう絵がある」
塾長の提案で、調べてみると『瓢鮎図』日本の水墨画を代表する画僧・如拙作の絵画作品に辿り着きました。
「室町時代、「禅」は最先端の学問でありアートでもありました。その禅に精通していた将軍・足利義持のもとに集められた31人の僧は、(略)京都五山を代表する超エリート。それぞれの答えは漢詩で書かれています。(intojapanより抜粋)」
塾長からの問いかけもまた公案のようで、それを読み解く思考回路の発達こそ、知恵を授かる、ということなのかもわかりません。
(報告者 加藤恭平)
瓢鮎図 episode4
「多様性は色々な人を認め合うということであって、何でも許していいという訳でない」
「色々な選択肢がある中で選択してはいけないこともある」
組体操や鼓笛隊を例に運動会について考察してきましたが、多様性を認めるということは人を認めるということであり、組体操や鼓笛隊という取り組みを受け入れることとは異なるということでしょう。また、殆どの場合、クラス全員で行う取り組みでもある為、参加したくない子もそこにはいるかもわかりません。「相補性」(人間関係が深まると、相手と自分との相違点が明らかになってきて、この違いが明瞭になってくると、お互いが相手にない部分を補うような形ができていくこと)についても話されましたが、
「保育者主体と子ども主体は相補性がある」
「保育者主導と子ども主体は相補性がない」
やはり保育者主導である限り、子どもたちにとってその取り組みとは心穏やかでいられないものなのかもわかりません。
「色々な人の色々なやり方があって良しとされるのは、見守る保育という根本があるから」
例えば保育中に怒る、という行為についてもそれを見守ることができるのは、共通する理念の上にそれを選んでいると思えるからです。そう思うと見守る保育は宗教のようだと誰かから声が聞こえてきそうですが、「見守る保育は宗教でもいい」と塾長は仰います。それは日本にも様々な地域性があり、また世界の国と地域でも様々な文化がある中で見守る保育 Fujimori Methodは実践されていきます。様々な地域性を包括するその根本として見守る保育 Fujimori Methodがあることの重要性を仰っているのでしょう。
また、今回の運動会には保護者の親戚にあたる方で、韓国の新聞記者を務めている方が参観されていました。その中で、行事中の職員のストレスを感じなかったこと、また、その雰囲気をどう築いてきたのか、という質問に、指導するとか、教え込む、とかでなく、経験のない人が経験のある人を見て学ぶような関係性があるからではないか、との内容で解答されたこと、それに対して「いかにも日本人らしいですね」との返答があったことなどが話されました。
「日本の良さはチームワークであり、認め合う精神」
塾長がこうまとめて下さいました。
最後は田崎先生からの出張報告です。
(報告者 加藤恭平)
瓢鮎図 episode3
田崎先生が同行した「厚木ふじの花保育園」での保護者講演後、子どもが習い事をやめたいと言っている、やめてもいいものか、という内容の質問があったそうです。
「好きなことのために我慢するから我慢する力になる」
言い換えれば、やりたくないことを我慢して取り組んだとしても我慢する力にはならない。日本の保育園や幼稚園の運動会でよく見られる組体操や鼓笛隊への取り組みに通ずるものがあるように思えてきます。以前塾長から教わった、
やりたくてやったことをやり遂げた時得られる気持ち→達成感
やりたくないものをやらされてやり遂げた時得られる気持ち→安堵感
この話が思い出されます。そもそもその子がやりたい習い事だったのか、を見つめ直す機会になったことでしょう。
また、最近あった質問ということで、モンテッソーリ保育を実践されている園の方からのものが印象的でした。園庭で子どもたちと関わり合って遊んでほしいが関わりが少ない、どうしたらいいのでしょうか、という内容で、
「倉橋惣三が子どもの遊びとして共感遊びを提唱したことに対してモンテッソーリはそれを否定している」
「だからモンテッソーリ保育にはブロックやままごとがない」
という話をして下さいました。モンテッソーリ保育には「お仕事」と呼ばれる活動の時間があり、子どもが一人で集中して活動に取り組めるよう保育者は配慮をします。すると子ども同士の関わりはそこで断たれてしまうのでしょう。
また、「お仕事」は靴磨きや窓拭きなど、昔の時代の職人の仕事内容が中心です。
「現代のように一緒になって何かを作り上げたりするような仕事があればいいのにね」本当にそう思います。
「『モンテゾーン』『世界の保育体験ゾーン』というようなゾーンがあってもいいね」
モンテッソーリの教具、フレーベルの恩物で遊べるようなゾーンがあったら、それは楽しいでしょうね。見守る保育藤森メソッドの包容力を感じます。
(報告者 加藤恭平)
瓢鮎図 episode2
小学校教員時代、泳ぐことが苦手な子がいました。一生懸命泳ぎを教えてあげ、何とか泳げるようになったその子。大きくなってから会う機会があり、あの時はとても嫌だった、水が嫌いになった、などと言われたそうです。塾長はとてもショックを受け、「若い頃は変な正義感に燃えてしまうもの」「あれは自己満足だったんだと思った」と仰いました。しかし数年後、その子のお母さんに会う機会があり、積年の思いでそのことを話すと「今サーフィンばっかりやっていますよ」とのことで、一同笑いました。
「タメを思ってやることが本当はタメになっていないことがある」それは食べ物の好き嫌いを無くしてあげようと思って色々としてあげた結果、それがトラウマとなって好き嫌いの多い大人になってしまうことがあることと似ています。
「熱心な保育者と虐待する保育者は紙一重」肝に銘じたいと思います。
そして話題は運動会について。組体操や鼓笛隊などで感動してしまう親心について、「わからないでもない」という流れから、「子どもたちの発達を保育者と共に確認し、成長した喜びを感じる」ことを目的とした自園の運動会を見つめ直すような話題へと発展していきます。
(報告者 加藤恭平)
瓢鮎図 episode1
秋の風吹く臥竜塾。先ずはメニューの紹介から。
ソース、ケチャップ、マヨネーズ、お好みの味つけでいただきました。とても美味しかったです。
話題は、本多先生のご子息の通う園の保護者会の報告から。日々の保育の様子がパワーポイントにまとめられ、熱い思いの伝わる内容だったとのことでした。
その流れから「例えば保育参観、子どもの園での顔を保護者に見せていいのだろうか」塾長からの問いかけがありました。
ブログ『臥竜塾』2018年9月4日『社会的状況による言語』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
子どもにも家での顔、園での顔というものがあり、それを保護者が知ることに良い面もあればそうでない面もあるのではないか、とは、最新の知見からくる問題提起のようで、とても考えさせられます。
「信頼していればお互いが知らなくてもいいのではないか」
それは、子どもを把握しよう、させようとする日本の保育園の風潮へのメッセージともとれ、「把握をして何がしたいかだよね」という塾長の言葉がとても印象的でした。子どもがどの部屋にいるのか、どこで何をしているのか、そんなことまで見ていなくてはならない保育環境というものが果たして適切な環境と言えるのでしょうか。
さて話の流れから、塾長が教員時代の話をして下さいました。
(報告者 加藤恭平)
お土産三昧!!
9月4日の塾報告をさせていただきます。
まずは今回のメニューの紹介から。メニューはごはん、ホッケと大根おろし、茄子焼きもの、味噌汁、焼きそば、デザートに水ようかんでした。
とってもおおきなホッケは本多先生からの北海道お土産でした。肉厚のホッケはとっても甘くておいしかったです。本多先生ありがとうございました。茄子は園でとれたものでこれもとても大きくおいしかったです。茄子は無農薬で育てていて、それを聞いて本多先生が「無添加やっ!!」森口先生「それはくら寿司やっ!!」と鋭い突込み!!そんな会話をしながら賑やかに食事をしました。
そんな茄子の話題から話はサンマの話題に。今年はサンマが豊作だったらしく、スーパーでも低価格、高品質で売っているそうです。1匹100円で売っていたときもあったそうです。海のそばで育った田崎先生はサンマを食べたら何にも残らないと言っていました。その通りに今回のホッケも最後まで丁寧に身をほぐしてきれいに食べていました。
食事が終わると、デザートの水ようかんを食べました。これは、自分からの京都のお土産で3種類あり、全員で「せいのっぴっ!!」で食べたいものを選らんで食べました。「せいのっぴっ」とは食べたいのもを全員で一斉に指さし、誰ともかぶらなければそれが食べられる。重なった場合は再度重なった人達だけで指さしをやり直すというものです。ここで塾長からのトラップ。水ようかんが外側だけものがあり、中身は空っぽのものが仕掛けられていました。やっと食べたいものを選んだと喜ぶのもつかの間。持ち上げてみるとえらく軽い。空のやつは自分と本多先生が引きました。そんな遊びもしながら楽しい食事を終え、話題は次回の塾セミナーの話に移りました。
今回の塾セミナーは育ってほしい10の姿の一つ「思考力の芽生え」です。加藤先生と元さん(松元先生)が担当されています。先生たちによるプレゼンをみんなで聞きました。聞きながらドイツのベルガーさんからのお土産のをいただきました。ベルガーさん、ありがとうございました。
思考力の芽生え
身近な事象に積極的に関わる中で,物の性質や仕組みなどを感じ取ったり,気付いたりし,考えたり,予想したり,工夫したりするなど,多様な関わりを楽しむようになる。また,友達の様々な考えに触れる中で,自分と異なる考えがあることに気付き,自ら判断したり,考え直したりするなど,新しい考えを生み出す喜びを味わいながら,自分の考えをよりよいものにするようになる。
とされています。これからIT技術が進んで行く中で考えることが億劫になってい行く。人工知能などの発達で様々な仕事が無くなって行ったりなんて話もよく聞きます。その中で考えることが楽しい、もっと考えたいなどと思うにはやはり乳児からの関わりが大切なのではという話から始まりました。そこで新宿せいがならではの環境、子ども同士の関わりを動画、写真を見ながら紹介していました。内容の詳細については発表当日を楽しみにしていてください。
いつもなのですが、発表を聞いて、そんな理由があって今の環境があるんだなと思いました
何気なく毎日、保育していますが知らないことだらけで、毎日勉強だなと感じました。そういった環境の意図やねらいを知るだけで保育の見方も変わっていきます。
プレゼンの途中で塾長がおっしゃっていたのですが、多くの人は上の人が下の子にいろいろ教えると思っているが、実はそうではなく、経験者が未経験に教えるとおっしゃっていました。確かに、自分も1年目で何もわからないとき、子ども達に「違うよ先生。それはこうしないとダメなんだよ」なんていろいろ教えてもらったことを思い出しました。なにも下の子が教わるということだけではないんですね。
発表を終えて、「やはり赤ちゃんから思考が始まっている」ということで塾長が「哲学する赤ちゃん」という本を紹介していました。自分も今度、書店に行って探してみたいと思います。
今回の塾はこれで終わりました。
報告者 横田龍樹
道徳
8月29日の臥竜塾の報告をさせていただきます。
この日の塾は生活に潜む「知らない」ことの話題からスタートしました。
「つまようじの凹凸の部分はどういう意味か知ってる?」と塾長の口から。
皆さんはなんだと思いますか?
僕は開口一番「箸置きじゃないですか?」と口を開いたのですが、すかさず塾長から、「箸置きって答えは一番安易な答え」とあり、「パヒーーン」となりました笑
正解はというとこの写真を見ていただけると、、、分かるそうなのですが….
これ、実は「こけし」を模しているのだそうです。
つまようじは当初、両端とも尖っていたそうなのですが(なんでですかね?片方使ったら、また片方使えるからですかね?)、片端を尖らせないように、切り落として制作されることになりました。しかし、それでは切り口から先端がささくれてしまうため、ヤスリで削ることにしたそうです。削ったことで、その先端がまるく、そして黒くなってしまいました。その姿がなんとなくこけしに似ているということから、凹凸をつけてこけしに似せたということなのです。
確かに言われてみると、こけしですね。
30年生きていきました。それなりにつまようじのお世話にもなってきました。耳かきがないときは耳掃除にも使ったことがありますが、まさかそのつまようじの背景にこけしがいたとは。
世の中、まだまだ知らないことは多いですね。
分かっていることだけで、自分の世界を作ってしまうことで、なんだか見えなくなってしまうことも多いのかなと感じる一幕でした。
話はちょっとだけ、政治の話題に。
その流れで、「道徳」の話にもなりました。
赤ちゃん(人)は遺伝子を繋いでいくことがある意味の正義なので、自分の遺伝子を繋いでいくために道徳というものを高めたという話が塾長からありました。道徳的に生きていくことは、自分の遺伝子を繋いでいくことにもなるということでした。この話は私自身、最近とても考えさせられるというか、あらゆることがつながるような思いがしています。
6月に行ったドイツでも「持続可能な社会」を目指しているという話がありました。自然を大切にするといったような取り組みが持続可能な社会の取り組みのひとつとして挙げられるのですが、自然を大切することが重要であるというのは多くの人が理解していることだと思います。しかし、ではどうしてそれが大切なのかと問われると私自身、「ん〜」と明確にはっきりと言えなかったのですが、自然が豊かであることが結果として、自分の遺伝子のためになるということと繋がり、とても腑に落ちました。これから自分自身、もしくは自分の子ども、そして孫と時代が移り変わっていく中で、やはり、自然環境が良くないと安心して地球で暮らしていくことはできません。だからこそ、自分たちのためにも自然を守っていくということが、妙に腑に落ちました。自分たちというと誤解されるかもしれませんが、自分たちの生活をしっかり守られているような感覚があると、余裕を持って周りを見ることができたり、意識することができるのかもしれません。それを「遺伝子は利己的である」という風に表現されるのですが、なるほどなと思えてきますね。
また、塾長から最近の子どもの研究の話もありました。その中で、「子どもは家と外では違うのは当たり前である」というような研究結果があると紹介していただきました。家と園での子どもの姿が全然違うことに不安を感じる方もおられるように思います。実際に、保護者の方からそのような声を聞くこともよくありますよね。しかし、最新の研究の結果ではそれは「当たり前である」ということが分かってきていると思うと、それは子どもの自然な姿でもあるのですね。
確かに、私自身も、属する集団、関わるひとによって自分が変わっているような感覚があります。様々な集団の中で、様々な人と関わる中で、その集団、その人に合わせた自分になるというのは、集団や他者の中で生きていくためには必要な力なのかなと思います。家の中での自分そのままで、家以外の集団に入ってしまうと、なかなか誤解というか、軋轢を生んでしまうことも考えされますよね笑。
子どものこともそうですが、本当にまだまだ知らないことがたくさんありますね。
そんなことを改めて感じました。
報告者 森口達也
「やんさん」と「げんさん」
8月21日の臥竜塾の報告をさせて頂きます。
今回の臥竜塾は昨日の20日から、環境サミットがありその中日に開催した塾となりました。そして、その環境サミットに参加されていた、外部臥竜塾生の「やん」先生こと邨橋先生も参加してくださいました。
やん=邨橋先生で通るのは、新宿せいが子ども園だけらしく、ご実家の園でも浸透していないとのことでしたので、ここではあえて,やん先生で書かせてもらいます(笑)
やん先生は現在、大阪のご実家の園に務められています。私たち臥竜塾生にも、実家が保育園をしている塾生も何名かいますが、いつか帰った時にこういったことが大変だとか、今何をしておくべきかなどとても参考になるお話をしてくださいます。
そして、やん先生が塾に参加してくれるだけで、塾内がとても盛り上がるような印象を受けました。これまでの塾生の話などもしてくださりとても楽しい時間を過ごすことができました。
さて、今回のメニューを紹介いたします!
うどん
なま白石温麺(しろいしううめん)
唐揚げです。
つゆを数種類、ネギやオオバ、豚肉などなど…いろんなトッピングを加えておいしくいただきました!!中でも、西村先生特性のトマトのつゆがすごく自分の中でヒットしました!
さて、そんなおいしい料理をいただきながらの話題は、やはりやん先生を中心に話が進んでいきました。趣味でボルダリングをやられているそうで、時間さえあれば登っているそうです。これまで、スポーツとは縁がなかったそうですが、ボルダリングをきっかけに、登るための筋トレも続けているそうで、本当にすごい体つきをしています。
以前のやん先生と比べると、ご実家の幼稚園の保護者に、「先生、痩せました?なんか病気になったんですか?」と心配されたこともあるくらい変わったらしいです。
そんな話のなか、やん先生が「となりに座ってるけど、初対面やんな??」
実は、塾生の松元先生とやん先生が初対面だったそうで、その言葉から松元先生の自己紹介をする流れになりました。
松元先生は、「げん」と呼ばれていて、それは松元の元の字をとっての「げん」であること、2年前の10月に新宿せいが子ども園に産休に入る職員がいたからこれたこと、実家が鹿児島で園をされていて「見守る保育」を持ち帰りたいと思い、縁あってくることができたことなど話してくれました。
初めて、新宿せいが子ども園に見学に来た時が、ちょうど夕涼み会の日で、塾生たちから見た松元先生の第一印象は「変」だったそうです(笑)
そこには、もしかしたら今後、新宿せいが子ども園に就職するかもしれないから真面目な感じで行こうという松元先生の思いと、見学者でも笑わせに行こうとする先輩方のすれ違いがあり、夕涼み会にスーツを着てきた松元先生の目の前でどんなに面白いことをしても、決して笑わず無表情な松元先生が「変」だったというのが、塾生や他の職員たちからの第一印象です。
就職した初日も運動会の日だったそうで、何をしたらいいかわからないなりに、「とりあえず大道具にいて」とほったらかしにされたらしく(笑)「うちの園、見学者をほったらかしにしてしまうことあるよね・・・」という反省点も見つかりました。
そんな松元先生ですが、最初の「変」なイメージとは違い、頭もよくて面白い、そしてチーム保育での動きにもすんなり入り、対応力もあるのが今の印象で、最初のハードルは低ほうがいいということを学ぶことができました。これには、やん先生も「地元が関西ってだけでハードル上がってるから、ほんとにハードル低いってのはいいことよ~」と同感だったようです。
松元先生の今現在の思いも話してくれたのですが、「最初は、新宿せいが子ども園が特別なことをやっている園だと思っていたが、特別なことをやっている訳じゃなくて、子ども一人一人の発達をしっかり見て保育をしている。そして、一人一人に合った環境設定や関わりをするために、チーム保育を通して職員が連携して見守る姿勢など、そもそも視点が違ったのかなと思っている。そして今感じていることを、実家に帰った時にどのように変換して伝えていくかが今の課題です」と話してくれました。だからこそ、一足先にご実家の園に戻られたやん先生の話がとても勉強になると話していました。
やん先生もこうしてたまに新宿せいが子ども園を訪れて、職員が自然体で保育している雰囲気を感じて持ち帰るだけでも違うと話してくれました。
それぞれの園で方針があり、「うちの園とは!」というものがあり、みんなで合わせようと「先生」すぎてしまうところがある。でも、新宿せいが子ども園は、先生というよりも「近くにいる大人」というような感覚で、揃えるところは揃えるが、細かいところはそれぞれの個性や考え方など、普通でいれることがすごいと思う。というような話を聞くことができました。
以前の塾長の話にもあった、「良い集団とは、決して同質を求めるのではなく、多様性を認め、その中で個々が光り輝くことがよい集団であり、また、よい集団こそが個々の輝きを増す」という言葉がまさにそのことを言っているのだろうなと感じました。
こういった話はとても貴重ですし、塾を通してみんなで共有できることはとてもありがたいことだと改めて思うことができました。
食器を片付け、コーヒータイムに入ります。
急に電気が消え「ハッピ バースデー トゥーユー♪」
先週の金曜日8月17日は、松元先生の誕生日でした!今年、29歳になったそうです!
げんさん、お誕生日おめでとうございます!!!
これで今回の報告を終わりたいと思います。
報告者 田崎 天悠






































